Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

【工事中】徐葆光 著『中山伝信録』巻一 1720. 7. 11

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 康煕庚子七月十一日熱河進
冊封琉球圖夲副墨
 中山傳信錄
 康煕六十年辛丑刊
      二友齋藏板

 

 康煕庚子 (1720 年) 七月十一日に熱河で進呈した琉球冊封の [報告] 図本ですの添付書
 中山伝信録
 康煕六十年辛丑 (1721 年) 刊行
      版木保管 二友齋

 

https://www.digital.archives.go.jp/img/4764893 17/96

  玻璃漏        針盤
    [図]       [図]

  更 (定更法)
 海中船行里數皆以更計或云百里爲一更或云六
 十里爲一更或云分晝夜爲十更今問海舶夥長皆
 云六十里之說爲近

 

 玻璃漏        針盤
   [図]       [図]

 (更を定むる法)
海中船行の里数、みな更を以て計る。あるいは百が一更を為すと云ひ、あるいは六十里が一更を為すと云ひ、あるいは昼夜を分ちて十更を為すと云ふ。海舶の夥長に今問はば、みな六十里の説を近しと云はむ。

 

 玻璃漏        針盤
   [図]       [図]

   更 (更の定め方)

 海中を船で行く距離はみな「更」[の単位] で計る。百里 [57.6 km] で一更になるとする者もあれば、六十里 [34.6 k] で一更になるとする者もあり、一昼夜 [の移動距離] で十更になるとする者もある。海を渡る大船の舵取りに今尋ねれば、みな六十里の説が近いとするであろう。

19 https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko08/bunko08_c0123/bunko08_c0123_0001/bunko08_c0123_0001_p0019.jpg

  玻璃漏        針盤
    [図]       [図]

   更 (更ヲ定ル法)
 海中船行ノ里数。皆更ヲ以テ計ル。或ハ云フ百里ヲ一更ト為 [スト] 。或ハ云フ六十里ヲ一更ト為 [スト] 。或ハ云フ昼夜ヲ分テ十更ト為 [スト] 。海舶ノ夥長ニ今問フニ。皆云フ六十里之説ヲ近ト。

 

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 舊錄云以木柹從船頭投海中人疾趨至梢人柹同
 至謂之合更人行先於柹爲不及更人行後於柹爲
 過更今西洋舶用玻璃漏定更簡而易曉細口大腹
 玻璃瓶兩枚一枚盛沙滿之兩口上下對合通一線
 以過沙懸針盤上沙過盡爲一漏卽倒轉懸之計一
 晝一夜約二十四漏每更船六十里約二漏半有零
 人行先木柹爲不及更者風慢船行緩雖及漏刻尚
 無六十里爲不及更也人行後於柹爲過更者風疾
 船行速當及漏刻已踰六十里爲過更也

 

 旧録に云く、木柿 [板?] を船頭より海中に投じ、人疾く趨りて梢に至る。人柿 [板?] 同じく至らば、これを合更 (更に合ふ) と謂ふ。人の行くが柿 [板?] に先だつを不及更 (更に及ばず) と為す。人の行くが柿 [板?] に後るゝを過更 (更に過ぐ) と為す。今、西洋の舶、玻璃漏を用ひて更を定む。簡にして暁し易し。細口大腹玻璃瓶両枚、一枚に沙を盛りてこれを満つ。両口上下対合し、一線を通じて沙を過ごす。針盤上に懸け、沙の過ぎ尽くるを一漏と為す。即ち倒転してこれを懸く。一昼一夜を計るに約して二十四漏なり。更毎に船六十里、約して二漏半有零なり。人の行くが木柿 [板?] に先だつを不及更と為すは、風の慢にして船の行くが緩く、漏刻に及ぶと雖も尚六十里無く、更に及ばざる為なり。人の行くが柿 [板?] に後るゝを過更と為すは風の疾くして船の行くが速く、漏刻に及ぶに当り、已に六十里に踰るを過更と為すなり。

 

 旧い記録によれば、木柿 [板?] を船首より海中に投げ落とし、人が末端 [=船尾] を目がけて疾走する。人と柿 [板?] が同時に [船尾に] 達すれば、これを合更 (更に合う) と呼ぶ。人の進むのが柿 [板?] に先立てば不及更 (更に及ばない) と言う。人の進むのが柿 [板] に後れれば過更 (更を過ぎる) と言う。今の西洋の大船は玻璃漏 [=砂時計] を用いて更を定める。簡単であって明らかにしやすい。口が細く腹が大きいガラス瓶一対のうち、一つに砂を盛ってこれを満たす。両方の口を上下に向かい合わせて繋げ、砂に細い線を通過させる。羅針盤の上に吊り下げ、砂がことごとく通過するまでを一漏とする。即座に [上下を] 反転させて吊り下げる。一昼夜を計ると約二十四漏である。一更ごとに船は六十里 [進み]、[その間が] およそ二漏と余り半漏である。人の進むのが木柿 [板?] に先立つことを不及更とするのは、風が弱くて船が進むのが遅く、一漏の刻限が来ても六十里に足らず、更に及ばないためである。人の進むのが柿 [板?] に後れることを過更とするのは、風が強くて船の進むのが速く、一漏の刻限が来た時点で、すでに六十里を超えていることを、更を過ぎたとするのである。

 

20 https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko08/bunko08_c0123/bunko08_c0123_0001/bunko08_c0123_0001_p0020.jpg

 旧録ニ云ク。木柿ヲ船頭ヨリ海中ニ投シ。人疾ク趨テ梢ニ至ル。人柿同ク至ル。之ヲ合更ト謂フ。人行柿ニ先ツヲ更ニ及ハスト為 [ス] 。人行柿ニ後ルヽヲ更ニ過クト為 [ス] 。今西洋ノ舶。玻璃漏ヲ用テ更ヲ定ム。簡ニシテ暁シ易 [シ] 。細口大腹玻璃瓶両枚。一枚ニ沙ヲ盛テ之ヲ満ツ。両口上下対合シ。一線ヲ通シテ沙ヲ過ス。針盤上ニ懸ク。沙過キ尽スヲ一漏ト為[シ]。即倒シ転シテ之ヲ懸ク。計ルニ一昼一夜。約スルニ二十四漏。毎更船六十里。約スルニ二漏半有零。人行木柿ニ先ツヲ更ニ及ハスト為 [ス] ハ風慢ニシテ船行緩ク。漏刻ニ及ト雖尚六十里無 [ク] 。更ニ及ハサル為ナリ。人行柿ニ後ルヽヲ過更ト為ハ風疾クシテ船行速シ。漏刻ニ及ニ当テ。已ニ六十里ニ踰ルヲ過更ト為 [ス] ナリ。

 

西:福州 東沙 彭湖 臺灣·鷄籠山 花瓶嶼 彭佳山 釣魚臺 黃尾嶼 赤尾嶼 姑米山 馬齒山 中山·那霸港:東

東沙外放洋單辰針十更取鷄籠山頭 自鷄籠頭乙卯針單卯針十更取釣魚臺 自釣魚臺單卯針四更取黃尾嶼 自黃尾嶼甲卯針十更取赤尾嶼 自赤尾嶼乙卯針六更取姑米山 自姑米山單卯針取馬齒山甲卯及甲寅收入那霸港

 

西:福州 東沙 彭 [=澎] 湖 台湾·鶏籠山 花瓶嶼 彭佳山 釣魚台 黄尾嶼 赤尾嶼 姑米山 馬齒山 中山·那覇港:東

東沙の外で大海原に出て、辰 [東南東やや南寄り] に針路を取り十更行くと鶏籠山の頂上が見える。鶏籠山頂から乙と卯の間 [東やや東北東寄り] と卯 [真東]に針路を取り十更進行くと釣魚台が見える。釣魚台から卯 [真東] に針路を取り四更行くと黄尾嶼が見える。黄尾嶼から甲卯 [東やや東北東寄り] に針路を取り十更行くと赤尾嶼が見える。赤尾嶼から乙卯 [東やや東南東寄り] に針路を取り六更行く姑米 [=久米] 山が見える。姑米山から卯 [真東] に針路を取ると馬齒山、甲卯 [東やや東北東寄り] および甲寅 [東北東] に進路を取ると那霸港に入ることができる。

 

       定海所

          五
福         虎
州         門

羅星塔 閩安鎭 梅花所

            東
            沙


 

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  針路
 琉球在海中本與浙閩地𫝑東西相値但其中平衍
 無山船行海中全以山爲準福州往琉球出五虎門
 必取鷄籠彭家等山諸山皆偏在南故夏至乘西南
 風叅用辰㢲等針衺繞南行以漸折而正東琉球
 福州出姑米山必取溫州南杞山山偏在西北故冬
 至乘東北風叅用乾戌等針衺繞北行以漸折而正
 西雖彼此地𫝑東西相値不能純用卯酉針徑直相
 往來者皆以山爲準且行船必貴占上風故也

 

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   針路
 琉球海中ニ在テ。本トト地勢東西相値ル。但其中平衍山無 [シ] 。海中ニ船行。全ク山ヲ以 [テ] 準ト為 [ス]。福州ヨリ琉球ニ往ク。五虎門ヲ出 [デ] 。必鷄籠彭家等ノ山ヲ取 [ル] 。諸山皆南ニ偏在ス。故 [ニ] 夏至ニ西南風ニ乗シ。辰巽等ノ針ヲ参シ用ヒ。メニ南ヲテ行キ。漸ヲ以 [テ] 折テ正東ス。琉球ヨリ福州ニ帰ル。姑米山ヲ出 [デ] 必 [ズ] 温州ノ南杞山ヲ取ル。山偏ニ西北ニ在 [リ]。故ニ冬至ニ東北風ニ乗シ。乾戌等ノ針ヲ参シ用ヒ衺メニ北ニ繞テ行キ。漸ヲ以 [テ] 折テ正西ス。彼此地𫝑東西相値ルト雖モ。卯酉針ヲ純ラ用テ径直ニ相往来スルコト能ハザル者ハ皆山 [ヲ] 以 [テ] 準ト為 [ス] 。且行船必 [ス] 上風ヲ占ムルヲ貴フ故也

 

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 [指南廣義云] 福州往琉球由閩安鎭出五虎門東沙
 外開洋用單 (或作乙) 辰針十更取鷄籠頭 (見山卽從山北邊過船以
 下諸山皆同) 花瓶嶼彭家山用乙卯並單卯針十更取釣
 魚臺用單卯針四更取黃尾嶼用甲寅 (或作卯) 針十 (或作
 一) 更取赤尾嶼用乙卯針六更取姑米山 (琉球西南方界上鎭
 山) 用單卯針取馬齒甲卯及甲寅針收入琉球
 港
  福州五虎門至琉球姑米山共四十更船
 琉球歸福州由那霸港用申針放洋辛酉針一更半

 

 見姑米山並姑巴甚麻山辛酉針四更辛戌針十二
 更戌乾針四更單申針五更辛酉針十六更見南杞
 山 (屬浙江溫州) 坤未針三更取臺山丁未針三更取里麻
 山 (一名霜山) 單申針三更收入福州定海所進閩安鎭
  琉球姑米山至福州定海所共五十更船
  前海行日記
 閩有司旣治封舟畢工泊于太平港羅星島五月十
 日壬午賫
詔勅至南臺以小舟至泊船所十五日祭江取水蠲吉

 

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[指南広義ニ云ク] 福州ヨリ琉球ニ往 [ク] 。閩安鎮由リ五虎門ヲ出 [デ]。東沙ノ外ニ洋ヲ開 [ク] 。単 (或ハ乙ニ作 [ス] ) 辰針ヲ用ルコト十更。鷄籠頭 (山ヲ見レハ即 [チ] 山ノ北辺ヨリ船ヲ過ス。以下ノ諸山皆同 [シ] 。) 花瓶嶼彭家山ヲ取 [ル] 。乙卯並ニ単卯ノ針ヲ用ルコト十更。釣魚台ヲ取 [ル] 。単卯針ノ用ルコト四更。黄尾嶼ヲ取ル。甲寅 (或ハ卯ニ作[ス]) ノ針ヲ用ルコト十 (或ハ一ニ作 [ス]) 更。赤尾嶼ヲ取ル。乙卯ノ針ヲ用ルコト六更。姑米山 (琉球西南方ノ界上ノ鎮山) ヲ取ル。単卯ノ針ヲ用テ馬齒ヲ取リ。甲卯及甲寅ノ針ニ。収テ琉球那霸港ニ入ル。
 福州五虎門ヨリ琉球姑米山ニ至ル。共ニ四十更ノ船。
琉球ヨリ福州ニ帰ル。那霸港由リ申針ヲ用テ洋ニ放チ。辛酉 [ノ] 針一更半。

 

姑米山。並ニ姑巴甚麻山ヲ見。辛酉針四更。辛戌針十二更。戌乾針四更。単申針五更。辛酉針十六更。南杞山 (浙江温州ニ属ス) ヲ見ル。坤未針三更。台山ヲ取ル。丁未針三更。里麻山 (一名霜山) ヲ取ル。単申針三更。福州定海所ニ収メテ入リ。閩安鎮ニ進ム。
 琉球姑米山ヨリ福州定海所ニ至ル。共ニ五十更ノ船。
 前海行日記
閩ノ有司既ニ封舟ヲ治シ工ヲ畢ヘ。太平港羅星島ニ泊ス。五月十日壬午。
詔勅テ南台ニ至ル。小舟ヲ以テ泊船ノ所ニ至ル。十五日江ヲ祭リ取リ水ヲ蠲吉シ