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【工事中】国外移送誘拐被告事件 長崎控訴院判決 1936. 9. 28

昭和十一年九月
二十八日 宣告
裁判所書記 半田親

昭和十一年(つ)第55号

       判   決

 本籍 熊本県
 住居 長崎市
 
           藤 田   稔

 

 本籍 長崎市
 住居 同市

     無 職
           岡 崎 安太郎

 

 本籍ならびに住居 長崎県


           村 上 富 雄

 

 本籍 熊本県
 住居 長崎市

     無 職

           藤 田 ミ キ

 

 本籍 長崎市
 住居 長崎市

        ユキノ事
           岡 崎 雪 野

 

 本籍 京都府
 住居 長崎市

           中 田 丈太郎

 

 本籍 長崎県
 住居 長崎市

        岡崎春吉事
           原 田 春 吉

 本籍 長崎県
 住居 長崎市

           松 島 章 二

 

 右国外移送誘拐被告事件につき昭和十一年二月十四日、長崎地方裁判所において宣告したる有罪判決に対し、被告人らより控訴の申し立てありたるをもって、当院は検事後藤英□関与、審理の上、判決すること左のごとし。     

     主 文

 被告人藤岡ミキ、岡崎雪野、松島章二、中田丈太郎をおのおの懲役二年に、被告人原田春吉を懲役一年六月に処す。

 被告人村上富雄、岡崎雪野、松島章二に対してはそれぞれ原審における未決勾留日数中六十日を右本刑に算入す。

 被告人原田春吉に対しては本裁判確定の日より三年間、右刑の執行を猶予す。

 

     理  由

 被告人村上富雄は、昭和五年十一月ごろより中華民国上海において、その雇ひ入れに係る婦女をして同地駐屯の帝国海軍軍人を顧客とし醜業に従事せしめゐたるところ、昭和七年一月、いはゆる上海事変の勃発により多数帝国海軍軍人の駐屯を見るに至りたるをもって、海軍指定慰安所なる名称の下に従来の営業を拡張せんことを欲し、かねて知り合ひの亡き梶原伊吉に該意図を告げ、同人の紹介により同年三月七、八日ごろ上海文路江星旅館において被告人藤沼稔、岡崎安太郎の両名に面談し、右の企図を諮り、これが賛同を得、ここに被告人富雄において家屋その他の設備を提供し、伊吉および被告人稔の両名において該営業所において醜業に従事すべき日本婦女を日本内地において雇ひ入れ移送することを担当し、被告人安太郎においてこれが雇ひ入れ資金を提供することを約するとともに、婦女雇ひ入れに際してはその専ら醜業に従事するものなることの情を秘し、単に女給または女中として雇ふもののごとく欺罔し勧説·誘惑して上海に移送せむことを謀議し、伊吉においても直ちにこれに賛同するとともに、安太郎らの旨を受けてそのころ長崎市における被告人安太郎の妻なる被告人岡崎雪野に右の協議内容を通知して婦女の雇ひ入れ方を求め、被告人雪野はそのむ旨を被告人稔の妻なる被告人藤田ミキおよび被告人中田丈太郎の両名に通ずるとともに、被告人ミキとの間にはこれが実行を両名において分担すべき旨の協議を遂げ、次で被告人丈太郎との間には安太郎らの協議せる前記方法に基き婦女を雇ひ入るべきことを謀議しゐたるが、さらに同月十四日、被告人安太郎において長崎市に帰来するや、直ちに同市内なる同人方に西田五三郎および被告人ミキを招致し、同人らならびに被告人雪野に対し前叙上海における協議の結果を告げて婦女移送方を促し、同人らもこれに賛同の上、被告人雪野においては同年三月下旬ごろ被告人原田春吉、原審相被告人上田虎寿、および虎寿を介して原審相被告人川田市之助の三名に、五三郎および被告人ミキにおいては同月十四日ごろ被告人松島章二に、それぞれ安太郎らの協議せる前記方法により婦女を誘拐して上海なる前示慰安所に移送せむことを諮りたるところ、被告人春吉、章二および原審相被告人虎寿、市之助はいづれもこれに賛同し、

 第一、被告人稔、安太郎、富雄、雪野およびミキの五名は伊吉と共謀の上、(以下事実を判示するに当たりて右被告人五名および伊吉を単に被告人稔ら六名と略称す。)

 (一)被告人雪野において同年四月初頭、長崎市内なる同人方において■■■■■に対し、行き先は兵隊相手の食堂なる旨虚言を構へ、かつ祝儀等による収入一ヶ月二、三百円ぐらいある旨甘言を弄して上海行きを勧め、同女をしてその旨誤信せしめてこれを誘惑し、

 (二)被告人ミキにおいて前同日頃同市■■■なる被告人章二方に於て■■■■■に対し、勤め口は食堂の女給にして客を取る要なき旨詐言を構へ、かつ百五十円ぐらいを前借りするも二、三ヶ月にて完済し得、なほ毎月五十円ぐらい親元に送金し得べき旨甘言をもって上海行を勧誘し、同女をしてその旨誤信せしめて誘惑し、

 第二、被告人稔ら六名および西田五三郎は共謀の上、五三郎において同年五月初めごろ長崎県北高来郡▶▶▶▶●●■(F)■方において同人に対し一年居れば内地の三年ないし五年分の儲けある故、二女■(D)■を上海駐屯帝国軍隊の酒保のごとき所の売り子として奉公せしめてはいかんとの趣旨の詐言ならびに甘言を構へ、同人よりこれを聞知せる●●■(D)■をしてその旨誤信せしめて同女を誘惑し、

 第三、被告人稔ら六名ならびに被告人丈太郎は共謀の上丈太郎において、

 (一)同年三月十一、二日ごろ長崎県西彼杵郡■■■■■■■■■方および被告人■■■の肩書居宅において■■■に対し上海の料理屋に女給または女中として奉公するにおいては多額の収入あり、かつ客取りをなすの要なきにより、次女■■を上海に奉公にやりてはいかんとの旨の甘言および詐言を弄し、■■■よりこれを聞知せる■■■■をしてその言を真実なりと信ぜしめて同女を誘惑し、

 (二)前同日ごろ前同所において■■■■、■■■■■両名に対し前同様申し向けて右両名を誤信せしめこれを誘惑し、

 (三)同年四月初めごろ長崎市■■■■■■■■■■■■方において同女に対し、一ヶ月七十円位の収入あるにより、上海に行き同地の海軍慰安所においてカフェーの女給または仲居のごとき仕事をなしてはいかんと甘言ならびに詐言を構へ、同女をしてその旨誤信せしめこれを誘惑し、

 第四、被告人稔ら六名ならびに被告人春吉は共謀の上、春吉において同年四月初めごろ同市■■■■■■■■方において同女に対し、行き先は海軍慰安所にして水兵あるいは士官ら相手のカフエーなるが、収入は一ケ月七、八十円に達し、一年位居り家を造りたる人もある故、上海に行きてはいかんと詐言および甘言をもって誘ひ、同女をしてその旨誤信せしめてこれを惑はし、

 第五、被告人稔ら六名ならびに原審相被告人上田虎寿、川田市之助は、共謀の上、虎および寿市之助の両名において前同日ごろ、

 (一)長崎県南高来郡■■■■■■■■■方において同女に対し、多額の収入ある食堂の帳場方として世話するにより、上海に行きてはいかんと詐言ならびに甘言を構へ、かつ被告人雪野においてもそのころ長崎市内なる同被告人方において■■に対し虎寿らと同様の事を申し向け、同女を誤信せしめてこれを誘惑し、

 (二)同■■■■■■方において同女に対し、行先は兵隊相手の食堂なるも一日に祝儀一、二円の収入ある故、上海に行きてはいかんと詐言ならびに甘言を構へ、同女をしてその旨誤信せしめてこれを誘惑し、

 第六、被告人稔ら六名ならびに原審相被告人虎寿は、共謀の上、虎寿において前同日ごろ、

 (一)同郡■■■■■■■■■■方において同女に対し上海の仕出し屋の女中奉公をなさば月二、三十円の収入ある故、上海に行きてはいかんと詐言ならびに甘言をもって同女を誘ひ、同女をしてその旨誤信せしめてこれを惑はし、

 (二)同■■■■■方において同人に対し内地における給料の二、三倍の収入ある故、四女■■■を上海のカフエーの女中として奉公せしめてはいかんと詐言ならびに甘言を構へ、同人よりこれを聞知せる■■■をしてこれを真実なりと信ぜしめ同女を誘惑し、

 第七、被告人稔ら六名ならびに被告人章二は西田五三郎と共謀の上、章二において、

 (一)同年三月末ごろ長崎市■■■なる被告人章二方において■■■■に対し上海に於ける海軍慰安所の女中として同地に行きてはいかん、給料は月四、五円なるも祝儀による収入は五、六十円に達する旨詐言ならびに甘言を構へ、同女をしてその旨誤信せしめこれを誘惑し、

 (二)そのころ情を知らざる■■■■■をして同市■■■なる同人方において■■■■に対し前同様申し向けしめ、同女をしてその旨誤信せしめてこれを誘惑し、

 (三)同年四月初めごろ被告人章二方において■■■■に対し、海軍士官相手の飲食店の女中として上海に行きてはいかん、五十円位の前借をなすも一週間にて直ちに返済し得べき旨詐言および甘言をもって同女を誘ひ、同女をしてその旨誤信せしめてこれを惑はし、

因ていづれも上海行を承諾せしめたる結果、

 (イ)同年三月十四日、長[崎]港出帆の上海丸に■■■■、■■■■、■■■■ら三名を、

 (ロ)同年四月一日、同港出帆の長崎丸に■■■■を、

 (ハ)同月八日、同港出帆の前記汽船に■■■■■、■■■■■、■■■■■■、■■■■■、■■■■、■■■■■、■■■■ら七名を、

 (ニ)同月十二日、同港出帆の浅間丸に■■■■■■、■■■■■、■■■■■■■ら三名を、

 (ホ)同年五月六日、同港出帆の上海丸に■■■■■を、

順次乗船せしめてこれを誘拐したる上、おのおのその翌日、同女らをいづれも順次上海に上陸せしめ、もって同女等を帝国外に移送したるものなり。

 しかして被告人春吉を除くその余りの被告人らの所為は犯意継続に係るものとす。

 証拠を案ずるに、右事実は犯意継続の点を除き、

 判示冒頭記載の点ならびに判示第一ないし第七記載のごとくおのおの共謀関係の成立したる点は、

 一、被告人村上富雄の当公廷における、私は昭和五年十一月ごろより中華民国上海北四川路志安房九号において、海軍指定休憩所なる名称のもとに営業所を構へ、女中として雇ひたる婦女をして同地残留の日本海軍軍人を顧客とし醜業を為さしめ居りしが、昭和七年一月下旬、上海事変の勃発により、その営業は一時中絶の姿となりたり。しかるに同年三月、停戦協定の成立により同地の物情平穏となり、再び従前の営業に従事しゐたるところ、帝国軍隊が多数同地に駐屯する情勢となりしため、雇女に不足を生じ、これを増員せねばならぬと考へ、右営業所の名称を同年五月ごろ海軍指定慰安所と改めたり。右のごとく営業所の婦女を多数雇ひ入るる必要を生じたる結果、同年三月五、六日頃■■■■方に資金二、三千円を借入るるため赴きたるところ、同家において梶原伊吉に会ひ知合になりたるが、四月七、八日ごろ伊吉より同人の伯父岡崎安太郎が江星旅館にをる故来てくれとの通知を受け、江星旅館に行き、伊吉より岡崎安太郎、藤田稔を紹介され、安太郎より私の営業の内容を訊ねられたるにより、私は営業の内情、経過ならびに現状、利益の分配方法等を話したる旨の記載、

 二、原審第二回公判調書中、同被告人の供述として(記録3,206丁裏以下)、昭和七年三月七、八日ごろ上海文路江星旅館において私と藤田稔、梶原伊吉、岡崎安太郎らが会食し、私が営業の内情、経過ならびに現状等を話し、かつ多数日本軍隊の駐屯期間が向ふ一ヶ年位と思はれる故、自分の営業を拡張し、共同にて多数の女を雇ひ半年位やれば儲かると思ふ旨、私の希望を申したるところ、集まりゐたる人々もそれに賛成し、結局、私が営業所を提供して女を十五人預り、その女たちの玉代を等分して女に半分与へ、残り半分より実費を差引きたるものを私と梶原、藤田にて平等に分配すること、しかして女の雇ひ入れは藤田、梶原等の方にて受持つと言ふ事になりたり。岡崎安太郎は伊吉の伯父にして、伊吉より同人は数十万円の資産家なることを聞きゐたるため、同人が金を出すものなりと想像しをりたる旨の記載、

 三、同調書中、被告人岡崎安太郎の供述として(記録3,209丁裏以下)、私は甥の梶原伊吉より、村上が慰安所を出す様になる故、金を出してくれと申され、その後、昭和七年三月七、八日ごろ江星旅館において、伊吉の紹介にて村上富雄、藤田稔、梶原伊吉と会見し、村上より同人の営業の内情、経過ならびに現状等の説明を聞き、伊吉より二、三千円出してくれと言はれ、私は村上の申す趣旨に賛成し、その位の金ならば出さうと申したる旨の記載、

 四、同調書中、被告人藤原稔の供述として(記録3,215丁以下)、判示の日ごろ判示旅館において村上より、以前同人が海軍指定休憩所を設けゐたるが、上海事変のため営業が一時中止となりたるも、停戦協定の成立により帝国軍隊の多数上海に駐屯するならんといふことなどの話があり、さらに同人は、海軍指定休憩所の名称を海軍指定慰安所と改め営業を復活し拡張してやりたき故、賛成してくれとの趣旨の相談があり、私は賛成し、村上、梶原と共同して経営することにし、岡崎が資金を出すことに話が成立したる旨の記載、

 五、被告人村上富雄に対する第二回および第三回予審尋問調書を通じ、同被告人の供述として(記録780丁以下)、海軍指定慰安所を共同経に営すると言ふ契約は、私と藤田稔、梶原伊吉の三名間に結ばれたるものなるが、岡崎安太郎は共同経営者として、右契約により藤田、梶原の両名が得べき利益を、さらに三分してその一を得ることになりをると言ふことを、後になり聞知したり(記録809丁以下)、私は江星旅館において藤田、梶原、岡崎の三名に会ひたるとき、海軍指定慰安所は軍人相手に売淫をなすことを主たる目的とする所にして、そこに雇はるる女は売淫をせねばならぬこと、すなはちそれをせぬ女は雇ひ入れずといふことは充分話し置きたる故、藤田、岡崎、梶原の三名は充分承知しゐたるはずなりし旨の記載、

 六、証人■■■■に対する第一回予審訊問調書中、その供述として(記録1,371丁裏以下)、村上富雄が江星旅館に藤田、岡崎等を訪れ、右三名において海軍指定慰安所の共同経営についての話をなしゐたるが、その話の模様にて私は同慰安所が海軍軍人を相手に婦女をして売淫をなさしむることを營業とする所なることを知りたる旨の記載、

 七、同証人に対する第二回予審尋問調書中、その供述として(記録1,399丁裏以下)、村上、藤田、岡崎等が江星旅館において海軍指定慰安所の話をなしゐたるとき、村上は同慰安所の女を内地において雇ふときは、女には醜業に従事せねばならぬことは言はずに、女給として雇ひ入れやうと言ふ意味の話をなし、藤田、岡崎がそれに同意してをりたり。私は女給として女を雇ひ入れ、内地の女郎同様のことをさせる積りかなと思ひたる旨の記載、

 八、証人■■■■に対する予審訊問調書中、その供述として(記録843丁以下)、私は村上、梶原、藤田らと上海にて海軍指定慰安所を共同経営する契約をなしたるが、村上より女は幾らでも送りやるとの話を聞きゐたる故、その際、村上に女が左様に易々と手に入るかと訊ねたるに、同人は、岡崎や藤田することであり、女は何程でも手に入ると申したり。さらに私が、女はいか様にして連れて来るかと訊ねたるところ、同人は女給とか女中とかいふことにして連れて来れば訳はないではないかと申したる旨の記述、

 九、被告人岡崎安太郎に対する第一回予審訊問調書中、その供述として(記録一、二三九丁裏以下)、私は藤田稔とともに昭和七年三月三、四日ごろ上海に行き、同所の江星旅館において村上富雄、梶原伊吉、藤田稔等と海軍指定慰安倶楽部(慰安所とは聞かず)の経営についての話があり、私が梶原の依頼により女雇ひ入れに必要なる資金として二、三千円出資することになりたり。その際村上が女は女中として雇ふが良いと申したる様記憶す、私が出資を承諾シタルため、■■は私の妻ユキノに、また藤田は自宅に、それぞれ手紙を出し、私が出資を承諾したる旨を通し女雇ひ入れの手配を頼みたるが、私が上海より帰る際、すなはち昭和七年三月十三日ごろ藤田、■■の両名が私に内地より女を雇ひ送る様依頼したるにより、私は長崎に帰り私方に西田五三郎、藤田の妻ミキを呼び、私の妻ユキノも居る所にて、梶原、藤田の両名が上海在住の村上富雄と共同にて海軍指定慰安倶楽部を経営することになり、右慰安倶楽部は内地の女郎屋と同様の事をするものなることを話し、同所に送る女を世話してくれと申したり。その際、私は女を雇ふには女中として雇ふ様にと申したるが、右は女を雇ふ際、淫売として上海に行く事を勧めることは言ひ難きと考へ、かつ女中として雇ふ方が人を集め易しと考へたるためなる旨の記載、

 十、被告人岡崎雪野に対する第二回予審訊問調書中、その供述として(記録1,284丁以下)梶原伊吉が安太郎とともに上海に行きて後、伊吉より手紙にて通信があり、自分は藤田、村上と共同にて海軍指定慰安倶楽部を経営することになり、安太郎が金を出すことを承諾したる故、女を雇ふて送られたく、女雇ひ入れについては中田丈太郎にも依頼して手紙を出し置くにより、中田に世話させてくれと申し来たりたり。同日、中田丈太郎が私方に来て、伊吉より同人にも手紙が来て私に対する手紙と同趣旨の記載あり、海軍指定慰安倶楽部と言ふは女に客を取らせる所なる旨記載ありたりと丈太郎が申しゐたり。その後、主人安太郎が上海より帰り、私方において西田五三郎、藤田ミキに対し、慰安所は軍人を相手に専ら売淫をなす所なる旨詳しく話したり。しかして梶原伊吉より私に手紙が来た翌日か翌々日ごろ伊吉より電報にて、来たる十五日までに女を送りくれとの趣旨を申し来たりたる故、直ちに中田丈太郎を私方に呼び、同人と女雇ひ入れの方法につき協議したる旨の記載、

 十一、同被告人に対する第三回予審訊問調書中、その供述として(1,611丁裏以下)、私は梶原より電報の来たりたる後、中田と女雇ひ入れの相談したるが、その際、私と中田は客を取る酌婦として雇へば何千円も出さねばならぬ故、女給として雇へば安く済むと話し合ひ、女給として雇ひ入るることに決めたる旨の記載、

 十二、被告人中田丈太郎に対する第二回予審訊問調書中、その供述として(記録一1,38丁裏以下)、梶原伊吉が上海より私に寄越したる手紙には、女給または仲居とし雇ふてくれとの趣旨が記載しありたるが、私は女には淫売せしむるものと思ひ手紙を見て直ぐに岡崎ユキノ方に行き、伊吉よりの手紙の趣旨を話したるところ、同女は私より詳しく上海の事を知りをりたる故、同女にも伊吉より手紙が来てゐるものと思ひたり。その後、伊吉よりユキノにあて電報が来たとの事にて同女に招かれ同女方に行きたるに、同女は私に対し今度の船に間に合ふ様、女を送らねばならぬ故、女を早目に雇ふてくれ、女を雇ふには女給または中居として雇ふてくれと、命令的に申したり。その際ユキノは女には売淫のことは言はずに雇ふてくれとは申さざりしも、私は同人の口吻よりして女には売淫のことは打ち明けずに女給または仲居として雇ふてくれと言ふ意味に解したる旨の記載。

 十三、被告人藤田ミキに対する第一予審訊問調書中、その供述として(記録1,409丁裏以下)、主人藤田稔が上海へ行く前、同地より帰りたる梶原伊吉が私方に来て、稔と何か話して帰り、その後にて稔が上海において海軍慰安所を経営すれば儲かるそうなと申しゐたるが、稔が上海に向け出発二、三日後、私に宛て手紙を寄越し、後に電報が着いたならば直ちに松島章二に世話をさせ女を雇ふて送る様、申し来たりたるにより、私はその手紙を松島章二に示したるところ、松島は女を世話することを承諾し、なほ同人は客を取る女ならんと申したる故、松島は手紙に在る女が淫売婦なることは承知しゐたるものと思ひたり。その後、岡崎安太郎の妻ユキノに招かれ同人方に行きたるところユキノは、上海の安太郎より手紙が来て、上海において村上が経営しゐたる海軍慰安所と言ふ淫売屋をこのたび安太郎、梶原伊吉および稔の三名が共同して経営することになりたるよし故、女を送らねばならぬにより、自分の方にても女を雇ふ故、貴殿の方も出来るだけ世話してくれ、金は自分の方にて立替へ置く、なほ女を雇ふに客を取らせる事を話せば金が高く掛かる故、そのことは言はずに女給として雇ふことに仕様と話したるを以て、その様にして女を雇ひ入るる事にし、私は直ちに松島章二方に行き、同人に女給として雇ひ入れを頼みたり。同人はかつて長崎の淫売屋の顧問のごときことをなしをり、金を高く掛けずに雇ふてやると申しゐたる旨の記載、

 十四、同被告人に対する第二回予審訊問調書中、その供述として(記録1,456丁裏以下)、岡崎安太郎が帰国後、私と西田五三郎とが同人方に招かれ、安太郎より女に売淫の事を打ち明けて雇へば百円の所は二百円掛かる故、女給として雇ひ入れ様と言はれたる際、私は左様にしませうと答へたるが、右の話を聞き、そのことは私の主人稔と相談して来たりたるものと思ひたり。しかしてその日、松島章二に女雇ひ入れ方を頼みたる旨の記載、

 十五、証人西田五三郎に対する予審訊問調書中、その供述として(記録 1,688 丁裏以下)、岡崎安太郎が上海より帰りたる時、私と藤田ミキとが呼ばれて行き、安太郎は私とミキとに対し、安太郎の妻ユキノのゐる所において、自分は藤田稔と共同にて帝国軍人を相手とし婦女に売淫せしむる海軍慰安所を経営することになり、同所に女を送らねばならぬ故、世話してくれ、女には慰安所の接待掛かりの女給として雇ふと言ひ、売淫の事は言はぬが良いと申したり。私は売淫をなす酌婦として雇へば金も掛かり、また希望者も少なき故、安太郎が右の様に申したるものと考へ、かつ両人が売淫の事は女には打ち明けぬが良いと申したるは同人独りの考にてはなく、上海において藤田等と左様に相談したることなるべしと察し、私は左様にすると返事して同人方を辞し藤田方に行きたるところ、松島章二が居合せたるにより、同人に岡崎安太郎の申したる通り伝へたるところ、松島はそんな風で雇はねば上海辺りには女が直ぐ行くとは言はぬと申し、私も松島も藤田のため女を世話してやることにしたる旨の記載、

 十六、被告人岡崎(原田)春吉に対する第一回予審訊問調書中、その供述として(記録910丁以下)私は岡崎安太郎の甥なるが、昭和七年三月半ばごろ、藤田の息子と岡崎の息子とが上海見物に行く際、岡崎ユキノの依頼により上海の海軍慰安所に行く女三人を一緒の船にて連れて上海に行きたる旨の記載、

 十七、被告人岡崎ユキノに対する第六回予審訊問調書中、被告人岡崎(原田)春吉の供述として(記録2,191丁以下)、私は藤田、岡崎の息子二人を連れ上海に行き同地に滞在中、岡崎ユキノを旅館に訪れたる際、同人より海軍慰安所が客取り売淫をなさしむる所なることを知りたり。私が■■■■■を世話したるはその後のことなる旨の記載、

 十八、被告人岡崎(原田)春吉に対する予審訊問調書中、その供述として(記録2,781丁裏以下)、私は藤田および岡崎の息子二人を連れ上海に行きたる時、同地の海軍慰安所は村上富雄が営業主にして、藤田、梶原両名は同所に婦女を入れて醜業婦営業をなす所なること、および岡崎安太郎は藤田、梶原の婦女雇入の資金を出し居るものなることを知りたり。また私は上海にて岡崎ユキノに会ひたる際、自分が■■■■を世話しつつあることを話したるところ、ユキノは本人が行くと言へば雇ふても良いと申したる旨の記載、

 十九、原審相被告人上田虎寿に対する第二回および第三回予審訊問調書を通じ、その供述として(記録953丁裏以下)、私は岡崎ユキノの招電により同人方に行きたるところ、同人は上海が中々の景気故、女を上海にやり料理屋か淫売屋をして女を働かせ様と思ふ故、女を世話してくれと申し、また川田市之助の妹の縁付先に娘が居ると言ふ話を聞き居る故、同人にも話してくれと申したり(1,647丁以下)。その際ユキノは私に、■■■■■および同■■以外の女を雇ふ際は、上海に行き女郎のごときことをせねばならぬと言へば嫌ふ者もある故、左様な事は言はずに、上海が景気故、行きてはいかんと申し向けて勧誘しくれと申したる旨の記載。

 二十、原審相被告人川田市之助に対する第一回予審訊問調書中、その供述として(記録九三五丁以下)、昭和七年春ごろ上田虎寿が私に対し岡崎ユキノより上海の料理屋にて客取りする女の雇ひ入れ方を頼まれたる故、世話してくれと申したるにより、私はこれを承諾したり。虎寿は■■■■■、■■■■を世話する際には客取りせねばならぬことは言はぬが良いと申したるにより、その事は話さざりし旨の記載

を総合してこれを認め、

 ■■■■ほか十四名の婦女が判示の日、長崎港出帆の判示船舶に乗船し、おのおのその翌日、上海に上陸したる点は、

 一、被告人岡崎ユキノおよび同中田丈太郎の、おのおの当公廷における■■■■、■■■■、■■■■に関し、被告人藤田ミキの当公廷における■■■■、■■■■、■■■■、に関しその旨の供述、

 二、原審第一回公判調書中、被告人岡崎安太郎、村上富雄、藤田稔の各供述として(記録3,143丁以下)、判示同主旨の記載

によりてこれを認め、

 判示第一の爾余の点は、

 一、証人■■■■■に対する第一回予審訊問調書中、その供述として(記録1,197丁以下)、私は昭和七年四月初めごろ、上海のことにつき中田丈太郎の妻に訊きたるところ、岡崎の家へ行けとのことにて岡崎方に行きたるに、岡崎の妻は、私の雇はれ行く先は上海の大きな食堂にて、兵隊の遊びに来る所であり、チップも多く、ほかに品物の売上金の歩合も貰へる故、月二、三百円儲かるにより行って見よと申したるをもって、私はそれを信じ、上海へ行く気になりたり。そのとき上海にて売淫行為をせねばならぬといふ話はなく、また借金は淫売の稼ぎ高にて支払ふなど約束したることなし。したがって、売淫をせねばならぬことが判れば上海に行かぬはずなり。しかるに上海に行きたるところ、そこは売淫専業の所なりしため、私は全く欺されて上海に送られたることを覚知したる旨の記載、

 二、証人■■■■■に対する第一回予審訊問調書中、その供述として(記録1,176丁裏以下)、昭和七年四月初めごろ、私の父が私に対し、藤田方より上海の食堂の女給にお前をやってくれとの相談があり、月に五、六十円位の金儲けがあるといふことだと申したり。その後、藤田方および長崎市■■■の松島章二方において藤田の妻に会ひたるとき、同女は、上海の勤め先は食堂にて、女給をなし、客取りたる必要なく、もし嫌なれば直ちに帰国してもよい。上海は好景気にて、百五十円の前借金は二、三ヶ月にて払へ、親には毎月五十円位宛の送金が出来る故、行ってくれと申したるが、売淫の話は全然なく、前述のごとく客取る要なしとの話なりしため、売淫はせぬものと信じて承諾し上海に行きたるところ、そこは海軍軍人を相手に専ら売淫をなす所なりし故、私は初めて藤田の妻に欺されて上海に送られたることを知りたる旨の記載

によりてこれを認め、

 判示第二の爾余の点は、

 一、証人西田五三郎に対する予審訊問調書中、その供述として(記録1,700丁裏以下)、私は●●■(D)■の父■(F)■に対し、今度、藤田、岡崎の両名が上海において海軍慰安所を経営することになり、そこに女給が必要にて儲かるよし故、娘をやりてはいかんと申して勧めたるに、翌日■(F)■が■(D)■を同伴し、上海行きを承諾したり。私は右両名に上海に行けば儲かると話したるも、上海に行けば売淫せねばならぬことは言はざりしをもって、■(D)■は単に慰安所の女給と考へて雇はれ行きたるものと思ふ旨の記載、

 二、証人●●■(F)■に対する予審訊問調書中、その供述として(記録2,036丁裏以下)、●●■(D)■は私の次女なるが、昭和七年五月ごろ西田五三郎が私方に来て、藤田が上海において軍隊の娯楽場のごときものを始め、そこは酒やビールを売る軍隊の酒保のごとき所にて、内地の女がをらぬ故、そこの売り子のごとき仕事をなす者として娘■(D)■をやりてはいかん、酒やビールが高く売れ、その儲けの割合をくれ、内地の三年分や五年分は一年で儲かると申したる故、娘■(D)■にその話の趣旨を伝へたるところ、娘は上海行きを承諾したり。西田は上海において娘が醜業に従事せねばならぬことを一言も言はざりしため、私も■(D)■も左様なことは知らず、もし醜業せしめらるることを知らば、わづか二十円位を貰ひ娘を上海まで送る様なことはなさず、また娘も行かざりしはずなり。しかるに昭和八年二、三月ごろ娘■(D)■は帰国し、上海においては内地にての話と異なり客取りをせしめられ、辛かりし旨申したる旨の記載

を総合してこれを認め、

 判示第三の爾余の点は、

 一、被告人中田丈太郎に対する第一回予審訊問調書中、その供述として(記録888丁以下)、私は昭和七年三月十一、二日ごろ長崎市外■■■■■■■■■(■■■の誤記と認む。以下同じ)方に行き同人に対し、今度上海に海軍慰安所と称する大きな料理屋が出来る故、娘を上海にやらぬかと申したるところ、同人は■■■■かなます江をも招致したる故、同人にも前同様話したるに、両名とも娘に相談すると申したり。その後、■■■、■■の両名が娘の■■■■、■■■■の両名を同伴し来たりたる故、私は娘両名に対し前同様の話をなしたるところ両名とも上海行きを承諾し、また■■の妹■■■■も同様上海にやることに話が決まりたり。私は■■■■、■■■■の両名には上海に行き淫売するといふことは言はず、女給または仲居のごとき仕事をせねばならぬと申して勧誘したるものなる旨の記載、

 二、証人■■■■■に対する予審訊問調書中、その供述として(記録1,827一丁裏以下)、■■■■は私の長女にして同■■は私の次女なるが、昭和七年三月ごろ中田丈太郎が私方に来て、上海に良き働き口があるが貴殿の娘および■■■■の娘は行かぬかと申したるにより、■■■■を私方に招き、いづれも娘に訊ねたる上、返事をなすこととしたるに、丈太郎は佐世保にゐる娘■■をも一緒にやりてはいかんと申したり。その後、私と■■とは私の娘■■と■■の娘■■とを中田方に同伴したるところ、同人は娘らにも前同様の趣旨の話をなし上海行きを勧めたるところ、両名とも上海行きを承諾したり。最初中田は、上海における良き働き口とは岡崎の経営せる海軍の倶楽部のごとき所にて酒や肴を運ぶ仕事にて、同所は客を取らする所にあらず、月に二、三百円の収入ありと申したり。その後、岡崎の妻に会ひたるが、同女よりも客取りの話は聞かず、■■に対しては私が中田より聞きたる通り話したるところ、同女は客取りをせず左様に金儲けのある所ならば行くと申し上海行を承諾したり。私も娘両名も、中田が客取りする所にては無く心配せぬでも良いと申して勧めたる故、それを信じ娘二人を上海にやる気になり、娘らもそれを信じて上海行きを承諾したるものにして、もし客取り商売をせねばならぬことが判明しをらば、わづか四百円余りを娘二人分の前借金として借り受け上海まてやるはずなかりしものなり。しかるにその後、娘■■が帰国し、内地の話とは相違し上海にて客取り商売をさせられたりと申したる旨の記載、

 三、証人■■■■に対する予審訊問調書中、その供述として(記録 1,813 丁以下)、■■■■は私の次女なるが、昭和七年三月頃■■■■■方において中田丈太郎に面会したる時、同人は岡崎が飲食店のごときものを経営し、女か必要なるが上海は景気よく、金儲けか出来るゆゑ、娘をやらぬかといふ趣旨のことを申したり。私は、水商売をする所ならはらぬと答へたるところ、同人は、水商売をする所ではなく、女中のごとき仕事をなすものなるむね申したるにより、娘の意見を聞きたるに、上海行きを承諾したり。私も娘■■も客を取る水商売をさせぬ所と信じて上海以行きを承諾したるものにして、もし売淫をせねばならぬことが判明すれば、私も■■も上海行を承諾する筈なし然るに■■が上海に行きたる後私に寄越した手紙は内地に於ける話とは違ひ客取りを為さねばならぬと書きありたる旨の記載。
 四、被告人中田丈太郎に対する第一回予審尋問調書中其の供述として(記録九〇三丁裏以下)私は■■■■■方に於て同人の娘■■■■■に対し上海行を勧め売淫をせねばならぬ事は言はず勧め先は海軍の慰安所にしてカフェーの女給又は仲居の如き仕事を為す所にて収入は七、八十円位と申したる旨の記載、
 五、証人■■■に対する嘱託に依る領事の尋問調書中其の事

 

昭和十一年九月

二十八日 宣告
裁判所書記 半田親

昭和十一年(つ)第五五號

       判   決

 本籍 熊本県
 住居 長崎市
 
           藤 田   稔

 

 本籍 長崎市
 住居 同市
     無 職
           岡 崎 安太郎

 

 本籍竝住居 長崎縣


           村 上 富 雄

 

 本籍 熊本県
 住居 長崎市
     無 職

 

           藤 田 ミ キ

 

 本籍 長崎市
 住居 長崎市

        ユキノ
           岡 崎 雪 野

 

 本籍 京都府
 住居 長崎市

           中 田 丈太郎

 

 本籍 長崎縣
 住居 長崎市

        岡崎春吉事
           原 田 春 吉

 

 本籍 長崎縣

 

 住居 長崎市

           松 島 章 二

 

右國外移送誘拐被告事件ニ付昭和十一年二月十四日長崎地方裁判所ニ於テ宣告シタル有罪判決ニ對シ被告人等ヨリ控訴ノ申立アリタルヲ以テ當院ハ檢事後藤英□關與審理ノ上判決スルコト左ノ如シ

     主 文

被告人藤田稔、岡嵜安太郎、村上富雄ヲ各懲役二年六月ニ

 

被告人藤岡ミキ、岡崎雪野、松島章二、中田丈太郎ヲ各懲役二年ニ、被告人原田春吉ヲ懲役一年六月ニ處ス

被告人村上富雄、岡崎雪野、松島章二ニ對シテハ夫々原審ニ於ケル未決勾留日数中六十日ヲ右本刑ニ算入ス

被告人原田春吉ニ對シテハ本裁判確定ノ日ヨリ三年間右刑ノ執行ヲ猶予ス

 

 

     理  由

被告人村上富雄ハ昭和五年十一月頃ヨリ中華民國上海ニ於テ

其ノ雇入ニ係ル婦女ヲシテ同地駐屯ノ帝國海軍軍人ヲ顧客ト

シ醜業ニ從事セシメ居タルトコロ昭和七年一月所謂上海事変ノ勃発二因リ多數帝國海軍軍人ノ駐屯ヲ見ルニ至リタルヲ以テ海軍指定慰安所ナル名稱ノ下ニ從來ノ營業ヲ拡張センコトヲ欲シ豫テ知合ノ亡梶原伊吉ニ該意圖ヲ告ケ同人ノ紹介ニ依リ同年三月七、八日頃上海文路江星旅ニ於テ被告人藤沼稔、岡崎安太郎ノ兩名ニ面談シ右ノ企圖ヲ諮リ之カ贊同ヲ得茲ニ

 

被告人富雄ニ於テ家屋其ノ他ノ設備ヲ提供シ伊吉及被告人稔ノ兩名ニ於テ該營業所ニ於テ醜業ニ從事スヘキ日本婦女ヲ日本内地ニ於テ雇入レ移送スルコトヲ擔當シ被告人安太郎ニ於テ之カ雇入資金ヲ提供スルコトヲ約スルト共ニ婦女雇入ニ際シテハ其ノ專ラ醜業ニ從事スルモノナルコトノ情ヲ秘シ單ニ女給又ハ女中トシテ雇フモノノ如ク欺罔シ勸説誘惑シテ上海ニ移送セムコトヲ謀議シ伊吉ニ於テモ直ニ之ニ贊同スルト共ニ安太郎等ノ旨ヲ受ケテ其ノ頃長崎市ニ於ケル被告人安太郎ノ妻ナル被告人岡崎雪野ニ右ノ協議内容ヲ通知シテ婦女ノ雇入方ヲ求メ被告人雪野ハ其ノ旨ヲ被告人稔ノ妻ナル被告人藤

 

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ミキ及被告人中田丈太郎ノ兩名ニ通スルト共ニ被告人ミキトノ間ニハ之カ實行ヲ兩名ニ於テ分擔スヘキ旨ノ協議ヲ遂ケ次テ被告人丈太郎トノ間ニハ安太郎等ノ協議セル前記方法ニ基キ婦女ヲ雇入ルヘキコトヲ謀議シ居タルカ更ニ同月十四日被告人安太郎ニ於テ長崎市ニ歸來スルヤ直ニ同市内ナル同人方ニ西田五三郎及被告人ミキヲ招致シ同人等竝ニ被告人雪野ニ對シ前叙上海ニ於ケル協議ノ結果ヲ告ケテ婦女移送方ヲ促シ同人等モ之ニ贊同ノ上被告人雪野ニ於テハ同年三月下旬頃被告人原田春吉、原審相被告人上田虎壽及虎壽ヲ介シテ原審相被告人川田市之助ノ三名ニ、五三郎及被告人ミキニ於テハ

 

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同月十四日頃被告人松島章二ニ夫々安太郎等ノ協議セル前記方法ニ依リ婦女ヲ誘拐シテ上海ナル前示慰安所ニ移送セムコトヲ諮リタルトコロ被告人春吉、章二及原審相被告人虎壽、市之助ハ孰レモ之ニ賛同シ

第一、被告人稔、安太郎、富雄、雪野及ミキノ五名ハ伊吉ト共謀ノ上(以下事實ヲ判示スルニ當リテ右被告人五名及伊吉ヲ單ニ被告人稔等六名ト略稱ス)

(一)被告人雪野ニ於テ同年四月初頭長崎市内ナル同人方ニ於テ■■■■■ニ對シ行先ハ兵隊相手ノ食堂ナル旨虚言ヲ構ヘ且祝儀等ニ依ル收入一ケ月二、三百圓位アル旨甘言

 

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ヲ弄シテ上海行ヲ勸メ同女ヲシテ其ノ旨誤信セシメテ之ヲ誘惑シ

(二)被告人ミキニ於テ前同日頃同市■■■ナル被告人章二方ニ於テ■■■■■ニ對シ勤口ハ食堂ノ女給ニシテ客ヲ取ル要ナキ旨詐言ヲ構ヘ且百五十圓位ヲ前借スルモ二、三ケ月ニテ完濟シ得尚每月五十圓位親元ニ送金シ得ヘキ旨甘言ヲ以テ上海行ヲ勸誘シ同女ヲシテ其ノ旨誤信セシメテ誘惑シ

第二、被告人稔等六名及西田五三郎ハ共謀ノ上五三郎ニ於テ同年五月初頃長崎県北高來郡▶▶▶▶●●■(F)■方ニ於

 

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テ同人ニ對シ一年居レハ内地ノ三年乃至五年分ノ儲アル故二女■(D)■ヲ上海駐屯帝國軍隊ノ酒保ノ如キ所ノ賣子トシテ奉公セシメテハ如何トノ趣旨ノ詐言竝ニ甘言ヲ構ヘ同人ヨリ之ヲ聞知セル●●■(D)■ヲシテ其ノ旨誤信セシメテ同女ヲ誘惑シ

第三、被告人稔等六名竝ニ被告人丈太郎ハ共謀ノ上丈太郎ニ於テ

(一)同年三月十一、二日頃長崎県西彼杵郡▶▶▶▶●●■■■方及被告人■■■ノ肩書居宅ニ於テ■■■ニ對シ上海ノ料理屋ニ女給又ハ女中トシテ奉公スルニ於テハ多額ノ

 

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收入アリ且客取リヲ爲スノ要ナキニ依リ次女■■ヲ上海ニ奉公ニ遣リテハ如何トノ旨ノ甘言及詐言ヲ弄シ■■■ヨリ之ヲ聞知セル●●■■ヲシテ其ノ言ヲ眞實ナリト信セシメテ同女ヲ誘惑シ

(二)前同日頃前同所ニ於テ■■■■、■■■■■兩名ニ對シ前同樣申向ケテ右兩名ヲ誤信セシメ之ヲ誘惑シ

(三)同年四月初頃長崎市■■■■■■■■■■■■方ニ於テ同女ニ對シ一ケ月十圓位ノ收入アルニ依リ上海ニ行キ同地ノ海軍慰安所ニ於テ「カフエー」ノ女給又ハ仲居ノ如キ仕事ヲ爲シテハ如何ト甘言竝ニ詐言ヲ構ヘ同女ヲ

 

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シテ其ノ旨誤信セシメ之ヲ誘惑シ

第四、被告人稔等六名竝ニ被告人春吉ハ共謀ノ上春吉ニ於テ同年四月初頃同市■■■■■■■■方ニ於テ同女ニ對シ行先ハ海軍慰安所ニシテ水兵或ハ士官等相手ノ「カフエー」ナルカ收入ハ一ケ月七、八十圓ニ達シ一年位居リ家ヲ造リタル人モアル故上海ニ行キテハ如何ト詐言及甘言ヲ以テ誘ヒ同女ヲシテ其ノ旨誤信セシメテ之ヲ惑ハシ

第五、被告人稔等六名竝ニ原審相被告人上田虎壽、川田市之助ハ共謀ノ上虎壽及市之助ノ兩名ニ於テ前同日頃

(一)長崎県南高來郡■■■■■■■■■方ニ於テ同女ニ對

 

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シ多額ノ收入アル食堂ノ帳場方トシテ世話スルニ依リ上海ニ行キテハ如何ト詐言竝ニ甘言ヲ構へ且被告人雪野ニ於テモ其ノ頃長崎市内ナル同被告人方ニ於テ■■ニ對シ虎壽等ト同樣ノ事ヲ申向ケ同女ヲ誤信セシメテ之ヲ誘惑シ

(二)同■■■■■■方ニ於テ同女ニ對シ行先ハ兵隊相手ノ食堂ナルモ一日ニ祝儀一、二圓ノ收入アル故上海ニ行キテハ如何ト詐言竝ニ甘言ヲ構ヘ同女ヲシテ其ノ旨誤信セシメテ之ヲ誘惑シ

第六、被告人稔等六名竝ニ原審相被告人虎壽ハ共謀ノ上虎壽

 

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ニ於テ前同日頃

(一)同郡■■■■■■■■■■方ニ於テ同女ニ對シ上海ノ仕出屋ノ女中奉公ヲ爲サハ月二、三十圓ノ收入アル故上海ニ行キテハ如何ト詐言竝ニ甘言ヲ以テ同女ヲ誘ヒ同女ヲシテ其ノ旨誤信セシメテ之ヲ惑ハシ

(二)同■■■■■方ニ於テ同人ニ對シ内地ニ於ケル給料ノ二、三倍ノ收入アル故四女■■■ヲ上海ノ「カフエー」ノ女中トシテ奉公セシメテハ如何ト詐言竝ニ甘言ヲ構ヘ同人ヨリ之ヲ聞知セル■■■ヲシテ之ヲ眞實ナリト信セシメ同女ヲ誘惑シ

 

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第七、被告人稔等六名竝ニ被告人章二ハ西田五三郎ト共謀ノ上章二ニ於テ

(一)同年三月末頃長崎市■■■ナル被告人章二方ニ於テ■■■■ニ對シ上海ニ於ケル海軍慰安所ノ女中トシテ同地ニ行キテハ如何、給料ハ月四、五圓ナルモ祝儀ニ依ル收入ハ五、六十圓ニ達スル旨詐言竝ニ甘言ヲ構ヘ同女ヲシテ其ノ旨誤信セシメ之を誘ヲ惑シ

(二)其ノ頃情ヲ知ラサル■■■■■ヲシテ同市■■■ナル同人方ニ於テ■■■■ニ対シ前同様申向ケシメ同女ヲシテ其ノ旨誤信セシメテ之ヲ誘惑シ

 

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(三)同年四月初頃被告人章二方ニ於テ■■■■ニ對シ海軍士官相手ノ飲食店ノ女中トシテ上海ニ行キテハ如何五十圓位ノ前借ヲ爲スモ一週間ニテ直ニ返濟シ得ヘキ旨詐言及甘言ヲ以テ同女ヲ誘ヒ同女ヲシテ其ノ旨誤信セシメテ之ヲ惑ハシ

因テ孰レモ上海行ヲ承諾セシメタル結果

(イ)同年三月十四日長[崎]港出帆ノ上海丸ニ■■■■、■■■■、■■■■等三名ヲ

(ロ)同年四月一日同港出帆ノ長崎丸ニ■■■■ヲ

(ハ)同月八日同港出帆ノ前記汽船ニ■■■■■、■■■■

 

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■、■■■■■■、■■■■■、■■■■、■■■■■、■■■■等七名ヲ

(ニ)同月十二日同港出帆ノ淺間丸ニ■■■■■■、■■■■■、■■■■■■■等三名ヲ 

(ホ)同年五月六日同港出帆ノ上海丸ニ■■■■■ヲ

順次乘船セシメテ之ヲ誘拐シタル上各其ノ翌日同女等ヲ孰レモ順次上海ニ上陸セシメ以テ同女等ヲ帝國外ニ移送シタルモノナリ

而シテ被告人春吉ヲ除ク其ノ餘ノ被告人等ノ所爲ハ犯意繼續ニ係ルモノトス

 

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證拠ヲ案スルニ右事實ハ犯意繼續ノ點ヲ除キ

判示冒頭ニ記載ノ點竝ニ判示第一乃至第七記載ノ如ク各共謀關係ノ成立シタル點ハ

一、被告人村上富雄ノ當公廷ニ於ケル私ハ昭和五年十一月頃ヨリ中華民國上海北四川路志安房九號ニ於テ海軍指定休憩所ナル名稱ノ下ニ營業所ヲ構へ女中トシテ雇ヒタル婦女ヲシテ同地殘留ノ日本海軍軍人ヲ顧客トシ醜業ヲ爲サシメ居リシガ昭和七年一月下旬上海事變ノ勃發ニ依リ其ノ營業ハ一時中絕ノ姿ト爲リタリ然ルニ同年三月停戰協定ノ成立ニ依リ同地ノ物情平穏ト爲リ再從前ノ營業ニ從

 

事シ居タルトコロ帝國軍隊ガ多數同地ニ駐屯スル情勢ト爲リシ爲雇女ニ不足ヲ生シ之ヲ增員セネハナラヌト考ヘ右營業所ノ名稱ヲ同年五月頃海軍指定慰安所ト改メタリ右ノ如ク營業所ノ婦女ヲ多數雇入ルル必要ヲ生シタル結果同年三月五、六日頃■■■■方ニ資金二、三千圓ヲ借入ルル爲赴キタルトコロ同家ニ於テ梶原伊吉ニ會ヒ知合ニ爲リタルカ四月七、八日頃伊吉ヨリ同人ノ伯父岡崎安太郎カ江星旅ニ居ル故來テ呉レトノ通知ヲ受ケ江星旅ニ行キ伊吉ヨリ岡崎安太郎、藤田稔ヲ紹介サレ安太郎ヨリ私ノ營業ノ内容ヲ訊ネラレタルニ依リ私ハ營業ノ内情、經

 

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過竝ニ現狀、利益ノ分配方法等ヲ話シタル旨ノ記載

二、原審第二囘公判調書中同被告人ノ供述トシテ(記錄三、二〇六丁裏以下)昭和七年三月七、八日頃上海文路江星旅館ニ於テ私ト藤田稔、梶原伊吉、岡崎安太郎等カ會食シ私カ營業ノ内情、經過竝ニ現狀等ヲ話シ且多數日本軍隊ノ駐屯期間カ向フ一ケ年位ト思ハレル故自分ノ營業ヲ擴張シ共同ニテ多數ノ女ヲ雇ヒ半年位遣レハ儲カルト思フ旨私ノ希望ヲ申シタルトコロ集リ居タル人々モ其レニ贊成シ結局私カ營業所ヲ提供シテ女ヲ十五人預リ其ノ女達ノ玉代ヲ等分シテ女ニ半分與ヘ殘リ半分ヨリ實費を差ヲ引キタ

 

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ルモノヲ私ト梶原、藤田ニテ平等ニ分配スルコト而シテ女ノ雇入レハ藤田、梶原等ノ方ニテ受持ツト言フ事ニ爲リタリ岡崎安太郎ハ伊吉ノ伯父ニシテ伊吉ヨリ同人ハ数十万圓ノ資家ナルコトヲ聞キ居タル爲同人カ金ヲ出スモノナリト想像シ居リタル旨ノ記載

三、同調書中被告人岡崎安太郎ノ供述トシテ(記錄三、二〇九丁裏以下)私ハ甥ノ梶原伊吉ヨリ村上カ慰安所ヲ出ス樣ニ爲ル故金ヲ出シテ呉レト申サレ其ノ後昭和七年三月七、八日頃江星旅館ニ於テ伊吉ノ紹介ニテ村上富雄、藤田稔、梶原伊吉ト會見シ村上ヨリ同人ノ營業ノ内情、經過竝

 

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ニ現狀等ノ説明ヲ聞キ伊吉ヨリ二、三千圓出シテ呉レト言ハレ私ハ村上ノ申ス趣旨ニ贊成シ其ノ位ノ金ナラハ出サウト申シタル旨ノ記載

四、同調書中被告人藤原稔ノ供述トシテ(記錄三、二一五丁以下)判示ノ日頃判示旅館ニ於テ村上ヨリ以前同人カ海軍指定休憩所ヲ設ケ居タルカ上海事變ノ爲營業カ一時中止ト爲リタルモ停戰協定ノ成立ニ依リ帝國軍隊ノ多數上海ニ駐屯スルナラント言フ事等ノ話カアリ更ニ同人ハ海軍指定休憩所ノ名稱ヲ海軍指定慰安所ト改メ營業を復ヲ活シ擴張シテ遣リ度キ故贊成シテ呉レトノ趣旨ノ相談カアリ

 

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私ハ贊成シ村上、梶原ト共同シテ經營スルコトニシ岡崎カ資金ヲ出ス事ニ話カ成立シタル旨ノ記載

五、被告人村上富雄ニ對スル第二囘及第三囘豫審尋問調書ヲ通シ同被告人ノ供述トシテ(記錄七八〇丁以下)海軍指定慰安所ヲ共同經營ニスルト言フ契約ハ私ト藤田稔、梶原伊吉ノ三名間ニ結ハレタルモノナルカ岡崎安太郎ハ共同經營者トシテ右契約ニ依リ藤田、梶原ノ兩名カ得ヘキ利益ヲ更ニ三分シテ其ノ一ヲ得ルコトニ爲リ居ルト言フ事ヲ後に爲リ聞知シタリ(記錄八〇九丁以下)私ハ江星旅館ニ於テ藤田、梶原、岡崎ノ三名ニ會ヒタルトキ海軍

 

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指定慰安所ハ軍人相手ニ賣淫ヲ爲ス事ヲ主タル目的トスル所ニシテ其處ニ雇ハルル女ハ賣淫ヲセネハナラヌ事卽チ其レヲセヌ女ハ雇入レスト言フ事ハ充分話シ置キタル故藤田、岡崎、梶原ノ三名ハ充分承知シ居タル筈ナリシ旨ノ記載

六、證人■■■■ニ對スル第一囘豫審訊問調書中其ノ供述トシテ(記錄一、三七一丁裏以下)村上富雄カ江星旅館ニ藤田、岡崎等ヲ訪レ右三名ニ於テ海軍指定慰安所ノ共同經營ニ付テノ話ヲ爲シ居タルカ其ノ話ノ模樣ニテ私ハ同慰安所カ海軍軍人ヲ相手ニ婦女ヲシテ賣淫ヲ爲サシムル事

 

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ヲ營業トスル所ナルコトヲ知リタル旨ノ記載

七、同證人ニ對スル第二囘豫審豫尋問調書中其ノ供述トシテ(記錄一、三九九丁裏以下)村上、藤田、岡崎等カ江星旅館ニ於テ海軍指定慰安所ノ話ヲ爲シ居タル時村上ハ同慰安所ノ女ヲ内地ニ於テ雇フ時ハ女ニハ醜業ニ從事セネハナラヌ事ハ言ハスニ女給トシテ雇入レヤウト言フ意味ノ話ヲ爲シ藤田、岡崎カ其レニ同意シテ居リタリ私ハ女給トシテ女ヲ雇入レ内地ノ女郎同樣ノ事ヲサセル積リカナト思ヒタル旨ノ記載

八、證人■■■■ニ對スル豫審訊問調書中其ノ供述トシテ

 

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記錄八四三丁以下)私ハ村上、梶原、藤田等ト上海ニテ海軍指定慰安所ヲ共同經營スル契約ヲ爲シタルカ村上ヨリ女ハ幾ラテモ送リ遣ルトノ話ヲ聞キ居タル故其ノ際村上ニ女カ左樣ニ易々ト手ニ入ルカト訊ネタルニ同人ハ岡崎ヤ藤田カスル事テアリ女ハ何程テモ手ニ入ルト申シタリ更ニ私カ女ハ如何樣ニシテ連レテ來ルカト訊ネタルトコロ同人ハ女給トカ女中トカ言フ事ニシテ連レテ來レバ譯ハナイテハナイカト申シタル旨ノ記述

九、被告人岡崎安太郎ニ對スル第一囘豫審訊問調書中其ノ供述トシテ(記錄一、二三九丁裏以下)私ハ藤田稔ト共ニ昭

 

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和七年三月三、四日頃上海ニ行キ同所ノ江星旅館ニ於テ村上富雄、梶原伊吉、藤田稔等ト海軍指定慰安倶樂部(慰安所トハ聞カス)ノ經營ニ付テノ話カアリ私カ梶原ノ依賴ニ依リ女雇入レニ必要ナル資金トシテ二、三千圓出資スルコトニ爲リタリ其ノ際村上カ女ハ女中トシテ雇フカ良イト申シタル樣記憶ス、私カ出資ヲ承諾シタル爲、■■ハ私ノ妻ユキノニ又藤田ハ自宅ニ夫々手紙ヲ出シ私カ出資ヲ承諾シタル旨ヲ通シ女雇入ノ手配ヲ賴ミタルカ私カ上海ヨリ帰ル際卽チ昭和七年三月十三日頃藤田、■■ノ兩名カ私ニ内地ヨリ女ヲ雇ヒ送ル樣依頼シタルニ依リ私

 

ハ長崎ニ歸リ私方ニ西田五三郎、藤田ノ妻ミキヲ呼ヒ私ノ妻ユキノモ居ル所ニテ此度梶原、藤田ノ兩名カ上海在住ノ村上富雄ト共同ニテ海軍指定慰安倶樂部ヲ經營スルコトニ爲リ右慰安倶樂部ハ内地ノ女郎屋ト同樣ノ事ヲスルモノナル事ヲ話シ同所ニ送ル女ヲ世話シテ呉レト申シタリ其ノ際私ハ女ヲ雇フニハ女中トシテ雇フ樣ニト申シタルカ右ハ女ヲ雇フ際淫賣トシテ上海ニ行ク事ヲ勸メル事ハ言ヒ難キ事ト考ヘ且女中トシテ雇フ方カ人ヲ集メ易シト考ヘタル爲ナル旨ノ記載

十、被告人岡崎雪野ニ對スル第二囘豫審訊問調書中其ノ供述

 

トシテ(記錄一、二八四丁以下)梶原伊吉カ安太郎指定慰安倶樂部ヲ經營スルコトニ爲諾シタル故女ヲ雇フテ送ラレ度ク女雇入ニ付テハ中田丈太郎ニモ依賴シテ手紙ヲ出シ置クニ依リ中田ニ世話サセテ呉レト申來リタリ同日中田丈太郎カ私方ニ來テ伊吉ヨリ同人ニモ手紙カ來テ私ニ對スル手紙ト同趣旨ノ記載アリ海軍指定慰安倶樂部ト言フハ女ニ客ヲ取ラセル所ナル旨記載アリタリト丈太郎カ申シ居タリ其ノ後主人安太郎カ上海ヨリ歸リ私方ニ於テ西

 

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田五三郎、藤田ミキニ對シ慰安所ハ軍人ヲ相手ニ專ラ賣淫ヲ爲ス所ナル旨詳シク話シタリ而シテ梶原伊吉ヨリ私ニ手紙カ來タ翌日カ翌々日頃伊吉ヨリ電報ニテ来ル十五日迄ニ女ヲ送リ呉レトノ趣旨ヲ申シ來リタル故直ニ中田丈太郎ヲ私方ニ呼ヒ同人ト女雇入レノ方法ニ就キ協議シタル旨ノ記載

十一、同被告人ニ對スル第三囘豫審訊問調書中其ノ供述トシテ(一、六一一丁裏以下)私ハ梶原ヨリ電報ノ來リタル中田ト女雇入ノ相談シタルカ其ノ際私ト中田ハ客ヲ取ル酌婦トシテ雇ヘハ何千圓モ出サネハナラヌ故女給トシ

 

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テ雇ヘハ安ク済ムト話合ヒ女給トシテ雇入ルル事ニ決メタル旨ノ記載

十二、被告人中田丈太郎ニ對スル第二囘豫審訊問調書中其ノ供述トシテ(記錄一、三八五丁裏以下)梶原伊吉カ上海ヨリ私ニ寄越シタル手紙にニハ女給又ハ仲居トシテ雇フテ呉レトノ趣旨カ記載シアリタルカ私ハ女ニハ淫賣セシムルモノト思ヒ手紙ヲ見テ直ニ岡崎ユキノ方ニ行キ伊吉ヨリノ手紙ノ趣旨ヲ話シタルトコロ同女ハ私ヨリ詳シク上海ノ事ヲ知リ居リタル故同女ニモ伊吉ヨリ手紙カ來テ居ルモノト思ヒタリ其ノ後伊吉ヨリユキノニ宛テ電報カ來タト

 

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ノ事ニテ同女ニ招カレ同女方ニ行キタルニ同女ハ私ニ対シ今度ノ船ニ間ニ合フ樣女ヲ送ラネハナラヌ故女ヲ早目ニ雇フテ呉レ女ヲ雇フニハ女給又ハ中居トシテ雇フテ呉レト命令的ニ申シタリ其ノ際ユキノハ女ニハ賣淫ノコトハ言ハズニ雇フテクレトハ申ササリシモ私ハ同人ノ口吻ヨリシテ女ニハ賣淫ノコトハ打明ケスニ女給又ハ仲居トシテ雇フテ呉レト言フ意味ニ解シタル旨ノ記載

十三、被告人藤田ミキニ對スル第一囘豫審訊問調書中其ノ供述トシテ(記錄一、四〇九丁裏以下)、主人藤田稔カ上海ヘ行ク前同地ヨリ歸リタル梶原伊吉カ私方ニ來テ稔ト何カ話

 

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シテ歸リ其ノ後ニテ稔カ上海ニ於テ海軍慰安所ヲ經營スレハ儲カルソウナト申シ居タルカ稔カ上海ニ向ケ出發二、三日後私ニ宛テ手紙ヲ寄越シ後ニ電報カ着イタナラハ直ニ松島章二に世話ヲサセ女ヲ雇フテ送ル樣申來リタルニ依リ私ハ其ノ手紙ヲ松島章二ニ示シタルトコロ松島ハ女ヲ世話スルコトヲ承諾シ尚同人ハ客ヲ取ル女ナラント申シタル故松島ハ手紙ニ在ル女カ淫賣婦ナルコトハ承知シ居タルモノト思ヒタリ其ノ後岡崎安太郎ノ妻ユキノニ招カレ同人方ニ行キタルコトロユキノハ上海ノ安太郎ヨリ手紙カ來テ上海ニ於テ村上カ經營シ居タル海軍慰安所

 

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言分淫賣屋ヲ此度安太郎、梶原伊吉及稔ノ三名カ共同シテ經營スルコトニ爲リタル由故女ヲ送ラネハナラヌ二依リ自分ノ方ニテモ女ヲ雇フ故貴殿ノ方モ出賴ルタケ世話シテ呉レ金ハ自分ノ方ニテ立替ヘ置ク尚女ヲ雇フニ客ヲ取ラセル事ヲ話セハ金カ高ク掛ル故其ノ事ハ言ハズニ女給トシテ雇フ事ニ仕樣ト話シタルヲ以テ其ノ樣ニシテ女を雇入ルル事ニシ私ハ直ニ松島章二方ニ行キ同人ニ女給トシテ雇入ヲ賴ミタリ同人ハ當時長崎ノ淫賣屋ノ顧問ノ如キ事ヲ爲シ居リ金ヲ高ク掛ケスニ雇フテ遣ルト申シ居タル旨ノ記載

 

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十四、同被告人ニ對スル第二囘豫審訊問調書中其ノ供述トシテ(記錄一、四五六丁裏以下)岡崎安太郎カ歸國後私ト西田五三郎トカ同人方ニ招カレ安太郎ヨリ女ニ賣淫ノ事ヲ打明ケテ雇ヘバ百圓ノ所ハ二百圓掛る故ル女給トシテ雇入レ樣ト言ハレタル際私ハ左樣ニシマセウト答ヘタルカ右ノ話ヲ聞キ其ノ事ハ私ノ主人稔ト相談シテ來リタルモノト思ヒタリ而シテ其ノ日松島章二ニ女雇入レ方ヲ頼ミタル旨ノ記載

十五、證人西田五三郎ニ對スル豫審訊問調書中国其ノ供述トシテ(記錄一、六八八丁裏以下)岡崎安太郎カ上海ヨリ歸リタ

 

ル時私ト藤田ミキトカ呼ハレテ行キ安太郎ハ私トミキトニ對シ安太郎ノ妻ユキノノ居ル所ニ於テ自分ハ藤田稔ト共同ニテ帝國軍人ヲ相手トシ婦女ニ賣淫セシムル海軍慰安所ヲ經營スルコトニ爲リ同所ニ女ヲ送ラネハナハヌ故世話シテ呉レ女ニハ慰安所ノ接待掛ノ女給トシテ雇フト言ヒ賣淫ノ事ハ言ハヌカ良イト申シタリ私ハ賣淫ヲ爲ス酌婦トシテ雇ヘハ金モ掛リ又希望者モ少キ故安太郎カ右ノ樣ニ申シタルモノト考ヘ且兩人カ賣淫ノ事ハ女ニハ打明ケヌカ良イト申シタルハ同人獨リノ考ニテハ無ク上海ニ於テ藤田等ト左樣ニ相談シタル事ナルヘシト察シ私ハ

 

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左樣ニスルト返事シテ同人方ヲ辭シ藤田方ニ行キタルトコロ松島章二カ居合セタルニ依リ同人ニ岡崎安太郎ノ申シタル通リ傳ヘタルトコロ松島ハソンナ風テ雇ハネハ上海邊ニハ女カ直ク行クトハ言ハヌト申シ私モ松島モ藤田ノ爲女ヲ世話シテ遣ルコトニシタル旨ノ記載。

十六、被告人岡崎(原田)春吉ニ對スル第一囘豫審訊問調書中其ノ供述トシテ(記録九一〇丁以下)私ハ岡崎安太郎ノ甥ナルカ昭和七年三月半頃藤田ノ息子ト岡崎ノ息子トカ上海見物ニ行ク際岡崎ユキノノ依頼ニ依リ上海ノ海軍慰安所ニ行ク女三人ヲ一緖ノ船ニテ連レテ上海ニ行キタル

 

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旨ノ記載

十七、被告人岡崎ユキノニ對スル第六囘豫審訊問調書中、被告人岡崎(原田)春吉ノ供述トシテ(記録二、一九一丁以下)私ハ藤田、岡崎ノ息子二人ヲ連レ上海ニ行キ同地ニ滞在中岡崎ユキノヲ旅館ニ訪レタル際同人ヨリ海軍慰安所カ客取リ買淫ヲ為サシムル所ナルコトヲ知リタリ私カ■■■■■ヲ世話シタルハ其ノ後ノ事ナル旨ノ記載

十八、被告人岡崎(原田)春吉ニ對スル豫審訊問調書中其ノ供述トシテ(記録二、七八一丁裏以下)私ハ藤田及岡崎ノ息子二人ヲ連レ上海ニ行キタル時同地ノ海軍慰安所

 

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ハ村上富雄カ營業主ニシテ藤田、梶原兩名ハ同所ニ婦女ヲ入レテ醜業婦營業ヲ爲ス所ナルコト及岡崎安太郎ハ藤田、梶原ノ婦女雇入ノ資金ヲ出シ居ルモノナルコトヲ知リタリ又私ハ上海岡崎ユキノニ會ヒタル際自分カ■■■■ヲ世話シツツアルコトヲ話シタルトコロユキノハ本人カ行クト言ヘハ雇フテモ良イト申シタル旨ノ記載

十九、原審相被告人上田虎壽ニ對スル第二囘及第三囘豫審訊問調書ヲ通シ其ノ供述トシテ(記錄九五三丁裏以下)私ハ岡崎ユキノノ招電ニ依リ同人方ニ行キタルトコロ同人ハ上海カ中々ノ景氣故女ヲ上海ニ遣リ料理屋カ淫賣屋ヲシ

 

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テ女ヲ働カセ樣ト思フ故女ヲ世話シテ呉レト申シ又川田市之助ノ妹ノ緣付先ニ娘カ居ルト言フ話ヲ聞キ居ル故同人ニモ話シテ呉レト申シタリ(一、六四七丁以下)其ノ際ユキノハ私ニ■■■■■及同■■以外ノ女ヲ雇フ際ハ上海ニ行キ女郎ノ如キ事ヲセネハナラヌト言ヘハ嫌フ者モアル者故左樣ナ事ハ言ハスニ上海カ景氣故行キテハ如何ト申向ケテけ勸誘シ呉レト申シタル旨ノ記載

二十、原審相被告人川田市之助ニ對スル第一囘豫審訊問調書中其ノ供述トシテ(記錄九三五丁以下)昭和七年春頃上田虎壽カ私ニ対シ岡崎ユキノヨリ上海ノ料理屋ニテ客取リ

 

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スル女ノ雇入方ヲ賴マレタル故世話シテ呉レト申シタルニ依リ私ハ之ヲ承諾シタリ虎壽ハ■■■■■、■■■■ヲ世話スル際ニハ客取リセネハナラヌ事ハ言ハヌカ良イト申シタルニ依リ其ノ事ハ話ササリシ旨ノ記載

ヲ綜合シテ之ヲ認メ

■■■■外十四名ノ婦女カ判示ノ日長崎港出帆ノ判示船舶ニ乘船シ各其ノ翌日上海ニ上陸シタル點ハ

一、被告人岡崎ユキノ及同中田丈太郎ノ各當公廷ニ於ケル■■■■、■■■■、■■■■ニ關シ被告人藤田ミキノ當公廷ニ於ケル■■■■、■■■■、■■■■、ニ關シ其

 

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ノ旨ノ供述

二、原審第一囘公判調書中被告人岡崎安太郎、村上富雄、藤田稔ノ各供述トシテ(記錄三、一四三丁以下)判示同主旨ノ記載

ニ依リテ之ヲ認メ

判示第一ノ爾餘ノ點ハ

一、證人■■■■■ニ對スル第一囘豫審訊問調書中其ノ供述トシテ(記錄一、一九七丁以下)私ハ昭和七年四月初頃上海ノ事ニ付中田丈太郎ノ妻ニ訊キタルトコロ岡崎ノ家ヘ行ケトノ事ニテ岡崎方ニ行キタルニ岡崎ノ妻ハ私ノ雇ハ

 

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レ行ク先ハ上海ノ大キナ食堂ニテ兵隊ノ遊ヒニ來ル所テアリ「チツプ」モ多ク外ニ品物ノ上金ノ歩合モ貰ヘル故月二、三百圓儲カルニ依リ行ツテ見ヨト申シタルヲ以テ私ハ其レヲ信シ上海ヘ行ク氣ニ爲リタリ其ノ時上海ニテ賣淫行爲ヲセネハナラヌト言フ話ハナク又借金ハ淫賣ノ稼高ニテ支拂フ等約束シタルコトナシ從テ賣淫ヲセネハナラヌ事カ判レハ上海ニ行カヌ筈ナリ然ルニ上海ニ行キタルトコロ其處ハ賣淫專業ノ所ナリシ爲私ハ全ク欺サレテ上海ニ送ラレタルコトヲ覺知シタル旨ノ記載

二、證人■■■■■ニ對スル第一囘豫審訊問調書中其ノ供述

 

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トシテ(記錄一、一七六丁裏以下)昭和七年四月初頃私ノ父カ私ニ對シ藤田方ヨリ上海ノ食堂ノ女給ニオ前ヲ遣ツテ呉レトノ相談カアリ月ニ五、六十圓位ノ金儲カアルト言フ事タト申シタリ其ノ後藤田方及長崎市■■■ノ松島章二方ニ於テ藤田ノ妻ニ會ヒタルトキ同女ハ上海ノ勤先ハ食堂ニテ女給ヲ爲シ客取リタル必要ナク若シ嫌ナレハ直ニ歸國シテモ良イ上海ハ好景氣ニテ百五十圓ノ前借金ハ二、三ケ月ニテ払ヘ親ニハ每月五十圓位宛ノ送金カ出來ル故行ツテ呉レト申シタルカ賣淫ノ話ハ全然無ク前述ノ如ク客取ル要ナシトノ話ナリシ爲賣淫ハセヌモノト信シテ

 

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承諾シ上海ニ行キタルトコロ其處ハ海軍軍人ヲ相手ニ專ラ賣淫ヲ爲ス所ナリシ故私ハ初メテ藤田ノ妻ニ欺サレテ上海ニ送ラレタルコトヲ知リタル旨ノ記載

ニ依リテ之ヲ認メ

判示第二ノ爾餘ノ點ハ

一、證人西田五三郎ニ對スル豫審訊問調書中其ノ供述トシテ(記錄一、七〇〇丁裏以下)私ハ●●■(D)■ノ父■(F)■ニ對シ今度藤田、岡崎ノ兩名カ上海ニ於テ海軍慰安所ヲ經營スルコトニ爲リ其所ニ女給カ必要ニテ儲カル由故娘ヲ遣リテハ如何ト申シテ勸メタルニ翌日■(F)■カ■(D)■ヲ

 

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同伴シ上海行ヲ承諾シタリ私ハ右兩名ニ上海ニ行ケハ儲カルト話シタルモ上海ニ行ケハ賣淫セネハナラヌ事ハ言ハサリシヲ以テ■(D)■ハ單ニ慰安所ノ女給ト考ヘテ雇ハレ行キタルモノト思フ旨ノ記載

二、證人●●■(F)■ニ對スル豫審訊問調書中其ノ供述トシテ(記錄二、〇三六丁裏以下)●●■(D)■ハ私ノ次女ナルカ昭和七年五月頃西田五三郎カ私方ニ來テ藤田カ上海ニ於テ軍隊ノ娯樂場ノ如キモノヲ始メ其處ハ酒ヤビールヲ賣ル軍隊ノ酒保ノ如キ所ニテ内地ノ女カ居ラヌ故其處ノ賣子ノ如キ仕事ヲ爲ス者トシテ娘■(D)■ヲ遣リテハ如何、

 

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酒ヤビールカ高ク賣レ其ノ儲ノ割合ヲ呉レ内地ノ三年分ヤ五年分ハ一年テ儲カルト申シタル故娘■(D)■ニ其ノ話ノ趣旨ヲ傳ヘタルトコロ娘ハ上海行ヲ承諾シタリ西田ハ上海ニ於テ娘カ醜業ニ從事セネハナラヌ事ヲ一言モ言ハサリシタメ私モ■(D)■モ左樣ナ事ハ知ラス若シ醜業セシメラルル事ヲ知ラハ僅カ二十圓位ヲ貰ヒ娘ヲ上海迄送ル樣ナ事ハ爲サス又娘モ行カサリシ筈ナリ然ルニ昭和八年二、三月頃娘■(D)■ハ歸國シ上海ニ於テハ内地ニテノ話ト異リ客取リヲセシメラレ辛カリシ旨申シタル旨ノ記載

ヲ綜合シテ之ヲ認メ

 

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判示第三ノ爾餘ノ點ハ

一、被告人中田丈太郎ニ對スル第一囘豫審訊問調書中其ノ供述トシテ(記錄八八八丁以下)私ハ昭和七年三月十一、二日頃長崎市外■■■■■■■■■(■■■ノ誤記ト認ム以下同シ)方ニ行キ同人ニ對シ今度上海ニ海軍慰安所ト稱スル大キナ料理屋カ出來ル故娘ヲ上海ニ遣ラヌカト申シタルトコロ同人ハ■■■■ヲモ招致シタル故同人ニモ前同樣話シタルニ兩名共娘ニ相談スルト申シタリ其ノ後■■■、■■ノ兩名カ娘ノ■■■■、■■■■ノ兩名ヲ同伴シ來リタル故私ハ娘兩名ニ對シ前同樣ノ話ヲ爲シタ

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ルトコロ兩名共上海行ヲ承諾シ又■■ノ妹■■■■モ同樣上海ニ遣ル事ニ話ガ決マリタリ私ハ■■■■、■■■■ノ兩名ニハ上海ニ行キ淫賣スルト言フ事ハ言ハス女給又ハ仲居ノ如キ仕事ヲセネハナラヌト申シテ勸誘シタルモノナル旨ノ記載

二、證人●●■■■ニ對スル豫審訊問調書中其ノ供述トシテ(記錄一、八二七丁裏以下)●●■■ハ私ノ長女ニシテ同■■ハ私ノ次女ナルカ昭和七年三月頃中田丈太郎カ私方ニ來テ上海ニ良キ働キ口カアルカ貴殿ノ娘及■■■■ノ娘ハ行カヌカト申シタルニヨ●●■■ヲ私方ニ招キ孰

 

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レモ娘ニ訊ネタル上返事ヲ爲スコトトシタルニ丈太郎ハ佐世保ニ居ル娘■■ヲモ一緒ニ遣リテハ如何ト申シタリ其ノ後私ト■■トハ私ノ娘■■と■■ノ娘■■トヲ中田方ニ同伴シタルトコロ同人ハ娘等ニモ前同様ノ趣旨ノ話ヲ爲シ上海行ヲ勸メタルトコロ兩名共上海行ヲ承諾シタリ最初中田ハ上海ニ於ケル良キ働キ口トハ岡崎ノ經營セル海軍ノ倶樂部ノ如キ所ニテ酒ヤ肴ヲ運フ仕事ニテ同所ハ客ヲ取ラスル所ニ非ス月二、三百圓ノ收入アリト申シタリ其ノ後岡崎ノ妻ニ会ヒタルカ同女ヨリモ客取リノ話ハ聞カス■■ニ對シテハ私カ中田ヨリ聞キタル通リ話シ

 

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タルトコロ同女ハ客取リヲセス左樣ニ金儲ノ有ル所ナラハ行クト申シ上海行ヲ承諾シタリ私モ娘兩名モ中田カ客取リスル所ニテハ無ク心配セヌテモ良イト申シテ勸メタル故其レヲ信シ娘二人ヲ上海ニ遣ル氣ニ爲リ娘等モ其レヲ信シテ上海行ヲ承諾シタルモノニシテ若シ客取リ商賣ヲセネハナラヌ事カ判明シ居ラハ僅カ四百圓餘ヲ娘二人分ノ前借金トシテ借受ケ上海迄遣ル筈ナカリシモノナリ然ルニ其ノ後娘■■カ歸國シ内地ノ話トハ相違シ上海ニテ客取リ商賣ヲサセラレタリト申シタル旨ノ記載

三、證人■■■■ニ對スル豫審訊問調書中其ノ供述トシテ(

 

記錄一、八一三丁以下)■■■■ハ私ノ次女ナルカ昭和七年三月頃■■■■■方ニ於テ中田丈太郎ニ面会シタル時同人 岡崎カ飲食店ノ如キモノヲ經營シ女カ必要ナルカ上海ハ景氣好ク金儲カ出來ル故娘ヲ遣ラヌカト言フ趣旨ノ事ヲ申シタリ私ハ水商賣ヲスル所ナラハ遣ラヌトナラハ答ヘタルトコロ同人ハ水商売ヲスル所テハナク女中ノ如キ仕事ヲ爲スモノナル旨申シタルニ依リ娘ノ意見ヲ聞キタルニヲ上海行ヲ承諾シタリ私も娘モ■■モ客ヲ取ル水商賣ヲサセヌ所ト信シテ上海行を承諾シタルモノニシテ若シ賣淫ヲセネハナラヌ事カ判明スレハ私モ■■モ

 

上海行を承諾する筈なし然るに■■が上海に行きたる後私に寄越した手紙は内地に於ける話とは違ひ客取りを為さねばならぬと書きありたる旨の記載。
四、被告人中田丈太郎に対する第一回予審尋問調書中其の供述として(記録九〇三丁裏以下)私は■■■■■方に於て同人の娘■■■■■に対し上海行を勧め売淫をせねばならぬ事は言はず勧め先は海軍の慰安所にしてカフェーの女給又は仲居の如き仕事を為す所にて収入は七、八十円位と申したる旨の記載、
五、証人■■■に対する嘱託に依る領事の尋問調書中其の事

 

wam アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館

日本政府未認定の日本軍「慰安婦」関連公文書

186 J_C_002 国外移送誘拐被告事件 長崎控訴院判決