昭和20年8月13日 火曜
1.朝、菅波三郎氏とともに大臣を官邸に訪問、特に大臣は内大臣邸に行き不在なり。帰来を待ち最高戦争指導会議出席前、小時を自動車側にて立ち話す。三笠宮殿下、木戸ともに動かず。三笠宮殿下は大臣に対しても相当強くいわれし模様なり。されど大臣はこの憂愁にかかわらず、予を見るやいつもの微笑をもって迎え、予を摩きて簡単に立ち話せられたり。
2.われら少壮は情勢の悪化を痛感し、地下防空壕に参集、真剣にクーデターを計画す。竹下、椎﨑、畑中、田島、稲葉、南、水原、中山安、中山平、島貫、浦、国武、原など2、3課、軍務課の面々なり。竹下より大綱を示し、手分けして細部計画を進め、さらに秘密の厳守を要求す。
今や吾人は御聖断と国体護持の関係につき深刻なる問題に逢着せり。計画においては要人を保護し、お上を擁し聖慮の変更を待つものにして、この間、国政は戒厳によりて運営せんとす。
3.この日、吉本重章大佐、軍務課長に補せられ着任。あたかも前課長永井少将も本日帰京、急に頭が揃いたり。吉本大佐は詔書必謹、山田成利大佐は態度明瞭ならざりしも、課長着任するや詔書必謹となる。
4.夕方、米紙ニューヨークタイムスおよびヘラルドトリビューン両紙の日本皇室に関する論説放送あり、皇室は廃止せらるべしとの露骨なるもねなりしをもって大いに喜び、急遽印刷の上、閣議席上の大臣に届けたれども ― 山田大佐持参し、迫水、会議中配布せざりしよしなり。
5.三笠宮殿下、吉本課長と山田大佐とを呼び、例の調子にて陸軍を責め、特に陸軍大臣は聖旨に反し不適当なりといわれし様なり。
課長は陸軍の自粛等諒承せるも、陸軍の主張は真に国体を思う切々の至情に出ずる点、御諒承願いたきむねヒ申上げて帰る。
6.夜、竹下は稲葉、荒尾大佐とともにクーデターに関し大臣に説明せんと企図しありしところ、2000ごろ閣議より帰邸せる大臣より招致せられ、椎崎、畑中と同行、官邸を訪い、相次いで来たりし荒尾、稲葉、井田とともに、たとい逆臣となりても永遠の国体護持のため断乎、明日午前(始めの計画は今夜12時なりしも、大臣の帰邸遅きため不可能となる)これを決行せんことを具申するところあり。大臣は容易に同ずる色なかりしも、「西郷南洲の心境がよく分かる」「自分の命は君に差し上げる」等の言あり、時々瞑目、これを久しうせらる。10時半ごろ散会とし、1時間熟考の上、夜12時登庁、荒尾大佐に決心を示し、所要の指示をせられたきむね述べ、三々五々帰る。
予は前後に残り、大臣一人のとき賛否を尋ねしに、人が多き故あの場では言うを憚りたりと答え、暗に同意なるを示サ尚さる。なおみな帰るとき、今日頃は君らに手が廻り逮捕せらるるやも知れざるをもって用心し給えとの注意ありき。他より人[→入]手せる情報に基づくもののごとし。
7.みな役所に帰り、それよりさらに計画を練る。予は特に左を提案し、全員の一致·賛同を得たり。
明朝のことは天下の大事にして、かつ国軍一致蹶起を必須とす。友軍相撃ちに陥らざることについては特に戒むるの要あり。よって明朝、大臣、総長まず協議し、意見の一致を見たる上、7時より東部軍管区司令官、近衛師団長を招致し、その意向を正し、四者完全なる意見の一致を見たる上、立つべく、もし一人にても不同意なれば潔く決行を中止すること。
決行の時刻は10時とすること。
近衛師団長の進退については昨日より問題となりあり。軍事課島貫中佐は、彼れは大命にあらざる限り、たとい大臣の命なりども絶対に立つことなし。2〜3日前訪問してその心境を知りありと述べ、もししかる場合の措置として師団長を大臣室に招致し、聴かざれば監禁せんとするもの。大臣が呼んでも来たることなかるべし。しかる場合は師団に行き師團団長を斬りて、水谷参謀長によりて事を行わんとすべしとのこととなる。
昭和二十年八月十三日 火曜
一、朝 菅波三郎氏ト共ニ大臣ヲ官邸ニ訪問 特ニ大臣ハ内大臣邸ニ行キ不在ナリ 歸來ヲ待チ最高戰爭指導會議出席前 小時ヲ自動車側ニテ立話シス、三笠宮殿下 木戸共ニ動カス 三笠宮殿下ハ大臣ニ對シテモ相當强ク云ハレシ模樣ナリ、サレト大臣ハコノ憂愁ニ拘ラス 予ヲ見ルヤイツモノ微笑ヲ以テ迎ヘ 予ヲ摩キテ簡單ニ立話セラレタリ
二、吾等少壯ハ情勢ノ惡化ヲ痛感シ 地下防空壕ニ參集 眞劍ニ「クーデター」ヲ計畫ス 竹下、椎﨑、畑中、田島、稲葉、南、水原、中山安、中山平、島貫、浦、國武、原等 二、三課、軍務課ノ面々ナリ 竹下ヨリ大綱ヲ示シ 手分シテ細部計畫ヲ進メ 更ニ秘密ノ嚴守ヲ要求ス
今ヤ吾人ハ御聖斷ト國体護持ノ關係ニ付 深刻ナル問題ニ逢着セリ 計畫ニ於テハ要人ヲ保護シ オ上ヲ擁シ聖慮ノ變更ヲ待ツモノニシテ 此ノ間 國政ハ戒嚴ニ依リテ運營セントス
三、此ノ日 𠮷本重章大佐 軍務課長ニ補セラレ著任 恰モ前課長 永井少將モ本日歸京 急ニ頭カ揃ヒタリ 𠮷本大佐ハ詔書必謹、山田成利大佐ハ態度明瞭ナラサリシモ 課長著任スルヤ詔書必謹トナル
四、夕方 米紙「ニユーヨークタイムス」及「ヘラルドトリビューン」兩紙ノ日本皇室二關スル論説放送アリ 皇室ハ廢止セラルヘシトノ露骨ナルモノナリシヲ以テ大イニ喜ヒ 急遽印刷ノ上 閣議席上ノ大臣ニ届ケタレトモ ― 山田大佐持參シ 迫水 會議中 配布セサリシ由ナリ
五、三笠宮殿下 𠮷本課長ト山田大佐トヲ呼ヒ 例ノ調子ニ
テ陸軍ヲ責メ 特ニ陸軍大臣ハ聖旨ニ反シ不適當ナリト云ハレシ樣ナリ
課長ハ陸軍ノ自粛等諒承セルモ 陸軍ノ主張ハ眞ニ國体ヲ思フ切々ノ至情ニ出ツル點 御諒承願ヒ度旨 申上ケテ歸ル
六、夜 竹下ハ稲葉、荒尾大佐ト共ニ「クーデター」ニ關シ大臣ニ説明セント企圖シアリシ所 二〇〇〇頃 閣議ヨリ歸邸セル大臣ヨリ招致セラレ 椎崎、畑中ト同行 官邸ヲ訪ヒ 相次テ來リシ荒尾、稲葉、井田ト共ニ 假令 逆臣トナリテモ永遠ノ國体護持ノ爲 斷乎 明日午前(始メノ計畫ハ今夜十二時ナリシモ 大臣ノ歸邸遲キ爲 不可能トナル)之ヲ決行センコトヲ具申スル所アリ 大臣ハ容易ニ同スル色ナカリシモ 「西郷南洲ノ心境カヨク分ル」「自分ノ命ハ君ニ差シ上ケル」等ノ言アリ 時々瞑目 之ヲ久シウセラル、十時半頃 散會ト
シ 一時間熟考ノ上 夜十二時登廳 荒尾大佐ニ決心ヲ示シ 所要ノ指示ヲセラレ度旨述へ 三々五々歸ヘル
予ハ前后ニ残リ 大臣一人ノ時 賛否ヲ尋ネシニ 人カ多キ故 アノ場テハ言フヲ憚リタリト答ヘ 暗ニ同意ナルヲ示サル 尚 皆歸ヘル時 今日頃ハ君等ニ手カ廻リ逮捕セラルルヤモ知レサルヲ以テ用心シ給ヘトノ注意アリキ 他ヨリ人[ママ]手セル情報ニ基クモノノ如シ
七、皆 役所ニ歸ヘリ 夫ヨリ更ニ計畫ヲ練ル 予ハ特ニ左ヲ提案シ 全員ノ一致 賛同ヲ得タリ
明朝ノコトハ天下ノ大事ニシテ 且 國軍一致蹶起ヲ必須トス 友軍相擊ニ陷ラサルコトニ就テハ特ニ戒ムルノ要アリ 依テ明朝 大臣 総長先ツ協議シ 意見ノ一致ヲ見タル上 七時ヨリ東部軍管區司令官、近衞師團長ヲ招致シ 其ノ意嚮ヲ正シ 四者 完全ナル意見
ノ一致ヲ見タル上 立ツヘク 若シ一人ニテモ不同意ナレハ潔ク決行ヲ中止スルコト
決行ノ時刻ハ十時トスルコト
近衞師団長ノ進退ニ就テハ昨日ヨリ問題トナリアリ 軍事課 島貫中佐ハ 彼レハ大命ニ非ル限リ 假令 大臣ノ命ナリトモ絶對ニ立ツコトナシ 二、三日前 訪問シテソノ心境ヲ知リアリト述ヘ 若シ然ル場合ノ措置トシテ師團長ヲ大臣室ニ招致シ 聽カサレハ監禁セントスルモノ、大臣カ呼ンテモ來ルコトナカルヘシ 然ル場合ハ師團ニ行キ師團長ヲ斬リテ 水谷参謀長ニヨリテ事ヲ行ハントスヘシトノコトトナル
↑昭和20年8月13日 火曜 機密戦争日誌
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JACAR(アジア歴史資料センター)
Ref.C12120362600、