Obladi Oblako 資料室

帝国日本の専制と侵略戦争、植民地支配について知り、考えるための文書資料

信夫淳平『上海戦と国際法』より 第二項、便衣隊 1932


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  第二項、便衣隊

【うるさい蒼蝿】

 上海戦の勃発に際し、我が陸戦隊の歩哨兵、通行兵、その他私人たる在留邦民に累次不測の危害を与へ又は与へんとしたうるさい蒼蝿は支那の便衣隊である。便衣とは平服といふに同じく、即ち一般市民と識別し難き服装にて本邦人の多数に居住する方面に潜入し、多くは民家に隠れて屋上又は窓戸より、稀には街路に於て、突如多くはピストルを放つて対手を狙撃するもので、彼等の中には学生あり、労働者あり、将た正規兵の変装せる者もあり、之を背後に操る者の中には、青幇と称する有力な団体もある。青幇とは上海に於ける右傾的の、寧ろゴロ的の一大団体で、黄金栄、杜月笙、張粛林などいふ侠客肌の親分その采配を取り、無頼者を麾下に包羅し、賭博場や阿片窟を縄張りにそのカスリを取りて大名生活をし、労働者を顎で指揮して陰然上海の裏面に君臨する梁山泊の集団である。青幇に対して紅幇といふものもあり、大体似たやうなものである。事変発生の一月二十八日の夜、支那軍側にて抗日会員その他青幇所属の輩を便衣隊とし、ピストルの他に機関銃まで与へて市中に潜入せしめ、一挙に日本人を屠らしめんと計画したるその総員一千二百名と称された。

【便衣隊の交戦法規上の性質】

 抑も便衣隊は、交戦法規の眼から見て如何なる性質のものであるか。

【交戦者の三種】

 便衣隊は勿論 交戦者たるの資格を有するものではない。現交戦法規の上に於て認めらるゝ交戦者は、第一には正規兵、第二には民兵(Militia)及び義勇兵団(Volunteer Corps)にして(一)部下のために責任を負ふ者 その頭に立ち、(二)遠方より認識し得べき固着の特殊徽章を有し、(三)公然 兵器を携帯し、(四)その動作に付 戦争の法規慣例を遵守するといふ四条件を具備する(正規兵もこれ等の条件を具備すべきは勿論である)、第三には、未占領地方の人民で敵の接近するに方り右の四条件の下に民兵なり義勇兵団なりを編成するの遑なく、さりとて進入軍隊に抗敵せずには居られぬから、敢て之を編成するを俟たず、公然武器を携帯し 且 戦争の法規慣例を遵守して抗敵活動に出づるといふ謂ゆる民衆軍 即ち Levée en masse で、以上の三者が交戦者としての有資格者となつてある。

【非戦闘員の語】

 因みに記す。交戦者の中には非戦闘員 即ち non-combatants もある。元来 非戦闘員なる語には二様の遣方がある。一は軍人以外の私人で、即ち直接 戦闘に与らざる一般の老若男女である。他の一は、戦線に立つも干戈を手にして闘ふに非ざる軍人軍属、即ち軍医官、主計官、法務官、通訳、軍隊附布教師等である。前者は古来 今に至るまで世間普通の俗用語であり、且 往昔に於ては公用語でもあつたが、『陸戦の法規慣例に関する規則』(以下 略して陸戦法規慣例規則と称する)に於て『交戦当事者の兵力は戦闘員 及 非戦闘員を以て之を編成することを得』(第三条)と規定し、軍医官 主計官等を非戦闘員たる交戦者と為すに至つた以来、一般私人の意味に於ける非戦闘員のことは非交戦者(non-belligerents)と称するのがヨリ正しき用語法となつたものである。私人を非戦闘員といふこと俗用としては妨げないが、現行法規の上では両者を種別して見るのでなければ意義に混雑を生ずる。

 序でながら。我が国に於て軍事的対外公文の上に正しくこの語を用ひた一例は、大正三年の日独戦の際、青島攻城軍指揮官 神尾陸軍中将 及び青島封鎖艦隊司令官 加藤海軍中将(定吉男)の連署にてワルデック青島総督に送りし 同地残留非交戦者救助に関する聖旨伝達の同年十月十二日付 書翰である。即ち「下名等ハ閣下ノ名誉アル守城ニ当リ 現ニ青島ニ在ル交戦国ノ非交戦者(添付の英文には non- belligerents)及 中立国人ニシテ 攻城ヨリ生ズル損害ヲ避ケント欲スル者ヲ救助セントスル日本皇帝陛下ノ至仁至慈ナル聖旨ヲ閣下ニ通告スルノ光栄ヲ有ス」とあつた。日露戦役に於て同じ目的に係る乃木 旅順口攻囲軍司令官 及び東郷 遼東半島封鎖艦隊司令長官 連署の在旅順露軍指揮官宛書翰(明治三十七年八月十六日附)には「謹デ一書ヲ呈シ、茲ニ日本皇帝陛下ノ至仁至慈ナル聖旨ハ現ニ旅順港ニ在ル婦人、小児、僧侶、中立国外交官、観戦将校ニシテ砲撃 及 攻撃ノ危険ヲ避ケント欲スル者ヲ救助スルニ在ルコトヲ閣下ニ通報スルノ光栄ヲ有ス云々」とありて、非交戦者 又は非戦闘員の語は共に用ひてなかつた。

【便衣隊は交戦者の条件を全く欠く】

 便衣隊は前述の如く専ら民家に慝れ、倉庫に潜み、我が哨行兵や私人を目がけて短銃を放ち、放つや否や忽ち狐鼠々々と逃げて了ふ。現場には必しも之を指揮する頭目が居るのではなく、動作は概して個々である。随つて部下のために責任を負ふ者がその頭に在るのではない。次に十九路軍の命を受けたる彼等中には、その証として銅製の小釦──表は黒 又は緑の地色に花模様を浮かせ、裏は黄色──と 白地に己れの所属を記する腕章を受領するが如く(例へば我が陸戦隊の宝山路攻撃の際 同所の公安局 即ち警察署で押収した彼等の腕章に淞滬警備司令部所属の保衛団便衣隊と記せるものがあつた)、それを彼等は懐中し、腕章は多く上衣の裏に吊し居るが如きも、勿論 遠方より認識し得べき固着の徽章ではない。更に又、彼等は孰れも唯一の狙撃道具として短銃を携帯するも、これは懐中深く蔵め慝すので、公然 兵器を携帯するものとは云へない。而して最期に、彼等は兵でも私人でも苟も日本人と見れば之を狙撃し、その行動上に何等 戦争の法規慣例を守るものでない。斯の如くにして彼等は、交戦法規が交戦者として要求する資格条件を一も具備する者でないから、目して以て交戦者とするを得ないこと論を俟たない。

[中略]

【便衣隊の処分】

 陸戦法規に於て前に述べた三種に限れる交戦者は、非交戦者の有せざる特権を有する。例へば敵に捕へられたる場合に於て俘虜としての取扱を受け、戦時重罪犯(War crimes)として処罰せらるるなきの特権の如きである。戦時重罪犯とは、敵国の交戦者 若くは非交戦者に依りて行はれ我軍に有害なる結果を与ふる所の重罪性の犯行で、例へば交戦者にありては、交戦法規関連規則の第二十三条に於て特に禁止してある害的諸手段、第二十五条の無防守の土地建物に対する砲撃、その他 陸海の交戦諸法規の禁ずる諸事項の無視等、要するに戦時法規違反の行為は勿論、或は間諜行為の如き、将た間諜ならざるも変装して我軍の作戦地、占領地、その他 戦争関係地帯内に入り我軍に不利の行為に出づるが如きを云ひ、又 交戦者の行為としては、その資格なきに尚ほ且 敵対行為を敢てするが如き、孰れも戦時重罪犯の下に概して死刑、若くは死刑に近き重刑に処せらるるのが戦時公法の認むる一般の慣例である。

 便衣隊は間諜よりも性質が遙かに悪い(勿論 中には間諜兼業のもある)。間諜は戦時公法の毫も禁ずるものではなく、その容認する所の適法行為である。ただ間諜は被探国の作戦上に有害の影響を与ふるものであるから、作戦上の利益の防衛手段として戦時重犯罪を以てこれを論ずる権を逮捕国に認めてあるといふに止まる。然るに便衣隊は交戦者たる資格なきものにして害敵手段を行ふのであるから、明らかに交戦法規違反である。その現行犯者は突如 危害を我に加ふる賊に擬し、正当防衛として直ちに之を殺害し、又は捕へて之を戦時重犯罪に問ふこと固より妨げない。

【多少は玉石混淆】

 ただ然しながら、彼らは暗中狙撃を事とし、事終るや闇から闇を伝つて逃去る者であるから、その現行犯を捕ふることが甚だ六ヶしく、会々捕へて見た者は犯人よりも嫌疑者であるといふ場合が多い。嫌疑者でも現に銃器弾薬類を携帯して居れば、疑惑濃厚として之を引致拘禁するに理はあるが、漠然たる嫌疑位で之を行ひ、甚しきは確たる証拠なきに重刑に処するなどは、形勢 危殆に直面し激情興奮の際たるに於て多少は已むなしとして斟酌すべきも、理に於ては穏当でないこと論を俟たない。

 上海事変勃発の際に方り、我方の便衣隊捕縛には或は玉石混淆の嫌いがあつたやうにも聞及んだ。その中には、或は全然無辜の徒にして我が陸戦隊 又は有志者団に拉致せられ、誤つて制裁を加へられた者も無いでもあるまい。何分にも予め戸籍調査や行跡査定を尽した上でやつたことではなく、事は咄嗟の間に起り、手当り次第に目前緊迫の危険を除くといふのであるから、多少は無理もあつたに相違あるまい。甚しきは、債務履行の督促を支那商に受けつつありし我が一邦民にして、苦し紛れに債権者たる支那商をば彼は便衣隊なりと我が軍衙に誣告し、銃剣の一撃の下に自然 債務をも抹殺した者すらあつたとの風説──勿論 風説に過ぎまい──も耳にした。

 或いは斯ういふものを伝へ聞いた。

【牧師 蔣時叙の拉致事件

 北四川路の北端に位し我が陸戦隊本部より程近き竇楽安路(Darroch road)にある中華基督教会(Fitch Memorial Church of Christ in China)を監督し、斯界の間に相当の名ある牧師に蔣時叙といへるのがあつた。支那側の語る所では、1月二十九日の午後、彼は教会内にて信徒と共に聖書の繙読 及び祈禱に耽り居りしに、突如 陸戦隊の闖入を受け、妻女等七名と共に殴打捕縛の上 何れにか拉去せられ、杳としてその消息を聞く所なしといふことである。その始末は、之に關し同教会の理事四名が連署して二月十三日 野村第三艦隊司令長官 及び総領事に送りし左の公開状(原文英語)に詳である。如何なる程度まで事実なるかは知らざるも、今 翌日の上海英字新聞に見えたるその全文を邦訳すれば左の如くである。

「中華基督教会は虹口 竇楽安路に在りて、上海に於ける最大の教会の一に属し、その会員中には最近 全部破壊せられたる商務印書館の設立者 及び理事、並に有力なる支那人の家族も少なからずあり。

「一月二十九日と午後、大部分 婦女 及び児童より成る会員約三十名、教会に相接する牧師の家に避難のさめ集合せり。当日 日本帝国陸戦隊の数個分隊が教会附近にて小銃機銃を発射しつつありし間に於て、彼等は静に祈禱を捧げ、安息を為しつつあり。やがて午後四時頃、海兵約五十名、教会の鉄門を敲き、中に入らんことを求めたり。避難の人々 自然 恐怖を感じたるが、間もなく父母 及び少妹と共に同じく避難中の一少年は進んで門を開きたり。すると彼は有無を云はず直ぐ手を縛せられ、何処にか拉去せられ、爾来 杳としてその行衛を知らず。

「間もなく海兵は室に闖入し、隊長は避難者に向つて教会附属の学校の教員生徒の所在を尋問し、学校の通学制にして 且 目下 冬季休業中なるが故に 各自 孰れも家に帰りて在校せざる旨を答ふるや、重ねて建屋の管理者の何人なるかを尋問したので、牧師 蔣時叙は進み出で、自分は牧師であり管理者である旨を答へたり。海兵隊長は建屋中に爆弾が隠慝しあるに相違なしと言張りたるを以て、牧師は 此処は教会なり、断じて爆弾その他 何等の軍用品なし、御疑念とあらば何処を捜索せらるるも可なりと述べ、隊長を案内せり。約三十名の避難者も悉く身体を検査されたり。されど建屋内にも、避難者の身にも、爆弾 若くは武器は一賭して発見せられず。

「隊長は次で牧師とその妻子、甥、秘書、及び下僕二名を一括して別にし(但し何事をも知ら「一月二十九日と午後、大部分 婦女 及び児童より成る会員約三十名、教会に相接する牧師の家に避難のさめ集合せり。当日 日本帝国陸戦隊の数個分隊が教会附近にて小銃機銃を発射しつつありし間に於て、彼等は静に祈祷を捧げ、安息を為しつつあり。やがて午後四時頃、海兵約五十名、教会の鉄門を敲き、中に入らんことを求めたり。避難の人々 自然 恐怖を感じたるが、間もなく父母 及び少妹と共に同じく避難中の一少年は進んで門を開きたり。すると彼は有無を云はず直ぐ手を縛せられ、何処にか拉去せられ、爾来 杳としてその行衛を知らず。

「間もなく海兵は室に闖入し、隊長は避難者に向つて教会附属の学校の教員生徒の所在を尋問し、学校の通学制にして 且 目下 冬季休業中なるが故に 各自 孰れも家に帰りて在校せざる旨を答ふるや、重ねて建屋の管理者の何人なるかを尋問したので、牧師 蔣時叙は進み出で、自分は牧師であり管理者である旨を答へたり。海兵隊長は建屋中に爆弾が隠慝しあるに相違なしと言張りたるを以て、牧師は 此処は教会なり、断じて爆弾その他 何等の軍用品なし、御疑念とあらば何処を捜索せらるるも可なりと述べ、隊長を案内せり。約三十名の避難者も悉く身体を検査されたり。されど建屋内にも、避難者の身にも、爆弾 若くは武器は一賭して発見せられず。

「隊長は次で牧師とその妻子、甥、秘書、及び下僕二名を一括して別にし(但し何事をも知らずに庭園にて遊戯中なりし彼の齢九歳の少女は免れたり)、他の避難者二十二名には、必ず建屋内に立籠りて一歩も外出するを許さず、又、窓外を見る可からずと厳命し、転じて海兵は牧師の面を打ち、その妻女をも腿をば銃尻にて突倒し、次で七名を悉く高手籠手に縛して連れ行けり。その後 吾等 及び外人の朋友は彼等の何れに在るや、如何になりしやに関し日本領事館その他 凡ゆる方面に就て取調ぶるも、何等 得る所なくして二週有余の今日に及べり。

「蔣尊師は愛情に富める人にして、彼が最期の聖壇にて説教したる所のものは、貴国の不正を憎まずして恕すべく、恰も基督が教へ給へる如く許して愛すべしと吾等に切々誡訓したることにてありき。四方に散在する吾等 教会員は、一に我が敬愛する牧師の賢明なる指導と精神的援助とを渇望するや切である。蔣牧師は胸中ただ愛のみありて毫も憎悪の念なく、随つて彼もその家族も、縛して拉致せらるべき何事をも為したる者に非ず。彼を愛慕する我が教会の男女会員は、胸中 深き悲哀に打たれて已まず。我等教会理事者は茲に貴下に向つて一書を裁し、彼 及び彼の家族を吾等 及び教会の手に復帰せしめらるることを悃願せざる能はず。吾等は貴下の慈悲 及び愛情に対し甚大の感謝を捧ぐるものなり。

中華基督教会理事四名連署

 之に対し野村艦隊司令官が如何なる取計を為したかは聞及ぶ所がなかつたが、総領事館の井口領事の二月十九日付回答として同じく各英字新聞に掲げられたるものは要旨 左の如くであつた。

「本月十三日付貴信照会の件に関し、当領事館は日本海軍官憲に問合せたるに、その回答に依れば、一月二十九日午後 日本海軍陸戦隊 約二十名 士官の引率のも下に便衣隊捜索にのため貴信記載の支那牧師の居所に入りしは事実なるも、貴信にあるが如き日本海兵が彼 及び彼の家族を後手に縛して拉去せりとは事実無根にして、その捜索を行へる際には教会内に何人も居合せ居らざりしとのことなり。」

 本件に就て爾後 重ねて照覆があつたか、又 その成行がどうであつたかは詳でない。聞く所では、事変勃発の当時、便衣隊は確に同教会堂に集拠りて我兵を盛んに狙撃したる由で、甚だしきは堂内の一隅に支那正規兵の軍服百人分が隠慝しありしを後日発見したとも聞及んだ。その実否も又 詳でない。問題の牧師一家の失踪 仮に不明なりとしても、それが果して我軍に拉去せられ、果して我方の手にて不明とまりしものか否か、確たる立証を得た上でなければ何とも裁断は下し得ない。國際聯盟委嘱の上海事件調査委員会の第二回報告(二月十六日 上海各外字新聞所載)に便衣隊処分のことを記し、

【我軍の便衣隊取扱いに関する外人報告】

日本海兵に依る過度(エキセツス)の例は幾多あり、中には一束的(サンマリー)殺戮(エキゼキユシヨン)もあり、又 何等 公的資格を有せざる私服の輩が蓋し支那人の過去の排日運動に対する復讐の念よりして行つたものもある。その結果は虐殺の横行となり、日本人以外の者は全然 虹口地方にその跡を見ざるに至つた。

「日本人に依り逮捕 若くは殺害せられたりと思はれ、その踪跡不明とはれる支那人 頗る多数に上つたので、租界工部局は二月五日 領事団に対し、日本官憲について調査せられたきの希望を通じた。日本総領事は感情の激昂せる混乱状態に際し日本人に過度の行動ありしことを肯定し、今や事態は大分改善せられたりと云ひ、且 租界内に於て日本海軍官憲に依り嫌疑者として逮捕せられたる総ての人々は之を租界警察に引渡すべきことを約した。爾後 引渡しを受けたる者あるも、尚ほ行衛不明の者 少なからず、租界警察の手に既に蒐集せられある件数 約三百を算す。

「便衣隊の活動は今や著しく熄みしも、日本官憲の監視は依然 厳で、租界の警察その他の機関の職務執行は僅に遅々として回復に向ふに過ぎず、日本官憲は日本人に依りて行はれたる過度の行動に就て相応に関心を有し、不良分子の若干名は既に本国へ送還された。」

 蓋し帝国領事館も肯定したとあるが如く、事実 事変勃発直後の数日間に於ける我軍憲の便衣隊処分方に関しては、人気も荒立てる混沌状態の際とて、多少 面白からざる遣口もあつたかも知れない。けれども、仮にそれがあつたにもせよ、何分 当初 予期せざる狙撃を突如 街上 又は民屋内の彼等より受け、憤懣の情が極度に高まつて居つた際のほんの一両日のことであつたに相違あるまい。且 それは決して司令官の意図でもなかつたであらう。陸戦隊指揮官は事変勃発後 三日を経たる二月一日、各部隊長に対し左の訓示を出している。

【陸戦隊指揮官の訓示】

「本陸戦隊は警備区内の治安を維持し、人心を平静ならしむる任務を有す。故に外部より侵入せんとする正規兵 便衣隊の跳梁を鎮圧せざるべからず。然れ共 虹口 特殊の事情に鑑み、之が任務遂行の為 却て人心を撹乱するが如き軍事行動は絶対に之を慎み、以て軍の威信を保持し、在住一般民をして安んじて業に服せしむる如くするを要す。之が為め準拠すべき事項を示せは凡そ左の如し。

一、正当防衛以外 妄りに発射せざること。

二、邦人居住 周密なるに付 銃の指向に注意すること。

三、便衣隊は屋上 又は二階窓等の高所より射撃せるを例とするも 直に該家屋を捜索せざること。

四、確実に我に敵意を有すと認めたる建築物は海軍の名を以て捜索封鎖す。

五、正規兵 便衣隊 その他 明らかに我に敵意を有するものの外、一般支那人に対しては特に丁重に取扱ひ、聊も恐怖せしめず、皇軍を信頼せしむる如く導くこと。

六、外人に対しては努めて誰何等をせざること。

七、支那人の誰何検査を確実にし、明らかに支那義勇軍に属するもの、抗日会員、支那軍隊関係者、及 武器携帯者なるときは之を逮捕す。

八、白布腕章を附する邦人と協力すること。

九、工部局 警察署 並に義勇隊と協力すること。

この訓示で見ると、当時の情勢の下にありて陸戦隊指揮官は冷静を失はず、大体に於て極めて適切の方針を示して愆りなかつたものと評すべきである。(但し第七中の或る者の取扱上に関しては多少の議論あるを免れまい。)

【第三艦隊の調査したる数字】

 その後第三艦隊の上海到着(二月八日)後に於て、同艦隊司令部にて調査したるところといふを聞くに、事変勃発直後の九日間に於て、我軍の現場にて収容したる便衣隊の死体数は百六個、捕縛したる数は一月二十九日に二百二十一名、三十日に九十七名、三十一日に六十六名、以下 逓減して二月六日の十名に至るものを合計して九日間に四百九十七名、その中 銃殺したる者は六十六名、審問後 釈放し 又は共同租界工部局に引渡した者 四百三十一名とある。この銃殺に関し同司令部の調査報告には、大要

「一月二十九日 及び三十日の分 計五十一名は、尋問調査のため陸戦隊本部 及び各大隊本部に護送中、少数の監視兵に対し集団結束して抵抗したるを以て、監視兵が自衛的措置として已む得ず拳銃小銃を以て射殺せるものなり。又 一月三十一日の分 十五名は当日 大隊本部(日本人倶楽部)に於て各方面より陸続 引致せる多数の便衣隊の訊問調査を開始したる処、彼等は突如 喊声を挙げて抵抗し、その中 多数の者は便衣の内に隠し持ちたる拳銃を取出し発砲攻撃したるを以て 之に対抗し、居合せたる日本人の援助を求め、漸く之を制圧するを得たり。

「尚ほ当時 市内一般 混乱状態にして、陸上に於てこれ等の死体を火葬に付する能はざりしを以て、日本海軍葬喪の例に倣ひ、黙禱の礼を捧げたる後 水葬に附したり。」

とある。当時 他に如何なる風説ありしにもせよ、別に確たる反証の提挙せらるることのなき限り、之をば決定的事実と認むるの外あるまい。想ふに事変勃発と共に便衣隊の急激たる潜航的活動、我が軍民の受けたる狙撃の不断の報道に依り 邦人一般の極度に興奮し居れる際、右様の急迫なる事態に面しては、他に執るべきの道も無かるべく、乃ち正当防衛手段として之を適法視するに相当の理由もあらう。

支那の抗議に理由なし】

 斯の如く我が軍憲に於て便衣隊を射殺したのは、孰れも我が軍民に対する狙撃の現行犯の場合に非ずんば現行犯者 又は嫌疑者の逮捕護送中、又はその検束中、集団結束して抵抗し、少数の監視兵にて他に取るべきの道なき急迫の場合と承知する。而して他は審問の進むと共に、情状の軽き者は将来を戒めて之を釈放し、相当処分を要すべきかと認めたる者は之を共同租界当局に引渡してその処分に任せたもので、当面の措置としては大体に於て間然する所なかつたものと認められる。然るに支那軍は之を解せず、二月五日付を以て公文を帝国公使に寄せ、日本陸戦隊は共同租界の一部、租界外道路、閘北その他に於て民国市民を逮捕し、私刑を加へ 又は殺戮し、現に監禁中の者 数百人に達せりとの上海市長の電報なるものを援引し、右は国際法を無視せるのみならず人道に反するものと為し、強く抗議する所あつた。所謂民国市民そは便衣隊を意味したのであろうが、この抗議の理由なきことは上来述べたる所に依りて明白である。公使が如何なる回答を為したかは承知せぬが、若し何等 回答する所あつたとしたならば、趣意は蓋し以上の外に出でなかつたことかと察する。

【戦闘終結と共に嫌疑者全部釈放】

 その後三月三日を経て戦闘が事実的に終結となるや、当時 便衣隊容疑者として尚ほ我が憲兵隊本部に拘留中の者 五十四名あつたが、翌四日 悉く之を釈放し、その中の租界外にて逮捕したる四十五名は支那官憲に、租界内にて逮捕したる余の九名は之を租界警察に孰れも引き渡した。殊に抑留中に病に罹れる者は我が福民病院にて相当治療を加へたので、彼等中には去るに臨んで厚く感謝した者もあつた由である。

 

信夫淳平『上海戦と国際法』 出版者 信夫淳平 1932年
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1877600/75
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1877600/82