Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

判決文要旨 第1被告 池田省一 懲役15年 バタビア裁判 第69号 (スマラン慰安所) 事件

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判決文要旨(池田省一)

起訴状略す

検事求刑
「強制売淫の為に婦女子を連行せること」
「強制売淫」及び「強姦」なる戦争犯罪により
「死刑」

 次に本軍法会議は次の諸点を考慮す。

 本被告に対してはその相被告に対する判決文中に掲げられたる諸証拠材料(その要約せるものは同判決文中12頁 より31頁を参照)を読み聞かせ,提示したるも,これ等の諸証拠材料に基づき,同判決文中に既に立証されたる事実は総てそのまま,本判決分にも適用せらるるものとす(31頁 ー 35頁参照)。

 他に,今此処に追及を要する問題は被告のこれ等立証せられたる事実に対する責任の有無,又,有りとせば如何なる程度の責任ありやとの点なり。

 被告は1月26日及び1月31日の公判及び精神異常のため一時中断し3月24日(1948年)に再開せる公判廷における陳述の概要下記の如し。

 基礎事実に掲げられ(また,21ー3ー’48に相被告に対し言及されたる判決文中に立証せられたる)「スマラン」における出来事に対し一部責任あることを認む。

 被告は又,「スマラン」に在りたる幹部候補生隊(将校養成学校)に中佐の階級を以って,作戦掛教官として配属され,隊長能崎少将に直属しありたるも,44年1月頃,同じく同隊に配属せられありたる大久保大佐と話し合いたる際,「スマラン」軍慰安所に対する監督の不足から健全なる慰安婦が居らず性病が蔓延しありとの望ましからざる状況に就きての話から新たなる慰安所を開設せんとのことに意見が一致したるも,大久保は,此の際能崎少将に対し斯る状況に対する改善意見を建言せんと述べたるを以って,被告も大久保に同行して能崎の許に至りたり。

 大久保は能崎に対し「スマラン」に新設する慰安所慰安婦は抑留所より募集せんとの意見を述べ,能崎もこの計画を可としたるも,然し当時猶軍政当局の管理下にありたる抑留所より婦女を連れ出すことに対し,慰安所開設に許可を下す第十六軍司令部が果たして許可を与えるや否やの点を疑問としヰたり。

 この談合の際には,関係婦人は自由意思なることを要すとの問題は全然話題に上がらざりしも之は言わずとも自明の理なりしを以ってなり。

 猶,此の点に関し,11ー6ー1946付け12006/R号の尋問調書の第6問「能崎の許にて如何なる話が行はれたりや?」との問に対し之と矛盾するが如き答弁を行ひあるも之は事実ならず。之に関しては尋問官たる SHOUTEN 氏に対し異議を述べたるも(単に之のみならず其の他の点に対しても同氏には異議を申し出たり)効果はなかりき。即ち,尋問官は被告が調書に陳述した通りに記載せられあらざる箇所に対し異議を申し立つる度

 

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に「夫は大して重要なる際にあらず」とか,「大体そのような意味なり」とか言い,又,尋問官自身も浜口某なる通訳も,被告が婦女子を連行し慰安所に入れたる際,欺瞞と暴力が使用せられたることを知らざる筈はなしとの態度を変えようとせず、更に,尋問官は上記の能崎との談話の件に関しては,欺瞞と暴力を使用して婦女子を抑留所から連行せることが,戦争の法規,慣習の違反なることを被告が知らざる筈なしと言いたるを以って被告は之に対しては,斯かることは良く知りありたり。また,然るが故に自由意志に基づく志望者に限ることは自明の理たりしを以って,その際自由意志云々の問題に関しては話題に上らざりしものなりきと答えたり。

 被告は又,同調書に掲げられたる如く,東京より帰来直後に,暴力が用いられありしことを耳にせりなどとは述べたることなし。然し被告は法廷に於いては事実が明らかになると期待したるを以って,以上の如き事実がありたるにも拘らず同調書に署名を行いたるものなり。

 拠って上述の能崎との話合ひは44年1月末被告の東京出発前に行われたるものなり。

 また,被告は出発前の約2週間を,一般人中より十分なる慰安婦を獲得せんとして総ゆる手段を講じたるも,満足すべき結果は得られざりき。

 被告は,大久保の計画に対しては,実際的の種々の困難を予測したるを以って全面的に同意したるものにはあらざりしも,然し一般人からの募集が円滑に行かざることが判りたる際,能崎少将の命にて軍司令部に提示する計画案を作成せり。

 被告が出張をすることとなりたる際,その後任は岡田少佐となりたるも,彼(岡田)は本計画に対し熱心なりし大久保大佐に依り,爾後の「仕上げ」を課せられたり。被告はそれ以上本件に関与せざりしも,岡田少佐とともに「バタビヤ」へ同行はせり。而して此の際[?]岡田は軍司令部から許可を獲得することがその任務の一つなりしことは被告も知りヰたり。

 「スマラン」へ帰任直後,44年3月末頃行はれたる会食席上,被告は前記の計画が実施せられつつあることを耳にせり。

 被告自身は之等慰安所の何所へも行きたることはなけれども,将校「クラブ」の「レストラン」へは行きたることあり。

 被告は「スマラン」へ帰任後は岡田とは会はざりしも,之は岡田が歩兵隊へ帰任しあり,岡田の任務は江副中尉が代行しありたるを以って,岡田自身からは事務引継ぎは行はざりし為りき。更に被告は帰任と同時に先任教官の職に戻り,新作戦原理(被告は東京に於て最新の教範[?]に基く作戦原理を修め来たりたり)のことにて多忙を極めたることもその一原[?]因なりき。

 又被告は,慰安所が運営せられありと聞きたる後には,これに対して大なる関心は払わざりき。

 慰安所に働く婦人に対し暴力が使用せられありとか,或は,志望者ならざるものがありと

 

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の噂を被告は聞きたることなく,斯かることは本件の起訴事実を見せられたる時に時に始めて知りたり。

 被告の帰任後約二週間して,慰安所の閉鎖命令が来たりたるも,之が被告をして調査を行はんとの動機を与え,江副中尉に対し関係書類の提示を命じたり。然し此の際、軍司令部からの書式の許可証は発見さられざりしも,婦女子が書きたる同意書はありたり。

 然るに,之には婦女子が服務する用意ありと宣言したる仕事の性質に関しては何も書かれあらざりき。

 被告はこの点に関し江副に説明を求めたるところ,江副は何等満足なる答弁を行ひ得ざりしを以って,被告は軍司令部よりの書式の許可証がなき旨を能崎に報告せり。

 能崎は此の報告に対し「面白くない事件が起きた」と云いたるを以って,被告は能崎が「岡田を「バタビヤ」に送らねばなるまい」と云いたるを以て,此の確信を強めたり。

 然し,2~3日後には能崎が自ら「バタビヤ」へ出向きたり。

 この当時憲兵隊の勝村が被告を訪ね来たり,慰安所のこともその際話題に出たるも,その来訪の真意は明らかにはならざりき。然も被告は勝村が幹部候補生隊の他の将校及び能崎に対する情報を集めに来たりとの印象を開けたり。

 被告は又大久保の計画に対する賛成者にはあらざりしも,然し婦女子を抑留所より連行し之を慰安所に入れることが ―― 仮令夫が自由意志にて行はれたにせよ ―― 人道及び国際条約違反行為なりと悟る程には本件を深く考えざりき。

 「スマラン」駐屯部隊の将校団中に於ける大久保大佐は歩兵隊長,幹部候補生隊幹部の一員,更に能崎少将直接の部下中の再先任,最高級者として軍人の厚生に関する諸問題に於ては最優先権を有しヰたるを以て,大久保の発言に対しては傾聴を要したるものなるも本慰安所の件は此の大久保より出で,又,彼が之に対し熱心たりしを以て,実施せらるるに至りたるものなり。

 被告は起訴状に掲げられたるが如き基礎事実に対し有責なることは否認し,又,特にその中に掲げられたる暴力行為を容認せりとの如きことは,被告は当時,現地に居らず,知ること能はざりしを以て認めることを得ざるところなり。然し乍ら,被告がその作成に当り協力したる計画の爾後の実施に於て,起訴状にあげられたるが如き結果が生じたることが明らかとなりたる現在に於ては,その結果に対し共同責任を感ずるものなり。

 何となれば被告が能崎に忠告を行いたるならば,之等の結果は恐らくは起らざりしものと思はるるを以てなり。更に,「スマラン」にて起りたる本件は人道に対する過酷なる犯罪行為なることを自覚すると共に,之に対しては幹部候補生隊の幹部はその責任を負はざるべからざるものなりと思考するを以て,仮令被告は計画の実行時に不在似して,且つ,斯かる問題に対し無経験たりしとは謂え,共同責任をを感ずるもなり。

 以上,被告の陳述に依り下記の2点は明確となりたり。

 

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1.被告は「スマラン」に慰安所を開設し,抑留婦女を慰安婦とする計画の作成及びその「仕上げ」に協力し,而もその許可が十六軍司令部に申請せらるべきことを知りありたること。

2.被告は,44年1月末,東京に於ける新戦闘法に関する会議に出席の為出張したるも,同年3月末「スマラン」に帰任後,出発前計画されたるが如く慰安所が開設せられありたることを知り,又,之等慰安所には抑留所よりの婦女子が働きありたることも知り得たること。

「又,次の如き事実も明らかとなりたり。即ち,被告は「スマラン」へ帰任したる後,慰安所に関する事務所類を検査し,十六軍司令部の許可がなきこと及び婦女の同意書には業務の内容が記入しあらざることを発見せること。

 被告は(然も能崎少将からは之に関しては何の言明も得られざること。

 被告は又之を更に調査する手段は講じざりしこと。」

 (上記「 」内5行は閉鎖命令後と混和しあるものの如し ―― 訳注)

 又,「スマラン」慰安所事件の判決文52頁にも考量したる如く(日本人)自らが設けたる抑留所の非人道的な悪状況(食料,宿舎)を利用して抑留所より志望者を募集すること自体が既に道義と人道に反する行為なるも,本件の場合は夫と共に又戦争の法規慣習に対する違反行為なり。

 更に「兵站係将校」をも兼務しふりたる被告は,斯かる計画を是認し,その計画作成に協力し,更に,本計画が如何に実行され,又その結果開設されたる慰安所が如何に経営せられたるやの監督を全く行はざりし事実に依り,犯罪行為に責任を負はざるべからず。

 又,相被告に対する判決文に依りても明らかなる如く,之等相被告に依り犯されたる戦争犯罪行為は(皆)上記の計画よりその端を発したるものにして,被告は斯かることを予測し得ると同時に之を防止すべからざる[ママ]ものなりき。然るに被告は ーー 日本より帰還し再び職[?]務[?]に就きたる後 ーー 之等慰安所の状況を調査することを怠り,斯かる戦犯行為の継続を容認したるものなり。

 被告は高級将校として和蘭人婦女子が一般的に,又,主義として日本人の慰安所慰安婦として働く為に抑留所を離るることを欲さざること及び斯かることは欺瞞乃至暴力を用ひて始めて可能なることを当然知りヰたる筈なり。

 被告は,又,本件に関係せる他の将校連と同様,完全に占領軍の権力下にに置かれたる婦女子の運命に対しては,一顧[?]の関心も払はず,又,服従を強ひられ自由を奪はれたる婦女子に対し前以て斯かる業務に関する提案を行ふことさえ念頭になかりし事実はそれ自体既に完全なる犯罪的意味を帯あり。

 被告は斯かる態度を採ることに依り,本慰安所問題に関係せる指導的将校連を支配しヰたる精神に対し完全に共鳴しヰたることを証明しあり。

 更に被告自身の自供に基くも,被告が慰安所関係の事務書類を検査したる際,軍司令部

 

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の許可のなきこと及び婦女子の同意書には業務の性質が明記しあらざりしことを発見せりとの事実は,日本人は一般に俘虜,抑留者の置かれヰたる実際の悪状況を事務に依りて誤魔化し,上級当局対し実情を隠匿する傾向非常に多きことを立証すると共に,若しも被告が「兵站係将校」としての責任を痛感し,之が責務を果したりとせば ―― 能崎少将が極度に不満足な且つ回避的な答とか与えざりしとき ―― 何故に被告は実情と出来事に対し直ちに調査を行はざりしやは諒解し難きところなり。

 以上考察を加へたる事実よりして,本被告も亦,72/1947(スマラン事件)本臨時軍法会議に依り判決せられたる事実が行はれたることを容認せりとの起訴事実に対し有責たらざるべからず。

 次に量刑に関しては次の如く考量す。

 検察官は被告に対し「死刑」を求刑せるも本会議は之に同意し得ず。即ち被告は,彼が協力して作成したる計画が実際に行はれたる際には現地にあらず,慰安所が既に開設後1ヶ月にして「スマラン」へ帰任しあり。又,すでに言渡されたる判決文にも強調せられある如く,戦犯行為に対する最も重い責任は実行者に負はさざるべからず。

 しかりとは謂へ,被告は高級将校中の先任株(訳注 ―― 再先任にはあらざりしものの意)として,又,隊長能崎少将の最も主要且つ勢力ある補佐官の一人として,幹部候補生隊将校団より出たる抑留婦女を以てする慰安所の開設の機運を阻止すべき立場にありたるを以て,その罪状は大なるものあり。

 被告も亦,法廷に於いて ―― 回避的答弁が一致せる限りにおいては ―― 此の点にこそ彼の責任が存在せることを良く諒解し,且つ又自覚しあり。

 本軍法会議は又,被告は東京より戻りたる際,その関心と情や情力を近大戦闘に関する新指針の施行に注ぎ,且被告は日本軍将校として之に非常に大なる関心を払うさはざるべからずと考えたる点を斟酌し,15年の刑を以て至当判断す。

 依  而  被  告  池  田  省  一  を

 「強制売淫の為の婦女子の連行」
 「売淫の強制」
 「強姦」   なる戦犯行為に依り

 懲  役  1  5  年  に  判  決  す。

 

https://db.wam-peace.org/koubunsho/document/mt-bc066/

262 J_J_066 資料名:判決要旨 第1被告 池田省一 簿冊:BC級(オランダ裁判)バタビア裁判69号事件 https://wam-peace.org/ianfu-koubunsho/pdf/M-PDF/J_J_066.pdf 日本政府未認定の日本軍「慰安婦」関連公文書リスト https://wam-peace.org/ianfu-koubunsho/list/m-all-list.html

1929年、ジュネーブ、戦争捕虜の待遇に関する条約 第一部 一般規定 1929. 7. 27

CONVENTION RELATIVE TO THE TREATMENT OF PRISONERS OF WAR. Geneva, 27 July 1929.

戦争捕虜の待遇に関する条約 一九二九年七月二十七日、ジュネーヴ

 (List of Contracting Parties)

 (締約国一覧 略)の諸国は、

 Recognizing that, in the extreme event of a war, it will be the duty of every Power, to mitigate as far as possible, the inevitable rigours thereof and to alleviate the condition of prisoners of war;

 戦争という極限状況の中では、避けがたくそこから生ずる峻烈さを出来る限り緩和し、戦争捕虜の状態を軽減することが、あらゆる国家の責務となるであろうことを認識し、

 Being desirous of developing the principles which have inspired the international conventions of The Hague, in particular the Convention concerning the Laws and Customs of War and the Regulations thereunto annexed,

 ハーグ国際諸会議、とりわけ戦争の法規·慣例に関する条約とその付属規則諸原則に息づく諸原則を発展させることを欲し、

 Have resolved to conclude a Convention for that purpose and have appointed as their

 Plenipotentiaries:

 (Here follow the names of Plenipotentiaries)

 その目的で条約を締結することを決意して以下の人々をその全権大使に指名した。

 (ここに全権大使たちの名が続く。略)

 Who, having communicated their full powers, found in good and due form, have agreed as follows.

 指名された人々はその全権を伝達した上で、しかるべき正式な全権大使であることを示して、以下のことに同意した。

https://ihl-databases.icrc.org/applic/ihl/ihl.nsf/ART/305-430001?OpenDocument

      PART I. GENERAL PROVISIONS

       第一部 一般規定

          ARTICLE  1

 The present Convention shall apply without prejudice to the stipulations of Part VII:

    第一条

 本条約は第七部の規定を損なうことなく以下の人々に適用されるものとする。

 (1) To all persons referred to in Articles 1 , 2 and 3 of the Regulations annexed to the Hague Convention (IV) of 18 October 1907, concerning the Laws and Customs of War on Land, who are captured by the enemy.

 (一) 地上戦の法規および慣例に関する一九〇七年十月十八日のハーグ第四条約付属規則第一条、第二条、第三条で言及される人であって、敵に捕えられたすべての人。

 (2) To all persons belonging to the armed forces of belligerents who are captured by the enemy in the course of operations of maritime or aerial war, subject to such exceptions (derogations) as the conditions of such capture render inevitable. Nevertheless these exceptions shall not infringe the fundamental principles of the present Convention; they shall cease from the moment when the captured persons shall have reached a prisoners of war camp.

  (二) 交戦国の武装勢力に所属する人であって、海上戦または航空戦の作戦の過程で敵に捕えられたすべての人。ただしそうした捕獲の状況が余儀なくする様な例外(毀損)は認められる。しかしながらこれらの例外は本条約の基本的原理を侵害するものではなく、捕えられた人が捕虜収容所に到着した時点で終了する。

https://ihl-databases.icrc.org/applic/ihl/ihl.nsf/ART/305-430002?OpenDocument

          ARTICLE 2

 Prisoners of war are in the power of the hostile Government, but not of the individuals or formation which captured them.

     第二条

 戦争捕虜たちは、彼らを捕らえた個人や組織のではなく、敵国政府の権力内にある。

 They shall at all times be humanely treated and protected, particularly against acts of violence, from insults and from public curiosity.

 彼らはいかなる時も人道的な待遇を受け、とりわけ暴力行為、侮辱、公衆の好奇心から保護されるものとする。

 Measures of reprisal against them are forbidden.

 捕虜に対する復仇の措置は禁じられる。

https://ihl-databases.icrc.org/applic/ihl/ihl.nsf/ART/305-430003?OpenDocument

          ARTICLE 3

 Prisoners of war are entitled to respect for their persons and honour. Women shall be treated with all consideration due to their sex. Prisoners retain their full civil capacity.

    第三条

 戦争捕虜たちはその人格と名誉を尊重される権利がある。婦人たちにはあらゆる点でその性に対する考慮がなされるものとする。 捕虜たちはその市民的諸能力を完全に保持する。 

https://ihl-databases.icrc.org/applic/ihl/ihl.nsf/ART/305-430004?OpenDocument

          ARTICLE 4

 Art. 4. The detaining Power is required to provide for the maintenance of prisoners of war in its charge. Differences of treatment between prisoners are permissible only if such differences are based on the military rank, the state of physical or mental health, the professional abilities, or the sex of those who benefit from them.

    第四条

 抑留国は管理下の戦争捕虜が生きていける様に食料を供給する必要がある。 待遇の格差が許されるのは、格差がその恩恵に与る人々の軍隊内の階級や、肉体および精神の健康状態、職業的技能、性別に基いている場合に限られる。

https://ihl-databases.icrc.org/applic/ihl/ihl.nsf/ART/305-430005?OpenDocument

 

日本国、独逸國及および伊太利国間三国條約 署名原本 1940. 10. 19 

條約第九號

朕樞密顧問ノ諮詢ヲ經テ裁可シ昭和十五年九月二十七日「ベルリン」ニ於テ帝國特命全權大使ガ關係各國代表ト共ニ署名シタル日本國獨逸國伊太利國間三國條約ヲ茲ニ公布セシム

裕 仁 【天 皇 御 璽】

 

  昭和十五年十月十九日
   内閣總理大臣公爵 近衛文麿
   陸軍大臣     東條英機
   外務大臣     松岡洋右
   海軍大臣     及川古志郎

 

條約第九號

  日本國、獨逸國及伊太利國間三国條約

大日本帝國政府、獨逸國政府及伊太利國政府ハ萬邦ヲシテ各其ノ所ヲ得シムルヲ以テ恒久平和ノ先決要件ナリト認メタルニ依リ大東亜及歐洲ノ地域ニ於テ各其ノ地域ニ於ケル當該民族ノ共存共榮能力ノ實ヲ擧グルニ足ルベキ新秩序ヲ建設シ且之ヲ維持センコトヲ根本義ト爲シ右地域ニ於テ此ノ趣旨ニ據レル努力ニ付相互ニ提携シ且協力スルコトニ決意セリ而シテ三國政府ハ更ニ世界到ル所ニ於テ同樣ノ努力ヲ爲サントスル諸國ニ對シ協力ヲ吝マザルモノニシテ斯クシテ世界平和ニ對スル三國終局ノ抱負ヲ實現センコトヲ欲ス依テ日本國政府、獨逸國政府及伊太利國政府ハ左ノ通協定セリ

   第一條

日本國ハ獨逸國及伊太利國ノ歐洲ニ於ケル新秩序建設ニ關シ指導的地位ヲ認メ且之ヲ尊重ス

   第二條

獨逸國及伊太利國ハ日本國ノ大東亞ニ於ケル新秩序建設ニ關シ指導的地位ヲ認メ且之ヲ尊重ス

   第三條

日本國、獨逸國及伊太利國ハ前記ノ方針ニ基ク努力ニ付相互ニ協力スベキコトヲ約ス更ニ三締約國中何レカノ一國ガ現ニ歐洲戰爭又ハ日支紛爭ニ參入シ居ラザル一國ニ依テ攻擊セラレタルトキハ三國ハ 

 

有ラユル政治的、經濟的及軍事的方法ニ依リ相互ニ援助スベキコトヲ約ス

   第四條

本條約實施ノ爲各日本國政府、獨逸國政府及伊太利國政府ニ依リ任命セラルベキ委員ヨリ成ル混合專問委員會ハ遲滯ナク開催セラルベキモノトス

   第五條

日本國、獨逸國及伊太利國ハ前記諸條項ガ三締約國の各ト「ソヴィエト」聯邦トノ間ニ現存スル政治的狀態ニ何等ノ影響ヲモ及ボサザルモノナルコトヲ確認ス

   第六條

本條約ハ署名ト同時ニ實施ソラルベク、實施ノ日ヨリ十年間有效トス

右期間滿了前適當ナル時期ニ於テ締約國中ノ一國ノ要求ニ依リ締約國ハ本條約ノ更新ニ關シ協議スベシ

右證拠トシテ下名ハ各本國政府ヨリ正當の委任ヲ受ケ本條約ニ署名調印セリ 

 

昭和十五年九月二十七日卽チ千九百四十年、「ファシスト」曆十八年九月二十七日

「ベルリン」ニ於テ本書三通ヲ作成ス

来栖三郎

ヨアヒム、フォン、リッベントロップ

チアーノ

 

↑御署名原本・昭和十五年・条約第九号・日本国、独逸国及伊太利国間三国条約  https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/A03022538200 JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03022538200、御24359100(国立公文書館)」

判決書 第3被告 岡田慶治少佐 バタビア裁判 第69号 (スマラン慰安所) 事件 

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        判 決 書

第二、被告岡田慶治に関しては下記の点を顧慮す。

 即ち,本被告は,各「キャンプ」に於ける婦女子の選択並に之等婦女子を「カラリーラン」の建物に連行せることに関する全責任を否認[し]あり。然し,本被告は,各抑留所より和蘭人婦女子を連行する計画のありたることは知りあり,又本計画の実行並びに之等婦女子を四ヶ所の慰安所に配置するが為に必要なりし許可を,高橋少佐と池田大佐の命に依り,第16軍司令部に受領に赴きたることは認めあり。

 又,彼は全然,己が自由意志にて「バンドン」に旅行し,同地に於て,慰安所にて働きある欧州人婦女の取扱並びに之が状況視察も行いたることも認めあり。

 又,本被告は,43年1月末或は2月始め池田大佐の日本出張後は,軍人の慰安並に厚生を掌管せる兵站業務を引継ぎたり。

 被告は婦女子の選択は,州庁職員に全然任せあるを以て,何等の干渉をも行はずと主張[し]あり。

 更に,被告は,司令部の許可は婦女は自由意志にて,抑留所を離れ,又,自由意志にて慰安所に務むべきことの条件づきなりしことを知りありたり。而も斯かる事実は,婦女子が選択の目的を充分に知らされ,同意書に署名する前に,その結果に関し充分考慮する機会を与へられざるべからざりしことを意味するものなり。又この自由意志に基くべしとの要求は,当然,同意書の署名に際し,充分なる監督を行ふ将校は,之等婦人が事実充分にその内容を知らされ,自由意志なることが全然疑ふ余地のなきことを確認すべきなり。

 然るに,被告は,兵站将校にして,故に第16軍司令部の要求を知り知り[ママ]いたるのみならず,又現地に於ける最高級将校として,斯かる監督を行ふ[→行はざる]べからざりしにも拘らず,之を怠りたり。更に彼の主張する如く,全部を州庁職員に一任し,為に,被告の主張に従へば,此の同意書の内容が適宜,婦女子達に諒解せられありたりや否やも知らざりき。

 然るに,本件に関する諸証人の陳述は,之と全然違ひあり,即ち,彼女等はその書類の内容を知らされず,又日本語で書かれありし為に読むことも出来ず,一方,之に関する質疑は無法にも拒否せられたり。

 数人の証人は更に,或る婦女子は泣き出したる旨をも証言したり。

 又,被告自身の申立てたるところに依れば,州庁の一役人は被告に対し,多数の婦女子は抑留所にて拒否し,一日は同意したるも,又他の日には志願せずと語りたり。

 此の言葉を被告は,最大の注意を要する警告として聞かざるべからざりしにも拘らず,何等の注意をも払わず,全婦女子は自由意志に基きたりとの結論を得たりと称しあり。

 本件に関し被告の自認せる事実は,「カナリーラーン」に集められたる婦女子の多数は彼女等の運命に関しては知らされあらざりしこと,故に彼女等が自由意志に依り,売淫行為に従事する筈なく,其所に強制力が加へありたることを理性を以て判断し得ぜ[→ざ]るべからさりしことを語れるものなり。

 

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 又,斯かる事実は上述の日本人証人の諸証言――宣誓はなしあらざるも――に依りても肯定せられあり。故に被告が上述の如く推察し得たることに関しては,本軍法会議は何等の疑ひも有せず。

 故に,本被告に関する基礎事実 a) 項は Semaran − Oast 抑留所に連行せられたる婦人に対しては立証せられざるも、その他の婦女に対しては,法的且つ充分に立証せられたり。

 訳注=a) = 被告は,上記全婦人少なくともその大部分が,自発的に売淫を承認したるものにあらず,故に彼女等に対し暴行が行はれ得るを察知し得る筈なり。

 又,証人 M. H. C. Reeders, H. J. Reeders 及 L. Fonteyn の証言に基き,被告は否認しあるも,基礎事実 b) 項も法的且つ充分に立証せられたり。

 訳注=b) = 客と性交を拒否せる際は最も恐るべき方法にて殺害し,報復は家族にも及ぶべしと脅迫,売淫を強制す。

 猶,基礎事実 c) 項に関しては証拠として次のものがあり。(c = L. Fonteyn の強姦)

 a L. Fonteyn の証言

 b 上記の他の二名の証人が述べある同種の経験より察知し得る事実

 c 婦女の大多数が「キャンプ」から欺かれて連れ出され,慰安所に入れられてから始めて,売淫行為の行はねばならぬこのを知るに至りたる事実

 之等の証拠は被告の起訴事実c) 項に関しても,本会議は法的且つ充分に立証せられたるものと思考す。

 又,基礎事実d) に関しては(d) = 部下の強制売淫及強姦)

 被告は,将校「クラブ」以外の慰安所に於いて行はれたる事実に対し,有責なることを否認しあるも,本軍法会議は全慰安所に対する監督は,「兵站」係将校たりし被告の義務に属し,且又,之等慰安所に於ける出来事は全部被告に報告せられるべきものたりと判断す。

 基礎事実 a) 項にて立証せられたる被告の「推察」に基くも,将校「クラブ」以外の他の慰安所に於ても,自由意志に基かざる婦女子が売淫を強制せられ,且強姦せらるるを察知し得たるものなり。

 婦女子の拒否,逃走,自殺未遂,精神病の仮装,又疾病等のありたる際,之が被告に伝へられざりしとは、本軍法会議の考え得ざるところなり。

 更に,被告が自由意思に基き行ふものにあらずと推察せる婦女子を慰安所に入れ,之を軍人,軍属(邦人)に公開せば,必ずや,全証人の述べあるが如く,之等婦女子が客に依り売淫を強制せられ,強姦せらるべしとの推察は行ひ得たる筈なり。

 故に被告に対する本項に関する基礎事実も立証せられたり。

 

3/4

 依而,被告は基礎事実全部に対し有罪にして,刑の宣告を受けざるべからず。

次に量刑に関しては次の諸点を考慮す。

 本件にて犯されたる戦犯行為自体は苛酷なる性質のものなるも,之等犯罪が既に長期に亘り最悪の状況下に抑留せられありし婦女子に対して行はれたることは最も苛酷なる犯罪に属するものと言はざるべからず。

 日本占領軍当局は,之等婦女子より自由を奪不事に依りて完全なる従属状態に置き,以て彼女等の扶養,保護に対する責任を一手に掌握せり。之にも飽き足らず,占領軍当局者は此の無援 ,不当なる従属関係を濫用し,暴力或は脅迫を以て,数名の婦女子を最も侮辱的なる選択の後,抑留所より連行せり。斯かる行為は婦人に対する一般的なる尊敬を全然払わず,又己が権力下にある敵国民に対する責任観念を曲度に抹殺せるものと言はざるべからず。

 証人の述べある慰安所に於ける最初の数日間の出来事は若干の誇張は認めらるとは雖へど,然し,之等婦女子が置かれたる戦慄的状況及彼女等が此の状況より絶対に脱出し得ざりし点は見逃し得ざる事実なり。斯かる状況は,多の者に殆ど堪え難き精神的苦痛を与へ,中には衝撃を受け,又精神異常者をも出さしむるに至りたり。(被告中の医師は,之を Geistliche Erregung [心霊興奮]と述べたり。)

 又犠牲者達は斯かる野獣的且非人道的環境に対し,最初,反抗を試みたるも,間もなく斯かることは何も効果もなきことを知り,反抗を中止したるも,斯かることは,之等婦女子が自発的に売淫行為を行ふに至り,故に被告には,之に対する責任なしとは絶対に言い得ず。何となれば各犠牲者共,最初に加へられたる強制の惰性にて,俄かに日本人訪客の希望に従ひいたると述べ,本質的なる自由は此の際,全然問題外のことなりき。

 更に之等の犯罪は,最初の「戦勝の興奮」からと言ふには余りにも時日を過ぎてより行はれたり。

 第三被告は,希望者のみを募集し,選択すると申出で,之に対し第16軍司令部は許可を与へたるものなりと言ふも,然し,之は一先ず嘘なりとするも,抑留所より所謂志願者,なるものを募集するに当り,日本軍自身が抑留所の状況を悪化せしめをき,その食糧や宿舎の悪状況を利用したることは道徳,人道に対する違反にして,故に之は犯罪と見做されざるべからず。

 被告達は,之等慰安所の建設,慰安婦の獲得計画を何等の同情心をも持たずに行ひ,更に,之が運営,維持を冷酷且つ事務的に実行したる為に,一団の過酷なる戦争犯罪者を生ぜしむるに至り,為に重罪の判決を受けざるべからざるに至りたり。

 第三被告は,之等慰安所の建設計画に参与し,斯かる大なる不法行為に何等の異議を唱へることなく,婦女子の選択を行ひたることは,堕落せる精神の持主と言はざるべからず。

 被告は,又この選択が純然たる自由意志に基きて行はれたるものに非ざることを知り

 

4/4



いたるに違ひなし。何となれば,最初に二ヶ所の慰安所に於て騒動(反抗)が起こりたる後,次の諸「キャンプ」に於ては,企図を秘匿し,又彼の直接指揮下に於て行はれたる所謂「同意書」の署名の際にも,何等その内容を知らしめずに,又何等の着意をも示さずに之を実行せり。

 被告は抗弁として,彼の同僚たりし,高橋少佐が本計画の実施を担当し,彼は,高橋の依頼に依り「カナリーラーン」に行きたるのみなりと主張するも,本会議は,之が真実性に対し,大なる疑惑を抱かざるを得ず,又之が仮令事実なるとするも,被告はその時監督を行ひたりしを以て,第16軍司令部の要求たりし,自由意志に基く者なりや否やを確かむる義務がありたり。

 然るに被告は,何等かの異調がありたることを知り居たるにも拘らず,之を行はざりき。

 更に被告は,日本軍の高級将校としてのみならず,一個の教養ある人間として,斯かる義務がありたり。又少くとも彼は敵国人の為に慰安所に行きて働くことが,之等婦女の多数にとりて如何に苦難に満ち満ちたるものか、又極く限られた一部の型の者及非常に特別なる状況のみが之を緩和せしむるものなることを知りいたる筈なり。

 斯かる考慮から被告は,当然注意を行はざるべからざりしにも拘らず,何等の注意をも払はずに,州庁の職員の全員志願者なりとの言をそのまま鵜呑みにせるも,然も,猶,此の際,州庁の職員の一名は,婦女子達が或日は同意を示すも,他の日には働くを希望せずとさへ言いあり。

 更に,自由意志などは全然問題にならずとの証言が多数あるにも拘らず,被告の否定的なる態度よりして,本軍法会議は,被告が,此の計画の実施方法を完全に知悉しいたりとの確信を得たり。

 依而,被告の犯せる最も悪質なる(犯罪)事実に対しては最高の刑が適当なり。

   罪名=「強制売淫の為の婦女子の連行」
      「売淫の強制」
      「強 姦」 

 

https://db.wam-peace.org/koubunsho/document/mt-bc068/

264 J_J_068 資料名:判決書 第3被告岡田少佐 簿冊:BC級(オランダ裁判)バタビア裁判69号事件 https://wam-peace.org/ianfu-koubunsho/pdf/M-PDF/J_J_068.pdf 日本政府未認定の日本軍「慰安婦」関連公文書リスト https://wam-peace.org/ianfu-koubunsho/list/m-all-list.html 日本軍「慰安婦」関連公文書 https://wam-peace.org/ianfu-koubunsho/ 

内務省令第四十四号 娼妓取締規則 明治三十三年 法令全書より 1900. 10. 2

明治三十三年

法令全書 索引

     目録

 

法令全書目録

  省令

   外務省

[中略]

   内務省

[中略]

第四十四号号 娼妓取締規則

 

明治三十三年十月 省令 内務省第四十四号 娼妓取締規則

内務省令第四十四号

娼妓取締規則、左の通りこれを定む。

     明治三十三年十月二日

    娼妓取締規則

第一条 十八歳未満の者は娼妓たることを得ず。

第二条 娼妓名簿に登録せられざる者は娼妓稼をなすことを得ず。

 娼妓名簿は娼妓所在地所轄警察官署に備ふるものとす。

 娼妓名簿に登録せられたる者は、取締上、警察官署の監督を受くるものとす。

第三条 娼妓名簿の登録は、娼妓たらんとする者自ら警察官署に出頭し、左の事項を具したる書面をもってこれを申請すべし。

一、娼妓となるの事由

二、生年月

三、同一戸籍内にある最近尊族親、尊族親なきときは戸主の承諾を得たること、もし承諾を与ふべき者なきときはその事実

四、未成年者にあっては前号のほか実父、実父なきときは実母、実父母なきときは実祖父、実父母実祖父なきときは実祖母の承諾を得たること

五、娼妓稼をなすべき場所

六、娼妓名簿登録後における住居

七、現在の生業、但他ただし他人によりて生計を営む者はその事実

八、娼妓たりし事実の有無ならびにかつて娼妓たりし者はその稼業の開始·廃止の年月日、場所、娼妓たりしときの住居および稼業廃止の理由

九、前各号のほか庁府県令をもって定めたる事項

 前項の申請には戸籍吏の作りたる戸籍謄本、前項第三号、第四号の承諾書および市区町村長の作りたる承諾者印鑑證明書を添付すべし。

 娼妓名簿登録申請者は登録前、庁府件令の規定に従ひ健康診断を受くべきものとす。

第四条 娼妓稼を禁止せられたる者は娼妓名簿より削除せらるるものとす。

 前項のほか、娼妓名簿の削除は娼妓よりこれを申請するものとす。ただし未成年者にありては、前條第一項第三号および第四号に掲げたるものとよりもこれを申請することを得。

第五条 娼妓名簿削除の申請は書面または口頭をもってすべし。

 前項の申請は、自ら警察官署に出頭して自らこれをなすにあらざれば受理せずるものとす。ただし申請書を郵送し、または他人に托してこれを差出す場合において、警察官署が申請者自ら出頭すること能はざる事由ありと認むるときはこの限りにあらず。

 警察官署において娼妓名簿削除申請を受理したるときは、直ちに名簿を削除するものとす。

第六条 娼妓名簿削除申請に関しては何人といへども妨害をなすことを得ず。

第七条 娼妓は庁府権利令をもって指定したる地域外に居住することを得ず。

 娼妓は法令の規定もしくは官庁の命令により、または警察官署に出頭するがため外出する場合のほか、警察官署の許可を受くるにあらざれば外出することを得ず。ただし庁府県令の規定により一定の地域内において外出を許す場合はこの限りにあらず。

第八条 娼妓稼は官庁の許可したる貸座敷内にあらざればこれをなすことを得ず。

第九条 娼妓は庁府県令の規定に従ひ健康診断を受くべし。

第十条 警察官署の指定したる医師または病院において疾病に罹り稼業に堪へざるへ者または伝染性疾患ある者と診断したる娼妓は、治療の上、健康診断を受くるにあらざれは稼業に就くことを得ず。

第十一条 警察官署は娼妓名簿の登録を拒むこもを得。

 庁府県長官は娼妓稼業を停止し、または禁止することを得。

第十ニ条 何人といへども娼妓の通信、面接、文書の閲読、物件の所持、購買その他の自由を妨害することを得ず。

十三条 左の事項に該当する者は二十五円以下の罰金または二十五日以下の重禁錮に処す。

一 虚偽の事項を具し娼妓名簿登録を申請したる者

二 第六条、第七条、第九条、第十ニ条に違背したる者

三 第八条に違背したる者、および官庁の許可したる貸座敷外において娼妓稼をなさしめたる者

四 第十条に違背したる者および第十条により稼業に就くことを得ざる者をして強ひて稼業に就かしめたる者

五 第十一条の停止命令に違背したる者、および稼業停止中の娼妓をして強ひて稼業に就かしめたる者

六 本人の意に反して強ひて娼妓名簿の登錄申請または登錄削除申請をなさしめたる者

第十四条 本令のほか必要なる事項は庁府県令をもってこれを定む。

第十五条 本令施行の際、現に娼妓たる者は申請を待たずして娼妓名簿に登録せらるるものとす。

 

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788015/1

 明治三十三年

法令全書 索引

     目錄

 

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788015/204

法令全書目錄

  省令

   外務省

[中略]

   內務省

 

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788015/206

第四十四号號 娼妓取締規則

 

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788017/389

明治三十三年十月 省令 內務省第四十四號 娼妓取締規則

◯內務省令第四十四號

娼妓取締規則左ノ通之ヲ定ム

     明治三十三年十月二日

    娼妓取締規則

第一條 十八歳未滿ノ者ハ娼妓タルコトヲ得ス

第二條 娼妓名簿ニ登錄セラレサル者ハ娼妓稼ヲ爲スコトヲ得ス

娼妓名簿ハ娼妓所在地所轄警察官署ニ備フルモノトス

娼妓名簿ニ登錄セラレタル者ハ取締上警察官署ノ監督ヲ受クルモノトス

第三條 娼妓名簿ノ登錄ハ娼妓タラントスル者自ラ警察官署ニ出頭シ左ノ事項ヲ具シタル書面ヲ以テ之ヲ申請スヘシ

一 娼妓ト爲ルノ事由

二 生年月

三 同一籍內ニ在ル最近尊族親、尊族親ナキトキハ戶主ノ承諾ヲ得タルコト若シ承諾ヲ與フヘキ者ナキトキハ其ノ事實

四 未成年者ニ在テハ前號ノ外實父、實父ナキトキハ實母、實父母ナキトキハ實祖父、實父母實祖父ナキトキハ實祖母ノ承諾ヲ得タルコト

五 娼妓稼ヲ爲スヘキ場所

六 娼妓名簿登錄後ニ於ケル住居

七 現在ノ生業但シ他人ニ依リテ生計ヲ營ム者ハ其ノ事實

 

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788017/390

八 娼妓タリシ事實ノ有無竝ニ嘗テ娼妓タリシ者ハ其ノ稼業ノ開始廢止ノ年月日、場所、娼妓タリシトキノ住居及稼業廢止ノ理由

九 前各號ノ外廳府縣令ヲ以テ定メタル事項

前項ノ申請ニハ戶籍吏ノ作リタル戶籍謄本、前項第三號 第四號ノ承諾書及市區町村長ノ作リタル承諾者印鑑證明書ヲ添付スヘシ

娼妓名簿登錄申請者ハ登錄前廳府縣令ノ規定ニ從ヒ健康診断ヲ受クヘキモノトス

第四條 娼妓稼ヲ禁止セラレタル者ハ娼妓名簿ヨリ削除セラルヽモノトス

前項ノ外娼妓名簿ノ削除ハ娼妓ヨリ之ヲ申請スルモノトス但シ未成年者ニ在テハ前條第一項第三號及第四號ニ揭ケタル者ヨリモ之ヲ申請スルコトヲ得

第五條 娼妓名簿削除ノ申請ハ書面又ハ口頭ヲ以テスヘシ

前項ノ申請ハ自ラ警察官署ニ出頭シテ自ラ之ヲ爲スニ非サレハ受理セサルモノトス但シ申請書ヲ郵送シ又ハ他人ニ托シテ之ヲ差出ス場合ニ於テ警察官署カ申請者自ラ出頭スルコト能ハサル事由アリト認ムルトキハ此ノ限ニ在ラス

警察官署ニ於テ娼妓名簿削除申請ヲ受理シタルトキハ直ニ名簿ヲ削除スルモノトス

第六條 娼妓名簿削除申請ニ關シテハ何人ト雖妨害ヲ爲スコトヲ得ス

第七條 娼妓ハ廳府縣令ヲ以テ指定シタル地域外ニ居住スルコトヲ得ス

娼妓ハ法令ノ規定若ハ官廳ノ命令ニ依リ又ハ警察官署ニ出頭スルカ爲外出スル場合ノ外警察官署ノ許可ヲ受ぐるに非サレハ外出スルコトヲ得ス但シ廳府縣令ノ規定ニヨリリ一定ノ地域內ニ於テ外出ヲ許ス場合ハ此ノ限リニ在ラス

 

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788017/390

第八條 娼妓稼ハ官廳ノ許可シタル貸座敷內ニ非サレハ之ヲ爲スコトヲ得ス

第九條 娼妓ハ廳府縣令ノ規定ニ從ヒ健康診斷ヲ受クヘシ

第十條 警察官署ノ指定シタル醫師又ハ病院ニ於テ疾病ニ罹リ稼業ニ堪へサル者又ハ傳染性疾患アル者ト診斷シタル娼妓ハ治療ノ上健康診斷ヲ受クルニ非サレハ稼業ニ就クコトヲ得ス

第十一條 警察官署ハ娼妓名簿ノ登錄ヲ拒ムコトヲ得

廳府縣長官ハ娼妓稼業ヲ停止シ又ハ禁止スルコトヲ得

第十ニ條 何人ト雖娼妓ノ通信、面接、文書ノ閲讀、物件ノ所持、購買其ノ他ノ自由ヲ妨害スルコトヲ得ス

第十三條 左ノ事項ニ該當スル者ハ二十五円以下ノ罰金又ハ二十五日以下ノ重禁錮ニ處ス

一 虚偽ノ事項ヲ具シ娼妓名簿登錄ヲ申請シタル者

二 第六條第七條第九條第十ニ條ニ違背シタル者

三 第八條ニ違背シタル者及官廳ノ許可シタル貸座敷外ニ於テ娼妓稼ヲ爲サシメタル者

四 第十條ニ違背シタル者及第十條ニ依リ稼業ニ就クコトヲ得サル者ヲシテ强テ稼業ニ就カシメタル者

五 第十一條ノ停止命令ニ違背シタル者及稼業停止中ノ娼妓ヲシテ强テ稼業ニ就カシメタル者

六 本人ノ意ニ反シテ强テ娼妓名簿ノ登錄申請又ハ登錄削除申請ヲ爲サシメタル者

第十四條 本令ノ外必要ナル事項ハ廳府縣令ヲ以テ之ヲ定ム

第十五條 本令施行ノ際現ニ娼妓タル者ハ申請ヲ待タスシテ娼妓名簿ニ登錄セラルヽモノトス

 

国立国会図書館デジタルコレクション タイトル:法令全書. 明治33年 出版者:内閣官報局 出版年月日:明34年 5月 4日 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788015/1 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788017/389 ~390

十五年戦争当時、帝国陸軍将兵に適用されていた掠奪、強姦、捕虜に関する法規 1907. 4. 23 1908. 4. 9 1942. 2. 19

《刑法、1907[明治四十]年全部改正》

法律第四十五号

朕、帝国議会の協賛を経たる刑法改正法律を裁可し、ここにこれを公布せしむ。

  睦仁【天皇御璽】 

 明治四十年四月二十三日

[中略]

第二十二章 猥褻、姦淫および重婚の罪

[中略]

第百七十六条 十三歳以上の男女に対し暴行または脅迫をもって猥褻の行為をなしたる者は六月以上七年以下の懲役に処す。十三歳に満たざる男女に対し猥褻の行為をなしたる者また同じ。

第百七十七条 暴行または脅迫をもって十三歳以上の婦女を姦淫したる者は強姦の罪となし、二年以上の有期懲役に処す。十三歳に満たざる婦女を姦淫したる者また同じ。

第百七十八条 人の心神喪失もしくは抗拒不能に乗じ、またはこれをして心神を喪失せしめ、または抗拒不能ならしめて猥褻の行為をなし、または姦淫したる者は前二条の例に同じ。

第百七十九条 前三條の未遂は、これを罰す。

第百八十条 前四条の罪は告訴を待ってこれを論ず。

第百八十一条 第百七十六条ないし第百七十九条の罪を犯し、よって人を死傷に致したる者は無期または三年以上の懲役に処す。

第百八十二条 営利の目的をもって淫行の常習なき婦女を勧誘して姦淫せしめたる者は三年以下の懲役または五百円以下の罰金に処す。

 

《陸軍刑法、1908[明治四十一]年》

法律第四十六号

朕、帝国議会の協賛を経たる陸軍刑法を裁可し、こけにこれを公布せしむ。

  睦仁【天皇御璽】

 明治四十一年四月九日

[中略]

    第九章 掠奪の罪

第八十六条 戦地または帝国軍の占領地において住民の財物を掠奪したる者は一年以上の有期懲役に処す。

 前項の罪を犯すに当たり婦女を強姦したるときは無期または七年以上の懲役に処す。

第八十七条 戦地において戦死者または傷病者の衣服その他の財物を褫奪したる者は無期または七年以上の懲役に処す。

第八十八条 前二条の罪を犯す者、人を傷したるときは無期または七年以上の懲役に処し、死に致したるときは死刑または無期懲役に処す。

第八十九条 本章の未遂罪は、これを罰す。

    第十章 俘虜に関する罪

第九十条 俘虜を看守または護送する者その俘虜を逃走せしめたるときは三年以上の有期懲役に処す。

第九十一条 俘虜を逃走せしめたる者は十年以下の懲役に処す。

 俘虜を逃走せしむる目的をもって器具を給与し、その他逃走を容易ならしむへき行為をなしたる者は七年以下の懲役に処す。

 前項の目的をもって暴行または脅迫をなしたる者は一年十年以下の懲役に処す。

第九十二条 俘虜を奪取したる者は二年以上の有期懲役に処す。

第九十三条 逃走したる俘虜を蔵匿し、または隠避せしめたる者は五年以下の懲役に処す。

第九十四条 第九十条ないし第九十二条の未遂罪は、これを罰す。

 

《陸軍刑法、1942年[昭和十七]年一部改正》

法律第三十五号

朕、帝国議会の協賛を経たる陸軍刑法中改正法律を裁可し、ここにこれを公布せしむ。

裕仁天皇御璽】

 昭和十七年二月十九日

[中略]

「第九章 掠奪の罪」を「第九章 掠奪および強姦の罪」に改む。

第八十八条の二 戦地または帝国軍の占領地において婦女を強姦したる者は無期または一年以上の懲役に処す。

 前項の罪を犯す者、人を傷したるときは無期または三年以上の懲役に処し、死に致したるときは死刑または無期もしくは七年以上の懲役に処す。

 

https://www.digital.archives.go.jp/img/1198792 1/78

  法律苐四十五号

朕帝國議會ノ協贊ヲ經タル刑法改正法律ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

  睦仁【天皇御璽】 

 明治四十年四月二十三日

 

https://www.digital.archives.go.jp/img/1198792 57/78 右

   第二十二章 猥褻、姦淫及ヒ重婚ノ罪

[中略]

第百七十六條 十三歳以上ノ男女ニ對シ暴行又ハ脅迫ヲ以テ猥褻ノ行爲ヲ

 

https://www.digital.archives.go.jp/img/1198792 57/78 左

爲シタル者ハ六月以上七年以下ノ懲役ニ䖏ス十三歳ニ滿タサル男女ニ對シ猥褻ノ行爲ヲ爲シタル者亦同シ

第百七十七條 暴行又ハ脅迫ヲ以テ十三歳以上ノ婦女ヲ姦淫シタル者ハ强姦ノ罪ト爲シ二年以上ノ有期懲役ニ䖏ス十三歳ニ滿タサル婦女ヲ姦淫シタル者亦同シ

第百七十八條 人ノ心神喪失若クハ抗拒不能ニ乗シ又ハ之ヲシテ心神ヲ喪

 

https://www.digital.archives.go.jp/img/1198792 58/78 右

失セシメ又ハ抗拒不能ナラシメテ猥褻ノ行爲ヲ爲シ又ハ姦淫シタル者ハ前二條ノ例ニ同シ

第百七十九條 前三條ノ未遂ハ之ヲ罰ス

第百八十條 前四條ノ罪ハ告訴ヲ待テ之ヲ論ス

第百八十一條 第百七十六條乃至第百七十九條ノ罪ヲ犯シ因テ人ヲ死傷ニ致シタル者ハ無期又ハ三年以上ノ懲

 

https://www.digital.archives.go.jp/img/1198792 58/78 左

役ニ䖏ス

第百八十二條 營利ノ目的ヲ以テ淫行ノ常習ナキ婦女ヲ勸誘シテ姦淫セシメタル者ハ三年以下ノ懲役又ハ懲役又ハ五百圎以下ノ罰金ニ䖏ス

↑御署名原本・明治四十年・法律第四十五号・刑法改正 https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/A03020700700 JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020700700、御06902100(国立公文書館

 

https://www.digital.archives.go.jp/img/694032 1/34

 法律第四十六号

朕帝國議會ノ協賛ヲ經タル陸軍刑法ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

   睦仁【天皇御璽】

 明治四十一年四月九日

 

https://www.digital.archives.go.jp/img/694032 29/34 左

    第九章 掠奪ノ罪

第八十六條 戰地又ハ帝國軍ノ占領地ニ於テ住民ノ財物ヲ掠奪シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ處ス

前項ノ罪ヲ犯スニ當リ婦女ヲ强姦シタルトキハ無期又ハ七年以上ノ懲役ニ䖏ス

第八十七條 戰地ニ於テ戰死者又ハ戰傷病者ノ衣服其ノ他ノ財物ヲ褫奪シタル者ハ無期又ハ七年以上ノ懲役ニ處ス

 

https://www.digital.archives.go.jp/img/694032 30/34 右

第八十八條 前二條ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタリトキハ無期又ハ七年以上ノ懲役ニ處シ死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期懲役ニ處ス

第八十九條 本章ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

    第十章 俘虜ニ關スル罪

第九十條 俘虜ヲ看守又ハ護送スル者其ノ俘虜ヲ逃走セシメタルトキハ三年以上ノ有期懲役ニ處ス

第九十一條 俘虜ヲ逃走セシメタル者

 

https://www.digital.archives.go.jp/img/694032 30/34 左

ハ十年以下ノ懲役ニ處ス

俘虜ヲ逃走セシムル目的ヲ以テ器具ヲ給與シ其ノ他逃走ヲ容易ナラシムヘキ行為ヲ爲シタル者ハ七年以下ノ懲役ニ處ス

前項ノ目的ヲ以テ暴行又ハ脅迫ヲ爲シタル者ハ一年十年以下ノ懲役ニ處ス

第九十二條 俘虜ヲ奪取シタル者ハ二年以上ノ有期懲役ニ處ス

 

https://www.digital.archives.go.jp/img/694032 31/34 右

第九十三條 逃走シタル俘虜ヲ蔵匿シ又ハ隠避セシメタル者ハ五年以下ノ懲役ニ處ス

第九十四條 第九十條乃至第九十二條ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

↑御署名原本・明治四十一年・法律第四十六号・陸軍刑法制定従前ノ同法廃止 https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/A03020745200 JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020745200、御07342100(国立公文書館)

 

https://www.digital.archives.go.jp/img/151215 1/5

法律第三十五號

朕帝國議會ノ協贊ヲ經タル陸軍刑法中改正法律ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

裕仁天皇御璽】

 昭和十七年二月十九日

 

https://www.digital.archives.go.jp/img/151215 4/5

「第九章 掠奪ノ罪」ヲ「第九章 掠奪及强姦ノ罪」ニ改ム

第八十八條ノ二 戰地又ハ帝國軍ノ占領地ニ於テ婦女ヲ强姦シタル者ハ無期又ハ一年以上ノ懲役ニ處ス

前項ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ三年以上ノ懲役ニ處シ死ニ致シタル トキハ死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ懲役ニ處ス

御署名原本・昭和十七年・法律第三五号・陸軍刑法中改正法律 JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03022684800、(国立公文書館 御25818100) https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/A03022684800

「十三日の夜、ジャップどもは三十人の朝鮮女を射殺した。」 中国、雲南遠征軍の作戦日誌より 1944. 9. 15

f:id:ObladiOblako:20220417161232j:plain

https://twitter.com/newmakkiki/status/1515274127799914496?t=36hqqpJkpqnToPieHSKJ_A&s=19

 

f:id:ObladiOblako:20220417161302p:plain

0930  ⅩⅠG/A  (Message timed 142230)  LUNGLING Locations:

 87th Div: Divisional troops on MENGLINGPO)*

 260th Regt: Hqs troops   〃   〃     )*

*200 men

 259th Regt: Consists of 1 Bn, 150 men, holding salient into LUNGLING.

 261st Regt: One Bn of this Regt (150 men) holding salient into LUNGLING.  Two Bns of this Regt are on HUAPO.

 28th Div: Consists of 1 Co of 70 men, located on LAOTUNGPO.

 88th Div: Divisional trps at LUGLING salient)*

 263rd Regt: 2 Bns of this Regt at LUNLING salient.)*

 264th Regt: 2 Bns of this Regt at LUNLING salient.)*

*Estimated 1000 men. Salient: frm strg pt 11 NE to W weaponspit 28

 262nd Regt: 2 Bns of this Regt at LAOTUNPO and vicinity with an estimated 400 nen.

九時三十分 第十一G/A (十四日二十二時三十分発の通報) 龍陵 各隊の配置

 第八十七師団:メンリンポの師団部隊*

 第二百六十連隊:メルリンポの司令部部隊*

*歩兵二百名

 第二百五十九連隊:歩兵百五十名の一個大隊からなり、龍陵への尖端を確保。

 第二百六十一連隊:この連隊の一個大隊は龍陵への尖端を確保し、この連隊の二個大隊はフアポにある。

 第二十八師団:歩兵七十名の一個中隊からなり、ラオトゥンポにある。

 第八十八師団:龍陵の尖端にある師団部隊。*

 第二百六十三連隊:この師団の二個大隊は龍陵の尖端にある。*

 第二百六十三連隊:この師団の二個大隊は龍陵の尖端にある。*

*歩兵推定千名。尖端:北東の第十一□□から西の第二十八兵器廠へ。

 第二百六十二連隊:この連隊の二個大隊はラオトゥンポとその近郊にあり、歩兵推定四百名。

1030 ⅩⅠG/A (Message timed 142000) LUNGLING AREA 9th Div: located at CHIAOHWATI (lower slope of SANKUANPO) attacked by estimated 300 Japs afternoon and night of the 14th.  At 1800 hours the Chinese were holding.  Chinese casualties 40, Japs estimated 100.  4 to 6 Jap pcs Arty directed heavy fire on Chinese positions between attacks.  Request air support to knock out these guns.

十時三十分 第十一G/A (十四日二十時発の通報) 第九師団:チアオンワティにあって十四日の午後と夜、推定三百名のジャップどもの攻撃を受けた。十八時には中国兵たちは持ちこたえていた。中国兵の死傷者は四十名、日本軍側は推定百名。四時から六時までの攻撃の合間、日本の砲兵隊は激しい砲火を中国軍の陣地に浴びせた。これらの大砲をやっつけるために航空隊の支援を要請する。

1100 54th A (Message timed 141855) TENCHUNG One Burmese Rifleman said that he and another rifleman had been captured by the Japs at MYTKYINA some month ago and brought to TENCHUNG.  He said that the Japs had killed two Englishmen about 12 to 15 days ago.  He directed Col Greenway to a cornor of the city wall where he said the Englishmen had been killed.  Two bodies were there.  One of them had reddish hair not yet decomposed.  Their hands tied behind their backs.  Apparently their throat had been cut

十一時 第五十四師団 A (十四日十八時五十五分発の通報) 騰衝 あるビルマ人の小銃兵の話では、数ヶ月前、彼はもう一人の小銃兵とともにミッチーナーでジャップどもに捕らえられ、騰衝に連行されたとのこと。ジャップどもは十二日から十五日くらい前に二人のイギリス兵を殺したと言う。彼はグリーンウェイ大佐をイギリス兵たちが殺されたと言う城壁の角に行かせた。二つの遺体がそこにはあった。片方はまだ腐乱していない赤味がかった髪をしていた。二人は後ろ手に縛り上げられていた。見たところ喉を搔き切られている様だった。

 Night of the 13 the Japs shot 30 Korean girls in the city.

 十三日の夜、ジャップどもは市内で三十人の朝鮮女を射殺した。

 Yanks estimate that there are 1000 Japs dead in the E quadrant, half of which had been wounded before having been killed.  Main Chinese activity today is loo[ting?] and ※※r※illi※※※ who [escap?]ed [上書き:About 6 Jap yong ※※※n]have been rounded up.  One group that escaped to the SE are reported to have encountered 130th div who, it is reported, ‘took care of them’.

 ヤンクスの見積もりではE街区には千のジャップどもの死体があり、その半分は殺される前に負傷していた。今日の中国兵の主な活動は[鹵獲?]であり、[……判読不能……][逃れた?][……][上書き:六時ごろジャップは……]が駆り集められた。南西に逃れた一集団は第百三十連隊に出くわし、伝えられるところによれば、同連隊は「彼らの面倒を見た」そうだ。

1600 CEF Phone from Gen Hsiao: 200th & 36th Divs meeting with success in theur coordinated attack on Hills #5412 & 5310.

十六時 CEF 蕭将軍から電話:第二百、第三十六両師団は連携した五四一二番丘陵と五三一〇丘陵への攻撃が成功を見た。

1900  ⅩⅠG/A  (Message timed 151415) At 12 hours today the Japs took the high ground on SANKUANPO.

十九時 第十一G/A (十五日十四時十五分発の通報) 今日十二時にジャップどもはサンクアンポの高地を占めた。

2000  ⅩⅠG/A  (Message timed 151515)  LUNGLING AREA 1dt Div: Patrols of the Div entered NANCHANG today and found 300 dead Japs.  Patrols then went to Hill 5412 and found NO Japs; They then went to Hill 5310 and FOUND NO NIPS THERE; Patrols going to PAGODA Hill to sea if any Nips there, REPORTED THAT THE JAPS ARE ON THE WAY BACK TO THE ROAD BLOCK VIA TEMPLE HILL; Request on air support on Temple Hill ー believe there will be Nips there.

二十時 第十一G/A (十五日十五時十五分) 龍陵地域 第一師団:今日ナンチャンに入った同師団の巡視隊は三百のジャップの死体に出会った。巡視隊は次に五四一二番丘陵に行ったが、ジャップどもを見なかった。次に五三一〇番丘陵に行ったがそこでもニップどもを見なかった。ニップがいないか見るために仏塔の丘に行った巡視隊の報告によれば、ジャップたちは寺院の丘を経由して車止めの所まで引き返す途中だとのことだ。寺院の丘に航空隊の支援を要請する。行けばニップどもがいるに違いない。

 

↑「日本軍、朝鮮人女性30人銃殺」慰安婦虐殺記録の原本発見(京郷新聞)

https://east-asian-peace.hatenablog.com/entry/2016/11/09/000247

https://m.khan.co.kr/culture/scholarship-heritage/article/201611062130015