Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

「敵兵の霊を弔ひ、戦線〝地蔵流し〟 御坊部隊長の慈悲心」「要するにこの大戦争を人類最高の聖戦として浄化しなくてはならないのです」 東京朝日新聞 1937.10.18

敵兵の霊を弔ひ
戦線〝地蔵流し〟
御坊部隊長の慈悲心

○○にて斎藤(一)河村両特派員18時日発】18日の夕暮、○○クリークの畔で記者は珍しい行事を営む十数名の兵隊さん達に出会した。軍服に袈裟をかけ珠数をつまぐる隊長のまわりに、十数名の兵隊さんたちが口々に念仏を唱えながら、小さな紙切をクリークに流しているのである。ズラリと列んだ○砲がさっきから天地を揺るがして物凄く咆哮を続けているのだ。

臼井部隊の高橋宥□少尉は東京市下谷区谷中初音町1の23、真言宗観智院住職である。高橋少尉は事変勃発とともに法衣を脱ぎ捨て出征したが、同少尉の行李の中には百万体の延命地蔵御影が入っていた。そして臼井部隊の全員に配布し、大砲一発を発射する毎に御影一枚宛を積ませ、一日分をまとめては毎日河に流させるのだ。

事変以来、一日も欠かさず続けられている、この法事のいわれを高橋少尉は次のごとく語るのであった。

われわれは毎日、敵陣目がけて○砲を打っ放している。どかんと一発行く度に幾人かの支那兵が吹き飛ばされ、死んで行くのだ。一体、仏教は蟻一匹を殺しても地獄に墜ちるとあるほど慈悲の教えであるが 、われわれは明けても暮れても物凄い人殺しをやってのけている。しかしこれを可哀そうだとか無慚だとか感ずる上に、御仏の大慈悲があることを知らねばならぬ。これは死んで行く支那兵の霊に隊し阿弥陀さまの加護を祈る心からであって、部隊長もよく私の気持を理解して、毎夕のこの法事にも参加してくれております。要するにこの大戦争を人類最高の聖戦として浄化しなくてはならないのです。

なほ高橋氏には妻愛子さん(26)、長男隆蔵君(2才)があり、栃木県の出身。□山中学から□山大学に進み卒業している。【写真は高橋少尉】

 

[東京朝日新聞、1937年10月20日付。○は原文の伏せ字、□は未判読の文字]

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敵兵の靈を弔ひ
戰線〝地藏流し〟
御坊部隊長の慈悲心

○○にて齋藤(一) 河村 兩特派員 十八日發】十八日の夕暮 ○○クリークの畔で記者は珍しい行事を營む十數名の兵隊さん達に出會した、軍服に袈裟をかけ珠數をつまぐる隊長の周りに十數名の兵隊さん達が口々に念佛を唱へながら小さな紙切をクリークに流してゐるのである、ズラリと列んだ○砲がさつきから天地を搖がして物凄く咆哮を續けてゐるのだ

臼井部隊の高橋宥□少尉は 東京市下谷區谷中初音町一ノ二三 眞言宗觀智院住職である、高橋少尉は事變勃發と共に法衣を脱ぎ捨て出征したが 同少尉の行李の中には百萬體の延命地藏御影が入つてゐた、そして臼井部隊の全員に配布し 大砲一發を發射する毎に御影一枚宛を積ませ、一日分をまとめては毎日河に流させるのだ

事變以來 一日も欠かさず續けられてゐる、この法事の謂はれを 高橋少尉は次の如く語るのであつた

吾々は毎日 敵陣目がけて○砲を打つ放して居る、どかんと一發行く度に幾人かの支那兵が吹飛ばされ死んで行くのだ 一體 佛敎は蟻一匹を殺しても地獄に墜ちるとある程 慈悲の敎へであるが 吾々は明けても暮れても物凄い人殺しをやつて退けて居る、然しこれを可哀さうだとか無慚だとか感ずる上に御佛の大慈悲があることを知らねばならぬ、これは死んで行く支那兵の靈に對し阿彌陀さまの加護を祈る心からであつて部隊長もよく私の氣持を理解して毎夕のこの法事にも參加してくれて居ります、要するにこの大戰爭を人類最高の聖戰として淨化しなくてはならないのです

なほ高橋氏には妻愛子さん(二六)長男隆藏君(二才)があり栃木縣の出身、□山中學から□山大學に進み卒業してゐる【写真は高橋少尉】

 

[東京朝日新聞、1937年10月20日付。○は原文の伏せ字、□は未判読の文字]

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