Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

【工事中】被告人 朴準植/金子文子 特別事件主要調書     第一冊

被告人 朴   準 植
    金子文子

特別事件主要調書

    第一冊


暗椘の一年

崔英煥澁谷警察署勾留中自大正十二年十月
十三日至十月十八日間ニ其監房内ニ於テ其
恩師寳泉寺住職坂戸智海ニ宛テ認メタル書面

   拜伏
親愛な
法兄に私の罪を申しのへてありますから容赦して下た
さいませう御願い致します、それは何時か暗椘の一年
の経過を申し上げようとした苐次て御座いま ( 「し」 脱
落か) たのがとう/\法兄へ迷惑ををかすにもなり迷生の
禍となつたので御座ます、それで收監中に記することゝな
りまして法兄前に土産話となつて申し上げる事になりまし
て誠に残念千萬で御座います又法兄のきくこともあつたが
常に知りませんと申し上げ隱して來たのは私の罪である
が何時かに法兄前には自白する次苐て來たのて御座いま
すが此の機會て收監中迷生の持つて來た土産話を記して
あるのてとうが慧眼を許して下たさるを切に拜伏頓首致します
     英煥白

昨年六月二日に東京澁谷河合新聞店に申君と同居し又
朴昶圭と鮮人三人でした
六月二十日頃新聞勧誘に出た時大坂下大橋際て或人が新
聞屋様と呼びました行つたら何に新聞かと云ふのて讀売
中外都等て御座いますと申しますと私の言葉を聞いて
君鮮人か?とそうてすと自分鮮人た、尹甲容と云ふ者て
すと云ふのて私は崔て御座いますと云ふと僕の住所は池
尻の四二四相川方朴烈と云ふ友人の許に居る此の頃国から
來たばかりて自分も苦學の目的て來たが今暫く此の友人
の方へ居るから遊び ( 「に」 脱落か) 行きませうと言ひましたので
連れていかれましたそれで朴烈と知ることになつたので
すそれて朴は私に自分の話を云ひまして私には社會主義
研究と云ふ本をくれま ( 「し」 脱落か) たので時間 ( 「の」 脱落か) 都合が

あるのて歸る事にしたら尹君は一つ新聞屋て同居を賴むの
て私は今の所はとつてもだめたから來月頃出るしたくろす
と云ふと朴が云ふのには善いことがあると云つて神田馬君
の方に行飴を賣買すれは自分自由に身を使かはれて日
本人の束縛がないから其處へ行つた方がとうた?そこて
尹がそうしよ ( 「う」 脱落か) ちやないか?そうして善い處を見
付けよと云つて歸りました (中略) 翌日から飴を賣ると東
京の様子を分らないて賣れないから丸の内へ行つて働く事
にして仕事先き見て七週間位ひ働いてから申君は月島へ
連れて行つて語葉の用をしない處を見付けて氷屋の車引
に賴みまして私は又飴を賣りながら前に参詣した寳泉
寺へ参つて事情を申上げて其晩から法兄の許に同参する
ようなりました、來る時に尹君に番地を教へたのが悪かつ

たのたがそれは手紙の友炭 (返戾?) てあるから敎へてやつたので
すかその後朴烈は私の方へ黑涛と云ふのを二度送りまし
たのてそれを法兄にも見せた事がありますそれて九月
二十八日法兄の御世話て上野の辨天堂に□僧となり初め
て夜學へ通學することになりまして又大多喜大僧正から
は宗教に対する宗乗を学ひ日間は御堂て番をしなか
ら復習をして又重大なる御堂の一切責任と金錢をも会計取
り扱をしてよく勉强をして来年の学期には三年の編入
備をしたのてすそこに何処も知るないか或る晩学校の前て
尹君に逢つて其間の言葉がありましたか尹君の云ふのに
は勉強も善いか同胞からの同情を失はないようにしなさい
と云ふのて私は苦学するのだから自分か働いて食いなか
ら通校するのたから同胞としても同情を失ふ事はない

と言つてわかれました、その後十二月中旬頃葉書一枚かあ
つたのですそれには左の通り鮮文てのまゝすれは 「君
親日をするそうたか直に退去をさせる」 と書いてあつ
たのて私としては心を痛めたのでございます (中畧) それ
ては東京中の事を知らなければならないのて正月三日頃
に朴烈君方へ訪問して色々意見を交換をすることにな
らて彼れは社會主義の語を現社會制度は資本ねみ暮す社
會なれば無産は生存することが出來ないのてあるから此儘
て我等無産者は放認して置く事が出來ないから萬民平
等自由の意想的社會にやりなほすのが必要てあるから革命
を起さなけれはだめてある革命を起すには我等の一切行
動を認めるのてあると云ふたのてす私は平等自由を理想
しつ社會へ/\として居るが何んと言つても人間世界 (