Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

第5師団作戦経過の概要 馬来半島における討伐ならびに粛清工作 1942. 2. 15 ~12. 10 

【軍事機密】
自 昭和十七年二月
至 昭和十九年十月 第 5 師団作戦経過の概要

  馬来半島における討伐ならびに粛清工作
         (自 昭和十七年二月十五日
          至 昭和十七年十二月十日)

一、師団長 [松井太久郎 中将] は昭和十七年二月十五日敵降伏とともに攻撃を中止して、シンガポール島に兵力を集結し、戦場内諸整理を実施す。
 二月十七日、河村 [参郎少将] 部隊 [第 9 旅団] 長 (隷下両 [第 11第 41] 歩兵連隊の歩兵各一大隊を指揮) を軍直轄とし、さらに軍需資源確保のため左記支 (部) 隊を編成し、ブクム、サムボ島の石油資源およびビンタン島ボーキサイト資源要点を占領す。

   左  記

ブクム島占領部隊
  歩兵第 21 連隊の一中隊、機関銃一小隊、
  工兵第 5 連隊の一小隊

サムボ島占領部隊
  歩兵第 21 連隊の一小隊、機関銃一小隊
  工兵第 5 連隊の一小隊

ビンタン島占領部隊
  佐々木少佐の指揮する歩兵第 21 連隊の第 3 大隊
  野砲兵第 5 連隊の一中隊 (山砲兵)
  工兵第 5 連隊の二小隊
  衛生隊の一救護群

二、師団長は昭南島およびジョホール州を除く馬来地域の粛清に任ぜしめらるるや、一部 (河村少将の指揮する二大隊) を軍直轄とし、爾余の主力をして左記のごとく粛清警備地域を定め、敵性分子および敗残兵の徹底的摘発芟除ならびに散逸兵器の収集を実施す。

   左  記

北警備隊 (杉浦 [英吉] 少将の指揮する歩兵第 21 旅団、21L、歩兵第 42 連隊、野砲兵第 5 連隊 第 3 大隊、第 5 工兵連隊の一中隊、通信四分隊、1/3 S、第 5 輜重兵連隊の一中隊、第 4 野戦病院の一半部、ⅡBo の一部)
  ペラク州ゲランタン州ペナン (島を除く) 州、ペルリス州

西警備隊 (歩兵第 41 連隊 [長 岡部貫一 大佐])
  セランゴール州

東警備隊 (佐伯 [静夫] 中佐の指揮する捜索第 5 連隊の□、通信一分隊、1/6 S、ⅡBo の一部)
  パハン州

南警備隊 (渡辺 [綱彦] 大佐の指揮する歩兵第 11 連隊 (一大欠)、第 5 工兵連隊の一小隊、通信一分隊、1/6 S、第 4 野戦病院 (一半部欠)、ⅡBo の一部)
  ネグリセンビラン州マラッカ州

三、さらに三月十四日、歩兵第 9 旅団長の指揮する歩兵第 41 連隊を第 14 軍 [フィリピン] 司令官 [本間雅晴 中将] の指揮下に入らしめらるるや、歩兵第 21 旅団長の指揮する歩兵第 42 連隊の一大隊を軍直轄とし、北警備隊の編組を解くとともに左記のごとく兵力の配備を変更し、不逞分子の蠢動を封殺するとともに治安の建設に任ず。

   左  記

北警備隊 (原田 [憲義] 大佐の指揮する歩兵第 21 連隊)
  ケダー州ケランタン州ドレヌガヌ州

中警備隊 [安藤 [忠雄] 大佐の指揮する歩兵第 21 連隊 (一大欠) ]
  ペラク

  • 西警備隊 [中平 [峯吉] 大佐の指揮する第 5 野砲兵連隊 (第 3 大隊欠)、第 5 捜索連隊 (一中隊欠) ]
      セランゴール州

四、五月三十一日、山本師団長着任す。

五、さきに第 14 軍司令官の指揮下に入らしめられたる河村支隊 (歩兵第 9 旅団司令部、歩兵第 41 連隊) は、比島作戦終了後、歩兵第 41 連隊を第 17 軍 [ソロモン諸島] 司令官 [百武晴吉 中将] の隷下に入らしめめられ、旅団司令部は七月四日に復帰す。

六、八月十四日、師団は復員を下令せらるるとともに、将校以下三百三十名を第 16 独立守備隊に転属し、復員を準備中、十一月二十日、これが中止を命ぜらる。

七、十一月二十三日、田村支隊 (工兵第 5 連隊長 [田村安治] の指揮する工兵第 5 連隊、歩兵第 11 連隊 第 3 大隊、歩兵第 21 連隊 第 3 大隊、歩兵第 42 連隊 第 2 大隊) は第 8 方面軍 [ニューギニア島ビスマルク諸島、ソロモン諸島、司令部ラバウル司令官 今村均 中将] の指揮下に入らしめられ、新任務に就けり。
 田村支隊は十二月二日昭南を出発し、主力をもってソロモン諸島飛行場設定に任じ、一部をもって東部ニューギニヤの諸要域に上陸し、任務遂行中、師団の隷下に復帰せしめられ、主力は五月三日、ラバウル出発、パラオ経由、七月五日、西部ニューギニヤ、サインガに到着す。

八、十二月十四日杉浦支隊 (歩兵第 21 旅団長の指揮する歩兵第 21 旅団、歩兵第 42 連隊 (第 3 大隊欠)、歩兵第 11 連隊 第 1 大隊、野砲兵第 5 連隊 第 3 大隊) は行動を開始し、昭南出港と同時に第 16 軍 [ジャワ島] 司令官 [原田熊吉] の指揮下に入らしめられ、豪北地区防衛の新任務に就けり。

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C14110752400 1/7

【軍事機密】
自 昭和十七年二月
至 昭和十九年十月 第五師團作戰經過ノ槪要

  馬來半島ニ於ケル討伐 竝ニ肅清工作
         (自 昭和十七年二月十五日
          至 昭和十七年十二月十日)

一、師團長ハ昭和十七年二月十五日敵降伏ト共ニ攻擊ヲ中止シテ新嘉坡島ニ兵力ヲ集結シ戰場内諸整理ヲ實施ス
二月十七日河村部隊長 (隷下兩歩兵聯隊ノ歩兵各一大隊ヲ指揮) ヲ軍直轄トシ更ニ軍需資源確保ノタメ左記支 (部) 隊ヲ編成シ 「ブクム」 「サムボ」 島ノ石油資源 及 「ビンタン」 島ノ 「ボーキサイト」 資源要點ヲ占領ス
   左  記

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C14110752400 2/7

「ブクム」 島占領部隊
  歩兵第二十一聯隊ノ一中隊 MG 一小隊
  工兵第五聯隊ノ一小隊
「サムボ」 島占領部隊
  歩兵第二十一聯隊ノ一小隊 MG 一小隊
  工兵第五聯隊ノ一小隊
ビンタン」 島占領部隊
  佐々木少佐ノ指揮スル歩兵第二十一聯隊ノ第三大隊
  野砲兵第五聯隊ノ一中隊 (BA)

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C14110752400 3/7

  工兵第五聯隊ノ二小隊
  衞生隊ノ一救護群

二、師團長ハ昭南島 及 「ジヨホール」 州ヲ除ク馬來地域ノ肅清ニ任ゼシメラルヽヤ一部 (河村少將ノ指揮スル二大隊) ヲ軍直轄トシ爾餘ノ主力ヲシテ左記ノ如ク肅清警備地域ヲ定メ敵性分子及敗殘兵ノ徹底的摘發芟除竝ニ散逸兵器ノ蒐集ヲ實施ス
   左  記
北警備隊 (杉浦少將ノ指揮スル 21iB、21L, 42i、Ⅲ/5A、一中/5P、四分/DTL、1/3 S、一中/5T、4FL ノ一半部、ⅡBD ノ一部)

 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C14110752400 4/7

  「ペラク」州、「ゲランタン」州、「ペナン」 (島ヲ除ク) 州、「ペルリス」 州
西警備隊 (41i)
  「セランゴール」 州
東警備隊 (佐伯中佐ノ指揮スル □/5So、一分/DTL、1/6 S、ⅡBo ノ一部)
  パハン州
南警備隊 (渡邊大佐ノ指揮スル 11i (一大欠)、一小/5P、一分/DTL、1/6 S、4FL (一半部欠)、ⅡBo ノ一部)
  「ネグリセンビラン」 州、「マラッカ」州
三、更ニ三月十四日歩兵第九旅團長ノ指揮スル歩兵第四十一聯隊ヲ第十四軍司令官ノ指揮下ニ入ラシメラルヽヤ兵第二十一旅

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C14110752400 5/7

團長ノ指揮スル歩兵第四十二聯隊ノ一大隊ヲ軍直轄トシ北警備隊ノ編組ヲ解クト共ニ左記ノ如ク兵力ノ配備ヲ變更シ不逞分子ノ蠢動ヲ封殺スルト共ニ治安ノ建設ニ任ズ
   左  記
北警備隊 (原田大佐ノ指揮スル歩兵第二十一聯隊)
  「ケダー」 州、「ケランタン」 州、「ドレヌガヌ」 州
中警備隊 [安藤大佐ノ指揮スル歩兵第二十一聯隊 (一大欠) ]

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C14110752400 6/7

  「ペラク」 州
西警備隊 [中平大佐ノ指揮スル 5A (−Ⅲ)、5T (一中欠) ]
  「セランゴール」 州
四、五月三十一日山本師團長着任ス
五、曩ニ第十四軍司令官ノ指揮下ニ入ラシメラレタル河村支隊 (9iB 司令部、41i) ハ比島作戰終了後歩兵第四十一聯隊ヲ第十七軍司令官ノ隸下ニ入ラシメメラレ旅團司令部ハ七月四日ニ復歸ス
六、八月十四日師團ハ復員ヲ下令セラルゝト共ニ將校以下三百三十名ヲ第一六獨立守備隊ニ轉屬シ復員ヲ準備中十一月二十日之ガ中止ヲ命ゼラル
七、十一月二十三日田村支隊 (工兵第五聯隊長ノ指揮スル 5P、Ⅲ/11i、Ⅲ/21i、Ⅱ/42i)

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C14110752400 7/7

ハ第八方面軍ノ指揮下ニ入ラシメラレ新任務ニ就ケリ
田村支隊ハ十二月二日昭南ヲ出發シ主力ヲ以テ 「ソロモン」 諸島飛行場設定ニ任ジ一部ヲ以テ東部 「ニユーギニヤ」ノ諸要域ニ上陸シ任務遂行中師團ノ隸下ニ復歸セシメラレ主力ハ五月三日 「ラバウル」 出發 「パラオ」 經由七月五日西部 「ニユーギニヤ」 「サインガ」ニ到着ス
八、十二月十四日杉浦支隊 (歩兵第二十一旅團長ノ指揮スル 21iB、42i (−Ⅲ)、Ⅰ/11i、Ⅲ/5A) ハ行動ヲ開始シ昭南出港ト同時ニ第十六軍司令官ノ指揮下ニ入ラシメラレ濠北地區防衞ノ新任務ニ就ケリ

 

↑「自昭和17年2月至昭和19年10月第5師団作戦経過の概要 馬来半島に於ける討伐並に粛清工作(自昭和17年2月15日至昭和17年12月10日)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14110752400、第5師団作戦経過の概要 昭和17年2月~昭和19年10月防衛省防衛研究所 南西-マレー・ジャワ-368)