12月9日、松井軍司令官は休戦を命じ、城内の唐生智軍に「降伏勧告のビラ」を空から全市にばら撒いて講和を呼びかけている。
その間攻撃を中止して、10日正午まで待機した、そして唐生智司令官の使者を中山門で待った。
しかるにラーベの12月9日の日記には、『中華門から砲声と機関銃の射撃音が聞こえ、安全区内に響いている。
明かりが消され、暗闇の中を負傷者が足を引きずるようにして歩いているのが見える・・・』全然「降伏勧告のビラ」も休戦のことも触れておらず、戦闘は続いていたことになっている。
↑田中正明「ラーベ日記の虚妄『南京の真実』を駁す =虐殺5~6万人、強姦2万人の根拠は何か=」より 「月刊日本」1998年1月号掲載