Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

東京裁判 松井石根弁護側最終弁論より 1948.4.9

 大将は前述の南京攻略に関する命令·訓令·地図等を十二月八日、参謀長外参謀二人をして上海派遣軍司令部に携行伝達せしめ、別に第十軍に対しては他の参謀を派遣して、全軍に徹底する様に処置したのである。
 猶ほ大将は、予ねて東京より伴ひ行きたる、中国通岡田尚に命じて、次の如き意味の文章を中国語に翻訳せしめた(U)。

U 法廷証3409号、岡田口供書、英文速記録32743ページ以下、和文速記録310号12ページ

 「投降勧告文に対する回答は、十二月十日正午中山門外大句容道上の歩哨線に於て受領すべし。若しも貴軍が司令官を代表する責任者を派遣する時は、該所に於て本司令官代表者との間に南京城接収に関する必要の協定を遂ぐる準備あり、若しも該指定時間内に何等の回答に接し得ざれば、日本軍は已むを得ず南京攻略を開始すべし。」
 右の文章は十二月九日、飛行機により投降勧告文と共に南京城内に投下された。
 十二月十日午前十一時より中支那方面軍の塚田参謀長·中山参謀長·岡田通訳官等は中山門外に到り、中国軍使の来るのを午後一時迄、約二時間待ち居りたるも、遂に姿を見せざるにより、午後二時より南京城の攻撃は開始せられたのである。

 

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 大將は前述の南京攻略に關する命令訓令地図圖等を十二月八日參謀長外參謀二人をして上海派遣軍司令部に携行傳達せしめ、別に第十軍に對しては他の參謀を派遣して全軍に徹底する樣に處置したのである。
 猶ほ大將は、豫ねて東京より伴ひ行きたる、中國通岡田尚に命じて次の如き意味の文章を中國語に翻譯せしめた(U)。

U 法廷證三四〇九號、岡田口供書、英文速記錄三二七四三頁以下、和文速記錄三一〇號一二頁
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 「投降勸告文に對する囘答は、十二月十日正午中山門外大句容道上の歩哨線に於て受領すべし。若しも貴軍が司令官を代表する責任者を派遣する時は、該所に於て本司令官代表者との間に南京城接収に關する必要の協定を遂ぐる準備あり、若しも該指定時間内に何等の囘答に接し得ざれば、日本軍は已むを得ず南京攻略を開始すべし」、
 右の文章は十二月九日飛行機により投降勸告文と共に南京城内に投下された。
 十二月十日午前十一時より中支那方面軍の塚田參謀長、中山參謀長岡田通譯官等は中山門外に到り、中國軍使の来るのを午後一時迄約二時間待ち居りたるも、遂に姿を見せざるにより、午後二時より南京城の攻擊は開始せられたのである。

↑A級極東国際軍事裁判速記録(和文)・昭和23.3.22~昭和23.4.16(第398~416号) https://xn--www-x83b.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000340253 p.218
(1948年4月9日、速記録第411号所収、松井石根弁護側最終弁論から)