Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

「午後10時頃、大鳥公使より左の申進あり。 『在牙山清兵を撤回せしむる義につき昨25日、朝鮮政府より外務督弁の記名調印をもつて右取り計らひ方代弁の依頼これあり候ふ間、御承知の上、然るべく御取り計らひ相成りたく、この段申進候ふなり。 27年7月26日 特命全権公使 大鳥圭介」 混成旅団報告 第18号 1894. 7. 25-27

原書

混成旅団報告 第18号

   報告 7月27日午後2時
      於 振威県舞鳳楼

1.本月25日、竜山を発し黒川県西南に露営す。病者なし。

2.同二26日午前4時発、水源府に進み、午前12時着。梧柳洞より別路を経て進みたる歩第21連隊第3大隊および野戦病院1個本縦隊に合す。同所において米麦およそ1日分、馬匹および牛30~40頭を徴発す。患者4~5名、仮に同地に野戦病院医官をもつて兵站仮病院を設く。午後10時頃、大鳥公使より左の申進あり。

 在牙山清兵を撤回せしむる義につき昨25日、朝鮮政府より外務督弁の記名調印をもつて右取計方代弁の依頼これあり候ふ間、御承知の上、然るべく御取り計らひ相成りたく、この段申進候ふなり。

  27年7月26日 特命全権公使大鳥圭介

 これと共に人馬雇入云々に関する統理衙門の関文20葉、公使より受領せり。

3.7月27日午前4時、水源発、午後0時半、振威着、同所において聶提督の貯蔵し置きたる精米、薪、藁およそ1日分を徴発す。

 午前時に至るまで得たる、
 本日午前7時20分、敵の歩兵1,500名、騎兵50騎、牙山方位より上土楷の方向に進むを見る。当斥候はその後続部隊を捜索せんとす。
 成歓駅北方、敵の幕営の群4個を見る。その人員未詳なれども3,000乃至4,000ならん。

4.旅団は明28日払暁、当地を出発し、素砂場附近に至り、なし得れば充分地形を偵察し、然る後、明後29日、その敵に向ひ決戦を求めんとす。

5.本日までにおいて前記の如くやや軍需品を徴発し得たりといへども、当地以南においてはその見込みなし。輜重不継のために作戦を渋滞せしめざるやの恐れこれなきにあらず。

6.本日、水源府出発前、歩兵少佐古志正継死去す。進級補助の権を仮されざるため、やむを得ず代理官を置きたり。代理をもつて実戦に望むは義昌の甚だ遺憾とするところなり。

7.本日午後6時、当所に通信所を置き、京城公使館内軍用電信と通信する予定なり。

8.当牙山行における軍隊区分、別紙の如し。

 右、謹んで報告候ふなり。

  明治27年7月27日 陸軍少将 大嶋義昌

参謀総長 熾仁親王殿

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原書

混成旅團報告 㐧十八号

   報告 七月二十七日午後二時
      於 振威縣舞鳳楼

一 本月二十五日 竜山ヲ発シ黒川縣西南ニ露営ス 病者ナシ

二 仝廿六日午前四時発 水源府二進ミ 午前十二時着 梧栁洞ヨリ別路ヲ経テ進ミタル歩第廿一聯隊第三大隊 及 野戦病院一個本縦隊ニ合ス 同所ニ於テ米麦凡一日分 馬匹及牛三四十頭ヲ徴発ス 患者四五名 仮リニ同地ニ野戦病院医官ヲ以テ兵站仮病院ヲ設ク 午後十時頃 大鳥公使ヨリ左ノ申進アリ

在牙山清兵ヲ撤回セシムル義二付 昨二十五日 朝鮮政府ヨリ外務督弁ノ記名調印ヲ以テ右取計方 代弁ノ依頼有之候間 御承知ノ上 可然御取計相成度 此段 申進候也

  廿七年七月廿六日  特命全権公使大鳥圭介

之レト共ニ人馬雇入云々ニ關スル統理衙門ノ關文二十葉 公使ヨリ受領セリ

三 七月二十七日午前四時水源発 午後〇時半振威着 同所ニ於テ聶提督ノ貯蔵シ置キタル精米 薪 藁 凡一日分ヲ徴発ス

午前二時ニ至ル迠得タル

本日午前七時二十分 敵ノ歩兵千五百名 騎兵五十騎 牙山方位ヨリ上土楷ノ方向ニ進ムヲ見ル 当斥候ハ其後続部隊ヲ搜索セントス

成歓驛北方 敵ノ幕営ノ群四個ヲ見ル 其人員未詳ナレトモ三千 乃至 四千ナラン

四 旅團ハ明廿八日拂暁 当地ヲ出発シ 素砂場附近ニ至リ 为シ得レハ充分 地形ヲ偵察シ 然ル後 明後二十九日 其敵ニ向ヒ決戦ヲ求メントス

五、本日迠ニ於テ前記ノ如ク稍 軍需品ヲ徴発シ得タリト虽トモ 当地以南ニ於テハ其見込ナシ 輜重不継ノ為メニ作戦ヲ渋滞セシメサルヤノ恐レ之レナキニ非ス

六、本日 水源府出発前 歩兵少佐 古志正継 死去ス 進級補助ノ権ヲ假サレサル为メ 不得已 代理官ヲ置キタリ 代理ヲ以テ実戦ニ望ムハ義昌ノ甚タ遺憾トスル処ナリ

七 本日午後六時 当所ニ通信所ヲ置キ 京城公使舘内軍用電信ト通信スル預定ナリ

八、当牙山行ニ於ル軍隊区分 別紙ノ如シ

右 謹テ報告候也

 明治廿七年七月廿七日  陸軍少將 大嶋義昌

参謀総長 熾仁親王殿

 

⬆明治27年自6月至9月 「混成第9旅団 第5師団 報告」

https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/C06061765800 p.150-p.153

原書 混成旅団報告第18号(7月27日)