Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

船橋送信所無線電報に関する件 送信所において採りたる処置ならびに状況 1923.10.4

供覧 花押[財部彪] 【岡田】
1 軍務局【印】 第一課【印】
          第二課【印】
         第一課長【印】
2 人事局【印】
3 法務局【印】
    【藤田】【坂野】【豊田】【印】【印】……

               軍務局接受
              □10月 日【印】

【横鎮第137号】の2

  大正12年10月4日

       宇佐川 横須賀鎮守府参謀長

  大角海軍省軍務局長殿

   船橋送信所無線電報に関する件

 軍第665号をもつて御照会の本件、別紙の通りにこれあり、本府においてもその処置につき相当考慮中に候ふ。

 右回答す。

    別紙1通添ふ。

【軍第665号】の2

 

東無機密第24号の2

  大正12年10月1日

      東京海軍無線電信所長

  横須賀鎭守府参謀長殿

    船橋送信所無線電報に関する件

 9月2日より4日にわたり数回、不逞団鮮人来襲に関し電報の送信、ならびに9月4日夜、危急符の送信に関し取り調べ候ふところ、別紙、船橋送信所大森大尉報告の通りにこれありニ候ふ。当時、送信所間な有線無線連絡途絶し、ただ徒歩連絡による電報送達の際、相互に連絡をなし得るのみにして、通信事務極めと繁忙の当時においてニたがいに詳細なる通信を行婦余裕なく、したがつて送受信ともにたがひにその情況を詳知するを得ず、ことに船橋送信所においては東京方面の情勢不明にして、騷擾の真相を確かむるを得ず。避難者よりあるいは青年団等より誇大の情報に接するのみならず、警察署よりも襲撃に対する注意あり。また偵察騎兵よりの報告も来襲を報じ、またさきに警保局より発せる電報の次第もあり、来襲に備へざるべからざるに至りしこと、また一方において船橋送信所は当時における唯一の通信機関としてその任務重大にして、いやしくもこれを自覚する以上、充分な防備をなさざるべからざりしなり。しかして所内の状況は三方に張りある主塔メインステー最も危険にして、その内一本にても破壞せらるるときは、たちまち主塔倒壞し通信不能ち立ち至るをもつて、充分なる防備力を要せし次第なり。これにより送信所においては独断、騎兵20名の派遣を要求し、またしばしば東京所在所長に対し派兵の電報を発したる次第に候ふ。受信所においてもこの報に接し、直ちに海軍省副官を経て数回、陸軍省に派兵を要求したるも、派兵は実現せずして止みたり。9月4日夜、危急符を発したるは、偵察騎兵の報告により全然、注意喚起の意味をもつて警備隊の派遣を所長に要求したるものにして、[上余白:常軌を逸したる処置なり。] 当時、無線連絡充分ならざりしをもつて、送信勢力の軽減足らずして遠距離に到達し、また危急符をかかる意味をもつて発したるは甚だ遺憾つするところに候ふ。

 右報告す。

  (別紙添ふ。)

 

自9月1日震災

至9月11日

送信所において採りたる処置ならびに状況

                  大森大尉

 

      概況

 震災に続き送受両所間の通信連絡全く杜絶せしをもつて、両所間の規約に従ひ無線通信を試みたるも何らの応答なく、これと同時に逓信省の陸線もまたすべて不通となりたれば、送信所をもつて独立無線所として運用すべく決心し、極力主無系の指導管制に努めたり。

 もとより当所においては最初、震災による被害のかくまで大なるべしとは想像せず。したがつて通信線もまた前例のごとく数時にして回復するものと思ひをりしに、容易に回復せず、今はただ東京より公用使を俟つのみの状況となれり。しかるに俟つこと久しきもさる形勢なく、時間を閲するにしたがひ火災の横浜、東京にあるを確信し得、かつ事態容易ならざるものあるを知りしをもつて、取りあへず午後3時に概況を一般に通報し、同夜再び避難者の談を総合して概況を放送せり。これより先、受信所よりの公用使は到底来たらざるものと断念せしをもつて、今は当方より偵察兵を出すにしかずとなし、つひに午後4時半ごろ兵員をして今までの送信文を持参せしめ東京に派遣し、また6時ごろ他兵を第2公用として派遣せり。しかるに翌2日に至るも右公用使帰投せざるをもつて、再び第3使を2日午7時に派遣せしに、やうやく午後3時ころに至り相前後して三使とも帰投、もつて海軍省の無事なる報を得るとともに始めて送信文を受領するを得たり。爾後、徒歩連絡により続々送信文を受領しかたがた受信文を送付するを得たり。その後、6日に至り受診所に送信機到着し、かつ受診もある程度までは可能となりしをもつて、送信文は主として無線により当所に送り、さらにこれを規定に拠り送信することとせり。

 かくして8日に至り通信線も完成せしをもつて、従来通り受信所において管制することとなりたれば、通信頓に順調を見るに至れり。警備に関し、ては送受両所間の連絡杜絶せしため、種々の錯誤を生し遺憾の点多かりしも、要するに送信所警備につきては徹頭徹尾、小官の歎願聴かれず、終始不安に堪へざりしため、かくのごとき失態を演じ、誠に相済まぬことと思考しをれり。(後に至り、陸軍への交渉はその都度行はれたるを知リ、また結果より見れば徒に宣伝に乗りたることとなり、慚愧に堪へず。)

 しかれども小官の独断専行によりかの騒擾時において騎兵20名の派兵を請ひ、また小康を得てより歩兵16名ならびに霞ヶ浦航空隊より出せる陸戦隊37名の派兵により警備を厳にせしをもつて、村民は勿論、所員もまたやうやく安堵し、主任務たる通信に全力を注ぐを得たり。

 以下、時日を追ひその記憶を辿らんとす。 

 

1日
前11―55

 大地震のため送受両所間の連絡全く断たれたるをもつて、規約通り無線により連絡を図らんとせしもさらに応答なきをもつて、午後1時より主無電系の管制は船橋送信所にて行ふこととせり。横須賀電信所は通信機関破壊されたるもののごとく、阿蘇これに代り副無電所となる。

1日
後2―0

 再び東京受信所を無線をもつて連呼せしも応答なく、また本所内逓信局も他との通信全く絶えしをもつて、東京方面は勿論、各地との通信連絡全く杜絶、回復に焦慮せしもいかんともすべからず。

1日
後3―0

 新聞電報の末尾に「東京1今日暴風雨、正午より強震連続、横浜大火盛んに燃えつつあり」を放送。


〃4―0

 各所より受信せし電報の送達かたがた偵察すべく海軍省へ第1回公用を出す。(諸準備にて出発やや遅る。)


〃6―0

 東京方面の火災いよいよ確実となりしをもつて、状況視察かたがた受信文送達のため第2回公用使を出す。


〃7―5

 別紙タナ1の電を放送す。これより主無系の通信ますます頻繁となる。

 

大正12年9月1日
送信所 船橋
受信所 メD
番号 1
字数 40
送受信時刻 午后7時5分

ホンヒセウゴヨリトウチホウダイゲキシンノタメトウケウフナバシカンノレンラクトゼツネンノタメ

本日正午より当地方大激震のため東京船橋間の連絡途絶念のため

 

1日
後7―10

 佐世保へ返電としてタナ2を送信す。

 

大正12年9月1日
送信所 船橋
受信所 佐電
番号 2
送受信時刻 午後7時10分

ソウジユシンシヨカンノレンラクトゼツトリシラベチウ」ヨコスカトウケイホウメンヒガイバクダイソノタメフメイ

送受信所間の連絡途絶取り調べ中

横須賀東京方面被害莫大そのため不明

 


〃9―0

 通信社の新聞電報、報時等をなさず。避難民続々来たる。


〃11―13

 一般あて別紙タナ3の電を送信し、震災概要を通報す。(交付時間、後10―45)

 

大正12年9月1日
送信所 船橋
受信所 メD
番号 3
交付日時分 午後10時45分
送受信時刻 午後11時13分

ツウシンソウチスベテハカイノタメヒガイゼウケウヲシルヲエザレドモキクトコロニヨレバトウケウニハ二〇ヨカシヨ二カサイオコリイマナホサカンニモエツツアリキウゼウモエンセウセルヨシホンジヨフカガワゼンメツトノコトヨコハマモゼンメツノヨシジシントキドキアリ」ヒガイゴジユシンシヨヲレンコスレドモオウトウナクムセンレンラクモマツタクトゼツセシニツキヘイインヲハシゼウケウトリシラベチウ

通信装置すべて破壊のため被害状況を知るを得ざれども聞くところによれば東京には20余ヶ所に火災起こりいまなほ盛んに燃えつつあり宮城も延焼せる由本所深川全滅とのこと横浜も全滅の由地震時々あり

被害後受信所を連呼すれども応答なく無線連絡も全く途絶せしにつき兵員を派し状況取り調べ中

 

2日
前7―5

 前日派遣せる公用使未だ帰投せさるため掛念に堪へざるをもつて、さらに自転車に熟達せるものを選抜し、前夜来の受信文を送達すべく第3回公用使を出す。


〃7―25

 一般あて第2回状況を通報す(別紙タナ5)。交付時間、前5―0

 

9月2日
送信所 船橋
受信所 メD
番号 5
交付日時分 午前5時0分
字数 391
送受信時刻 午前7時15分
当務者 片

トイケウホンシヨカンノツウシンレンラクハモチロンゼウケウシサツノタメ二カイニワカチハケンセルヘイインモキシヨセザレバヒガイゼウケウフメイナルモヒナンシヤノダンニヨレバダイ一シンニヨリカオクトウカイセシタメズイシヨヨリカサイヲオコシ一、フカカワホンジヨホウメンハゼンセウセルモノノコトクシシヤヤマヲナスト二、ミツコシヨリハツカセルモノハキウゼウニオヨビケイシテウ、テイゲキトウゼンセウ三、カイグンセウノオウトウナキヲミレバドウセウモアヤウキガゴトシ四、カサイイマナホモウレツニシテスデニセンジユヨリシナカワニヲヨビバクハツヒンシユツ、グレンノホノホホンシヨヨリミユ五、シンドウイマナヲレンゾクイタリセンセンケウケウ六、ボウジユスルトコロニヨレバヨコハマナコヤモゼンメツセシガコトシ七、シヨシヨノテツケウオチコウツウトゼツ

東京本所間の通信連絡は勿論状況視察のため2回に分かち派遣せる兵員も帰所せざれば被害状況不明なるも被害者の談によれば第1震により家屋倒壊せしため随所より火災を起こし1.深川本所方面は全焼せるもののことく死者山をなすと2.三越より発火せるものは宮城に及び警視庁帝劇等全焼3.海軍所の応答なきを見れば同省も危うきがごとし4.火災今なほ猛烈にしてすでに千住より品川に及び爆発頻出紅蓮の炎本書より見ゆ5.振動今なを連続至り戦々兢々6.傍受するところによれば横浜名古屋も全滅せしがことし7.所々の鉄橋落ち交通途絶

 

2日
前9―0

 タナ5を再送す。


〃11―0

 主無系各所より多数の受信あるも、本所はこれを受信人(主に海軍省)に送達するの道なく、昨日来すでに3回の公用を出せしも消息不明につき、一般あて別紙タナ6の電を送信す。(交付時間前9―55)

 

9月2日
送信所 船橋
受信所 メD
番号 6
交付日時分 午前9時55分
字数 134
発信人 フイ
送受信時刻 午前11時0分
当務者 佐藤

トウケウユキデンポウヲホンシヨニテジユシンスルモセンポウニソウタツノミコミナキニツキヨコスカホウメンヨリノデンハシナカワヨリコウヨウシニヨルヲカヘツテジヨウケイナリトシコウスナホケサマデノブンハコウヨウシニモチユカシメタルモセウソクフメイゼン一〇ジ

東京行き電報を本所にて受信するも先方に送達の見込みなきにつき横須賀方面よりの電は品川より公用使によるを却つて上計なりと思考すなほ今朝までの分は公用のに持ち行かしめたるも消息不明前10時

 


後0―4

 佐電より、電報輻輳につき毎偶数時間連絡されたきむね申し越せるに対し、別紙タナ4のごとく返電す。

 

9月2日
送信所 船橋
受信所 佐電
番号 4
交付日時分 午前11、12 0
字數 53
受信人 サヲ
発信人 フイ
送受信時刻 午前12.、□
當務者 佐藤

ヘン、コチラサシツカヘナキモユウセンコウツウトゼツニツキジユシンスルモセンポウニトウタツノミコミナシ

返、こちら差し支へ、なきも有線交通途絶につき受信するも先方に到達の見込みなし

 


〃2―25

 第3回公用使、海軍省より多数送信電報を持ち帰所す。これより始めて帝都の震災程度を知り、通信交通機関全く[×孤立の状態にあるを知り×]<杜絶せし今日いよいよその責任の重大なるものあるを実感せしをもつて> 鋭意これら緊急電報の速達に努む。これより先、避難民より得たる情報により第3報を巨細にわたり放送する予定にて原文を交付せしも、緊急信多きをもつて中止し、奇数偶数時とも連続通信すべく決心せり。

2日
後3―0

 第1、2回公用使帰所、各方面宛の緊急信多数持ち来たる。本所はこれら緊急電報を一刻も早く送達するの重大任務にあるを自覚し、かつ本所送信勢力と通信距離より推すときは、わが送信に対する各艦所の受信容易なるべきを信じたるをもつて、3時より7時7分までK2をもつて連続送信す。ただし3〜4時は電球式送信機、5時火花式送信機、6〜7時は電球式送信機を使用す。

2日
後7―7

 前公用使の持参せし電報、一まづ片付きたりをもつて、該時間は専ら主無系の受信に努む。各所との通信順調なり。


〃8―0

 海軍省より第1回陸軍伝令、各所あて電報多数持ち来たる。

 大湊、父島および南洋方面行動艦船あて電報は、混信のため解否不明につき、至急を要する電報は時機を得次第、2回放送し後報解信とせり。(大湊、父島、舞鶴は混信少なきときにおいて直接交信せしこともありき。)

 送信電文、避難者、公用使、警官等により東京における鮮人の暴動を知り、敵愾心ますます高し。

2日
後9―2

 別紙(タナ27)を放送し、海軍省の無事なるを報ず。

 

大正12年9月2日
送信所 船橋
受信所 メD
番号 27
発信人 フイ
送受信時刻 午後9時2分

カイグンセウブジ

海軍省無事

 

3日
前3―20

 付近村落(主として船橋、中山、八幡方面)にて警鐘を乱打するをもつて、海嘯にあらずやと思ひ船橋警察署に問合せたるも、電話不通のため要領を得ず。


〃3―45

 海軍省より第2回伝令2名、送信電文持参、来着す。その言によれば、中山、市川方面に鮮人暴動起こり、漸次当方に襲来すとのことにつき、直ちに総員を集め武装警戒に任じ、海軍逓信両官舎居住者をして本所に収容す。爾後、兵曹長をして通信監督に、機関兵曹長をして警戒監督に当らしめ、小官は一般を指揮監督して、専心、通信の迅速·確実を計る傍ら警戒を厳にせり。

3日
前9―10

 鮮人に関する諸情報頻りに至り、実際目撃者の談等を総合するときはますます警戒を厳にする必要あり、かつ所員のみにては到底防御不可能なるを知りしをもつて、陸軍兵力の分派を請はんと決心し、所長に派兵の手続きを文書にてなすと同時に差し当り次の処置をとりたり。即ち公用を出し市川砲兵旅団司令部に本所警衛のため派兵方 依頼せしに、目下、東京方面に出払ひ中にて派兵に応じ難ければ、大久保衛戍司令官に請求されたしとのことにて、別紙甲のごとく照会したるに、折返し別紙乙のごとき返翰に接し、騎兵20名を派遣せらることとなれり。しかして通信はますます輻輳する一方なるに、当時は夏季休暇中にて手不足なると、かつ鮮人襲来の噂高きため、これが警戒任務等にて寸暇の休養も得られず、所員やうやく疲労の色見ゆ。

 

 大正12年9月3日

                 船橋送信所

  騎兵旅団司令部御中

     船橋送信所警衛の件

 当送信所付近には北総鉄道工事に従事中なる鮮人数百名あり、これら鮮人が東京方面の不逞団と提携し本所を襲擊せらるるときは、通信(目下各省の通信一手に引き受け取り込み中)全く杜絶するにつき、甚だ懸念に堪へず。よつて右警備方しかるべく御配慮相煩はれたし。

 右依頼す。

 追つて右鮮人の集団に対しては極力調査中なるも、手不足なると交通機関なきため全く不明に候ふ。
(終)

 

発9月3日午後2時5分

        習志野衛戍司令官代理 三好少将

  船橋送信所長殿

 御依頼の件承知。即刻、騎兵一小隊を派遣するごとく下命するはず。

 

3日
後1―0

 第3回伝令、送信電報持参、午後3時30分、第4回伝令、送信電報持参、来着。ともに沿道の警戒振りを報じ、本所爆撃の報をもたらすこと頻々なり。


〃4―0

 本所偵察兵帰所して曰く「先ほど市川に200の鮮人来たり、渡河を防止せんとし格闘、逮捕したるも、その大部分は中山より法典方面に逃走せりと」 なほ印内青年団は「中山にて7名逮捕。各々爆弾所持との報告をなす。

 船橋避難民収容所にて爆弾を携帯する鮮人と格闘、逮捕せし警察官、本所警備に来たる。


〃4―20

 伝令来所の度ごとに文書にて陸軍もしくは陸戦隊の出兵を請ひしに、これに関する返信さらになきをもつて、甚だ掛念に堪へざるところ、いよいよ危機の迫るを知り、別紙タナ75ウナタケを受信所あて送信す。

 

大正12年9月3日
送信所 船橋
受信所 東京
番号 75
字数 65
指定 ウナタケ
受信人 トヌ
発信人 フイ
送受信時刻 午後4時20分

フナハシソウシンジヨシユウゲキノオソレアリシキウキウエンタノムalキヘイ一コセウタイオウエンニクルハヅナルモイマダキタラ

船橋送信所襲撃のおそれあり至急救援頼む

騎兵1個小隊応援に来るはづなるも未だ来たらず

 


〃5―50

 第5回陸軍伝令、電報持参、通信順調に進行せり、日没後、警官、地方青年団ならびに在郷軍人団をもつて用地外壁に動哨を、主なる交通路に哨兵を配置し、所員は主として構内の警備に任ずる傍ら、自転車をもつて船橋、八幡方面に斥候を出し、状況を偵察せしむることとせり。


〃7―30

 習志野兵学校より特務曹長の率ゆる騎兵1小隊20到着、本所員と協力、警衛に任じ、騎兵斥候を各方面に派し情況を偵察せしむ。右小隊長の談によれば、

1.本日午前、鮮人20名、本校(騎兵学校)の火薬庫を襲撃せしも、逸早く急を告げたる歩哨のため無事なるを得たり。

2.鮮人、所沢航空隊の付近某村落を焼き討ちす。これ今回暴動の発端。

 当夜は空電激烈にして、通信困難なりしも、4日午前2時ころより漸次減退し、大湊、舞鶴等と交信し、放送電整理および主無系の受信等すこぶる進捗を見る。

3日
後8―15

 状况不穏につき別紙タナ88の電を所長に送信す。

 

大正12年9月3日
送信所 船橋
受信所 東京
番号 88
交付日時分 3日午後7時35分
受信人 トス
發信人 フイテウ
送受信時刻 午後8時15分

キヘイ二〇メイ七ジハントウチヤクケイカイニニンジツツアリフキンセンジンフオンノウワサ

騎兵20名7時半到着警戒に任じつつあり付近鮮人不穏の噂

 


〃10―5

 印内村青年団の報告によれば、八幡方面に朝人30名現はれ、各々爆弾を所持し、格闘の後7名を捕縛したるも、残り23名東方に逃走すと。

4日
前七−〇

 本所四周の村落(比較的遠方よりも来たる)より消防隊、在郷軍人(前夜警戒に当りたるもの以外のもの)手に手に凶器を携え一斉に本所へ集合、「ただ今鮮人の一隊、電信所を襲撃するから、すぐ応援に行けといふ命令がありました」なる報を得。即ち攻擊目標として本所の名現れたる始め。

[上余白:騎兵の情況偵察、如何]


〃7―55

 鮮人1名、用地内西部に現はれ、警戒兵および青年団等にて追跡せしも、山林中に逃れ、遂に捕縛するを得ざりき。

4日
前8―13

 さきに所長あて文書にて歩兵150出兵の交渉方願出でしも返信なく、状況はますますわれに不利なるをもつて、さらに所長あて援兵急派につき別紙タナ112の電を送信す。

 

大正12年9月4日
送信所 船橋
受信所 東京
番号 112
字数 157
指定 ウナ
受信人 トヌ
発信人 フイ
送受信時刻 午前8時13分

ホンシヨバクゲキノモクテキヲモツテシウライセルフテイダンキンセツ、キヘイ二〇セイネンダンセウボウタイトウニテケイカイチウミギノヘイインニテハトウテイボウギヨフカノウニツキヤク一〇〇ノホヘイキウハカタトリハカラワレタクトウホウメンノリクグンニハミギシユツペイノヨリヨクナシ、ゼ ン八ジ

本所爆撃の目的をもつて襲来せる不逞団近接。騎兵20青年団消防隊等にて警戒中右の兵員にては到底防御不可能につき約100の歩兵急派方取り計らはれたく当方面の陸軍には右出兵の余力なし。前8時

 


〃1―00

 騎兵第13連隊の小隊(20)と交代。

4日
後0―30

 受信所より伝令、電報持参。通信は順調に進行す。避難民の談により彼らに対する敵慨[→愾]心極度に達し、また鮮人の組織的暴動に関し油断を許さざるものあるを知る。


〃4―30

 休職中なる本所兵員の目擊談

「1.甲州街道烏山付近にて貨物自動車(運転士邦人2名、その上方には警官の服装を[×邦人2名×]したる鮮人に警官の提灯を打ちふりながら、あぶない、あぶないと連呼し)に鮮人16、おのおの拳銃を携え、あたかも米俵を満載せしがごとく装ひ、両側より銃口を出して疾走しながら良民を乱射するところを青年団在郷軍人<団>にて逮捕し、陸軍ならびに警官にて処置(うち数名、撲殺されたるものあり)せるを終始目擊したり。

2.鮮人500人位あて一団となり、多数の舟を仕立つてて多摩川を遡行、二子の渡しより上陸、北上、ここにて在郷軍人団、青年団等と格闘、多数の死傷あり。彼には有力なる武器を有するをもつて竹鎗、鳶口等にては到底敵し難きことを付近に居住する実兄より聴取せりと。

3.市内にては、石油を満たしたるビール瓶ならびに爆弾を所持せる鮮人、各所に放火をなし諸官衙を襲ふと」

 2日以来、送信の機会なかりし(至急を要せずとのことなると、また実際その機会もなかりし故)外国行き電報を午後2時、原ノ町に送信せしに「K1」にてみな了解、以後毎日午前8時と午後2時に連絡をとる様協定す。

4日
後6―0

 受信所より一水一来所、臨時勤務。そのころ本郷区長よりの伝令として青年団長員来所、「邦人社会主義者の一団、船橋電信所破壊の目的をもつて今朝、東京を出発せりと」

 右状況を判断するに、鮮人と称するは彼らのみにあらずして主義者との謂はゆる連合軍なり。しかるときは相当なる武器を有すべく、襲擊振りもまた秩序的なるものと見ざるべからず。即ち連日東京方面より追はれたる彼らは、付近鮮人と相提携し一挙に襲撃する計画ならん。ここにおいて警戒をますます厳ならんとせしも、昨夜来応援に来たりし青年団在郷軍人らは、疲労のため5〜6名のほか来たらず、所員もまた連日連夜、不眠不休の警戒にて疲労甚だしく、特に電信員にありてはこれが影響甚だしく、ために送信に際し消字、誤謬等続出するの状態にして、警戒は第二の問題とし、通信上、甚だ不安を感じたり。もとより昼間用事なきものは最小限度の警戒兵を残し成るべく安眠せしめんとせしも、連続至る警報と、ほとんど間断なく乱打さるる警鐘とにより、彼らも安閑として睡眠する能はず、結局、銃を執つて奮つて自警するの止むを得ざる状况なれば、小閑を得て潜勢力を養はんとするがごときは一も見られず、一同ただただ援兵の来着をのみ鶴首して待ちをりし次第なり。

4日
後7―30

 ころ小官の問合はせに対し船橋警察署長より左の電話あり。

「鮮人300船橋海岸に上陸すとのことにて、目下取り調べ中なるも不明。茨城県の鮮人団、貴所破壊の目的をもつて南下せりとの報あれば、充分気を付けられたし、念のため。」

 右により船橋、中山方面に自転車偵察兵を出す。

4日
後8―0

 ころ騎兵の仮設せる軍用電話(千葉〜舩橋〜本所間)にて小隊長への報告。
「鮮人300行徳に上陸、船橋電信所に向ふ。」


〃8―5

 右電話にて「ただ今の行徳は浦安なり。」


〃8―30

 印内村の青年団より伝令、自転車にて来たり、左の報告をなすとともに兵力の分派を嘆願す。

「ただ今、西海神に鮮人150上陸せんとす。上陸せしむるときは事重大なるべければ、成るべく未上陸のうちに撃滅したし。よつて兵力の分派を願ふ」と。

 小官の状况判断

 さきに行徳方面に上陸せし鮮人団は行路上諸障害あるをもつて、他の一団に対し比較的障害(防御)少なく、しかして電信所に至る最捷路たる西海神に上陸し、一挙にして本所を襲はんとするもののごとし。

 決心

 時間は不明なるも、行徳方面に上陸せしものはまづ1時間以内に到着するものと思はざるべからず。しかして西海神方面の敵に対しては右伝令の言のごとく未上陸のうちに激滅するは策の最上なる考へなれども、一方に衆敵を控へながら我は寡兵をもつてしてなほその中より守兵を割くがごときは到底出来得べきことにあらず。よつて該方面の敵に対しては所在青年団在郷軍人団等にて極力これを防御し、力足らずんば止むを得ず両敵を迎ひここに戦はんと決心し、左のごとく申し渡せり。

「状况右のごとくなれば遺憾ながら兵力の分派に応じ難し。願はくば諸君の最良なる手段と報国的精神とにより該敵の殲滅に努められたし」と。

 ここにおいてさらに騎兵斥候を急派し、一方、所員をして自転車にて急速偵察に当らしめ、同方面に対する警戒をますます厳ならしめ、他方、警察を介し陸軍と交渉し援兵の増派を請ひしも、余力なきため応じ難しとのことなりき。

4日
後8―50

 行徳方面の鮮人襲来につきタナ146の電を所長あて打電。(ただし交付時は8時とす。)

 

大正12年9月4日
送信所 船橋
受信所 東京
番号 146
交付日時分 午後8時45分
指定 ウナ
受信人 トリ
発信人 フイ
送受信時刻 午後8時50分

ゴ八ジハンセンジン三〇〇フナハシカイガンジヨウリクトノホウアリキキユウセマルホヘイノトウチヤクイツナルヤ
 後8時半鮮人300船橋海岸上陸との報あり危急迫る歩兵の到着いつなるや

 

4日
後9―0

 騎兵斥候帰着。
「鮮人の一団は西海神に上陸、ただ今こちらなか向ひます。」

 決心

 騎兵をして副塔外方において側面を攻撃せしめ、銃隊(所員)をして垣外において散兵を敷き、残りは垣内(主として直接電信室、電源室)の周囲にありて格闘の配置にあらしむ。

 惟ふに450人の不逞団を前にひかへ、我はただ騎兵20と烏合の衆に近き少数の電信所員とにていかにこれを防御し得べき。戦時敵地において右のごとき運命とならば、これ軍人の本領、いづれも国家に捧げし身にしあれば、尽忠報国の好機会なるをもつて死守これ努め、力足らざれば潔く戦死も遂ぐべけれ、帝都の近くにあり、しかも平時において当時の大任務に鑑み、また防御につきあらかじめ各種の手段を講じながら、海軍逓信両官舎その他の避難民を収容しながら、何としておめおめ彼らに破らるべき。兵は少なりといへども、武器は鮮なりといへども、ここ一番人事を尽くして死守せざるべからず。今や陸軍も来たらず、民衆の応援もなし。しかず品川沖に碇泊せる艦船(陸戦隊はすでに出航せる幻影もありたり)に急を告げんにはと、持久戦によりある時間を持し、陸戦隊の来着を待ちて敵を殲滅せんとす。しかして演習等ならば危急符の特約もあれ、目下はこれに代ふべき該当符もなし。さらばとて停信符の使用も当を得たるものにあらず。即ち咄嗟のうちに思ひ出せるはSOSにして、陸上電信所の使用すべき符号にあらざるは万々承知したるも、単に注意喚起の意味をもつて左のごとく命令せり。(小官所在表門)「『SOS.援兵たのむ船橋』を連[×送せよ。右終らばそのまま送信を継続すべし。」しかるに伝令は咄嗟、危急の場合にて「援兵頼む」を失念せしと見え、単に「SOS船橋」のみを連送せし×]<送し、その次に『午後8時半、鮮人300船橋に上陸、危急迫る』を送信せよ。右終らばそのまま送信を継続すべし。」 然るに咄嗟の場合として援兵頼むの句を失念せし>ものなり。[上余白:当前[→然]のことなり。自分が一番あわててる。] しかれども通信は瞬間も休まず、悠要迫らず泰然として送信業務に当りたるは賞賛に値するものなり。(当直者、三曽、佐藤重吉、土屋雄健)

 これを要するに当時錯乱せる小官の心情を分解すれば、

1.当時の小官としては、無援孤立にある独立指揮官として、当時、有線、無線等いやしくも電信界における唯一の通信機関たる本所の任務と吾人の責任とを余りに重大視過ぎたること。(人事を尽さずして徒に殉職せるは、この場合不可なる意。)

2.避難民を収容したる関係上、往年の尼港事件を連想し、前車覆轍の議を免れたく思考したること。

3.2日、警保局長(あるいは警視総監なりしか、内務大臣なりしか)より山口県知事あて、鮮人暴動に関する電その他にて、横浜、東京における彼らの暴動の根拠あり組織的なることを聞知したるをもつて、事態容易ならずとかねて自覚したること。
4.通信機関の杜絶せる関係上、避難者の目撃談、警察官の実験談、所員ならびに青年団の報告等は、この場合、真とせざるを得ざりしこと。ことに陸軍の斥候報告に至りては誰しも疑はざる所なり。

5.電信所員としては偵察、斥候等、万全を尽したるも、当時、以上探求するの余裕なく、したがつて他の報告の組織的、秩序的にして、かつ連続的なるときは、いよいよ真実なりと思はざるを得ざりしこと。

6.東京方面における宣伝等は事件一段落まで絶対に知らざりしこと。

7.劈頭より警備の手薄なるため甚だ不安なりしこと。

8.出兵要求に対し何らの返信に接せざるをもつて、無援孤立の念をさらに深からしめたること。

9.最後の騎兵斥候報告は、危急符放送を敢行せしめたる直接原因たること。

10.右は海軍陸戦隊の来援を促すとともに、これが実現まで極力死守する  決心にして、右危急符を放送するも、爾後通信を継続すれぱ、通信上何らの欠陥をも来たさざるものと確信したること

等なり。

 通信状況に至りてはまことに順調にして、さきに大湊、舞鶴等あて放送せしものは第1回送信にて了解しをりしを知れり。

 鳳山は本日より応答なきをもつて、同所あて電はK2にて2回放送の上、後報解信のむね指定せり。

 昨日来、受信所との無電連絡に注意するも先方の感なし。

 

5日
前5―0
 別紙タナ184の電を打電す。

大正12年9月5日
送信所 船橋
受信所 阿蘇、東京
番号 184
字数 407
指定 ウナ
受信人 ヨニトヌ
発信人 フイテウ
送受信時刻 午セ5時1分

五ヒゴゼン五ジイゼウナシ」二ヒライトウケウホウメンヨリタスウノセンジンサンサンゴゴホンシヨフキンノシンリンニノガレキタリソノコウドウジウライザイジウノモノトコオウスルモノノゴトクタスウノソンミンニテケイカイチウノトコロサクヤ八ジギヨウトクニシカイジントウニヤク五〇〇(イレレ)ノセンジンゼウリクホンシヨニムカフトノホウニセツシタルモツイニナニゴトモナカリキモツカリウゲンヒゴシキリニイタリキヘイ二〇トトモニケイカイチウナルモレンジツレンヤノケイカイニテシヨインノヒロウハナハダシクツウシンノウリツニエイケウスルトコロジンダイナルヲモツテケイビハシヨインガイノモノニテナシシヨインハシユニンムタルツウシンノミニアタルヲキウムナリトシコウスナホホンシヨノメンセキヨリスルトキハスクナクモ一コチウタイイゼウノヘイリヨクヲヨウスルモノトミトムミギガイホウス

5日午前5時異常なし

2日来東京方面より多数の○[朝鮮]人三々五々本所付近の森林に逃れ来たりその行動従来在住の者と呼応するもののごとく多数の村民にて警戒中のところ昨夜8時行徳西海神島に約500(イレレ)の○[朝鮮]人上陸本所に向ふとの報に接したるもついに何事もなかりき目下流言蜚語頻りに至り騎兵20とともに警戒中なるも連日連夜の警戒にて所員の疲労甚だしく通信能率に影響するところ甚大なるをつて警備は所員外の者にてなし所員は主任務たる通信のみに当るを急務なりと思考すなほ本所の面積よりするときは少なくも1個中隊以上の兵力を要するものと認む右外報す

 


〃8―0

 通信に関しタナ149の電を所長あて送信。(了解せしも時間不明)

 

大正12年9月5日
送信所 船橋
受信所 東京
番号 149
交付日時分 午後10時50分

トウケウフナハシカンノレンラクヲグウスウジカンゼンブトスルトキハフクソウセルソウシンブンナホサラサバケズマタキシヨ九三〇ノハテウナラビ ニゲンセリイヨクニテハコンシンノタメジユシンコンナンニツキグウスウジノハジメキシヨノカンナキトキハジウライノトウリニソウシンスベキニツキゴニンキヨヲコウゼン八ジ

東京船橋間の連絡を偶数時間とするときは輻輳せる送信文なほさら捌けずまた貴所930の波長ならびに現勢力にては混信のため受信困難につき偶数時の初め貴所の感なきときは従来の通り送信すべきにつき御認許を請う前8時

 


〃9―30

 別紙タナ147の電を打電す。

 

大正12年9月5日
送信所 船橋
受信所 東京、横鎮
番号 147
交付日時分 □9時0分
字数 107
指定 ウナ
受信人 ヨニ−トヌ
発信人 フイ
送受信時刻 9時30分

モツカイゼウナキモダイシウダンヨリナルフテイダンシウライノホウヒンピントシテイタリハナハダフアンニツキリクグンモシクハリクセンタイキユウハカタトリハカラハレタシモツカキヘイ二〇メイアリ

目下異常なきも大集団よりなる不逞団襲来の報頻々として至り甚だ不安につき陸軍もしくは陸戦隊急派方取り計らはれたし目下騎兵20名あり

 


〃11―0

 海軍省より公用使、電報を持参。


〃11―15

 騎兵第14連隊より1個小隊(20)来着、第13連隊と交代す。

5日
後2―0

 戒厳司令部より笠井参謀来所、警備につき打合せをなし、最大限度の出兵方を約す。


〃3―30

 霞ヶ浦航空隊より貞方中尉の率ゆる陸戦隊37来着。タナ156を所長、横鎮参謀長あて打電。

 

大正12年9月5日
送信所 船橋
受信所 東京
番号 156
交付日時分 午□4時20分
字数 61
受信人 トヌ、ヨニ
発信人 フイ
送受信時刻 5時10分

カスミガウラコウクウタイサダカタチウイヒキユルリクセンタイ三七ゴゴ四ジチヤクミギリクグンヘモオツタヘヲコフ

霞ヶ浦航空隊貞方中尉率ゆる陸戦隊37午後4時着右陸戦隊へも御伝へを請ふ

 


〃8―30

 歩兵学校より歩兵16来着。タナ173所長あて打電。

 

大正12年9月5日
送信所 船橋
受信所 東京
番号 173
交付日時分 午ゴ9時5分
字数 35
受信人 トヌ
発信人 フイ
送受信時刻 午ゴ10時40分

リクグンホヘイガクコウヨリケイビノタメゴ九ジトウチヤク

陸軍歩兵学校より警備のため後9時到着

 


〃11―30

 右、横鎮参謀長あて打電。(交付時後9時)

6日
前6―40

 受信所と無電連絡可能となる。しかれども時として不通となることあり。

 通信状況一般に順調にして、さきに協定せる時間において原ノ町との交信最順調なり。

6日
前11―0

 中央気象台より藤原博士来所、警報、報時事務につき打合はせをなす。


〃11―45

 騎兵第15連隊より一個小隊(20)来着、第14連隊と交代す。


後0―15

 水雷学校より電信員4名、臨時派遣。


〃1―15

 受信所との無電連絡確実となりたるをもつて別紙タナ66の電を主無系あて送信す。

 

受信人所名 サル、ホト、アク
トリ
大正12年9月6日
送信所 船橋
受信所 佐、鳳、阿
番号 66
送受信時刻 午ゴ1時15分

ジユシンシヨトノムデンレンラクカンセイ、ジユシンシヨハサセホ、アソニジユシンキカク一ダイヅツヲハイシタヘズジユシンス

受信所との無電連絡完成、受信所は佐世保阿蘇に受信機各1台づつを配し絶へず受信す

 


〃6―0

 警報·報時事務に関し別紙タナ203の電を所長あて送信す。

 

大正12年9月5日
送信所 船橋
受信所 東京
番号 203
送受信時刻 午コ6時0分

ケイホウホウソウニツキフジハラハカセトホウアンシヨ(ドウハカセキシヨニトドクルハヅ)ノトウリケウテイセルモジツシキジツ(八ヒ)マデデキウルカギリホウソウシタキユエコウベ ジウライノホウソウ(ゼ九ジハン、ゴ三ジハン、九ジハン)ヲジユシンノウヘテンデンヲネガイタシ

警報放送につき藤原博士と方案書(同博士貴所に届くるはづ)の通り協定せるも実施期日(8日)まで出来得る限り放送したき故神戸従来の放送(ゼ9時半、後3時半、9時半)を受信の上転電を願いたし

 


〃7―0

 送受両所間の無電連絡は主として偶数時間においてするをもつて、該時間の一部(前8―0、後2―0)を対原ノ町通信に割くときは、部内(勿論、外もあり)通信の進捗上、甚だ不利なり。故に外国行電報の幾分を銚子経由原ノ町に送信するときは、右電報の捌き方上、非常に有利なるをもつて、

数日前より銚子〜船橋間の全力開通を慫慂したりしが、つひに実現せられ、爾後、外国行き電報は右経路によこてとし、大いに有効なりき。

7日
前10―0

 千葉衛戍司令官、三好少将の交渉により警備中の騎兵20ならびに歩兵16撤退。

8日
前5―0

 霞ヶ浦陸戦隊撤退。


〃10―0

 海軍省との通信線1本完成。


〃11―25

 別紙タナ321を横鎮参謀長および所長に打電す。

 

大正12年9月8日
送信所 船橋
受信所 東京、橫鎮
番号 321
受信人 ヨニ、トヌ
発信人 フイ
送受信時刻 午セ11時23分

ホンシヨケイビノリクヘイナラビニカスミカウラリクセンタイテツタイ八ヒ

本所警備の陸兵ならびに霞ヶ浦陸戦隊撤退8日

 

8日
後7―0

 管制電鑰線完成。震災後、初めての使用。


〃7―50

 警報ならびに報時事務に関し、別紙タナ337を放送す。

 警備隊引き揚げのため、本所兵員のみにて警戒に任ず。

 

大正12年9月8日
送信所 船橋
受信所 メD
番号 337
送受信時刻 午セ7時57分

ホンヒヨリコウベカイヨウキセウダイニテホウジジムヲナスジカンゴ九ジハテウ三三〇〇アーク」ホンシヨニテミギキセウダイカンソクニヨルケイホウハジウライトウリホウソウス

本日より神戸海洋気象台にて報時事務をなす時間後9時波長3300アーク

本所にて右気象台観測による警報は従来通り放送す

 

9日
前9―0

 通信は1直2名あてを配し、努めて受信(1名は主無系に、1名は横須賀方面に)に当る。

11日
2―50

 震災のため第二次電池室、瓦破損につき電池保存上より直接修理のむね照会す。(別紙)

 

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供覧 花押[財部彪] 【岡田】
1 軍務局【印】 第一課【印】
          第二課【印】
         第一課長【印】
2 人事局【印】
3 法務局【印】
    【藤田】【坂野】【豊田】【印】【印】……

               軍務局接受
               □十月 日【印】

【横鎭第一三七號】ノ二

  大正十二年十月四日

       宇佐川 横須賀鎭守府参謀長

  大角海軍省軍務局長殿

   舩橋送信所無線電報ニ関スル件

軍第六六五號ヲ以テ御照會ノ本件 別紙ノ通ニ有之 本府ニ於テモ其ノ處置ニ就キ相當考慮中ニ候

右 囬答ス

    別紙一通添

【軍第六六五號】ノ二


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東無機密第二四號ノ二

  大正十二年十月一日

      東京海軍無線電信所長

  横須賀鎭守府参謀長殿

    舩橋送信所無線電報ニ關スル件

九月二日ヨリ四日ニ亘リ数囘 不逞團鮮人來襲ニ關シ電報ノ送信 並 九月四日夜 危急符ノ送信ニ關シ取調候處 別紙 舩橋送信所大森大尉報告ノ通ニ有之候 當時 送信所間ノ有線無線連絡途絶シ 唯タ徒歩連絡ニ依ル電報送達ノ際 相互ニ連絡ヲ為シ得ルノミニシテ 通信事務 極メテ繁忙ノ


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當時ニ於テ互ニ詳細ナル通信ヲ行フ餘裕ナク 從ツテ送受信共ニ互ニ其ノ情况ヲ詳知スルヲ得ス 殊ニ舩橋送信所ニ於テハ東京方面ノ情勢不明ニシテ 騷擾ノ眞相ヲ確ムルヲ得ス 避難者ヨリ或ハ青年團等ヨリ誇大ノ情報ニ接スルノミナラス 警察署ヨリモ襲撃ニ對スル注意アリ 又 偵察騎兵ヨリノ報告モ來襲ヲ報シ 又 曩ニ警保局ヨリ發セル電報ノ次苐モアリ 來襲ニ備ヘサルヘカラサルニ至リシコト 又 一方ニ於テ 舩橋送信所ハ當時ニ於ケル唯一ノ通信機関トシテ其ノ任務重大ニシテ 苟モ之ヲ自覺スル以上 充分ノ防備ヲナササルヘカラサリシナリ 而シテ所内ノ狀况ハ三方ニ張リアル主塔「メイン


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ステー」最モ危険ニシテ 其ノ内一本ニテモ破壞セラルヽトキハ 忽チ主塔倒壞シ通信不能ニ立至ルヲ以テ 充分ナル防備力ヲ要セシ次苐ナリ 之レニ依リ送信所ニ於テハ獨断騎兵二十名ノ派遣ヲ要求シ 又 屢々東京所在所長ニ対シ派兵ノ電報ヲ發シタル次苐ニ候 受信所ニ於テモ此ノ報ニ接シ直チニ海軍省副官ヲ经テ数囘 陸軍省ニ派兵ヲ要求シタルモ 派兵ハ實現セスシテ止ミタリ 九月四日夜 危急符ヲ發シタルハ 偵察騎兵ノ報告ニ依リ全然注意喚起ノ意味ヲ以テ警備隊ノ派遣ヲ所長ニ要求シタルモノニシテ[上余白:常軌ヲ逸シタル處置ナリ] 當時 無線連絡充分ナラサリシヲ以テ 送信勢力ノ軽減足ラスシテ遠距離ニ到達シ 又 危急


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符ヲ斯ル意味ヲ以テ發シタルハ甚タ遺憾トスル所ニ候

右 報告ス

  (別紙添)


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自 九月一日震災

至 九月十一日 送信所ニ於テ採リタル處置 竝ニ状况

                  大森大尉


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      槪况

震災ニ續キ送受両所間ノ通信連絡全ク杜絶セシヲ以テ 両所間ノ規約ニ従ヒ無線通信ヲ試ミタルモ何等ノ應答ナク 之ト同時ニ逓信省ノ陸線モ亦凡テ不通トナリタレハ 送信所ヲ以テ独立無線所トシテ運用スヘク決心シ 極力主無系ノ指導管制ニ努メタリ

素ヨリ當所ニ於テハ最初 震災ニ依ル被害ノ斯ク迠大ナルベシトハ想像セス 従テ通信線モ亦 前例ノ如ク数時ニシテ恢復スルモノト思ヒ居シニ 容易ニ恢復セス 今ハ唯東京ヨリ公用使ヲ俟ツノミノ状况トナレリ 然ルニ俟ツコト久シキモサル形勢ナク 時間ヲ閲スルニ従ヒ火災ノ横濱、東京ニ在ルヲ確信シ得 且 事


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態容易ナラサルモノアルヲ知リシヲ以テ 不取敢 午後三時ニ槪况ヲ一般ニ通報シ 同夜再ヒ避難者ノ談ヲ綜合シテ槪况ヲ放送セリ 是ヨリ先 受信所ヨリノ公用使ハ到底来ラサルモノト断念セシヲ以テ 今ハ當方ヨリ偵察兵ヲ出スニ若カストナシ 遂ニ午後四時半頃 兵員ヲシテ今迠ノ送信文ヲ持参セシメ東京ニ派遣シ 又 六時頃 他兵ヲ第二公用トシテ派遣セリ 然ルニ翌二日ニ至ルモ右公用使帰投セサルヲ以テ 再ヒ第三使ヲ二日午前七時ニ派遣セシニ 漸ク午後三時頃ニ至リ相前後シテ三使共帰投 以テ海軍省ノ無事ナル報ヲ得ルト共ニ始メテ送信文ヲ受領スルヲ得タリ 尓後 徒歩連絡ニ依リ續々送信文ヲ受領シ旁々受信文ヲ送付スルヲ得タリ 其後 六


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日ニ至リ受診所ニ送信機到着シ 且 受診モ或程度迠ハ可能トナリシヲ以テ 送信文ハ主トシテ無線ニヨリ當所ニ送リ 更ニ之ヲ規定ニ據リ送信スルコトヽセリ

斯クシテ八日ニ至リ通信線モ完成セシヲ以テ 従来通リ受信所ニ於テ管制スル事トナリタレハ 通信頓ニ順調ヲ見ルニ至レリ 警備ニ関シテハ送受両所間ノ聯絡杜絶セシタメ 種々ノ錯誤ヲ生シ遺憾ノ奌多カリシモ 要スルニ送信所警備ニツキテハ徹頭徹尾 小官ノ歎願聽カレス 終始不安ニ堪ヘサリシ為 如斯失態ヲ演シ 誠ニ相済マヌ事ト思考シ居レリ(後ニ至リ 陸軍ヘノ交渉ハ其都度行ハレタルヲ知リ 又 結果ヨリ見レハ徒ニ宣伝ニ乗リタル事トナリ 慚愧ニ不堪)


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然レトモ小官ノ独断專行ニヨリカノ騒擾時ニ於テ騎兵二〇名ノ派兵ヲ請ヒ 又 小康ヲ得テヨリ歩兵一六名 竝ニ霞ヶ浦航空隊ヨリ出セル陸戰隊三七名ノ派兵ニヨリ警備ヲ嚴ニセシヲ以テ 村民ハ勿論 所員モ亦 漸ク安堵シ 主任務タル通信ニ全力ヲ注クヲ得タリ

以下 時日ヲ追ヒ其記憶ヲ辿ラントス

一日
前一一−五五

地震ノ為メ送受両所間ノ連絡全ク断タレタルヲ以テ 規約通リ無線ニ依リ聯絡ヲ図ラントセシモ更ニ應答ナキヲ以テ 午後一時ヨリ主無電系ノ管制ハ舩橋送信所ニテ[×之ヲ×]行フ<事トセリ> 横須賀電信所ハ通信機関破壞サレタルモノヽ如ク 阿蘓 之ニ代リ副無電所トナル


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一日
后二−〇

再ヒ東京受信所ヲ無線ヲ以テ連呼セシモ應答ナク 又 本所内逓信局モ他トノ通信全ク絶エシヲ以テ 東京方面ハ勿論 各地トノ通信連絡全ク杜絶 恢復ニ焦慮セシモ如何トモスヘカラス

一日
后三−〇

新聞電報ノ末尾ニ『東京一今日 暴風雨 正午ヨリ强震連續 横濱大火 盛ンニ燃エツヽアリ』ヲ放送


〃四−三〇

各所ヨリ受信セシ電報ノ送達旁々偵察スベク 海軍省ヘ第一囬公用ヲ出ス(諸準備ニテ出発稍遅ル)

〃六−〇

東京方面ノ火災 愈々確実トナリシヲ<以テ> 状况視察旁受信文送達ノ為 第二囬公用使ヲ出ス


〃七−五

別紙タナ一ノ電ヲ放送ス 之ヨリ主無系ノ通信益々


f:id:ObladiOblako:20210907091822j:image

頻繁トナル

一日
后七−一〇

佐世保ヘ返電トシテタナ二ヲ送信ス


〃九−〇

通信社ノ新聞電報、報時等ヲナサス避難民續々来ル


〃一一−一三

一般宛 別紙タナ三ノ電ヲ送信シ 震災槪要ヲ通報ス(交付時間后一〇 − 四五)

二日
前七−一五

前日派遣セル公用使未タ帰投セサル為メ掛念ニ不堪ルヲ以テ 更ニ自轉車ニ熟達セルモノヲ選拔シ 前夜来ノ受信文ヲ送達スヘク第三囬公用使ヲ出ス


〃七−二五

一般宛第二囬状况ヲ通報ス(別紙タナ五) 交付時間前五−〇


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二日
前九−〇

タナ五ヲ再送ス


〃一一−〇

主無系各所ヨリ夛数ノ受信アルモ 本所ハ之ヲ受信人(主ニ海軍省)ニ送達スルノ道ナク 昨日来 既ニ三囬ノ公用ヲ出セシモ消息不明ニ付 一般宛 別紙タナ六ノ電ヲ送信ス(交付時間前九−五五)


后〇−四

佐電ヨリ 電報輻輳ニ付 毎偶数時間連絡サレタキ㫖 申越セルニ対シ 別紙タナ四ノ如ク返電ス


〃二―二五

第三囬公用使 海軍省ヨリ夛数送信電報ヲ持チ皈所ス 之ヨリ始メテ帝都ノ震災程度[×及×]<ヲ知リ>通信交通機関全ク[×孤立ノ状態ニアルヲ知リ×]<杜絶セシ今日 愈々其責任ノ重大ナルモノアルヲ実感セシヲ以テ> 鋭意之レ等緊急電報ノ速達ニ努厶 之ヨリ先キ避難民ヨリ


f:id:ObladiOblako:20210907192854j:image

得タル情報ニヨリ 第三報ヲ巨細ニ亘リ放送スル予定ニテ原文ヲ交付セシモ 紧急信多キヲ以テ中止シ 奇数偶数時共連續通信スヘク決心セリ

二日
后三−〇

第一、二囬公用使帰所 各方面宛ノ紧急信夛数持チ来ル 本所ハ之等紧急電報ヲ一刻モ早ク送達スルノ重大任務ニアルヲ自覺シ 且 本所送信勢力ト通信巨离ヨリ推ス時ハ 吾送信ニ対スル各艦所ノ受信容易ナルヘキヲ信シタルヲ以テ 三時ヨリ七時七分迠 K二ヲ以テ連續送信ス 但シ三、四時ハ電球式送信機 五時火花式送信機 六、七時ハ電球式送信機ヲ使用ス


f:id:ObladiOblako:20210907201158j:image

二日
后七−七

前公用使ノ持参セシ電報 一先ツ片付キタルヲ以テ 該時間ハ專ラ主無系ノ受信ニ努厶 各所トノ通信 順調ナリ


〃八−〇

海軍省ヨリ第一囬陸軍傳令 各所宛電報多数持チ来ル

大湊、父島 及 南洋方面行動艦舩宛電報ハ 混信ノ為 解否不明ニ付 至急ヲ要スル電報ハ 時機ヲ得次第二囬放送シ 後報解信トセリ(大湊、父島 舞鶴ハ混信少ナキ時ニ於テ直接交信セシ事モアリキ)

送信電文、避難者、公用使、警官等ニ依リ 東京ニ於ケル鮮人ノ暴動ヲ知リ 敵愾心愈々髙シ


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二日
后九−二

別紙(タナ二七)ヲ放送シ 海軍省ノ無事ナルヲ報ス

三日
前三−二〇

附近村落(主トシテ舩橋、中山、八幡、方面)ニテ警鐘ヲ乱打スルヲ以テ 海嘯ニアラスヤト思ヒ舩橋警察署ニ問合セタルモ 電話不通ノ為メ要領ヲ得ス


〃三−四五

海軍省ヨリ第二囬伝令二名 送信電文持参 来着ス 其ノ言ニ依レハ 中山市川方面ニ鮮人暴動起リ 漸次 当方ニ襲来ストノ事ニ付キ 直チニ総員ヲ集メ武装警戒ニ任シ 海軍逓信両官舎居住者ヲシテ本所ニ收容ス 尓後兵曹長ヲシテ通信监督ニ 機関兵曹長ヲシテ警戒监督ニ当ラシメ 小官ハ一般ヲ指揮监督シテ 專心通信ノ迅速確実ヲ計ル傍ラ警戒ヲ嚴ニセリ


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三日
前九−一〇

鮮人ニ関スル諸情報頻リニ至リ 実際目撃者ノ談等ヲ綜合スル時ハ益々警戒ヲ嚴ニスル必要アリ 且 所員ノミニテハ到底防御不可能ナルヲ知リシヲ以テ 陸軍兵力ノ分派ヲ請ハント決心シ 所長ニ派兵ノ手續ヲ文書ニテナスト同時ニ 差当リ次ノ処置ヲトリタリ 即チ公用ヲ出シ市川砲兵旅團司令部ニ本所警衛ノ為 派兵方 依頼セシニ 目下 東京方面ニ出拂中ニテ派兵ニ應シ難ケレハ 大久保衛戍司令官ニ請求サレタシトノ事ニテ 別紙甲ノ如ク照会シタルニ 折返シ別紙乙ノ如キ返翰ニ接シ 騎兵二〇名ヲ派遣セラル事トナレリ 而シテ通信ハ益々輻輳スル一方ナルニ 當時ハ夏季休暇中ニテ


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手不足ナルト 且 鮮人襲来ノ噂髙キ為メ 之カ警戒任務等ニテ寸暇ノ休養モ得ラレス 所員 漸ク疲労ノ色見ユ

三日
后一−〇

第三囬傳令 送信電報持参 午后三時三十分 第四囬傳令 送信電報持参 来着 共ニ沿道ノ警戒振リヲ報シ 本所爆撃ノ報ヲ齎スコト頻々ナリ


〃四−〇

本所偵察兵帰所シテ曰ク『先程 市川ニ二〇〇ノ鮮人来リ 渡河ヲ防止セントシ格鬪 逮捕シタルモ 其大部分ハ中山ヨリ法典方面ニ逃走セリト』 尚 印内青年團ハ『中山ニテ七名逮捕 各々爆彈所持』トノ報告ヲナス

舩橋避難民収容所ニテ爆彈ヲ携帶スル鮮人ト格


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鬪 逮捕セシ警察官 本所警備ニ来ル


〃四−二〇

傳令来所ノ度毎ニ文書ニテ陸軍 若シクハ陸戰隊ノ出兵ヲ請ヒシニ 之ニ関スル返信 更ニ無キヲ以テ甚 掛念ニ不堪トコロ 愈々危機ノ迫ルヲ知リ 別紙タナ七五ウナタケヲ受信所宛 送信ス


〃五−五〇

第五囬陸軍傳令 電報持参 通信順調ニ進行セリ 日没后 警官 地方青年團 並ニ在郷軍人團ヲ以テ用地外壁ニ動哨ヲ 主ナル交通路ニ哨兵ヲ配置シ 所員ハ主トシテ構内ノ警備ニ任スル傍ラ 自轉車ヲ以テ舩橋、八幡方面ニ斥候ヲ出シ 状况ヲ偵察セシムルカトヽセリ


〃七−三〇

習志野騎兵學校ヨリ特務曹長ノ率ユル騎兵一小


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隊二〇到着 本所員ト恊力 警衛ニ任シ 騎兵斥候ヲ各方面ニ派シ情况ヲ偵察セシム 右小隊長ノ談ニ依レハ

一、本日午前 鮮人二〇名 本校(騎兵學校)ノ火藥庫ヲ襲撃セシモ 逸早ク急ヲ告ケタル歩哨ノ為 無亊ナルヲ得タリ

二、鮮人 所澤航空隊ノ附近某村落ヲ焼討チス 之 今囬暴動ノ發端

當夜ハ空電激烈ニシテ 通信困難ナリシモ 四日午前二時頃ヨリ漸次減退シ 大湊、舞鶴、等ト交信シ 放送電整理 及 主無系ノ受信等 頗ル進捗ヲ見ル


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三日、

后八−一五

状况不穩ニ付 別紙タナ八八ノ電ヲ所長ニ送信ス


〃一〇−五

印内村青年團ノ報告ニ依レハ 八幡方面ニ鮮人三十名現ハレ 各々爆彈ヲ所持シ 格鬪ノ后 七名ヲ捕縛シタルモ 残リ二三名 東方ニ逃走スト

四日
前七−〇

本所四周ノ村落(比較的遠方ヨリモ来ル)ヨリ消防隊 在郷軍人(前夜警戒ニ当リタルモノ以外ノモノ)手ニ〱兇器ヲ携エ一斉ニ本所ヘ集合 『只今鮮人ノ一隊 電信所ヲ襲撃スルカラ 直グ應援ニ行ケト云フ命令ガアリマシタ』ナル報ヲ得 即チ攻擊目標トシテ本所ノ名現レタル始メ
[上余白:騎兵ノ情況偵察 如何]


〃七−五五

鮮人一名 用地内西部ニ現レ 警戒兵 及 青年團等ニテ


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追跡セシモ 山林中ニ逃レ 遂ニ捕縛スルヲ得ザリキ

四日
前八−一三

曩ニ所長宛文書ニテ歩兵一五〇出兵ノ交渉方願出デシモ返信ナク 状况ハ益々吾レニ不利ナルヲ以テ更ニ所長宛 援兵急派ニツキ別紙タナ一一二ノ電ヲ送信ス


〃一〇−〇

騎兵第十三聨隊ノ小隊(二〇)ト交代

四日
后〇−三〇

受信所ヨリ伝令 電報持参 通信ハ順調ニ進行ス 避難民ノ談ニヨリ彼等ニ對スル敵慨[ママ]心 極度ニ達シ 又 鮮人ノ組織的暴動ニ関シ油断ヲ許サヽルモノアルヲ知ル


〃四−三〇

休職中ナル本所兵員ノ目擊談一、『甲州街道烏山附近ニテ貨物自動車(運転士邦人二名、其上方ニハ警官ノ服装ヲ[×邦人二名×]シタル鮮人ニ警官ノ提灯ヲ打チ


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フリナガラ アブナイ アブナイト連呼シ)ニ鮮人一六、各拳銃ヲ携エ 恰モ米俵ヲ満載セシカ如ク装ヒ 両側ヨリ銃口ヲ出シテ疾走シナガラ良民ヲ乱射スル処ヲ青年團 在郷軍人<團>ニテ逮捕シ 陸軍 並ニ警官ニテ処置(中数名 撲殺サレタルモアリ)セルヲ終始目擊シタリ

二、鮮人五〇〇人位宛一團トナリ 多数ノ舟ヲ仕立テヽ多摩川ヲ遡行 二子ノ渡ヨリ上陸 北上 茲ニテ在郷軍人團 青年團䓁ト格鬪 多数ノ死傷アリ 彼ニハ有力ナル武器ヲ有スルヲ以テ竹鎗 鳶口䓁ニテハ到底 敵シ難キコトヲ附近ニ居住スル実兄ヨリ聴取セリト

三、市内ニテハ石油ヲ満タシタルビール瓶 並ニ爆弾ヲ所持


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セル鮮人 各所ニ放火ヲナシ諸官衙ヲ襲フト』

二日以来 送信ノ機會ナカリシ(至急ヲ要セストノ事ナルト 又 実際 其機會モナカリシ故)外國行電報ヲ午后二時 原ノ町ニ送信セシニ「K一」ニテ皆了解、以后毎日午前八時ト午后二時ニ連絡ヲトル様 恊定ス

四日
后六−〇

受信所ヨリ一水一来所 臨時勤務 其頃 本郷区長ヨリノ傳令トシテ青年團員来所『邦人社會主義者ノ一團 船橋電信所破壞ノ目的ヲ以テ今朝 東京ヲ出發セリト』

右状况ヲ判断スルニ 鮮人ト称スルハ彼䓁ノミニアラスシテ主義者トノ所謂聨合軍ナリ 然ルトキハ相当ナル武器


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ヲ有スヘク 襲擊振リモ亦 秩序的ナルモノト見サルヘカラス 即チ連日東京方面ヨリ追ハレタル彼䓁ハ 附近鮮人ト相提携シ一擧ニ襲擊スル計画ナラン 是ニ於テ警戒ヲ益々嚴ナラントセシモ 昨夜来應援ニ来リシ青年團 在郷軍人䓁ハ 疲労ノ為メ五六名ノ外来ラス 所員モ亦 連日連夜 不眠不休ノ警戒ニテ疲労甚シク 特ニ電信員ニアリテハ之カ影響甚シク 為ニ送信ニ際シ消字 誤謬䓁續出スルノ状態ニシテ 警戒ハ苐二ノ問題トシ 通信上 甚不安ヲ感シタリ 素ヨリ昼間用事ナキモノハ最小限度ノ警戒兵ヲ残シ成ルベク安眠セシメントセシモ 連続至ル警報ト 殆間断ナク乱打サルヽ警鐘


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トニ依リ彼䓁モ安閑トシテ睡眠スル能ハス 結局 銃ヲ執テ奮ツテ自警スルノ止ムヲ得サル状况ナレハ 小閑ヲ得テ潜勢力ヲ養ハントスルカ如キハ一モ見ラレス 一同 唯々援兵ノ来着ヲノミ鶴首シテ待チ居リシ次苐ナリ

四日
后七−三〇

頃 小官ノ問合ハセニ対シ 舩橋警察署長ヨリ左ノ電話アリ
『鮮人三〇〇 舩橋海岸ニ上陸ストノ亊ニテ 目下取調中ナルモ不明、茨城縣ノ鮮人團 貴所破壞ノ目的ヲ以テ南下セリトノ報アレハ 充分 気ヲ付ケラレタシ 為念』
右ニ依リ船橋 中山方面ニ自轉車偵察兵ヲ出ス


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四日
后八−〇

頃 騎兵ノ仮設セル軍用電話(千葉―舩橋―本所間)ニテ小隊長ヘノ報告

『鮮人三〇〇 行德ニ上陸 舩橋電信所ニ向フ』


〃八−五

右電話ニテ『只今ノ行德ハ浦安ナリ』


〃八−三〇

印内村ノ青年團ヨリ傳令 自轉車ニテ来リ 左ノ報告ヲナスト共ニ兵力ノ分派ヲ歎願ス

『只今 西海神ニ鮮人一五〇上陸セントス 之ヲ上陸セシムル時ハ亊重大ナルベケレバ 成ヘク未上陸ノ裡ニ擊滅シ度 依ツテ兵力ノ分派ヲ願フ』ト

小官ノ状况判断

曩ニ行德方面ニ上陸セシ鮮人團ハ 行路上 諸障害ア


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ルヲ以テ 他ノ一團ニ対シ比較的障害(防禦)少ナク 而シテ電信所ニ至ル最捷路タル西海神ニ上陸シ一挙ニシテ本所ヲ襲ハントスルモノヽ如シ

決心

時間ハ不明ナルモ 行德方面ニ上陸セシモノハ 先ツ一時間以内ニ到着スルモノト思ハサルヘカラス 然シテ西海神方面ノ敵ニ対シテハ右傳令ノ言ノ如ク未上陸ノ裡ニ擊滅スルハ策ノ最上ナル考ナレトモ 一方ニ衆敵ヲ控へナカラ我ハ寡兵ヲ以テシテ尚 其中ヨリ守兵ヲ割クカ如キハ到底出来得ヘキ事ニアラス 依テ該方面ノ敵ニ対シテハ所在青年團 在郷軍人團等ニテ極力 之ヲ防禦シ 力足ラズンバ


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止ムヲ得ス両敵ヲ迎ヒ茲ニ戰ハント決心シ 左ノ如ク申渡セリ

『状况右ノ如クナレハ遺憾ナカラ兵力ノ分派ニ應シ難シ 願クハ諸君ノ最良ナル手段ト報国的精神トニヨリ該敵ノ殲滅ニ努メラレ度シ』ト

是ニ於テ更ニ騎兵斥候ヲ急派シ 一方 所員ヲシテ自転車ニテ急速偵察ニ当ラシ[×ム×]メ 同方面ニ対スル警戒ヲ益々嚴ナラシメ 他方 警察ヲ介シ陸軍ト交渉シ 援兵ノ増派ヲ請ヒシモ 餘力ナキ為 應シ難シトノコトナリキ

四日
后八−五〇

行德方面ノ鮮人襲来ニツキ タナ一四六ノ電ヲ所長宛 打電(但 交付時ハ八時トス)


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四日
后九−〇

騎兵斥候帰着

『鮮人ノ一團ハ西海神ニ上陸 只今コチラニ向ヒマス』

決心

騎兵ヲシテ副塔外方ニ於テ側面ヲ攻擊セシメ 銃隊(所員)ヲシテ垣外ニ於テ散兵ヲ敷キ 残リハ垣内(主トシテ直接電信室 電源室)ノ周囲ニ在リテ格鬪ノ配置ニアラシム

惟フニ四五〇人ノ不逞團ヲ前ニ扣ヘ、我ハ唯騎兵二〇ト烏合ノ衆ニ近キ少数ノ電信所員トニテ如何ニ之ヲ防禦シ得ヘキ 戦時敵地ニ於テ右ノ如キ運命トナラハ之レ軍人ノ本領 何レモ國家ニ捧ケシ身ニシアレハ盡忠報


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國ノ好機會ナルヲ以テ 死守之レ努メ 力足ラサレハ潔ク戰死モ遂クヘケレ、帝都ノ近クニ在リ 然モ平時ニ於テ當時ノ大任務ニ鑑ミ、又 防禦ニツキ豫メ各種ノ手段ヲ講シナカラ、海軍逓信両官舎其他ノ避難民ヲ収容シナカラ、何トシテオメ〱彼等ニ破ラルヘキ 兵ハ少ナリト虽モ 武器ハ鮮ナリト虽 茲一番人事ヲ尽シテ死守セサルヘカラス 今ヤ陸軍モ来ラス 民衆ノ應援モナシ、若カス品川沖ニ碇泊セル艦船(陸戰隊ハ既ニ出航セル幻影モアリタリ)ニ急ヲ告ケンニハト 即チ持久戰ニ依リ或時間ヲ持シ陸戰隊ノ来着ヲ待チテ敵ヲ殲滅セントス 而シテ演習等ナラハ危急符ノ特約モアレ 目下ハ之ニ代フベキ該當符


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モナシ サラバトテ停信符ノ使用モ當ヲ得タルモノニアラス 即チ咄嗟ノ裡ニ思出セルハSOSニシテ 陸上電信所ノ使用スヘキ符号ニアラサルハ萬々承知シタルモ 單ニ注意喚起ノ意味ヲ以テ左ノ如ク命令セリ(小官所在 表門)『「SOS.援兵タノム舩橋」ヲ連[×送セヨ 右 終ラハ其侭 送信ヲ継続スヘシ』然ルニ傳令ハ咄嗟 危急ノ塲合□テ「援兵頼ム」ヲ失念セシト見エ 單ニ「SOS舩橋」□ミヲ連送セシ×]<送シ其ノ次ニ[「]午後八時半 鮮人三〇〇 舩橋ニ上陸 危急迫ル」ヲ送信セヨ 右終ラバ其侭 送信ヲ継続スヘシ」 然ルニ咄嗟ノ塲合トテ援兵頼ムノ句ヲ失念セシ>モノナリ [上余白:当前[ママ]ノコトナリ 自分カ一番アワテテル] 然レトモ通信ハ瞬間モ休マス 悠要迫ラス泰然トシテ送信業務ニ當リタルハ賞讃ニ値スルモノナリ(当直者 三曽 佐藤重吉、土屋雄健)

要之 當時錯乱セル小官ノ心情ヲ分解スレハ


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一、當時ノ小官トシテハ 無援孤立ニアル独立指揮官トシテ 当時 有線 無線䓁 苟モ電信界ニ於ケル唯一ノ通信機関タル本所ノ任務ト吾人ノ責任トヲ餘リニ重大視過キタル事(人事ヲ尽サスシテ徒ニ殉職セルハ此塲合不可ナル意)

二、避難民ヲ収容シタル関係上 往年ノ尼港事件ヲ聨想シ 前車覆轍ノ議ヲ免レタク思考シタルコト

三、二日 警保局長(或ハ警視総监ナリシカ内務大臣ナリシカ)ヨリ山口縣知事宛 鮮人暴動ニ関スル電 其他ニテ 横濱 東京ニ於ケル彼䓁ノ暴動ノ根據アリ 組織的ナル事ヲ聞知シタルヲ以テ 事態容易ナラスト豫テ自覺シタルコト

四、通信機関ノ杜絶セル関係上 避難者ノ目擊談


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警察官ノ実験談、所員 竝ニ青年團ノ報告䓁ハ 此塲合 眞トセサルヲ得サリシコト 殊ニ陸軍ノ斥候報告ニ至リテハ誰シモ疑ハサル所ナリ

五、電信所員トシテハ偵察、斥候䓁 万全ヲ尽シタルモ 當時 以上探求スルノ餘裕ナク 従ツテ他ノ報告ノ組織的 秩序的ニシテ且 連続的ナルトキハ 愈々 真実ナリト思ハサルヲ得サリシコト

六、東京方面ニ於ケル宣傳䓁ハ事件一段落迠 絶対ニ知ラサリシコト

七、劈頭ヨリ警備ノ手薄ナル為メ 甚 不安ナリシ事

八、出兵要求ニ対シ何等ノ返信ニ接セサルヲ以テ 無援


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孤立ノ念ヲ更ニ深カラシメタル亊
九、最后ノ騎兵斥候報告ハ危急符放送ヲ敢行セシメタル直接原因タルコト

一〇、右ハ海軍陸戰隊ノ来援ヲ促スト共ニ 之カ実現迠 極力死守スル決心ニシテ 右危急符ヲ放送スルモ 尓後 通信ヲ継続スレハ通信上 何等ノ缺陷ヲモ来サヽルモノト確信シタルコト

等ナリ

通信状况ニ至リテハ寔ニ順調ニシテ 曩ニ大湊、舞鶴、等宛放送セシモノハ第一囬送信ニテ了解シ居リシヲ知レリ


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鳳山ハ本日ヨリ應答ナキヲ以テ 同所宛電ハK2ニテ二囬放送ノ上 後報解信ノ㫖 指定セリ
昨日来 受信所トノ無電連絡ニ注意スルモ先方ノ感ナシ

五日
前五−〇

別紙タナ一八四ノ電ヲ打電ス


〃八−〇

通信ニ関シタナ一四九ノ電ヲ所長宛送信(了解セシモ時間不明)


〃九−三〇

別紙タナ一四七ノ電ヲ打電ス


〃一一−〇

海軍省ヨリ公用使 電報ヲ持参


〃一一−一五

騎兵第十四聨隊ヨリ一個小隊(二〇)来着 第十三聨隊ト交代ス


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五日
后二−〇

戒嚴司令部ヨリ笠井参謀来所 警備ニ付 打合セヲナシ最大限度ノ出兵方ヲ約ス


〃三−三〇

霞ヶ浦航空隊ヨリ貞方中尉ノ率ユル陸戰隊三七来着 タナ一五六ヲ所長、横鎮参謀長宛打電


〃八−三〇

歩兵學校ヨリ歩兵一六来着 タナ一七三所長宛打電


〃一一−三〇

右 横鎮参謀長宛打電(交付時后九時)

六日
前六−四〇

受信所ト無電連絡可能トナル 然レトモ時トシテ不通トナルコトアリ

通信状况 一般ニ順調ニシテ 曩ニ恊定セル時間ニ於テ原ノ町トノ交信最順調ナリ


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六日
前一一−〇

中央気象台ヨリ藤原博士来所 警報、報時事務ニ付 打合ハセヲナス


〃一一−四五

騎兵第十五聨隊ヨリ一個小隊(二〇)来着 第十四聨隊ト交代ス


后〇−一五

水雷學校ヨリ電信員四名 臨時派遣


〃一−一五

受信所トノ無電連絡確実トナリタルヲ以テ 別紙タナ六六ノ電ヲ主無系宛送信ス


〃六−〇

警報、報時事務ニ関シ別紙タナ二〇三ノ電ヲ所長宛送信ス


〃七−〇

送受両所間ノ無電聨絡ハ主トシテ偶数時間ニ於テスルヲ以テ 該時間ノ一部(前八−〇 后二−〇)ヲ対原ノ町通信ニ


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割クトキハ部内(勿論 外モアリ)通信ノ進捗上 甚 不利ナリ 故ニ外國行電報ノ幾分ヲ銚子経由原ノ町ニ送信スルトキハ右電報ノ捌方上 非常ニ有利ナルヲ以テ 数日前ヨリ銚子 舩橋間ノ全力開通ヲ慫慂シタリシカ 遂ニ実現セラレ 尓後 外國行電報ハ右経路ニ據ル亊トシ 大ニ有効ナリキ

七日
前一〇−〇

千葉衛戍司令官 三好少將ノ交渉ニヨリ警備中ノ騎兵二〇 竝ニ歩兵一六 撤退

八日
前五−〇

霞ヶ浦陸戰隊撤退


〃一〇−〇

海軍省トノ通信線一本完成


〃一一−二五

別紙タナ三二一ヲ横鎮参謀長 及 所長ニ打電ス


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八日
后七−〇

管制電鑰線完成 震災后 始メテノ使用


〃七−五〇

警報 並ニ報時事務ニ関シ別紙タナ三三七ヲ放送ス
警備隊引揚ノ為 本所兵員ノミニテ警戒ニ任ス

九日
前九−〇

通信ハ一直二名宛ヲ配シ努メテ受信(一名ハ主無系ニ 一名ハ橫スカ方面ニ)ニ当ル

十一日
二−五〇

震災ノ為 第二次電池室 瓦破損ニツキ 電池保存上ヨリ直接修理ノ㫖 照會ス(別紙)

 

 

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 大正十二年九月三日

         舩橋送信所

  騎兵旅團司令部御中

   舩橋送信所警衛ノ件

當送信所附近ニハ北総鉄道工亊ニ従亊中ナル鮮人数百名アリ 是等鮮人カ東京方面ノ不逞團ト提携シ本所ヲ襲擊セラルヽトキハ 通信(目下各省ノ通信一手ニ引受ケ取込中)全ク杜絶スルニ付 甚タ懸念ニ不堪 依而 右警備方 可然御配慮相煩ハレ度

右 依頼ス


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追テ右鮮人ノ集團ニ対シテハ極力調査中ナルモ 手不足ナルト交通機関ナキ為 全ク不明ニ候
                  (終)


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發九月三日午后二時五分

       習志野衛戍司令官代理 三好少將

   舩橋送信所長殿

御依頼ノ件承知 即刻 騎兵一小隊ヲ派遣スル如ク下命スル筈、


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大正12年9月1日
送信所 船橋
受信所 メD
番號 一
字數 四〇
送受信時刻 午后七時五分

ホンヒセウゴ ヨリトウチホウダ イゲ キシンノタメトウケウフナバ シカンノレンラクトゼ ツネンノタメ


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大正12年9月1日
送信所 舩橋
受信所 佐電
番號 二
送受信時刻 午后七時十分

ソウジ ユシンシヨカンノレンラクトゼ ツトリシラベ チウ」ヨコスカトウケイホウメンヒガ イバ クダ イソノタメフメイ


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大正12年9月1日
送信所 舩橋
受信所 メD
番號 三
交付日時分 午后十時四五分
送受信時刻 午后十一時十三分

ツウシンソウチスベ テハカイノタメヒガ イゼ ウケウヲシルヲエザ レド モキクトコロニヨレバ トウケウニハ二〇ヨカシヨ二カサイオコリイマナホサカンニモエツツアリキウゼ ウモエンセウセルヨシホンジ


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ヨフカガ ワゼ ンメツトノコトヨコハマモゼ ンメツノヨシジ シントキド キアリ」ヒガ イゴ ジ ユシンシヨヲレンコスレド モオウトウナクムセンレンラクモマツタクトゼ ツセシニツキヘイインヲハシゼ ウケウトリシラベ チウ


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’9月2日
送信所 舩橋
受信所 メD
番號 五
交付日時分 午前五時〇分
字數 三九一
送受信時刻 午前七時一五分
當務者 片

(1)

トイケウホンシヨカンノツウシンレンラクハモチロンゼ ウケウシサツノタメ二カイニワカチハケンセルヘイインモキシヨセザ レバ ヒガ イゼ ウケウフメイナルモヒナンシヤノダ ンニヨレバ ダ イ一シンニヨリカ


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オクトウカイセシタメズ イシヨヨリカサイヲオコシ一、フカカワホンジ ヨホウメンハゼ ンセウセルモノノコトクシシヤヤマヲナスト二、ミツコシヨリハツカセルモノハキウゼ ウニオヨビ ケイシテウ、テイゲ キト


f:id:ObladiOblako:20210907134718j:image

ウゼ ンセウ三、カイグ ンセウノオウトウナキヲミレバ ド ウセウモアヤウキガ ゴ トシ四、カサイイマナホモウレツニシテスデ ニセンジ ユヨリシナカワニヲヨビ バ クハツヒンシユツ、グ レンノホノホホンシ


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(4)

ヨヨリミユ五、シンド ウイマナヲレンゾ クイタリセンセンケウケウ六、ボ ウジ ユスルトコロニヨレバ ヨコハマナコヤモゼ ンメツセシガ コトシ七、シヨシヨノテツケウオチコウツウトゼ ツ


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九月二日
送信所 舩橋
受信所 メD
番號 六
交付日時分 午前九時五十五分
字數 一三四
發信人 フイ
送受信時刻 午前十一

時〇分
當務者 佐藤

(1)

トウケウユキデ ンポ ウヲホンシヨニテジ ユシンスルモセンポ ウニソウタツノミコミナキニツキヨコスカホウメンヨリノデ ンハシナカワヨリコウヨウシニヨルヲカヘツテジヨウケイナリトシコウスナホケサマデ ノ


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9月2日
送信所 舩橋
受信所 佐電
番號 四
交付日時分 午前十一、12 0
字數 五三
受信人 サヲ
發信人 フイ
送受信時刻 午前十一、□
當務者 佐藤

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大正12年9月2日
送信所 船橋
受信所 メD
番號 二七
發信人 フイ
送受信時刻 午后九時二分

カイグ ンセウブ ジ


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大正12年9月3日
送信所 船𣘺
受信所 東京
番號 七五
字數 六五
指定 ウナタケ
受信人 トヌ
發信人 フイ
送受信時刻 午后4時20分

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大正12年9月3日
送信所 船𣘺
受信所 東京
番號 八八
交付日時分 3日午后七時三十五分
受信人 トス
發信人 フイテウ
送受信時刻 午后八時十五分

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大正12年9月4日
送信所 船𣘺
受信所 东京
番號 一一二
字數 一五七
指定 ウナ
受信人 トヌ
發信人 フイ
送受信時刻 午前八時十三分

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大正12年9月4日

ー2ー

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大正12年9月4日
送信所 船𣘺
受信所 東京
番號 一四六
交付日時分 午后八時四十五分
指定 ウナ
受信人 トリ
發信人 フイ
送受信時刻 午后八時五十分

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大正12年9月5日
送信所 船𣘺
受信所 阿蘇 東京
番號 一八四
字數 四〇七
指定 ウナ
受信人 ヨニトヌ
發信人 フイテウ
送受信時刻 午セ5時1分

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大正12年9月5日
ー2ー

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大正12年9月5日
ー3ー

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大正12年9月5日
ー4ー

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大正12年9月5日
ー5ー

ガ イホウス


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大正12年9月5日
送信所 船橋
受信所 東京
番號 一四九
交付日時分 午後10時50分

トウケウフナハシカンノレンラクヲグ ウスウジ カンゼ ンプトスルトキハフクソウセルソウシンブ ンナホサラサバ ケズ マタキシヨ九三〇ノハテウナラビ ニゲンセリイヨクニテハコンシンノタメジ ユシンコ 


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大正12年9月5日
送信所 船橋
受信所 東京 横鎮
番號 一四七
交付日時分 □九時〇分
字數 一〇七
指定 ウナ
受信人 ヨニ−トヌ
發信人 フイ
送受信時刻 九時三十分

モツカイゼ ウナキモダ イシウダ ンヨリナルフテイダ ンシウライノホウヒンピ ントシテイタリハナハダ フアンニツキリクグ ンモシクハリクセンタイキユウハカタトリハカラハレタシモツカキヘイ二


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〇メイアリ


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大正12年9月5日
送信所 船橋
受信所 東京
番號 一五六
交付日時分 午□4時20分
字數 六一
受信人 トヌ、ヨニ
發信人 フイ
送受信時刻 五時10分

カスミガ ウラコウクウタイサダ カタチウイヒキユルリクセンタイ三七ゴ ゴ 四ジ チヤクミギ リクグ ンヘモオツタヘヲコフ


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大正12年9月5日
送信所 船橋
受信所 东京
番號 一七三
交付日時分 午ゴ九時五分
字數 三五
受信人 トヌ
發信人 フイ
送受信時刻 午ゴ十時四十分

リクグ ンホヘイガ クコウヨリケイビ ノタメゴ 九ジ トウチヤク


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受信人所名 サル、ホト、アク
トリ
大正12年9月6日
送信所 船橋
受信所 佐、鳳、阿
番號 六六
送受信時刻 午ゴ1時15分

ジ ユシンシヨトノムデ ンレンラクカンセイ、ジ ユシンシヨハサセホ、アソニジ ユシンキカク一ダイヅ ツヲハイシタヘズ ジ ユシンス


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大正12年9月5日
送信所 船橋
受信所 東京
番號 二〇三
送受信時刻 午コ6時0分

ケイホウホウソウニツキフジ ハラハカセトホウアンシヨ(ド ウハカセキシヨニトドク ルハヅ)ノトウリケウテイセルモジ ツシキジ ツ(八ヒ)マデ デ キウルカギ リホウソウシタキユエコウベ ジ ウライノ


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ホウソウ(ゼ 九ジ ハン、ゴ 三ジ ハン、九ジ ハン)ヲジ ユシンノウヘテンデ ンヲネガ イタシ


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大正12年9月8日
送信所 船橋
受信所 東京 橫鎮
番號 三二一
受信人 ヨニ、トヌ
發信人 フイ
送受信時刻 午セ11時23分

ホンシヨケイビ ノリクヘイナラビ ニカスミカウラリクセンタイテツタイ八ヒ


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大正12年9月8日
送信所 船橋
受信所 メD
番號 三三七
送受信時刻 午セ7時57分

ホンヒヨリコウベ カイヨウキセウダ イニテホウジ ジムヲナスジ カンゴ 九ジ ハテウ三三〇〇アーク」ホンシヨニテミギ キセウダ イカンソクニヨルケイホウハジ ウライトウリホウソウス

 

大正12年 公文備考 巻156 変災災害
通信関係(5)

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C08050972400 5~50/50

同(6)

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C08050972500 1~30/32

JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08050972400、大正12年 公文備考 巻156 変災災害(防衛省防衛研究所