Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

正力君から「朝鮮人がむほんを起こしているといううわさがあるから、各自、気をつけろということを、君たち記者が回るときに、あっちこっちで触れてくれ」と頼まれた。 石井光次郎『回想八十八年』より 1923.9.1深夜


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警視庁編『大正大震火災誌』(1925年)より
(三)震災当時の幹部
官房主事 正力松太郎
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1748933/41

 

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 帝国ホテルは焼けなかったので、一室を、早く借りたいと思った。夜中に、アサヒグラフの編集長、鈴木文四郎君を、使いにやって交渉させたところ、一番先に頼みに行った組だったから、幸いに、大きい部屋を二つ借りることができた。そこに編集、営業、庶務を入れることにきめ、その晩は、宮城前で夜を明かすことにした。

 記者の一人を、警視庁に情勢を聞きにやらせた。当時、正力松太郎君が官房主事だった。
「正力君の所へ行って、情勢を聞いてこい。それと同時に、食い物と飲み物が、あそこには集まっているに違いないから、持てるだけ、もらって来い。帝国ホテルからも、食い物と飲み物を、できるだけもらって来い」といいつけた。
 それで、幸いにも、食い物と飲み物が確保できた。ところが、帰って来た者の報告では、正力君から「朝鮮人がむほんを起こしているといううわさがあるから、各自、気をつけろということを、君たち記者が回るときに、あっちこっちで触れてくれ」と頼まれたということであった。
 そこにちょうど、下村さんが居合わせた。「その話はどこから出たんだ」「警視庁の正力さんが言ったのです」「それはおかしい」
 下村さんは、そんなことは絶対に有り得ないと断言した。「地震が九月一日に起こるということを、予期していた者は一人もいない。予期していれば、こんなことになりはしない。朝鮮人が、九月一日に地震が起こるということを予期して、そのときに暴動を起こすということを、たくらむわけがないじゃないか。流言ひ語にきまっている。断じて、そんなことをしゃべってはいかん」こう言って、下村さんは、みんなを制止した。
 私たちは、警察がそういうなら、なにかあるのかなとおもったけれども、下村さんは断固としてそういわれた。これは下村さんの大きな見識であった。ふだんから、朝鮮問題や台湾問題を勉強し、経験を積んでいるから、そんなことはありうるはずはないという信念があったのだと思う。だから、他の新聞社の連中は触れて回ったが、朝日新聞の連中は、それをしなかった。

 

石井光次郎『回想八十八年』(1976年、カルチャー出版社)p.200-p.202