大元帥陛下には、畏くも極寒の満洲の山野に日夜奮戦努力している我が在満部隊に対し先に侍従武官を御差遣、御慰問あそばされたが、さらに1月8日、このほど暴虐なる兵匪を関内に撤退せしめたる在満将兵の労苦をいたわらせられる思し召しをもって、優渥なる勅語を賜わった。
さきに満洲において事変の勃発するや、自衛の必要上、関東軍の将兵は果断神速、寡よく衆を制し、速やかにこれを芟討せり。爾来、艱苦を凌ぎ祁寒に堪へ、各地に蜂起せる匪賊を掃蕩し、よく警備の任を完うし、あるいは嫩江·斉々哈爾地方に、あるいは遼西·錦州地方に氷雪を衝き勇戦力闘、もってその禍根を抜きて皇軍の威武を中外に宣揚せり。朕深くその忠烈を嘉す。汝将兵、ますます堅忍自重、もつて東洋平和の基礎を確立し、朕が信倚に対へんことを期せよ。
昭和7年1月8日
八、關東軍に勅語下賜
大元帥陛下には畏くも極寒の滿洲の山野に日夜奮戰努力してゐる我が在滿部隊に對し先に侍從武官を御差遣、御慰問あそばされたが、更に一月八日、このほど暴虐なる兵匪を關内に撤退せしめたる在滿將兵の勞苦をいたはらせられる思召を以て、優渥なる勅語を賜はつた。
曩ニ滿洲ニ於テ事變ノ勃發スルヤ自衞ノ必要上關東軍ノ將兵ハ果斷神速寡克ク衆ヲ制シ速ニ之ヲ芟討セリ爾來艱苦ヲ凌キ祁寒ニ堪へ各地ニ蜂起セル匪賊ヲ掃蕩シ克ク警備ノ任ヲ完ウシ或ハ嫩江斉々哈爾地方ニ或ハ遼西錦州地方ニ氷雪ヲ衝キ勇戰力鬪以テ其禍根ヲ拔キテ皇軍ノ威武ヲ中外ニ宣揚セリ朕深ク其忠烈ヲ嘉ス汝将兵益々堅忍自重以テ東洋平和ノ基礎ヲ確立シ朕カ信倚ニ對ヘンコトヲ期セヨ
昭和七年一月八日
↑「8、関東軍に勅語下賜」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13050014600、天津事件について 昭和6年11月8日~6年12月3日(支那-参考資料-22 防衛省防衛研究所)
〔参考論文〕満州事変と昭和天皇 山田朗
https://meiji.repo.nii.ac.jp/record/4246/files/sundaishigaku_108_(61).pdf