Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

混成旅団参謀報告、混成旅団秘報 1894.7.18~20

第七号          七月二十六日到着

   混成旅団参謀報告    参謀長 岡外史

    七月十八日

 昨十七日は近来の出来事多き日にして、撤夜多忙を極めたり。

 1 英国公使館護衛の為め士官五名、水兵二十名 入京するとの通知に接したり。一昨十七日、代理公使の我幕営に暴れ込みたるは、此等の口実を作る為めと、後にて思ひ知り申し候。

 2 米国公使よりも同上兵卒は十名入京せしむる旨、公文を以て公使館へ通報ありたる旨、通牒に接す。米の入兵は他日、万一の際、国王の遁げ込む約束あるを以て此の護衛なりとは、疾くにより聞く処にして、今日は入京、明日は入京と聞き飽きたる処なれ共、公文の通牒は余も嘘にはあらざるべしと思ひ、是よりは三国兵の入込にて細故の衝突多かるべく、特に英兵は喧嘩買ひの為に入京せしむる実、殆ど確実なるを以て、諸隊に厳達して、成るべく喧嘩を避け、多少打たるるとも堪忍して、 大事の前の小事と心得、談判上にて敵を取る見込なれば、決して衝突に買はるべからざることを達せられたり。軍隊教育上に就ては、打たれても猶ほ我慢せよとは残念至極のことなれ共、亦、止むを得ざる事と存じ奉り候。

 2 抱川(元山街道)に千五百の支那兵来着したりとの報、公使より直に小官に通ぜ(小官は入京しあり)られたるを以て、不審議とは思ひ乍ら其の方向に騎兵下士斥候三名を出したるに、今日に至り其の虚説なるを知れり。

 3 大鳥公使閣下より電通

 今夜、総禦衛百名、場外に出て支那兵を迎ふ筈にて、草鞋など用意中。確実の事探偵中。東北門、東大門、東南門には監視を出す。其他の門は監視を頼む。城内の電信線は監視を怠らざるべし。云々。

 諸風説を参照し、英米両国兵入城など照し合せ、必ず事の起らんを想定し手に唾して起ち、義州街道には一中隊、南大門外に二十名の監視哨を置き、又、一中隊を河を越へと水原方向に行軍せしめしが、今朝に至り又、全く虚構たることを知れり。

 4 是より先、東学党の招討使洪惠薫、及び開化党の一人と称する安惠寿両人より、閣下に対し名刺を以て訪問せしめたるに依り、答礼として小官、騎兵十騎を率ひ訪問す。上原、渡辺両少佐も亦、敬意を表する為めに小官と同行せらる。四時間許り談話致したりしが、、名高き程の人物とは思ひ申さず、戦地の景勢等、能く聞きたりしも、上申すべき価無し。諸新聞に記しるものと大同小異なり。口にとは朝鮮兵制の改革を必要と論ずれ共、六十万の常備兵を置くべきなど、猶ほ法外の夢を見つつあり。

 明十九日は午前九時頃より将軍を訪ふ為め来営の筈なり。其の景況は後便申上ぐべく候。

 5 京釜間電信、朝鮮政府へ通知しぱなしにして、明後日より架設する旨、公使より通知あり。目下、其の準備にこれあり申し候。

 

   混成旅団秘報

    七月十九日

 此の日は朝鮮の将官洪惠薫来訪の約あり。約時に及び公使より、急に協議すべき儀あり御入京を願ふとの報あり。

 朝鮮軍人の気を損ふ、此の際に於て亦注意すべきことと考へ、先づ参謀をして其の意を通ぜしめ、午後三時過ぎ入京、公使に面会せり。其の協議の大要、左の如し--

 旅団の労力を以て明二十日に清国増加兵出帆の確報に接せざるときは(確報に接するときは大同江への上陸を慮る為め南進すること能はず。)二十一日夕方より行軍の名義を以て牙山方向に進む。

 旅団出発の翌日、公使より最後の談判を朝鮮政府、支那公使に申込み、及び各国公使に通告す。
旅団は行進を続行し、兵力を以て牙山の清兵を引払はしむ。

 朝鮮の国有電信を我有とし、軍用に用ゆること。
 京城守備隊は一大隊(二中隊)とすること。

 右の協議を了し、直ちに兵站監に、明二十日中に兵站監部を龍山附近に移すことを望む旨を伝へ、軍隊区分、行進計画等、全け熟し、只、七月二十一日夕刻の来るを待つのみにてありし。

    七月二十日

一、午後四時には各隊長を集め、明二十一日よりする行軍の為め諭示を与ふべき目的を以て既に各隊長に会合を命じたる後、午後一時頃、公使の命を帯び本野外務参事官来営、公使の旨を伝ふること大要、左の如し--

 1 朝鮮政府、強硬に傾き、本日、我公使に退兵を請求せり。依て我が凡ての要求を拒絶したるものと見做し、断然の処置に出ることに決す。

 2 即ち二日間を赦し清国の借来兵を撤回せしむべしと要求したり。

 3 若し二日間に確然たる回答無ければ、猶ほ一大隊入京せしめられたし。

 4 夫れにても行かざれば王城を囲む。

 5 王城を囲みたる后は、大院君、日本人若干名を率ひ入闕する筈(確かなりやと問ひしに、確かなりと云へり。)

 6 大院君入闕の上、朝鮮兵力にて支那兵を撃つこと能はざれば、帝国軍隊を以て之を一撃の下に打ち払ふ。

 7 依て昨日協議せし牙山行は暫く見合せられたし。

 本処置は名正しく、事後には旅団の運動に至大の便利を與与ふべき見込あるを以て、小官は之に同意を表したり。

 本野参事官去る後三十分、大本営電報命令第三二号を受領したり。

 本命令に依りて小官に与へられたる任務を果さんとする為めには、勢ひ一刻も早く朝鮮政府の向背を決せしめざるべからず。依て小官は明日、公使に協議し、第三項、即ち若し二日間に確然たる回答無ければ猶一大隊を入京せしむるとの示威的運動を止め、短兵急に王城を囲むの策に出ることを勧めんとす。

 如何に速やかに処置するも二十四日、若くは二十五日迄を要すべき見込なり。即ち我艦隊豊嶋附近に到着する即日、若くは翌日には、後顧の患無く兵を南(若くは北)進せしむるを得べき見込なり。

二、然る後に公使より協議あるに従ひ、支那、其の増加兵を出すの景况如何に係らず、朝鮮の独立を助くるの大義を以て牙山の清兵を攻撃の為めに旅段の首力を提げて出発することあるやも知るべからず。

 右謹で報告仕り候也。
   七月二十日    混成旅團長 大島義昌
    午後十時
  参謀総長 熾仁親王殿

 


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第七号           七月廿六日到着

   混成旅團参謀報告    参謀長 岡外史

    七月十八日

昨十七日ハ近来ノ出来事多キ日ニシテ撤夜多忙ヲ極メタリ

英國公使館護衛ノ為メ士官五名 水兵[✕五✕]<20>名 入京スルトノ通知二接シタリ 一昨十七日 代理公使ノ我幕営二暴レ込ミタルハ 此等ノ口实ヲ作ル為メト 後ニテ思ヒ知リ申候

米國公使ヨリモ仝上兵卒八拾名入京セシムル旨 公文ヲ以テ公使館ヘ通報アリタル旨 通牒ニ接ス 米ノ入兵ハ他日 万一ノ際 國王ノ遁ケ込ム約束アルヲ以テ此ノ護ヱナリトハ 疾クニヨリ聞ク処ニシテ 今日ハ入京 明日ハ入京ト聞キ飽キタル処ナレ共 公文ノ通牒ハ餘モ嘘ニハアラサルべシト思ヒ 是ヨリハ三國兵ノ入込ニテ細故ノ衝突多カルベク 特ニ英兵ハ喧嘩買ヒノ為ニ入京セシムル実 殆ト確实ナルヲ以テ 諸隊ニ厳達シテ可成喧嘩ヲ避ケ 多少 打タルヽトモ堪忍シテ 大事ノ前ノ小事ト心得 談判上ニテ敵ヲ取ル見込ナレハ 決シテ衝突ニ買ハル可カラサルコトヲ達セラレタリ 軍隊教育上ニ就テハ 打タレテモ猶ホ我慢セヨトハ 残念至極ノコトナレ共 亦 不得止事ト奉存候

2 抱川(元山街道)ニ千五百ノ支那兵来着シタリトノ報 公使ヨリ直ニ小官ニ通セ(小官ハ入京シアリ)ラレタルヲ以テ 不審議トハ思ヒ乍ラ其方向ニ騎兵下士斥候三名ヲ出シタルニ 今日ニ至リ其虚説ナルヲ知レリ

3 大鳥公使閣下ヨリ電通

今夜 總禦衛百名 場外ニ出テ支那兵ヲ迎フ筈ニテ 草鞋ナド用意中 確実ノ事 探偵中 東北門 東大門 東南門ニハ監視ヲ出ス 其他ノ門ハ監視ヲ頼ム 城内ノ電信線ハ監視ヲ怠ラサルベシ 云々

諸風説ヲ参照シ 英米両国兵入城ナト照シ合セ 必ス事ノ起ランヲ想定シ手ニ唾シテ起チ 義州街道ニハ一中隊 南大門外ニ二十名ノ監視哨ヲ置キ 又 一中隊ヲ河ヲ越ヘテ水原方向ニ行軍セシメシカ 今朝ニ至リ又 全ク虚構タルコトヲ知レリ

4 先是 东学党ノ招討使 洪惠薫 及ヒ開化党ノ一人ト称スル安惠寿 両人ヨリ閣下ニ対シ名刺ヲ以テ訪問セシメタルニ依リ 答礼トシテ小官 騎兵十騎ヲ率ヒ訪問ス 上原 渡辺 両少佐モ亦 敬意ヲ表スル為メニ小官ト同行セラル 四時間許リ談話致シタリシカ 名髙キ程ノ人物トハ思ヒ不申 戦地ノ景㔟等 能ク聞キタリシモ 上申ス可キ價無シ 諸新聞ニ記スルモノト大同小異ナリ 口ニテハ朝鮮兵制ノ改革ヲ必要ト論スレ共 六十万ノ常備兵ヲ置クベキナド 猶ホ法外ノ夢ヲ見ツヽアリ

明十九日ハ午前九時頃ヨリ将軍ヲ訪フ為メ来営ノ筈ナリ 其景况ハ後便 可申上候

5 京釜間電信 朝鮮政府ヘ通知シパナシニテ 明後日ヨリ架設スル旨 公使ヨリ通知アリ 目下 其準備ニ有之申候

 

   混成旅團秘報

    七月十九日

此日ハ朝鮮ノ將官 洪惠薫 来訪ノ約アリ 約時ニ及ヒ公使ヨリ 急ニ恊議スベキ儀アリ御入京ヲ願フトノ報アリ

朝鮮軍人ノ気ヲ損フ 此際ニ於テ亦注意スベキコトト考ヘ 先ツ参謀ヲシテ其意ヲ通セシメ 午後三時過キ入京 公使ニ面会セリ 其恊議ノ大要 左ノ如――

旅團ノ労力ヲ以テ明二十日ニ清国増加兵出帆ノ確報ニ接セサルトキハ(確報ニ接スルトキハ大同江ヘノ上陸ヲ慮ル为メ南進スルコト能ハス)廿一日夕方ヨリ行軍ノ名義ヲ以テ牙山方向ニ進ム

旅團出發ノ翌日 公使ヨリ最後ノ談判ヲ朝鮮政府 支那公使ニ申込ミ 及ヒ各国公使ニ通告ス

旅團ハ行進ヲ續行シ 兵力ヲ以テ牙山ノ清兵ヲ引拂ハシム

朝鮮ノ国有電信ヲ我有トシ 軍用ニ用ユルコト
京城守備隊ハ一大隊(二中隊)トスルコト

右ノ恊議ヲ了シ 直ニ兵站監ニ 明廿日中ニ兵站監部ヲ龍山附近ニ移スコトヲ望ム旨ヲ傳ヘ 軍隊区分 行進計畫䓁 全ク熟シ 只 七月廿一日夕刻ノ来ルヲ待ツノミニテアリシ

 

    七月廿日

一 午後四時ニハ各隊長ヲ集メ 明廿一日ヨリスル行軍ノ为メ諭示ヲ與フベキ目的ヲ以テ既ニ各隊長ニ会合ヲ命シタル後 午後一時頃 公使ノ命ヲ帯ヒ本野外務参事官来営 公使ノ旨ヲ傳フルコト大要左ノ如--

1 朝鮮政府 強硬ニ傾キ 本日 我公使ニ退兵ヲ請求セリ 依テ我凡テノ要求ヲ拒絶シタルモノト見做シ 断然ノ處置ニ出ルコトニ決ス

2 即チ二日間ヲ赦シ清國ノ借来兵ヲ撤囬セシムベシト要求シタリ

3 若シ二日間ニ確然タル囬答無ケレバ 猶ホ一大隊入京セシメラレタシ

4 夫レニテモ行カサレハ王城ヲ囲ム

5 王城ヲ囲ミタル后ハ 大院君 日本人若干名ヲ率ヒ入闕スル筈(確カナリヤト問ヒシニ 確カナリト云ヘリ)

6 大院君入闕ノ上 朝鮮兵力ニテ支那兵ヲ撃ツコト能ハサレハ 帝國軍隊ヲ以テ之ヲ一撃ノ下ニ打チ拂フ

7 依テ昨日恊議セシ牙山行ハ暫ク見合セラレタシ

本處置ハ名正シク 事後ニハ旅團ノ運動ニ至大ノ便利ヲ與フベキ見込アルヲ以テ 小官ハ之ニ同意ヲ表シタリ

本野参事官去ル後三十分 大本営電報命令苐三二号ヲ受領シタリ

本命令ニ依リテ小官ニ與ヘラレタル任務ヲ果サントスル為メニハ 㔟ヒ一刻モ早ク朝鮮政府ノ向背ヲ決セシメサル可ラス 依テ小官ハ明日 公使ニ恊議シ 㐧三項 即チ若シ二日間ニ確然タル囬答無ケレバ猶 一大隊ヲ入京セシムルトノ示威的運動ヲ止メ 短兵急ニ王城ヲ囲ムノ策ニ出ルコトヲ勸メントス
如何ニ速ニ處置スルモ廿四日 若クハ廿五日迠ヲ要スベキ見込ナリ 即チ我艦隊 豊嶋附近ニ到着スル即日 若クハ翌日ニハ 後顧ノ患無ク兵ヲ南(若クハ北)進セシムルヲ得可キ見込ナリ

二 然ル後ニ公使ヨリ恊議アルニ従ヒ 支那 其増加兵ヲ出スノ景况如何ニ係ラス 朝鮮ノ獨立ヲ助クルノ大義ヲ以テ牙山ノ清兵ヲ攻撃ノ為メニ旅團ノ首力ヲ提ケテ出発スルコトアルヤモ知ル可ラズ

右謹而報告仕候也
 七月廿日       混成旅團長 大島義昌
   午後十時
 参謀總長 熾仁親王殿

 

↑明治27年自6月至9月 「混成第9旅団 第5師団 報告」より「原書」
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C06061765800 p.146-p.149