五二 十月三日 寺島外務卿より
各国駐箚帝国公使あて
江華島事件に関し報知の件
八年十月三日付にて達す
別啓 各公使へ別啓案
九月二十日、我が雲揚艦、朝鮮国近海江華と申す辺りへ航行、小艇を下し測量いたし候ふところ、同国砲台より砲発いたし候ふにつき、その所以相糺しのため相迫り候ふところ、砲弾頻りに飛び来たり候ふゆへその日は引き揚げ、翌二十一日に至り懸け合ひのため再び進艦いたし候ふ折から、またぞろ砲發いたし候ふより、拠んどころなく砲門を開き答発いたし、終に上陸、砲大焼き払ひ、大小砲三十六挺分捕り長崎まで引き取り候ふ趣き、同処より電信の報知これあり候ふ。この段、取り敢へず、去る九月三十日付暗号電を以て申進する義にこれあり候ふ。右につき本艦艦長井上某は事実報告のため至急上京下命相成り候ふにつき、不日着京いたすべく、その上にて詳細の義、相分り申すべく、かつ森山少丞の義は草梁館在住の。我が人民の保護だけの指令いたし置き、春日艦も非常の節のため同所に趣き申し候ふ。もっともなほ委曲次便申進すべく候へども、先に右の件々、申進し置き候ふなり。
十月
外務卿 寺島宗則
五二 十月三日 寺島外務卿ヨリ
各國駐箚帝國公使宛
江華島事件ニ關シ報知ノ件
八年十月三日附ニテ達ス
別啓 各公使ヘ別啓案
九月廿日我雲揚艦朝鮮國近海江海華ト申邊ヘ航行小艇ヲ下シ測量致候處同國砲臺ヨリ砲發致候ニ付其所以相糺シノ爲
相迫候處砲彈頻ニ飛來リ候ユヘ其日ハ引揚ケ翌廿一日ニ至リ懸合ノ爲再ヒ進艦致候折柄又候砲發致シ候ヨリ無據砲門ヲ開キ答發致シ終ニ上陸砲臺燒拂大小砲三十六挺分捕リ長崎迄引取候趣同處ヨリ電信ノ報知有之候此段不取敢去ル九月三十日附暗號電ヲ以テ申進義ニ有之候右二付本艦々長井上某ハ事實報告ノ爲至急上京下命相成候ニ付不日着京可致其上ニテ詳細ノ義相分可申且森山少丞義ハ草梁館在住ノ我人民ノ保護丈ノ指令致置春日艦モ非常ノ節ノ爲同所ニ趣キ申候尤猶委曲次便可申進候ヘトモ先右ノ件々申進置候也
十月
外務卿 寺島宗則
↑日本外交文書デジタルコレクション 第8巻(明治8年/1875年) 5 朝鮮江華島事件ニ関スル件 https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/DM0001/0001/0008/0164/index.djvu