昭和十二年十二月十四日
南京城内戦闘詳報
第十二号 歩兵第三十八連隊
南京城内戦闘詳報
一 戦闘前における彼我形勢の概要
1 敵は南京西北部下関より揚子江北岸に敗走せしも、我の進出急なりしため退路を扼止せられ、ほとんど殲滅せられたるも、城内にはなほ抵抗の意志を有する敵、相当多数潜在しあるもののごとし。十二月十四日、旅団は南京城中央門以西に位置し、南京城内外の掃蕩を徹底的実施せんことを企図し、左記命令を下達せらる。
当時、旅団司令部は中央門外にありて、連隊は下関にあり、連絡やや不便なり。
歩兵第三十旅団命令
十二月十四日午前四時五十分
於 中央門外
一、敵は全面的に敗北せるも、なほ抵抗の意志を有するもの散在す。
二、旅団は本十四日、南京北部城内および城外を徹底的に掃蕩せんとす。
三、歩兵第三十三連隊は、金川門(これを含む)以西の城門を守備し、下関および北極角[→閣]を東西に連ぬる線、および城内中央より獅子山に通ず[る]道路(含む)城内三角地帯を掃蕩し、支那兵を撃滅すべし。
四、歩兵第三十八連隊(第二大隊欠)は、金川門(これを含まず)以東の城門を守備し、歩兵三十三連隊掃蕩地区以東の城内および和平門、中央大学農林を連ぬる線以西地区を掃蕩し、支那兵を撃滅すべし。
五、歩兵第三十八連隊第二大隊は、玄武湖および紫金山の中間にある山岳地帯(これを含む以西の地区)を掃蕩し、支那兵を撃滅すべし。
六、各隊は師団の指示あるまで俘虜を受け付くるを許さず。
七、野砲兵第一大隊は和平門北側附近にありて、烏龍山砲台方面において駐止せらるると思はれる敵の兵団に対し適時射撃し在[→得?]るごとく陣地を選定し、その準備に在るべし。
八、独立軽装甲車第八中隊は、その一小隊を速やかに湯水鎮に到らしめ、軍司令官の直轄たらしめ、爾余は中央門附近に集結し後命を待つべし。
九、迫撃砲隊は現在地にありて待機すべし。
一〇、工兵小隊は予備隊となり、中央門外に位置すべし。
一一、余は中央門外にあり。
支隊長 佐々木少将
二 戦闘に影響を及ぼしたる気象および地形等の状態
1 日出時刻は概ね午前七時にして快晴。気温、日中温暖。夜間もまた星明りあり。
2 南京城内には避難民、相当多数ありたるも、これらは一地区に集合避難しありて、掃蕩地区内には住民ほとんどなし。
三 彼我の兵力その他の状況
1 敵は統制の下に我と交戦の意図を有するがごときものなきが、敗残潜在する数は少くも五、六千名を下らず。
2 我の兵力は第二大隊および連隊砲中隊、速射砲中隊。
3 交戦せし敵の団体号は第三十六師の一部ならびに教導総隊および清涼山砲台守備隊の敗残兵なるがごとし。
四 各時機における戦闘経過
1 戦闘経過の概要、別紙要図のごとし。
2 聯隊は午前九時、掃蕩命令を下し、午前十時、 展開線に就かんとせしも、途中、金川門その他に障碍物多く、行進渋滞し、午前十一時に至り予定の線に展開す。
歩兵第三十八連隊命令
十二月十四日午前九時
於 下関
一、敵は前面的に敗北せるも、なほ抵抗の意志を有する者散在す。
旅団は本十四日、南京北部城内および城外を徹底的に掃蕩す。
歩兵第三十三連隊は獅子山砲台、中山路、中央三叉路以西地区および下関を掃蕩す。
二、歩兵第三十八連隊(第二大隊欠)は和平門─金川門─中山路(含まず)と中央門との大通り交叉点の水関の地区内を掃蕩し、支那兵を撃滅せんとす。第二大隊は玄武湖以東、紫金山に至る間を掃蕩するはず。
三、第一大隊は右掃蕩隊、第二大隊は左掃蕩隊とす。
両大隊掃蕩区域の境界、模範馬路、中央門南北の大道を連ぬる線とす。線上は左大隊に属す。
四、両掃蕩隊は午前十時、中山路の線に準備すべし。
午前十時までに第一中隊より鐘阜門(中央門西方一粁)玄武門─水関─北極閣および中央門通り、中山路との三叉点の要点を、一部をもって占領するを要す。
掃蕩経過の概要、次のごとし。
(1) 中山路通り出発は午前十時三十分とす。その東方、鉄道線路(南京鉄路)、百年亭(北極閣の東方約八粁)の線にて概ね午前十時三十分、鐘阜門─玄武門西連ぬる線、午後零時三十分。
(2) 中央門西南方高地を東北に亘る線、概ね午後一時三十分。
(3) その以北、和平門に至る、午後二時。
(4) 午後三時、掃蕩終れば第一大隊は和平門附近に、第二大隊は中央門附近に兵力を終結すべし。
(5) 歩兵砲中隊は中央門北側高地に午前十時三十分までに陣地を占領し、城外に脱出する敵を殲滅すべし。
(6) 通信班は第一大隊、第三大隊、連隊本部間に電話連絡[を]午前十時三十分に完了すべし。
(7) その他(速射砲中隊および各隊小行李車輌にして市内に持入り出来ないもの)は速射砲中隊長の区処をもって中央門外に至り、待機すべし。第三大隊より歩兵二分隊を援護部隊として派遣すべし。
(8) 第四中隊の一小隊は予備隊とす。金川門外に位置すべし。
(9) 余はまづ金川門に至る。
連隊長 助川大佐
3 概ね予定のごとく掃蕩を実施中、左の旅団命令を受けたるをもって、直ちに通信班をして旅団司令部─下関間の電話連絡に任ぜしめたり。
左側支隊命令
十二月十四日午後一時〇分
於 南京中央門外司令部
一、 軍(師団)と海軍との連絡のため本日午後五時までに左のごとく電話を架設すべし。
旅団📞──📞歩兵第三十八連隊(作夜の位置)歩兵第三十八連隊
歩兵第三十八連隊📞──📞軍艦勢多歩兵第三十三連隊
ただし軍艦勢多は錨地、京滬桟橋。
4 午後五時三十分、掃蕩を完了す。その結果、付表第二のごとし。
連隊は一部をもって和平門、中央門を守備し、主力をもって宿営地に露営するため左の命令を下達す。
歩兵第三十八連隊命令
十二月十四日午後九時三十分
於 下関
一、敗走する敵はなほ残留しあり。
ニ、連隊(第二大隊欠)は一部をもって要点を確保し、主力をもって下関に兵力を終結し、村落露営せんとす。
三、第一中隊は和平門および中央門の守備に任ずべし。特に支那人を一切、出入りせしむべからず。
四、各隊は該設営者の指示せるところに従ひ村落露営すべし。
五、露営司令官、竹内中佐とす。
六、本夜の給与は携帯せるものを使用すべし。
七、第三大隊は連隊砲の給与を担任するものとす。
八、衛生隊は中央門外に繃帯所を開設しあり、又、第三野戦病院は城内中央病院に在るはず。
九、余は露営地のほぼ中央にあり。午後十一時三十分、命令受領者を差出すべし。
連隊長 助川大佐
五 戦闘後における彼我形勢の概要
敵は全く殲滅せしをもって、我は掃蕩後、再び下関に至り露営せり。
六 齟齬、過失その他将来の参考となるべき事項
旅団命令による掃蕩区域内の掃蕩を実施せしに、すでに歩兵第二十連隊の一部をもって掃蕩を終れる区域ありたり。
本掃蕩間、功績顕著なる者なし。
七 本掃蕩において南京鉄道部内にありし敵の第五十二師参謀長「孟化一」の作戦室において押収せし敵の防禦陣地配備要図(五万分の一)地図を縮小複製したるものを別紙の通り添付す。
[中略]
南京城戦闘参加将校 (准尉) 職員表
昭和一二、一二、一四
連隊長 大佐 助川静二
副官 中佐 児玉義雄
旗手 中尉 蛭沢憲一
連隊本部
通信班長 予 准尉 西峰義雄
瓦斯係 予 准尉 大西隆吉
獣医 中尉 松本好一
大隊本部
大隊長
第一大隊 中佐 竹内 正
第二大隊 少佐 水谷 純
第三大隊 少佐 大槻吉武
[中略]
「附表第三 戦闘詳報第十二号附表 十二年十二月十四日南京城内戦闘詳報鹵獲表」より
俘虜 将校 准士官下士官兵
第三大隊 七〇 七一三〇
計 七〇 七一三〇
戦利 敵の秘密書類
連隊本部 一包
歩兵砲中隊 一包
計 二
備考
一、俘虜七、二〇〇名は第十中隊、尭化門附近を守備すべき命を受け同地に在りしが、十四日午前八時三十分頃、数千名の敵、白旗を掲げて前進し来り、午後一時、武装を解除し南京に護送せしものを示す。
二、敵の秘密書類一包は地図其他の秘密に属するものなり。
昭和十二年十二月十四日
南京城内戰闘詳報
第一二號 歩兵第三十八聯隊
南京城内戦闘詳報
一、戰闘前ニ於ケル彼我形勢ノ槪要
1 敵ハ南京西北部下關ヨリ揚子江北岸ニ敗赱セシモ我ノ進出急ナリシ為メ退路ヲ扼止セラレ 殆ト殲滅セラレタルモ 城内ニハ尚抵抗ノ意志ヲ有スル敵相當多数潛在シアルモノノ如シ 十二月十四日 旅團ハ南京城中央門以西ニ位置シ南京城内外ノ掃蕩ヲ徹底的實施センコトヲ企圖シ左記命令ヲ下達セラル
當時旅團司令部ハ中央門外ニアリテ聯隊ハ下關ニアリ 連絡稍〻不便ナリ
步兵第三十旅團命令
十二月十四日午前四時五十分
於 中央門外
一、敵ハ全面的ニ敗北セルモ尙抵抗ノ意志ヲ有スルモノ散在ス
二、旅團ハ本十四日南京北部城内 及 城外ヲ 徹底的ニ掃蕩セントス
三、步兵第三十三連隊ハ金川門 (之ヲ含ム) 以西ノ城門ヲ守備シ 下關 及 北極角[ママ]ヲ東西ニ連ヌル線 及 城内中央ヨリ獅子山ニ通ス[ル]道路 (含ム) 城内三角地帶 ヲ掃蕩シ 支那兵ヲ擊滅スヘシ
四、步兵第三十八聯隊 (第二大隊欠) ハ金川門 (之ヲ含マズ) 以東ノ城門ヲ守備シ步兵三十三聯隊掃蕩地區以東ノ城内 及 和平門、中央大學農林ヲ連ヌル線以西地區ヲ掃蕩シ 支那兵ヲ擊滅スへシ
五、步兵第三十八聯隊第二大隊ハ玄武湖及紫金山ノ中閒ニ在ル山岳地帶 (之ヲ含ム以西ノ地區) ヲ掃蕩シ 支那兵ヲ擊滅スベシ
六、各隊ハ師團ノ指示アル迠 俘虜ヲ受付クルヲ許サス
七、野砲兵第一大隊ハ和平門北側附近ニ在リテ烏龍山砲
臺方面ニ於テ駐止セラルヽト思ハレル敵ノ兵團ニ對シ適時射擊シ在[→得?]ル如ク陣地ヲ選定シ 其ノ準備ニ在ルヘシ
八、獨立輕裝甲車第八中隊ハ其ノ一小隊ヲ速ニ湯水鎭ニ到ラシメ軍司令官ノ直轄タラシメ 尓余ハ中央門附近ニ集結シ後命ヲ待ツヘシ
九、迫擊砲隊ハ現在地ニアリテ待機スヘシ
一〇、工兵小隊ハ豫備隊ト成リ、中央門外ニ位置スベシ。
一一、余ハ中央門外ニ在リ
支隊長 佐々木少將
二 戰闘ニ影響ヲ及ホシタル 氣象 及 地形等ノ狀態
1 日出時刻ハ槪ネ午前七時ニシテ快晴 氣温、日中温暖、夜閒モ亦星明アリ
2 南京城内ニハ避難民 相當多数アリタルモ、之等ハ一地區ニ
集合避難シアリテ 掃蕩地區内ニハ住民殆トナシ
三 彼我ノ兵力其ノ他ノ狀况
1 敵ハ統制ノ下ニ我ト交戰ノ意圖ヲ有スルカ如キモノ無キカ敗残潛在スル数ハ少クモ五、六千名ヲ下ラス
2 我ノ兵力ハ第二大隊 及 聯隊砲中隊、速射砲中隊
3 交戰セシ敵ノ團体號ハ第三十六師ノ一部 並ニ敎導総隊 及 清涼山砲台守備隊ノ敗残兵ナルカ如シ
四 各時機ニ於ケル戰闘経過
1 戰闘経過ノ槪要別紙要圖ノ如シ
2 聯隊ハ午前九時 掃蕩命令ヲ下シ 午前十時 展開線ニ就カントセシモ 途中 金川門其ノ他ニ障碍物多ク 行進澁滯シ 午前十一時ニ至リ豫定ノ線ニ展開ス
步兵第三十八聯隊命令
十二月十四日午前九時
於 下關
一 敵ハ前[ママ]面的ニ敗北セルモ尙抵抗ノ意志ヲ有スル者散在ス
旅團ハ本十四日南京北部城内 及 城外ヲ徹底的ニ掃蕩ス
步兵第三十三聯隊ハ獅子山砲臺中山路中央三叉路以西地區 及 下關ヲ掃蕩ス
二 步兵第三十八聯隊 (第二大隊欠) ハ和平門─金川門─中山路 (含マス) ト中央門トノ大通リ交叉點ノ水關ノ地區内ヲ掃蕩シ 支那兵ヲ擊滅セントス 第二大隊ハ玄武湖以東紫金山ニ至ル閒ヲ掃蕩スル筈
三 第一大隊ハ右掃蕩隊 第二大隊ハ左掃蕩隊トス
両大隊掃蕩區域ノ境界 模範馬路中央門南北ノ大道ヲ連ヌル線トス 線上ハ左大隊ニ属ス
四 両掃蕩隊ハ午前十時中山路ノ線ニ準備スヘシ
午前十時マテニ第一中隊ヨリ鐘阜門 (中央門西方一粁) 玄武門─水關─北極閣 及 中央門通リ 中山路トノ
三叉點ノ要點ヲ 一部ヲ以テ占領スルヲ要ス
掃蕩経過ノ槪要次ノ如シ
(1) 中山路通リ出發ハ午前十時三十分トス 其ノ東方鐵道線路 (南京鐵路) 百年亭 (北極閣ノ東方約八粁) ノ線ニテ槪ネ午前十時三十分 鐘阜門─玄武門西[ヲ]連ヌル線 午後零時三十分
(2) 中央門西南方高地ヲ東北ニ亘ル線 槪ネ午後一時三十分
(3) 其ノ以北和平門ニ至ル 午後二時
(4) 午後三時 掃蕩終レハ 第一大隊ハ和平門附近ニ 第二大隊ハ中央門附近ニ兵力ヲ終結スヘシ
(5) 步兵砲中隊ハ中央門北側高地ニ午前十時三十分迠ニ陣地ヲ占領シ 城外ニ脱出スル敵ヲ殲滅スヘシ
(6) 通信班ハ第一大隊 第三大隊 聯隊本部間ニ電話連絡[ヲ]午前十時三十分ニ完了スヘシ
(7) 其ノ他 (速射砲中隊 及 各隊小行李車輌ニシテ市内ニ持入リ出來ナイモノ) ハ速射砲中隊長ノ區處ヲ以テ中央門外ニ至リ 待機スヘシ 第三大隊ヨリ步兵二分隊ヲ援護部隊トシテ派遣スヘシ
(8) 第四中隊ノ一小隊ハ豫備隊トス 金川門外ニ位置スヘシ
(9) 余ハ先ツ金川門ニ至ル
聯隊長 助川大佐
3 槪ネ豫定ノ如ク掃蕩ヲ實施中 左ノ旅團命令ヲ受ケタルヲ以テ 直ニ通信班ヲシテ旅團司令部─下關間ノ電話連絡ニ任セシメタリ
左側支隊命令
十二月十四日午後一時〇分
於 南京中央門外司令部
一、 軍 (師團) ト海軍トノ連絡ノ為メ本日午後五時迠ニ左ノ如ク電話ヲ架設スヘシ
旅團📞──📞步兵第三十八聯隊 (作[ママ]夜ノ位置) 步兵第三
十八聯隊
步兵第三十八聯隊📞──📞軍艦勢多歩兵第三十三聯隊
但シ軍艦勢多ハ錨地京滬桟橋
4 午後五時三十分 掃蕩ヲ完了ス 其ノ結果 附表第二ノ如シ
聯隊ハ一部ヲ以テ和平門 中央門ヲ守備シ 主力ヲ以テ宿營地ニ露營スル為メ左ノ命令ヲ下達ス
步兵第三十八連隊命令
十二月十四日午後九時三十分
於 下關
一 敗赱セル敵ハ尙残留シアリ
ニ 連隊 (第二大隊欠) ハ一部ヲ以テ要奌ヲ確保シ 主力ヲ以テ下關ニ兵力ヲ終結シ 村落露営セントス
三 第一中隊ハ和平門 及 中央門ノ守備ニ任スへシ 特ニ支那人ヲ一切出人[ママ]セシムヘカラス
四 各隊ハ該設営者ノ指示セル處ニ從ヒ 村落露営スベシ。
五、露営司令官 竹内中佐トス
六 本夜ノ給與ハ携帶セルモノヲ使用スヘシ
七 第三大隊ハ聯隊砲ノ給与ヲ担任スルモノトス
八 衛生隊ハ中央門外ニ繃帯所ヲ開設シアリ 又 第三野戰病院ハ城内中央病院ニ在ル筈
九 余ハ露営地ノ略〻中央ニ在リ 午後十一時三十分 命令受領者ヲ差出スヘシ
聯隊長 助川大佐
五 戰戦後ニ於ケル彼我形勢ノ槪要
敵ハ全ク殲滅セシヲ以テ我ハ掃蕩後 再ヒ下關ニ至リ露営セリ
六 齟齬過失其ノ他將來ノ參考ト成ヘキ事項
旅團命令ニ依ル掃蕩區域内ノ掃蕩ヲ實施セシニ 既ニ步兵第二十聯隊ノ一部ヲ以テ掃蕩ヲ終レル區域アリタリ
本掃蕩間功績顯著ナル者ナシ
七 本掃蕩ニ於テ南京鉄道部内ニ在リシ敵ノ第五十二師參謀長「孟化一」ノ作戰室ニ於テ押收セシ敵ノ防禦陣地配備要圖 (五萬分ノ一) 地圖ヲ縮小複製シタルモノヲ 別紙ノ通リ添付ス
南京城掃蕩戰経過要圖
(十二月十四日)
首都附近防禦陣地配偹要圖
(聯隊本部西峯准尉押收品ノ縮少圖)
南京城内戰鬪參加將校 (准尉) 職員表
昭和一二、一二、一四
聯隊長 大佐 助川靜二
副官 中佐 児玉義雄
旗手 中尉 蛭澤憲一
聯隊本部
通信班長 予 准尉 西峯義雄
瓦斯係 予 准尉 大西隆吉
獸醫 中尉 松本好一
大隊本部
大隊長
第一大隊 中佐 竹内 正
第二大隊 少佐 水谷 純
第三大隊 少佐 大槻吉武
戰鬪詳報第一二號附表
十二年
十二月十四日
南京城内戰鬪詳報死傷表
附表第二
戰鬪詳報第一二號附表
十二年
十二月十四日
南京城内戰鬪詳報武器彈藥損耗表
附表第三
戦闘詳報第十二号附表
十二年
十二月十四日
南京城内戰鬪詳報鹵獲表
俘虜 將校 准士官下士官兵
第三大隊 七〇 七一三〇
計 七〇 七一三〇
戦利 敵ノ秘密書類
連隊本部 一包
歩兵砲中隊 一包
計 二
備考
一、俘虜七、二〇〇名ハ第十中隊尭化門附近ヲ守備スヘキ命ヲ受ケ同地ニ在リシガ十四日午前八時三十分頃数千名ノ敵白旗ヲ揭ゲテ前進シ來リ午後一時武裝ヲ解除シ南京ニ護送セシモノヲ示ス
二、敵ノ秘密書類一包ハ地圖其他ノ秘密ニ属スルモノナリ
↑「南京城内戦闘詳報 第12号 昭和12年12月14日 歩兵第38連隊」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11111200500、歩兵第38連隊 江蘇省常熟県滸浦鎮附近戦闘詳報 昭和12年11月4日~昭和12年11月15日(防衛省防衛研究所)