Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

新聞発表

南京中立地帯案 我が当局一蹴(上海、9日、同盟) Nichibei Shinbun 1937年12月10日付 1937.12.8

南京中立地帯案 我が当局一蹴 (上海、9日、同盟)上海日本大使館は南京における中立地帯ないし安全地帯の問題に関し8日、声明を発し、 南京は事実上一大要塞を構成しており、かかる地域の内にいわゆる安全地帯なるものの存在することは、それは観念上の矛…

大本営発表「軍は咋9日夕、南京東北側紫金山の一角および南京南側雨花台南方高地を占領し、南京城に対する攻囲圏を圧縮しつつあり。」 1937.12.9

大本営発表公報 【12.9】(大本営陸軍部10日午後2時半発表) 一 軍は昨12月9日朝、南京城内に勧降文を投下せり。 一 軍は咋9日夕、南京東北側紫金山の一角および南京南側雨花台南方高地を占領し、南京城に対する攻囲圏を圧縮しつつあり。 一 なお軍は一部…

【工事中】「毒瓦斯は必ずしも非人道的とはいへない」「毒瓦斯はこれを戦場にて敵兵に向かつて使用する限り、いかなる種類のものにても、いかに苛烈性、残酷性、獰悪性のものであつても、それが敵の戦闘力を挫く上において絶対必要であるならば、これを非とする理由は考へられない。」 信夫淳平『戦時国際法講義』第2巻より 1941.11.23

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/9 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/10 第3章 戦闘 第3項 毒瓦斯 第1目 毒瓦斯の当否 第1次大戦のもたらせる3種の新兵器 1036 第1次大戦において始めて出現したる新兵器の中には、世人周…

「当日の発表はガス使用に関する条約上の意見ないし将来の企図等に一言触るることなく、専ら事実を詳細に説明し、支那側が間違いなくガス弾を使用しある事実を紹介するに努めたり。」 支那側のガス弾使用宣伝の件 中華民国在勤帝国大使館附武官 原田熊吉 1937.10.16

【陸軍省受領/陸支密受第3666号】 【小薗江】 【陸軍省/大臣官房/昭和12.10.23午□】 【陸軍省/軍事課/12.10.2?/546】 【印】 【陸軍省/新聞班/受領/12.10.27】 【陸軍省/軍務課/12.10.25/□1189特】 支庶第205号 支那側のガス弾使用宣伝に関す…

「特に其の国民性は一度惨敗せば既に再戦の意気を失ふを通常とするを以て、爾今、便衣隊を操縦する等の奇法を用ふる以外、暫く我に対し大規模の桃戦を為さざるものと認む。」 陸軍省調査班新聞発表 1932.3.13

新聞発表第485号 3月13日 上海3月12日発陸軍省着電 支那軍対日挑戦意志なしと認む 諸情報を総合すれば、上海当面の支那軍の損害は予想外に多大にして、将兵一般の士気頓に阻喪し、内部的結束紊乱し、到底対日抗戦を継続し得ざる状態にある。特に其…

「【上海本社特電】(九日発)上海軍九日午後七時発表。松井最高指揮官は本日正午、飛行機により南京防衛司令官に対し投降勧告文を投下し、十日正午までに回答を要求せり。」 国民新聞 1937.12.10

[✕法廷証✕] 5月5日却下 注:付属の文書は訂正済文書であり、破棄されるべき該当文書と差し替えられるべきである。 22年5月5日(28) 弁護反証段階(支那事変) Def. Doc. #1075 〃南京最期の日〃来る けふ正午の期限! 敵軍に投降を勧告す 回答なけ…

「上海【一二・九】(上海軍九日午後七時発表)松井最高指揮官は本日正午、飛行機により南京防衛司令官に対し投降勧告文を投下し、十日正午迄に回答を要求せり。」 同盟旬報 1937.12.9

松井司令官投降勧告 上海【一二・九】九日正午、松井最高指揮官は南京防衛司令官唐生智に投降勧告状を飛行機より投下した。 上海【一二・九】(上海軍九日午後七時発表)松井最高指揮官は本日正午、飛行機により南京防衛司令官に対し投降勧告文を投下し、十日…

「我が占領線内の村落にも諸所に敗残兵並び便衣隊潜伏活動している。」 陸軍省調査班新聞発表 1932.2.23

新聞発表第436号 2月23日 上海2月22日午後10時発、陸軍省着電 植田師団22日戦況 一、植田師団は廟巷鎮より後部家宅間の敵陣地を突破したる後、所在の便衣隊を掃蕩し水流沼沢の間を縫して、夕刻、其の第一線を以て廟巷鎭西端より普西を経て前郭…

「別に約百を下らない便衣隊が城内に潜入していて、各家屋を利用して頑強に抵抗しているので、主として吉林軍を以て之が掃蕩を実施し、午後1時迄に完了した。」 陸軍省調査班新聞発表 1932.2.20

新聞発表第427号 2月21日 奉天2月20日発、陸軍省着電 敦化に於ける交戦状況 一、我が敦化派遣部隊は2月20日午前5時、王徳林隷下の約五百の兵匪の襲撃を受けたるも、約1時間の交戦後、之を撃退した。別に約百を下らない便衣隊が城内に潜入して…

「此の種悪虐非道の戦法に対抗する為には、一見良民を裝ふて居る者と雖も正規兵又は便衣隊なりと認めらるる者は、之に適応する処置を執ることは真に已むを得ない正当防衛なる所以を知らねばならぬ」 陸軍省調査班 上海事件ノ情報(並支那事変ニ関スル陸軍省発表)より 「悪虐非道 天人倶に許し難き支那軍の行動に就て」 1932.2.23

【供覧】 内閣官房總務課長【横溝】 内閣書記官【川島孝彦】【稲田】 悪虐非道 天人倶に許し難き支那軍の行動に就て 二月二十三日 陸軍当局談 我が軍が挙措正々 進止堂々 秋毫冒す無き嚴肅なる軍紀の下に行動しあることは古来 我が軍の精華として卋界に誇り…

「涼水泉子(豆満江、穏城対岸)北方30km十里坪には約100の兵匪現れ、南下の模様。又、拉子溝(百草溝東方約50km)には約200の便衣隊現れ義援金募集中であつて、該地方の人心兢々としてゐる。」 陸軍省調査班新聞発表 1932.4.8

新聞発表第540号 4月8日 京城4月7日初陸軍省着電 国境警備隊の一部、越江出動す 一、五日茂山(会寧西南方約50km、豆満江岸)の對岸廣浦に約180の兵匪現れ、同地公安局等を襲ひ、武器弾薬等を掠奪する等、不穏の情勢にある。 又、同地支那軍警は…

「五月二十五日「テウセウシ」(玉田西方二十四吉)に於て便衣隊と交戰し熊本部隊所属工兵一等兵吉田健次戦死、清水一三重傷す。」 陸軍省新聞班発表 1932.5.29

陸軍省公表第一四三号 五月二十九日 陸軍省新聞班 戰死傷者 一、五月十日「ホホガワ」(建昌營西方八吉)西方十二粁附近に於て大分部隊歩兵一等兵藤原政人生死不明 二、五月二十五日「テウセウシ」(玉田西方二十四吉)に於て便衣隊と交戰し熊本部隊所属工兵一等兵吉田…

「第十九路軍便衣隊の組織計画」 陸軍省調査班新聞発表 1932.3.12

供覧内閣書記官長【横溝】内閣書記官【川島孝彦】【稲田】 新聞発表 苐四八二号 三月十二日 上海三月十一日発陸軍省着電 苐十九路軍赤化 一、苐三インターは二月十三日同二十九日両度に亘り苐十九路軍を赤化すべしとの指令を発した結果その後の赤化工作は急速…

「上海付近敵小部隊並び便衣隊の行動活発」 陸軍省調査班新聞発表 1932.3.13

新聞発表苐四八七号 三月十三日 上海三月十二日発陸軍省着電 上海附近敵小部隊並便衣隊の行動活溌 軍の前面に於ては有力なる敵部隊の活動はないが小部隊が八日聲明の地線内に進入し來り我が斥候歩哨等を奇襲したり又は占據地域内各所に便衣隊出沒し後方擾乱…

「広東方面より水雷を取寄せ我が船舶を爆沈するといふが如き陰謀並び要人暗殺市内擾乱を目的とする便衣隊の活動は益々盛んである」 陸軍省調査班新聞発表 1932.3.14

新聞発表苐四八九号 三月十四日 上海三月十四日発陸軍省着電 彼我戰線の狀况(十三日) 一、十三日に於ける全線は平穩である二、当面の支那軍の配置は前報と大差はないが大倉には上官雲相の苐四十七師が新に到着した模様であつて該部隊は我が最前線に対し積極…

「上海方面三月四日以後の便衣隊に関する事件は既に十七件に達し之に基く我被害は負傷八名に達した。」 陸軍省調査班新聞発表 1932.3.30

供覧 内閣書記官長【印】 内閣書記官【印】【印】 新聞発表第五〇〇号 黒竜江省兵匪の南下 一、反吉林軍と連絡を有し黒竜江省方面より南下した兵匪は他の匪賊と合して其数約五千となり十五日夕扶餘(哈市西南方一五〇粁)を占領したものゝ様である。農安の吉…