Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

毎日新聞社『軍神山崎部隊 少国民版』より 1944. 1. 30

https://dl.ndl.go.jp/pid/1169744/1/1

軍神山崎部隊

少国民

毎日新聞社

 

https://dl.ndl.go.jp/pid/1169744/1/26

    一将万兵融和渾然

 命をささげてアッツ島を守りぬき、死んでの後の御奉公をも誓って、全員玉と砕け散った山崎部隊の最期は、延元の昔、足利の大軍を湊川にむかえ撃ち、七生報国を誓って果てた、楠木正成公の忠烈とひとしいものであります。山崎部隊長と部隊勇士のこの奮闘に対しては、さきに北東方面軍最高指揮官から、部隊感状と個人感状が授与せられ、そのおもむきは、畏きあたりの上聞にも達した旨、八月二十九日をもって発表されましたが、同時に山崎保代大佐は、特にその功群を抜くものとして、二階級を進めて中将に任ぜられ、その他戦死将校は九十四名は、それぞれ進級の栄誉をにないました。また一億国民の中からは、山崎部隊と山崎部隊長を、軍神として仰ぐ声が湧き起こり、前線はいうに及ばず、銃後の職場も、学校も、
「山崎部隊につづけ。」

 

「山崎部隊長につづけ。」
 この合言葉のもとに、一億玉砕の決意を固め、大みいくさに勝ち抜こうと奮い立っているのです。
 山崎部隊長以下二千数百の勇士の、アッツ島における力戦奮闘が、一億国民のお手本であることは、いうまでもないことです。しかしここでよく考えねばならないのは、その行いは、英雄や豪傑でなければ出来ない特別な行いではなく、いやしくも日本人である以上、誰しもできることであり、また、誰しもが、しなければならない行いである、ということであります。ただ二千数百の勇士たちは、一億国民のまっ先に立って、日本人として生まれた以上、大君のために、皇国 [みくに] のために、玉と砕ける精神が、生れながらに血管の中にながれているということを、身をもって教えてくれたのです。この尊い教えをたれ、この尊い精神で私たちを導いてくれる有したちを、軍神とあがめるのはあたりまえのことです。そして軍神は山崎中将ひとりではありません。二千数百の勇士のことごとくが、輝かしい軍神なのです。

 

 

https://dl.ndl.go.jp/pid/1169744/1/111

 しかし今や戦争は我が本土の一部でも戦われることになりました。私たちは新しく戦局の成り行きをよく見つめ、戦争についての心がまえをしょかりともたねばならなきなりました。いつ敵機が来襲しても、あはてず、うろたへず、キスカ島守備の有志と同じやうに、ばねのやうに敵機をはね返し、場合によってはアッツ島の勇士と同じように、一億国民の一人一人が、玉となって砕け散り、忠君愛国の一念をもって、すめら御国を守りぬかねばならないのです。
 あらゆる困苦をなめながら、敵アメリカ、イギリスの大軍を撃滅している皇軍将士には、皆さんのお父さんめあれば、兄さんもあるでせう。親戚の方もあると思います。軍神山崎部隊の中にも、皆さんの肉親が一人はあるかも知れません。よしんば肉親がないとし

 

ても、わが大日本帝国の臣民は、一億人が一億人まで
天皇陛下を大御親 [おおみおや] と仰ぐ兄弟なのです。その兄弟たちの労苦をしのび、その奮戦に感謝しなければならないことは、ここにいうまでもありませんが、皆さんにだって、皆さんの兄さんである皇軍兵士の勇敢さや、どんな苦しみでも耐へられる強い精神力が、備わっていないはずはありません。皆さんも、現に戦っている兄さんたちに代って、一たん戦線に立った暁、兄さんたちにも劣らぬりっぱな手柄を立てる覺悟が必要です。
 この書物の巻を終るにあたり、今まで幾度か繰り返した言葉を、さらに新しく繰り返しておきます。
「軍神山崎部隊につづけ!」
「一億玉砕の覚悟をもって、すめら御国を守りぬけ!」

               お わ り

 

https://dl.ndl.go.jp/pid/1169744/1/112

 

↑笹岡了一 絵『軍神山崎部隊』,毎日新聞社,昭和19. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1169744 (参照 2024-05-14)