Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

【工事中】朴烈・金子文子裁判記録より 大審院第二回公判調書 1926.2.27

前同日午後一時、前同一事件につき、前同一法廷において、前同一の判事、検事、裁判所書記列席の上、
公開せずして対審を続行す。
前同一の被告人出頭、身体の拘束を受けず。
前同一の弁護人出頭。
裁判長は、

引き続き審理する旨を告げたり。

弁護人布施辰治は、

 私の所見を述べ、裁判所の参考に附したし。私は法律の命ずる形式に従って、ここにこの事件の審理に携りをる次第なるが、むしろこれは一個の社会事相にして、この事件が引き起こされたるその時に、これに携るべき一つの因縁を持ちしものなり。私はこの意味において本件の弁護人として、検事が対象となしたる犯罪、その捜査、裁判所の判断を求めんとする公訴事実はもとより、検事局の捜査の態度、裁判所の審理の態度等を対象として、これに厳正なる批判を加へんと欲す。特に朴、金子両氏に誤解なき様一言すると同時に、裁判所各位にも誤解なきことを望む。
 しかして弁論の趣旨は、朴、金子両氏らに対する裁判所、検事局の誤解を正し、またこれらの両氏に加へたる法律的手続、態度の誤られたことを正すために、裁判所、検事局等の深き反省と考慮を求めんとするにありて、決して朴、金子両氏のためにいはゆる弁疏せんとするものにあらざるをもって、この点は特に両氏の了解を求め置きたし。
 同時に私は、両氏が自己の所信を断行するために極めて忠実なる人にして、また真理を熱愛することにおいて、この人たちの志を貴しとするものなるをもつて、両氏の立場を比較的理解し得る一人なることを信ずるが故に、この事案につき批判を試み、検事局と裁判所の反省を求むる次第にして、またこれを求め得ると否とは第二の問題とし、これを要求することが両氏に対する態度と責任なることを痛感するものなり。
 問題となれる事案につき一件法律の裁する所は、 何を審理の対象として調べたるか、そは即ち朴、金子両氏の思想なり。検事はその論告にあたり、この事案の怖るべきことにおいて生命を要求する所以の理由は、この両氏の思想が叛逆、暴戻、怖るべき危険を包蔵するにありとなし、また裁判所においては、昨日以来朴氏がなしたる「所謂裁判ニ対スル俺ノ態度」「一不逞鮮人より日本の権力者階級に与ふ」と題する書面の朗読、ならびに本日検事の論告に対しなしたる宣言と態度の闡明、これらの上に戰慄と脅威を感じをらるることと思ふ。故にこの事案に対し裁判所と検事は、これを公開したる時において一般の民心、これらの人たちに万一にも与へらるる戦慄と脅威を拒否せんがために裁判をなすものであり、またしかなすことを使命となすものと言はざるべからず、ここにおいて本弁護人は朴の朗読したる書面、ならびに本日検事の論告に答へたる宣言、また金子夫人の公判準備手続の答へに代へて書かれたるあの虚無主義の要旨、本日ここに述べられたるその思想の要旨、これらのものに対し他意なき批判を加ふべき検討の第一義となさざるべからざる様思考す。
 私がかくいふ時、それは問題となれる刑法第七十三条に該当する犯罪事件と応接せざる因縁であり、動機である。論を拡むるものとなし、これを不可とするもの者存するやも知れず。しかしながら、命を賭けて所信に邁進したるこの両人の態度につきて、そのことが果たして誤てるや否、結論の上に所見を異にする者にありても、貴き生命を賭けて邁進し所信に忠誠なる態度に、敬意を表し感激すべきなり。
 しかして検事はこの両人に死刑を要求し、生命を奪ふべき死刑を要求しをれり。私はこの死刑といふ、生命を要求する刑罰法理につき多少なりとも学ぶ所もある。その理論の上に非難あるがごとく、もとより生命を奪ふべき死刑といふものに相当重大なる意義存することは言ふまでもなし。しかし生命を奪ふべく理論上正当づけられたりとするも、これを実際に取り扱ふことが、法律の命ずるままに執行の局に当たる人々の、人間としての長所と信念をいかに傷つけらるかを思はざるべからず。裁判所としても、検事としても、それ位のことは知らざるはずこれなきなり。
 また私は昨年中、獄に殪[たふ]れたる人を三人までも目撃したり。その私の感情を親切にいへば、理論上、死刑が正当づけらるるとするも、問題を離れ、生命を奪ふ死刑の要求そのものにつき、私どもは生命の貴さ、生きんがための努力の上に、あるいは個人として団体として、あるいは国家として社会として、相当厳粛に考察せざるべからざることを思ふ。
 また私は裁判所と検事に対し一、二言ひたきことあり。そは、実際、その思想を抱き、これを実現せんとなしたその人たちの気持は、その人たちにあらざれば裁き得ざるの一事と。この両人の考へたる思想や真理が今日の国家に取りて正しからず、また今日の法律に違反するものとしてこれらの人を処罰することを否むものにあらず。しかしながら、これらの人たちの思想そのものを是非し、これらの人たちが命を賭けたる所信に対し侮辱を与へられたくなしと思ふものなり。
 私は、本日、大阪控訴院において判決を言ひ渡さるべきはずのギロチン社の事件につき、被告らの心からの叫びとしてなしたる行為に対し、思想の異なる立場にある検事がこれを批判し、被告らがその批判の誤れることを憤慨したる態度に見て、私はその真理のあることを痛感したり。何人といへども生を愛し一日にても生き延びんことを希はざる者はなかるべし。しかるに過日、東京地方裁判所において古田大次郎が死刑の宣告を受けたるに対し、わずか一通の控訴状を提出すればその生は引き延ばさるべきを、同人は敢へてこれをなさず、生を望まず、生き延びんとせず、即刻、独ひでギロチンの上に満足して受けたることのごとき、私はその心情は全く当人にあらざれば解し得ざるものにして、その信念の痛烈なるを深く感得したり。
 かかるが故に、生命を賭けたる出来事につき客観的に結果の上に不祥の大罪なりと認むべきものある時、これが制裁は自由にして、またなさざるべからざる裁判所と検事の立場はこれを認む。またこの両人も覚悟をなせり。しかしながら現れたる範囲を逸脱して両人に対し濫りに是非の観察を敢へてせらるることを欲せざるなり。
 私は弁論の範囲として、また順序として申し立てんと思ふことは、第一、この事件の特別裁判に付せらるるまでの経過を明らかにし、これに批判を加えんとすること、第二にこれら両人が 公判開始決定に掲げられたるごとき事実ありとし、その責任は被告ら両人の生命を奪ふべきものとしての、検事の要求を承認すべきものか、あるいはこの両人の責を問ふ前に、他に責を問はるべき者あるにあらざるかとの点につき、国家の反省を求むること、第三に 公判開始決定に認めをる事実そのものが刑法第七十三条の大逆罪の構成を認むべきや認むべからざるやにつき法律論を進めたきこと、最後にこの事案につき公判後の裁判所の態度を批判し、この事案に対する疑惑につき私の所信に従って弁明したきことなどにして、まづ裁判所は特に私の弁論に幾分なりとも注意を払はれんことを要望す。
 しかして特別裁判といへばいつも傍聴を禁止し、いつも検事の閲覧して審理したる証拠を充分なりとし、公判におけるニ証拠申請を脚下しをれり。また判決の結果は検事の要求通り少しの相違なきものなれば、あるいは弁護は不必要にして、お芝居であるといふもまた止むを得ずとも、私は私の所信に極めて忠実なる一人として、私はいかなる事情のもとにおいても裁判の結果付けらるるものにあらざることを信じ、その無理を正し、更正を求め、まさに変更はある得るものと思考す。私は一個の法律の命ずる所により、ここに審理に携わる裁判所、検事、弁護人とうふ立場よりするにあらずして、この審理の真相と理由を明らかにし、すべての者の幸福と、正義の光と、審[→真]理の貴さ、を宣揚せんとする一つの社会事相を人間的覆面のまま、私どもの所信は語るものと思ふ。特別裁判といへば傍聴は禁止され、証拠申請は却下され、判決は検事の要求通りになるものと一般に考へをるをもって、裁判所においてはこれを裏書きせざる様、その独自の所信、所見によりこの事案を裁断されんことを希望するものなり。
 次にこの事案の捜査の経過を詮議することは、第一義的に心裡に痛感するところにして、これを批判的に言へば、検事局の捜査は無能、検事の考察は無定見なりといふべく、この特別裁判に選ばるるまでの経過を見る時、何人といへどもその感を深くせざるものはあらざるべし。もしそうした感情にして正しからずとせば、本日、金子氏の今日の考へを正しきものとするも、明日またそう考へるとは考へ得られないといひたると同様に、検事のこの事案に対する考へが、今日の考は昨日考へたるところと異なり、明日はまた今日の考ヘと異なることを感ぜらるるに相違なしと思考す。しかも検事の要求するところは、両人の生命を奪はんとするにあり、一度その刑を執行せんか、その考へは間違ひとして両人を呼び起こさんとするも及ばざるなり。そこに検事がこの事案を特別裁判に選ぶまでの捜査の無能、その方針の定まらざることを推定するに足る、最初の態度と今日の態度との相違の甚しきを思はしむる事由あり。これ、ここにこの事案を特別裁判にまで選ぶに至りたる経過を論ぜんとする所以なり。
 この両人に対する起訴状は、そこに積みある記録中に三枚存し、いづれも宛名を異にせり。即ち大正十二年十月二十日付予審請求書によれば、この両人とともに、いはゆる不逞社同志十五名が治安警察法を擬せられたる秘密結社の事実なり。罪ありと断ぜらるるも禁錮一年の罪案なり。その次に存在せる起訴状は、大正十三年二月十五日付をもって予審を請求せられたる爆発物取締罰則違反といふ罪名により、この両人と、未だ予審の終結決定を見ざる金重漢らが、爆発物の輸入を企てたといふ罪案なり。次に存在するは、大正十四年七月十七日付をもって予審を請求せられたる、この両人に対する刑法第七十三条の罪あることを内容とせる起訴状なり。卒然としてこの両人に対する三個の起訴状を罪名より考ふるとき、誰かその内容の同一を信ずる者あらん。しかし事実、罪名は異なってゐる。掲げられたる起訴内容の上に法律該当の条件的事実をいふ。無論、異なる様に読まる。
 しかしながら一個の人間行動として、生れて死するまで生命の連続あり、生の躍動生ず。この人間行為そのものの上より、分ちことの出来ざる一つのものより、三個の起訴事実は異なる予審請求に及びをるといふことは、断じて誤りなきを信ず。むしろ今、検事の論告に引用せる、杉本船員に対する供述、いはゆる第一爆弾輸入に関する警察の調べ、崔嚇鎮なる朝鮮の同志と爆弾輸入に関する江戸川辺の会合、左様のことがこの朴といふ一人の被告の罪を断ずる有力な資料になるといへるなれば、それは大正十二年十月二十日、治安警察法違反として起訴されてゐた、前の事実として厳存する朴氏の大逆計画であると言はねばならぬ。また金翰、金重漢関係のごとき、元より大正十二年十月二十日の治安警察法違反の起訴から実に法律上に明白なる事実であるといふことを誓言し誤りなきことを信ず。これらの事実は、大正十二年十月、治安警察法違反として起訴せらるる時、明らかなり。しかして今やこれを顧みれば、検事は大逆罪陰謀計画の一端なりとし、しかもその当時において、これが大逆罪陰謀計画の一端なりしことを捜査するの力なかりしより検事局これを確証せざりしといふか、あるいは捜査の力あり確証しをりたるも大逆罪といふ程度に至らざりしといふか、いづれにしてもこの間の起訴事実が検事局の態度のぐら付きを思はせるものあることを考へざるを得ず、いやしくも法律を精読すれば何人も、検事事が起訴方針に確実なる定見なく、これを危うしと見ざるわけには行かぬことを首肯するならん。私は今ここに、記録にある公判開始決定の起訴事実にいふ内容を新たに瞥見せられ、刑法第七十三条の大逆罪といはれるのでなく、事実そのものは大正十二年十月、すでに明らかになりをりたるものにて、それに対しある法律観より治安警察法違反なりとし、またある法律観より爆発物取締罰則違反なりとし、さらにある法律観より刑法第七十三条に該当する大逆罪なりとし、法律観の異同によりて相違あり。事実そのものは異ならずと思料す。裁判所においても検事の所論、要求の、いつもその通りなりとの考察が特に加へらるると思ふ。私は念のためこの起訴状の内容を読んで置く。
 (この時、弁護人は治安警察法違反事件の予審請求書写および爆発物取締罰則違反事件の予審請求書写等を朗読し、当時すでに大逆罪の事実判明しありたることを力説せり。)
 そこで検事は一つの弁釈をなして曰く、初めの内はいはゆる大言壮語と思ひ、真にこの虚無思想の実現あるいは権力階級に対する反抗が刑法第七十三条法益を害するものと考へざりしも、段々その事実が確実となり来たりたるをもって、特別公判に付するに至りたりとのことなり。
 また検事はその論告の冒頭において、大正十三年秋、難波某なる者に対する大逆事件の審理ありたることは世人の記憶になほ新たなるに、今またここに被告ら両名に対する大逆事件の審判をこの法廷に見るは遺憾とすといへり。皇室に対しかくのごとき企てありたることは恐れ多い。私どもとしても、本件のごとき事案がしばしば法廷に現るることを限りなき遺憾とす。しかし検事は、その遺憾は遺憾として、事実のありたる以上、法の命ずるところに従って厳正にこれを検討精査せざるべからずといへり。
 しかるに検事は職務上そのことを真に考へられたる時、今日より見て畏いといひ遺憾なりとなすも、一時なりとも大言壮語をなすものとされた責任をいかにかなす。私は両人のために弁護をなすにあらず。私は、起訴経過の上に誤ってをりその弾劾の方法において誤ってゐることに対し、厳正な批判を加ヘ置きたし。なほこれに関連し、裁判所は検事局の公明なる態度といふものを疑はねばならぬ。遺憾さをこの起訴経過の上に指さして、それはなんであるかといふ時、この事件の起訴経過の上に、さきに治安警察法違反として起訴され、後に爆発物取締罰則違反として予審を求め、さらに大逆罪該当の特別裁判を要求された。そこには昨日以来、田坂弁護人のこの事案に関する被告両人の供述態度に挟む疑問、また検事の論告の上に現れたる脅威、自暴自棄、それらの現れならざるやを疑はしむべき両人の供述が進展し、起訴事実を肯定する様になってゐる関係を見出さねばならぬ。また本件は大正十二年九月一日、人類歴史ありて以来の一大不幸とさる大震火災の、その自然の災害より以上の不幸である鮮人虐殺事件の弁疏のために検挙されたるものなりと疑ふ者あり。私はこの間の事情を、裁判所としては世界に向かって日本国家を代表する最高権威ある裁所所の立場を明らかにせざるべからざることを、私はこれら両人のためにあらず、真にこの事案の疑問とし、日本国家の雪[すす]がねばならぬその疑ひの前に答ふべきものを要求す。法律を精査されたる方は承知せらるるはずなりと思ふ。本事件の起こりは大正十二年十月二十日なり。しかれども被告両人がその自由を奪はれたるは震災の直後なる大正十二年九月二日なり。彼の鮮人ならびに主義者といふ者の陰謀、不逞あるいは焼打ち、あるいは毒物を井中に投ずとの流言蜚語の下に鮮人、主義者らの人たちに対する逆上ぶりは、日本国民性を世界に恥曝しした最もはなはだしきものなることは、裁判所としても、検事としても知りをららるるはずなり。この鮮人虐殺の問題が日本の国家として世界に言ひ分けのない不祥事として悩まされをることは、今さら事新らしくいふまでもなし。日本の有識の人たちはこれを真に自然の大災害の不幸よりも不幸なりとし、善後策を論じたることは、人の記憶に新たなることと確信す。しかしてこの際、彼の誤りは誤りとし、国民性の轄?操?をはっきり明らかになし、将来を戒め、誤りは素直に謝罪し、事の真相を鮮人に明らかにするほかなしと私どもは確信したり。ある耶蘇教信者のごとき、朝鮮に自治を許すことにより、これを謝罪すべしといはれたり。しかし彼の鮮人虐殺事件の真相は遂に発表を許されず、私は当時の実情を自らの体験上、最もよく知るものなり。しかしてこれらの誤れる官憲の処置と態度に対しては、誤解、怨恨、憤懣、は簇生せり。
 朝鮮在京の同胞にしてその死体を埋葬せんとして捕へられ、あるいは一朶花を捧げんとして勾留の刑に逢ひたるなど、悲惨なる物語は山程あるなり。
 しかもそれらを糊塗すべく彌縫すべく、なにものが計画されたるや。朝鮮人の間にはこの大逆事件についても種々の風説あり。
 しかして本件は最初、治安警察法違反として審理されたるが、その刑の最長期は禁錮一年なり。しかるに後に爆発物取締罰則違反として追起訴をなし、事実上、自由を奪ふこと、実に半年。その間、新聞には、なにを誤りたるか某重大事件といふことにより、未だ特別公判に付せられず、刑法第七十三条に問擬せられざる時において盛んに宣伝せられをれり。単に秘密結社がなんの重大事件なりや。しかして検事は新聞紙法によりその事件の内容を新聞に掲載することを禁止したるため、ただ某重大事件、鮮人朴烈の事件として新聞に見へるばかりなり。ここにおいてか、いはゆる震災時の鮮人虐殺事件を追想せしめ、内容の知れざるまま、この事件は社会の疑惑の内に投ぜられたるなり。私は昨日、少し遅れて出廷したるため手違ひを生じ、それらに関する所見を述ぶる機会を失ひたり。私はこの事案につき公開の審理を求め、その内容を国民一般に知らしめ、あるいは社会の謎とせる震災直後鮮人虐殺騒ぎの出所につき、行政官憲のいかんにかかはらず、裁判所の態度の出来得る限り公明厳正ならんことを望みたるなり。被告両人の供述は順次、起訴事実に添って進展したりとのことなるが、それは人の死に花といふか虚栄といふか、どうせこうなればといふ気持ちなどが両人を魅惑したる結果にあらざるか。私は大正十二年十月、確か二十日[ご]ろと記憶するこの事件につき、被告らが接見禁止となりたる以来、特別裁判の公判開始決定後一ヶ月を経て、牧野裁判長の接見禁止を解かるるまで、その間、実に二ヶ年の永き、これを裁判所として、検事としていかに観らるるや。人間は社会的な、動物と異なり相愛の情、共栄を熱愛する生物なりといはれる。しかるに監獄においていはゆる独房に投ぜられ、外部との交通杜絶がいかに人間性を害ふか。この間、この二人は二年、審理の必要ありとするも接見禁止により外部との交通を杜絶され、いつ出らるるか、いつ外部の人との交通が許さるるか、あるいはこのまま囚はれに、闇から闇の自分らの行先といふものの凝視されねばならぬ立場にあり、いかに思想の上に主義の上に確乎たるものありとするも、人間としての心配、その感情に、この人たちがいかに悩まされたかを思はずにゐられない。
 しかして予審判事 一人、常にこれに同情し、これを理解し、これを慰めたりといふ。私はあるいはそれらものが事件の進展に添ふべき供述を抽出したるにあらざるかと思ふ。もとより脅迫されたりとはいはず、圧迫を受けたりともいはず。しかしそれがその供述を、

あの記録に記載せられた事実を言はさるものならざりしかと首肯することが、私の批判としてト私の胸に浮く。

裁判長は

一時休憩する旨を告げたり。

同日午後三時 、前同一事件につき前同一法廷において、
前同一の判事、検事、裁判所書記列席の上、
公開せずして対審を続行す。
被告人両名は出頭し、身体の拘束を受けず。
前同一の弁護人出頭せり。
裁判長は、

引き続き審理する旨告げたり。

弁護人布施辰治は、

以上、起訴事実の進展、それに従ひ両人の陳述する上に同様になっていったのでないかと思はるる私の考察、私の所感、それはやがて検事の証拠調べに対する根本的な批判であることを承知してもらひたきと同時に、私は、私が要望した事件の公開に同意せられざる裁判所の態度といふものにつき、今後、判決、それがいかなる結果を見るにせよ、私が今まで力述したこの事件に対し一般の疑心暗鬼、世界の謎そのものに答ふる態度におそれを敢てせられぬ時、この事案に対し私が前刻来申し述べた震災直後の鮮人虐殺事件につき、この際において虐殺問題に対し一つの弁明の道具、犠牲に供せらるるものでないかといふ時、当局官憲はいかに弁明する。私はこれを提言したい。
 第二号の論を進めるが、この両人の人に公判開始決定に掲ぐる通りの事実ありとする場合、その責任は勿論、法律所定の条件の範囲に問はるることを期するものである。私どもは法律を多少知る立場よりいへば、後にいふごとく、この事実が法律責任と犯罪の予見はある。仮にそれらのことに触れるこの公訴事実そのまま、それが検事の論ずるごとく刑法第七十三条大逆罪に該当するも、被告等らの責を問ふ前に官憲の責を問ふものありはせぬか。この点につき、国家を代表する裁判所の反省と考慮を要せらるることと考ふ。公訴事実の法益は、刑法第七十三条の大逆罪となれり。しかしながら刑法第七十三条の大逆罪はいはゆる大逆不逞の思想を罰せるにあらず、その思想を実行に移す行為そのものを罰せんとせり。これが刑法第七十三条大逆罪の構成条件なることは、検事も否認せざることを信ず。私は二人の人を大逆不逞の思想の抱持、それらのことにつき論議するにあらず。ただ言葉を慎むべきことを考ふ。しかしこの二人のああした大逆不逞の思想を抱くに至りたる原因として供述せる内容を仔細に点検する時、昨日の証拠調べに裁判長の読まれた内、刑法第七十三条法益の 天皇、 皇太子、これらの方々に対し自分等はなんら私怨を持つものでないといへり。また言葉の表現といたし随分強く、あらわなものがあることを謹まねばならないことを私どもは注意するが、昨日ここに朴が読みたる『一不逞鮮人より日本の権力者階級に与ふ 』といふ一文の内に、刑法第七十三条法益天皇に対し皇太子に対し、これ等の方々のいかに現在の制度の上において、彼の政治の実権を握るそれらの人のために、あるいは看板、あるいは置き物とさるることをいひをれり。私は、これら両人の胸底にかかる全人類愛を、真理を熱求する気持ちそのものに端的な理解を持つことが出来るとすれば、刑法第七十三条法益、 天皇、 皇太子といふ方々に対して触るることと、その法益を犯すこと、それはこれら両人の人たちの期せざることにて、思想上、権力破壊の信念よりそこに直到したるものにして、却って他に負はねばならぬ責任者あり、それらの人からそこに押し向けられた感を持つものである。果たしてしかりとすれば、私はこの両人を責め罪する前に、責任を持ちべき人があらことを考へねばならぬと思ふ。
 検事は朝鮮における統治をもって最善の政治を行ひをるものなりといへり。しかれども朝鮮の総督政治の実相を見聞する者、誰かその最善を謳歌する者あらんや。私は、最も公正なる立場にある学者にして、近く朝鮮に行きたる穂積重遠氏の朝鮮行の感想を雑誌の上に見たるが、彼等は朝鮮における政治は根本の基調を誤てるを嘆きをれり。当検事局、 いかなる根拠をもって鮮総督政治の最善をいへるるや。私はこれを知ることが出来ない。恐らくその言は間違ひにして、それこそ妄断、独断である。ここに一言せざるを得ざることあり。刑法第七十三条法益、「天皇神聖にして侵すべからず」とは、憲法の明記するところにして、一切の政治に大臣は輔弼の責任有 あり。しかも総督政治はこれを誤りたる結果、その神聖を侵す者あるに至る。輔弼の実権者、荷ふべくして荷ひ切れざる責任ありといふへし。刑法七十三条法益を、政治治悪の結果、その呪ひに直面せることに対し、政治の実権に携る者、責なきや愧なきや。ただここに大逆不逞の思想を抱く者を責むれば可なり、罪すれば可なりといふ検事は、刑法第七十三条法益の神聖を侵せることにつき深思熟慮せられたし。
 私はここにおいて裁判所が不正を糺弾せらるるにあたり、強き不正を許してはならぬことを考ふるものなり。しかるに弱き者に対する強き者の不正は裁かれず、弱き者の強き者に対し企てたる不正は厳に裁かれる。時に不正なからざるにかかわらず罪せらるあり、憂ふべきことにして、裁判の神聖なるものを考へざるを得ず。これ現在の裁判に対し憂へざるを得ざる一事相なり。とにかく両人の今日あるに至りたるは、朴については朝鮮総督政治の欠陥、金子については同情すべき境遇、ならびに両人の優秀にして□なる才能が、却って周囲の障碍に対し劇しく衝突したる結果なるも、この人たちの持つ気分は決して極悪なるものにあらざるをもって、このことは充分認めて置いてもらひたし。またこの事案につき、私は死刑を酌量せよとはいはず、両人の結婚問題、あるいは思想の上より両人の希望をいふなれば、死刑は両人の今の希望なるをもって、それを私どもは止めたところでなんらの慰めをも与ふるわけにあらざるが故に、むしろその望むがままにギロチンに投ずることが両人の本望と思ふ。しかれども真理を熱愛する思想、その裁きは、時が裁きといふことを裁判所ならびに検事において考慮せられんことを望むものなり。
 最後に法律論として、刑法第七十三条の「加へんとしたる」とは、危害を加ふる陰謀予備の行為をも包含するものなりや否については、検事と所見を異にす。即ち刑法において陰謀予備の行為を罰する場合は内乱罪外患罪その他においてそれぞれ各本条に規定しありて、刑法七十三条のみ特別なる犯罪態様を認めたりとは思はれず、故に予備陰謀は包含せざるものと解す。
 次に本件第一、二、三、四回の爆弾輸入の関係を見るに、爆弾を手に入るるも、これを投擲する策動を開始せざるうちは、被害法益となんらの交渉なく、従って刑法第七十三条の大逆罪は構成せず。しかるに本件は爆弾を手にすら入れをらざるをもって、全く大逆罪の構成要件を欠くものなり。また本件の事実より見るも爆弾入手の可能性なし。被告ら相互の間に激越なる言動ありてらとすれば、他に罰すべき法条あり。
 要するに本件は刑法第七十三条の大逆罪成立せぞるものと思料す。すべてにおいて公正厳粛なる御裁断を希望すとの弁論をなしたり。

裁判長は、

弁論を続行する旨を告げ、次回期日を明、二月二十八日午前九時と指定し、関係人に出廷を命じ、閉廷したり。  

大正十五年二月二十七日
大審院第一特別刑事部
裁判所書記 戸沢五十三 印
裁判所書記 内村文彦 印
裁判長判事 牧野菊之助 印