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朴烈·金子文子裁判 大審院第二回公判より ① 金子文子の文書『二十六日 夜半』朗読 1926. 2. 27

金子文子 = 1923 年 https://webronza.asahi.com/photo/photo.html?photo=/S2010/upload/2019032600004_2.JPEG

公判調書 (第二回)
     被告人 朴準植
     同   金子文子
右両名に対する刑法第七十三条および爆発物取締罰則違反被告事件につき大正十五年二月二十七日、大審院第一特別刑事部法廷において
  裁判長 判事 牧野菊之助
      判事 柳川勝二
      判事 板倉松太郎
      判事 島田鉄吉
      判事 遠藤武
    補充判事 中尾芳助
   裁判所書記 戸沢五十三
   裁判所書記 中村文彦
列席の上、
検事 小山松吉、検事 小原直立ち合ひ、
公開せずして対審を続行す。
被告人両名は出頭し、身体の拘束を受けず。
弁護人 新井要太郎、同 田坂貞雄、同 布施辰治、同 山﨑今朝弥、同 上村進、同 晋直鉱、同 中村高一出頭せり。
裁判長は、

 前回に引続き審理する旨を告げたり。

被告人 金子文子は、

 前回、裁判長の問に対する同人の答の内、金重漢に関係せる答にて予審における陳述を変更したる点につき、同人の気持ちが裁判所その他弁護人にも了解せられざりし様思考し、書面に認[したた]め来たりたるをもって、朗読したき旨申し立て、裁判長はこれを許可したるに別紙分の書面を朗読したる後、該書を提出せり。

[別紙]

   二十六日 夜中

 昨日いったある点について、その意味がよく解り兼ねるから、改め[て]書いて来てほしい、という風な注文を書記さんから受けましたのが、私自身も今日の形勢で、私の実の気持ちが、お役人にはいうまでもなく、肝心の弁護人諸氏にさえ、よくは解っていないらしいと思えましたので、理解されるされんはどうでも構はんとして、私自身いうだけはいっておきたいと思い、疲れた体でペンを執ります。
 そのある点とは他でもない。私が予審廷での自分の陳述の一部を今日公判廷で覆した箇処です。が、それに先立っていっておきたいことは、前にいっつた言葉も私自身の言葉であり、今いう言葉も私自身の言葉である。が、しかもその二つの言葉は異なっている。だがそれは、ともに私自信[→身]の監視のもとに、私自身の自由意思をもっていわれた言葉であって、そこに、今まで私を調べた御役人方の意志の強制などが加えられてないことを、弁護人諸氏の前に明らかにしときます。そして私自身はその間の消息を明らかにすることによって、自分嘉が他人の意思などに左右される意久[→気]地なしではない、私はちゃんと私自身の意志をもつてるのだということを宣言しときます。
 そこで、最初に、ちょっと私の「生き方」をお話して見ます。──
 私は、いわゆる「理想」てなものを認めません。屈をいうなら、理想てなものを否定することが私の理想です。なんとなれば、私はこう思っております。形あるものもないものも、すべては全く相反した二つのものより成り立っている。そしてその二つは存在するちょう条件の前に、乖[はな]すべからざる交渉を持ってる──とね。私は今、自分の目に触れる、また頭に浮ぶことの一つをとってぢいっと瞶[みつ]めて見ます。縦から横から斜から。私はそこに、一つまたは三つから成り立っているものを見出し得ない。みな二つなのです。一つが必ず他の一つを支えているのです。そしてその支えてるものは支えられてるものとは全く別な、正反対なものなのです。光と影、悦びと悲しみ、[こう]いふ風にね。その巧妙さ、ほどほど感心したくもなる。ここのところを神秘的に宗教的に考えると「地上における譃·悪·醜は真·善·美とのコントラストにおいて、真·善·美をしてより真·善·美ならしめんがために存在し、譃悪醜そのものはやがて真·善·美に更改されんがための存在である』てな理屈の生れて来るわけだ。つまり、不完全の彼方に完全を予想するんですね。しかし、そんなことは苦し紛れのこじつけに過ぎん。完全になったらなにもかもお終いだ、とこう私は断定します。したがって私は、人間の上に、いな自分の上に「天職」とか「使命」とかいうものを認めません。つまり、「自分は今こうやりたいからこうやる」これが、私にとって自分の行為を律すべく、ただ一つの法則であり命令です。もっと判りやすくいうと、私の行為のすべては、「私自身そうしたいからそうする」というだけのことであって、他人に対しては、「そうせねばならん」とも「そうあるべきだ」ともいいません。私は思うんです。私が私自身のことを考え、私自身の道を歩むために、私自身の頭と足とを持ってるように、他人もまた自分の頭と足とをもってるはずだ==つまり、私は、自主自治──すべての人が自分の生活の主となって、自分の生活を正しく始めるところに、かすかながら私の好きな社会の幻を描いて見る気にもなるのです。
 私が、自分の行為に要求するすべては、自分から出で、自分に帰る。つまり、ピンからキリまで自分のためで、自分を標準とする。したがって私が「正しい」という言葉を使ふ時、それは完全に「自律的」な意味においてであることを断わっときます。そこで私は今日も申した通り、自分がなに主義だか、なに思想だか知らない。私が知っていることは「自分はこう思っている」というだけだ。が、もしここまでの私の考え方に、便宜上ちょっと客観的に断定を下してもらって見るなら、私は多分、個人主義無政府主義者と呼んで差し支えなかろうと思います。なんとなれば、説明するまでもなく、国家と個人とは相容れない二つの存在である。国家の繁栄のためには個人は自分の意志をもってはならない。個人が自身に目覚める時、国家は倒れる。無論私は、内から燃え上がる秩序ならざる秩序、いな真の秩序以外に、国家だの政府だのの干渉をお断りしたいのです。
 そこで金翰兄との関係は、今日いった通りの意味において認めます。ですからそれについては改めていう必要もなかろうと思います。が、ただ一つ、私はいつぞや、私に絡[まつわ]るこの事件によって、あるお役人から「軽薄である」との断定を受けた。私は有がたく拝領します。と同時に私はいいます。私が軽薄であるとはどういう意味か? 他分、私が後で自身疑うようなことをしようとしたのが軽率である、という意味であろう、と私は解釈します。お役人がそう思われるのは無理もない。広い意味において私どもの同志をもって自任する人たち、いわゆる「至極思慮深いネオ·インテリゲンチヤ」たちもよくそういうことをいわれます。しかし、私はその人たちに伺いたい。現に自分が考えていることが、はたして間違っているかいなかを試験するにはいかが致したらよろしゅうございましょうか?と。合憎と私どもは、私は「自分でそれを実行して見る」という以外には、それを試すべく適当な方法を持ち合わせていません。私はリアリストです。そして実行家です。なににつけても、自分が考え、自分がいうだけのことは方っ端から実行します。少なくも、実行して見ようとして来ました。定義して言葉や、立派な論理が私の前に、市をなしている。だが実行できないような言葉じゃしようがない。して、実行の試練を経てこそ、そこにはじめて、よりしっかりしたものは生れる。だから、私はずんずん実行して見ます。して、固定ではなく、流動に自分の生命の成長を求める私は、明日を慮んぱかって今日いいたいことを我慢するほど悧巧ではありません。と同時に、昨日いったことに縛られて今日いたいことを引っ込めるほど囚われてはおりません。したがって、私はこういいます。私は今、長ったらしく喋舌っている。だがこれは「今の自分はこう思ってる」というので「明日の自分もこう思ってる」とはいわない。いな、いい得ない。明日の私が今日の私であるかも知れん。ないかも知れん。若し、あったら、私はその時改めて「今日の言葉」としていうだろう。若しなかったら? いや、なくても、私は「自分は昨日間違ってた」などとはいわない。そのことについて、個人にあやまりもせねば、別に義務と覚えない。
 私はただこういうだけです。
  「昨日自分はこう思っていた。だが、今日自分はこう思うようになった。自分は自分によりシックリと合った道を見出した。だから自分は今、その新しい道へと胸を張って突き進んで行こうとするのだ」とね。
 つまり、私は、立ち止まって自分の足跡を振り返って見た時、その足跡の一つひとつが、自己意識のクライマックスを示す烙印であることを、自分に対する唯一の義務だ、と思ってるのです。
 で、私は、自分の考えていることは、どこまでも頭の及ぶ限り疑います。疑おうとしています。それは、自分のためです。
 そこで、事件の方へ戻ります。──
 昨日もお話したように、私は、自分の信念を実行すべく、金翰兄との間に爆彈入手の交渉をした。が、しかし、金翰兄の方の手違いで駄目になった。その時、いろいろな爆弾の写真を見て、私は、腕を拱んで狭い部屋の中をあっちこっちに歩き廻りながら考えた。
  「私は確かにああした計画をした。だが、それは単な[る]権力への叛逆ちょう心地好い想像に、いわば幻惑されたためではなかろうか? もし今この私の目の前に爆弾があったとしたら──私はどうしたろう? 私は、自分以外のなにものにも囚われてはならん。私が求めるのは自分における真だ。私はしっかり考へなくちゃならない」──と。
 ちょっと断わっときますが、これは私の今の考えではない。その当時、つまり、私がはたちの一二月頃の考えなのです。
 そこで、今日、上村弁護士が、その心の状態がその後どの位続いたか、とお訊ねでしたが、しかし、私にあってその心に決定を促すべく機会をもたなんだために、その点についてはシカと記憶していません。
 それで、私は、この事件が発覚して後、気がついたのです。私は、自分に疑いをもつたその時、どこまでも自分を追求すべきであつた。そしたら私は多分、朴との間に隔りを見たろう。朴と私とは一緒にいた。だが、それは二人の生活ではない。一人と一人との生活である。どんな個性にも他の個性を吸収してしまう権利はない。朴が朴の道を歩むように、私もまた私の道を歩む。自分の世界にあっては自分が絶対だ。私が自分の道を、誰にも邪魔されず、真っすぐに歩みつづけるためには、私は独りになるべきだったのだ、と。
 これは、私のことですが、一方、朴はちっとも変わっていない。そのために金重漢兄にまたああした話をした。ところが、危憚なくいえば、その人選を誤ったがために、私どもはこうなった。が、しかし、その時、朴は私に相談しなんだ。全く自分の独断でやった。で、つまり私にして外の事情から見れば、全く、他人の過失の犠牲になるわけだ。が、そうと知りつつも、金翰兄との交渉や、なお私自身を省みて、そうした計画を生む思想をもっているがゆえに、犠牲たろうとしている自分を救い出すこともできない。
 といったところで、ちょっとお断りしときますが、私は朴を信頼していた。今でも信頼している。ちっとも変っていない。で、もしその時、朴が私に金重漢兄との事を相談したと仮定して、私がはたして反対したかどうかは疑問だ。いや、怖らく信頼して任せたろう。この点、特に弁護人諸氏に対して、私のいおうとしている気もちへの理解を望みます。すなわち、私は自分がかく失敗したことについて、かれこれ悔ゆるのではありません。ただ、その失敗が自分の意志に基づく失敗でなかったことを、自分の前に限りなく恥じるのです。いわゆる「犠牲」を蔑みつつ、しかも私自身「犠牲になるのだ」というほどの自覚さえなしに犠牲になることが、堪らなく恥かしいのです。今まで私が黙っていたことを、こうして突然ぶちまけるのは、全く、そうした気もちからで、私自身、偽ったまま終わるのが辛かったからです。そして、このことは、むしろ自分に対しての告白です。
 私は今まで、このことを誰にも黙っていた。お役人に対しても、この点のみずっと嘘をいい通した。それは、昨日お話した通り、よほど私の思想や性格を理解した人でないと、私のいうことを正しく解釈し得ない。(4 行、80 字分余り抹消) ]…とも一つは、繰り返しますが、その事を考える度に、私はいつもイプセンの人形の家のヘルマンを思い出した。すなわち、朴が私にそうしたことを相談しなかったというこということについて、私が後になって朴を責めるのは、実は相談されなかったことを責めるのではなく、その結果が自分の思惑にはずれたことを責めようとしているのだ。なんとなれば、私は自分に問うて見よう。朴が自分の意志をもって二人のことをした。その結果がテッキリ私の思う通りに運んで、しかして成就したと仮定する。その時、私ははたして朴に対して、そのことをあらかじめ私に相談しなかったことを責めたろうか?と。ノオノオ、私はあべこべに悦んだろう…… こう考えて来ると、私は朴に堪らなく済まない気がし、同時に、自分のケチなみすぼらしいエゴイスティックな気もちが恥かしくなる。そしてまた、朴自身の立場に自分を置いて考えて見る。して思ふ。誰が失敗を予想して事をしよう。すべてはやるべくやったのだ。結果は全く偶然に過ぎん。どんなことでも、失敗した後から見れば、みな莫迦げて見えるものなのだ…… ここで、ちょっと今日の布施·上村二氏に私からお答えしたいのですが、金翰兄と私どもとの関係が余りにも漠としているといわれた。だが私ら自身を振り返って見た時、そうだれでもかれでもがもちそうな考えから、行動しようとしたのではなかったつもりだ。しかし失敗した、というこの事実は、そこに失敗すべきなにかのあったことを私自身認めずにはおれない。この失敗ちょう結果の前に、私はなにも弁解したくありません==と。
 そこで、金重漢兄との交渉における私の立場は以上の通りで、して当の朴に対してはそういう風に考えているのですが、しかし、知らないことはどこまでも知らない。いつでも私は自分自身を正しく生かさねばならん。この事件が大審院へ廻されるらしい事を知った時、私はずい分、悶えました。約一ヶ月ばかり御飯もろくろく咽喉を通らず、みなから痩せたといわれたほど苦しみました。
 私は若いのです。私の身内には、過去の苦しい境遇に鍛え上げられた力強い生命が高鳴っている。私は、自分の意志なき失敗の犠牲などにはなりたくない。よしそれが等しく失敗に終わろうとも、ともかく私は自分の力を試して見たい。手足をぐんと伸して見たい。
 で、私は思ったのです。私が私自身を自分の手に取り戻すためには、現在の立場から脱け出さねばならん。形の上に自由な体にならねばならん。それで、私は、ある時など、お役人の前に改悛の意を表して、いかなる屈辱にも忍んで、なるべく早く出られる工夫をして見よう、と思ったことさえあったのです。私の後には同志といわれる人たちが沢山ついております。親とか親類とかいう人たちさえ手紙一本寄越さない私の、足かけ二十四年の囹圄の生活を経済的に、また精神的に支えていてくれるのは、全くこの同志たちなのです。同志とは、文字通り志を同じうする人たちということです。で、私が、そうした態度を執ったなら、同志はみな私に背を向けるでしょう。しかし、私にとっては、百人の同志より一人の自分の方が大事です。敵からも味方からも捨てられて、よし監獄の門を跨いだ刹那に自殺をしようとも、私は、今の自分を獲得する必要があるのだ。ノラは人形の家を捨てる。それだけで好いんだ。……私は、その時、そう思ったのです。
 お役人さんおよび弁護人諸氏も、私はこのおしゃべりの最初で、いわゆる理想てなものを否定する。そして自分の上に「こうせねばならぬ」などいうヒチ面倒ないわゆる「使命」なんかは認めない。私の行為の法則は「自分は今こうしたいからこうする」の一言に尽きる。すなわち、私は、自分の行為のすべてを等しき値いにおいて認めるのです。
 こういえば、もう後はお判りだろうと思います。つまり、私は、かつて自分を疑うた。そしてその時自分は独りになるべきであった、と後に気がついた。そしてそのためにお役人に頭を下げようか、とも思ふて見たが]、到頭下げるんだ。しかし、それらはすべて、そうしたとしても、私にとっては当たり前のことであり、そうしなかったとしても、やはり私において当たり前のことなのだ。みなさん。お判りですか?
 私は最後にいいます。私は外の事情からいえば[犠牲になるのだ。私は決してその事実に眼を反らしもせねば、体の好い瞞[だま]かしもしはしない。私は大胆にそれを肯定する。が、しかし、私は今、そのことをかなしみもせねば、悔いもしない。至極穏やかな気もちで、自分のすべてを肯定し、しかして自分のすべてを否定している。
 も一つ、私は過去において、また現在において、大逆の名をもって呼ばるべき思想をもっていた、またもっている。そしてそれを実行しようとしたこともある。なお、自分のそうした言動に、反省する余地はない、他人に対してはいうまでもなく、自分自身に対してすらそのことをここで改めていっときます。
 そこで、こうした私の態度に発せられたと憶える昨日の上村氏の御質問に対し、徹底的に答えておきます。上村氏は、私が「もうどうせここまで来たのなら」という風な気もちでお役人の訊問に応じたことはなかったか、とのお訊ねでしたが、その先がちと曖昧だった。「もうどうせここまで来たのなら、エラク見えるようにやってやれ」というのか、または「もうどうせここまで来たのなら、面倒臭い、ギロチンまで行っちまえ」というのだか。で、その二つともに答えます。
 私は決して、自分が売名欲をもっていないとはいいません。いな、タツプリもってるでしょう。しかし、お役人の訊問に対する時、そうした気もちに動かされて答えることは、まずはないような気がします。
 それから第二の意味については、こうお答えしましょう。大して生に興味を持っていない私のことです。あるあはそうした気もちに動かされたことがあるかも知れん。しかし、いくら強がっても人間はやっぱり生きたいのだ。で、あるいはなかったかも知れん。が、なんとしても、私はその時、自分がそういうこと欲したからそういったのだ。つまり、いうべくしていったのだ。で、よしんばそれがエラク見せようという幼稚な虚栄からであったとしても、または強がりの痩せ我慢からであったとしても、私はそのことについて、だれにも義務を負はない。私はただ、私自身に質して見さえすればそれでいいのだ。
 弁護人諸氏、“私はかく歌い、かく踊ります。それについての御判断は全く諸氏の御自由です。”
        ✕
 これで私のヨタはお終いです。
 ところで、書記さんは私の利益のためにこれを書いてほしい、という風な御要求のよう、伝え聞きましたが、それに応じた私は決して、裁判所に対して自分の謂いわゆる利益を主張するために書いたのではありません。
 現にここに、監獄のお役人を前に置いて私はいいます。──
 私は朴を知っている。朴を愛している。彼におけるすべての過失とすべての欠点とを越えて、私は朴を愛する。私は今、朴が私の上に及ぼした過誤のすべてを無条件に認める。そして朴の仲間に対してはいおう。この事件が莫迦げて見えるのなら、どうか二人を嗤ってくれ。それは二人のことなのだ。そしてお役人に対してはいおう。どうか二人を一緒にギロチンに投り上げてくれ。朴とともに死ぬるなら、私は満足しよう。して朴にはいおう。よしんばお役人の宣告が二人を引き分けても、私は決してあなたを一人死なせてはおかないつもりです。──と!
                   [以上]

 

《原文》

    公判調書 (第二囬)
     被告人 朴 準 植
     同   金 子  文 子
右両名ニ對スル刑法第七十三條 及 爆發
物取締罰則違反被告事件ニ付 大
正十五年二月二十七日 大審院第一特
刑事部法廷ニ於テ
  裁判長 判事 牧野菊之助
      判事 栁 川  勝 二
      判事 板倉松太郎
      判事 島 田  鐵 吉
      判事 遠 藤 武 治

    補充判事 中 尾  芳 助
   裁判所書記 戸澤五十三
   裁判所書記 中 村  文 彦
列席ノ上
檢事 小山松吉 檢事 小原直 立會
公開セスシテ對審ヲ續行ス
被告人両名ハ出頭シ 身体ノ拘束ヲ受
ケス
弁護人 新井要太郎 同 田坂貞雄
同 布施辰治 同 山﨑今朝弥 同
上村進 同 晋直鉱 同 中村髙一
出頭セリ

裁判長ハ
  前回ニ引続キ審理スル旨
  ヲ告ケタリ
被告人 金子文子
  前回 裁判長ノ問ニ対スル
  同人ノ答ノ内 金重漢ニ關
  係セル答ニテ豫審ニ於ケ
  ル陳述ヲ変更シタル点ニ
  付 同人ノ氣持ガ裁判所
  其他 弁護人ニモ了解セ
  ラレサリシ様 思考シ 書

  面ニ認メ来リタルヲ以テ 朗
  読シ度旨申立 裁判長
  ハ之ヲ許可シタルニ 別氏分ノ
  書面ヲ朗讀シタル後 該
  書ヲ提出セリ

↑p. 695

[別紙]

   二十六日 夜中

 昨日云つ多[=た]或る奌に就いて、其の意味嘉[=か]よく解り兼ねる可[か]ら、[×其のベ×]<改め>□書いて来て欲しい、と云ふ風な注文を書記さん可[か]ら受けました能[=の]嘉[=か]私<自身>も今日の[×具合×]<形勢>で、[×其処□×]私の實<の気持ち>嘉[=か]お役人には云ふまでもなく、肝心の弁護人諸氏にさへよくは解つて居ないらしいと思へましたので、理解されるさ[×□×]れんはどうでも構はんとして、私自身云ふだけは云つて置き多[=た]いと思ひ、疲れた体でペンを執ります。
 其の或る奌とは他でも無い。私嘉[=か]豫審廷で

の自分の陳述の一部を今日公判廷で覆した箇処です。嘉[=か]其れに先立つて云つて置き多[=た]い事は、前に云つ多[=た]言葉も私自身の言葉であり、今云ふ言葉も私自身の言葉である。嘉[=か]而も其の二つの言葉は異つて居る。だ嘉[=か]其れは共に私自信[ママ]の监視の下に<私自身の自由意思[×□□×]<をも>つて>云はれた言葉であつて、其処に、今まで私を調べ多[た]御役人方の意志の強制など嘉[=か]加へられてない事を、弁護人[×□□□□□□×]諸氏の前に明ら可[か]にしときます。そして私自身は其の

間の消息を明ら可[=か]にする事によつて、自分嘉[=か]他人の意思などに左右される意久地なしではない、私はちやんと私自身の意志をもつてる<のだ>と云ふ事を宣言しときます。
 其処で、最初に、ちよつと私の「生き方」をお話して見ます。──
 私は、謂ゆる「理想」てなものを認めません。[×□□×]理屈を云ふなら、理想てなものを否定する事が私の理想です。何となれば、私は斯ふ思つて居ります。形有るものも無いも

のも凡ては全く相反し多[=た]二つのものより成り立つて居る。そして其の二つは存在するてふ條件の前に、離すべ可[=か]らざる交渉を持つて居る─==とね。私は今、自分の目に觸れる、又頭に浮ぶ事の一つをとつてぢいつと瞶めて見ます。縦可[=か]ら横可[=か]ら斜可[=か]ら。私は其処に、一つ又は三つ可[=か]ら成り立つて居るものを見出し得ない。皆二つなのです。一つ嘉[=か]必ず<他の>一つを支へて居るのです。そして其の支へてるものは支へられてるものとは全く別な、正反対なもの

↑p. 739

なのです。光と影、悦びと悲しみ、□□云ふ風にね。其の巧妙さ、ほど〱感心したくもなる。此処の処を神秘的に宗敎的に考へると『地上に於ける譃悪醜は真善美とのコントラストに於て、真善美をしてより真善美ならしめん嘉[=か]爲に存在し、譃悪醜其ものはや嘉[=か]て真善美に更改されん嘉[か]爲の存在である』てな理屈の生れて来る訳だ。つまり、不完全の彼方に完全を豫想するんですね。而し、そんな事は苦し紛れのこじつけに過ぎん。完全にな

つ多[=た]ら何も彼もお終ひだ、と斯ふ私は断定します。從つて私は、人間の上に、否自分の上に「天職」と可[=か]「使命」と可[=か]云ふものを認めません。つまり、[×私の行爲□□×]「自分は今斯うやり多[=た]いから斯ふやる」これ嘉[=か]、私にとつて自分の[×生活×]行爲を律すべく唯一つの法則であり命令です。もつと判り易く云ふと、私の行爲<の凡て>は、「私自身さふし多[=た]い可[=か]らさふする」と云ふ𠀋の事であつて、他人に対しては、「さふせねばならん」とも「さふあるべ

きだ」とも云ひません。私は思ふんです。私嘉[=か]私自身の事を考へ、私自身の道を歩む爲に、私自身の頭と足とを持つてるやうに、他人も亦自分の頭と足とをもつてる筈だ==つまり、私は、自主自治──凡ての人嘉[=か]自分の生活の主となつて、自分の生活を正しく始める処に、可[=か]す可[=か]な嘉[=か]ら私の好きな社会の[×□□×]幻を描いて見る気にもなるのです。
 [×其処で×]私嘉[=か]、自分の行爲に要求する凡ては、自分可[=か]ら出で、自分に帰る。つまり、

ピン可[=か]らキリまで自分の爲で、自分を標準とする。從つて私嘉[=か]「正しい」と云ふ言葉を使ふ時、其れは[×全□×]完全に「自律的」な意味に於てヾある事を断はつときます。<其処で私は今日も申した通り、自分嘉[=か]何主義だ可[=か]、何思想だ可[=か]知らない。私が知つて居る事は「自分は斯ふ思つて居る」と云ふ[×□×]だけだ。嘉[=か][×□□×]若し>
 [×此処で私は□で□×]此処までの私の考へ方に、便宜上ちよつと客観的に断定を下[×すなら×]<して貰つて見るなら、私は多分、個人主義無政府主義者と呼んで差し支へな可[=か]らうと思ひます。何となれば、説明するまでもなく、国家[×や政府×]と個人とは相容れない<二つの>存在である。国家の繁栄の爲には個人は自分

↑p. 740

の意志をもつてはならない。個人嘉[か]自身に目覚める時、国家は倒れる。[×私□×]無論私は、内可[か]ら燃え上る秩序ならざる秩序、否真の秩序以外に、国家だの政府だのの干渉を[×□□□□□□□□□□×]<お断りし>たいのです。
 其処で金翰<兄>との関係は、今日云つ多[=た]通りの意味に於て認めます。ですから其れに就いては改めて云ふ必要もな可[=か]らうと思ひます。嘉[=か]、只一つ、私は何時ぞや、私[×□×]に絡る此の事件に因つて或るお役人から「軽薄である」との

断定を受け多[=た]。私は有嘉[か]多[=た]く拝領します。と同時に私は[×□□□□□□□□×]云ひます。私嘉[=か]軽薄であるとはどう云ふ意味か? 夛分、私嘉[=か]後で自身疑ふやうな事をしやうとしたの嘉[=か]軽率である、と云ふ意味であらう、と私は解釋します。お役人嘉[=か]さふ思はれるのは無理もない。広い意味に於て私共の同志を以つて自任する人たち、謂ゆる『至極思慮深いネオ・インテリゲンチヤ』たちもよくさふ云ふ事を云はれます。而し、私は其の人たちに伺ひ多[=た]

い。現に自分が考へて居る事嘉[=か]、果して間違つて居る可[=か]否かを試驗するには如何嘉[=か]致したらよろしふございませう可[=か]?と。合憎と私共は、私は『自分で其れを実行して見る』と云ふ以外には、其れを試すべく適当な方法を持ち合せて居ません。私はリアリストです。そして実行家です。何につけても、自分嘉[か=]考へ、自分嘉[=か]云ふだけの事は方つ端し可[=か]ら実行します。少なくも、実行して見やうとして来まし多[=た]。定[×□×] 義して言葉や、立派な論理嘉[=が]私

の前に、[×□□×]市を爲して居る。だ嘉[=か]実行出来ないやうな言葉ぢや仕やう嘉[=か]ない。[×□□×]して、実行の試[×験×]<練>を経てこそ、其処に始めてよりしつかりし多[=た]ものは生れる。だ可[=か]ら、私はずん〱実行して見ます。して、固定ではなく、流動に自分の生命の成長を求める私は、明日を慮んぱ可[か]つて今日云ひ多[=た]い事を我慢する程悧巧ではありません。と同時に、昨日云つ多[=た]事に縛られて今日云ひ多[=た]い事を引つ込める程[×□□×]囚らはれては居りません。從つて、私は

↑p. 741

斯ふ云ひます。私は今、長つ多[=た]らしく喋舌つて居る。だがこれは『今の自分は斯ふ思つてる』と云ふので『明日の自分も斯ふ思つてる』とは云はない。否、云ひ得ない。明日の私が今日の私である可[=か]も知れん。無いかも知れん。若し、あつたら、私はその時改めて『今日の言葉』として云ふだらう。若しなかつ多[=た]ら? いや、無くても、私は『自分は昨日間違つて居多[=た]』などゝは云はない。其の事に就いて、個人にあやまりもせねば、別に義務と覚えない。

 私は斯ふ云ふ𠀋です。
  『昨日自分は斯ふ思つて居た。だ嘉[=か]、今日自分は斯ふ思ふやうになつ多[=た]。自分は自分によりシツクリと合つた道を見出し多[=た]。だ可[=か]ら自分は今、其の新しい道へと[×突□□×]胸を張つて突き進んで行可[=か]うとするのだ』とね。
 つまり、私は、立ち止つて自分の足跡を振り返つ[×□×]<て見た>時、其の足跡の一つ々々が、自己意識のクライマツクスを示す烙印である事を、自分に対する唯一の義務だ、と思つてるのです。

で、私は、自分の考へて居る事は、何処までも頭の及ぶ限り疑ひます。疑はうとして居ます。其れは、自分の爲です。
 其処で、事件の方へ戾ります。──
 昨[×□×]日もお話し多[=た]やうに、私は、自分の信念を実行すべく、金翰兄との間に爆彈入手の交渉をし多[=た]。嘉[か]而し、金翰兄の方の手違ひで駄目になつ多[=た]。其の時、いろ〱な爆彈の写真を見て、私は、腕を拱んで狹い部屋の中をあつちこつちに歩き廻りながら考へた。

  『私は確にあゝし多[=た]計畫をし多[た]。だ嘉[=か]、其れは單な[ママ]權力への叛逆てふ心地好い想像に、謂はゞ幻惑され多[=た]爲ではな可[=か]らう可[=か]? [×其れは×]若し今[×□□×]此の私の目の前に爆彈嘉[=か]あつ多[=た]としたら──私はどうしたらう? 私は、自分以外の何ものにも囚はれてはならん。私嘉[=か]求めるのは自分に於ける真だ。私はしつ可[=か]り考へなくちやならない』──と。
 ちよつと断つときます嘉[=か]、これは私の今の考へではない。其の当時、つまり、私嘉[か]はた

↑p. 742

ちの一二月頃の考へなのです。
 其処で、今日、上村弁護士嘉[か]、其の心の状態嘉[か]其の後どの位續いた可[=か]、とお訊ねでし多[=た]嘉[か]、而し、私にあつて其の心に決定を促すべく機会をもたなんだ爲に、其の奌に就いてはシ[×ツ×]カ[×リ×]と記憶して居ません。
 其れで、私は、此の事件嘉[か]発覚して後気がつい多[=た]のです。私は、自分に疑ひをもつ多[=た]其の時、[×私は×]何処までも自分を追求すべきであつ多[=た]。そしたら私は夛分朴との間に隔りを見

たらう。朴と私とは一緒に居た。だ嘉[か]、其れは二人の生活ではない。一人と一人との生活である。どんな個性にも他の個性を吸收して了ふ權利はない。朴嘉[か]朴[×□×]の道を歩むやうに、私も亦私の道を歩む。自分の[×□□×]世界にあつては自分嘉[か]絶対だ。私嘉[か]自分の道を、誰にも邪魔されず、真つすぐに歩みつゞける爲には、私は独りになるべきだつ多[=た]のだ、と。
 これは、私の事です嘉[か]、一方朴はちつとも変つて居ない。[×□□□、□□□□□□□□□×]

其の爲に金重漢兄に又あゝし多[=た]話をし多[=た]。処嘉[=か]、危憚なく云へば、其の人選を誤つた<嘉[か]>爲に、私共は斯ふなつ多[=た]。嘉[か]而し、其の時朴は私に相談しなんだ。全く自分の独断でやつ多[=た]。で、つまり私にして[×□□□×]外の事情可[=か]ら見れば、全く、他人の過失の犠牲になる訳だ。嘉[=か] [×と云つ多[=た]処で□一お断りしてき多[=た]り事は×]さふと知りつゝも、金翰兄との交渉や、尚私自身を省みてさふし多[=た]計畫を生む思想をもつて居る嘉[=か]故に、犠牲多[=た]らうとして居る自分を

救い出す事も出来無い。
 と云つ多[=た]処で、ちよつとお断りしときます嘉[か]、私は朴[×□×]を信頼して居た。今でも信頼信頼して居る。ちつとも変つて居ない。で若し其の時朴が私に金重漢兄との事を相談したと仮定して、私が果して反対し□可[=か]どう可[=か]は[×解□×]疑問だ。いや、怖らく信頼して任せたらう。此の奌特に弁護人諸氏に対して、私の云はうとして居る気もちへの[×了×]<理>解を望みます。即ち、私は[×□×]自分嘉[=か]斯く失敗し多[た]事に就いて、彼是

↑p. 743

悔ゆるのではありません。[×私は□×]只、其の失敗が自分の意志に基く失敗でな可[=か]つ多[=た]事を、自分の前に限りなく恥じるのです。謂ゆる『犠牲』を蔑みつゝ、而も私自身『犠牲になるのだ』と云ふ程の自覚さへなしに犠牲になる事嘉[=か]堪らなく恥可[=か]しいのです。今まで私嘉[か][×誰にも×]黙つて居た事を<斯ふして>突然[×斯ふし多[=た]大勢の方々の前で□□□に×]ぶちまけるのは、全く、さふし多[=た]気もちからで、私自身僞つたまゝ終るの嘉[=か]辛可[=か]つ多[=た]可[=か]らです。そして、此の事は、

むしろ自分に対しての告白です。
 私は今まで、此の事を誰にも黙つて居た。お役人に対しても、此の奌のみずつと嘘を云ひ通し多[=た]。其れは、[×今日×]<昨日>お話し多[=た]通り、余程私の思想や性格を理解し多[=た]人でないと、私の云ふ事を正しく解釋し得ない。[×其れは□□ (以下4行破棄) ×]

とも一つは、繰り返します嘉[=か]、其の事を考へる[×□×]度に、私はいつもイプセンの人形の家のヘルマンを思い出し多[=た]。即ち、朴嘉[=か]私にさふした事を相談しなかつ多[=た]と云ふ事[×を×]<に就いて>私が後になつて<朴を>責めるのは、実は相談されなかつた事を責めるのではなく、其<の結果>嘉[=か]自分の思惑に外れた事を責めやう[×□×]として居るのだ。何となれば、私は自分に問ふて見やう。朴嘉[=か]自分の意志を以つて二人の事をした。其の結果嘉[=か]テツキリ私の思ふ通りに運

んで、而して成就し多[=た][×□×]と仮定する。[×□×]其の時私は果して朴に対して、其の事を豫め私に相談しなかつた事を責めたらうか?と。ノオ〱、私は<あべこべに>悦んだらう……[×□×]斯ふ考へて来る[×□×]と、私は朴に堪らなく済まない気嘉[×か×]し、同時に、自分のケチなみすぼらしいエゴイステイツクな気もち嘉[=か]恥かしくなる。そして又、朴自身の立場に自分を置いて考へて見る。して思ふ。誰が失敗を豫想して事をしやう。[×□□×]凡てはやるべくやつ多[=た]のだ。結果は

↑p. 744

全く偶然に過ぎん。どんな事でも、失敗した後可[=か]ら見れば、[×□□□×]<みな>莫迦げて見えるものなのだ…… 此処で、ちよつと今日の布施上村二氏に私からお答へしたいのです嘉[=か]、金翰兄と私共との関係嘉[=か]余りにも漠として居ると云はれた。[×□法律的に見□ば□□□申さな□□□□□□□×]<だが私等自身を振り返つて見た時、さふ誰でも彼でも嘉[=か][×考えさふな□□×]もちさふな考へ可[=か]ら、[×行動×]行動しやうとしたのではな可[=か]つたつもりだ。><而し>失敗し多[=た]、と云ふ此の事実は、

其処に失敗すべき何かのあつ多[=た]事を私自身認めずに[×□×]<は>居れない。此の失敗てふ結果の前に、私は何も弁解したく在りません==と。
 其処で、金重漢兄との[×關係×]<交渉>に於ける私の立場は以上の通りで、して当の朴に対してはさふ云ふ風に考へて居るのです嘉[=か]、而し、知らない事は何処までも知らない。何時でも私は自分自身を正しく生可[=か]さねばならん。此の事件が大審院へ廻されるらしい事を知つ多[=た]時、私はずい分[×□×]悶えまし多[=た]。約一ヶ月[×□×]<ば>

かり御飯もろく〱咽喉を通らず、皆可[=か]ら痩せ多[=た]と云はれ多[=た]程苦しみまし多[=た]。
 私は若いのです。私の身内には、過去の苦しい境遇に[×□×]鍛へ上げられた力強い生命嘉[=か]高鳴つて居る。私は、自分の意志なき失敗の犠牲などにはなりたくない。よし其れ嘉[=か]等しく失敗に終らうとも、[×私×]兎も角私は自分の力を試して見たい。手足をぐんと伸して見たい。
 で、私は思つ多[=た]のです。私が私自身を自分の手に取りす爲には、現在の立場から脱

け出さねばならん。形の上に自由な体にならねばならん。其れで、私は、[×自分の意志に反して、×]或る時など、お役人の前に改悛の意を表して、如何なる屈辱にも忍んで、なるべく早く出られる工夫をして[×□×]見やう、と思つ多[=た]事さへあつ多[=た]のです。私の後には同志と云はれる人たち嘉[=か]沢山ついて居ります。親[×さへ×]<と可[=か]>親類と可[=か]云ふ人たち[×は×]<さへ>手紙一本寄越さない私の[×二×]足かけ廿四年の囹圄の生活を経済的に又精神的に支へて居てくれるのは、全く此の同志

↑p. 745

たちなのです。同志とは、文字通り志を同じうする人たちと云ふ事です。で、私嘉[=か]、さふした態度を執つ多[=た]なら、同志は皆私に背を向けるでせう。而し、私にとつては、百人の同志より一人の自分の方が大事です。敵可[=か]らも味方可[=か]らも捨てられて、よし監獄の門を跨いだ刹那に自殺をしやうとも、私は、今の自分を獲得する必要嘉[=か]在るのだ。ノラは人形の家を捨てる。其れだけで好いんだ。……私は、其の時、さふ思つ多[=た]のです。

 お役人さん及び弁護人諸氏も私は此のおしやべりの最初で、謂ゆる理想<てなもの>を否定する。そして自分の上に「斯[×く×]<ふせね>ばならぬ」など云ふヒチ面倒な謂ゆる「使命」なん可[=か]は認めない。[×□□□□□□□×]私の行爲の法則は『自分は今斯ふし多[=た]い可[=か]ら斯ふする』の一言に盡きる。即ち、私は、自分の行爲の[×一切を×]凡てを[×同×]等しき値ひに於て認めるのです。
 斯ふ云へば、もう後は[×云はずとも×]お判りだらうと思ひます。[×□□×]<つまり>、私は、曾て自分を疑

ふた。そして其の時自分は独りになるべきであつた、と後に気嘉[=か]つい多[=た]。そして其の爲にお役人に頭を下げやう可[=か]、とも思ふて見た嘉[=か]、到頭下げるんだ。而し、其れ等は凡て、さふし多[=た]としても、私にとつては[×□□□×]当り前の事であり、さふしな可[=か]つ多[=た]としても、やはり私に於て当り前の[×□×]事なのだ。皆さん。お判りです可[=か]? [×私は□□みます。×]

 私は最後に云ひます。私は外の事情可[=か]ら云へば[×□□「□×]犠牲になるのだ。私は決して其

の事実に眼を反らしもせねば、体の好い瞞可[=か]しもしはしない。私は大膽に其れを肯定する。嘉[=か]而し、[×□×]私は今、其の事をかなしみもせねば、悔[×□×]<ひ>もしない。[×私は、×]至極穏な気もちで、自分の凡てを肯定し、而して自分の凡てを否定して居る。
 も一つ、私は過去に於て又現在に於て、大逆の名を以つて呼ばるべき思想をもつて居た、又もつて居る。そして其れを実行しやうとした事もある。尚、自分のさふし多[=た]言動に、

↑p. 746

反省[×□×]する余地はない、他人に対しては云ふまでもなく、自分自身に対してすら其の事を此処で改めて云つときます。
 其処で、[×此×]かふした私の態度に発せられ多[=た]<と憶える>昨日の上村氏[×□×]の御質問に対し、徹底的に答へて置きます。上村氏は、私嘉[=か]『もうどうせ此処まで来多[=た]のなら』と云ふ<風な>気もち[×□×]でお役人の訊問に應じ多[=た]事はな可[=か]つ多[=た]可[=か]、とのお訊ねでし多[=た]嘉[=か]、その先嘉[=か]ちと曖昧だつ多[=た]。『もうどうせ此処まで来たのなら、エラ[×□×]<ク>見えるやうにやつてやれ』と云ふの可[=か][×或は×]又は『もうどうせ此処まで来多[=た]のなら、面倒臭い、ギロチンまで[×□×]行つてちまへ』と云ふのだ可[=か]。で、其の二つ共に答へます。
 私は決して、自分嘉[=か]賣名欲をもつて居ないとは云ひません。いな、タツプリもつてるでせう。而し、お役人の訊問に[×應□×]対する時、さふし多[=た]気もちに動かされて答へる事は、まずは無いやうな気嘉[=か]します。
 其れ嘉[=か]ら第二の意味に就いては、斯ふお答

へしませう。大して生に興味を持つて居ない私の事です。或はさふした気もちに動可[=か]された事が有るかも知れん。[×□×]而し、いくら強嘉[=か]つても人間はやつぱり生き多[=た]いのだ。で、或はな可[=か]つた可[=か]も知れん。嘉[=か]何としても、私は其の時、自分がさふ云ふ事を欲した可[=か]らさふ云つ多[=た]のだ。つまり、云ふべくして云つ多[=た]のだ。で、[×其□嘉[=か]×]よしんば<其れ嘉[=か]>エラク見せやうと云ふ幼稚な虚栄可[=か]らであつ多[=た]としても、又は強がりの痩せ我慢可[=か]らであつたとしても、

私は其の事に就いて、[×□×]誰にも義務を負はない。私は只、私自身に質して見さへすれば[×□□×]其れで好いのだ。
 弁護人諸氏、“[×□□□ 私□□□×]私は斯く[×□×]歌ひ、斯く踊ります。其れに就いての御判断は全く諸氏の御自由です。”
        ✕
 これで私のヨタはお終[×□×]ひ[×□×]<で>す。
 処で、書記さんは私の利益の爲に<これを>書いて欲しい、と云ふ風な御要求のやう、傳へ[×□□□×]

↑p. 747

[初め2行破棄、1行空白]
聞きまし多[=た]嘉[=か]、其れに應じ多[=た]私は決して、裁判所に対して自分の謂ゆる利益を主張する爲に書いたのではありません。
 現に此処に、监獄のお役人を前に置いて私は云ひます。──
 私は朴を<知つて居る。><朴を>愛して居る。[×彼に於ける×]彼に於け[×□×]る凡ての過失と凡ての欠奌

とを越えて、私は朴を愛する。私は今、朴嘉[=か]私の上に及ぼし多[=た]過誤の凡てを無条件に認める。そして朴の仲間に対しては云はふ。[×私は×]此の事件嘉[=か]莫迦げて見えるのなら、どう可[=か]二人を嗤つてくれ。其れは二人の事なのだ。そしてお役人に対しては云はう。どう可[=か]二人を一緖にギロチンに投り上げてくれ。朴と共に死ぬるなら、私は満足しよう。して朴には云はう。よしんばお役人の宣告嘉[=か]二人を引き分けても、私は決してあな多[=た]を一人死なせては置かないつもりです。──と!

   [余白書き込み=]□□□……す。

                  [以上]

↑p. 748

 

再審準備会 編『「最高裁判所蔵」 金子文子 朴烈 裁判記録 刑法第 73 条ならびに爆発物取締罰則違反 付 参考資料』1977 年、黒色戦線社、p. 695, pp. 739−748  https://iss.ndl.go.jp/sp/show/R100000002-I000001371351-00/