Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

陸軍省調査班 満洲問題に関する情報 「満鉄付属地外出動部隊引揚げの不可能なる所以に就て」より (三)便衣隊の横行 1931.11.19

(三)便衣隊の横行

 張学良は、事変後錦州に占拠しある栄臻等をして、組織的に強力なる便衣隊を続発して南満地方の治安を擾乱せしめつつある。参考の為、便衣隊横行の顕著なる実例を示せば左の通りである。

1 奉天に在りし講武道学生は三々五々東北方に逃避し、灰山付近にて随時解散して便衣に代え、二十日頃より奉天に潜入し、一部は北平に密行した。

2 九月二十四日、奉天兵工廠を警戒中なりし我が兵一名は、便衣隊及び支那兵十数名の急襲を受け戦死した。

3 九月二十五日、張学良の派遣せる便衣隊は逐次奉天に入城し策動しありて、一般市民の不安頓に加わった。

4 同日、張学良の部下軍官張德勝等十数名は夜暗、密に奉天に潜入し、日本側要人及び外国人を暗殺し、以て治安を乱すと共に、事件を国際問題化せんと画策せること暴露した。

 此の日頃より極端なる排日宣伝文、奉天に散発的に撒布せられ始めた。

5 九月二十七日、奉天城北市場に於て便衣隊数名に射撃せられ、我が兵一名戦死するに至った。

6 九月二十八日午前十時、奉天城北市場付近に於て、匪賊の為、同地警戒中の我が兵二名死傷した。

7 十月三日午前一時、四平街付属地に於て、電灯会社警戒中の我が歩哨は、便衣隊に襲われ戦死した。

8 元東北憲兵司令部偵緝所付、宝漢枕の言に依れば、張学良は便衣隊百名を商人、苦力等に変装せしめ、十月四日北平発満洲主要都市に潜入せしめ、将官一万元、一般将校三千元、下士官以下千元の懸賞にて暗殺を命じたとのことである。右便衣隊は奉天に於ける日本軍要人の外出時を知る為、日本官衙使用の支那人の買収に手を付けて居る模様である。

9 十月五日午前五時半、奉天商埠地内に於て怪しき支那人を捕えたが、取調の結果、東北第十九旅第五十二団営長秦永泰と自白した。彼は装填せるモーゼル拳銃一、眼鏡一、弾丸五十七発を有し、錦州政権より密派せらたる便衣隊一派と関係を有するものであった。

10 十月六日午前八時頃、奉天商埠地朝鮮銀行付近の我が歩哨が、挙動不審の一支那人を捕え尋問中、彼は歩哨の銃を奪い逃走せんとしたので、之を射殺した。

 調査の結果に依れば、右は便服の下に古軍服を着しあり、一見将校にして、携行品中には第二十旅参謀、汪銘思の名刺があった。

11 独立守備第○大隊第二中隊長、伊藤大尉は兵一名を率い、営口市内巡察中、十月十一日午後十一時十分頃、突然、匪賊三より射撃せられ、直ちに之を撃退したが、中隊長は大腿部に盲貫銃創を受けた。

12 吉林に多数の便衣隊潜入したので、十二月十一日夜一斉に捜索を開始し、多数を検挙し調査の結果、錦州方面より派遣せられたる便衣隊なることが判明した。

13 十月十二日午後五時三十分頃、皇姑屯倉庫にて糧秣整理中、鈴木二等主計は匪賊三名に襲われ盲貫銃創を受けた。

14 十月十三日、張学良は更に選抜せる少数有能なる暗殺者を派遣した。

15 十月二十一日夜長官公邸附近にて我が歩哨一名便衣隊に射撃せられ戦死するに至った。

16 十月二十四日午前六時頃、歩兵第○○○連隊の日高曹長巡察勤務中、奉天城内第一監獄付近に於て便衣隊に狙撃せられ、午後三時、死亡した。

17 同日午後四時頃、公主嶺に於て警察官二名便衣隊に狙擊せられ、一名即死、一名危篤に陥った。

18 張学良は在錦州栄臻に對し特殊便衣隊を連絡指揮し遼寧吉林黒龍省各地に濳行せしめ、現日本軍の移動兵力、秘密行動等を偵察し、併せて該方面親日分子の独立陰謀をも偵知し、以て後日徹底的に処罰すべき件を命じた。栄臻は黃顕声処長と協力し十月十日、各百名より成る便衣隊三隊を編成し、爾来旬日間、所要の訓練を施し、十月二十五日より行動を開始すべく夫々出発せしめた。

 右に類する被害は最近、日を経るに従い益々増加の傾向に在りて、夜間、特に日没、払暁を選んでパルチザン式に行はれつつある。我が軍の警戒比較的厳なる奉天付近に於て既に然り、将来、此の種危険の増加すべきは想像に難くない。在留邦人は今や便衣隊の脅威の為に戦々恐々として、夜も安らかに眠ることは出来ない状態である。

 此の如き状態では、日本軍が若し撤兵したならば其の結果は如何でかるかは明瞭で、撤兵の当分不可能なことも首肯せられると思う。


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(三)便衣隊の横行

張學良は事變後錦州に占據しある榮臻等をして、組織的に强力なる便衣隊を續發して南滿地方の治安を擾亂せしめつゝある。參考の爲便衣隊横行の顯著なる實例を示せば左の通りである。

1 奉天に在りし講武道學生は三々伍々東北方に逃避し、灰山附近にて隨時解散して便衣に代へ、二十日頃より奉天に濳入し、一部は北平に密行した。

2 九月二十四日奉天兵工廠を警戒中なりし我が兵一名は便衣隊及支那兵十數名の急襲を受け戰死した。

3 九月二十五日張學良の派遣せる便衣隊は逐次奉天に入城し策動しありて、一般市民の不安頓に加はつた。

4 同日張學良の部下軍官張德勝等十數名は夜暗密に奉天に潜入し日本側要人及外国人を暗殺し以て治安を亂すと共に、事件を國際問題化せんと畫策せること暴露した。

此日頃より極端なる排日宣傳文奉天に散發的に撒布せられ始めた。

5 九月二十七日奉天城北市場に於て便衣隊數名に射擊せられ我が兵一名戰死するに至つた。

6 九月二十八日午前十時奉天城北市場附近に於て、匪賊の爲、同地警戒中の我が兵二名死傷した。


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7 十月三日午前一時、四平街附屬地に於て、電燈会社警戒中の我が歩哨は、便衣隊に襲はれ戰死した。

8 元東北憲兵司令部偵緝所附寶漢枕の言に依れば、張學良は便衣隊百名を商人苦力等に變裝せしめ、十月四日北平發滿洲主要都市に濳入せしめ、將官一萬元、一般將校三千元、下士官以下千元の懸賞にて、暗殺を命じたとのことである。右便衣隊は奉天に於ける日本軍要人の外出時を知る爲、日本官衙使用の支那人の買収に手を付けて居る模樣である。

9 十月五日午前五時半、奉天商埠地内に於て、怪しき支那人を捕へたが、取調の結果、東北第十九旅第五十二團營長秦永泰と自白した。彼は裝塡せるモーゼル拳銃一、眼鏡一、弾丸五十七發を有し、錦州政權より密派せらたる便衣隊一派と關係を有するものであつた。

10 十月六日午前八時頃奉天商埠地朝鮮銀行附近の我が歩哨が、擧動不審の一支那人を捕へ尋問中、彼は歩哨の銃を奪ひ逃走せんとしたので之を射殺した。

調査の結果に依れば、右は便服の下に古軍服を著しあり、一見將校にして、携行品中には第二十旅參謀汪銘思の名刺があつた。

11 獨立守備第○大隊第二中隊長伊藤大尉は兵一名を率ゐ、營口市内巡察中、十月十一日午後十一時十分頃、突然匪賊三より射擊せられ、直に之を擊退したが、中隊長は大腿部に盲貫銃創を受けた。

12 吉林に多數の便衣隊潜入したので、十二月十一日夜一齊に搜索を開始し、多數を檢擧し、調査の結果錦州方面より派遣せられたる便衣隊なることが判明した。

13 十月十二日午後五時三十分頃皇姑屯倉庫にて糧秣整理中鈴木二等主計は匪賊三名に襲はれ盲貫銃創を受けた。

14 十月十三日張學良は更に選抜せる少數有能なる暗殺者を派遣した。


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15 十月二十一日夜長官公邸附近にて我が歩哨一名便衣隊に射擊せられ戰死するに至つた。

16 十月二十四日午前六時頃 歩兵第○○○聯隊の日高曹長巡察勤務中、奉天城内第一監獄附近に於て便衣隊に狙擊せられ午後三時死亡した。

17 同日午後四時頃公主嶺に於て警察官二名便衣隊に狙擊せられ、一名即死、一名危篤に陷つた。

18 張學良は在錦州榮臻に對し特殊便衣隊を連絡指揮し遼寧吉林黒龍省各地に濳行せしめ、現日本軍の移動兵力、秘密行動等を偵察し、併せて該方面親日分子の獨立陰謀をも偵知し、以て後日徹底的に處罰すべき件を命じた。榮臻は黃顯聲處長と協力し十月十日各百名より成る便衣隊三隊を編成し、爾来旬日間所要の訓練を施し、十月二十五日より行動を開始すべく夫々出發せしめた。

右に類する被害は、最近日を經るに從ひ益々增加の傾向に在りて、夜間特に日沒、拂暁を選んでパルチザン式に行はれつゝある。我が軍の警戒比較的嚴なる奉天附近に於て既に然り、將來此種危險の增加すべきは想像に難くない。在留邦人は今や便衣隊の脅威の爲に戰々兢々として夜も安らかに眠ることは出來ない狀態である。

此の如き狀態では日本軍が若し撤兵したならば其結果は如何でかるかは明瞭で、撤兵の當分不可能なことも首肯せられると思ふ。

 

↑各種情報資料・満洲問題ニ関スル情報
満鉄附属地外出動部隊引揚の不可能なる所以に就て
https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000000758906