花柳病の積極的予防法
第11軍第14兵站病院
陸軍軍医少尉 麻生 徹男
[中略]
二、娼婦
昨年1月小官上海勤務中、一日命令により、新に奥地へ進出する娼婦の検黴を行ひたり。この時の被検者は半島婦人80名、内地婦人20名余にして、半島人の内、花柳病の疑ひある者は極めて少数なりしも、内地人の大部分は現に急性症状こそなきも、甚だ如何はしき者のみにして、年齢も殆ど20歳を過ぎ、中には40歳になりなんとする者ありて、既往に売淫稼業を数年経来し者のみなりき。半島人の若年
齢且つ初心なる者多きと興味ある対象を為せり。そは後者の内には今次事変に際し応募せし、未教育補充とも言ふ可きが交り居りし為めならん。
一般に娼婦の質は若年齢程良好なるものなり。即ちミュンヘン市における検査にては、2,686人の娼婦中、花柳病に罹れる者は26.5%に及び、年齢別にせば
16歳以下の者 19
17歳~18歳 104
18歳~21歳 239
21歳~30歳 281
且つ該市未成年者にして3ヶ年間に判決されし年若き娼婦の中にて花柳病を受け居たりし者は
15歳 55.0%
16歳 61.5%
17歳 68.6%
にして、若年程罹患率は少なり。又、スツトガルトの娼婦565人にては
14歳~21歳 55.0%
ミユンヘン市に於ては1908年23.5%、パリー市に於ては58.5%となれり。又、昭和7年、福岡県に於ける年齢40歳までの調査にて、20歳以下の者の数は
芸妓 56.3%
娼妓 29.1%
酌婦 44.6%
女給 46.5%
を示せり。即ち娼婦の約半数は年齢20歳以下と言ふを得べし。故に若年の娼婦に保護を加へる事が重要にして、意義ある事なり。されば戦地
へ送り込まれる娼婦は年若き者を必要とす。而して小官某地にて検黴中屡々見し如き、両鼠蹊部に横痃手術の瘢痕を有し、明らかに既往花柳病の烙印をおされし、あばずれ女の類は敢へて一考を与へたし。此れ皇軍将兵への贈り物として、実に如何はしき物なればなり。如何に検黴を行ふとは言へ。
一応戦地へ送り込む娼婦は、内地最終の港湾に於て充分なる淘汰を必要とす。まして内地を食いつめたが如き女を戦地へ鞍替えさす如きは、言語道断の沙汰と言ふ可し。
此れと類似せる問題として、現地支那の娼婦、及び難民中の有病売淫者への黴毒性疾患の浸潤、驚く可きものあるが如し。此れ等に対しては、軍として若し必要なら軍用慰安所として我が監督下に入るるか、
然からざる者に対しては断乎として処置す可きなり。
独乙[ドイツ]、ケルン市の守備兵間に一時花柳病が蔓延し、特に厳重なる検黴も効果なく、罹患者22%と言ふ高率を示せり。此れ即ち私娼の跋扈によるものなりき。
此の為め該市にては英米の先例にならひ女警官を置き、この粛清にあたらしめ著効を奏したりと言ふ。ここに注意す可きは、支那娼婦の内或る者は予防法、殊にコンドームの使用を忌避し、其の甚しきは之れを破棄すと。此れ敵の謀略により戦力の消耗せらるると同一結果たり。
三、検黴
花柳病蔓延、容易なる伝染、及び其の撲滅の困難なる重大原因としては、淋疾の根治し難きにあり。しかも此れが一度び婦人の下腹諸臓器に喰ひ込みし場合を考へ
んか、思ひ半ばに過ぎるものあらん。されば検黴は無効のものならんか。今日までの文献に徴するに、所謂検黴制度を有する公娼と密売淫より受くる感染率は両者相伯仲し、あたかも検黴無用論を証明せる如き感あり。されば小官は今此所に検黴につき一考察を与へ見ん。
其の歴史的起源は古く、既に1162年、倫敦[ロンドン]市外のサウスワークの遊郭に対するウインチエスター僧正の命令書なるものあり、1413年及び1469年にチユーリツヒ及びルツエルン市会の之れに関する規定あり。其の後、1828年に至り巴里[パリ]市に於て娼婦の登録を行ひ、之れにより医師の監督を受く可く統制せり。かくて今日の検黴制度の基礎確立を見たり。
然るに1908年、ヘヒトは其の売淫者の一小部分、即ち僅々5%或は10%にしか及ばざるが如き検黴
は全く無用なりと唱へ出せり。彼のみならず、今日にても無用論を唱へる者、少なしとせず。彼等は登録娼婦数は売淫婦全体数に比し全く少数なりと言へり。数の判明せる伯林[ベルリン]、ケルン、巴里市等にては、此れ等密淫者は公娼の7乃至10倍に達せりと。恐らく今日の日本内地にても同様ならん。然かも今、戦地にても其れと類似せる現地密淫者の出没を認め得るも、対極より見、軍は其の統制下に置く特殊慰安所を設置する故、此の検黴[無]用論は全く適用されず、且つ最近の報告によれば、ニユルンベルヒ及びボヘミヤにて瀕回なる検黴が効を与[→挙]げたりと言ふ。而して検黴が有効なりとても、其の当を得らずば更に一歩進める弊害を生む。即ち検黴効果の衛生的全幅的発揚を望まば、其の後に来る罹病者の隔離、治療こそ必須のものなれ。
此れを伴はざる検黴は全く有名無実の甚だしきものなり。小官は某地在勤中、此の点痛切に感ぜしものなりき。此の頃までは軍には此れに対する一定の方針無く、唯出来得る所にては大都市にある地方人医院に治療を依頼するに止まり居れり。其の後一年有半は過ぎ、小官も該検査より遠ざかる事、永きに亘るを以つて、目下の状況には詳らかならざるも、此の検黴の後に来る治療の徹底無きとせんか、そも検黴は何の為めぞ。宜しく軍は此の為めにも一つの確たる統制を必要とす。
次ぎに、有り得べからざる事なるが検黴の弊害として見逃せ得ざる一事あり。即ちその検査者と営業者乃至被験者感の情実問題なり。この有名なる例として欧州にてはリール事件あり。蓋し闇の世界の背後に立つ者は時に侮る可からざる権力を有する事あり。
少くとも軍用特殊慰安所内にては、かくの如き事実はなしと思ふも、吾人には之れより教へらるる事は多々あり。即ち検査、監督の位置にある者の個人的登楼或ひは接娼の如きは一考を要す可き問題なり。まして其の職権を濫用し、其の間、何事か画策する所あるは遺憾千万なり。又、単に好奇心をそそり、其の道に全く無定見の者、検査を行ふ如きは言語道断と言[ふ]可し。
更に娼婦の検査と共に妓楼の検査も必要とす。
小官某地勤務中、2ヶ所の妓楼の検査を行ひたるが、其の一つは新たに軍用特殊慰安所として建造せるバラツク式家屋にして、各室に洗滌所を有し、切符発売所、出入口其の他の諸設備、殆んど理想に近く、他は支那家屋を利用せるものにして、其の室区分、
洗滌所等の諸[施]設、意の如く行かず、果せる哉、其の開設后、両地にて感染せりと称する患者は極く小数なりとは言へ、其の後者にて殆ど占められありしは注目に値す。斯くする事によりて検黴の成績は統制下にある軍用妓楼に於ては挙げ得るものなり。然れども其の成績を過信し、一般兵間に売淫の危険を軽視さす可からず。
四、アルコール飲料
古来、酒と女は附きものと言ふ可し。酒は百薬の長にはあれ、凡そアルコールの薬理的作用の人体に及ぼす第1期に於て、抑制作用が無くなり、従つて道徳的批判能力が落ち目となる。かくて平素、素面にては能はざる者にも平気にて花柳の巷へ
歩を入れ得る結果となる。又、ポテンツが下る故、行為時間も永くなる。斯くて自ら花柳病罹患の危険に身を曝す事態を招来す。且つ所謂酒機嫌と言ふ代物にて、万事気が大となり、予防的操作、予防剤の使用を放擲す。ロムホルトにより「アルコールは保護剤の使用を喜ばず」と報告せられあるが、実に宜なる哉。アルコールと花柳病との関係は近来、諸方面にて調査せられ、フォーレルによれば、182人の男子にてアルコール状態にて花柳病を得し者は76.6%、ラングスタインによれば179人の女子にて43.8%、さらにメーラーは1,225人中17.7%、ヘヒトは1,000人中にて43.0%と報ぜり。
更に興味あるはワインが700名の男子につき調査せる所、独身者にて30.0%、妻帯者にて51.0%
となれり。之れ即ち妻子あり、分別ある男は到底酒無しに、斯くの如き冒険は敢へて為し得ざるものならん。
軍隊の娯楽所よりアルコールを遠ざけば著しく花柳病が減少すとは、英国軍隊の統計が示せり。即ち収容患者1,000人に対する割合は、
年次 アルコール性疾患 花柳病
1886~1890 3.1 207.8
1891~1900 2.1 143.7
1901 2.6 95.6
1902 2.6 110.2
1903 1.5 109.1
1904 1.3 107.6
1905 1.2 90.5
1906 1.7 99.4
1907 1.4 84.4
1909 0.7 68.4
1901~1909 1.8 102.6
1906~1909 1.15 79.4
此れによれば、アルコールに因る疾病が減少せば花柳病亦減少するが明白となれり。又、ストツダートの報告によれば、マツサユセツト[マサツユセツト?]州にては禁酒令発布以来、花柳病の数は低下せりと。イクテマンの報告によれば、レイニングラードの花柳病伝染の25.0%は飲酒の結果なりきと。然るに一方、米国の軍隊にて1900年以来、酒保に於てアルコール飲料を全く厳禁したる結果、士卒は止むなく酒場やカフェーに行く状態となり、却つて花柳病の増加を見しと言ふ。この点、細心熟慮せざれば龍頭蛇尾の類となる。何れにせよ花柳病の伝播にアル
コールは重大なる役割を有する事実は何人も否むを得ず。然かも一旦罹つた花柳病の経過に及ぼすアルコールの影響を考へ見るなら、其の思ひ半ばに過ぐるものあらん。
小官は此の見地より軍隊内にて最小限度の酒の消費せられん事を切望するものなり。まして今日まで軍隊内諸事故の大半が「酒の上から」なる事実は、この確信を益々強固にするものなり。
軍用特殊慰安所は享楽の場所に非ずして衛生的なる共同便所なる故、軍に於ても慰安所内にて酒類の禁止されあるは寧ろ当然の事なり。然れども小官、慰安所監視中屡々酒類飲用の跡を見しは、甚だ遺憾とする所なり。此の為めにも営業者の監視、娼婦の監督、引いては之れ等の教育指導を
必要とする。
五、禁欲
禁欲は有害なりと言ふ者あり。彼等は性欲禁忌減少まで羅列し、其の有害を説く。小官は思ふ、性欲と精力とは個人々々により非常なる相違ありと。或る者にては其の強くも非らざる色欲を抑制するに左程意志の力を籍らざるも可なるが、或る者にては性欲が強烈にて、如何にしても之れを抑圧し得ずと言ふが如し。禁欲が有害にして、其の結果、生殖器神経衰弱症を起し、摂護腺腫大や所謂色情性副睾丸炎等を惹起せし実例が果して幾何ありや。要するに禁欲の目的貫徹如何は衛生的生活方法を前提とす。勤勉営々として働き、傍ら適当なる慰
安の道を講じ、色欲の乗ずる隙を作らぬが第一条件なり。此れ各個人の品性、性格、信念等にて左右せらるる問題にして、些か抽象論となるを以つて更に述ぶるを得ず。小生一人の考えよりせば、想いを一度び東亜百年の大計の上に走らさば、此所1年、2年の禁欲、尚余り有りと言ふ可し。
六、花柳病の認識
敵を殲滅せんと欲せば、敵をよく知らざる可からず。対花柳病戦に於ても亦然り。敵の兵力、毒力に無知なる可からず。独り軍隊内に於てのみならず、娼婦に対しても十分な認識を与ふるを要す。
レツセルは娼婦監督の改善に努め、一法を提案し之れを売淫規律と命名し、之れを以つてせば娼婦の
花柳病を減少せしめ得るとせり。思ふに之れは独り娼婦の為めのみならず、彼女等の用益者達にも利する所、多大ならん。即ち性交の冷静なる目撃者は彼女等を他にしては決して求め得ざるものなり。
此の意味に於ても軍用慰安所の娼婦は常に監督指導するを必要とす。
更に彼女らの用益者たる男子側に於ても、其れよりも一層の認識を必要とす。俗に「かさ気と色気なき男はなし」と言い、欧州諸国に於ても16~17世紀頃には黴毒たるを恥とせず、己の病気、情事に就き語れるを名誉の如く心得居たりと。
慢性淋疾の如何に治療し難きか、一旦脳神経細胞に喰ひ入りしスピロヘータの如何に其の生命力に影響を有するか、独り個人の問題のみならず、家庭、
子孫、引いては民族の素質の低下にまで必ず因果を持つものなり。思ひを此所に致さば吾々医学を修めし者に非らずとも慄然たるものあらん。
此の故に軍隊内に於ける性教育の徹底は重且つ大なる問題なりと言ふを得べし。近時米国の軍隊に於ては、この為め宣伝ビラ、小冊子等の配布、及び写真、殊に活動写真により著効を収めつつありと言ふ。この花柳病に対する啓蒙運動こそ、一つに隊附衛生部員に課せられたる重大任務とも言ふを得べし。
https://drive.google.com/file/d/1VXadqxrtK-CaaMdriwIjDSWJLxlov8Fh/view?usp=drivesdk
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