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【工事中】【新漢字ひらがな】上海派遣軍参謀部 第1課長 西原一策『作戦日誌』 1937.8.11~1938.2.13

Ⅰ(秘)

 作戦日誌  自8月11日

      至2月18日

         西原大佐

 

11/7[7月11日] 盧溝橋事件に関する情報

一、動員第2日2万トン、3日3万、7日~16日4万トン、計45万トン中央部にて集む。

一、各次官は了解済み。外務大臣不在。

一、軍需品は大沽または天津に終結

一、事件処理要項~一兵団を山東方面より上陸せしむること必要。

一、北平城内に参謀長と歩兵1中隊、居留民約二千名、参謀長は城外に出んことを企図しあり。

 居留民は領事館区域に集むる筈。

一、新聞班へ星、遠藤少佐、加藤大尉を。(沖、寺尾、倉橋は戦時職務あり。)

一、4時、閣議決定関東軍部隊飲の出動決裁。

 

一、上陸点

一、劉河鎮西方地区の道路、水流、作物の関係

一、海軍陸戦隊の配備。

公大飛行場。

 

     事変に関する作戦日誌

8月9日午後6時半、大山海軍中尉、虹口飛行場付近にて銃殺せらる。

8月13日、陸上戦闘起こる。

8月14日午前 、敵十数機襲撃し来たる。

同日午後、我が艦上機杭州および広徳飛行場を爆撃。

台北の飛行機これに参加す。

8月15日、大村飛行隊出動す。

 

一、8月11日午前、軍作戦主任参謀の内命を受け、作戦の概要の内示を承知す。

一、12日、作戦計画案を受領し、約十日間の予定をもつて上海付近に出張を命ぜらる。

夜11時、東京出発、長崎に向ふこととす。

教総二神少佐(3D増加参謀要員)を同伴す。

夕刻、参謀本部より電話あり。明夜、海軍飛行艇にて出発せられたき旨。

一、13日夜8時半、自動車にて出発せんとするや、第3課西村少佐来宅。

1. 海軍の呉淞附近の占領、絶対に必要なること、および此次陸軍作戦の至難なることを第三艦隊に知らしむること、また混成旅団程度のものを上陸に注ぎ込む消極策さることを通知す。

(梅津次官の一案)
一、第3艦隊司令長官、長谷川中将よりの電報により、12日夜11時、四相会議あり、米内海相より陸軍の動員を懇請せられ、杉山陸相、同意を与ふ。

一、13日夜9時20分、閣議にて[第]3、11、14[師団]の動員を決す。

 

    6[→8]月13日、14日、15日

一、午前8時半、自動車にて自宅出発。二神少佐(川上歩中佐同乗)同伴、 横浜航空隊に至り、10時、飛行艇にて軍令部藤田大佐、木坂少佐ととも佐世保に向かふ。高度約四千、寒し。

午後4時着、5時半、駆逐艦「望月」にて出帆。十時頃より台風に遭ふ。2昼夜、食はず飲まず。

[台風の進行と航路の図 略]

危険なる難行[→航?]を続く。無線故障。上海にては、沈没せりと思へりとのことなり。

【上海方面に砲声殷々たり】15日午後7時、黄浦江着。第8戦隊は市政府を砲撃中なり。

一、同時、呉淞沖を強行通過す。右舷200mの河岸には敵散兵壕内に鉄兜を見る。

一、8時、上海着。10時、「出雲」([第]三[艦隊]旗艦)に至り司令[長]官その他に挨拶す。

一、11時より東和洋行にて喜多少将その他と協議す。午前2時就寝、四辺静かなり。

 

    6[→8]月16日

一、払暁以来、銃砲声熾んなり。10時より出雲にて陸海軍協定を行ふ。

 第3艦隊にて呉淞附近の占領は不可能なりとし、不調。その他は中央協定に異存なし。一旦知?る。会議中、敵7機より領事館付近に7爆弾落つ。

【街路に3支那人死しあり。破片、東和洋行にも来たり。[木?]坂少佐、頬に負傷す。】

一、午後4時、駆逐艦「鴻」にて現地偵察に赴く。河岸の情況は2万5千分[の]1地図上にあり。

一、午後8時、帰来す。敵の重砲射撃、熾んなり。

一、この夜、敵の夜襲あり。北方正面の一部を奪取せらる。

 また中央部を突破せられ、在郷軍人50名をこれに手当てし、事なきを得たり。

 

    6[→8]月17日

一、この日、敵ノ空襲、数回あり。

一、午前10時、「出雲」に至る。幕僚の気色宜しからず。

 午後5時、英長官来艦、共同租界警察官半数撤退の申し入れあり。海軍は予備隊をもつてこ方面十数条の道路を占領せしむ。

一、陸軍部隊の派遣方、小生より打電す。

一、終日、銃砲声あり。

 

    6[→8]月18日

一、前9時、木坂参謀来訪。本日、陸戦隊約二千名到着すべきに付き協定をなしたし。成るべく早く来艦せらるたしと。

一、10時半、出雲に到る。

一、陸戦隊1大隊を駆逐艦3隻に乗せ、これに歩兵中隊を合し、残存する桟橋より上陸することに協定す。

 

    8月20日

一、終日、出雲にて協定す。

 2回爆撃せらる。夕、公大沖に移る。砲弾近所?に落つ。

 軍艦へ□る。虫が知らせたのか。

 3Dは援護隊を商船に乗せる(桟橋焼却せられたるため。

 

    8月21日

一、夜、東和洋行斜右前30mの家に30kgの爆弾落ち、12名(1死)死傷す。小官の室も硝子にて滅茶〱なり。

 終日 3Fと協議す。日清汽船3隻に歩兵二千四百名 陸戦隊六百名を同時に岸壁に上陸せしむる様、海軍の提議あり、二神参謀もこれに同意なりしが、主力がいきなり上陸することは危険でもあり、舩の損傷をも考へ反対し、陸戦隊六百名に歩[兵第]68[連隊]のⅡ[第2大隊]の1[個]中[隊]、MG[機関銃]1[個]小隊を加へたるものを最初に、次に1[個]大隊を3駆逐艦に、更に2大隊を3駆逐艦に、最後に歩2中[隊]、砲2中[隊]を□[符号:司令部]と共に上陸せしむるに決す。

 

    8月22日

 午前3時、馬鞍島に着、「足柄」に軍司令官に訪ふ。

 直ちに会議を開く。全員 11Dの上陸後、3Dを上陸せしむる案なりしも、小生は岸壁上陸の可能性、敵軍の素質、3Dの海上能力、直前計画変更の不可を述べ反対し、軍司令官これを是認せらる。

 

 [表]

 參謀部第1課業務   昭12.8.16.

氏名/業務

西原課長 代理 芳村参謀/

 1.作戦計画の立案、作戦指導ならびに

   作戦命令の起案

 2.第1課の統制

芳村参謀 代理 川上参謀/

 1.西原課長の補佐

 2.陸海軍協同作戦ならびに作戦輸送に

   関する事項

 3.教育に関する事項

 4.機密作戦日誌(副)

川上参謀 代理 芳村参謀/

 1.西原課長の補佐

 2.作戦に関する通報·報告の起案

 3.航空ニに関する事項(副)

 4.機密作戦日誌の記載(主)

光成参謀 代理 芳村参謀/

 1.航空に関する事項(主)

 2.海軍航空隊との協同に関する事項

 /兼 第3艦隊参謀

二神参謀 代理 川上参謀/

 1.作戦に関する命令·通報·報告発受領

 2.第3師団へ兼務

 3.陣中日誌の記載、戦時旬報および月報の

   記載(主)

松田海軍参謀/陸海軍協同に関する事項

部付 鈴木(砲)中佐/

 1.二神参謀の補佐

 2.砲兵に関する事項

 3.作戦経過一覧図調製

 4.陣中日誌ノ記載(副)

部付 鴨沢(工)少佐/

 1.芳村参謀の補佐

 2.交通および築城に関する事項

 3.第3課兼務

部付 金原(工)少佐/

 1.川上参謀の補佐

 2.瓦斯[ガス]に関する事項

 3.戦時旬報および月報の記載(副)

 4.第3課兼務

部付 押目(航)大尉/

 1.光成参謀の補佐

 2.航空偵[察]に関する事項(海軍飛行隊に依る)

 3.第3課兼務

部付 関口大尉/

 1.西原課長附属業務

 2.第1課庶務

 3.書類の整理·保管

 

【上陸戦闘】

    8月23日

 3Dは予定のごとく3時13分より上陸開始、11Dは遅れて2時が4時半となる(配船遅る)。前者は死傷120[名]、後者は42名を出したり。

 11D司令部は夜9時半、空爆を受け、下坂参謀、暗号掛将校戦死し、師団の志気阻喪す。 また本夜、敵の夜間攻撃を受け、友軍相撃ちの疑ひあり(便衣隊)。 爆撃のため信号をなす敵兵の沈勇は嘆賞に値す。

 11Dは夕刻、堤防の線に取り付く。

 Ⅱ/68[歩兵第68連隊第2大隊]長、矢住少佐戦死す。下坂11D参謀同上。

 

    8月24日

 第11師団の戦闘を指導するため「由良」は夜8時半、川沙鎮沖合に到る。11Dは攻撃前進中なり。

【揚陸作業隊長は計画者は駄目。運輸部の経験験あるものを充当せざるべからず。】

 第2次輸送駆逐艦五時到着(24日夜)せしも、揚陸作業隊睡眠し、船は陸に上り揚陸出来ず。海軍側の不平多し。作業隊長を海軍側指揮官の隷下に入れるごとく要求し来たれり。弾薬、糧秣のみを揚陸し、他は呉淞に揚陸することとせり。海軍側にも色々手落ちあるがごとし。

 44iノ Ⅱ は朱家宅(羅店鎭北方)ぬおいて五、六百の敵に包囲せられ(便衣隊の疑ひあり)たるも、これを撃退せり。この師団は補給困難を極む。支那式一輪車が便利なり。リヤカーも駄目なり。

 嘉定攻撃の軍命令を起草せしも、時機尚早と思ひ、小官自らこれを撤回囬したり。

 

    8月25日

 夜8時半、11Dは羅店鎮を占領し、一部をもつて劉家行に敵を追撃中なるの報告に接したるも、次いで、未だこれを占領しあらず、敵は家屋防御をなしあるをもつて飛行機の爆撃を要求し来たれり。

参謀総長より上陸作戦成功の祝電来たる。】

 嘉定攻撃の軍命令を9時、11Dに与ふ。

 呉淞鎮西北端に敵の迫爆砲あり。3Dは之が爆撃を要求し来たれり。揚子江口、福州、厦門、仙頭の平時封鎖を3Fより発令せらる。

 後五時、大西兼勤参謀より電報あり、上海上陸隊正面の敵は昨24日夜より後退しつつあり、3Dは万難を排し江湾鎮方向に突進し、敵の退路に迫るを要す。然るに昨夜電報せし3D充足人馬の運送船が誤つて川沙鎮方面に廻送せられありしため、3Dを出す能はず、軍司令官また慎重を期すべき御意見にて、単に情報を3Dに通報するに止めたり。

 ライター廻送のため芳村中佐を「出雲」に派遣す。

 呉淞鎮を攻略せば二神参謀を軍に復帰せしむべく電報す。

 正午頃、11Dは劉家鎮、羅店鎮を占領したり(前報告は誤りなるごとし)。

 新軍動員下令の通報あり。

 

    8月 26日

【呉淞鎮攻略の経緯】

 午前11時30分、羅店鎮および劉家鎮、未だ占領せずとの報告あり。

 呉淞鎮攻略のため、11Dの一部を楊行鎮方面より進むる案を参謀長と協議の上、司令官に上申せしも、軍の根本方針を変更することとなり、また3Dに一度命令せしことなれば、飽くまで3Dに攻撃せしむべしとの断案を下さる。これがため芳村参謀を3Dに派遣す。夕刻、二神参謀来艦し、師団の苦衷を訴へ、河岸の方より船による3D兵の上陸は不可能なる旨を訴べしをもつて、方法は師団に委すも、同地の攻略は軍将来のため絶対ぬ必要なることを述べ、帰らしむ。

 田尻参謀長は、流涕、師団の苦痛を芳村に伝えたりとのことなり。

 大臣より上陸作戦成功の祝電来たる。

 

    8月27日

 3D長より「周家宅方面より呉淞鎮攻撃の準備中。乞御安心」の報告あり。

 前10時頃、3Dの左翼は東章家巷占領の報あり。26日までの当師団の死傷、約800(死136)。

 統制上の所感

 無線機遅し。D司令部には防空機関(MGまたは40mm高角砲)を必要とす。人夫の必要(11D)。

 午後2時、殷行鎮(3D左翼)占領の海軍通報あり。

 乗船区分表不明のため折角、輸送船、黄浦江口に着しながら、揚陸地に至らしめ得ず。通報を打電せしも返事なし。午後2時、3Dの左翼、殷行鎮に進出す。

【小尾参謀来艦ス】

 後9時、小尾参謀来艦、嘉定攻撃の困難を訴へしも、断乎これを排撃す。24日、工兵2小隊(30名)は早くも羅店鎮西北三叉路に進出し、敵自動車を捕へ、その積載せる砲弾をクリークに投ずる等の行動をなせしも、衆寡敵せず准尉以下8名退却、他は生死不明なり。このとき同時に派遣せられたる44i[歩兵第44連隊]の1[個]大隊、近傍にありしに増援せざりしは不可解。あるいはこの大隊ハ、一旦、同時[→所]を占領し、撃退せらるたるにあらざるか。

 

[綴じ込み別図]

第3師団方面態勢要図(8月27日午後3時における)[略]

 

    8月28日  晴

 爆撃の効果を利用し、11D主力は羅店鎭を8時10分攻撃、前進に移れり、焼夷弾の必要を痛感せしも、現物なきは遺憾なり。前11時、3Dより、昨夜、敵の2〜3大隊、呉淞鎭およびクリーク北岸の陣地に増加せりとの情報あり。

 午後1時、羅店鎭の敵は大場鎮に退却中(1時40分、下山少佐偵察)。12時半、押目大尉、劉家鎮爆撃中、臀部に銃弾を受く。数日間療養を要す。後3時、11Dより報告あり、正午、羅店鎭を占領。敵は西方および劉家行に退却す。Dは一部をもつて追撃中。

 芳村参謀、五時、3Dより帰還。3Dの門?字宅方面よりする攻撃を中止し、河岸よりする攻撃を計画中、しかも余り自信なき旨を聴取し、11Dの有力なる步砲をもつて29日より呉淞鎮攻撃の意見具申をなせしも、[上余白:司令官の武士道]3D長の面目を憂慮せられ、3Dの攻撃実施の時、陸上より11Dをして協力せしむべき折衷案を司令官採用せられたり。

 よつて11Dに準備だけを参謀長より打電す。

 羅店鎮の兵力67師の4団(11D報告)なるも、突入直後、飛行機よりの報告によれば多くも三百なりと。

【陣地に突入前、敵は退却したるものなり。(飛行機、下山)】

 

    8月29日  晴

 「由良」川沙口方面に移動す。8時24分、日の丸の標識を有する飛行機3、11D司令部に爆弾を投下せり。

 夜の戦闘において步6長倉新?[→倉永辰治]大佐、戦死す。

 3Dの呉淞鎭攻撃の遅延は、同地の上陸益々困難となるをもつて (船員数名負傷)11Dより歩[兵]4[個]大[隊]、山砲[兵]2[個]中[隊]をもつて楊行鎭鎮、月浦鎮方面より攻撃する案を立てしも、連絡より帰りし川上参謀の報告に依により、31日前10時、上陸を開始するの報に接し、步砲の有力部隊をもつてこれにむ協力せしめ、呉淞砲台、宝山り掃蕩をも行はしむろことに決し、軍司令官の決済を経、各々打電する所あり。

 

    8月30日  晴

 劉家鎮支隊を歩[兵]1[個]大[隊]、歩[兵]砲1小[隊]、騎[兵]1小[隊]として、西塘湾~双草~双美橋?に後退の線に後退せり。(東方の赤線路を開放せしは不可解。)3Dへの協力部隊は歩43の第2大隊(浅間少佐)山砲1中隊なり(軍の有力なる步砲兵云々の命令には合せず、協同精神の欠如ーを思はしむ。) 桜井少佐、十時半到着。)緑筒の使用は海軍および居留民に対する報復手段の虞れあり、海軍より使用方見合せの請求ありたるをもつて、これが使用を禁ずることとせり。

 

[綴じ込み別図]

 第11師団方面彼我態勢要図

 (8月30日正午頃における)[略]

 

    8月31日  晴

 11Dより報告あり、右協力部隊は浅間連隊(1大[隊]欠)なることを知る。計画のごとく9時半より海軍の爆撃および空爆に次ぎ、10時より主力をもつて河岸より、一部をもつて(台車により)鉄道橋より突入、上陸に成功す。午前11時、金家宅付近に進出す。浅間支隊の状況不明。敵の北方軍は陳誠、南方軍は張治中指揮すとの諜報あり。

【輸送区分ノ所見】

 毛布その他、不必要の荷物多く、軍無線、弾薬の遅きは状況に合せず。建築材料は宇品に還送せしむ。

 午後5時、浅間支隊の状況不明。後11時半、11Dより報告あり。この支隊は午後四時、獅子林砲台西方2kmの敵を撃退し東進す。(遅きを驚くべし。軍命令違反なり。)

 西瓜に細菌を注射せりとの諜報あり、第一線に伝ふ。

 5[個]師団の軍とする軍司令官の意見具申、および[第]14師団の取り敢へずの増派(長中佐の意見)には不同意なりしも、打電することとたなれり。

 

    9月1日  晴

 増派に関し不同意の参謀次長の電あり。

 11Dは昨日夜五時、敵の逆襲を撃退すとの報告あり。

 14Dの増派は、桜井少佐が西村歩[兵]少佐より、中央にその意図ありとの報に基づき、司令部内にこれが要求の希望起りしものなり。歩[兵第]29旅([歩兵第]34[連隊]欠)夜、黄浦江沖に着、□[記号:連隊司令部]の指揮する歩[兵]4[個]大[隊]、K1[個]小隊、野砲[兵]1[個]大[隊]、工[兵]1[個]小隊1/3Sをもつて月浦鎮を経て11D正面の敵の右翼を攻撃せしむべく意見具申せしも不採用。29iBを3D長の隷下に入れ楊行鎮攻略の司令官の意図を内示す。[歩兵第]68[連隊]の戦力は大にして、[歩兵第]6i[連隊]は劣るとのことなり。

 午後4時、浅間支隊は獅子林砲台を占領し、鷹森部隊は呉淞砲台南端を占領す。天谷支隊は軍に復帰せいめらる。その用法は、月浦鎮方面より11Dの敵の背後に迫らしむるを主張し、採用せらる。

 

[綴じ込み別図]

 第3師団方面彼我態勢要図

 (於8月31日午後4時45分)[略]

 

    9月2日  晴

【呉淞占領、[歩兵第]68i[連隊]】

【晴天続きは天祐なり】

 夜、11Dは(9時半)呉淞砲台を占領し、宝山城南側に進出す。浅間支隊は10[時]半、獅子林砲台出発、河岸道を南進す。午前九時、幕僚会議を開く。長中佐の意見は、敵ノ兵力および素質に鑑み、羅店鎮をも放棄して上海北方を狹く占領し、陣地戦を準備すべしと主張し、小官これに反対す。

 3Dに、29iB上陸後、楊行鎮の占領に関する命令を下達ス。(正午)

 夕刻までに11Dは宝山東南側~尤家宅の線に進出し、宝山城を攻撃せず[ママ]。浅間支隊の状況、変化なし。

 

    9月3日  晴

 8時、天谷支隊長来艦、軍命令を交付、必要の指示を与ふ。正午、浅間支隊は馬路塘の線に進出す。

 公大飛行場攻撃に3Dが歩2中、砲1中、工1小、戦車1小だけより充当せずとて、海軍側不満なり。大西、光成両参謀来艦、苦情を述べたり。要は軍トと師団との右攻撃の必要性感に差ふるがためにして、軍としても責任の一部を負ふべく、師団师団としても軍命令の尊重に欠くる所なり。2時、3Dは宝山攻撃に[→を]開始する筈。(D命令)今回の上陸作戦は全く敵地における作戦にして、満洲、北支と趣を異にし、支那人の便役等、全く胸算し得ず。11Dの希望は天谷支隊を川沙鎮方面に上陸せしむるにあるも、陳誠の精鋭11、14師に一度打撃を与ふること必要なると、また11Dの志気を昂揚せしむるためにもこれまた必要と考へ、月浦鎮に進むることとせり。11D、3Dともに志気旺盛なりと云ふを得ず、進んで軍命令の任務を積極的に解決せんといる意気なきは遺憾なり。

【天谷支隊、13日間 舩内生活、水ノ保有量につき注意を要す。】

 宝山は単に砲撃したるのみにして、歩兵の攻撃を実施せず。明4日も本日と同様の手形?を施したしとて、宣電ビラを一工兵将校持参せしも、軍司令官の同意する所とならず参謀長より攻撃すべく田尻参謀長へ連絡す。西村航少佐、連絡のため来艦す。

 

    9月4日  晴

 天谷支隊参謀吉津少佐、連絡のため来艦。

 宝山攻撃の遅緩に鑑み、藤田部隊は速やかに宝山城を攻撃すべしとの軍命令を発せらる。吉津参謀を陸上より浅間支隊に派遣す。同支隊は沙竜口に達しあらず。その北方、陳家店付近において敵に包囲せられ、1大隊長戦死、1大隊長負傷。山法弾薬なし。よつて本日中に弾薬を江上より補充する処置を取る。

 

    9月5日  晴

【作戦計画一部ノ変更。6日、天谷支隊は隊伍整頓に費す。】

 午前7時より宝山方向に銃砲声熾んなり。天谷支隊の攻撃前進は午後2時、3Dの一部は金家宅を占領せしも、その南方橋架東側は、敵これを占領し頑強に抵抗し、遂に奪取するに至らず。藤沢11D参謀来艦、本日午前、軍司令官の承認を経たる大場攻撃の内意を内示し、嘉定攻撃の□痛?を軽減したり。

【7日、天谷支隊、午后1時半攻撃前進、支隊長は敗け戦と思へり(五時)】

 

    9月6日  晴

 午前9時、宝山攻撃始まる。15臼砲の威力大なるも、これをもつて城の東南角を破壊せんとしつつあるは如何かと思ふ。寧ろ野砲の直射弾を以てするを可とせん。

 公大の飯田大隊も本夜より攻撃を開始す。砲声聞こゆ。天谷支隊(安達連隊)は西門大街の線より攻撃前進を起こす。藤田部隊は四塘橋クリークの線に昨5日、進出せり(午後6時)。

【教訓】

 クリーク地帯の前進は疎開とせず一本縦隊とし、敵に近く横広隊形を取るを可とす。敵兵なきにおいてしかり。

 最初より横広隊形をもつてするときは支離滅裂となる。

 宝山城攻撃において我が戦車に手擲弾を投げる支那兵には感心せり。この戦車3両の進出は遅きを見る。

【宝山城占領】

 前10時20分、鷹森部隊は宝山城を占領す。(1大隊、戦車1中、臼砲1大隊、1門20発以内と指定す。)

 天谷支隊25榴1連隊(1大隊)を配属す。臼砲一中を呉淞鎮北方に布陣、浦東地区の迫撃砲制圧の準備をなさしむ。

藤沢参謀より浅間支隊に、獅子林台砲台より余り南進して友軍相撃ちをせざる様との命を与へたりと聞く(副長室)。後2時、天谷支隊は妙家宅、周家宅、呉家上楼の線に進出せり。夕刻までに泗塘橋以北のクリークの線に進出する予定。周家宅西南無名部隊[→落]において俘虜600ありしも、敵意を有せしため、全部射殺せりと。

 飯田大隊も計画のごとく進捗す。ただし虹口桟橋の一中隊ははね返され、大発にて北方より上陸、攻撃前進す。

【水田干涸ノ理由】

 農民逃避のためクリークの水を揚ぐるものなく、炎天下に水田干涸するに至りしものなり。

 

   9月7日  晴

 前3時、由良の50m位の水中に敵の爆弾落下、水兵2名負傷す。

 天谷支隊、上野部隊ともに第一線を進出せしむ。飯田大隊の攻撃はやや困難を感ずるも、攻撃に自信なきにあらず。

 3Dより迫撃砲配属の希望あり(電話)。

 午後6時、軍司令部は輸送船瑞穂丸に移乗し、陣地に横付となす。高射砲照空隊に命令を与ふ。

 

[綴じ込み別図」

第一課

 上海派遣軍方面敵師号、系統、兵力一覽表

               参謀部 第二課

 

    10月10日   雨

 9時、水産学校を出て、午後3時、楊家宅西端、新軍司令部に移る。途中、道路の泥濘、名状すべからず、シルコの中を歩むがごとし。午後5時、13Dの主力を以て新木橋以南の敵陣地攻撃に関する命令を与ふ。11Dの進出遅れたるため、止むを得ず13Dを使用したるなり。志気衰へたる時の軍指令に「速やかに」とか「準備出来次第」とかの文句を用ふるときは何とか彼とか理屈を付けて発動を遅らすものなり。日時を明確に示すを要す。

 

    10月11日  曇、午後晴

 第2二兵站司令部と谷川支隊との戦闘争および捜索地境を示す。また後備大隊をして姚家湾(含まず)以東の守備を撤し金家宅以東を守備せしめ、101Dの負担を軽減せしむ。101長、加納治雄大佐、小宅において戦死。一時間前、参謀長への報告を読む。壮烈を極む。小部隊を遠く東方に分離、渡河せしめたるため、抜き差しならぬ羽目に陥りたるものなり。11Dハ本払暁攻撃開始の予定なりしも、左翼隊の攻撃準備遅れたるの理由をもつて12日払暁に延期したり。

 

    10月12日  晴

 連日の雨天のため補給および砲兵の展開遅れ、10月X日(13日)を、16日に延期せらる。内山少将より、砲兵がいくら射撃しても歩兵は前進せず、注意せられたしとの訴へあり。果して砲兵の射撃が歩兵の希望するごとき効果ありやも疑問なり。

[上余白:教訓。次に好実例あり。]下士官·兵がいかに勇敢なりとも小隊長·中隊長が良くなければ突撃力なし。青年将校の価値は絶大なり。

 補充員は、死傷者が出来て始めて内地を出初するのでは、第一線が一度伸びてしまふ、一度伸びると回復は仲々困難、否むしろ不可能に近い。(11Dが余り当師団に期待してくれるな。後備師団と同様位だから。)故に第一会戦前には既に戦場に到着しあるごとく補充せしむるの要がある。30榴、24榴ともに不発多し。原因調査中。13Dの補充、人二千、馬500は第一線に死傷者を出さざる11日、すでに呉淞に上陸せり。好着眼と云ふべし。(13Dは10日、始めて第一線に出でたるものたり。)この補充員は戦場訓練を充分行ふことを得べし。

 

    10月13日  晴

 戦線、全く変化なし。

 

    10月14日  晴

 戦線、全く変化なし。戦闘要報によれば敵前10mとか20mに近迫し突撃中なりしとの報告あるも、事実、戦線に何らの変化なし。 支那人式の報告にあらずんば幸いなり。

 夕刻二度、空襲あり、被害なし。

 

    10月15日  晴

 戦線、変化なし。軍司令官より戦線進展の方策なきやとの質問あり。小官は11Dを第二線とし、13Dの全力を第一線に出す意見を具申せるも、参謀長、長中佐の反対意見ありて、硏󠄀究を命ぜらる。作戦課長が二人も三人もありては、戦は甘く行くものにあらず。統帥は一本にて行きたきものなり。夜、四回、空襲あり、上海および公大方面に二十数度の爆弾投下中、四度は公大飛行場に命中、海軍機1焼失す。

 

    10月15日  晴

 午後1時出発、李家宅の9D司令部を訪ふ。意見、左のごとし。

1. 山砲弾、歩兵砲弾、MG弾、曳火手投弾を希望す。

2. 24Hが陳家行に十16発射撃せしも、二発だけ村落に命中し、他の一四発は水田中に落下す。

3. 陳家行の東側を占領せしも、手投弾に乏しきため撃退せらる。

4. 死傷三千以上に及ぶべし。

5. 軍所命の線に21までには進出することを誓ふ。

6. 13Dの右側進出を待つ。その山砲は9D重砲の後ろにあるは怪し。

嗇里付近、本道は極めて悪し。補修の必要あり。

後3時辞し、顧家宅の3D司令部に至る。

劉家行南方本道上に内山旅団の車馬あるは不可。

同司令部の意見、左のごとし。

1. 101Dの右翼を進めざれば重砲の推進に困る。

2. 黄宅にてコレラ患者出たり。

3. 全線攻撃作業を行ひあり。

後6時半、台湾爆撃機、軽9(1行衛不明)、重6、上?海?飛行場に到着す。

 

    10月16日  晴 ただし風強し

攻撃進捗せざる理由、

1. 我が方の戦力は逐日消耗す。

2. 敵は入れ替はり立ち代替はり交代するをもつて戦力同じ。

3. 陣地は逐日堅固となる。

4. 我が弾薬不十分なり。特に肉薄攻撃器においてしかり。

 

    10月17日  晴

 朝9時30分、3D左翼隊の右連隊(歩18)は葛家神桜宅を占領す。陳家行攻撃のため陸海軍機および24榴を協力せしむ。その結果、陳家行は東半部を占領すべき命令なりしも、全部を占領したり。24榴は村落に中れば良く破裂す。

 9Dは陸宅、姚宅、3Dは日堵宅東南無名部落、葛家神桜宅を奪取す。11Dの志気に鑑み、その任務に耐えざるため、主力を後方に集結せしめ、13Dをして新木橋以南、花家橋宅にわたる間の敵を攻撃せしむ、作戦地峡は各兵団の自ら作りたる道路、および現在ある部隊のため苦心多く、白紙にては想像出来ず。

【我軍撃退セラル】9Dの陳家行占領部隊は督戦隊の逆襲を受け、200m撃退せらる、現役部隊おいてこのことあり(101Dに2回、3Dの宝宅において1度あり)

 

    10月18日  晴

 前7時30分 3Dノ34iハ兪宅を占領せり。101参謀長を招致す。

 

    10月19日  晴

 6時、101は攻撃を開始し、曹宅北方の掩蔽部を奪取す。

 クリークの我方の岸内にMGを穴の中に入れ、渡河部隊を背後より射撃し、歩[兵第]22[連隊]の楊涇クリーク渡河の小部隊は全滅したり。[午]後一時半、3Dの34i[歩兵第34連隊]は黄宅を占領す。

 34iと44i[歩兵第44連隊]とは何も云はず黙々として命令を実行するの美風あり。

 師団においては9Dあるのみ。11Dは一番?理屈を述べ、しかも実行力に乏し。

 

    10月20日  晴

 9D司令部ヲ訪問せしとき、21日までには所命の線に進出し得と参謀長より明答ありしが、本日連絡の結果、総攻撃を月末に延されたしとの返辞あり、その理由は、22日上陸すべき補充員三千名の戦場訓練を終り、これを補充したる後、総攻撃を開始せんとする意向なり。よつて参謀長を慫慂し、9Dを訪ふこととなれり。9Dの意見は、21日到着すべき補充員の戦場訓練のため総攻撃は月末を要求せしも、全般の関係上、27日と決定せらる。

 

    10月21日  晴

 大島中佐来たる。昨20日、担架運搬中の主計の腹に15加全弾命中し、地中に入り爆発、全員即死す。爆撃および重砲の効果を利用し、13Dの右翼は新木橋を占領す。

【教訓】匍匐前進のため小銃、MG等は泥土のため使用し得ざるに至る。

 和知大佐来たる。 11D司令部の意気消沈、および楊涇クリークの線において攻撃せざる部隊ありしと。また最初軍が指定せし追撃目標の線は第一線には示さずして、師団の予定線のみを示したるとのことなり。 この際、一□に出したる情況なりしとのことなり。

 

    10月22日  晴

 午後2時、公平中佐、連絡のため来たる。第10軍の派遣に関する打合せなり。すでに決定事項なるをもつて軍としてかれこれ申すことなし。ただ方面軍幕僚につきては中央部御手盛りのそしりを受くることあるべし。参謀長は一人にて可なるべし。

 

    10月23日  晴

 27日の攻撃命令を起案す。9Dの第一線は急速に前進し、走馬塘クリークの線に進出す。

 

    10月24日  晴

 午前5時、長中佐より連絡あり。9Dの下士上等兵の斥候が走馬塘クリークを渡り(深さ60cm)、南に進出せしに、敵は西方に退却しつつあり、その俘虜の言により、督戦隊も居らぬとのことなり。長中佐は9Dの追撃を主張し、芳村中佐はこれに反対せり。午前7時、 飛行機の報告により、敵の部隊が西方真茹に退却中とのことにより、軍の総追撃を決し、軍司令官に報告し、部?署を決定せり。

 

    10月25日  晴

 戦況有利に発展し、大一線3兵団はともに前進せり。

 

    10月26日  晴

11D主力を9Dの右側に出し、小南翔~城?徨?𫞎~郭家宅~浪江橋の線に進出するごとく命令す。これ9Dの追撃を促進するとともに、あるいは南翔攻略の機会あるにあらずやとの希望に基づくものなり。武藤大佐着す。

 

    10月27日  晴

 南市封鎖の目的をもつて蘇州河の渡河命令を起案し軍司令官に報告せしも、第10軍にこちらを委し、まづ南翔を攻撃してはとの意見にして、一旦、研究するため引き下がる。

 南市封鎖は軍の本然の任務なるをもつて、第10軍に委すは適当ならず。また蘇州河も敵の準備完からざるに乗ずる機会もあるべく、再び意見を具申し採択せらる。武藤大佐来たる。北方へは11月11日、兵力を転用するごとく予定シしある旨、伝ふ。

 

    10月28日  晴

 3Dの追撃間、戦車は真茹に入りしが、友軍砲兵のため射たれ損傷を蒙る。

 追撃に引き続き蘇州河渡河を敢行するは良きチヤンスなりしも、第一線の疲労と、特に渡河材料を後方に残置せしため、実行は不可能なりしなり。

 

    10月29日  晴

 渡河の時機および方法打ち合はせのため、9Dおよひ3D司令部に到る。

 9Dは11月1日、3Dは10月31日にても可なりと云へり。

 両師団ともに成功の確信ありと答ふ。

 

    10月30日  晴

 軍の渡河命令を下せり。両師団の渡河開始の時機差あり、敵に各個撃破の能力なし。かつ渡河そを成るべく急ぐ必要あるをもつて、軍において渡河を統制するの要なく、また9Dは2日にあらざれば準備出来ざるをもつて、終期を11月2日として命令せり。

 13Dの終結は万一の場合、南翔方面の敵の逆襲に備へ、かつ同時に重藤支隊との交代を速やかならしめんがためなり。

【教訓】追撃間における歩砲の協同は出鱈目なり。将来、研究を要す。

 細見戦車大隊長の言によれば、追撃が一日早かりせば相当の効果ありしならんと。

 

    10月31日  雨

 3Dハ0時15分、渡河開始、1[個]中[隊]と1[個]小[対]は金家頭対岸に上陸せり(軽渡河材料)。歩[兵第]18[連隊]の渡河(中央正面)は230名なりしが、軽渡橋流され後継がず、ためにその後一兵も渡河せず。【教訓】説明を第一線まで伝へしため、敵を軽視したるに基因するものにして、大なる誤りなり。 

 

    11月1日  曇

 3D方面、渡河進捗せず、9Dは正午渡河開始、歩[兵第]19[連隊]の2[個]大[隊]は姚家宅、張家宅の線に進出す。説明など顧みず独力戦闘すれば、かくのごとく成功するものなり。歩18の渡河部隊中、200名ハ敵ノ側防火のため全滅し、旅団長片山理一郎は全部を渡岸に引き上ぐべしと云ひ、参謀長これを引き止めに旅団司令部に赴けりとか。昨夜、さらに一部をこれに注ぎ込み、また側防火制圧の手段を講ぜざりしは誤りなり。

 9Dの右翼隊たる5大隊は渡河に成功し、姚家宅、張家宅を占領す。けだし苑家宅南方は台地にして敵岸を瞰制し、歩砲の協同、良好に行はれたるをもつてなり。

 

    11月2日  晴 午后雨

 昨1日栢家宅軍司令部において時期作戦に関し武藤より作戦計画の説明あり。大体異存なきも、白茆口上陸兵団を崑山に向はしむるは不同意。常熟を占領せしむべきを主張し、軍司令官の同意を得たり。

 夜来、爆撃盛んなり。歩[兵第]34[連隊]ハ3[個]大隊の渡河を終はる。

 101師団を第二線兵団とせしは、自ら敵前渡河を行ふ能力なしと判断したるを以てなり。

 13Dと重藤支隊との交代を待ち、13Dをもつて11Dの右翼に展開し攻撃せしめなば南翔の占領は可能なり。しかるに軍の戦況に関係なく16Dを白茆口方面に11日、上陸せしむる中央の遣り方は、詢に不満なりと云はざるべからず。3D長は豊田紡織北方約1kmの趙家巷南方学校(大学)に位置し督戦に努めつつあり。

 軍司令官の方針に基き5隊に感状を付与せらるることに決す。(芳村中佐、自己の意見を通さんがために長中佐に連絡し参謀長を動かしむ。卑劣なる行為なるをもつて、叱責し置けり。)

 11D協力の戦車大隊を3Dに協力せしむ。蘇州河北岸より掩護射撃を行はしむるためなり。

 

    11月3日  雨

 10時、宮城に対し遥拝式を行ひ、 両陛下の万才を三唱して乾杯す。飯田支隊、歩[兵第]34[連隊]、歩[兵第]68[連隊]、天谷支隊、歩[兵第]44[連隊に対し感状を付与せらる。

 9Dノ9[個]大[隊]渡河し、3Dは4[個]大[隊]渡河す。9D方面より戦況の発展を□ずるため、軍直砲兵の全部を11Dに協力せしむ。9Dの渡河は計画周密にして死傷50内外に過ぎず。歩[兵第]68連隊の一部渡河部隊を撤退したることに関しては色々物議あり、内情を確かめざれば明言し難きも、旅団長片山少将が命令したりとかのことなり。中隊長(歩68)棚橋大尉、連隊本部に到り種々挿言し、師団に対し文句を言ふとか。慎むべきことなり。午後8時、柳川軍司令官、名□にて馬鞍群島到着の速報あり。

 

    11月4日  曇

 13Dハ重藤支隊、永津部隊との交代を終る。[午]後4時半、9Dは八字橋を奪取す。

 

    11月5日  曇

【この上陸と北方滸浦鎮の上陸とを同時に行はざりしは、最高統帥の誤りなり。】

丁集団[第10軍]は五時半、上陸を開始すとの電報あり、次いで9時半、上陸成功すとの来電あり。祝電を発せり。(6時半、上陸す。)

 二四榴過早破裂弾丸は広島製のみなり。(大阪製は可なり。) 第10軍ノ6Dハ張堰鎮の線に進出す。

 陸軍省の小池、太田ら来着す。

 

    11月6日  曇

 6Dは10時、黄浦江の線に進出す。

 

    11月7日  雨

 K作戦陸海軍協定を方面軍司令部において行ふ。

 

    11月8日  晴

 武藤来部す。無錫への前進は中央部の指示により中止することとせり。ただし16、11の使用方面および11の渡滬?時期は状況に依ることとせり。

【教訓】3Dの1[個]旅[団]を右翼に使用することは問題なきも、68iの一部屍体が由家橋にあるため、この旅団を不利なる左翼に使用することとなりたるものなり。

 

    11月9日  晴

 5時半、3Dより、敵兵退却せしをもつて第一線は追撃に移れりとの報告ありしをもつて、直ちに9D、3Dに追撃を命ぜり。

 3Dの一部は龍華鎮に、主力はその西北方地区に終結す。

 9Dの一部は七宝鎮、配属せし101師団の歩3大は諸翟鎮付近に、主力は飛行場付近に集結す。

 集成騎兵には四陸?鎭およびその北方地区に追撃を命ず。

 方面軍より9Dを古?浦方面に追撃せしむべく督促ありしも、同師団の疲労状態(中川参謀長よりの電話に依る)と、敵の背後より追ふも益なく、また五百や千の敵は崑山付近に於て束にして捕ふれば足るをもつて拒絶せり。一体、方面軍がかくのごときことに口を入れるは誤りなり。

 

    11月10日  晴

 南市の爆撃を命じ、実施せしむ。軍司令官は不満なりしも、明日の爆撃、差支へなしとの許可を受く。南市の大半の掃蕩を終る。

 集成騎兵の戦闘報告あり、自動車20台等を捕ふ。

 

    11月11日  曇

 101師団の連隊基幹を佐藤少将に指揮せしめ、大将?指導の下に陸戦隊2大を併せ指揮し、浦東に上陸。敵兵なし。死傷1名もなし。夕までに所命の南市対岸を占領す。

 

    11月12日

 敵兵總総退却の報あり。9Dを6Dの右に使用し追撃しむべく方面軍の要求あり、これに反対す。その理由は、

 1. 同師団が極度に疲労しあること。

 2. 架橋材料なきをもつて、黄渡鎮付近の渡河困難なること。

 軍司令官の採決により、方面軍の意見通り行ふ。

【教訓】ただし結果は予の判断の通り遅れたり。

 これも方面軍の要らざる干渉なり。

 軍隊の実情に即せざる命令は自滅?戦術?なり。

 

    11月13日  曇、午后晴

【重藤支隊の上陸は全般的には辛襲なり(永津大佐談)。】重藤支隊の上陸成功せしも、思つたより進出遅し。

 陣地戦の癖より脱し得ざるか

 13D、11Dに支塘鎮追撃を命ず。軍司令官は重藤支隊方面に軍艦にて赴く。同行の予定なりしも、主力の追撃中なるを以て、16Dの用法2案を二神少佐に託し、予は軍司令部に残る。

 101師団を追撃せしむべきや集結すべきやは、大いに考れたる所なり。蓋し支塘鎮まで追撃せしめ、花を持たしめんとしたればなり…

 

    11月14日  晴 夜、霧深し

 13師団は陸?渡橋に於て渡河し、北方に向かひ敵を追撃、11Dは五時半、大倉を占領、6Dは崑山南方において渡河、9Dは安亭鎮付近を出発、北進す。よって6Dの一部をもって蘇州に向かひ敵を追撃するごとく、独断、命令を発し、軍司令官に爾[→事?]後の報告をなす。重藤支隊を無錫に出すを可とする意見を参謀長に打電せり。

 午後2時半、重藤支隊の第一線は除家橋、蘇家尖鎮、支禱鎮の線に進出、支隊司令部は梅李鎮に入る。常熟には東方より退却するもの、蘇州方面より北上するものあり。

 呉福陣地も大なる困難なく占領し得るものと判断せらる。中央指示の常熟、蘇州の線はこの際、前出せしめ、南京攻略を企図するを至当なりと考ふ。

 

    11月15日  晴

【芳村参謀起案】追撃命令を与ふ。軍司令官は軍艦大井にあり、16師団を顧山鎭方面に向かふ様ふ直接命令せられ、追撃命令と喰ひ違ひを生ず。車両師団を道なき方面に用ふるは誤れり。

【教訓】大体、軍が追撃しあるにかかはらず、大して用なき方面軍司令部に位置せらるることは誤りなり。ことに第一線が苦労しあるに大廈高楼に位置するがごときは、最高指揮官として注意すべきことなり。

 方面軍司令部辞去後、司令官は塚田少将に意見を求められ、少将は後から出た命令を是なりと主張し、予の起案せし追撃命令をそのみ実行せらるることとなり、事なきを得たり。

 

    11月16日  曇

 重藤支隊は昨日午後四時、常熟東端の線に進出す。俘虜約600、死体550、山砲4門を取る。

【教訓】9Dノ左右追撃隊は道を失し行衛不明なりしが、漸く大倉西方地区にあること明瞭となれり。この近い距離においてかくのごとき事実あり。

 

    11月17日  雨

 戦況、大なる変化なし。13Dが謝家橋鎮を占領、9Dが呉義鎮を占領す。13Dとの通信、未だに不能なり。

 

    11月18日  曇

 9Dは北田鎮を占領す。6Dは八時、崑山を出発、南方に行軍を起こせり。

 

    11月19日  雨

 重藤支隊は常熟西北方高地を占領す。二神参謀は8時出発、[午]後2時、古里村に着す。白卯新市よりは船によらざるべからず。道路は重砲にて閉塞せらる。内山少将が勝手に11D、16Dの砲兵を統一指揮すとの報告は、軍命令に違ふものにして不都合なり。第3師団を方面軍より軍に復帰せしむ。方面軍が2日間直轄にせしことが何のことか解らぬ。

 

    11月20日  雨

 重藤支隊が軍命令に反し常熟の掃蕩に任するは不可なり。速やかに大義鎮方向に迂回し、追撃行動に移るべきなり。

【教訓】他部隊の未占領の電報を打つがごときは醜きものなり(大西参謀が重藤支隊に肩を打[→持]つために)。 大いち注意すべきことなり。9Dの情況不明。

【同右】通信に関しては将来、改善の余地大。有線は受けに豊富にすること。無線は速度遅し(3~4時間を要す)。 軍の統帥としては有線電話を必要とす(作戦地境を切るを要する場合には)。

 

    11月21日  雨

 13Dが12日以来追撃を敢行し、補給の困難を一口もせず、鋭意追撃に專念せしは、見上げたる態度なり。重藤支隊の比較して特に感深し。

 

    11月22日  晴

 蘇州、常熟ともに米は充分あること知る。

【教訓】上陸作戦において水際戦闘および爾後の推進のみに没頭し、逐次上陸する部隊および補給に関し多大の注意を要するに拘はらず、これを軽視するは誤れり。重藤支隊が上陸後数日間、部隊を全く掌握し得ざりしは、後方主任参謀の手落ちなり。注意すべきことなり。

 

    11月23日  曇

 詔[→勅]語伝達式あり、軍司令官、朗読途中、感泣せらる。予また感泣す。南京攻略の場合の腹案を話さる。9Dを第10軍に転属のことは異論なきも、北方対岸に出すべき11Dを方面軍直轄とすることには不同意を述べたり。軍は再び鉄壁に向ふこととなり、この上死傷者を出すかとの感を抱きたり。

 

    11月24日  晴 温度急に下がる

 二神参謀の意見を容れ、午後4時出発、常熟に軍司令部を移す。午後9時、古里村南方2キロに達せしも、爾後、車両充満し往く能はず。よつ

て2隻の発動船に乗りクリークにより前進す。

【教訓】 15両が道の一側を占領し、馬は繫駕のまま1週間も放置しあり。これがため軍の陸上補給に数日間、大支障を生ずるに至れり。船にて月明かりの夜、常熟城壁外を航し、運河畔に火災を見る。感慨無量、詠詩でもしたき情景なり。(25日午前3時頃)

 

    11月25日  晴

【無錫占領】午前4時、船にて常熟に着す。8時、天谷支隊は無錫を占領せり。感状支隊は別か? 11D主力を常熟に集結、9Dを常州に追撃、水上機動は依然実施せしむ(16D正面の敵の逐次抵抗を排するため)。 大一線における支隊、師団等の現地における協定は困難なるものなり(11Dの意見具申によりこれを見る)。

 天谷支隊は無錫市中の掃蕩を行ふ。

 

    11月26日  晴

 方面軍より次期作戦準備の命来たる。作戦地境は岊亭橋鎮~黄金山鎮線(派遣軍に含む)とす。集成騎兵は7時、揚舎営を占領す。馬の給?養?困難なるべし。[上余白:教訓]10万分の1図上の朱線は誤り多し、将来 大いに注意を要することなり。これがため作戦の一部を誤りしことありら。第10軍またしかり(嘉興~南潯鉄?道の西半部存在せず)。

 

    11月27日  曇

 常熟北方虞山に登る。平和にして富める町と見らる。

 景色良し。城壁に陣地設備あり、またその前方稜線の10~20m後方に個人敬?兵諄?あり、設備巧みなり。

 人糞、到る所あり、また死体多し。追撃に不拘?戦車第一、五大隊を軍直轄として集結せしむ。到る所、橋梁落とされ通路を塞ぐをもってなり。夕より雨降る。

 

    11月28日  晴

 軍司令部を蘇州に進む。沿道に支那兵および軍馬の屍多し。病馬の放しあるもの多し。馬の飼養管理は将来、注意を要するものと認む。獣医部の現地活動を望む。

 無錫より常熟に向かふ16、11、9Dの作戦地峡切り換へは、苦心せし所なり。安達部隊の常州攻撃一定の地域を与ふること必要なればなり。江陰の攻略は明日は可能ならん。

 

    11月29日  晴

 11時、16Dの追撃隊は常州を占領す(飛[行]機報告)三箇師団の追撃隊が西南東の三面より攻撃したるもののごとし。

 3時、侍従武官後藤少佐来たる。作戦経過の概要を報告中、往時を偲び感泣したり。夜、武官と会食す。[第]10軍の[第]114師団は宣興を占領せり。

 

    11月30日  晴

 兵力を集結しある3D、11D、重藤支隊のごときは参謀を軍司令部に派遣し連絡せしむべきなり。この着意、充分ならず。また師団内における各主任参謀の連絡も不充分なるものあり、例へば9Dの太湖横斷のためガソリンに関する作戦と後方主任参謀との連絡、全くなきがごとし。

 13Dの江陰攻略は待ち遠し。戦力劣る様に感ず。

 

    12月1日  晴

 補給の不充分は充分承知しあるも、全般の状況上、16D、9Dをして丹陽および金壇城に追撃を命じたり。特に上記両地点付近はクリーク多く、敵望む築城増強せらるる虞れ大なればなり。

寒山寺見物】寒山寺を見る。荒廃甚だし。有名なる碑も殆んど字を読む能はず、壁にはめあり。庵?の新しきものは別に建てあり。11D、重藤支隊を南支方面作戦のため抽出せらるる内報に接したり。よって方面軍応援予定の第3師団は鎮江攻略の為、軍の隷下に置くこと必要なり。方面軍参謀長および武藤大佐へこの旨、意見を打電せり。

【教訓】師団の工兵は三中隊とし、かつ材料運搬のため自動貨車数両を編成内に置くこと肝要なり。

 

    12月2日  曇

【教訓】第11師団の某中隊のごときは中隊長以下、最初より無傷のもの僅かに4名なりと云ふ。13D[第13師団]は江陰要塞を午前11時占領す。多数の火砲を鹵獲したり。

 

    12月3日  晴

 10時蘇州出発、常熟を経て司令部を無錫北端、農学校に進む。途中、東亭鎮の陣?地を見る。午後、参謀次長来訪す。昨日、蕭山寺地上に於て65i[歩兵第65連隊]の1[個]大隊、昼食中に彼我の識別困難なる飛行機の爆撃を受け、死傷約50名を出せり。敵の飛行機と云ふ。

 海軍は13、陸軍は5機、敵機を撃墜す。陸軍の偵察2機撃墜せらる。海軍1機、江陰に不時着水?す。 

 

    12月4日  晴

 3D、11Dの5隊に感状を授与せらる。侍従武官立ち寄り、全般の状況を話す。峯?村大佐、吉原大佐、連絡のため来たる。古里村付近の斃死馬200は敵が炭疽菌をクリーク中に投じたる結果なりとのことなり。

 11D輜重隊において十二、三才の少女を連れて行軍し、これを凌辱したりとて、憲兵より報告あり。その他、これに類する事件多し。慰安所の必要多きを覚ゆ。

 

    12月5日  晴

 3D[第3師団]の進出したる理由

[中支那]方面軍の応援として第二線に置くとのことなりしをもつて
補給上、成るべく第二線を可とせしこと
 中央より重藤支隊および第11師団の主力を抽出すとの内報、数日前にありしも、11Dの幾何を残置するや明らかならず。よって取り敢へず天谷旅団に必要の足を付けて鎮江攻略を命令したり。これがため一部乗船の遅るることは致し方なし。中央は早くこれを通知するの要あり。

 重藤支隊が軍命令に先だち支隊の上海付近終結命令を出せしは越権なり。渡辺歩[兵]中佐、桑原航[空兵]少佐はしばしば幕僚として不十分なる行為あり。

 同支隊の常熟攻撃の際、大西参謀の電報等は軍幕僚として低脳のもの多し、緻密を欠く幕僚は困ったものなり。

 方面軍より南京攻略に関する命令届きしも、作戦地境の切り方と云ひ、攻撃準備の線と云ひ状況に合せず。

 軍は依然、前追撃命令を変更することなし。

 

    12月6日  晴

 2日付、松井大将は方面軍司令官に専補、軍司令官に鳩彦王発令せらる。御警衛および防空に心配多くなる。

【教訓】優秀なる軍幕僚で第一線に派遣することは効果多きも、しからざるときは却って馬鹿にせられ喧嘩の種となること多し。

 軍幕僚の素質は師団の幕僚より良好なること、統率上、必要なり。上海派遣軍は此点において充分と云ひ難し。庶務課の人選において将来、注意を望む。

 夕、吉住大佐、杉村少佐、丁集団[第10軍]より飛行機にて来たる。夕食に一杯呑みメートルを挙ぐ。

 

    12月7日  晴

 芳村中佐、江陰渡河指導のため出発、江陰に赴く。飛行第4四中隊の1機、常州にて離陸の際、誤って何かに衝突、大尉1、曹長1殉職す。戦死の取り扱ひをなす。

 本日は南京を攻略し得と予想しありしが、午前の態勢より見て困難か? [第10軍の]第114師団の右縦隊が[上海派遣]軍の作戦地境内に入り来たれり(6日夕、湖熟鎮)。方面軍の命令を知らざるためか、はたまた知りながら正面の堅固を避けたるためか、ないしは橋梁破壊し野砲通せざるためか。

 我が軍司令官着任せられ、伺候式。訓示あり、軍の隊勢および今後の企図を説明申し上ぐ。

 

    12月8日  晴

 8時半出発、4時句容に着し、敵政府を司令部となす。軍命令を出す。

[上余白]

教訓

11Dが民船を放ち、13Dとの約束を破りしは、武士の風上に置けぬ行為なり(於無錫)。
 

    12月9日  晴

 作戦経過の概要を2時間にわたり軍司令官に報告す。浅間支隊を何故派遣せしや(3Dの攻撃力上、これを必要とし、11Dは防御なれば兵力の抽出可能なり) また無錫以後、何故に一挙南京を追撃目標とせざりしや(東京より南京攻撃の御許し来たらず。松井司令官より、余り南方に兵を出すな、諸能力果して出来るかの3点により、10里宛追撃目標を区切って示せしものなり)の御質問あり。追撃目標を区切りしことは師団長としては困りしとのことなり。

 軍司令官より祚?田?宮より貰はれしマスコットの十里の虎を拝受す。夜、大坪中佐が9Dより貰ひ来たりし鴨のすき焼きをなし、公平中山、深堀、川置ヲ交へ一杯呑みメートルを挙げ、軍袴を火鉢にて焼く。

 

    12月10日  曇

 敵は最後の抵抗をなし、攻撃、難渋を極む。

 13Dの歩[兵]1[個]大[隊] 、山砲[兵]1[個]中[隊]ヲ靖江に残すことは心配なり。特に通信不能なるにおいてしかり。しかれども一度占領したるところを開放するは日本軍の取らざるところ。加之、死傷者に対して申し訳なし。故に残置すふことに決定せり。

 13D主力を何れにて渡河せしむるやは尚ほ今後の情況によりて決せざるべからず。

 午後五時、9Dの[歩兵第]36[連隊]は光萃[→華]門を占領せり。真に感泣したり。
 6Dの右翼隊が16Dの作戦地境内において戦闘中なりとて、16Dよりやかましく云ひ来たれり。元来、16Dの進出したる間、9Dが軍の了解の下に一部を入れることとなしたるものにして、1ヶ旅団も入れるとは思はざりき。

 

    12月11日  晴

 殿下には9時半出発、麒麟門西北方高知に到り、16D、9Dの戦闘を指導せらる。16D長より状況を報告す。

 爾来、騎兵の北方への特進、13D一部の烏龍砲台攻略を命ず。あるいは間に合はざることあらんも、13D名誉のためこれを実行することとせり。16D了解済み。昨日、司令官は9D司令部に行くとのことなりしも万一を慮り御止めす。

 

    12月12日  晴

 9時半出発、湯水鎮軍司令部(弾道研究所)21時着す。立派なる建物なり。図山要塞は昨夜10時占領、砲十数門を鹵獲す。午後五時半、[第]33i[歩兵連隊]は紫金山を占領す。

 光華門においては日章旗を奪取せられたり。悪戦苦闘中なり。

 

    12月13日  晴
 午前3時、紫金山西麓の敵はその北麓を経て東に向かひ退却し、岔路口付近の歩砲兵に衝突し、南に折れて下五旗付近に在りし騎[兵第]13[連隊]の[第]1中[隊]に衝突せしとか。逃走兵の掃蕩は爾来、大いに注意を要す。
 天谷支隊、上陸に成功す。13D主力は鎮江付近において渡河するを可とすとの芳村参謀の報告により軍命令を出す。ただし幕府山砲台占領部隊は南京より渡河せしむ。正午、敵の敗残兵約四百、軍司令部北方2km孟塘に到着せりとの報あり、後備2中隊をもつてこれを攻撃、北方に撃退しむ。軍司令官も11時出発、髙橋門に到る途中、敗残兵と衝突、これを護衛兵にて撃退す。午後4時半、敵の敗残兵再び司令部の北側に現出し、高射砲はこれを砲撃す。佐々木旅団が岔路口道を全く開放せしは、城内の敵を逃走せしめたるものにして、適当ならず。
 9D長は司令部の急を聞き、人見連隊を急派せしめたり。

 

    12月14日  晴
 人見聯隊をもって湯水鎮東北方高地の残敵約五百を掃蕩せしむ。13D山田支隊の獲たる俘虜約二万あるも、食糧なく、処置に困る。

 

    12月15日  晴
 南京城内に外人横行す。また支那要人はソ連等の関係建物内に遁入しあるがごとし。長中佐現地に到り手配す。

 

    12月16日  晴
 依然、城内の掃蕩をなす。

 

【課長】

 【極秘】

 上海派遣軍司令部高等官職員表  昭和十二年十二月十七日

区分/職/官/氏名

軍司令官/中将/鳩彦王 

幕僚/参謀長/少将/飯沼守

幕僚/参謀副長/歩大佐/上村利道

幕僚/参謀部/第1課/参謀/騎大佐/㋘西原一策

幕僚/参謀部/第1課/参謀/步中佐/㋘芳村正義

幕僚/参謀部/第1課/参謀/航中佐/北島熊男

幕僚/参謀部/第1課/参謀/同  /川上清志

幕僚/参謀部/第1課/参謀/砲中佐/大坪一馬

幕僚/参謀部/第1課/参謀/步少佐/二神力

幕僚/参謀部/第1課/参謀/海大佐/ヶ松田千秋

幕僚/参謀部/第1課/参謀/海大佐/ヶ青木武

幕僚/参謀部/第1課/部附/工中佐/山田栄三

幕僚/参謀部/第1課/部附/步中佐/藤田秀八

幕僚/参謀部/第1課/部附/工少佐/(瓦)金原定一郎

幕僚/参謀部/第1課/部附/砲少佐/(暗)福田光威

幕僚/参謀部/第1課/部附/航大尉/押目音次郎

幕僚/参謀部/第1課/部附/步大尉/(瓦)関口函

幕僚/参謀部/第1課/部附/砲大尉/(暗)山本一秀

幕僚/参謀部/第2課/参謀/步中佐/㋘長勇

幕僚/参謀部/第2課/参謀/航中佐/ケ北島熊男

幕僚/参謀部/第2課/参謀/騎少佐/㋘本郷忠夫

幕僚/参謀部/第2課/参謀/步少佐/御厨正幸

幕僚/参謀部/第2課/参謀/步大尉/大西一

幕僚/参謀部/第2課/参謀/海少佐/ケ根本純一

幕僚/参謀部/第2課/部附/步少佐/大内競

幕僚/参謀部/第2課/部附/工少佐/ケ金原定一郎

幕僚/参謀部/第2課/部附/航大尉/ケ押目音次郎

幕僚/参謀部/第3課/参謀/步中佐/㋘寺垣忠雄

幕僚/参謀部/第3課/参謀/步少佐/櫛田正夫

幕僚/参謀部/第3課/参謀/砲少佐/北野平蔵

幕僚/参謀部/第3課/参謀/步少佐/榊原主計

幕僚/参謀部/第3課/参謀/砲大尉/佐々木克

幕僚/参謀部/第3課/参謀/海中佐/ケ長岡博吉

幕僚/参謀部/第3課/部附/步中佐/伊藤豪

幕僚/参謀部/第3課/部附/砲少佐/ケ北原栄

幕僚/参謀部/第3課/部附/輜少佐/折田義一

幕僚/参謀部/第3課/部附/同  /竹居卯一

幕僚/参謀部/第3課/部附/工少佐/ケ鴨沢恒三郎

幕僚/参謀部/第3課/部附/同  /ケ金原定一郎

幕僚/参謀部/第3課/部附/砲少佐/ケ福田光威

幕僚/参謀部/第3課/部附/工少佐/(給水)佐々哲爾

幕僚/参謀部/第3課/部附/砲大尉/田地秀朔

幕僚/参謀部/第3課/部附/工大尉/(通)清水武雄

幕僚/参謀部/第3課/部附/同  /古賀砂

幕僚/参謀部/第3課/部附/砲大尉/ケ山本一秀

幕僚/副官部/副官/   /川勝郁郎

幕僚/副官部/副官/   /森重逸郎

幕僚/副官部/副官/同  /楊田虎巳

幕僚/副官部/副官/砲大尉/平野勣

幕僚/副官部/副官/同  /高橋忠道

管理部/部長/歩中佐/ケ川勝郁郎

管理部/部員/砲大尉/平野勣

管理部/部員/同  /山下務

管理部/部員/主大尉/二川喜代治

管理部隷属/憲兵/長/憲少佐/横田正隆

管理部隷属/憲兵/ /憲大尉/宮崎有恒

管理部隷属/憲兵/ /憲中尉/千崎関吾

管理部隷属/衛兵/長/騎大尉/早尾矢指麿

管理部隷属/衛兵/ /少步尉/羽田四郎

管理部隷属/行李/長/輜少尉/山本明治

兵器部/部長/少将/福原豊三

兵器部/部員/砲中佐/鈴木正

兵器部/部員/步中佐/遠山一彦

兵器部/部員/砲少佐/北原栄

兵器部/部員/同  /小久保詮三郎

兵器部/部員/工少佐/鴨沢恒三郎

兵器部/部員/同  /ケ金原定一郎

兵器部/部員/砲大尉/ケ田地秀朔

経理部/部長/主少将/根岸莞爾

経理部/部員/主中佐/明石猛繁

経理部/部員/主少佐/岡田酉次

経理部/部員/同  /津野繁次郎

経理部/部員/同  /岡村潔

経理部/部員/同  /藤岡隆

経理部/部員/同  /松島喬

経理部/部員/主大尉/岡野節夫

経理部/部員/主少尉/平沼光平

経理部/部員/同  /児島貞三郎

経理部/部員/同  /川田正雄

経理部/部員/技士(七)/川上行敏

軍医部/部長/軍少將/笹井秀恕

軍医部/部員/軍少佐/小出宗次

軍医部/部員/軍大尉/植田豊

軍医部/部員/同  /渡辺進

軍医部/部員/同  /平賀稔

軍医部/部員/同  /柳田三基

軍医部/部員/嘱託 /高橋茂次

獣医部/部長/獣少将/橋本庄太郎

獣部/部員/獣少佐/富満行夫

獣医部/部員/同  /佐藤亮太

獣医部/部員/同  /小庄千城

獣医部/部員/獣中尉/堤可夫

法務部/部長/法務官/塚本浩次

法務部/部員/法務官/菅野保之

法務部/部員/同  /森近章

軍司令部附/航少佐/下山俊作

軍司令部附/步大尉/等々力龍雄

軍司令部附/軍大佐/小宮山友則

軍司令部附/軍中佐/岡田恒吉

軍司令部附/軍少佐/渡辺□

軍司令部附/郡大尉/大庭七雄

軍司令部附/軍中尉/横山郁郎

軍司令部/通信班/步少尉/鈴木竹次郎

軍司令部/廃棄物収集班/砲大尉/古谷以知郞

軍司令部/廃棄物収集班/步少尉/角田益吉

軍司令部/給水業務/軍少佐/北条円了

軍司令部/給水業務/軍中尉/平野喬治

軍司令部/給水業務/同  /山野内祐次郎

軍司令部/給水業務/同  /岸本茂次郎

軍司令部/郵便業務/事務官/佐々木元勝

軍司令部/郵便業務/同  /山森一雄

軍司令部/郵便業務/同  /長谷川忠治

軍司令部/郵便業務/同  /野崎万三郎

軍司令部/郵便業務/同  /土居昌平

軍司令部/郵便業務/同  /山口房太

軍司令部/郵便業務/同  /武永正人

軍司令部/郵便業務/同  /藤田彌平

軍司令部/郵便業務/同  /横井新一

通訳/陸軍文官(四)/神吉三郎

通譯/同   (五)/藤木敦実

備考 一、本表中(瓦)は瓦斯[ガス]を、(暗)は暗号を、(通)は通信を、ケは部内の兼勤を、㋘は中支那方面軍との兼勤を示す。

 

    12月17日  晴 暖かし
 南京城入城式を行ふ歴史的場面を呈す。
 帰路約二千の俘虜の一団に遭ふ。十四、五の子どもあり。

 

    12月18日  曇 寒し
 慰霊祭を行はる。山田旅団は一万五千の俘虜を処分せしが(昨夜より本日にかけ)その中に我将校一、兵一を俘虜と共にMGにて殺されたりと。蓋し俘虜の一団が抵抗し逃亡を企てたるため、混乱の犠牲となりしものなり。大嶋中佐申告に来たる。夕を会食す。

 

    12月19日  晴
 午後1時半より「か」号弾の実射および説明あり、「てなか」弾ともに効果大なり。これを大場鎮付近の攻撃に使用せば効果大なりしならん。

 

    自12月19日
             晴  

    至12月22日

 特記事項なし。

 

    12月23日  雨

 10時出発、軍司令部は南京、首都飯店に移る。

 

    12月24日  曇

 10時より兵団長会議、3時より参謀長会議を行はる。

【教訓】師団長の懇談において16D中島中将は、チャ[ン]コロに対しては予、後備兵にて沢山なりと申述べたるが、認識不足なりと言はざるべからず。その外、自己の体験のみをもつて原理のごとく述べられたるは可笑し。

 

    12月25日  晴

 長中佐、方面軍より帰る。鳳陽への前進は塚田参謀長は困るとのこと。松井大将は軍で適当にやれば宜しからんとのことなりしと伝ふ。方面軍の戦闘序列発令の上は軍が勝手に大本営へ意見具申は困ると云ひをれりと。しかし参謀次長の指示取り消されざる以上、意見の具申は違法ならず。現に方面軍へも同時に報告しあり。

    12月26日  晴

 夜、加藤拾三工[兵]大佐来たる。大槻去る。一時半発、軍司令官とともに南京近郊を見る。江北への補給は輸送船をして浦口に揚陸せしむべきなり。南京側岸の屍体は驚くべし。太平門外またしかり。燃えつつあり。泥[→浥]山[→門]]および富貴山の地下工事は相当のものなり。防空観念は日本より発達しあり。泥[→浥]江門通路上の屍体は酸鼻を極む十字鍬にて堀り返しつつあり。兵の放火の癖、未だに熄まず、厳重に取り締まる要ありと認む。五時帰隊す。

 

    12月27日  晴

 北支10D黄河を渡り済南に迫るとの情報あり、軍司令官は速やかに13Dの一部を鳳陽に出してはと参謀長に語りありしも、軍隊の実情および大局より見てその必要なきを具申す。

 

    12月28日  雨

 記事なし。夕より雪となる。

 

    12月29日  曇

 午後、軍司令官は野戦病院を見舞はる。

 

    12月30日  晴

 16D慰霊祭あり。(参列せず。) 昨夜、南京に居住を許す外国人およびその居住に関する制限を定む。

【7日は蕪湖は爆撃せらる】

 

    自 12月31日 至 1月8日、記事なし。

 

    1月8日  晴

 16Dは1月20日頃より輸送開始を開始し、北支ニ転用せらるべきをもって天谷支隊と3Dとの交代命令を出さる。南京警備は天谷支隊を以て行ふため。しかるに天谷旅団は二月初め上海付近に終結大本営の内命に接したるも、軍命令はその侭てなしたり。事前に方面軍に問合はせしに、当分、天谷旅団は変化なしとのことなりしに、急にこのことあり。

 上級部隊においてグラグラすることは下級部隊は誠に迷惑を感ずるものなり。

 

    1月9日  晴

 賀陽宮殿下へ随行、紫金山戦蹟、幕府山御視察に随行す。原田大佐の講話あり。 

 

    1月10日

 雨花台、中華門の戦跡御見学の両殿下に随行す。 正午、賀陽宮殿下御出発せらる。

 

    1月11日  晴

 13Dは依然現態勢のまま北進の準備をせしむべく軍司令官より指示せらる。蓋しその内に大本営の肚も決まるべしとの理由によるものなり。

 

    1月12日  曇  寒し

 記事なし。

 

    1月13日  曇

 天谷支隊と16Dとの交代命令を出さる。午後、天谷支隊長来部、16Dより申し送りを受く。

 

    1月14日  晴

 松田、長岡、青木3海軍参謀のため送別会あり。

 第2次会にて管理部長の案内にて始めて日本婦人の顔を見る。

 

    1月15日  曇

 安達大佐来たる。第一線の給養は十分と云ふ。

 又 駄馬師団といへども自動車道を必要とすと。西門大街の攻撃は第一線大隊長の独断に依ると。旅団長との電話切れ、連隊長これを許せりとのことなり。銃剣のみにてぐんぐん前途[→進?]せしレコードなるべし。

 

    1月16日  朝

 方面軍の招致によりて午後1時半、飛行機により上海に至る。

1.  13Dは追って鳳陽に前進せしむる筈(松井大将)

2.  津浦線沿?道?に軍の一部を出すことは、目下、意見具申中なり。   独断、軍において前進せざること。

3.  いづれの場合においても13Dを江南に下げざること。

 (予の意見と一致す。)

4.  新政権は順調に運びつつあり。
 夕食を東殿?にて武藤、公平と共にす。

 

    1月17日  曇、雨

 夜9時半出発、飛行機にて帰る。1時間20分を要せり。

 

    1月21日  晴

 天谷支隊と16Dとはその警備を交代せり(午後2時)。

 

    1月26日  晴

 軍司令官より13Dを北方に出す様希望あり。既に4回に及ぶ。よって13Dの自衛上、一度は蚌埠付近の敵を掃蕩するの必要あり、出すことに決心せり。方面軍より文句あることは、これを覚悟したり。軍命令を起案、決裁を受く。

 

    1月27日  晴

 13D北上の軍命令を携へ九時発、飛行機にて□線?に至り連絡の後、三時半帰る。師団としとも大いに喜べり。

 午後7時より□宮において二神少佐、押田大尉の送別会を開き、11時帰る。

 

    1月28日  曇

 13Dの第一線は行動を開始せり。

 

    2月1日  晴

 武藤大佐来寧す。大本営よりの御叱りを持参して。

 軍においては淮河を越えて13Dを遠く徐州方面に出すの意思なし。 ただ 13Dの警備上、淮河左岸に敵を撃退する方、却って従来より警備容易なるものと判断しあり。

 

    2月2日

 本間少将主催、大使館にて英、米、独、伊の4国領時事および書記生等を招待す。特にアリソン米領事のために芸者とダンスし有頂天になりあり。この会を1ヶ月も前に行へば問題は起けらざりしならん。軍参謀長としての動きなきに困る。

 13Dは蚌埠、鳳陽を占領す。

 

    2月3日  雪

 13D右縦隊の1[個]大[隊]は懐遠対岸、左側支隊の主力は上?窑を占領す。ただし師団の計画にもかかはらず敵約六千を西南方、寿夜?方面に逸せしは惜しむべし。

 

    2月4日  雪

 

    2月7日  晴

 上海派遣軍慰霊祭を午後1時より軍官学校裏の小練兵場に行はる。松井大将も来寧せらる。

 夕食は軍司令官招待せらる。

 

    2月8日  晴

 敵兵約一万、先頭をもって午前11時、廬州に達すとの飛行機報告あり、第3飛行団は午後2時よりこの敵を爆撃のため出動す。後備1大隊を13Dに配属す。10日、浦口着のはず。

 

    2月13日  雨

 13D方面、毎日のごとく爆撃せられ、死傷続出す。3D、9D配属の高射砲を2隊、13Dに配属す。江南ノ□ 已に来たる。殿下より廬州作戦を実施せよとの仰せありしも、既に軍の改変命令到着しある今日、状況に合せず。

[完]