Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

「我が占領線内の村落にも諸所に敗残兵並び便衣隊潜伏活動している。」 陸軍省調査班新聞発表 1932.2.23

新聞発表第436号  2月23日

  上海2月22日午後10時発、陸軍省着電

 植田師団22日戦況

一、植田師団は廟巷鎮より後部家宅間の敵陣地を突破したる後、所在の便衣隊を掃蕩し水流沼沢の間を縫して、夕刻、其の第一線を以て廟巷鎭西端より普西を経て前郭家屯に亘る線に進出した。午後9時迄に判明した死傷者は約二百五十で、内、戦死者は僅少である。

二、敗退せる敵は近く前方の村落に停止し、又、我が占領線内の村落にも諸所に敗残兵並び便衣隊潜伏活動している。捕虜並び鹵獲書類に依れば、江湾鎮以北呉淞クリーク間の敵は第88師の第262旅で、江湾鎮以南閘北間には第19路軍主力を、又、呉淞クリーク以北の地区には第78師を配置し、第87師及び第88師は嘉定(約一万)及び南翔(約四千)付近の陣地を占領している模様である。

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新聞発表第四三六号  二月二十三日

  上海二月二十二日午後十時発陸軍省着電

 植田師団二十二日戰況

一、植田師団は廟巷鎭より後部家宅間の敵陣地を突破したる後 所在の便衣隊を掃蕩し 水流沼沢の間を縫して夕刻 其第一線を以て廟巷鎭西端より普西を経て前郭家屯に亘る線に進出した 午後九時迄に判明した死傷者は約二百五十て内戦死者は僅少である。

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二、敗退せる敵は近く前方の村落に停止し 又我占領線内の村落にも諸所に敗残兵並便衣隊潜伏活動してゐる

捕虜並鹵獲書類に依れば 江湾鎭以北呉淞クリーク間の敵は第八十八师の第二百六十二旅で 江湾鎭以南閘北間には第十九路軍主力を又 呉淞クリーク以北の地區には第七十八师を配置し第八十七师及第八十八师は嘉定(約一万)及南翔(約四千)附近の陣地を占領してゐる  模様である。

 

↑上海並満洲事件ニ関スル新聞発表 植田師団二十二日戦況https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000000759033