Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

『日本紀』の神武天皇紀の「掩八紘而為宇」について 津田左右吉『日本歴史の研究に於ける科学的態度』より 1946. 3. 

 然らばその固陋の思想とは何であるかというと、それを一々ここで数えたてることはできないし、またそうするにも及ぶまいが、その主なるものは上代史に関することであって、その根本の考は、いわゆる記紀の神代や上代の部分を歴史的事実を記したものとして信奉するところにある。[中略]

 しかしこういうようないろいろの主張には、第一に、記紀の記載を歴史的事実として信ずるといいながらそれに背いていることがあるので、例えば、アマテラス・オオミカミが実在の人物であるというのは、それを日の神とし太陽神とし、タカマガハラ(高天原)という天上の世界にいることにしてある記紀の記載と矛盾するものであり、オオヤシマが最初から一つの国として皇室に統治せられていたことが事実であるとすれば、オオナムチ(大己貴)の命がアシハラノナカツクニ(葦原の中国)を皇孫に献上したというそれとは一致しない記紀の記載をも、ジンム天皇の東征ということをも、理解することができない。これは物語に語られていることをその全体にわたって考えず、一部分または一方面の記載を恣にとり出して、それだけを主張の根拠とするからのことであって、そこにこういう主張に学問的根拠のない理由がある。

 第二には、記紀の用語や文字の意義に背いていることがある。例えば、日本は世界を従属させるべきものであるという主張が『日本紀』の神武天皇紀の「掩八紘而為宇」を根拠とするようなのがその一つである。この句は「兼六合以開都」と対になっているので、「為宇」の「宇」は建築物としての家屋のこと、「為」は造作の義であり、この場合では宮殿を作るということである。(大和地方は服属したからさしあたって橿原に皇居を設けることにするが大和以外の地方はまだ平定しないから)日本の全土を統一してから後に、あらためて壮麗な都を開き、宮殿を作ろう、というのがこの二句にいいあらわされていることなのである。(これは『文選』に見えている王延寿の魯霊光殿賦のうちの辞句をとってそれを少しくいいかえたものであるが、このことについての詳しい考証は近く発刊せられるはずの『東洋史会紀要』第五冊にのせておいた。)このような出典などを詮索せずとも、この句を含む「令」というものの全体と神武紀の始終とをよく読んでみれば、「為宇」がこういう意義であることは、おのずからわかるはずである。「宇をつくる」と訓よむべきこの「為宇」を、いつのころからか「宇となす」と訓み「宇」を譬喩の語として見るものがあったので、そこから八紘を一家とするというような解釈が加えられ、それによって上記の主張がせられたのであろう。こういう主張は、『古事記』の物語にもとづいたノリナガやアツタネ(篤胤)の思想にも一つの淵源があるが、近年の主張者はそれよりもむしろ『日本紀』のこの語を根拠としていたようである。そうしてこういうことのいわれたのは、誤った訓みかたから誘われたのではあるが、その訓みかたの正しいか否かを学問的方法によって吟味することなしに、特にこの句の用いてある文章の全体の意義を考えることなしに、この句だけをとり出してそれに恣な解釈をしたのであって、それはまた、古典を解釈するのではなくして、自己の主張のために古典を利用しようとする態度から出たことである。こういう態度から多くの虚妄な説が造作せられ宣伝せられたのが、近年の状態であった。

 

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