Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

吉田松陰『幽囚録』より 「今急に武備を集め、艦略ぼ具はり砲略ぼ足らば、則ち宜しく蝦夷を開墾して諸侯を封建し、間に乗じて加摸察加・隩都加を奪ひ、琉球に諭し、朝覲会同すること内諸侯と比しからしめ、朝鮮を責めて質を納れ貢を奉ること古の盛時の如くならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾・呂宋の諸島を収め、漸に進取の勢を示すべし。」 1854 著 1940 岩波書店刊

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皇和の邦たる、大海の中に位して、万国之れに拱[こまね]く。凡そ地の勢、其の近きものは害を為すこと切にして、遠きもの之れに次ぐ。之れ古今の通論なり。古は船艦未だ便ならされば、海を恃[たの]みて険と為せしも、後世船艦日〻に巧みに航海日〻に広く、古の恃みて以て険と為せし所のもの反て賊衝 (六) となれり。火輪の船 (七) 作らるるに及んで、其の制益〻巧みに其の行益〻広く、海外万里も直ちに比隣となる。是[ここ]に於てか海を隔つるもの患を為すこと急にして、陸を接するもの是れに反す。神州の西を漢土と為し、(更に) 海中の諸島及び阿弗利加の喜望峰と為す。漢土は土地広大、人民衆多にして、其の海を隔てて近きものなり。近頃聞く英夷 (八) の寇あり明裔 (九) の変ありと。若し洋賊を

(六) 賊の攻撃し来る処の意
(七) 蒸気船
(八) 阿片戦争をさす
(九) 洪秀全漢族を率ゐて興り太平天国と称す。所謂長髪賊の乱をさす

 

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して其の土に蟠踞せしめば、患害勝[あ]げて言ふべからざるものあらん、而して吾れ未だ其の帰着を詳らかにせず、察せざるべからざるなり。且つ其れ広東の互市と諸島・喜望峰とは皆万国の要会たり、以て四方の新聞を得べし。神州の東を米利堅と為し、東北を加摸察加[カムサツカ]と為し隩都加[オホツク]と為す。神州の以て深患大害と為す所のものは話聖東[ワシントン]なり、魯西亜なり。而して魯西亜の国都は海外万里極西北の地に在り、其の神州を謀るに於て勢甚だ便ならず。然れども其の東辺は我れと一水を隔つるのみ。且つ近ごろ火輪船に乗じ、来りて界を議し締交を求む。安んぞ之れを遠しと謂ふを得んや。其の無事今日に至りしは、其の地近しと雖も荒寒不毛、兵寡く艦少なきを以てのみ。近ごろ聞く、加摸察加・隩都加、稍々艦を備へ兵を置き、隠然大鎮となると。若し其れをして兵足り艦備はらしめば、其の禍固より踵[くびす]を旋[めぐ]らさざらん、而して吾れ未だ其の要領を得ず、察せざるべからざるなり。話聖東は即ち彌利堅[メリケン]洲中に在りて最も張り、漸[ぜん]に比隣を蚕食しこれを会盟に列す。而して其の地は其の洲の東辺に在り、我れと相隔たること魯西亜より通し。今や其の会盟に列して其の西辺に在るもの往々にしてあり、葛利火爾[カリホル]

 

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尼亜[ニア]の如き正に我れと相対し、海を隔てて近きものなり。数年来亦火輪船に乗じ屢〻来りて吾れに逼り、吾れ卒[つひ]に地を仮し貢を容[い]るるに至る。然れども其の邦を造[な]すこと古からざれば、吾れ未だ其の詳を得ず。且つ其の洲の広大なる、南北極の間に亘れば、安[いづく]んぞ話聖東の如きもの更に其の間に出づることなきを知らんや。若し其れをして互に来り迭[たがひ]に侵し、我が土地を貪り我が貨財を利せしめば、即ち其の禍将[まさ]に魯西亜に加[まさ]るものあらんとす、察せざるべからざるなり。濠斯多辣利[オウストラリア]の地は神州の南に在り、其の地海を隔てて甚だしくは遠からず、其の天度 (一) 正に中帯に在り。宜[むべ]なり、草木暢茂[てうも]し人民繁殷し、人の争ひ取る所となるも。而して英夷開墾して拠るも僅かに其の十の一なり。吾れ常に怪しむ、苟も吾れ先づ之れを得ば、当に大利あるべしと。朝鮮と満洲とは相連りて神州の西北に在り、亦皆海を隔てて近きものなり。而して朝鮮の如きは古時我れに臣属せしも、今は則ち寖 [や] や倨 [おご] る、最も其の風教を詳らかにして之れを復さざるべからざるなり。

凡そ万国の我を環繞 [くわんねう] するもの、其の勢正に此くの如し。而して我れ茫然手を拱 [こまね] きて

 

(一) 緯度のこと

 

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其の中に立ち、之れを能く察することなし、亦危ふからずや。夫れ欧羅巴の洲たる、吾れを去ること甚だ遠く、古時我と相通ぜざりしも、戦艦便を得るに及んでは、葡萄芽・西班雅[イスパニア]・英吉利・仏郎察[フランス]の如き、乃ち能く我れを朶頤[だい]し、我れ亦以て患と為す。近時火輪の船、国として之れなきはなく、遠きこと欧羅巴の如きも猶ほ比隣の如し。況や前に称し所の数者をや。然りと雖も是れ特だ伝聞の得たる所、文書の記する所然りと為すのみ。其の果して然るや否や、遂に未だ知るベからざるなり。安んぞ俊才を得て海外に遣はし、親しく其の形勢の沿革、航路の通塞を察するに如かんや。

日升[のぼ]らざれば則ち昃[かたむ]き、月盈[み]たざれば則ち虧[か]け、国隆[さか]んならざれば則ち替[おとろ]ふ。故に善く国を保つものは徒[ただ]に其の有る所を失ふことなきのみならず、又其の無き所を増すことあり。今急に武備を集め、艦略[ほ]ぼ具はり砲略ぼ足らば、則ち宜しく蝦夷を開墾して諸侯を封建し、間[すき]に乗じて加摸察加・隩都加を奪ひ、琉球に諭し、朝覲会同すること内諸侯と比[ひと]しからしめ、朝鮮を責めて質を納れ貢を奉ること古の盛時の如くならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾・呂宋の諸島を収め、漸に進取の勢を

 

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示すべし。然る後に民を愛し士を養ひ、慎みて辺[へんきよ]を守らば、則ち善く国を保つと謂ふべし。然らずして群夷争聚の中に坐し能く足を挙げ手を揺[うごか]すことなく、而も国の替へざるもの、其れ幾[いくば]くなるか。

孫武兵を論ずる、専ら (一) 彼れを知り己を知るを以て要と為す。之れを始むるに (二) 計を以てして曰く、「主孰れか道ある。将孰れか能ある。天地孰れか得たる。法令孰れか行なはるる。兵衆孰れか強き。士卒孰れか練れたる。賞罰孰れか明かなる」。之れを終ふるに (三) 間を以てして曰く、「名君賢将動いて人に勝ち、功を成して衆に出づる所以のものは、先づ知ればなり。先づ知るとは、鬼神に取るべからず、事に象るべからず、度に験すべからず。必ず (四) 人にとりて敵の情を知るものなり」 と。近年来、諸夷の舶競ひて我が邦に至る。而して其の主果して道あるか、将果して能あるか、天地果して得たるか、法令果して行はるるか、兵衆果して強きか、士卒果して練れたるか、賞罰果して行はるるか、抑〻皆非なるか。先づ知る者あることなし。之れ徒に彼れを知らざるのみならず、亦己れを知らざるの甚だしきものなり。癸丑の歳、

 

(一) 孫子謀攻篇に、「彼れを知り己れを知れば、百戦殆ふからず」と出づ。第六巻三三九頁参照
(二) 孫子始計篇(第六巻三一七頁)参照
(三) 孫子用問篇(第六巻四二四頁)参照
(四) 人に取るとは則ち間諜によりて知るなり

 

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合衆国は彼理[ペリー]を遣はし、魯西亜は博婼丁[プチヤーチン]を遣はして我が邦に至らしむ。時に江都の人或は曰く、「近世海外に三傑あり、而して彼理、博婼丁其の二に居り」 と。嗚呼、海外の事、茫然として弁[わきま]ふることなく、適〻[たまたま]来り間する者あれば錯愕畏縮し、皆傑物なりと謂ふ。慨[なげ]くべきかな、悲しむべきかな。

軍の間を用ふるは、猶ほ人の耳目あるがごとし。耳なくば何を以て聴かん、目なくば何を以て視ん。軍に間を用ひずんば、何ぞ独り視聴のみならんや。我れ固より之れを用ひ、彼れ亦之れを用ふること、軍の常なり。故に善く戦ふ者は我れの之れを用ふること至らざるを憂へて、彼れの之れを用ふるを恐れず。今は則ち然らず。宜しく間を彼に用ふべきに、而も其の国事を漏らさんことを慮りて敢へてせず。彼れ間を我れに用ふ、我れ宜しく留めて以て (一) 反間と為すべきに、而も其の国情を伺はんことを懼れて為さず。噫、何ぞ其れ惑へるや。我れ (二) 実ならんか、彼れに百の間ありと雖も亦吾れを如何せん。却つて其の心を攻め其の諜を沮むに足るなり。我れ虚ならんか、彼に一の間なしと雖も我れ安んぞ能く長く存せんや。(三) 我れに在りて

 

(一) 孫子用問篇参照。敵の間諜を逆に味方に利用すること
(二) 国力の充実せるをいふ。次の虚と相対す
(三) この一句の意は、我が実力の如何によるも、我れに在りては如何なる場合と雖も間者を用ふべき要ありとなり

 

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は然らず。強者、間を用ひざれば、宜しく赴くべき所を知らず、弱者間を用ひざれば、宜しく避くべき所を知らず、今人あり、己れの聾瞽なるを憂へずして人の視聴を恐れなば、人将[は]た之れを何とか謂はん。

通信通市は古より之れあり、固より国の秕政に非ず。但だ当今の勢、力[つと]めて其の説を破らざるを得ざるものあり。古の国を建つる者は徒[ただ]に退いて守ることを為すのみならず、又進んで攻むるあり。而れども国を越えて之れを攻むれば、財力疲弊し国用支[ささ]ヘ難し。故に必ず糧 (四) を敵に因り、償を人に取る。是に於て通市の説あり。敵国の人悉くは殺すべからず、降る者は之れを納れ、服する者は之れを用ひ、小なる者は侯とし、大なる者は王とし、其れらをして我れに貢を奉り賦を致さしむ。是に於て通信の説あり。神功の征韓以還[このかた]、列聖の為したまふ所、史を按じて知るべきなり。今則ち是に異れり。外夷悍然として来り逼り、赫然として威を作[な]す、吾れ則ち首を俛[た]れ気[いき]を屏[と]め、通信通市唯だ其の求むる所のままにして、敢へて之れに違ふことなく、佞人の利口、乃ち或は之れを 列聖の義に附 (会) す。是くの如きも

 

(四) 糧を敵に因るの一句、孫子作戦篇に出づ

 

https://dl.ndl.go.jp/pid/1048646/1/191

の、吾れ豈に其の邪説を縦[ゆる]すを得んや。夫れ水の流るるや自ら流るるなり、樹の立つや自ら立つなり、国の存するや自ら存するなり。豈に外に待つことあらんや。外に待つことなし。豈に外に制せらるることあらんや。外に制せらるることなし。故に能く外を制す。

(一) 吾が党の事はこれを天下後世の公論に付して可なり。何ぞ以て深く意に寘[お]くに足らんや。今此の録を観るに、間〻忿恨の言あるを免かれず。少壮鋭烈の気の乗ずる所に非ざるを得んや。是れ省みざるべからざるなり。

謹んで案ずるに、上世、聖皇、威は殊方[しゆほう]を懾[おそ]れしめ、恩は異類を撫したまひ、英図雄略万世に炳耀[へいえう]す。而して其の己れ虚[むな]しうして物を納れ、人の長を採りて己れの短を補ひ、彼れの有を遷して我れの無を贍[みた]したまふ、曠懐偉度蓋し亦後世の宜しく師法とすべき所なり。余向[さき]に時事に感激し、身家を顧みず、奮つて非常の功を為さんと欲す。而して天道の容れざる所、公法の恕[ゆる]さざる所、繫縲[けいるゐ]に辱しめ

(一) 以下三行、象山評

 

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られ、岸獄[がんごく]に困[くる]しめられ、特[ただ]に生きて国に益なきのみならず、又将に死して身に垢[けがれ]あらんとす、亦悲しむべきのみ。但だ平生の志磨せず折[くだ]けず、古史を読むごとに愈〻益〻慷慨す。是[ここ]に於て其の所謂炳耀し師法とすべきものを摘録し、人をして上世 聖皇の為したまふ所是くの如く、固より衰季苟且の論の如きに非ざるを知らしめんと欲す。然れども是れ特[た]だ十一を千百より挙げしのみ。若し其の詳且つ備はれるものを求めんとせば、史に就きて之れを考へて可なり。

(二) 孝安天皇の時、秦[シン]、長生不死の薬を我に求む。我れ因つて (三) 三帝五皇の書を彼れに求む。彼れ皆送致す。

按ずるに、此の事 (四) 神皇正統記に載す。確拠なしと雖も、蓋し亦古来の伝説然るなり。然して上世の 聖皇人より取りて善を為したまふの意は即ち見るべし。

崇神天皇六十五年、任那国 (みまなのくに) 、蘇那曷叱知 (そなかしち) を遣はして朝貢す。

垂仁天皇二年、蘇那曷叱知還るに因り、絹を其の王に賜ふ。

三年、新羅王の子天日槍 (あまのひほこ) 来り帰す。之を但馬国に置く。

 

吉田松陰全集. 第1巻(山口県教育会 編、岩波書店、1940年)所収「幽囚録」より
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