Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

日清戦争

清国「朝鮮ノ請求ニ応シ清國ヨリ兵ヲ派遣シタルハ属邦ヲ保護スルノ先例ニ因レリ」1894.6.9 日本「日本政府ハ未タ曽テ朝鮮ヲ以テ清国ノ属邦ト認メタルコトナシ」1894.6.11

上奏 六月十一日大臣 花押 次官【林董】政務局【栗野愼一郎】 通商局【原敬】電受第二一七号 115 wds 【佐藤愛麿】 Mutsu Tokio The reply to my communication of 六月七日 received from 総理衙門 六月九日 is as follows: The dispatch of troops from Ch…

参謀総長発 神尾少佐宛 電報 1894.7.20

七月二十日午後六時 参謀総長 神尾少佐 我艦隊ハ二十二三日 佐世保ヲ発シ 朝鮮西海岸 安眠島附近ヲ根拠トシ 支那ノ増兵ヲ送ルニ當テハ之ヲ擊破シ 朝鮮ノ我兵ハ主力ヲ以テ牙山ノ敵ヲ擊ツ計画ナリ ↑明治27年自7月1日至8月24日 「発電綴(二)」7月20…

「異國 若シ朝鮮ニ増加兵ヲ送ラハ 進ンテ其軍艦 運送船ヲ破碎スへキヲ命シタリ」「敵ノ増加セサルニ乗シ 首力ヲ以テ眼前ノ敵ヲ擊破スヘシ」 大島少将宛 参謀総長命令(サメ32号) 1894.7.19

七月十九日午後九時 在京城 大島義昌 我艦隊ハ二十二日 佐世保ヲ發シ 朝鮮西海岸 豊島 若クハ安眠島ニ根據ヲ示メセ 異國 若シ朝鮮ニ増加兵ヲ送ラハ 進ンテ其軍艦 運送船ヲ破碎スへキヲ命シタリ 清國軍増加ノ景况アラハ 其旅團ハ一部ヲ京城ニ止メテ従来ノ任務…

「サメ三十二号 受取ル 京城大島少將 参謀総長」 1894.7.20

Words 8 SeoulNo. 152 N. T. v. pnStation【陸軍省電□□□□□】Date 20/7 1894Date 20/7 1894 5 H 40 M P. M.To Socho Sambohombu TokioSame 32 go uketoru oshima 七月二十日午後五時四十分發 〃 廿一日午後四時着 サメ三十二号 受取ル 京城 大島少將 参謀総長…

「七月廿三日 午前一時廿分發 同九時著 公使ノ求メニヨリ明日朝 王室ヲ囲ム筈 戦鬥[タタカイ]ハ ドヌカレ(免レ ナラン)サルベシ」 大島少将発 参謀総長宛 電報 1894.7.23

發ノ日附ヨリ考レハ 明日朝トハ廿四日ナレトモ 此発信時ハ電信局ノ発信時ニシテ 旅団長ノ発信時ハ廿二日ノ午後ナラン 故ニ明日朝トハ今朝ノコトナラン乎 七月廿三日 午前一時廿分發同 〃 九時 著 公使ノ求メニヨリ明日朝 王室ヲ囲ム筈 戦鬥[タタカイ]ハ ドヌカレ…

「公使ノ需メニ依リ明朝 王城ヲ囲ム筈 闘ヒハ免レサルベシ」 大島少将発 参謀総長宛 電報 1894.7.23 

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image-j/C06060802300 1/4 公使ノ需メニ依リ明朝 王城ヲ囲ム筈 闘ヒハ免レサルベシ 義昌ノ考ヘハ 大同江ニ敵兵 来ラサル前 牙山兵ヲ擊破スルニアレトモ 御通知ノ景況ニ依レハ其暇マナシ 依テ彼レノ上陸ヲ確メタル上ハ…

日本「朝鮮國ニ於テ現ニ変乱 重大ノ事件アリテ 我國ヨリ派兵ノ必要有之候ヲ以テ 帝國政府ハ若干ノ兵ヲ派遣スル積ニ有之」1894.6.7 清国「我国ニテハ朝鮮ノ求ニ應シテ兵ヲ派遣シ其乱民討伐ノ援助ヲ为ス次苐ニシテ 是ハ従来 属邦ヲ保護スル慣例ニ有之 且ツ專ラ内地ノ乱民ヲ討伐スル为メニシテ 平定次㐧 直チニ引揚可申」 1894.6.9

廿七年六月廿一日接受主管 政務局 花押 【中田敬義】 通商局【原敬】大臣【陸奥】 次官【林董】機密受第八一四號 機密苐二十號信 我國ヨリ朝鮮ヘ出兵ノ義ニ関スル来電 並ニ総理 衙門ヘノ照會 其他往電冩差出ノ件一昨六日附別紙甲號冩ノ通リ電信ヲ以テ訓令ニ…

南部兵站監部 陣中日誌 第三号 十月分より《原文》 1894.10.5−31

自明治27年10月5日 至 同11月9日陣中日誌 南部兵站監部 第3号 10月分より 黒田記事 十月五日 金曜 晴 一 午后二時三十分 仁川港到着 直ニ上陸 日本居留地大佛ホテルニ兵站监部ヲ置キ 事務ヲ開始ス 二 午后六時 釜山 今橋少佐ヘ㔫ノ電報ヲ発ス 答 …

「清国兵ノ永ク朝鮮國内ニ駐屯スルハ朝鮮國ノ獨立ヲ侵害スルモノナレバ 之ヲ驅逐スベキ旨 七月二十日 同政府ヘ要求セリ 而シテ右ニ對スル囬答ハ七月二十二日ヲ以テ限リトセリ」 京城 大鳥公使 発 東京 陸奥大臣 宛 電報 1894.7.20

上奏 各大臣 枢長 川上中將 【林董】 電信譯文 廿七年七月二十日午後十一時二十五分発 〃 〃二十一日〃 〃 四十五分接 東京 京城 陸奥大臣 大鳥公使 本使ハ七月十九日 我兵ノ為メニ營所ヲ建設スベキ旨 朝鮮政府ヘ要求シ 又 屬邦保護ノ口実ヲ以テ清国兵ノ永ク…

「今般閣下朝鮮京城へ御帰任相成り候ふ上は、左記の件につき心得置き御遵行相成りたく候ふ。」 陸奥外務大臣より大鳥特命全権公使へ 1894.6.5 他

機密 送第一九號六月五日 此寫ヲ 上奏シ且ツ總理大臣 陸 海軍大臣江送付セリ明治廿七年六月三日起草同 〃 年〃月四日発遣 大鳥公使ニ公布ス大臣「宗光」花押 次官【林董】政務局【栗野愼一郎】 通商局【原敬】 朝鮮駐剳 大鳥特命全権公使 陸奥外務大臣 今般…

混成旅団参謀報告、混成旅団秘報 1894.7.18~20

第七号 七月二十六日到着 混成旅団参謀報告 参謀長 岡外史 七月十八日 昨十七日は近来の出来事多き日にして、撤夜多忙を極めたり。 1 英国公使館護衛の為め士官五名、水兵二十名 入京するとの通知に接したり。一昨十七日、代理公使の我幕営に暴れ込みたるは…

特命全権公使 大鳥圭介発 外務大臣 陸奥宗光宛 事変後大闕内ノ模様 内政改革ノ進行并 外交上ノ変更 1894.7.27

廿七年八月四日接受 主管 政務局【加藤】 通商局【原敬】【陸奥】 機密受第一一八五號 機密第一八三號 本八〇 事変後大闕内ノ模様 内政改革ノ進行 并 外交上ノ変更 本月二十三日事変後 引續キ我兵ハ王宮ヲ守衛シ 宮門ノ出入ヲ監督シ 本舘ヨリ發附シタル門票…

1894年朝鮮内政干渉・王宮襲撃関連文書まとめ 1894.7.10~8.30

《1894年朝鮮内政干渉・王宮襲撃関連文書まとめ》 機密 受 第一〇九号 大臣 次官 閲二十七年七月十七日接受 主管 政務局【栗野慎一郎】 機密 第一二二号 本七一朝鮮内政改革の勧告拒絶されたる時我が執るべき手段に付伺 朝鮮政府に向て内政改革案提出の顚末…

混成旅団報告第18号 1894.7.27

【原書消滅の虞あるを以て浄書す。原書は末尾にあり。】 八月六日着 混成旅団報告 第十八号 報告 七月二十七日午後二時 於 振威県舞鳳楼 一、本月二十五日、竜山を発し黒川県西南に露営す。病者なし。 二、同二十六日午前四時発、水源府に進み午前十二時着、…

「折角かくのごとき大兵を御派遣相成り候ふ以上は、何とぞ更に一層有益なる目的にこれを御使用相成りたきものと存じ候ふ。しかして更に一層有益なる目的とは他なし、当朝鮮国をもつて我が日本帝国の保護国となすことに御座候ふ。」 在京城二等領事 内田定槌より外務大臣 陸奥宗光あて 対韓政策に関し意見上申の件 1894.6.26

大臣 花押〈光〉 次官【林董】【機密受第八九〇号】 二十年七月三日接受 主幹 通商局【原敬】 政務局 稟義 機密第二十六号 対韓政策に関し意見上申の件 我が帝国政府が当朝鮮国に対する政略上の件に関し小官において喋々意見を上申するは、いささか職務外に…

朝鮮内政干渉・王宮占領・日清戦争 電報集 1894.6.11~6.18

Mutsu Tokio Have seen your telegram of 六月十日 to 杉村 about the departure of Japanese soldiers; 京城 is quiet; no change of the state of affairs about rebels. Do not dispatch the remaining battalions until further telegram, but let them …

朝鮮内政干渉・王宮占領・日清戦争 文書まとめ 1894.6.13~8.13

大臣 花押〈光〉 次官 印【林董】 政務局 印【栗野愼一郎】電送第一九四号 Otori, Seoul It may be necessary to leave a small detachment of troops at 仁川, but as has been stated in my telegram the morning 六月十三日 it is advisable to make entr…

朝鮮内政干渉・王宮占領・日清戦争 電報集 1984.6.18~7.12

花押〈光〉 花押〈董〉 花押〈慎〉電受第二六六号 142 wds 【佐藤愛麿】 Mutsu, Tokio. Entering into 京城 have found the state of affairs very different from what expected at the time of departure. Chinese soldiers were not present at 京城; reb…

「この際、是非とも支那と一衝突を興し、之を打破したる後にあらざる已上は内政改革の目的、充分貫徹するを得ざるべしと思考いたし候へども、日清両兵の衝突は容易に招き難く、依て内政改革を先きにし、もしこれがため日清の衝突を促さば僥倖なりと」 特命全権公使 大鳥圭介発 外務大臣 陸奥宗光宛 書簡 1894.6.28

大臣 花押〈光〉 次官 印【林董】 機密受第九一〇号 二十七年七月五日接受 政務局 稟義 通商局 印【原敬】 機密第百十号 本六五 朝鮮属邦説を排斥し ならびに内政改革断行手続につき上申 昨二十七日加藤書記官着仁、本日午前入京候につき、委細御訓令の趣承…

“reform will [not] be made as long as Corea is under the influence of China.” “May I take such steps as I deem necessary to contradict the above proclamation even by force? Answer immediately.” 大鳥圭介特命全権公使発 陸奥宗光外務大臣宛 1894.6.26

大臣【陸奥】 次官【林董】政務局【栗野愼一郎】 通商局【印】電受第三一七号 83wds Mutsu, Tokio. 11. 加藤 not having arrived, I have not yet officially communicated to the Corean Government proposition mentioned in your telegram; but after pri…

「支那を圧倒し朝鮮を我が威力の下に置くに非ざれば、到底、有効の改革を遂ぐること能はざることを確信するが故に」「朝鮮政府に於て自力を以て清兵を追出すこと能はざる場合には、我に於て自ら其の事に任ぜざる得ず。」「朝鮮政府に於て其の属邦なることを認むると返答せば、我兵を以て直ちに王宮を囲み」 大鳥圭介特命全権公使発 陸奥宗光外務大臣宛 電報 1894.6 .29

大臣 印【陸奥】 次官 印【林董】 電受第三二七号 216 wds Mutsu Tokio 12. 加藤 arrived morning 六月廿八日 and I have been reported fully your instructions; being firmly convinced that no effectual reform could be made unless China trampled do…

“We may with every reason on our part drive out Chinese soldiers by force. May I resort to such energetic measures if after all amicable arrangement cannot be reached without impairing our dignity? Answer immediately.” 大鳥圭介特命全権公使発 陸奥宗光外務大臣宛 電報 1894.6.18

花押〈光〉 花押〈董〉 花押〈慎〉電受第二六六号 142wds 【佐藤愛麿】 Mutsu, Tokio. Entering into 京城 have found the state of affairs very different from what expected at the time of departure. Chinese soldiers were not present at 京城; rebe…

「盛字軍の六営は今朝、新城にて乗船の筈。運送船6艘は該地と太沽にあり、上陸地は大洞江に違ひなきが如し。」 参謀総長発 大島少将宛 電報 1894.7.20

サツ24号 7月20午後6時 参謀総長 大島少将 盛字軍の六営は今朝、新城にて乗船の筈。運送船6艘は該地と太沽にあり、上陸地は大洞江に違ひなきが如し。 サツ二十四号 七月二十日午後六時 参謀總長 大島少將 盛字軍ノ六營ハ今朝 新城ニテ乗船ノ筈 運送船…