Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

海軍省軍務局長発 横須賀鎮守府参謀長宛 船橋送信所無線電報に関する件 1923.9.20

【供覧】花押[財部彪] 【岡田】
            【藤田】【坂野】【洪】
軍務局長【大角】 第一課長【印】
         第二課長【塩沢】
            局員【豊田】 【姫野】

    大正十二年九月二十日    軍務局長
   橫鎮参謀長宛     九月十九日起案
              九月二十日発付済

   船橋送信所無線電報に関する件

 九月一日震災以後において船橋送信所主席将校より発送せる無線電報中、別紙の通りのものこれあり候ふところ、右は有線連絡途絶のためこれを東京海軍無線電信所長 (海軍省所在) 報告せるものと認められ候ふも、これらの電報は当時、海軍部内は勿論、遠く内外国の一部へも通達せられ候ふ。
 船橋送信所は海軍無線通信中枢機関として、その送信は特に注意すべきは申すまでもなきことなれど、ことに遭難符を緊急連送せるがごときは甚だ軽率にして、ひいては帝国海軍の威信に係はるものあるやに認められ候ふに、この際、篤と当時の情況承知いたきたく候ふ条、右御了知の上、調査方、然るべく御取り計らひを得たし。
 右申進す。
【軍第665号】

○九月二十日午後八時二十分発
「騎兵二十名、七時半、警戒の任につきつつあり、付近鮮人不穏の噂。」
○九月三日午後四時三十分発
「舟橋送信所襲撃のおそれあり。至急、救護頼む。騎兵一ヶ小隊応援に来るはずなるも、未だ来たらず。」
○九月四日午後八時十分発
「本所爆撃の目的をもって襲来せる不逞団接近。騎兵二十、青年団、消防隊等にて警戒中。右の兵員にては到底防御不可能につき、150の歩兵急派方、取り計ら [はれ] たし。当方面の陸軍には右以上出兵の余力なし。」
○九月四日夜
S.O.S 連送 (船舶信号、我遭難す)


f:id:ObladiOblako:20210904191605j:image

【供覧】花押 [財部彪] 【岡田】
            【藤田】【坂野】【洪】
軍務局長【大角】 第一課長【印】
         第二課長【塩澤】
            局員【豊田】 【姫野】


    大正十二年九月二十日    軍務局長
   橫鎮参謀長宛     九月十九日起案
              九月二十日發付濟
   船橋送信所無線電報ニ関スル件
九月一日震災以後ニ於テ船橋送信所主席將校ヨリ発送セル無線電報中 別紙ノ通ノモノ有之候處 右ハ有線连絡途絶ノ爲之ヲ东京海軍無線電信所長(海軍省所在)ニ報告セルモノ

【軍第六六五號】

f:id:ObladiOblako:20210904191625j:image

ト認メラレ候モ 之䓁ノ電報ハ當時 海軍部内ハ勿論 遠ク内外国ノ一部ヘモ通達セラレ候
船橋送信所ハ海軍無線通信中枢機関トシテ其ノ送信ハ特ニ注意スヘキハ申ス迄モ無キコトナレト 殊ニ遭難符ヲ緊急连送セルカ如キハ甚轻卒ニシテ 延イテハ帝国海軍ノ威信ニ係ハルモノアルヤニ認メラレ候ニ 此ノ際 篤ト當時ノ情況承知致度候条 右御了知ノ上 調査方 可然 御取計ヲ得度
右 申進ス


f:id:ObladiOblako:20210905174313j:image

○九月二十日 午後八時二十分発
「騎兵二十名 七時半 警戒ノ任ニツキツツアリ 附近✕鮮人 不穏ノ噂」
○九月三日 午後四時三十分発
「舟橋送信所襲撃ノ虞アリ 至急 救護 頼ム、騎兵一ヶ小隊 應援ニ来ル筈ナルモ 未タ来ラス」
○九月四日午後八時十分発
「本所爆撃ノ目的ヲ以テ襲来セル不逞団接近 騎兵二十、青年団 消防隊䓁ニテ警戒中 右ノ兵員ニテハ到底 防御不可能ニ付 一五〇ノ歩兵急派方 取計ラ[ハレ]度 當方面ノ陸軍ニハ右以上出兵ノ餘力ナシ」
○九月四日 夜
S.O.S 连送(船舶信号 我遭難ス)

↑「通信関係(4) 」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08050972300、大正12年 公文備考 巻156 変災災害防衛省防衛研究所 海軍省-公文備考-T12-158-3041)