昭和十二年
十一月一日
《周宅ニ/軍司令部/移轉》
昨夜来 雨ナリシモ今朝以来 漸次 霽ル
午後一時 楊家宅司令所出発 新ニ大場
鎮南方約二吉ノ周宅ニ移ル
学校 及 児童/健康部ニテ/曩ノ呉淞/水産学校ハ/
共ニ常ニ/「產」ニ緣/アルハ端徴/ト云フ可シ》
一、㐧九師団ハ朝来 渡河ヲ決行シ 其右翼方面
ニ於テ 遠ク上流屈曲点附近ニ於テ漕渡ニ
ヨリ成功シ 姚家宅、張家宅付近ニ向ヒ 歩兵
約三大隊ヲ以テ地歩ヲ獲得スルヲ得タルモ 左
翼隊方面ニ於テハ渡船 潮流ニ妨ケラレ
敵火ノ損害ト相俟テ 遂ニ中途ニ挫折ス
ニ、㐧三師団ハ右翼隊方面ニ於テ歩兵三大隊
注入シ 漸次 戦果ヲ拡大シツヽアルモ 左翼
方向ノ渡河ハ遂ニ断念ノ已ムナキ状㔟
ニ在リ
此日 飛行機ノ報告ニ依リ 蘓州河対岸ノ敵軍
退却ノ報アリ 或ハ敵ハ上海放棄ニ決シタ
ルニ非スヤトモ考ヘラルヽニ依リ 㐧百一師団ヲシテ
蘓州河突破 及 其後ニ於ケル南市封鎖ヲ
準備セシムルト共ニ 新ニ架橋材料一中隊ヲ配属
ス
四、右翼方面 㐧十三、㐧十一師団 変化ナシ
此日 方面軍幕僚ヲ會シ 派遣軍幕僚ト共ニ
方面軍今後ノ作戦指導方針ニ付 研究
ス 大要 既往研究ノ範囲ヲ出テサルモ 㐧十軍
ノ作戦方針ハ 今後ノ情㔟ニ於テ多少共 変更
セシムルノ必要アルモ 情㔟未明ナレバ確定セス
暫ク㐧十軍司令官ノ注意ヲ喚起セシムル程度ニ
止ムルコトトシ 尚 研方針ノ決定モ今後ノ情
㔟ニ応シ定ムルコトトス
十一月二十二日
十日振ニ好天ヲ拜シ氣宇晴朗
譬フルニ物ナシ 恰モ此日 一昨二十日
下賜セラレタル勅語写ヲ飛行便ニヨリ
テ携来ルアリ 午後五時 方面軍司令
部員一同ヲ會シテ厳粛ナル捧讀式
ヲ行ヒ 尚 之ニ對スル予ノ奉答文ヲ披露
ス 感慨 胷ニ迫リ 筆舌ヲ以テ到底
予ノ 皆ノ感情ヲ露ス能ハス 勅語
ヲ捧讀シ 聖慮 戦死傷者ニ及フノ御
語ニ至リテ予ハ遂ニ涕泣 聲ナク 之ヲ
捧読スル能ハタリシハ、老ノ身ノ不少
感傷的ニ陥リシ感ナキニハアラサレト
亦 予ノ胷カ何トシテモ包ミ得サル
至誠赤心ノ発露ナリ 聞ク司
令部員 如何ニ之ヲ感得セシヤヲ知ラス
両軍戦況 大ナル変化ナシ 漸次
無錫、湖州ニ肉薄シアルモ 未タ之
ヲ奪取スルニ至ラス
両軍ノ補給ハ連日ノ追擊前進ニ伴
ハス 已ムナク飛行機ヲ以テ空中ヨリ糧
食 弾薬ヲ投下シ 其急ヲ救フノ状
ナリシカ 今日ノ晴天モ御蔭シ今後 逐
日 其状㔟ヲ恢復スルコトヲ得ン
《軍司令官ノ/意見具申》
此日 軍今後ノ作戦ニ関スル予ノ意見
ヲ参謀總長ニ具申ス 其要領 既
ヘタル所ノモノニ仝シ 要ハ速ニ軍容ヲ整ヘ
十二月中旬以降 南京ニ向フ攻撃ヲ開始
セントスルニ在リテ 遅クモ二ヶ月以内ニ其目
的ヲ達成シ得ルノ見込ナルコトオ附言セリ
十一月二十八日 晴
一、派遣軍ノ状况
㐧十六師団ノ追撃隊ハ近ク常州市街ニ迫ル
㐧十三師團ノ阝隊モ江隂要塞ノ背後ニ逼迫ス
二、第十軍ノ状況
㐧百十四師團ノ部隊ハ宣興ヲ占領ス
其他 両軍戦況 大ナル変化ナシ
上海租界ニ於ケル工作 漸次 進展シ 此日
共同租界ニアル支那政府ノ電報局、新
聞検査所、及 税関等ヲ我官憲ノ手
ニテ接收シ 又 市政府埠頭ヲモ接收
ス
銀行ハ殆ト閉鎖状態ニアルモ之レカ接收
取扱ニハ尚 幾多ノ手数ヲ要スルヲ以テ
漸次 之ヲ具体化スルコトトス
《侍従武官/御差遣》
此日 侍従武官 司令部 御慰問 優渥ナル聖
旨令旨ヲ賜ヒ 又 皇后陛下ヨリ特ニ御手製
ノ毛糸襟巻ヲ賜フ 洵ニ恐懼感激ノ
極ナリ 謹テ奉答程奏 并 言上方 侍
従武官ニ言上[ス×] 又 一般隷下ニ右聖
旨 及 令旨ヲ伝達ス
《参謀本部ヨリ/南京攻略/決定ノ報/アリ》
参謀本部ヨリ南京攻畧ニ決定セル旨
次長電アリ 是レニテ過日来 予ノ熱烈
ナル意見具申モ奏功シ 欣懐 此上
ナシ 其後 方軍ノ後方連絡線ノ整斉
漸ク順調ニ向ヒツヽアレハ 命令一下 遅クモ
来十二月五日頃ヨリ全軍ノ進撃ヲ命
スルヲ得ン
岡田尚ヲ招致シ 支那人謀畧ニ付 注意ヲ与フ
十一月二十九日 晴
一、派遣軍ノ情況
此日正午 第十六師団ハ完全ニ常州ヲ
占領シ 市内ヲ掃蕩ス
又 㐧十三師団モ江隂要塞ヲ占領スト
ノ報アルモ 実况不審
二、第十軍ノ状況 変化ナシ
此日 原田少将ヲ招致シ 上海善後措
置 及 今後ノ謀畧ニ付キ予ノ希望ヲ
告ケ 督励ス
又 同盟通信ノ松本ヲ招致シ 西洋人、支
那人ニ対スル側面的工作ヲ指示ス
諸情報ニ依レハ常州 宣興ノ線ニ在リシ
敵ハ西(後)方ニ退却シ 又 一部ハ廣徳 甯徳
附近ヨリ杭州方面ニ退却中ナリ 即 敵軍
ハ大体ニ南京東方山地線ニ防禦線ヲ
退ケ 又 浙江方面ニ於テモ浙江杭州西方
山地線ニ防禦線ヲ退ケタルカ如ク 鎮江、
江隂附近ニハ多数ノ民船蒐集シアリテ適
時 江北地方ニ退却ヲ準備スルモノヽ如シ
又 江蘇省政府ハ顧祝同 新ニ任命セラレ江北
(徐州附近カ)ニ其位地ヲ退避シツヽアルカ
如シ
浙江省主席ヘ黄欽雄 新任セラルヽモ 其政
府ノ位置等ハ未審
上海ニアリシ宋子文ハ「マニラ」ニ 杜月笙等ハ香港ニ
遁避セシトノ報アルモ 確カナラス 又 浦東附近
ニハ既ニ少数ナル親日委員會成立シ 漸
次 我軍ニ擑近シ来リツヽアリ 又 周作民ハ
漢口ヨリ広東ヲ経テ 呉震脩モ同様 上海
佛租界ニ帰来セリトノ報アリ 漸次 是等
ノ連中モ上海ニ集リ来ラン
十一月三十日 晴
《江隂陥落未成》
一、派遣軍方面
㐧十六師団ノ一部隊ハ 常州西方約二里
ノ点迄 敵ヲ追撃ス
㐧十三師団ノ江隂陥落ノ報ハ誤ニテ
近ク江隂市街ニ迫リアリ 敵兵 現在守備スル
モノ不夛モ 我海軍ノ江隂ニ接近ス
ル艦ニ対シ砲臺ヨリ射撃ヲ行ヒタル
由 明日ハ全部陥落スルナラン
二、㐧十軍方面
㐧六師ノ一部、国崎支隊ハ本日 広徳
ヲ占領セリ
此日、方面軍幕僚ヲ集メ南京攻略
ニ関スル軍ノ作戦方針ヲ議シ 従
来ノ計畫ヲ補修シ 大体十二月上旬ヨリ
(五日頃)全軍ノ攻撃前進ヲ開始スルコトニ定ム
此日 倫敦タイムスノフレザア 及 紐育タイムスノ
「アベンド」ヲ召致シ 予ノ上海占領 及 其後
ニ於ケル態度ヲ説明シ 就中 上海ニ於ケル
列国ノ権益ヲ保護スル為メ予ノ執リタ
ル苦心ノ程ヲ説明セリ 彼等 能ク予ノ意
ヲ諒シ 且ツ我軍ノ公正ナル態度ニ付
尊敬感謝ノ意ヲ表シ 各本国ニ
向ヒ委曲通信スヘキヲ約ス
又 在日本各国武官ハ戦線視察終了
ニ付 此夜 原田少将之ヲシテ之ヲ晩餐
ニ招カシメ 予モ出席シテ一言ノ挨拶
ヲナス 一同感激ス情 顕著ナリ
十二月一日
一、派遣軍ノ状況
第十三師団ハ江陰市街ヲ確実ニ
占領シ 同砲台ノ占領ヲ準備ス
第十六師団ハ常州ヲ占領シ 一部ヲ
以テ西方ニ敵ヲ追撃ス
第九師団ノ部隊ハ常州─金壇道ヲ
追撃ス
二、第十軍ノ状況
第百十四師団ノ一部ハ漂陽ニ向ヒ敵ヲ
追撃ス
国崎支隊ハ公徳ヲ占領ス 更ニ西方
ニ敵ヲ追撃ス
第十八師団ハ長興南方地区ニ 第六師
団主力ハ湖州附近ニ兵力ヲ集結ス
方面軍/ノ新戦斗/序列ヲ/令セラル
南京攻畧/ノ大命/降下[上欄]
此日 参謀次長着 南京攻撃ノ傳宣命令
ヲ携ヘ来ル 又 此日 新ニ中支那[派遣×]方面軍
ノ戦斗序列ヲ令セラル
又 広東方面ニ作戦スル為メ㐧十一師団
(一旅欠)及 重藤支隊ヲ十二月中旬
以降 同方面ニ轉用セラルヽ筈ナル事ヲ
内命ヲ受ク
次長ノ語ル処ニ依レハ 中央部ハ未タ十分
目下ノ謀略 及 宣撫ノ重要性ヲ
認識セス 特務部ノ組織ノ拡大
及 人員ノ整備ニ付 決定ヲ与ヘサルハ
甚タ遺憾ニ耐ヘス 仍テ更ニ方面軍
ヨリ具体的意見ヲ上申[ス×]シ決定ヲ急ク
ノ要アルヲ認ム
十二月二日 晴
一、派遣軍ノ状況
㐧十三師団ハ完全ニ江陰要塞
ヲ占領シ残敵ヲ掃蕩中
㐧十六、㐧九師団ノ一部ハ丹陽 及
金壇ニ迫リ 敵ヲ圧迫中
㐧三師団ハ数日前ヨリ蘇州、以北ノ
地区ニ前進シ 但 片山支隊ハ此日 㐧百
一師団ノ部隊ト交代シ 師團主力ニ追
及ス
㐧十一、重藤支隊ハ無錫附近ニ終結
二、㐧十軍ノ情況
㐧百十四師ノ一部ハ溧陽ヲ占領ス
甯国方面ノ情況明カナラス
諸情報ニ依レハ敵ハ新ニ二集団軍ヲ編
成シ鎮江、句容、廣徳、蘭谿(浙江)
ノ線ヲ守備シ 別ニ南京城守備軍ヲ編成
シ 最後迄 抵抗スヘキ命令ヲ与ヘ(十一月廿五日頃)
タルモ 其前線ハ既ニ陥落シ 全軍ノ士氣
崩壊シタレハ 尓後ノ抗戦ハ大ナル成果ナ
キモノト認メラル
南京攻/畧命令/ヲ下ス[上欄]
仍テ今朝 新ニ全軍ニ対シ南京攻畧
命令ヲ与ヘ 又 方面軍司令官ノ訓示
ヲ与ヘ 㐧十軍ハ十二月三日頃ヨリ 派遣軍
ハ五日頃ヨリ前進ヲ開始スヘク命令ス 尚
海軍ニ督促シ 速ニ江陰附近ニ於ケル封塞
ヲ解放シテ揚子江ノ水路ヲ開キ 軍ノ攻撃
前進ニ伴ヒ派遣軍ノ一部(約一
師團)ヲ江北ニ上陸セシメ 江北運河
及 津浦鐵道ヲ遮断スルノ準備
ヲナサシム
尚 茲?夜? 原田少将、楠本大佐ヲ招致シ
今後 軍特務部ノ編成 任務ノ分
担 及 今後ノ軍ノ謀略目標ニ関
スル予ノ意見ヲ告ケ 具体的立
案ヲ命ス 其要旨 右ノ如シ
一、特務部ノ編成
原田少将指揮
一、外事部ノ編成
主ソシテ上海列國関係 大使館
トノ連絡
二、地方宣撫
方面軍直隷、及 各軍占領地
域ニ分チ 特務部 及 両軍ニ依テ
宣撫ヲ行フ
三、宣傳部
従来ノモノヲ拡大強化ス
四、謀略部
別ニ某少将ヲ主幹トシ 所要ノ人員ヲ以テ
独立 軍司令官ノ意図ヲ受ケ 今後ノ
政治、戦場謀畧ニ任ス
五、企畫研究部
今後ノ政治、経済善後措置ヲ研
究立案セシムル事トシ 齊藤良衛
ヲ長トシ 陸海外務 其他 内地、上海ノ
専門家 経験家ヲ集ム
尚 今後 謀畧ノ目標ハ 先ツ国民政府
ヲ駆逐シテ 江蘓 浙江 成シ得レハ安徽
ヲ併スル独立政権ヲ樹立セシムルニ在リ
テ 萬 已ムヲ得サル時ハ 南京附近ニ残畄
スル国民政府ト分離スル國民政府ヲ
建設スルヲ目的トシ 今後 南京附近ノ攻略ニ伴
ヒ其工作ヲ進ムル事トス
十二月五日(晴)
此朝 多田参謀次長 前線ヨリ帰
来ス 依テ軍今後ノ作戦方針
及 南京占領後ニ於ケル軍ノ企図
ニ付 予ノ希望ヲ語リ 更ニ軍特務
機関ノ拡大、今後ノ謀畧方針
ニ付 委細説明シ 中央ノ方針確
定ヲ促ス 其要如次
一、軍今後 南京攻略後ノ謀畧ハ西山派、
政学派、段派 及 在中支財界中 親
日者ヲ糾合シテ 独立政権ヲ江蘓、
浙江、安徽ヲ併セテ設立セシメ 漸
次 北支政権ト連絡セシム
二、能ハサレハ現国民政府ノ不良分子
ヲ排除シテ政府ヲ改造セシム 而シ此
際 欧米ニ依存スル浙江財閥ハ必ス
之ヲ排除スルヲ要ス
三、右ノ為メ特ム機関ヲ拡大シ
一、建川 又ハ重藤ヲ長トシ
二、重藤 又ハ佐々木到一ヲ長トシ 和地、臼田
等ニ依リ李、白 及 西山派等二対シテ謀略ヲ
行ハシム
三、原田ヲ現在ノ儘トシ外事、及 宣傳ノ
事ニ該ラシム 之レカ為メ松室、楠本等ヲ
使用ス
四、古城少将ヲ宣傳阝長トス
五、斎藤良衛ヲ長トシ経済 及 今後ノ
政治経済等 善後企画ヲ行ハシム
十二月二十日 晴
此日 大使館ニ至リ新着ノ領事館
員等ト会見シ状況ヲ聞ク 曰ク 去七
月 大使館引上當時 支那側ニ寄託シタル
我公使建物ハ一部ノ小奪掠ノ外 概シテ
相當ニ保護セラレ 殊ニ大使館建物ハ
内容共 完ク完全ニ保存セラレアルハ
支那側ノ措置トシテハ寧ロ感服ノ値アリ
又 避難区ニ収容セラレアル支那人ハ概シテ
細民層ニ属スルモノナルモ 其数 十二萬餘
ニ達シ 独、米人宣敎師ノ団軆ト紅卍字
會等ノ人等ト協力シテ保護ニ任ジアリ 聞ク
江蘇省政府ハ其引上ニ際シ 独人 シーメンス
ノモノニ銀十萬[両×]元ト南京現在ノ糧米ヲ托
シテ保護をヲ依頼シタルモノナリト云フ 真否
明カナラサレト現ニ城内ニ現蓄セラレアル糧米
ハ一萬担ニ達シ 外ニモ尚 隠匿セラレアルモノアリ 當
分ノ間 居留民ノ糧食ニ事欠クコトナシト云フ
支那要人等 著名ノモノハ残畄セルモノ見當
ラサルモ 漸次 相當資産階級ノモノモ顔ヲ出
シ来ル模様ニ付 其内 矢張 治安維持 地方
自治ノ支那人団体ヲ形成スルヲ得ヘキ見
込ナリ 此南京ノ宣撫ハ最初 軍特ム部ヲ
シテ之ニ當ラシムル積ナリシモ 人不足ノ為メ矢張
上海派遣軍ヲシテ適当ノ人(隊長)ヲ選ヒ
特ム機関 領事館ノモノオモ併セ指揮シ
テ宣撫ニ當ラシムル事トセリ
尚 聞ク所 城内残留内外人ハ一時 不少 恐怖ノ
情ナリシカ 我軍ノ漸次 落付クト共ニ 漸ク
安堵シ来レリ 一時 我将兵ニヨリ少数ノ奪略行
為(主トシテ家具等ナリ)強姦等モアリシ如ク 多少ハ
已ムナキ実情ナリ
十二月二十六日、二十七日 晴
二十八日 雨
東京ト諸般ノ連絡 幷 意見具申
ノ為メ塚田参謀長ヲ派遣ス
上海兵站病院ヲ視察ス 設備モ
漸次整ヒ 現在 傷病兵 約五千名
ニ過キス 赤十字看護班ノ協力ニ依
リ大体 好成績ニ衛生諸設備 行
ハレツヽアリ安心ス 尚 慰耤ノ手段ニ欠クル
所アリ 研究ヲ促シ置ケリ
[上欄]パネー号事件解決
二十六日 パネー号事件 解決ノ報アリ 十分
ノ出来ニハアラサレト 之ニテ一段落トナレハ
支那ノ各地方ニ対スル影響、相當
大ナルヘク 今後 上海附近謀略工作
ナトニモ一層 進展ヲ期シ得ヘシ
南京杭州附近 又 奪略 強姦ノ
聲ヲ聞ク 幕僚ヲ特派シテ厳ニ取
締ヲ要求スルト共ニ 責任者ノ處罰
ナト厳重<各軍ニ
要求セシム
二十七日 中[ママ]支那軍 済南ヲ占領ストノ
報アリ 今後 中[ママ]支那軍ハ更ニ南方ヘ
作戦シ 山東ヲ全然孤立セシムルノ要ア
リ 之レカ為 我軍ニ於テ江北地方ノ
作戦ヲ徐州附近 迠 進ムル事 更ニ有
効ナリト信シ 前述 塚田少将ニ對シ右
意見ヲ東京ニ具申セシム 浙江方面
ニ対スル作戦ハ右作戦ノ関係モアリ暫ク時
機ヲ待ツ事 有利ナリト考ヘアリ
《秩父宮妃/殿下ヨリ御手/製ノ靴下/
二足 将校/婦人會ヲ経/テ下賜セラル、/
御附武官ニ/御礼ノ電報/ヲ出ス》