Ob-La-Di Oblako 文庫

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歩兵第十一連隊 第七中隊 陣中日誌 第五号 昭和十七年三月(1)【新漢字·ひらがな版】 1942. 3. 1−17

軍事極秘
自昭和十七年三月一日
至昭和十七年三月一日

 陣中日誌

  歩兵第十一連隊第七中隊

 

<月 日>
 三月一日 日曜日 晴  於 クワラビラ

一 中隊は八時起床、宿営準備不完全なるため、極力、準備を実施せしむ。

二 十一時三十分より各小隊長とともに市内分哨の巡察、隠匿兵器ならび資源調査に出発す。十四時二十分、帰隊す。

三 午後は各小隊ごとに身辺整理ならび完全なる兵器、被服の手入れを実施せしむ。

四 十四時三十分沖野·後両一等兵の死体受領のためジホールバールに出張す。本日の警備、異常なし。

<勤 務>
五 本日の勤務員、左のごとし。
     日直下士官  中塚軍曹
     日直上等兵  兼田上等兵
     第一分哨   藤崎伍長以下七名
     第二分哨   郷路伍長以下五名
     第三分哨   平岡上等兵以下五名
     第四分哨   倉本兵長以下五名
     第五分哨   松下伍長以下五名

<作 命>
六 渡作命第 97 号
   渡辺部隊命令  三月一日 16:00
           セレンバ

1.渡辺部隊は本駐留間、兵器修理を完全にし、次期作戦を準備せんとす。

2.第二大隊および連隊砲、速射砲、通信中隊は鍛工および銃工兵 (欠員の場合は適任者を選定し) 全員ならび自動車修理に経験あるものを左記の通り選定し、三月二日より毎日九時までに部隊本部に差出し、御前中尉の指揮を受けしむべし。

   左 記

 第二大隊   兵 五
 連隊砲中隊  兵 二
 速射砲中隊  兵 一
 通信中隊   兵 二

3.服装は徒手帯剣、脚絆を穿け、昼食を携行せしむべし。

   渡辺部隊長      渡 辺 大 佐

 下達法 印刷交付

<命 令>
七 西作命第 7 号
   第二大隊命令  三月一日 23:00
           セレムバン

1.明二日、各警備隊長の招集を命ぜらる。

2.大隊は各警備隊長を明二日 11:30 までに大隊本部に集合せしめんとす。

3.各警備隊長は二日 11:30 までに大隊本部に集合すべし。これがため自動車および護衛兵を派遣す。

4.第五中隊長は小銃二ヶ分隊を明二日 05:40 までに本部前に差出し、大隊副官の指示を受けしむべし。

5.自動車班長は自動貨車二車輌を明二日 05:40 までに差出し、大隊副官の指示を受けしむべし。
 服装は軽装にして朝食を携行せしむべし。

   第二大隊長代理    西 原 大 尉

 下達法 第五中隊自動車班長には要旨口達、各
     警備隊には派遣自動車手をして伝達
     せしむ。

<現在員>
八   83 名

[上余白:【岩田】]

 

<月 日>
 三月二日 月曜日 晴  於 クワラビラ

一 中隊長は西作命第七号に基き十時、第六中隊長とともにセレンバン警備隊に至り、次期治安粛清工作に関し打合せをなす。
 十六時五十分 帰隊す。

二 十六時より各小隊長をして内務巡視を実施せしむ。大体において諸準備、備付物品等整ひ、良好なり。

三 十八時、各小隊長をして次期作戦における打合せをなす。

<勤 務>
四 本日の勤務員、左のごとし。
     日直下士官  二張軍曹
     日直上等兵  渡利上等兵
     第一分哨   鴨伍長以下七名
     第二分哨   打坂伍長以下五名
     第三分哨   髙橋伍長以下五名
     第四分哨   柱伍長以下五名
     第五文哨   寺本兵長以下五名

<命 令>
五 渡作命第 96 [→98] 号
   南警備隊命令  三月二日 12:00
           セレムバン警備隊本部

1.敵性分子の状況別紙要図のごとく、敵性分子は近時しばしばぺンヘンケアンギ付近鉄道を破壊しつつあり。

2.南警備隊はまづ鉄道沿線の敵性分子を摘発芟除せんとす。南警備隊本地区内の軍政部支部 憲兵兵站諸部隊は本敵性分子の芟除に協力す。その協力情况、別紙のごとし。

3.第一大隊 (第三中隊欠 □ [移動式無線電信所] (1) □ [移動式対空無線電信所] (2) 属) は明三日早朝、行動を開始し、まづカンポンケンドン付近の敵性分子を芟除したる後、同日夕までに第一回包囲圏を構成し、四日早朝より前進を起し所在の敵性分子を求めて掃蕩し、五日夕までに第二包囲陣を構成し、六日早朝よりさらに行動を開始し、▲2899 (カンポンガド東方約 4 km)、その西北方約 4 km 2255、その北方約 4 km △2764 の線に進出すべし。
 第六、第七中隊と連絡したる後、同線を撤しカンポンケンドンよりカンポンフキツトタンバンクダ西側地区付近に至る間の要点に兵力を配置し、敵性分子の芟除後の活動を偵察しつつ後命を待つべし。本行動により鉄道沿線の敵性分子一掃せらるれば 原駐地に帰還し、マラツカ州内における隠匿の兵器の収集をなさしむるはず。

4.第二大隊 (第六 第七中隊 機関銃一小隊欠、□ [移動式無線電信所] (1) □ [移動式対空無線電信所] (2) 属) は三日夕までに第一包囲圏を構成し、四日早朝、前進を開始し、所在の敵性分子を掃蕩し、五日夕までに第二包囲圏を構成し、六日早朝、同線より攻撃前進を開始し、2675 (ぺタス東方約 5km) 、その北方約 4 km 2575 の線に進出し第七中隊と連絡したる後、ぺタス、ペルヘンチアンギ間の要点に兵力を配置し、敵性分子の活動を偵察しつつ後命を待つべし。
 鉄道沿線の敵性分子、本掃蕩により一掃せらるれば、九日よりアエルマワン、タンギ間の敵性分子掃蕩をなさしむるはず。

5.第七中隊 {機関銃一小隊 (一分隊欠) 付} は三日夕までに第一包囲陣を構成し、四日早朝より前進を開始し所在の敵性分子を掃蕩し、五日夕までに第二包囲圏を構成し、六日早朝より前進を再開興し 2675 (カンポンメルタ西北方約 2 km) 、その南方約 4 km 2674 の線に進出し、第一大隊 第二大隊ならび第六中隊と連絡したる後、第二包囲圏線上の要点に兵力を配置し敵性分子の行動を偵察しつつ後命を待つべし。
 本掃蕩の結果、適性分子一掃せらるれば、九日よりアエルマワン、タンギ間の敵性分子掃蕩せしむるはず。

6.第六中隊 (機関銃一分隊付) は三日夕までに第一包囲圏を構成し、四日早朝より前進を開始し所在の敵性分子を掃蕩し、五日夕までに第二包囲圏を構成し、[六日] 早朝、さらに前進を開始し △2764 (カンポンブツキツトタンバンクダ東方約 4 km) 、その南方 2255 高地の線に進出し、第一大隊 第七中隊と連絡したる後、タンギ東方地区に兵力を集結し、タンギ以西山岳地帯い至る間の敵性分子の状況を捜索しつつ後命を待つべし。
 本掃蕩により鉄道沿線の敵性分子一掃せらるれば、九日よりアエルマワン、タンギ間の敵性分子を掃蕩せしむるはず。

7.戦闘地域の境界は別紙要図のごとし。

8.爾余の諸隊は現在地にありて依然、前任務を続行すべし。ただし連隊砲、速射砲中隊、通信中隊は随時小銃手を出動せしめ得るの準備にあるべし。

9.出動部隊は特に友軍の相撃を戒め、かつマラッカ方面への敵性分子脱逸を防止すべし。

10.出動部隊は原駐地に必要最小限の兵員を残置し、成るべく多数掃蕩に参加せしむべし。出動指令部隊の服装は軽装にして、糧秣六日分、弾薬は定数を携行すべし。
 自転車を用ふることを得。

11.本掃討間の合言葉は天佑神助とす。

12.予は第一、第二大隊、セレンバン―カンポンケンドン道以東の地区に進出せば、カンポンキツトタンベンクダに到る。

   南警備隊長      渡 辺 大 佐

 下達法 各隊長を集め図上において行動概要を
     教示したる後、印刷交付
 

渡作命第九八号別紙
敵性分子の情况ならび戦闘地域の境界要図

2675  △2764    2255

    第 二 次 包 囲 陣

      ⚫ カンポン
         バトウ

⚫    支那人はほとんど抗日分子にして、
ペ  鉄道破壊ならびこれが援助をなしあり。

ス    ⚫ カンポン
       フキトタンバンフダ

<現在員>
六   83 名

[上余白:【岩□】]

 

<月 日>
 三月三日 火曜日 晴  於 クラワビラ〜
               カンポンケンドン
一 第一期掃蕩も本日なるをもって、午前中、準備を完全に実施せしむ。

二 午後は準備をなしたる後、全員休養せしむ。

三 中隊は十六時、行動を開始、十九時、カンポンケンドンにおいて第一次包囲陣を完成す。

四 掃蕩間、分哨は連日勤務とし、昼夜間、三分の一の仮眠を許可す。

<勤 務>
五 本日の勤務員左の如し。
     日直下士官  冨永伍長
     第一分哨   藤崎伍長以下五名
     第二分哨   郷路伍長以下五名
     第三分哨   平岡上等兵以下五名
     第四分哨   竹内伍長以下五名

<命 令>
六 鯉五一七三部隊日々命令 三月三日  16:00
 一、     陸軍伍長   冨 永 知 一
   任陸軍軍曹 (三月一日付)

<異 動>
七     陸軍一等兵  早 川 春 三
   入院中のところ治癒退院、本日中隊復帰す。
      陸軍一等兵  前 田   実
      同      木 葉 千代太
   シンガポールに中隊材料監視として服務中、
   中隊復帰す。

<現在員>
八   86 名

[上余白:【印】]

 

<月 日>
 三月四日 水曜日 晴  於 カンポンケンドン〜
               カンポンイスタナ

一 中隊は六時起床、第二日目行動を開始す。

二 中隊は第一小隊 (警察官十名を属す) を本道左側、第二小隊 (警察官十名を属す) を本道右側を、主力は本道上を前進、掃蕩せしむ。
 十六時、カンポンイスタナに到着す。この付近、支那人家屋多数にして兵器隠匿しありとの情報に接し、支那人全員を訊問ならび家屋捜索を実施せしむ 此の付近のマーレ人、特に我に好意を有せり。本日不偵 [ママ] 分子刺殺数 55 名。
 二十二時、訊問を終り、露営準備を完了す。

<勤 務>
三 本日の勤務員、左のごとし。
     第一分哨  打坂伍長以下七名
     部隊衛兵  伊藤上等兵以下五名

<会 報>
四    会 報  三月四日 16:00
          セレムバン

一、衛兵の服務は不良なり。
 即ち作戦要務令の理解に疑しきものあり。各隊長は教育の徹底を期するとともに、適時、部下の服 [務?] 箇所に自ら、あるいは指定せる幹部を巡察せしめ、現場に適応する現地教育を行ひ、将来改善を要すべき事項を報告すべし。

一、防蠅設備は概ね可なるも、第二大隊裏、炊亊場裏には多数の蠅、蝟集しあり。
 速やかに駆除するを要す

<現在員>
六   87 名

[上余白:【印】]

 

<月 日>
 三月五日 木曜日 晴  於 カンポンイスタナ〜
                 カンポンメルタ

一 中隊は七時起床、出発準備を完了し、第三日目掃蕩を開始す。

二 中隊は前日と同じく第一小隊 (警察官十名を属す) を本道上左側、第二小隊 (警察官十名を属す) を右側、主力は本道上を前進、掃蕩を実施す。
 この付近は大部分マーレ人にして支那人家屋、非常に少なし。
 この付近のマーレ人、非常に我に好意を有せり。
 十八時掃蕩を終り、本日、不偵分子 60 名刺殺す。
 十九時三十分、宿営準備を完了す。

<勤 務>
三 本日の勤務員 左の如し
     第一分哨   髙橋伍長以下七名
     部隊衛兵   松下伍長以下五名

<命 令>
四  渡作命第 102 号
    南警備隊命令  三月五日 12:00
            セレムバン

1.鉄道沿線の敵性分子の掃蕩は予定の如く進捗しつつあり。

2.第三中隊 (一小隊欠) は明六日 12:00 までに 1320 (アエルマワン西北方約 4 km) 北麓実線付近に主力を、北方約 1 km 半 1330 北麓点線路付近に一部を配置し、第六中隊撤退後、敵性分子の山岳地帯に逃避するを防止しつつ後命を待つべし。
 移動のため自動車を交付す。その細部は御前中尉と協定すべし。

3.連隊弾薬班は掃蕩出動中、各部隊に左記の個所において各隊の携行弾薬定数に満るごとく弾薬を交付すべし。
 その数量は別に指示す
  第一大隊   カンポンチエンクウ
  第二大隊主力 ベルヘンチヤンギ
  第六大隊   タンキ東方三粁三叉路
  第七中隊   カンポンイスタナ (カンポン
         ピラー西南 9 km)

4.𠮷川主計中尉は七日正午までに、掃蕩出動の各隊に、前項弾薬交付位置において四月分の糧秣を交付すべし。

5.予はレンホウにあり。

   南警備隊長 渡邊大佐

 下達法 各隊命令受領者に印刷交付

<現在員>
五   87 名

 

<月 日>
 三月六日 金曜日 晴  於 カンポンメルター

一 中隊は六時起床、第一小隊 (警察官十名を属す) は自転車にてカンポンピイラーチンタニ部落を再掃蕩を実施せしむ。
 第二小隊 (警察官十名を属す) をもって第二大隊ならび第五中隊との連絡を実施せしむ。爾余の諸隊をもってカンポンメルタ付近部落民の動静を監視せしむ。

二 第一小隊ハ十四三十分、掃蕩を終り帰隊す。不偵分子十三名刺殺せり。各々の連絡を終り十七時、帰隊す。本日カンポンメルタに宿営す。

<勤 務>
三 本日の勤務員、左のごとし。
     部隊衛兵   鴨伍長以下五名

<会 報>
四   南警備隊會報

1.衛兵勤務は逐次良好に向へつつあり。
 各隊は過般会報の趣旨に基き一層、教育育の徹底を期するを要す。

2.軍政部支部長および憲兵隊よりの通報によれば、クアラビラー駐屯の第七中隊は特に軍紀厳正にして、一般土民も信頼し好感を抱きありと。

3.明八日実施の合同慰霊祭祭場をセレムバン倶楽部に変更す。

<異 動>
五     陸軍上等兵  仁位成人
   シンゴラー材料貨物受領のため出張中のと
   ころ、本日、中隊復帰す。
      陸軍一等兵  沖 野 竹 次
      同      後   常太郎
   ジョホールバール遺骨受領のため出張中、本日
   中隊復帰す。

<現在員>
七    90 名
[上余白:【岩田】]

 

<月 日>
 三月七日 土曜日 晴  於 カンポンメルタ〜
                  クワラピラ
一 中隊は六時起床 七時 出発準備を完了し、まず徒歩行軍にて九時三十分、カンポンホルタに到着し、朝食を喫す。
二 十時 配属自動車ならび警察自動車にて十一時三十分 全員元気旺盛にてクワラピラーに到着す。午前中は兵器、被服、自転車の完全なる手入をなしたる後、休養せしむ。

<勤 務>
三 本日の勤務員 左の如し
     日直下士官  山本兵長
     日直上等兵  兼田上等兵
     第一分哨   藤崎伍長以下五名
     第二分哨   郷路伍長以下五名
     第三分哨   竹内伍長以下五名
     第四分哨   平岡上等兵以下五名

<命 令>
四  第二大隊日々命令 三月七日 14:30
            ペルチヤンチンギ

一、明八日 17:00 よりセレムバン駅東方広場に於いて連隊合同慰霊祭を実施せらる。
 よって右の通り心得ふべし。

 1. 参列者 (討伐出動中のもの)
  大隊本部 各中 (独立小) 隊毎に将校 (下士官一 兵一)

 2. 服装
  軍装にして背嚢 鉄帽 防毒面を除き略綬佩用

 3. 集合
  当日 10:00 までに集合し、自動車行によるものとす。

<現在員>
五   90 名

[上余白:【印】]

 

<月 日>
 三月八日 日曜日 晴後雨  於 クワラピラー

一 中隊は午前中第三期討伐ならび次期兵器検査準備の目的をもって完全なる兵器の手入を実施せしむ。

二 本日十七時より部隊慰霊祭セレムバンにおいて実施せらるるにつき、中隊長嶋伍長以下五名参列す。

三 十七時より約二時間、郷端曹長をして体操遊戯を実施せしむ。

<勤 務>
四 本日の勤務員 左の如し
     日直下士官  小田兵長
     日直上等兵  加藤上等兵
     第一分哨   竹内伍長以下五名
     第二分哨   今田伍長以下五名
     第三分哨   郷路伍長以下五名
     第四分哨   平岡上等兵以下五名

<命 令>
五  渡作命第 104 号
    南警備隊命令  三月八日 9:00

1.鉄道沿線の敵性分子は南警備隊の掃蕩により一掃せられたり。
 アエルマワン、タンギ間の敵性分子の情況、別紙要図のごとし。

2.南警備隊はアエルマワン、タンギ間の敵性分子を摘発芟除せんとす。
 軍政部、憲兵兵站諸部隊は依然、本掃蕩に協力す。
 その協力要領、鉄道沿線時の掃蕩時に同じ。

3.第二大隊 (欠如、配属如故) は九日早朝、行動を開始し、カンポンレバー付近の敵性分子を摘発殲滅し、九日夕までに包囲陣を [構成し] 、十日早朝、前進を開始し所在の敵性分子を掃蕩し、十一日夕までに 1084 (アエルマワン東北方約 6 km) 、その西方約 3 km の 1085 の線に進出せんとす。
 第四、第六、第七、第三中隊と連絡したる後、 アエルマワン以北の掃蕩地区内の要点に兵力を配置し、敵性分子情況を偵察しつつ、後命を待つベし。
 ただし包囲圏構成に当りては、一部をカンポンガト ― △ 2899 (カンポンガト北方約四粁) ― アエルマワン道を前進せしむるを要す。

4.第四中隊は九日夕までに 820 (アエルマワン東方約 6 km) 以北の山系に各々一小部隊を配置して、敵性分子の東方に向ってする脱逸を防止せしめ、主力は九日夕までに 523 (アエルマワン東方約 4 km) 東西の線包囲圏を構成し、十日早朝、前進を開始し敵性分子を掃蕩し、十一日夕までに 987 (タンギ東南約 3 km) 1084 西北方約 2 km 閉鎖曲線の高地線に進出し、第六中隊ならび第二大隊主力と連絡したる後、タンカウならびその北方約 2 km、道路集合点付近に兵力を集結し、後命を待つべし。

5.第六中隊 (配属如故) は九日夕までに集結位置西側付近の敵性分子を摘発芟除して包囲圏を構成し、十日早朝、前進を開始し所在の敵性分子を掃蕩し、十一日夕までに 1084 西北方約 2 km 閉鎖曲線高地よりアエルマワン ― カンポンピラー道に進出し、第四中隊、第二大隊主力、第七中隊と連絡したる後、タンギ付近に集結し、敵性分子の動向を検索しつつ後命を待つべし。

6.第七中隊 (配属如故) は九日夕までに包囲圏を構成し、十日早朝よりおのおの一部をもってアエルマワン ― カンポンピラー道以西の山系を、主力をもって本道に沿ふ地区を前進し、所在の敵性分子を掃蕩し十一日夕までに 1125 (カンポンピラー南南西約 8 km) 、その東南方約 3 km 1025 およびその東方稜線の線に進出し、おのおの第三中隊、第二大隊主力、第六大隊と連絡したる後、包囲圏線上の要点に兵力を配置し、敵性分子の動向を捜索しつつ後命を待つべし。

7.第三中隊 (一小隊欠) は十日早朝より行動開始し、1320 (アエルマワン西北方約 4 km) 1085 1125 の線に進出し、第二大隊主力ならび第七中隊と連絡したる後、行動発起位置に行動発起の態勢に復帰し、敵性分子の動向を偵察しつつ後命を待つべし。

8.行動地域の境界は別紙要図の通り。ただしアエルマワン ― カンポンピラー道は第七中隊含む。

9.第一大隊 (第三、第四中隊欠) はまず原駐地に帰還し、マラツカ 州内に隠匿せる敵兵器を収集するとともに、特にマラツカ付近の敵性分子の摘発芟除をなすべし。

10.本掃蕩出動部隊の服装、携行弾は、前掃蕩時に同じ。糧秣は四日分を携行すべし。

11.合言葉は依然、天佑神助とす。

12.予は十一日正午、アエルマワンに到る。
   南警備隊長      渡 辺 大 佐
 下達法 各部隊命令受領者に印刷せるものを交付。

<現在員>  90 名

[上余白:【岩田】]

 

<月 日>
 三月九日 月曜日 晴後雨  於 クワラピラー

一 中隊は午前中、第三回掃蕩準備をなさしめたる後、全員休養せしむ。

二 第一小隊は十七時三十分出発、渡作命第 105 号に基き□□□□□□部落にて第一次包囲陣を完成し、該部落の動静治安に任ぜしむ。

三 午後、日直下士官をもって体操遊戯を実施せしむ。

<勤 務>
四 本日の勤務員、左のごとし。
     日直下士官  二張軍曹
     日直上等兵  仁中上等兵
     第一分哨   柱上等兵以下五名
     第二分哨   加藤上等兵以下五名
     第三分哨   打坂伍長以下五名
     第四分哨   松下伍長以下五名

<命 令>
五 歩兵第十一連隊日々命令 三月九日 16:00
              セレムバン部隊本部

 一、昭和十七年三月六日発令
    歩兵第十一聨隊補充隊付 陸軍大尉 宮﨑岩馬
  補 歩兵第十一聯隊大隊長
               陸軍大尉 宮﨑岩馬
  第二大隊長を命ず。

<命 令>
六 歩兵第十一連隊日々命令 三月九日 16:00
              セレムバン部隊本部

 一、昭和十七年二月十四日 陸軍伍長 中本徳三
  任陸軍軍曹 (頭書の日付)

 一、昭和十六年十一月十六日 陸軍上等兵 片田敏夫
                  同     植木重春
                  同     尾前眞一
                        西側孝一
  陸軍上等兵を命じ、同日、陸軍兵長を命ず (頭書の日付)。

<現在員>   90 名

[上余白:【岩田】]

 

<月 日>
 三月十日 火曜日 晴  於 クワラピラ〜
              道標十七マイル付近

一 中隊は六時三十分起床、出発準備を完了し、八時、二日目掃蕩行動を開始す。

二 中隊主力、第二小隊は本道上を前進し、第一小隊をもって□□□□□□より分進せしめ [し] が、付近はジャングル山岳地帯にして、前進極めて困難にして、あまつさへ路なく、1828 高地付近に進出し、付近部落ヲ掃蕩、本道上哩標十九付近に出て、爾後、中隊主力と行動を共にす。この付近は支那人部落少数にして、地方土人、特に我に好意を有せり。
 本日、不偵分子刺殺数 44 名

三 二十時、道標十七付近にて露営準備を完了す。

<勤 務>
四 本日の勤務員 左のごとし。
     第一分哨   平岡上等兵以下五名

<命 令>
五 歩兵第十一連隊日々命令 三月十日 21:00
              セレムバン部隊本部

     〃   陸軍兵長  倉 本 好 人
               外  一  名
 事務連絡のためジョホールバール憲兵隊に出張を命ず。
 よって明十一日クワラピラー出発、用済後、帰隊すべし。
 往復は交通車に依るべし。

<現在員>   90 名

[上余白:【岩田】]

 

<月 日>
 三月十一日 水曜日 晴 於 道標十七マイル〜
              ジャパンエステー

一 中隊は九時、出発準備を完了し、第三日目掃蕩を実施す。
 第一小隊 (警察官十名を属す) を本道上、右側、第二小隊を左側を前進せしめ、掃蕩を実施す。
 十三時、ジャパンエステイトに到着し、連隊長殿ならび大隊長殿に掃蕩の概要を説明す。

二 十三時二十分、藤崎伍長をして大隊本部、第六中隊ならび第三中隊との各々の連絡を実施せしむ。

三 この付近は支那人部落少数なるも、ジョホール方面より北上せし支那人多数なるをもて、これらを訊問、調査し、不偵分子二十三名を刺殺す。二十一時三十分、三叉路にて露営準備を完了す。

<勤 務>
四 本日の勤務員、左のごとし。
     第一分哨   鴨伍長以下七名

<命 令>
五 渡作命第 107 号
   南警備隊命令  三月十一日 17:00
           セレムバン

1.掃蕩出動中の各隊は (4を除く) 十二日 12:00 まで、左記箇所において携帯弾薬を定数に満つるごとく補充し、糧秣三日分 (4は一日分) を受領すべし。
[2.] これがため射耗弾薬を速やかに報告すべし。
   Ⅱ 主力 アエルマワン
  4   タンカウ
  6   タンギ
  7   カンポンピラー南方約 3 km 三叉路
 連隊弾薬班は十二日 12:00 までに第一項記述各地に到り、同地において各隊の携行弾薬定数に満つるごとく交付すべし。
 ただし4は交付するに及ばず。

3.𠮷川主計中尉は十二日 12:00 までに第一項記述の地点に糧秣五日分 (4は一日分) を交付すべし。

   南警備隊長      渡 辺 大 佐

 下達法 各隊命令受領者に印刷せるものを交付す。

<会 報>
六 南警備隊会報  三月十一日 16:00
          セレムバン警備隊本部

一、馬来における最近五ヶ年間の マラリア患者発生状况は、毎年概ね三月より増加の徴を認め、四月激増し、五月 (或は六月) 最多数を示しあり。
 部隊の マラリア患者発生は地方の発生を反映する懼れ多分に存するをもって、各隊はいよいよ防瘧法の実施を徹底せしめられたし。

<異 動>
七    陸軍一等兵 平野実
  入院中の所、本日無事、中隊復帰す

<現在員>   91 名

[上余白:【岩□】]

 

<月 日>
 三月十二日 木曜日 晴 クワラピラー

一 中隊は九時、出発準備を完了す。九時四十分、自働車二台に分乗し、十時五十分クワラピラ兵営に全員元気旺盛にて帰隊す。

二 明日の中隊兵器検査に備えて兵器 被服の完全なる手入をなしたる後、休養せしむ。

[三 欠]

四 本日の勤務員、左のごとし。
    日直下士官  二張軍曹
    日直上等兵  兼田上等兵
    第一分哨   打坂伍長以下五名
    第二分哨   柱伍長以下五名
    第三分哨   加藤上等兵以下五名
    第四分哨   松下伍長以下五名

<命 令>
五 渡作命第 108 号
   南警備隊命令  三月十二日 12:00
           セレムバン

1.カンポンピラー四囲の山地には敵性分子存在しありて、特にカンポン·パリトチンギ付近には相当潜在しあるがごとし。

2.南警備隊はカンポンピラー付近の敵性分子を摘発芟除せんとす。
 軍政部、憲兵兵站諸部隊は依然、本掃蕩に協力す。

3.Ⅱ (欠如配属、如故) は第一掃討隊となり、十四日夕までに別紙要図のごとく兵力を配置し、ランカン付近の部隊をして十五日早朝よりランカン ― カントンパリトチンキ道に沿ふ地区を、敵性分子を掃蕩して前進せしめ、十五日夕までに包囲圏を構成し、十六日早朝、同線出発、所在の敵性分子を掃蕩し、同日夕までにカンポンピラー西側高地、その西北方約 3 km 閉鎖曲線高地、その東方約 4 km 560 高地 [の] 線に進出し、第七、第六中隊と連絡したる後、主力をカンポンタンジヨンイポー付近に、一部をもってカンポンパリトチンギ付近に兵力を集結し、敵性分子の動向を捜索しつつ後命を待つべし。
 カンポンピラー付近の敵性分子、本掃蕩により殲滅せらるれば、一部をもってカンポンハケンキ ― クワラクラン道に沿ふ地区より、主力をもってクワラクラン西南側より、クワラクラン付近の敵性分子を掃蕩せしむる筈。

4.第六中 (配属如故) は第二掃蕩隊となり、十五日早朝までに包囲圏を構成し、十六日早朝同線出発、所在の敵性分子を掃蕩し、同日夕までに カンポンピラー西側高地、その西北方三粁閉鎖曲線髙地、560 髙地 [の] 線に進出し、第一、第三掃蕩隊と連絡したる後、 カンポンプランゲー付近に兵力を集結し、敵性分子の動向を捜索しつつ後命を待つべし。

5.第七中隊 (配属如故) は第三掃蕩隊となり、十五日払暁までに包囲圏を構成し、十六日早朝、同線出発、所在の敵性分子を掃蕩し、同日夕までに 1340 (カンポンピラー西南約 4 km)、カンポンピラー西側高地、カンポンピラー北側水流の線に進出し、第一、第二掃蕩隊と連絡したる後、カンポンピラー南方約四粁三叉路付近に集結し、敵性分子の動向を捜索しつつ後命を待つべし。

6.行動地域の行動は別紙要図の通り。

7.合言葉は従来通り。

8.第四中隊は直ちに現所属に復帰すべし。

9.第三中隊は約一小隊を ペルヘンチアンチンギ付近に配置し、同地付近の敵性分子の動向を捜索しつつ、同地付近の鉄道線路を保護せしめ、主力はセレムバンに帰還すべし。
 ペルヘンチアンチンギ付近に配置せる部隊の給養は、第十一特設鉄道運輸隊において担任す。
 同隊の配置ならび給養の細部に関しては、さらに指示す。

10.予はセレムバンにあり。
 十六日 17:00 カンポンピラーに到る。

    南警備隊長 渡 辺 大 佐

  下達法 各隊命令受領者に筆記せるものを交付す。

<現在員>   91 名

 

<月日>
 三月十三日 金曜日 晴後雨  於 クワラピラー

 

敵性分子の状况ならび攻撃要領要図

本地域内の支那人は抗日
分子にして斜線を施せる
区域内に於ける支那人
は特に悪拉 [ママ] なり      1705

  カンポンパリトチンギ
 △
1175
              560

         780
カンポン      カンポンピラー
 タンレ

 

一 午前中、全員をして完全なる兵器の手入れを実施せしむ。

二 十四時より中隊はマーレ作戦間における主管兵器の整理·保存の状態を検査し、これが整備の促進、次期作戦準備に遺憾なからしむる目的をもって、兵器検査を実施す。
 その成績は掃討後ならび短時間にしては良好なるも、未だ細部の点に関しては不十分なり。
 なほ一層綿密に手入れをなし、取扱ひに遺憾なからしむるを要す。

三 十七時三十分より日直下士官をして体操遊戯を実施せしむ。

<勤 務>
四 本日の勤務員、左のごとし。
     日直下士官  菊 原 軍 曹
     日直上等兵  林 上 等 兵
     第一分哨   打坂伍長以下五名
     第二分哨   林伍長以下五名
     第三分哨   加藤上等兵以下五名
     第四分哨   松下伍長以下五名

<会 報>
五  南警備隊会報 三月十三日 16:00
          警備隊本部

一、兵団においては偕行社員夏服地 30 着分の配当を受けあるをもって、これが購買希望者は成るべく速かに連隊本部に申込まれたし。なほ、申込多数の場合を顧慮し、特に優先配当を要する時はその理由を付記せられたし。
 なほ、製作は各自において現地洋服屋を指導、製作せられたし。

二、第二大隊炊事場付近および厠は依然として不潔なり。速やかに清掃せられたし。
 なほ、各隊とも寝具の日光消毒、被服の洗濯·保清に努められたし。

<現在員>
六   91 名

 

<月 日>
 三月十四日 土曜日 晴後雨  於 クワラピラー

一 中隊は本日連続勤務なるをもって、各分哨を交代せしめ、未兵器靴検査のものら、十時より検査を実施す。
 二十七日より約一時間、駆け足、体操遊戯を実施せしむ。

<勤務>
三 本日の勤務員、左のごとし。
     宿直下士官  冨 永 軍 曹
     日直上等兵  渡 利 上 等 兵
     第一分哨   郷路伍長以下五名
     第二分哨   佐々木上等兵以下五名
     第三分哨   髙橋伍長以下五名
     第四分哨   平岡上等兵以下五名

<会 報>
四  南警備隊会報 三月十四日 16:00
          セレムバン部隊本部

一、近来、傾 [→頓] に駐留地外へ出張の申請遅延し、ため [に] 本務処理上、遺憾の点あり。
 爾今、各隊は出張二日前までに提出せられたし。

<現在員>   91 名

 

<月 日>
 三月十五日 月曜日 晴 於 クワラピラ
                 〜セナリング

一 中隊は渡作命 108 号に基き、六時起床、七時出発準備を完了し、セナリンク (カンポンピラー西南約 4 km) の地点にて第一次包囲陣を完成し、土民の動静捜索に任ず。
二 この附近は支那人部落多数にして、またタムピン方面より北上せし支那人、多数あるを発見す。土民は特に我に好意を有し、種々、掃討に関し援助をなせり。
三 十七時、宿営準備を完了し、至厳なる警戒裡に夜を徹す。

<勤 務>
四 本日の勤務員、左のごとし。
     第一分哨   髙橋伍長以下五名
     第二分哨   藤崎伍長以下五名
     第三分哨   渡利上等兵以下五名

<異 動>
     陸軍衛生上等兵 中 本 信 太 郎
     陸軍一等兵   迫 田 義 夫
クアラルンプール兵站病院を退院、本日、中隊復帰す。

<現在員>   93 名

[上余白:【岩田】]

 

<月 日>
 三月十六日 月曜日 晴  於 クワラピラー
一 中隊は七時起床、八時出発準備を完了し、第二日行動を開始す。
二 第一小隊を本道右側、第二小隊を左側、中隊主力は本道上を前進、掃蕩を実施す。
三 第一小隊は十七時三十分、掃蕩終了し、第六中隊と連絡を終る。第二小隊は十六時、掃蕩を終り、大隊本部ならび第五中隊との各々の連絡を実施す。
 本掃蕩地区は支那人部落多数にして、全部落民を集め訊問調査したる後、不偵分子 156 を刺殺し、十九時三十分、クワラピラーに集結す。

<勤 務>
四 本日の勤務員、左のごとし。
     日直下士官  富 永 軍 曹
     日直上等兵  仁 井 上 等 兵
     第一分哨   郷路伍長以下五名
     第二分哨   佐々木上等兵以下五名
     第三分哨   髙橋伍長以下五名
     第四分哨   平岡上等兵以下五名

<命 令>
五 第二大隊日々命令  三月十六日 18:00
            クワラピラー

一、明十七日十時三十分よりクワラピラー警備隊において功績業務に関する打合せを実施するにつき、各隊長および功績掛は同日十時までに集合すべし。

<会 報>
六 南警備隊会報  三月十六日 16:00
          セレムバン警備隊本部

一、当分、問廉ある場合の外、将校以下、略衣の着用の許可せらる。
 ただし茶褐色とす。
 前項の場合 略、衣に付着すべき襟章の位置は襟部両側とし、襟部両側に付着し得ざる略衣は、左胸部乳部に一箇を付着するものとす。
 なお将校以下、半袴 (膝より短きものを称す) の着用は依然、これを禁ぜらる。

<現在員>   93 名

[上余白:【岩田】]

 

<月 日>
 三月十七日 火曜日 晴  於 クワラピラー
一 中隊は渡作命第第 110 号に基き、十五時四十分、出発準備完了し、十六時、自転車ならび自動車二台に分乗し、カンポンパトキ・ル ― シンパンベルダン道をシンパンベルダンに向ひ前進す。十七時三十分、シンパンベルダンに到着、第一次包囲陣を完成す。

二 鴨伍長以下五名を部落南端に配置し、至厳なる警戒裡に夜を徹す。

<命 令>
三  渡作命第一一〇号
    南警備隊命令  三月十七日 9:00
            セレムバン

一、カンポンピラー付近の敵性分子は殲滅せられたり。クワラクランならびチチ付近には敵性分子、相当数潜在しありて、特にチチ付近はその策源地なるもののごとし。

二、南警備隊はクワラクランならびチチ付近の敵性分子を摘発芟除せんとす。
 軍政部、憲兵兵站諸部隊は依然、本掃蕩に協力す。

三 第一掃蕩隊は十八日早朝、現在地出発カンポンピラー ― クワラクラワン道を前進し、同日夕までに包囲圏を構成し、十九日早朝より所在の敵性分子を掃蕩し、同日夕までに 915 (クワラクラワン東南約 3 km)、1075 (クワラクラワン東北方約 2 km)、590 (クワラ [ク] ラワン東南約 4 km)、580 (クワラクラワン東北約 6 km) の線に進出し、 第二、第三掃蕩隊と連絡したる後、クワラクラワン西南側に兵を集結し、敵性分子の動向を捜索しつつ後命を待つべし。

四、第二掃蕩隊は十七日十五時、現在地出発、カンポンピラー ― シンハンペルタン ― クワラクラワン道を前進し、同日夕までにベルタン西方約 4 km、標高 870 付近に進出し、十八日早朝より行動を開始し、ベルタン ― クワラクラン道に沿ふ地域の敵性分子を掃蕩し、同日夕までに包囲圏を構成し、十九日早朝よりさらに行動を開始し、所在の敵性分子を掃蕩し、同日夕までに 915、1075、590 の線に進出し、第一、第三掃蕩隊と連絡したる後、クワラクラン東側に兵力を集結し、敵性分子の動向を捜索しつつ後命を待つべし。

五、第三掃蕩隊は十七日十六時、現在地出発、第二掃蕩隊の進路を同日夕までにシンパンペルダンに到り、十八日早朝よりシンハンペルダン、同地西方 8 km 870 間の敵性分子を掃蕩し、同日夕までに包囲圏を構成し、十九日早朝 行動を開始し、所在の敵性分子を掃蕩し、チチ西南方約 1 km 半、哩標 28 西南側小流、哩標 28 南方 500 m 三叉路、580、590 の線に進出し、第一、第二掃蕩隊と連絡したる後、クラワクラン北側地区に兵力を集結し、敵性分子の動向を捜索しつつ後命を待つべし。

六、包囲圏の構成要領ならび各掃蕩隊行動地域境界は別紙の要図のごとし。

七、本掃蕩間における夜間の合言葉は従来の通り。

八、予は依然、現在地にあり。

   南警備隊長 渡 辺 大 佐

 下達法 各隊命令受領者に印刷せるものを交付す。

<現在員>   93 名

[上余白:【岩田】]

 

<月 日>
 三月十八日 水曜日 晴  於 シンパンベルタン
               〜カンポンブルー

 

敵性分子の状況ならび攻撃要領図

 

陣中日誌 第5号 自昭和17年3月1日至昭和17年3月31日(1)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14110590700、歩兵第11連隊第7中隊 陣中日誌 昭和17.1.1~17.6.30防衛省防衛研究所

 

原文 https://obladioblako.hatenablog.com/entry/2023/12/21/125921