Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

便衣隊

「朝鮮人の慰安婦、内地婦人(極めて僅少。生存者あるや疑はし)は地方人とともに収容されあり。 なほ今後問題となるべきは、内地の将校、下士官、兵にして便衣を着し、住民として投降し、地方人収容所にありて巡査(CP)、教員、配給所役員等になり、沖縄人と結婚し、沖縄人となりすましある者、相当数に達しあることなり。住民の密告により軍人収容所に移されたる者あれど未だ多数潜入しあるもののごとし。」 参考情報第12号 沖縄本島の状況  1946.1.9

参考情報第12号 沖縄本島の状況 昭21.1.16 資料課 (註) 本資料は1月9日、沖縄本島より帰還せる歩兵第22連联隊付き軍医大尉 ●●●●の報告要旨を複写せるものなり。 1.終戦前後の一般状況 (1) 沖縄本島の荒廃 昨年三月、米機動部隊の来襲および上陸…

昭和12年10月 「支那事変と満洲国」 東亜局第3課 より 「便衣隊の潜入」 1937.10

昭和12年10月 支那事変と満洲国 東亜局第3課【秘】[中略](ハ)便衣隊の潜入今次事変勃発以来、支那方面より便衣隊潜入し、流言を放ち治安攪乱を図りたる証跡あり、その事例二、三を挙ぐれば左のごとし。(1) 国府軍事委員会副委員長、馮玉祥は蒋介石…

「海軍側は手薄のため在郷軍人団および一時青年団または自警団を閘北占領地内の治安維持に用ひたる行き懸かりもあり、彼らの行動は、便衣隊に対する恐怖および憎悪とともに、あたかも大地震当時の自警団の朝鮮人に対する態度と同様なるものあり、支那人にして便衣隊の嫌疑をもつて処刑(殺戮)されたるもの既に数百に達せるもののごとく」 在上海重光公使より芳沢外務大臣あて電報 1932.2.2

昭和7年2月2日 在上海重光公使より芳沢外務大臣あて電報 上海帰任以後の状況について 上海 2月2日午後発 本省 2月2日午後着 第61号 本使着任以後の当方面状況、左の通り。なほ総領事電報参照ありたし。 1.我が陸戦隊はその占領地域を死守し居り、兵…

日本外交文書 満州事変 第2巻より 第1次上海事変における「便衣隊」と「自警団」 1932.2

在昭和7年2月1日 上海重光公使より芹沢外務大臣あて電報 上海 2月1日午後発 本省 2月1日午後着 第56号 本使、帰任後直ちに現下の実情を子細に観察せるところ(一般情勢は上海閣下あて電報第158号によりご承知の通り)予想外に急迫せる事態と認めらる…

早尾乕雄「戦場に於ける特殊現象と其対策(戦場心理の研究各論)」より「七、便衣隊と正規兵」 1937.11~1939.11 

七、便衣隊と正規兵 便衣隊への警戒心は実に盛んなものだった。都市と言わず村落と言わず、何処でも何時其の襲撃を受けるかも知れないという考えが強く侵み込んで居た。私も南京の行軍の路上に遺棄したる沢山の敵屍体を見て、便衣か正規かを興味を以て眺めた…

「特に其の国民性は一度惨敗せば既に再戦の意気を失ふを通常とするを以て、爾今、便衣隊を操縦する等の奇法を用ふる以外、暫く我に対し大規模の桃戦を為さざるものと認む。」 陸軍省調査班新聞発表 1932.3.13

新聞発表第485号 3月13日 上海3月12日発陸軍省着電 支那軍対日挑戦意志なしと認む 諸情報を総合すれば、上海当面の支那軍の損害は予想外に多大にして、将兵一般の士気頓に阻喪し、内部的結束紊乱し、到底対日抗戦を継続し得ざる状態にある。特に其…

「植田師団は前日来の線に在りて、占拠を了せる諸村落内便衣隊の掃蕩に努め、且つ爾後の攻擊を準備してゐる。」 陸軍省調査部新聞発表 1932.2.24

新聞発表苐第438号 2月24日 上海2月23日発陸軍省着電 南孫宅方面の敵夜襲を撃退 一、22日夜半、南孫宅及び其の東方地区に約3大隊の敵、夜襲し来れるも、我が軍は悉く之を撃退した。敵の死傷は約三百である。同地付近諸村落に在る敗残兵は23日…

「我が占領線内の村落にも諸所に敗残兵並び便衣隊潜伏活動している。」 陸軍省調査班新聞発表 1932.2.23

新聞発表第436号 2月23日 上海2月22日午後10時発、陸軍省着電 植田師団22日戦況 一、植田師団は廟巷鎮より後部家宅間の敵陣地を突破したる後、所在の便衣隊を掃蕩し水流沼沢の間を縫して、夕刻、其の第一線を以て廟巷鎭西端より普西を経て前郭…

「別に約百を下らない便衣隊が城内に潜入していて、各家屋を利用して頑強に抵抗しているので、主として吉林軍を以て之が掃蕩を実施し、午後1時迄に完了した。」 陸軍省調査班新聞発表 1932.2.20

新聞発表第427号 2月21日 奉天2月20日発、陸軍省着電 敦化に於ける交戦状況 一、我が敦化派遣部隊は2月20日午前5時、王徳林隷下の約五百の兵匪の襲撃を受けたるも、約1時間の交戦後、之を撃退した。別に約百を下らない便衣隊が城内に潜入して…

「此の種悪虐非道の戦法に対抗する為には、一見良民を裝ふて居る者と雖も正規兵又は便衣隊なりと認めらるる者は、之に適応する処置を執ることは真に已むを得ない正当防衛なる所以を知らねばならぬ」 陸軍省調査班 上海事件ノ情報(並支那事変ニ関スル陸軍省発表)より 「悪虐非道 天人倶に許し難き支那軍の行動に就て」 1932.2.23

【供覧】 内閣官房總務課長【横溝】 内閣書記官【川島孝彦】【稲田】 悪虐非道 天人倶に許し難き支那軍の行動に就て 二月二十三日 陸軍当局談 我が軍が挙措正々 進止堂々 秋毫冒す無き嚴肅なる軍紀の下に行動しあることは古来 我が軍の精華として卋界に誇り…

陸軍省調査班 満洲問題に関する情報 「満鉄付属地外出動部隊引揚げの不可能なる所以に就て」より (三)便衣隊の横行 1931.11.19

(三)便衣隊の横行 張学良は、事変後錦州に占拠しある栄臻等をして、組織的に強力なる便衣隊を続発して南満地方の治安を擾乱せしめつつある。参考の為、便衣隊横行の顕著なる実例を示せば左の通りである。 1 奉天に在りし講武道学生は三々五々東北方に逃避…

「涼水泉子(豆満江、穏城対岸)北方30km十里坪には約100の兵匪現れ、南下の模様。又、拉子溝(百草溝東方約50km)には約200の便衣隊現れ義援金募集中であつて、該地方の人心兢々としてゐる。」 陸軍省調査班新聞発表 1932.4.8

新聞発表第540号 4月8日 京城4月7日初陸軍省着電 国境警備隊の一部、越江出動す 一、五日茂山(会寧西南方約50km、豆満江岸)の對岸廣浦に約180の兵匪現れ、同地公安局等を襲ひ、武器弾薬等を掠奪する等、不穏の情勢にある。 又、同地支那軍警は…

「五月二十五日「テウセウシ」(玉田西方二十四吉)に於て便衣隊と交戰し熊本部隊所属工兵一等兵吉田健次戦死、清水一三重傷す。」 陸軍省新聞班発表 1932.5.29

陸軍省公表第一四三号 五月二十九日 陸軍省新聞班 戰死傷者 一、五月十日「ホホガワ」(建昌營西方八吉)西方十二粁附近に於て大分部隊歩兵一等兵藤原政人生死不明 二、五月二十五日「テウセウシ」(玉田西方二十四吉)に於て便衣隊と交戰し熊本部隊所属工兵一等兵吉田…

「第十九路軍便衣隊の組織計画」 陸軍省調査班新聞発表 1932.3.12

供覧内閣書記官長【横溝】内閣書記官【川島孝彦】【稲田】 新聞発表 苐四八二号 三月十二日 上海三月十一日発陸軍省着電 苐十九路軍赤化 一、苐三インターは二月十三日同二十九日両度に亘り苐十九路軍を赤化すべしとの指令を発した結果その後の赤化工作は急速…

「上海付近敵小部隊並び便衣隊の行動活発」 陸軍省調査班新聞発表 1932.3.13

新聞発表苐四八七号 三月十三日 上海三月十二日発陸軍省着電 上海附近敵小部隊並便衣隊の行動活溌 軍の前面に於ては有力なる敵部隊の活動はないが小部隊が八日聲明の地線内に進入し來り我が斥候歩哨等を奇襲したり又は占據地域内各所に便衣隊出沒し後方擾乱…

「広東方面より水雷を取寄せ我が船舶を爆沈するといふが如き陰謀並び要人暗殺市内擾乱を目的とする便衣隊の活動は益々盛んである」 陸軍省調査班新聞発表 1932.3.14

新聞発表苐四八九号 三月十四日 上海三月十四日発陸軍省着電 彼我戰線の狀况(十三日) 一、十三日に於ける全線は平穩である二、当面の支那軍の配置は前報と大差はないが大倉には上官雲相の苐四十七師が新に到着した模様であつて該部隊は我が最前線に対し積極…

「上海方面三月四日以後の便衣隊に関する事件は既に十七件に達し之に基く我被害は負傷八名に達した。」 陸軍省調査班新聞発表 1932.3.30

供覧 内閣書記官長【印】 内閣書記官【印】【印】 新聞発表第五〇〇号 黒竜江省兵匪の南下 一、反吉林軍と連絡を有し黒竜江省方面より南下した兵匪は他の匪賊と合して其数約五千となり十五日夕扶餘(哈市西南方一五〇粁)を占領したものゝ様である。農安の吉…

「良民と便衣兵との区分困難なり。」 自 無錫 至 南京 歩兵第38連隊行動概見表より 1937.12.14

12月14日連隊一般の行動:南京城内掃帰[→蕩?]戦闘種別:敗残兵掃蕩戦闘の結果、教訓其の他:●良民と便衣兵との区分困難なり。●潜残の兵は藁積の内部、二階、三階、天井等に潜伏す。●小銃等外部に現はる兵器は放棄するも、拳銃を有するものあり。●食に窮…

信夫淳平『上海戦と国際法』より 第二項、便衣隊 1932

第二項、便衣隊 【うるさい蒼蝿】 上海戦の勃発に際し、我が陸戦隊の歩哨兵、通行兵、その他私人たる在留邦民に累次不測の危害を与へ又は与へんとしたうるさい蒼蝿は支那の便衣隊である。便衣とは平服といふに同じく、即ち一般市民と識別し難き服装にて本邦…

軍参謀長注意事項(第10軍) 1937.10.25

昭和十二年十月二十五日 軍参謀長注意事項、 軍参謀長注意事項 軍司令官の命に依り、軍の作戦上必要なる若干事項に関し、左に注意を述ぶ。 よく諸隊に徹底せしめられたし。 一、軍紀の厳守に就て 軍の雄大且つ困難なる任務を達成せんが為には、特に軍紀を厳…

爆音南京に轟く 中支に於ける海軍戦闘の概要(其の一) 1937.8.25

爆音南京に轟く 中支における海軍戦闘の概要(その1) 海軍省海軍軍事普及部 1 今次事変勃発より最近に至る中南支 今次の事変が起ってから、帝国海軍は北支においては陸軍の作戦に協同し、中南支においては専ら居留民の保護、帝国権益の擁護に任じ、飽くま…