21―12ー27(3C)
検察側主張段階
(外□法□□および残虐行為)
22 E 1794
DOC P5591
証明書
オランダ軍情報部戦争犯罪部長、R·N·I·A陸軍中尉[殿]
下名チャールズは正当に宣誓をなしたる上、添附の報告書が左記文書の原本全部の真正にして完全、正確なる写しに相違なきことを証言す。
× × × ×
九、オハラ・セイダイ海軍大尉の宣誓供述書
× × × ×
右はロエアングおよびセルマタ島における集団殺人ならびに強姦に関するものなり。
右の文書はオランダ軍情報部の公式記録の一部なり。
和蘭軍情報部(印)
シー・エイチ・ヨンゲネール」(署名)
1946年/昭和21年/6月7日、バタヴィアにおいてオランダ領東インド最高検察局附上級将校、R·N·I·A陸軍中尉ケイ・エイ・ド・ウィーアドの面前において署名し、宣誓せられたり。
ケイ・エイ・ド・ウィーアド(署名)
陸軍中尉オハラ・セイダイの陳述書
問、あなたの氏名、年齢は?
答、氏名はオハラ・セイダイ、年齢は27歳。
問、あなたの所属部隊は?
答、タナカ部隊ハヤシ隊。
問、あなたの住所は?
答、熊本県カモト郡イワノ村291 。
問、貴方ノ軍隊勤務の概要を述べなさい。
答、1940年/昭和15年/12月、台湾歩兵第2連隊
1941年/昭和16年/10月、久留米士官学校
1942年/昭和17年/1月、ジャワ
1942年/昭和17年/12月、チモール
1944年/昭和19年/六月6、モア島
問、1944年9月におけるモア島の指揮官はだれでしたか。
答、私でありました。
問、1944年9月中にモア島で土民が殺されたことがありますか、またその人数は?
答、セルマタ島およびロエアン島で約四千人の土民が捕虜となり、かつ殺されました。
問、なにゆえに殺されたのですか。
答、土民たちがセルマタおよびロエアン島の憲兵隊を攻撃したからです。
問、だれがその殺すことを命令したのですか。
答、タナカ将軍は土民たちを司令部へ送るよう命じました。しかし土民たちがモアを出発する前に右命令は変更され、私がモアで彼らを殺し、土民の指導者3〜4名をタナカ部隊に送るようにと命ぜられました。
問、あなた自分でその土民たちを殺しましたか。
答、いえ、私はただその殺すのを監督したのです。
問、だれがあなたの手助けをしたのですか。
答、ウド曹長、トヨシゲ軍曹、マツザキ軍曹および21名の他の兵卒たちです。
問、それらの者は今どこにおりますか。
答、ウド曹長およびマツザキ軍曹は台湾第2歩兵連隊とともにトロボクにおります。トヨシゲ軍曹は1945年/昭和20年/7月中、ラウテムに向かいましたが、荷船が着いた時には空でした。それゆえ彼は溺死したものと推定されました。
問、どんな風にして土民たちは殺されたのですか。
答、彼らは3人宛、途上縦隊を作って整列させられました。それから前に述べた21人の兵たちは銃剣で彼らを突き刺し、1度に3人を殺しました。
問、ある証人はあなたが婦女たちを強姦し、その婦人たちは兵営に連れて行かれ、日本人たちの用に供せられたと言いましたが、それは本当ですか。
答、私は兵隊達娼たちのために娼家を1軒設け、私自身もこれを利用しました。
問、婦女たちはその娼家に行くことを快諾しましたか。
答、ある者は快諾し、ある者は快諾しませんでした。
問、幾人[の]女がそこにおりましたか。
答、6人です。
問、その女たちのうち幾人が娼家に入るように強いられましたか。
答、5人です。
問、どうしてそれらの婦女たちは娼家に入るよう強いられたのですか。
答、彼らは憲兵隊を攻擊した者の娘たちでありました。
問、ではその婦女たはちは父親たちのしたことの罰として娼家に入るよう強いられたのですね。
答、左様です。
問、いかほどの期間その女たちは娼家に入れられていましたか。
答、8ヶ月間です。
問、何人ぐらいこの娼家を利用しましたか。
答、25人です。
問、土人を殴ったことがありますか。
答、あります。私は自分たちに協力していた土民兵たちを殴りました。
問、なぜですか。
答、ダマル島生れの土人で、日本兵たちを殺した者の一人がモアへ逃げました。彼は日本人のためのスパイであった一土民の家に隠れました。そこからまた彼は逃亡しましたが、私は彼がどこへ行ったのか分かりませんでした。彼の逃亡後、彼が右のスパイの家に隠れていたことが分かりました。そこで私はそのスパイが私に知らせなかったという理由から拳固でその頭や肩の辺りを殴りました。
問、その土民はひどく傷を受けましたか。
答、いいえ。
オハラ・セイダイ(署名)
証人ジェイ・レンニー陸軍大尉
1946年/昭和21年/1月13日
以上の応答は日本語にてオハラに読み聞かせられ、オハラは、右が彼がなした報告の真実にして正確なる記録なる旨、陳述せり。
No.1 21―12ー27(3C)
検察側主張段階
(外□法□□ 及 残虐行為)
22 E 1794
DOC P5591
證明書
和蘭軍情報部戰爭犯罪部長 R·N·I·A陸軍中尉
下名「チャールズ」ハ正当ニ宣誓ヲ爲シタル上 添附ノ報告書ガ左記文書ノ原本全部ノ眞正ニシテ完全、正確ナル寫ニ相違ナキコトヲ證言ス
× × × ×
九、「オハラ セイダイ」[×陸×]<海>軍[×中×]<大>尉ノ宣誓供述書
× × × ×
右ハ「ロエアング」及「セルマタ」島ニ於ケル集團殺人並ニ強姦ニ関スルモノナリ
右ノ文書ハ和蘭軍情報部ノ公式記錄ノ一部ナリ
和蘭軍情報部(印)
「シーエイチ、ヨンゲネール」(署名)
一九四六年/昭和二十一年/六月七日 「バタヴィア」二於テ蘭領東印度最高檢察局附上級將校 R·N·I·A陸軍中尉「ケイ、エイ、ド ウヰーアド」ノ面前二於イテ署名シ宣誓セラレタリ
「ケイ、エイ、ド ウヰーアド」(署名)
No.2 DOC 5591
陸軍中尉「オハラ·セイダイ」ノ陳述書
問、貴方ノ氏名、年齢ハ?
答、氏名ハ「オハラ·セイダイ」年齢ハ二十七才
問、貴方ノ所属部隊ハ?
答、「タナカ」部隊「ハヤシ」隊
問、貴方ノ住所ハ?
答、熊本縣「カモト」郡「イワノ」村二九一
問、貴方ノ軍隊勤務ノ槪要ヲ述ヘナサイ
答、一九四〇年/昭和十五年/十二月台湾歩兵第二聨隊
一九四一年/昭和十六年/十月久留米士官學校
一九四二年/昭和十七年/一月瓜哇
一九四二年/昭和十七年/十二月「チモール」
一九四四年/昭和十九年/六月「モア」島
問、一九四四年九月ニ於ケル「モア」島ノ指揮官ハ誰デシタカ、
答、私デアリマシタ、
問、一九四四年九月中ニ「モア」島デ土民ガ殺サレタコトガアリマスカ、又ソノ人数ハ?
答、「セルマタ」島及「ロエアン」島デ約四千人ノ土民ガ捕虜トナリ 且 殺サレマシタ
問、何故ニ殺サレタノデスカ、
答、土民達ガ「セルマタ」及「ロエアン」島ノ憲兵隊ヲ攻擊シタカラデス、
問、誰ガソノ殺スコトヲ命令シタノデスカ
No.3 DOC 5591
答、「タナカ」將軍ハ土民達ヲ司令部ヘ送ルヤウ命ジマシタ 然シ土民達ガ「モア」ヲ出発スル前ニ右命令ハ変更サレ 私ガ「モア」デ彼等ヲ殺シ 土民ノ指導者三、四名ヲ「タナカ」部隊ニ送ルヤウニト命ゼラレマシタ、
問、貴方ハ自分デソノ土民達ヲ殺シマシタカ、
答、イエ、私ハ唯ソノ殺スノヲ監督シタノデス、
問、誰ガ貴方ノ手助ヲシタノデスカ
答、「ウド」曹長、「トヨシゲ」軍曹、「マツザキ」軍曹及二十一名ノ他ノ兵卒達デス、
問、ソレ等ノ者ハ今何處ニ居リマスカ、
答、「ウド」曹長及「マツザキ」軍曹ハ台湾第二歩兵聨隊ト共ニ「ロボク」ニ居リマス、「トヨシゲ」軍曹ハ一九四五年/昭和
二十年/七月中「ラウテム」ニ向ヒマシタガ荷船ガ着イタ時ニハ空デシタ、ソレ故彼ハ溺死シタモノト推定サレマシタ、
問、ドンナ風ニシテ土民達ハ殺サレタノデスカ、
答、彼等ハ三人宛 途上縱隊ヲ作ツテ整列サセラレマシタ、ソレカラ前ニ述ベタ二十一人ノ兵達ハ銃劔デ彼等ヲ突刺シ一度ニ三人ヲ殺シマシタ、
問、或ル證人ハ貴方ガ婦女達ヲ強姦シ ソノ婦人達ハ兵營ニ連レテ行カレ日本人達ノ用ニ供セラレタテト言ヒマシタガ ソレハ本当デスカ
答、私ハ兵隊達ノ為ニ娼家ヲ一軒設ケ 私自身モ之ヲ利用シマシタ、
問、婦女達ハソノ娼家ニ行クコトヲ快諾シマシタカ
No.4 DOC 5591
答、或ル者ハ快諾シ 或ル者ハ快諾シマセンデシタ、
問、幾人女ガソコニ居リマシタカ
答、六人デス、
問、ソノ女達ノ中幾人ガ娼家ニ入ル様ニ强ヒラレマシタカ
答、五人デス、
問、ドウシテソレ等ノ婦女達ハ娼家ニ入ル様强ヒラレタノデスカ、
答、彼等ハ憲兵隊ヲ攻擊シタ者ノ娘達デアリマシタ、
問、デハ其ノ婦女達ハ父親達ノシタ事ノ罰トシテ娼家ニ入ル様强ヒラレタノデスネ
答、左様デス
問、如何程ノ期間ソノ女達ハ娼家ニ入レラレテヰマシタカ、
答、八ヶ月間デス
問、何人位コノ娼家ヲ利用シマシタカ
答、二十五人デス
問、土人ヲ殴ツタコトガアリマスカ
答、アリマス、私ハ自分達ニ協力シテヰタ土民兵達ヲ殴リマシタ、
問、何故デスカ、
答、「ダマル」島生レノ土人デ日本兵達ヲ殺シタ者ノ一人ガ「モア」ヘ逃ゲマシタ、彼ハ日本人ノ為ノ「スパイ」デアツタ一土民ノ家ニ隠レマシタ、ソコカラ又彼ハ逃亡シマシタガ、私ハ彼ガ何処ヘ行ツタノカ分リマセンデシタ、彼ノ逃亡後 彼ガ右ノ「スパイ」ノ家ニ隠レテヰタコトガ分リマシタ、ソコデ私ハソノ「スパイ」ガ私ニ知ラセナカツタト言フ理由カラ拳固デソノ頭ヤ肩ノ辺ヲ殴リマシタ、
No.5 DOC 5591
問、ソノ土民ハ非道ク傷ヲ受ケマシタカ
答、イイエ
「オハラ·セイダイ」(署名)
証人「ジエイ·レンニー」陸軍大尉
一九四六年/昭和二十一年/一月十三日
以上ノ應答ハ日本語ニテ「オハラ」ニ讀ミ聞カセラレ 「オハラ」ハ右ガ彼ガ為シタ報告ノ眞実ニシテ正確ナル記錄ナル旨 陳述セリ、
↑A級極東国際軍事裁判記録(和文)(NO.54) https://www.digital.archives.go.jp/img.pdf/3339684
第192~197画面