Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

「江南地方作戦の目標は飽く迄南京と決定し」「方面軍には有力なる特務機関を付し、宣伝·謀略の直接作戦に必要なるものの外」「目下、日本の政策は南京政府打倒を核心とし」 松井石根 出征日誌 10月23日 1937

 

   十月二十三日

 天気続いて晴朗。今日は上陸第二ヶ月の記念日なり。回顧せば過去二ヶ月間、軍は始終、常に困難なる攻撃を力行して今日に至れり。
 第二月以内、三ヶ師団の増加を得て、勢力頓に昂り、爾後、逐次に敵を圧迫しつつ、今や大場、南翔付近に亘る敵陣に近く進出するを得たり。
 而して大場鎮西方地域の中央突破の大勢、漸く成れるを以て、既に来二十七日を以て決戦的攻擊開始を命じ、目下、着々其の準備線に近逼しつちなあり。然るに昨日頃より敵軍、稍、動揺の色あり、或は近く大場以東の敵兵退却のことあるを予期せらるるを以て、之に応ずる為め軍の追撃準備も亦、必要なりと考へ、之に応ずる研究を命じたり。

 各師団の状況
一、重藤支隊、永津部隊方面、共に変化なし。
二、第十三師団正面には敵軍、尚反攻して繰返し一般の陣地を固守し、師団は辛ふじて老陸宅を奪取し、更に孟家宅に対する攻撃を準備中なり。
三、第九師団は昨日、大なる敵の抵抗を受くることなく、夕刻迄に小郁公廟、徐家巷の線に進出し、更に一部隊は八房宅を占領せり。
四、第三師団も同様、大なる敵の抵抗なく施宅、盛宅、北陳宅の線に進出し、更に一部隊は東木橋に進出せり。

五、第百一師団は同様、田堵宅、廟前宅の線に進出せり。

 此の日、陸軍省中山少佐帰京に付、杉山大臣宛書信を託し、更に左の要旨を伝言す。
一、第十軍の作戦計画、前記の如く実状に適せざるを以て、将来、状勢に応じ之を変更し得る様、予め参謀本部を指導せられ度きこと。

二、江南地方作戦の目標は飽く迄南京と決定し、諸般の計画を之に向ひ準備するを可とすること。
三、之れが為め方面軍及び二軍の編制を必要とし、殊に方面軍には有力なる特務機関を付し、宣伝·謀略の直接作戦に必要なるものの外、占領地治安維持、人民の慰握·指導等に任ぜしむることは、目下の状況上、極めて緊要にして、之れが為、戦時の体勢に依り軍司令官に全権を与へ、外務、海軍等の機関をも隷属せしむるを要すること。
四、目下、日本の政策は南京政府打倒を核心とし、之れ以上、爾後の善後策を彼此するは未だ時機にあらず。蓋し今後の善後政策は、南京政府崩壊後に於ける支那の形勢及び之に伴ふ列国の態度等に依り、自ら之を異にすべく、今より之を決定すること能はざるのみならず、過早の時機に於ける善後政策の討究などは国民今後の精神的作用及び目下の積極的政策に悪影響を与へ、延て支那及び列国の態度にも悪結果を招き、結局、時局を困難且つ長期に導くこととなるべく、特に我朝野の謹慎を必要とすべきこと。
 尚、上海地方を国際都市とすべき様の意見は目下及び将来共に慎むべき言にして、予は本事件終局の奏功の為めには飽く迄迠、我が日本の真精神に基き、所謂我等の大亜細亜主義により支那人の拝外思想(対欧米)を全般的に利用するの考慮を有利とすべきこと。
                   云々

 

  十月二十三日

天気 続テ晴朗 今日ハ上陸㐧二ヶ月ノ記念
日ナリ 囘顧セハ過去二ヶ月間 軍ハ始終 常
ニ困難ナル攻擊ヲ力行シテ今日ニ至レリ
㐧二月以内 三ヶ師団ノ増加ヲ得テ㔟力 頓ニ昂
リ 尓後 逐次ニ敵ヲ壓迫シツヽ 今ヤ大塲、南
翔附近ニ亘ル敵陣ニ近ク進出スルヲ得タリ
而シテ大塲鎮西方地域ノ中央突破ノ大㔟
漸ク成レルヲ以テ 既に来二十七日ヲ以テ決戦
的攻擊開始ヲ命シ 目下 着々 其準備線
ニ近逼シツヽアリ  然ルニ昨日頃ヨリ敵軍 稍
動搖ノ色アリ 或ハ近ク大塲以東ノ敵兵 退却
ノコトアルヲ豫期セラルヽヲ以テ 之ニ應スル為メ
軍ノ追撃準備モ亦 必要ナリト考ヘ 之ニ
應スル研究ヲ命シタリ

 各師団ノ状況
一、重藤支隊、永津部隊方面 共ニ変化ナシ
二、㐧十三師団正面ニハ敵軍 尚 反攻シテ繰返
  シ一般ノ陣地ヲ固守シ 師団ハ辛フシテ老陸
  宅ヲ奪取シ 更ニ孟家宅ニ對スル攻撃ヲ
  準備中ナリ
三、㐧九師団ハ昨日 大ナル敵ノ抵抗ヲ受クルコトナク
  夕刻迠ニ小郁公庙、徐家巷ノ線ニ進出シ
  更ニ一部隊ハ八房宅ヲ占領セリ
四、第三師団モ同様 大ナル敵ノ抵抗ナク施宅、
  盛宅、北陳宅ノ線ニ進出シ 更ニ一部隊ハ
  東木槗ニ進出セリ
五、㐧百一師団ハ同様 田堵宅、庙前宅ノ
  線ニ進出セリ

此日 陸軍省中山少佐帰京ニ付 杉山大臣宛 書
信ヲ託シ 更ニ左ノ要旨ヲ傳言ス
一、㐧十軍ノ作戦計畫 前記ノ如ク実状ニ適セサ
  ルヲ以テ 将来 状㔟ニ應シ之ヲ変更シ得ル様
  予メ参謀本部ヲ指導セラレ度コト
二、江南地方作戦ノ目標ハ飽迠 南京ト決定
  シ 諸般ノ計畫ヲ之ニ向ヒ準備スルヲ可トスルコト
三、之レカ为メ方面軍 及 二軍ノ編制ヲ必要トシ
  殊ニ方面軍ニハ有力ナル特務機関ヲ附
  シ 宣傳謀畧ノ直接作戦ニ必要ナルモノヽ外
  占領地治安維持、人民ノ慰握指導等ニ任
  セシムルコトハ 目下ノ状況上 極メテ緊要ニシテ 之レカ
  为 戦時ノ体㔟ニ依リ軍司令官ニ全権ヲ与ヘ
  外務 海軍等ノ機関ヲモ隷属セシムルヲ要スルコト
四、目下 日本ノ政策ハ南京政府打倒ヲ核心トシ
  之レ以上 尓後ノ善後策ヲ彼此スルハ未タ時機
  ニアラス 蓋シ今後ノ善後政策ハ南京政府
  崩壊後ニ於ケル支那ノ形㔟 及 之ニ伴フ
  列國ノ態度等ニ依リ自ラ之ヲ異ニスヘク
  今ヨリ之ヲ決定スルコト能ハサルノミナラス
  過早ノ時機ニ於ケル善後政策ノ討
  究ナトハ国民今後ノ精神的作用 及 目下
  ノ積極的政策ニ悪影響ヲ与ヘ延
  テ支那 及 列國ノ態度ニモ悪結果
  ヲ招キ 結局 時局ヲ困難 且ツ長期
  ニ導クコトトナルヘク 特ニ我朝埜ノ謹
  慎ヲ必要トスヘキコト
  尚 上海地方ヲ國際都市トスヘキ様ノ
  意見ハ目下 及 将来 共ニ慎ムヘキ言ニシ
  テ 予ハ本事件終局ノ奏功ノ为メニハ
  飽迠 我日本ノ真精神ニ基キ 所謂
  我等ノ大亜細亜主義ニヨリ支那人
  拝外思想(対欧米)ヲ全般的ニ利
  用スルノ考慮ヲ有利トスヘキコト
                云々

 

松井石根『出征日誌』第二巻 その2(9.23~10.31)より
防衛省防衞研究所 支那-支那事変・日誌回想-307-4