Ob-La-Di Облако 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

南京暴虐

「実は酒もあったのですが、南京からここまで来る途中に、敵兵を乗せたジャンクが無数に浮いていたのを片っ端から撃ち沈めた。敗残兵が揚子江の鯰[なまず]の餌食になるのかと思ふと、痛快で仕方がないので、勝利祝いに酒をすっかり飲み乾して仕舞いました。」 橋本金五郎『革新の必然性』「兵に拝む──序に代えて」より 1940.12.31(1937.12.13)

https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=238359715 [前略] 英艦砲擊 かくして杭州灣奇襲部隊は諸兵相ならんで南京へ南京へと急追撃を強行した。 この一戦で将政権をぶつ倒さうといふ意氣で晝夜となく進軍また進軍。その間にも容易ならぬ…

第10号 日本大使館への手紙 徐淑希編『南京安全区檔案』より 1937.12.18

NUMBER 10 LETTER TO JAPANESE EMBASSY※ December 18, 1937 ※Marked “For the kind attention of Mr. Kiyoshi Fukui, Second Secretary.” 第十号 日本大使館への手紙※ 一九三七年十二月十八日 ※「二等書記官福井淳氏の御親切な対応を願って」と書き込みあり…

南京中立地帯案 我が当局一蹴(上海、9日、同盟) Nichibei Shinbun 1937年12月10日付 1937.12.8

南京中立地帯案 我が当局一蹴 (上海、9日、同盟)上海日本大使館は南京における中立地帯ないし安全地帯の問題に関し8日、声明を発し、 南京は事実上一大要塞を構成しており、かかる地域の内にいわゆる安全地帯なるものの存在することは、それは観念上の矛…

第8号 安全区で日本兵が狼藉を働いた事例 徐淑希編『南京安全区檔案』より 1937.12.16

NUMBER 8 CASES OF DISORDER BY JAPANESE SOLDIERS IN THE SAFETY ZONE Filed, December 16, 1937 第8号 安全区で日本兵が狼藉を働いた事例 一九三七年十二月十六日に取りまとめ Note: These are only sample cases we have had time to check upon more ca…

内閣情報部12·12 情報第2号 「長沙放送(11日)(熊本逓信局聴取) 漢口十日ロイテル電 (イ) 敵軍総司令松井大将は9日、敵の飛行機より南京総司令に宛て最後の通牒を発した。… わが唐生智長官は断乎、通牒を一蹴した。」 1937.12.9 

内閣情報部12·12 情報第2号 長沙放送(11日) (熊本逓信局聴取) 1. 南京、9日、ロイテル電 南京の支那軍隊は今日、城外で砲声殷々たる中にゲンカン一帯の防備を固めつつあり。避難者は続々押し寄せ、日本軍飛行機は同避難民を爆撃し、支那軍は郊外…

大本営発表「軍は咋9日夕、南京東北側紫金山の一角および南京南側雨花台南方高地を占領し、南京城に対する攻囲圏を圧縮しつつあり。」 1937.12.9

大本営発表公報 【12.9】(大本営陸軍部10日午後2時半発表) 一 軍は昨12月9日朝、南京城内に勧降文を投下せり。 一 軍は咋9日夕、南京東北側紫金山の一角および南京南側雨花台南方高地を占領し、南京城に対する攻囲圏を圧縮しつつあり。 一 なお軍は一部…

ラーベの日記 12月25日 1937.12.25

25. Dezember十二月二十五日25 DECEMBER Während ich gestern nachmittag an meindm Tagebuch shreib haben unser Hauptboy Chan und einige chinesische Freunde in aller Stille den klein Weihnachtsbaum aufgeputzt. Chang hat ja früher oft dabei geho…

「10日、漢字紙は…松井軍司令官より唐生智に対し本10日正午を限り投降を勧告せること、また我方より南京在留の外国人に退去勧吿を報ぜることも載せ」 在上海岡本総領事より広田外務大臣あて電報 1937.12.10

184 昭和12年12月10日 在上海岡本総領事より広田外務大臣宛(電報) 南京城内の中国軍に対する松井司令官の投降勧告を伝える中国紙報道振り報告 上海 12月10日後発 本省 12月10日夜着 第2589号 10日、漢字紙は南京城内は各所に火災起こり、棲霞、湯山、大校…

「日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。」 外務省「歴史問題Q&A」 2018.4.6

歴史問題Q&A 平成30年4月6日 問6 「南京事件」に対して、日本政府はどのように考えていますか。 1 日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な…

「お尋ねについては、御指摘の「外務省ホームページ」に掲載しているとおりであり、政府としては、昭和十二年の旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害又は略奪行為があったことは否定できないと考えているが、その具体的な数については、様々な議論があることもあり、政府として断定することは困難である。」 参議院議員小西洋之君提出いわゆるホロコースト及び南京大虐殺に関する質問に対する答弁書 内閣総理大臣 安倍晋三 2019.5.285

第198回国会(常会) 質問主意書 質問第五九号 いわゆるホロコースト及び南京大虐殺に関する質問主意書右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。 令和元年五月二十日 小西 洋之 参議院議長 伊達 忠一 殿 いわゆるホロコースト及び南京大虐殺に関…

「千九百三十七年の旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害又は略奪行為等があったことは否定できないと考えている。」「これまで公になっている文献等から総合的に判断すれば、非戦闘員の殺害又は略奪行為等があったことは否定できないと考えている。」 衆議院議員河村たかし君提出いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問に対する答弁書 内閣総理大臣 小泉純一郎 2006.6.22

平成十八年六月十三日提出質問第三三五号 いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書 提出者 河村たかし いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書 [中略] 一 日本政府の南京大虐殺に関する正式見解は聞いたことが無い、という石原慎太郎東京都知…

「日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害あるいは略奪行為等があったことは否定できない事実であると考えている。」「具体的な人数については数千人から30万人、40万人に至るまで様々な説があり、政府としてどれが正しい数か認定することは困難であると考えている。」 外務省報道官会見 1999.5.14

報道官会見要旨 (平成11年5月14日(金)15:00~ 於 会見室) [中略] 石原都知事の「中国に関する発言」 (報道官)昨日の新聞紙上で、石原都知事が改めて台湾、南京事件、チベット問題について個人の考えを表明しているが、その中で、「日本政府の正式な…

「政府としてはいわゆる「南京事件」をめぐり種々の議論があることは承知しているが、1937年の旧日本軍の南京入城の後、非戦闘員の殺害あるいは虐殺行為等があったことは否定できない事実であったと考えている。」外務省報道官会見要旨 1998.12.25

報道官会見要旨 (平成10年12月25日(金)17:00~ 於 会見室) 「南京事件」関連の民事訴訟判決 (報道官)12月22日東京高裁においていわゆる「南京事件」にかかわる当事者の「戦中日記」について第2審の民事訴訟判決があり、この判決について23日、中国外…

ラーベの日記 12月24日 1937.12.24

24. Dezember 十二月二十四日 24 DECEMBER Ich habe heute früh den roten Adventstern, den wir gestern abend angezündet hatten, schön säuberlich eingepackt und den Damen des Kulou-Hospitals mit einigen Siemens-Notizkalendern als Weihnachtsgesc…

ラーベの日記 12月23日 1937.12.23

23. Dezember 十二月二十三日 23 DECEMBER Gestern abend besuchte mich der Polizeichef Takadama und bat um eine Aufstellung aller Sächschäden, die Fremden hier erlitten haben. Es muß also bis heute Mittag eine Liste aller Häuser angefertigt w…

ラーベの日記 12月22日 1937.12.22

22. Dezember Zwei Japaner von dem MIlitary Police Headquarter machem bei mir Besuch und teilen mit, daß die Japaner ietzt selbst ein Komitee für die Flüchtlinge bilden werden. Alle Flüchtlinge müssen sich registieren lassen. Die »schlechte…

ラーベの日記 12月21日 1937.12.21

21. Dezember Es ist nicht mehr daran zu zweifeln, daß die Japaner die Stadt verbrennen, wahrscheinlich nur um die Spuren ihres Plünderns und Raubens zu verwischen. Gestern abend brannte die Stadt an sechs verschiedenen Stellen. 12月20日 日…

ラーベの日記 12月20日 1937.12.20

20. Dezember Im Hauptquartier unseres Komitees finde ich einen japanischen Offizier vor, der um 20 Arbeiter bittet, die das Metropol Hotel aufräumen sollen, das von japanischen Stabsoffizieren bezogen wurde. Ich gebe ihm 16 Arbeiter von un…

ラーベの日記 12月19日 1937.12.19

19. Dezember Die Nacht verlief ruhig in unserem Hause. In Haus neben unserem Hauptbüro in der Ninhai Lou befinden sich etwa 20 Frauen in einem Unterstand, in welchen verschiedene japanische Soldaten eindrangen, um die Frauen zu vergewaltig…

ラーベの日記 12月18日 1937.12.18

18. Dezember Unsere Hoffnung, das mit dem Einzug des Oberkommandierenden Ordnung einkehren würde, hat sich leider nicht verwirklicht, im Gegenteile, es geht heute noch schlimmer zu als gestern. Schon am frühen Morgen muß ich Soldaten aus u…

ラーベの日記 12月17日 1937.12.17

17. Dezember Zwei japanische Soldaten sind über die Gartenmauer gestiegen und im Begriff in unsere Wohnung einzudringen. Bei meinem Erscheinen entschuldigen sie sich damit, daß sie chinesische Soldaten hätten über die Mauer steigen sehen. …

ラーベの日記 12月16日 1937.12.16

16. Dezember Morgens um 8 ¾ Uhr erhalte ich ein Schreiben von Herrn Kikuchi, einem sehr bescheidenen und liebenswürdigen japanischen Übersetzer, daß heute ab 9 Uhr die sogenannte »Sicherheitszone« nach chinesischen Soldaten abgesucht werde…

ラーベの日記 12月12日 1937.12.12

12. Dezember Meiner Erwartung, daß die Japaner die stadt in aller Stille genommen aben, bestätigt sich nicht. Man sieht immer noch die mit gelben Armbinden versehenen chinesischen Truppen in unsere Zone, bis zum Hals bewaffnete nit Gewehre…

ラーベの日記 12月11日 1937.12.11

11. Dezember, 8 Uhr früh Wasserleitung und Licht versagen. Die Beschießung dauert immer noch an. Hin und wieder schwächt der Lärm etwas ab, um dann von neuem auszubrechen. Unser »Peter« scheint das zu lieben. Er singt dazu, was die Kehle h…

ラーベの日記 12月15日 1937.12.15

15. Dezember Um 10 Uhr früh erhalten wir den Besuch des Marineleutnants Sekiguchi. Wir geben ihm Kopien unserer Briefe an den Oberkommandierenden der japanischen Armee. 12月15日 午前10時頃、委員会は関口海軍少尉の訪問を受ける。日本陸軍の総…

ラーベの日記 12月14日 1937.12.14

【私たちは英語と日本語でそれぞれ一通の封書を起草した。日本軍の指揮官に直接手渡すつもりだ。以下はこの封書の訳文である。】 【我们分别用英语和日语草拟了一封信,准备面呈日本指挥官。下面是这封信的译文:】 【[以下、ティンパーリー編『戦争とはな…

ラーベの日記 12月13日 1937.12.13

13. Dezember Die Japaner haben in der letzten Nacht nur einige Stadttore besetzt, sind aber in das Innere der Stadt noch nicht vorgedrungen. 12月13日 【夜も明けやらぬうちから再び空襲を受けて飛び起きるとき、私は胸の内に失望を感じる。爆弾が…

ラーベの日記 12月10日 1937.12.10

10. Dezember Die Nacht war sehr unruhig. Kanonendonner, Gewehr- und MG-feuer von 8 Uhr gestern abend bis etwa 4 Uhr früh. Wie ich höre, hätten die Japaner um ein Haar die Stadt bereits gestern früh in ihrem Besitz gehabt; sie waren bis zum…

上海派遣軍作戦命令 12月10日正午「第16師団は紫金山東北麓より東南麓の線に、第9師団は中山門東方地区より中和橋北側を経てその西南方地区にわたる線に進出し、各々当面の敵を攻擊中なり。軍は主力をもつて依然、南京攻撃を続行せんとす。」 午後1時30分「軍は速やかに南京を攻略し、引き続き城内の残敵を掃蕩せんとす。」 独立飛行第4中隊戦闘詳報より 1937.12.10

軍命令の要旨 (上軍作命甲第256号 12月10日正午 於 句容軍司令部) 1. 第16師団は紫金山東北麓より東南麓の線に、第9師団は中山門東方地区より中和橋北側を経てその西南方地区にわたる線に進出し、各々当面の敵を攻擊中なり。 2. 軍は主力をもつて依然、南…

12月9日午後7時の上海派遣軍作戦命令 「第16師団は麒麟門およびその西南方地区に、第9師団は南京城南側地区に進出し、当面の敵を攻擊中なり。」「軍は主力をもつて依然、南京攻略を続行するとともに…」 独立飛行第4中隊戦闘詳報より 1937.12.9

軍命令の要旨 (上軍作命甲第255號 12月9日午後7時 於 句容軍司令部) 1. 第16師団は麒麟門およびその西南方地区に、第9師団は南京城南側地区に進出し、当面の敵を攻擊中なり。 第13師団は常州~金壇城~天王寺道を天王寺付近に向かひ前進中なり。 2. 軍…