Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

「性病予防等のため兵100人につき1名の割合で慰安隊を輸入す。1,400―1,600名。」 金原節三業務日誌摘録 前編 その一のイ(当時陸軍省医事課高級課員)より4月15日 医務局課長会報 1938. 4. 15

昭和一四、三、一三〜一四、五、三〇

金原節三業務日誌摘録 前編 その一のイ

       当時陸軍省医事課高級課員

 

〔4月15日〕医務局課長会報

 1。台湾状况(台湾總督府宮原技師談)。

 マラリヤにつき研究所を擧げて研究中なり。

 マラリヤ治療剤につきては医師のみでは不十分なる故,化学者,薬理学者等の合同研究を行いたし。合成剤製造の目途は前途遼遠なり。アラボリン、プラスモヒンの製造研究を実施中。なおア,プ以外の薬物につにても調査研究中なり。これらの研究につき軍の援助を依頼す(居校よりとりあえず3万円を援助す)。なお医事課長よりこれに対しアラボリンにつきては別途研究開発中につき他のものに重点を指向する様要望す。

 医務局長より台湾における今更のマラリヤ対策につきて問われたるに対し宮原技師は,大体において薬剤をもって制圧し得る筈なる故,主としてキニーネをもつてする予防治療法を促進するつもりなり。台湾のマラリヤ(熱帯熱)はキニーネをもつて治療するが,治療剤投與とともに安静を保持し,栄養をたかめることが必要である。この点軍は,安静栄養ともに戦時においては不良の状態となること夛し。戦争マラリヤにつきては從来の研究以外別途の考慮を必要とすべし。

 台湾はキナ樹の栽培に適す。ただし台産キナは樹皮薄きをもつて,同一面積におけるキナの製造量はジヤバの1/3なり。從つて台湾産のキナ皮をもつて充足するとせば、ジヤバより輸入する量の3倍量を輸入せざるべからず。(台湾におけるキナ適地は南部台湾)。

 局長より日本の從来のキナ皮輸入量は800トンで,だいたい,これで間に合っていたが,南支その他南方諸地域に進出すとせば,きわめて大量のキナ資源を必要とすべし。今よりこれが所要量を調査検討しおくべし。

 2。松村波集団軍医部長報告。

 波集団における防疫の重点は,パラA,赤痢及びマラリヤ三者なり。

 マラリヤにつきてはアラボリン,プラスモヒン,塩規を3ヶ月感毎別途に与えその予防効果の調査を行いつつあり。熱帯マラリヤはある程度塩規のみをもつて治療せしむることを得。

 香港にプラスモヒンの在庫あり。これを獲得せんとせしも為替監理のため購入し得ず。三井の手により若干量を取得せるも頗る高価なり。

 今后発生を予想する傳染病としては4,5月頃チフス系統疾患を主としその他赤痢アメーバ赤痢コレラは5,6月より9月頃まで。デング,広東熱は5,6月発生す。

 広東にはここ十数年ペストの発生なし。痘瘡も種痘の腐朽徹底のため流行なり[→し?]。これに反し海南島では年中ペストにから菌を検出す。先般も有菌鼠を捕獲せり。これがため部落を焼き拂わんとせるに宣撫上の理由により中止せり。

 海口、黄港にS.Kの中型2ヶ,野戦消毒車をを整備する要あり。

 寧波にペスト検索班を設け,将来これを検疫所となす予定なり。

 広東の水道消毒のためクロール消毒うつわを整備したし。南支各施設に顕微鏡不足(註,送付済)。野戦予備病院に車両を支給方希望す(本部には不要)。濾水器は小型のものを必要とす(車載)。騎載は更める必要あり。

 戦斗救護軍は目下のところ活動の余裕なし。

 土民に対する施設につきては材料不足しあるを以つて目下軍はこれを行わず主として博愛病院が行いつつあり。

 広東省内に5万のレプラ患者ありたりとのこと,一説によれば,その夛くが銃殺されたりともいう(支那軍の手により)。わが軍の前線電信所は鉄条網を周囲にめぐらし,彼等に残飯給与をなしあり。米国系のレプラ病院あり。

 㐧21軍に看護婦30名あるも不足なり。これがため現在台湾にある20名を熱地医學研究所に傭い、現在熱地医學研究所に勤務しあるものを病院に配属する要あり。(熱地医學研究所松野耕平軍医大佐)。

 台湾に広東軍の転地療養所を作ることにつき松村軍医部長としては将校だな限定し下士官には及ばずといふ意見。

 米は籾として貯蔵しあり。野菜は6,7月頃に内地より補給する用あり。魚介類は冷凍魚を輸入す。豚,鶏は現地にて飼育す。牛乳は台湾より乳牛40頭を輸入(4月中旬より患者に与えつつあり)。

 性病予防等のため兵100人につき1名の割合で慰安隊を輸入す。1,400―1,600名。治療は博愛病院にて行いその費用は楼主これを負担す。検黴は週2回。

3。衛生材料本廠長報告

 作戦緩和のためもあり、現在衛生材料の補給順調で、市支廠を通じ12万8千梱が集積しあり。
各廠[站?]共、おおむね所要の器械薬物を整備貯蔵しあり。

 現地調弁は外地においては止むを得ざるものに限定し、おおむねこの原則が守られておる
が、中には、内地品を現地で高価にて調弁するものがあり、注意を要す。

 南昌付近は激戦を予想され多量の戦傷用を追選せるも戦傷者は予想以上に尠かつた。

 衛生材料の修理班は現地の人員で編成出来るが、これに要する資材は中央より交付する要あり。石岡部隊より移動修理班の材料自動車の設計○を進達し来る筈なり。一般に器材の制式につきては各種の意見希望あり。

蘭・バタビヤ法廷事件番号25号 三警事件資料 1962. 8. 8

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蘭・バタビヤ法廷事件番号二五号
  三警事件資料

 供述者 ■■(A)■■
     (元海軍兵曹長

 調査者 豊田隈雄

 日 時 昭和三七年八月八日(水) 一四〇〇から
                   一五三〇まで

 場 所 大阪矯正管区、管区長室

(注)本調査は大阪矯正管区長松岡武四郎氏の調査の際、管区長の好意により、調査対象外なりしも、電話招致されたるにより、併せて聴取したものである。

一 現住所 大阪府■■■■……

  当時の職名、階級 バリ島海軍第三警備室、特別警察隊長海軍兵曹長

 

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二 略歴

昭和一六 一〇 応召、佐世保鎮守府佐世保第二特別陸戦隊

〃 一六 一一 パラオ進出、訓練

〃 一七 一、一一 メナド上陸、ついでケンダリー上陸掃蕩作戦後メナド警備隊勤務。後バリ島警備隊へ転勤、同地において終戦

〃 二一、三 八 陸軍の呼出を受け、そのままバリ刑務所入り(約二ヶ月)後スラバヤ刑務所移管、さらに約一ヶ月後実地検証のため、バリ刑務所に送還(約二ヶ月)ついで、スラバヤ刑務所を経てバタビヤ(グルドッグ)刑務所へ移監

〃   三一三 起訴

〃 二二 六 裁判(求刑十五年)

〃 二二 八 判決(十二年)

 

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三 取調

 昭和二十一年三月五日蘭軍入島。三月八日出頭を命ぜられ、そのままバリ島刑務所へ収監さる。(約一ヶ月)。ついで一度、スラバヤ刑務所に移管され、約一ヶ月の後、再びバリ島レンパツサル刑務所に送還され、実地検証を受く。

◯ 事件の調査はバリ島およびスンバ、ロンボツク、スンバワの四島、所謂小スンダ列島において生起した事件に関するもので、私にかかる事件はバリ島その他で行われた部下の原住民虐待事件約三百件にも及んでいた。

◯ 取調べは拘禁された当初、バリ島で約一ヶ月位の間連続して行はれた。取調官は、当初は営林省の技師とか云つていたが、極めて穏やかな取調べ振りであつた。私はかねて、このことあるを予想して、終戦と同時に南拓の職員で私の通訳をしていた者を、逸早くスラバヤに逃したが、私の取調べが始まつてから、外部と連絡

 

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をとり、私の部下隊員を全部逃亡させた。しかし、これらの部下達は、インドネシヤ独立軍に参加し殆んど殺された。

 その結果、現地で逸早く捕まつた私だけが単独裁判にかけられることとなつた。

 スラバヤでの取調べは拷問を伴い、常に生命の不安を感ずるようなひどいものであつた。

 私は、取調べを予期して、事件報告書を作成して持つていたが、幸い蘭側から要求もなく、また取調べの情況からも提出しない方がよいので遂出さなかつた。

 取調べ事件の関係者が、私一人となつたため、蘭側も事実の調べ様がなく、約三百件の中、私が知つており、認めたのは十三件位で、他は全部「知らない」で否認し通した。

 私の認めた事件中一番大きな事件は、長い間の悪政で、私服[ママ]を肥し、住民を苦しめていた酋長一人を捕えて、ロンボツク島へ目妾約一ヶ月四十人中の

 

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十人位を同伴させ、島流しにした件であつた。この逮捕のとき、その邸からトラツク一台の金品(評価七千万円)を押収し、民生部に渡したが、終戦後その金品の紛失しているのを私に補償せよと迫つたが、私はこれを拒否した。多分これは、後日、日本に賠償でも要求する種にしようとでも思つたものらしい。

 この酋長は蘭系であつたが、終戦後、バリ島に帰つて来て復讐のつもりで訴え出たものであつた。

 この酋長事件以外は、殴つた蹴つた程度のもの許りであつた。

 私の本当に恐れていたような大事件は遂に出ず幸であつた。

四 事件の真相

◯ 私は、終戦前から、この事件あるを予期したので、終戦直後の約三ヶ月位、気懸りになつた事件の揉み消し策に全力をつくした。

 戦中に使つていた腕利きの原住民スパイ約八百人を終戦とともに蘭軍側に協力させた。私の取調べについても、この八百人中の

 

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或者がやつて来たこともあり、そんな時には私から一寸目で合図すれば、私の意図をすぐ諒解してくれ好都合であつた。彼等に対して私は、「戦犯はおれ一人に止めるよう」申し聞かせてあった。

◯ 私の一番恐れていた事件は、慰安所事件であつた。

 これは慰安婦の中には、スラバヤから蘭軍下士官の妻君五人の外、現地人七十人位をバリ島に連れて来た件である。

 下士官の妻君五人は、終戦後直ちに送り返したが、スラバヤ着と同時に原住民に殺されたとのことであつた。

 この外にも、戦中の前後約四ヶ年間に二百人位の婦女を慰安婦を真山部隊の命により、バリ島に連れ込んだ。

 私は終戦後、軍需部、施設部に強硬談判して、約七十万円を本件の工作費として貰い受け各損長を介して住民の懐柔工作に使つた。

 これが完全に効を奏したと見え、一番心配していた慰安所の件は一

 

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件も訴えが出なかった。

 原住民は一般に性的には風紀は紊乱しており、一応は慰安婦となることを嫌うが、一度連れて来られ衣料等の支給を受けるとまるで平気な素振りであつた。

 なお、バリ島住民は宗教的にヒンズー教徒で、親日的であり、この点ジャバ島のイスラム教徒と対日感情も異るようである。

 バリ島で重大事件が発覚しなかつた理由は、こんなところにもあつたかもしれない。

◯ バリ島では、宗教の関係上異端者の潜入はすぐ曝露する関係上検挙するような犯罪は殆んどなかつたが、ロンボツク島では、陰謀、密偵事件等あり検挙も相当あつた。

五 裁判について

 裁判長大(中)佐、陪席少佐一人、検事ファンデンベルグ、審理は三・四日間、

 

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弁護士松本清氏は、私の事件が最初の試練であつた。
 裁判地が、バタビヤで事件現地でないので殆んど宣伝もされず、幸せであつた。(スラバヤ辺では、戦犯は新聞等で広告宣伝され、戦犯の告訴を奨励されていた)。

六 その他

◯ 私は、初代のバリ島特別警察隊長であり、部下三十七人の外、現地人七・八百人を使用していた。第三警備隊司令は海軍大佐、奥山鎮雄氏であった。(会員約四百人)

 バリ島の占領は当初陸軍によりなされ、それを海軍部隊に引継がれたものである。

 バリ島海軍第三警備隊は二南遣麾下第二十一特根司令官に直属し、特根司令部の担任参謀は篠原中佐であった。

 終戦後、バリ島には奥山部隊(四百名海軍)、陸軍も前線から島づたいに引きあげていたのが、空爆等の為これ以上撤退出来な

 

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いで、憲兵六〇命、陸軍一〇〇〇名おり、陸軍病院喪あつた。その他義勇軍が三ヶ大団(一五〇〇名)海軍兵補(二・三百名)がおひ、アンボンにいた官吏も引揚げて滞在していた。

◯ 私は、前後八ヶ月に亘つて取調べを受けたが、最初スラバヤに送られたときの取調べでは、拷問(裸体のまま鉄の鎖で殴打、手錠で締め上げ絶食等)その他、随分ひどい目にあつた。そのため今でも顔に傷跡が残っている。その時は余りひどいので告訴した。

 蘭軍の看守兵によるリンチもひどく、生命の危険は常時つき纏つた。

 当時は連行されたまま行方不明になつた者も相当あり、問合わせると皆「自殺した」で問合わせると皆「自殺した」で片附けられていた。

◯ バリ島の刑務所は外出は出来るし、行動は全く自由で行刑の本質として「罪をおかしたからには労仂をさせてオランダに弁償さ

 

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せよう」という方針で行われていた。偶々所長の息子を日本軍占領当時、貯金引出しのことで援助してやつたことがあつたが、所長はこれを恩に着て、私には特によくしてくれ、蘭側の情報も筒抜けに知ることが出来た。

 私は特別警察隊員としての特別教育は、スラバヤ軍法会議で海軍警部から約一ヶ月間の講習を受けた。今考えると、これもまことに幼稚なものであつた。しかも、私の部下隊員は、私自身が教官で教育する外なかつた。随つて私共の特警隊としての行動は随分怪しげなものであつた。

 それでも、私は一応の特別教育を受けたが、ハルマヘラ等にあつた海軍の特警隊は何等特別の教育もなくやつたことを思うと冷汗の出る思いである。

 一番いけなかつたことは、民族の習慣を顧慮せず、日本式に考えて押し付けたことで、これが一番問題の種となつている。この

 

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ような任務につく部隊は予め十分教育する必要がある。

◯ バリ島は八ヶ州に分割されているが、その中でギャラリ州だけは和蘭が占領当時何等抵抗しなかつたので、酋長以下代々蘭側から優遇されていた。そのため統治者が漸次横暴となり、悪政を重ね、私服[ママ]を肥すに至り、日本軍占領により逮捕(酋長は子息に譲らせ)流島の処分をなされたものであつた。

 

https://wam-peace.org/ianfu-koubunsho/list/m-all-list.html
日本政府未認定の日本軍「慰安婦」関連公文書リスト
208 J_J_012
資料名:法務省職員の聞き取り
簿冊:BC級(オランダ裁判)バタビア裁判第25号事件

国連 人種差別撤廃委員会 日本の第10次·第11次連結定期報告に対する結論的所見 より 慰安婦 2018. 9. 26

United Nations      CERD/C/JPN/CO/10-11

国連 

International Convention on the Elimination of All Forms of Racial Discrimination
あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約

Distr.: General

26 September 2018

公布:一般

2018年 9月26日

Original: English

原文:英語

Committee on the Elimination of Racial Discrimination

人種差別撤廃委員会

Concluding observations on the combined tenth and eleventh periodic reports of Japan

日本の第10次·第11次連結定期報告に対する結論的所見

 

Comfort women

慰安婦

27. While noting information provided by the State party on the efforts to resolve the issue of “comfort women”, including the recent agreement with the Republic of Korea in 2015, the Committee is concerned at reports that these efforts do not take a fully victim-centred approach, that the surviving comfort women were not adequately consulted and that this solution did not acknowledge unequivocal responsibility for the human rights violations committed against these women by the Japanese military before and during the Second World War. The Committee is also concerned by statements of some public officials, minimizing the responsibility of the Government with respect to comfort women, and their potential negative impact on survivors.

27. 最近の大韓民国との2015年合意をはじめとする「慰安婦」問題を解決する努力について締約国が提供した情報について言えば、これらの努力が十分に犠牲者を中心にした取り組みにはなっていないという報告、また生存する元慰安婦たちに適切な相談がされていないという報告、この解決策が第二次世界大戦前から敗戦までの間、日本軍がこれらの女性たちに犯した人権侵害を率直に認めたものではないという報告に当委員会は胸を痛める。慰安婦に関する政府の責任を矮小化する公人たちの言明と、それらが生存する犠牲者に否定的な影響を与えかねないことにもまた当委員会は胸を痛める。

28. The Committee recommends that the State party ensure a lasting solution to the issue of comfort women with a victim-centred approach, inclusive of comfort women of all nationalities, accepting responsibility for its role in the violation of the human rights of these women. The Committee requests detailed information in its next periodic report on efforts to resolve the issue of comfort women, including adequate measures addressing surviving comfort women and their families.

28. 締約国がこうした女性たちに対する人権侵害において自分が演じた役割に対する責任を認め、すべての国籍の慰安婦を包括する、犠牲者を中心にした取り組みによって、慰安婦問題の永続的な解決を保証することを当委員会は勧告する。生存する慰安婦とその家族に対する適切な措置をはじめとして、慰安婦問題を解決する努力について、締約国の次回の定期報告において詳細にわたる情報を提供することを当委員会は要請する。

 

↑UNITD NATIONS HUMAN RIGHTS OFFICE OF HIGH COMMISSIONER
Japan Homepage

https://www.ohchr.org/EN/Countries/AsiaRegion/Pages/JPIndex.aspx

Documents Listing

https://www.ohchr.org/en/documents-listing?field_content_category_target_id%5B181%5D=181&field_entity_target_id%5B1319%5D=1319&field_geolocation_target_id%5B1033%5D=1033&field_entity_target_id%5B1327%5D=1327&field_entity_target_id%5B1322%5D=1322&field_entity_target_id%5B1320%5D=1320&field_entity_target_id%5B1323%5D=1323&field_entity_target_id%5B1324%5D=1324&field_entity_target_id%5B1357%5D=1357&field_entity_target_id%5B1321%5D=1321&sort_bef_combine=field_published_date_value_DESC

CERD/C/JPN/CO/10-11: Concluding observations on the combined tenth and eleventh periodic reports of Japan

https://www.ohchr.org/en/documents/concluding-observations/cerdcjpnco10-11-concluding-observations-combined-tenth-and

(ロ)娼妓の契約条件 中央職業紹介事務局 『芸娼妓酌婦紹介業に関する調査』より 娼妓の契約条件 1926. 9

 

芸娼妓酌婦紹介業に関する調査

大正十五年九月

中央職業紹介事務局

 

    (ロ)娼妓の契約条件

 次に娼妓の契約証を掲ぐ。しかしてこれを時代的に観るべく、まづ大正三年横浜市において娼妓稼業をなせる娼妓の契約証を掲ぐることにする。

第一万三千七百八十二号

   金銭消費貸借証書謄本

 本職は嘱託人および代理人より聴取したる法律行為に関する陳述の趣旨を左に記載す。

第一条 清水ハツは、鈴木七五郎方において娼妓稼業をなすにつき、同人および清水音吉、志村春一、三名を連帯とし、大正三年三月二十五日、金参百八拾七円を鈴木七五郎より借り受けたり。(仮名)

一項 元金返済方法は清水ハツ、収入揚代金、一個のうち金参銭を座敷料として、金拾六銭を食費として貸し主に支払ひ、残金十六銭を清水ハツの所得とし、そのうち賦金ならびに日常要する諸費を支弁し、娼妓稼業許可の日より毎月月末に至り精算と同時に元金のうちへ金拾円あて月賦をもつて支払ひ、また臨時借用金は所得のうちをもつて第一に支払ふものとす

 ただし精算の上、収得金額月賦金に超過したるときは、その超過金全部も借用金の返済に充つべきこと。

ニ項 娼妓稼業期間は大正三年三月二十五日(許可の日)より六ケ年とす。この間に返済の義務完了せざるときは、さらに期間を延長し返済の義務を果たすべきこと。

第二条 債務者は左の場合においては月賦返還方を取り消し、年一割五分の利子を附し即時完済すること。

一項 月賦金を期日に支払はざるとき。

二項 清水ハツの逃亡もしくは疾病に罹りたるとき。

三項 清水ハツの廃業または転居したるとき。

第三条 清水ハツ所有衣類および一切の物件は前記借用金に対し質権を設定し、債権者の専有に属すること。

 ただし新調品ついても前項を準用す。

第四条 遊客のうち本人の不利益と楼主において認めたるときは登楼を謝絶するも異議なきこと。

第五条 本契約の事項に関する権利関係について債権者の住所をもつて裁判所の管轄とす。

以下略す。

 以上は今から十余年前における時代の契約である。さらに比較的最近における娼妓稼業契約証を見るに、左のごときものである。

第五万四千三百十四号

          金銭消費貸借証書正本

 本職は各嘱託人より聴取したる法律行為に関する陳述の趣旨を左に記載す。

第一条 大正十二年七月二十日、安藤金次郎は金弐千四百円なりを貸し渡し、黒田八兵衛、黒田サキは左の約定により連帯してこれを借り受けたり。(仮名)

一 元金は大正十二年八月二十日限り返済すること。

二 利息は年一割と定め、元金と同時に支払ふこと。

三 期限後といへども債務完際に至るまでは約定利率に準じ損害を賠償すること。

第二条 債務者は本契約による債務を弁済せざるときは直ちに強制執行を受くべきことを認諾したり。

 本旨ほか要件略す。

 この証書は大正十二年七年[→月]二十日、本職役場において作成し列席者に読み聞かせたるところ、各自これを承認したり。よつて本職とともに左に署名捺印す。

 この公正証書には娼妓稼業云々は片言隻語も表はさざるのである、すなはち単なる金銭消費貸借に関する証書にして、債務不履行の場合における強制執行の認諾を主なる要件となせるものごとく、しかるに同時に左記私署証書をもつて娼妓稼業をなすべきことを契約せるのである。

     契  約  書

 自分儀、貴殿方において娼妓稼業をなすにつき左の契約を締結す。

第一条 自分は、娼妓名簿に登録したる日より起算し満六年間、貴殿方に寄寓し貴殿の指揮監督に従ひ娼妓稼業に従事すべし。

第二条 自分は貴殿より金弐千四百円を借り受けたり。

第三条 前条の借用金は娼妓稼業による所得をもつて順次弁済すべし。

 この玉代(揚代金)一個につき弐円なり。内訳金壱円弐拾銭を貴殿の所得とし、残額八拾銭を自分の所得とし、そのうち金五拾銭をもつて借用金の弁済に充て、金参拾銭を小遣となすものとす。

第四条 第二条借用金のほか臨時借用金もしくは貴殿の立替金等生じたるときは、同条借用金に先だち前条ただし書きに準じ弁済すべし。

第五条 普通食費および座敷備品は貴殿の負担とし、自分身支度に関する四季の衣類その他の必要品は自己の負担とす。

第六条 自分疾病のため吉原病院以外において治療を受けたるときは、その費用は自分の負担とす。

第七条 自分の所有に属する一切の動産は、これを借用金の担保に提供し、自分の自由に処置することを得ざるものとす。

第八条 貴殿において貸座敷業を他人に譲渡したるとき、その他、他家に稼ぎ替へを要する事由生じたるときは貴殿の指揮に従ひ、自分は勿論、連帯保証人においても一切異議を申し出でざるものとす。

第九条 連帯保証人は本人の逃亡したる場合において直ちに捜索し、復業せしむべく、自分は逃亡日数を契約期間外に延長すべきことを認諾す。

第十条 連帯保証人は本人の死亡したる場合において引き取り、葬儀の手続きをなすものとす。

 ただし前項の義務履行を遅延したるときは、貴殿において適宜手続きを了し、その費用は連帯保証人において負担するものとす。

第十一条 本契約に違背したるときは、これにより生じたる一切の損害を弁償する責に任ず。

 第七条の動産は貴殿において任意に処分し、損害の全部もしくは一部に充当せらるることを認諾す。

 契約期間内に債務を弁済し能はざる場合もまた同じ。

第十二条 本契約に関する訴訟は東京区裁判所をもつて所轄裁判所となすことを合意す。

  大正十二年七月  日

        父   黒 田 八兵衞【印】

        母   黒 田 サ キ【印】

        娼妓  黒 田 タ ケ【印】

        貸座敷 安 藤 金次郎【印】

               (仮 名)

    (ハ)酌婦の契約条件 

 次に酌婦稼業に関しての契約は公証に依るよるもの稀れで、多くは私署証書をもつて約定をなすのである。ここに該契約証を掲ぐることにする。  

  雇 人 請 証

       原籍東京市本所区業平町二十番地

       住所同上

 

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978605/1

藝娼妓酌婦紹介業に關する調査

大正十五年九月

中央職業紹介事務局

 

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978605/37

     (ロ) 娼妓の契約條件

次に娼妓の契約證を揭ぐ然して之を時代的に觀るべく、先づ大正三年横濱市に於て娼妓稼業をなせる娼妓の契約證を揭ぐることにする。

第一萬三千七百八十二號

   金錢消費貸借證書謄本

本職ハ嘱託人及代理人ヨリ聽取シタル法律行爲ニ關スル陳述ノ趣旨ヲ左ニ記載ス。

第一條 淸水ハツハ鈴木七五郎方ニ於テ娼妓稼業ヲナスニツキ同人及ビ清水音吉志村春一三名ヲ連帶トシ大正三年三月二十五日金參百八拾七圓ヲ鈴木七五郎ヨリ借受ケタリ。(假名)

一項 元金返濟方法ハ淸水ハツ收入揚代金一個ノ内金參錢ヲ座敷料トシテ金拾六錢ヲ食費トシテ貸主ニ支拂ヒ殘金十六錢ヲ淸水ハツノ所得トシ其内賦金竝日常要スル諸費ヲ支辨シ娼妓稼業許可ノ日ヨリ毎月々末ニ至リ精算ト同時ニ元金ノ内ヘ金拾圓宛月賦ヲ以テ支拂ヒ又臨時借用金ハ所得ノ内ヲ以テ第一ニ支拂フモノ

 

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978605/38

トス。

但シ精算ノ上收得金額月賦金ニ超過シタルトキハ其超過金全部モ借用金ノ返濟ニ充ツベキコト。

ニ項 娼妓稼業期間ハ大正三年三月二十五日(許可ノ日)ヨリ六ケ年トス此間ニ返濟ノ義務完了セザルトキハ更ニ期間ヲ延長シ返濟ノ義務ヲ果スベキコト。

第二條 債務者ハ左ノ場合ニ於テハ月賦返還方ヲ取消シ年一割五分ノ利子ヲ附シ卽時完濟スルコト。

一項 月賦金ヲ期日ニ支拂ハザルトキ。

二項 淸水ハツノ逃亡若クハ疾病ニ罹リタルトキ。

三項 淸水ハツノ廢業又ハ轉居シタルトキ。

第三條 淸水ハツ所有衣類及一切ノ物件ハ前記借用金ニ對シ質權ヲ設定シ債權者ノ專有ニ屬スルコト。

但シ新調品ニ就テモ前項ヲ準用ス。

第四條 遊客ノ中本人ノ不利ト樓主ニ於テ認メタルトキハ登樓ヲ謝絕スルモ異議ナキコト。

第五條 本契約ノ事項ニ關スル權利關係ニ付テ債權者ノ住所ヲ以テ裁判所ノ管轄トス。

以下略ス。

以上は今から十餘年前に於ける時代の契約である、更に比較的最近に於ける娼妓稼業契約證を見るに左の如きものである。

第五萬四千三百十四號。

          金錢消費貸借證書正本

 

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978605/38

本職ハ各囑託人ヨリ聽取シタル法律行爲ニ關スル陳述ノ趣旨ヲ左ニ記載ス。

第一條 大正十二年七月二十日安藤金次郎ハ金貳千四百圓也ヲ貸渡シ黒田八兵衞黒田サキハ左ノ約定ニ依リ連帶シテ之ヲ借受ケタリ。(假名)

一 元金ハ大正十二年八月二十日限リ返濟スルコト。

二 利息ハ年一割ト定メ元金ト同時ニ支拂フコト。

三 期限後ト雖モ債務完際ニ至ル迄ハ約定利率ニ準ジ損害ヲ賠償スルコト。

第二條 債務者ハ本契約ニ依ル債務ヲ辨濟セサルトキハ直ニ强制執行ヲ受クヘキコトヲ認諾シタリ。

本旨外要件略ス。

「此證書は大正十二年七年[ママ]二十日本職役場に於て作成し列席者に讀聞かせたる處各自之を承認したり、仍て本職と共に左に署名捺印す」此公正證書には娼妓稼業云々は片言隻語も表はさゞるのである、卽ち單なる金錢消費貸借に關する證書にして債務不履行の場合に於ける强制執行の認諾を主なる要件となせるものゝ如く、然るに同時に左記私署證書を以て娼妓稼業をなすべきことを契約せるのである。

     契  約  書

自分儀貴殿方ニ於テ娼妓稼業ヲ爲スニツキ左ノ契約ヲ締結ス

第一條 自分ハ娼妓名簿ニ登錄シタル日ヨリ起算シ滿六年間貴殿方ニ寄寓シ貴殿ノ指揮監督ニ從ヒ娼妓稼業ニ從事スベシ。

第二條 自分ハ貴殿ヨリ金貳千四百圓ヲ借受ケタリ。

 

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978605/39

第三條 前條ノ借用金ハ娼妓稼業ニヨル所得ヲ以テ順次辨濟スベシ。

玉代(揚代金)一個ニツキ金貳円也。内譯金壹圓貳拾錢ヲ貴殿ノ所得トシ殘額八拾錢ヲ自分ノ所得トシ、其内金五拾錢ヲ以テ借用金ノ辯濟ニ充テ金參拾錢ヲ小遣トナスモノトス。

第四條 第二條借用金ノ外臨時借用金若クハ貴殿ノ立替金等生ジタルトキハ同條借用金ニ先チ前條但書ニ準ジ辨濟スベシ。

第五條 普通食費及座敷備品ハ貴殿ノ負擔トシ自分身支度ニ關スル四季ノ衣類其他ノ必要品ハ自己ノ負擔トス。

第六條 自分疾病ノタメ吉原病院以外ニ於テ治療ヲ受ケタルトキハ其費用ハ自分ノ負擔トス。

第七條 自分ノ所有ニ屬スル一切ノ動產ハ之ヲ借用金ノ擔保ニ提供シ自分ノ自由ニ處置スルコトヲ得ザルモノトス

第八條 貴殿ニ於テ貸座敷業ヲ他人ニ譲渡シタルトキ其他他家ニ稼替ヲ要スル事由生ジタルトキハ貴殿ノ指揮ニ從ヒ自分ハ勿論連帶保證人ニ於テモ一切異議ヲ申出ザルモノトス。

第九條 連帶保證人ハ本人ノ逃亡シタル場合ニ於テ直ニ搜索シ復業セシムベク自分ハ逃亡日數ヲ契約期間外ニ延長スベキコトヲ認諾ス。

第十條 連帶保證人ハ本人ノ死亡シタル場合ニ於テ引取葬儀ノ手續ヲナスモノトス。

但シ前項ノ義務履行ヲ遲延シタルトキハ貴殿ニ於テ適宜手續ヲ了シ其費用ハ連帶保證人ニ於テ負擔スルモノトス。

 

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978605/39

第十一條 本契約ニ違背シタルトキハ之ニ由リ生ジタル一切ノ損害ヲ辨償スル責ニ任ズ。

第七條ノ動產ハ貴殿ニ於テ任意ニ處分シ損害ノ全部若クハ一部ニ充當セラルルヽコトヲ認諾ス。

契約期間内ニ債務ヲ辨濟シ能ハザル場合モ亦同ジ。

第十二條 本契約ニ關スル訴訟ハ東京區裁判所ヲ以テ所轄裁判所トナスコトヲ合意ス。

  大正十二年七月  日

        父   黒 田 八兵衞【印】

        母   黒 田 サ キ【印】

        娼妓  黒 田 タ ケ【印】

        貸座敷 安 藤 金次郎【印】

               (假 名)

    (ハ)酌婦の契約條件 

次に酌婦稼業に關しての契約は公證に依るもの稀れで、多くは私署證書を以て約定をなすのである茲に該契約證を揭ぐることにする。

    雇 人 請 證

       原籍東京市本所區業平町二十番地

       住所同上

 

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978605/40
         渡  邊  ハ  ナ
           明治三十七年二月六日生
                 (仮 名)

一 金參百圓也

右渡邊ハナ儀身元確實ナルニツキ拙者保症證人ニ相立チ貴殿方ヘ本日ヨリ酌人座敷働キ雇人ニ避差遣シ候處相相違無之候就テハ本人身支度金ニ差支證人立會唯今前期之金圓正ニ請取借用仕候處確實也然ル上ハ返濟ノ方法ハ來客ヨリ貰ヒ受タル所得金ヲ以テ漸次皆濟可致候若シ雇中本人逃亡或ハ不得止事故ヲ以テ六ケ月以内ニ御暇申受候節ハ右借用返濟ハ勿論本人ニ係ル道中諸入費並ニ紹介人ニ支拂ヘル手數料共我等方ヨリ合テ償却可仕候前書ノ通御約定候上ハ本人ニ何樣ノ儀出來候共本人ニ不拘保證人ハ連帶ノ義務ヲ負ヒ貴殿ノ御請求ニ應ジ計算上異議無ク直ニ辨濟可仕候爲後日雇人引請如件。

第一條 本人ニ對シ給與トシテ毎月末日ニ金五圓宛雇主ヨリ支拂可被下約定ノ事。

第二條 此證書ニ對シ本人ガ滿六ケ月間勤務スル時ハ本人ニ係ル一切ノ費用 (前借金ヲ除ク) ハ總テ雇主ノ負擔タルベキ事。

  大正十年五月二十八日

      本 人  渡  邊  ハ  ナ 【印】

      保証人  渡  邊  藤  吉 【印】

 村  居  助  三  郎  殿

 

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978605/40

 

 

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978605/41



 

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978605/41

櫻田武・鹿内信孝『いま明かす戦後秘史』上より 堅牢敬遠? “突撃一番”罹病率高し 1973. 11. 30

堅牢敬遠? “突撃一番”罹病率高し

櫻田 経理監督感としては、いろんな苦労があったんでしょう。

鹿内 そうなんです。会社へ行きますと、直接原価の査定はできますけど、僕がいちばん苦労したのは、間接部門の総がかり費をどういうふうな配分で、どういう比率で原価に算入していくかということです。その算定方法で全く変わってしまいますから……。

櫻田 そう、そう。間接費の割合だな。

鹿内 ええ。例えば、倉庫だとか、あるいは埠頭のトランスポーテーション(輸送機関)の施設の経費をどう見るかと言うこと。でも、日立とか王子とか、当時の大きな会社を相手に、大変大きな数字を見ながら、もねを見る修練ができたわけね。当時、ぼくが扱った会社をあとで数えてみたら三百六十社もありました。

櫻田 それは大変なことだ。

鹿内 でも、それだけのバランスシートとか、何かを全部見たわけですから……。

櫻田 いい勉強になったでしょう。

鹿内 これは今日、ぼくがいろんな経営を預かる上で大変な財産になっていると思います。

櫻田 そりゃそうでしょう。

鹿内 こんなことは、どんなに金をかけても勉強できるこっちゃない。

櫻田 そうなんだ。よほど年期を入れないと、直接費と間接費の比率なんて、そんなにポンとは……。

鹿内 ええ、出てきません。

櫻田 出るもんか(笑)。

鹿内 そういうことで、私としては此の時代に一生のなかでかけがえのない勉強をさせられたと思いますけどね。

櫻田 それは、そうでしたね。

鹿内 しかし、雑品屋ですから、そのなかには面白いこともありましてね。まさかだれも知らないとは思うんですけど、兵隊が女を買いに行くときの衛生サックね、これが需品本部の担当なんです(笑)。

櫻田 ほほう。

鹿内 そうしたら、ある日、支那派遣軍のいちばん偉い人の名前、確か畑俊六さんだったと思うけど、その人の名前で要注意の報告書が送られてきた。要するに「何月何日送付に関わる衛生用具については罹病率が非常に高い」ということなんです。

櫻田 そうですか。

鹿内 そこで、ぼくは担当の課長さんに呼びだされて「おまえ、これは非常に粗悪品らしいぞ。現地調査をして、ちゃんとしたものを送らなくちゃいかん」と注意された。そこで「それじゃ、その工場を見に行こう」と出かけて行った。ぼくは、いつまでも忘れません。東京・葛飾に国際護謨[ゴム]工業という工場がありまして、そこへ軍刀をさげて、下士官を引き連れて行ったわけだ(笑)。

 工場には、製造器具が二列に並んでいまして、ガラス棒がいっぱいついた器具がゴム液の中へスローモーションのように、ゆっくり上下している。上がってくると、澱粉粉でまぶした手で一本ずつ、こう(手をすり合わせ、たぐり寄せるようにして)取り外していくわけです。それを、こっちは厳粛な顔をして見守っている(笑)。その作業員は、大体が玉の井柳橋の花柳街の女、これに混じって女学校の生徒です。男はいない。とにかく粗悪品だというわけですから、下士官が抜き取り調査をやるわけです。

櫻田 ほう。

鹿内 検査は、どうやるのかと思っていたら、サックに水を入れるわけです。ぼくは初めてわかったんだけど、櫻田さんは一本にどれくらい水が入ると思いますか。

櫻田 そりゃ、ふくれるからね(笑)。

鹿内 一升五合入る。これには驚いた。

櫻田 そんなにか(笑)。

鹿内 ええ。持ち上げたらやぶれちゃうから駄目ですよ。だから、のたうたしておいて水を入れると一升五合入る。そうすると、粗悪品だとピンホールがあるから、水が吹きだす(笑)。

櫻田 なるほど。

鹿内 そのゴムの原液は、みんな南方からの略奪品なんです。

櫻田 当時だとそうでしょうね。

鹿内 飛行機で持ってくるわけです。製品は、小さい紙の袋に一個ずつ入れてある。緑色の袋でしたね。それで、これに名前をつけようかと、みんなで協議したら、青森の師団の出身者で澤田中尉っていうのがいまして、これが“突撃一番”とつけた(笑)。

櫻田 そうか、突撃一番か(笑)。

鹿内 まあ、そこで検査してみて、ぼくは粗悪品が出るのは少し薄すぎるんじゃないかと思った。そこで、ぼくは決断して「ゴム液から一回で抜き取るのはやめろ。二回ぐらいくぐらせろ」と、そういってやったわけです。そうしたら堅牢そのものになっちゃた(笑)

櫻田 感じが悪いわな、それじゃ(笑)。

鹿内 とにかく、それからは新しく作り直させたものを戦地へ送ってやった。そうしたら、そのうちにまた要注意の報告書がきた。「何月何日送付にかかる突撃一番は、罹病率ますます高し」と……。

櫻田 ははあ

鹿内 これはおかしい。あんなに堅牢なのを送ったのに、なぜだろうと思っていたら、あとで聞くとだれも使わないというんだ。あんまり厚くできちゃったからなんですよ(笑)。いやもう、需品本部ではいろんなことがありましたよ。この間も、昔の経理学校の仲間でつくっている若松台クラブで、こんな話をして大笑いになりましたけどね。

国際護謨工業>『週刊文春』(56年 5月21号〜 7月 2日号)のドキュメント「ニッポンの性」で、ジャーナリストの佐野真一氏が“コンドーム天国日本”の実態をユニークにレポートしている。それによると、国際護謨工業はいまの「岡本理研ゴム」の前身。創業後二年足らずの昭和十年八月、借工場から脱出して東京·葛飾区平井に五千円の資金で三百坪の土地を買い自社工場を完成。国際文具から資本を入れ、岡本ゴムから国際護謨工業に社名を変更した。昭和十六年一月に建築資材をはじめ雑貨類を調達する陸軍の需品本部が発足。コンドームなど、兵隊が使う日用品はすべてここで調達配布された。国際護謨工業は翌十七年に工場を大拡張し、軍の監督工場から管理工場に昇格して“軍需工場”の性格を見せはじめる。当時、国際護謨工業が需品本部に納めていたコンドームの数量は、月平均百万個だった。検査も厳重で週一回、需品本部から管理官がやって来て帳簿を調べ、ピンホール検査をした。百個のうち

二個ピンホールが発見されると不良品扱いだったという。

↑櫻田武・鹿内信孝『いま明かす戦後秘史』上、1973年、サンケイ出版、pp. 67~70

第七十二回帝国議会開院式勅語 1937. 9. 4

◯昭和十二年九月四日、帝国議会開院式勅語

 朕ここに帝国議会開院の式を行ひ、貴族院および衆議院の各員に告ぐ。

 帝国と中華民国との提携協力により東亜の安定を確保し、もつて共栄の実を挙ぐるは、これ朕が夙夜軫念措かざる所なり。中華民国深く帝国の真意を解せず濫に事を構へ、遂に今次の事変を見るに至る。朕これを憾[うらみ]とす。今や朕が軍人は百艱を排してその忠勇を致しつつあり。これ一に中華民国の反省を促し速やかに東亜の繁栄を確立せむとするに他ならず。

 朕は帝国臣民が今日の時局に鑑み忠誠公に奉じ、和協心を一にし、賛襄もつて所期の目的を達成せむことを望む。

 朕は国務大臣に命じて特に時局に関し緊急なる追加予算案および法律案を帝国議会に提出せしむ。卿ら克[よ]く朕が意を体し和衷協賛の任を竭[つく]さむことを努めよ。

 

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◯昭和十二年
 九月四日 帝國議會開院式勅語

朕茲ニ帝國議會開院ノ式ヲ行ヒ貴族院衆議院ノ各員ニ告ク

帝國ト中華民國トノ提攜協力ニ依リ東亞ノ安定ヲ確保シ以テ共榮ノ實ヲ擧クルハ是レ朕カ夙夜軫念措カサル所ナリ中華民國深ク帝國ノ眞意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘ遂ニ今次ノ事変ヲ見ルニ至ル朕之ヲ憾トス今ヤ朕カ軍人ハ百艱ヲ排シテ其ノ忠勇ヲ致シツツアリ是レ一ニ中華民國ノ反省ヲ促シ速ニ東亞ノ繁栄ヲ確立セムトスルニ他ナラス

朕ハ帝國臣民カ今日ノ時局ニ鑑ミ忠誠公ニ奉シ和協心ヲ一ニシ賛襄以テ所期ノ目的ヲ達成セムコトヲ望ム

朕ハ國務大臣ニ命シテ特ニ時局ニ關シ緊急ナル追加豫算案及法律

 

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案ヲ帝國議会ニ提出セシム卿等克ク朕カ意ヲ體シ和衷協賛ノ任ヲ竭サムコトヲ努メヨ

 

↑第七十二回帝国議会開院式勅語 https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/A14110371700

勅語類・支那事変以来ノ勅語集・内閣官房総務課長

より

JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A14110371700、(国立公文書館 勅00007100)

安倍晋三と橋下徹の核共有発言 2022. 2. 27

安倍晋三元首相: いま命の危険にさらされているウクライナ国民、祖国を守るため、家族を守るため、また、私たちと共有する自由、民主主義、普遍的価値を守るために戦っているウクライナ国民に連帯を表明したい。

松山俊行キャスター(フジテレビ政治部長・解説委員): プーチン大統領がこれまでの日露首脳会談でNATOの東方拡大への不満を漏らしたことはあったか。

安倍元首相: (プーチン氏は)基本的な不信感を米国に対して持っている。「NATOを拡大しないはずだったのにどんどん拡大し、ポーランドにはTHAADミサイルまで配備をしているではないか」と。その基本的な不信感の中で、プーチンとしては領土的野心ということではなく、ロシアの防衛、安全の確保という観点から行動を起こしているということだろう。もちろんそれを正当化はしない。彼がどう考えているかを正確に把握する必要はあるだろう。

松山キャスター: 首脳会談の中でプーチン大統領から「NATOが約束を守っていない」というニュアンスの発言があったのか。

安倍元首相: 何度か二人だけの時にそういう発言があった。そういう思いは強いのだろう。彼はある意味『力の信奉者』だ。

松山キャスター: バイデン米大統領ウクライナ侵攻前早々に米軍がウクライナで軍事行動を起こすことはないと言った。この発言はプーチン大統領にどう伝わったと考えるか。

安倍元首相: バイデン大統領もさまざまなことを考えて発言したのだと思う。しかし、プーチン大統領のような指導者を相手にする場合、最初から手の内を示すよりも、「選択肢はすべてテーブルの上にある」という姿勢で交渉するのが普通ではないかと考える。

橋下徹氏(番組レギュラーコメンテーター・元大阪府知事・元大阪市長・弁護士): ウクライナ情勢を見てつくづく思ったのは、自分たちの国を守る力が絶対に必要だということ。ウクライナは今それで本当に苦労している。

安倍さんが言ったように、日本が打撃力・反撃力を持つこと。米国と共同して中距離ミサイルを日本に置くことも考えなければいけない。さらに言えば、日本がいきなり核を保有するのは現実的でないにせよ、非核三原則の「持ち込ませず」は、米国と共同で(見直す)という議論をしていく。自民党はちょっと腰が引けている。この話をすると、一部メディアから思いきりたたかれるから。でも、次の参議院選挙でしっかり争点にしてほしい。日本の防衛はどの方向で行くのかと。核というものを考えていこうという方向でいくのか、いかないのか。選挙で問うてもらいたい。

安倍元首相: 「敵基地攻撃」という言葉にこだわらないほうがいい。彼らの軍事中枢自体を狙っていく。軍事をつかさどるインフラを破壊していく。基地である必要は全然ない。むしろそういう反撃力だ。先制攻撃は国際法違反だからそもそもしない。核の問題は、NATOでも例えば、ドイツ、ベルギー、オランダ、イタリアは核シェアリング(核共有)をしている。自国に米国の核を置き、それを(航空機で)落としに行くのはそれぞれの国だ。これは、恐らく多くの日本の国民の皆さんも御存じないだろう。日本はもちろんNPTの締約国で、非核三原則があるが、世界はどのように安全が守られているか、という現実について議論していくことをタブー視してはならない。

橋下氏: 日本でもこれから核シェアリングの議論をしていくべきだ。NATO加盟国(の一部)は現実に核シェアリングをしており、ロシアは簡単には手を出せない。核は絶対使ってはいけないが、議論は必要だ。

安倍元首相: かつてウクライナは世界第3位の核保有国だった。「ブダペスト覚書」で核を放棄する代わりにロシア、米国、英国が安全を保障することになっていた。国境や独立が守られるはずだったが、残念ながらそれは反故にされてしまった。もしあのとき一部戦術核を残して、彼らが活用できるようになっていれば、どうだったかという議論が今行われている。そういう意味で冷静な議論を行う。ただ、核被爆国として核を廃絶する目標は掲げなければいけないし、その目標に向かって進んでいくことは大切だ。この(ウクライナの)現実に、日本国民の命、日本国をどうすれば守れるかについては、さまざまな選択肢をしっかりと視野に入れて議論するべきだ。

橋下氏: 日本も核シェアリングの議論は絶対に必要だ。

 

↑フジテレビ「日曜報道THE PRIME」2022年 2月27日午前7時30分から放送

https://www.fnn.jp/articles/-/322076

https://www.nippon.com/ja/news/fnn20220227322076/