Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

【工事中】「軍は晋察冀辺区西辺の敵共産軍を撃摧すると共に、其の根拠の覆滅と封鎖の強化とに依り敵自活力を削減・枯渇せしめ、以て該地区の共産勢力を芟除し、粛清の徹底を期す。」 第1軍作戦経過の概要 晋察冀辺区粛正作戦 第1軍参謀部 1941.12.

極秘

        昭和16年12月1日

        第1軍参謀部

  第1軍作戦経過の概要

     晋察冀辺区粛正作戦

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極秘

        昭和十六年十二月一日

        第一軍參謀部

  第一軍作戰經過ノ槪要

     晋察冀邊區肅正作戰

http://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C11110991800

 

   目次

第1.作戦計画

第2.第1期作戦経過の概要

第3.第2期作戦経過の概要

第4.作戦終了

第5.作戦の成果
f:id:ObladiOblako:20210210154132j:image

   目次

第一、作戰計畫

第二、第一期作戰經過ノ槪要

第三、第二期作戰経過ノ槪要

第四、作戰終了

第五、作戰成果

http://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C11110991900

 

  第1 作戦計画

晋察冀辺区粛正作戦計画

   第一、方針

 軍は晋察冀辺区西辺の敵共産軍を撃摧するとともに、その根拠の覆滅と封鎖の強化とにより敵自活力を削減、枯渇せしめ、もつて該地区の共産勢力を芟除し、粛正の徹底を期す。

   第二、指導要領

一、作戦兵団はその作戦兵力を封鎖線占領部隊(以下、封鎖部隊と称す)と、随時・随所に敵を攻撃する部隊(以下、進攻部隊と称す)とに分ち、両部隊の運用により敵共産軍を撃砕す。

二、作戦開始に伴ひ両兵団は、前記第一項に示す兵力区分に拘ることなく、成るべく多くの兵力をもつて各々管内共産軍を撃滅するとともに、その根拠を覆滅す。

 本作戦はX-6日ころまでに一応これを打切るものとす。

 次いで封鎖部隊を(左記)封鎖線に配置するとともに、進攻部隊を封鎖線付近の要点に待機せしめ、方面軍の直轄進攻兵団の西方進攻に伴ひ晋察冀辺区西辺に逃避・蝟集し来る敵、あるいは我が討伐により省境付近に逃避せる敵を索めて、随所にこれを撃滅す。

    左  記

 娘子関~臣城鎮(西徴南16km)~孟県(西北約31km)~上社鎮(北北西23km)~王城村(北北東31km)~南高洪口(北微東15km)~石咀(北北東26km)~李家庄(北北東16km)~神堂堡(東東北9km)の線

 封鎖配備の重点は湧泉寺~上社鎮(孟県北微西23

km)間の地区とし、特に主要匪道の遮断を確実ならしむ。

三、状況に依り省境を越えて深く敵地区に進攻し、敵集団兵力の撃滅を図ることあり。

四、封鎖部隊は敵地区との一切の交流を遮断し、進攻部隊は敵の根拠を覆滅し、両々相俟ち敵の自給自活力を削減・枯渇せしむ。

五、作戦に方りては、敵軍党首魁の捕虜および党組織の中枢の破壊を図り、其の組織の破摧に努む。

六、作戦に膚接して敵地区に対する政治力の浸透に勉め、共産党軍の地下工作を剔決剪除す。

 また敵地区の住民に対しては本作戦の真意を知らしむるの外、各種宣伝・宣撫工作を併用して匪民分離に努む。

七、作戦終了後に於ても依然敵地区に対する強力なる封鎖を続行し、残存匪軍に対しては不断の討伐を行ひ、敵をして勢力挽回の余力なからしむ。

八、作戦は8月X日前後より開始す。

作戦期間は概ね2ヶ月と予定す。
[以下略]

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  第1 作戰計畫

晋察冀邊區粛清作戦計画

   第一、方針

軍ハ晋察冀邊區西辺ノ敵共產軍ヲ擊摧スルト共二 其ノ根據ノ覆滅ト封鎖ノ强化トニ依リ敵自活力ヲ削減 枯渴セシメ 以テ該地區ノ共產勢力ヲ芟除シ 肅正ノ徹底ヲ期ス

   第二、指導要領

一、作戰兵團ハ其ノ作戰兵力ヲ 封鎖線占領部隊(以下 封鎖部隊ト稱ス)ト隨時隨所ニ敵ヲ攻擊スル部隊(以下 進攻部隊ト稱ス)トニ分チ 兩部隊ノ運用ニ依リ敵共產軍ヲ擊碎ス

二、作戰開始ニ伴ヒ兩兵團ハ 前記第一項ニ示ス兵力區分ニ拘ルコトナク 成ルベク多クノ兵力ヲ以テ各々管内共產軍ヲ擊滅スルト共ニ其ノ根據ヲ覆滅ス

本作戰ハ「X-6」日頃迄ニ一應 之ヲ打切ルモノトス

次テ封鎖部隊ヲ(左記)封鎖線ニ配置スルト共ニ進攻部隊ヲ封鎖線附近ノ要點に待機セシメ 方面軍ノ直轄進攻兵團ノ西方進攻ニ伴ヒ晋察冀邊區西辺ニ逃避蝟集シ來ル敵 或ハ我討伐ニ依リ省境附近ニ逃避セル敵ヲ索メテ 隨所ニ之ヲ擊滅ス

    左  記

娘子関─臣城鎭(西徴[→微?]南十六粁)─孟縣(西北約三十一粁)─上社鎭(北北西二十三粁)─王城村(北北東三十一粁)─南髙洪口(北微東十五粁)─石咀(北北東ニ十六粁)─李家庄(北北東十六粁)─神堂堡(東東北九粁)ノ線

封鎖配備ノ重點ハ湧泉寺─上社鎭(孟縣北微西二十三粁)間ノ地區トシ 特ニ主要匪道ノ遮断ヲ確実ナラシム

三、状況ニ依リ省境ヲ越エテ深ク敵地區ニ進攻シ 敵集團兵力ノ擊滅ヲ圖ルコトアリ

四、封鎖部隊ハ敵地区トノ一切ノ交流ヲ遮断シ 進攻部隊ハ敵ノ根據ヲ覆滅シ 兩々相俟チ敵ノ自給自活力ヲ削減 枯渇セシム

五、作戰ニ方リテハ敵軍黨首魁ノ捕虜 及 黨組織ノ中樞ノ破壞ヲ圖図リ 其ノ組織ノ破摧ニ努ム

六、作戰ニ膚接シテ敵地區ニ對スル政治力ノ浸透ニ勉メ 共產黨軍ノ地下工作ヲ剔決剪除ス

敵地區ノ住民ニ對シテハ本作戰ノ眞意ヲ知外 各種宣傳宣撫工作ヲ併用シテ匪民分離ニ努ム

七、作戰終了後ニ於テモ依然 敵地區ニ對スル强力ナル封鎖ヲ續行シ 残存匪軍ニ對シテハ不断ノ討伐ヲ行ヒ 敵ヲシテ勢力挽回ノ餘力ナカラシム

八、作戰ハ八月X日前後ヨリ開始ス

作戰期間ハ槪ネ二ヶ月ト予定ス

http://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C11110992000

 

第2 第1期作戦経過の概要

 

1.軍は8月11日[中略]作戦を開始せり。[中略]封鎖部隊と進攻部隊の連携ある行動に依り、先づ[中略]蟠踞する晋察冀辺区軍[中略]を攻撃すべく、概ね8月15日、包囲網を完成せり。

2.しかれども我が企図を事前に察知せる敵は逸早く四散逃避して各地に潜伏せるが、軍は方面軍の予定計画に基く[中略]封鎖線を24日 完成し、該地区一帯を徹底的に掃蕩し、敵側後方施設、工場、兵器、製造機械等を覆滅し、多数の兵器、弾薬、機械、工具、火薬等を押収・鹵獲せり。

3.これよりさき京漢線東側地区ならびに察南地区の共産軍掃蕩を終へたる方面軍直轄兵団ならびに駐蒙軍は、次で阜平地区ならびに其の南方地区に進攻し、該地区一帯に退避しある敵首魁、聶榮臻以下晋察冀辺区軍を一網打尽に撃摧する本作戦の主要目的遂行の為、概ね8月24日 行動を開始せるを以て

http://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C11110992100