◇拾弐月拾六日
拾弐月も中を過ぎ去ってしまった。金沢招集を受けて満三ヶ月に成ってしまった。只無の世界の様である。午前拾時から残敵掃蕩に出ける。高射砲一門を捕獲す。午後又出ける。若い奴を三百三十五名を捕えて来る。避難民の中から敗残兵らしき奴を皆連れ来るである。全く此の中には家族も居るであろうに。全く之を連れ出すのに只々泣くので困る。手にすがる、体にすがる全く困った。新聞記者が之を記事にせんとして自動車から下りて来るのに日本の大人と想ってから十重二重にまき来る支那人の為、流石の新聞記者もつひに逃げ去る。はしる自動車にすがり引づられて行く。本日新聞記者に自分は支那売店に立っている時、一葉を取って行く。
巡察に行くと夕方拾四日の月が空高く渡っている。外人家屋の中を歩きながらしみじみと眺めらされるのである。
揚子江付近に此の敗残兵三百三十五名を連れて他の兵が射殺に行った。
此の寒月拾四日皎々と光る中に永久の旅に出ずる者ぞ何かの縁なのであろう。皇道宣布の犠牲となりて行くのだ。日本軍司令部で二度と腰の立てない様にする為に若人は皆殺すのである。
憲兵隊が独逸人家屋に侵入を禁ずと筆太くかかれている。市街の何処に行けど日の丸の旗は掲げられている。肩に荷いて歩く物でさえ旗を手に持って歩く奴も居るし、又腕に巻きつけている奴も多数あるのである。
↑偕行社編『南京戦史資料集 Ⅰ』(1993年) p.370