昭和13.8.30 A
6Dは剛勇敵陣中にも轟き、其の将兵の態度は厳然として敬礼も正しく、我が国最精鋭の一つなるには相違なきも、強姦罪の多きには困つたものなり。
稲葉師団長、牛島旅団長等も之が取締りに苦心しあり。兵の行衛不明の多くは我が幹部の眼をのがれて付近の村へ女あさりに往きたるもの多しとのこと。また、先づ放火して人を騒がせ、而して婦女子を求むるなど悪辣の犯罪すらありとのことなり。
同師団は三十余名の所謂慰安婦を跟随せしめあり。慰安婦の跟随などは日露戦役時代には無かりしものなり。第一回上海事変の際、予は軍参謀副長たりしが、海軍の例に倣ひ慰安婦を設け(恐らく陣中公然と設けたる最初ならん)、爾後、強姦罪皆無となりて喜びたることありしが、今の軍隊は慰安婦を同伴して尚且つ強姦罪少なからずいふ有様なり。慰安婦は第六師団に限りたることにはあらず、他の兵団も多くは之を用いあり。
本事変勃発後間もなく満州にて聞きたる所に依れば、北支の中国古老は、団匪事件に於て歐米諸国軍隊の掠奪、強姦、暴行の限りを尽したるに反し、独り我日本軍か軍紀森厳、風紀粛然として秋毫も犯すところなきを感嘆敬服せしことありしに、今次事変勃発后の日本軍将兵の行動は別人の感ありと嗟嘆する者ありとのことなり。
『岡村寧次大将回想録』(陣中観想録)1954年、厚生省引揚援護局
(靖國偕行文庫、受入番号80277、図書記号·請求記号390, 281オ、オ)p.7~p.9