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帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

「この際、是非とも支那と一衝突を興し、之を打破したる後にあらざる已上は内政改革の目的、充分貫徹するを得ざるべしと思考いたし候へども、日清両兵の衝突は容易に招き難く、依て内政改革を先きにし、もしこれがため日清の衝突を促さば僥倖なりと」 特命全権公使 大鳥圭介発 外務大臣 陸奥宗光宛 書簡 1894.6.28

大臣 花押〈光〉 次官 印【林董】 機密受第九一〇号

二十七年七月五日接受 政務局 稟義 通商局 印【原敬

機密第百十号 本六五

  朝鮮属邦説を排斥し

  ならびに内政改革断行手続につき上申

 昨二十七日加藤書記官着仁、本日午前入京候につき、委細御訓令の趣承知いたし、ならびにこれまで貴我の電信にては意味充分に相通ぜざりし廉をも判明いたし候ふ。さて、当地の形勢は追々電信及び機密信等にて申進の通り、当政府一般の希望はひたすら無事平穏を頼み、日夜日清両兵の撤回を僥倖し、 しかしてその目的を達する手段として初めは専ら袁世凱に依頼したるも、急速の結果を見ざるにつき、さらに転じて各国公使に周旋を依頼し、あるいは電信にて李鴻章に依頼する等、及ぶべき丈の手段を尽し居るやに推察され候。また袁世凱はこの際、頻りに大言を放ち、あるいは偽造電信を送りて韓廷官吏を恐嚇し、日本政府今回の挙は全く朝鮮を併呑せんとの野心を包藏するとか、または内治干渉の端緒を開かんとするに在るとか自分勝手の理窟を製造し韓官に説込むがため、さなきだに日本を嫌悪して支那に依頼心深き韓廷の老人達は、 徹頭徹尾支那には離るべからず、たとひ日兵は一時多数なるも、最後の勝利者は必ず支那ならんと確信し、その他やや時世に通じたる者といへどもしばらく両端を観測し、その勝敗を見て去就を決せんとする様子なれば、いはゆる日本党と称せられてあるいは陽にあるいは陰に運動する者は、目下勢力なき金嘉鎮、愈吉濬、趙義淵、安䮐壽等十余人に相過ぎ申さず候ふ。かかる有様なればこの際、是非とも支那と一衝突を興し、之を打破したる後にあらざる已上は内政改革の目的、充分貫徹するを得ざるべしと思考いたし候へども、日清両兵の衝突は容易に招き難く、依て内政改革を先きにし、もしこれがため日清の衝突を促さば僥倖なりと切りに謁見を促し候処、去二十六日午後三時、国王殿下は本官を引見せらるべき旨、内務督弁より通知これあり候ふにつき、この機会に投じて内政改革の端緒を相開き、追つて加藤書記官の来着を待つて改革案を政府に提出すべくと存じ、別紙甲号写しの通り内治改良の必要を述べ、かつ委員を定めて本使と協議相成り候ふ様いたしたき旨、殿下の前に言上に及び、同時に上奏文(即ち別紙甲号)奉呈いたし置き候ふ。就ては改革案調成次第、外務督弁または殿下より特命せられたる改革取調委員に提出して協議に及び申すべくと存じ候ふ。尤も先頃より内に改革派をも教唆いたし、我は外より迫ると同時に内に与りて改革を促すべき手筈にいたし置き候へども、前陳の通り改革派の勢力甚だ微弱なれば、彼等果して能く内応の功を奏するや否、甚だ覚束なく考えられ候ふ。万一、我より改革案提出の際、彼は清使の後援を頼み拒絶して受けざるか、若くは陽にこれに応じてその実行を躊躇するが如き場合あるときは、本官は条理の許す限りは手荒き手段を用ゆるとも必行に至らせ申したき考えにこれあり候ふ間、左様御承知相成りたく候ふ。はたまた清国政府の挙動はあるいは硬、あるいは軟、甚だ曖昧にして判然いたし申さず、去る二十二日出発の清兵五百名程は同二十四日、牙山に到着いたし候へども、右は補充のため派送せられたる趣きにて、その余りの兵隊は出発準備の報告に接したるまでにて未だ渡韓の実否相分り申さず候ふ。また同国兵入京の説も全く相止み申し候ふ。さすれば清国政府は我と干戈相見るの非策なるを悟り、平和手段をもつて両兵撤退の功を奏せんと尽力いたし居るにあらざるやと推測され候ふ。尤も去二十三日および二十五の両日に袁世凱より別紙乙丙号の如き書面を送り、「目下全羅道における民乱は既に平定したりと報告すれども、巨魁および余党の行衛詳らかならざる程なれば、未だ充分に平定したるものと見なし難し。右は他国のため兵を駐むる口実を与ふるものにつき、清韓共に兵を派して剿討の実功を奏すべし」と相迫り候ふところ、朝鮮政府にてはその返答に当惑し、ただ泣き付くが如く切りに袁氏に向て出兵中止の事を依頼致し居るやに漏聞き及び候ふ。前陳の通り日清両国兵は各々二十余里を隔てたる遠地に駐屯し、而してその目的も一ならざれば、幾日を経過すとも両兵相衝突すべき機会これなく、然るに我兵は追々増加して彼に二三倍したれば、我利は速戦にあること勿論なるのみならず、内治改革の目的を達するに於てもまた、速戦を利益とすべきにつき、去る二十六日、第十一号を以て電稟に及びたる次第にこれあり候ふ。然るところ本日、加藤書記官来着、貴大臣閣下の御趣意も充分了解いたし候ふにき、前緒を追ひ問題を独立、属邦と、内政改革の二種に区別し、左の順序に従て之を決行いたすべくと存じ候ふ。

(甲)独立、属邦の問題

第一着 本月六日、東京駐在清国公使より貴大臣閣下へ送呈したる公文写しを朝鮮政府に送り、同政府は保護属邦の四字をも認むるや否を慥[たしか]むること。(但し是は本日、別紙丁号の通り照会を遂げたり。)

第二着 朝鮮政府はもし、我国は自主独立にして清国の属邦にあらずと返答したる時は、我は「朝鮮政府に向ては」今、清兵は保護属邦と称して貴境に入りしは、これ貴国の独立権を侵害せり。これを退去せしめて日朝条約の明文をも全ふるは貴政府の義務なれば、早くこれを逐出すべし。もし貴国政府の力にてこれを能くせざるときは、我が兵力をもつて貴国を助けこれを逐払ふべしと相迫り、「清国公使に向ては」貴国は保護属邦を名義として朝鮮に派兵せられたることは、我か政府の飽くまで不同意を唱ふるところなり。我が政府は初めより朝鮮の独立を認めたれば、その独立を保護する義務あり、かつ朝鮮政府もまた、貴国の属邦にあらざる旨を明言せり。さすれば貴国の兵は不正の名義を以て派来したる者につき、速やかに引払はるべし。若もし躊躇せらるるにえいては、余義なく我が兵力をもつてこれを引払はしむべき旨、通知すべし。

 また若し朝鮮政府は清国の属邦に相違なき旨、返答したる時は、我は一応、督弁に面会して其利その害を説明して公文を撤回せしむべし。彼もし我ぎ説に服せざるときは、公然、朝鮮政府に向けて、彼が修好条規第一款に背き、かつ訂約以来十七年間、我を欺きたる罪を責め、兵力を以て之に迫り、彼をして謝罪の実を挙げしめ、我に満足なる補償を取るべし。

 またもし朝鮮政府は、我が国は古来清国の属邦と称せらるるも、内治外交は自主に任ずる約束なれば、自主の邦国たるに相違なしと返答したる時は、我は朝鮮政府に向て、内乱を鎮定するは内治に属せり。然るに清国は保護属邦の名義を借りてその兵を前派したるものは、これ内治に干渉するなり。属邦の実を挙げんとするものなりといふ理由を執り、その他は第一項の手続に従つて韓廷および清使に迫るべし。

(乙)内政改革問題

第一着 国王に奏上すること(去る二十六日、既に奏上を遂げたり)

第二着 改革案を政府に提出し、政府は我が勧告を容して改革を実行するや否、決答を促すべし。

苐三着 朝鮮政府若し勧告に応ぜざるときは、条理の許す限り恐嚇手段を執り、その実行を促すべし。

 右甲乙両問題を決行するがため、本官は前陳の手続に依るべき考案にこれあり候へども、実行の際には充分注意相加へ申すべく、まさ当地駐在の各使臣へも予め我が趣意を表明して、異論を招かざる様に取り計らひ申すべくと存じ候ふ。かつ本件につき電信不通のため、明日、特に八重山艦にて二口翻譯官補を佐世保に派し電稟に及び候へども、猶ほ念のため、ここに委細具申に及び候ふなり。

  明治二十七年六月二十八日

        特命全権公使 大鳥圭介

      印【在朝鮮日本帝国特命全権公使

  外務大臣 陸奥宗光殿

 追つて当地の形勢は漸く危険に相迫り候ふにつき、居留民老幼婦をば仁川または本邦へ避難せしむ考へにこれあり候ふ。

 別紙乙丙両号は送第八十四号をもつて報告済み。

 

丁号

第五十九号

書柬を以て啓上致し候。陳ぶれば今般、本国外務大臣の訓令を奉じたるに、我が暦本年六月七日、東京駐在清国欽差公使、汪氏の照会に接到候処、其中、「且派兵援助乃我朝保護属邦旧例」 等語これあり。然るに我が政府は初めより朝鮮を認めて自主独立の邦と為し、現に明治九年二月二十六日訂結、両国修好条規第一款にも、「朝鮮国は自主独立の邦にして日本国と平等の権を保有す」との文字、明載これあり候処、該清国欽差の照会は全く之に反対し、実に意外の儀と存じ候。右は日朝両国の交際に対し至大の関係を及ぼす義に付、朝鮮政府に於ても自ら「保護属邦」四字を相認め候儀にこれあり候哉、至急、貴国政府に向て御意見を相慥め申す可くとの儀にこれあり候。依て該清国欽差照会写相添へ、茲に御照会候間、明日、即ち我が暦本月二十九日を限り何分の御回答相成り候様致したく、此段御照会に及び候。敬具。

 明治二十七年六月二十八日

           特命全権公使 大鳥圭介

     督弁交渉通商事務 趙秉稷閣下

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大臣 花押〈光〉 次官 印【林董】 機密受第九一〇號

廿七年七月五日接受 政務局 稟義 通商局 印【原敬

機密第百十號 本六五

  朝鮮属邦説ヲ排斥シ

  并 内政改革断行手続ニ付 上申

昨二十七日 加藤書記官着仁 本日午前入京候ニ付 委細御訓令之趣承知致 并ニ是迠貴我ノ電信ニテハ意味充分ニ相通セザリシ廉ヲモ判明致候 扨 當地ノ形㔟ハ追〻 電信及ヒ機密信䓁ニテ申進ノ通リ 當政府一般ノ希望ハ 只管 無事平穏ヲ頼ミ 日夜 日清两兵ノ撤囬ヲ僥倖シ 而シテ其目的ヲ達スル手段トシテ初メハ專ラ袁世凱ニ依頼シタルモ 急速ノ結果ヲ見ザルニ付 更ニ轉シテ各国公使ニ周旋ヲ依頼シ 或ハ電信ニテ李鴻章ニ依頼スル等可及𠀋ノ手段ヲ盡シ居ルヤニ被推察候 又 袁世凱ハ此際 頻リニ大言ヲ放チ 或ハ偽造電信ヲ送リテ韓廷官吏ヲ恐嚇シ 日本政府今囬ノ挙ハ全ク朝鮮ヲ併呑セントノ野心ヲ包藏スルトカ 又ハ内治干渉ノ端緒ヲ開カントスルニ在ルトカ 自分勝手ノ理窟ヲ製造シ韓官ニ説込ムガ为メ 左ナキダニ日本ヲ嫌悪シテ支那ニ依頼心深キ韓廷ノ老人達ハ 徹頭徹尾 支那ニハ離ル可カラス 縦令 日兵ハ一時多数ナルモ最後ノ勝利者ハ必ス支那ナラント確信シ 其他 稍〻時世ニ通シタル者ト虽トモ姑ク两端ヲ観測シ 其勝敗ヲ見テ去就ヲ決セントスル様子ナレバ 所謂ユル日本黨ト稱セラレテ或ハ陽ニ或ハ陰ニ運動スル者ハ 目下㔟力ナキ金嘉鎮 愈吉濬 趙義淵 安䮐壽等 十余人ニ相過キ不申候 斯ル有様ナレバ此際 是非トモ支那ト一衝突ヲ興シ 之ヲ打破シタル後ニアラザル已上ハ内政改革ノ目的 充分貫徹スルヲ得ザルベシト思考致候得共 日清两兵ノ衝突ハ容易ニ招キ難ク 依テ内政改革ヲ先キニシ 若シ之ガ為メ日清ノ衝突ヲ促サバ僥倖ナリト切リニ謁見ヲ促シ候處 去二十六日午後三時 国王殿下ハ本官ヲ引見セラル可キ旨 内務督弁ヨリ通知有之候二付 此機會二投ジテ内政改革ノ端緒ヲ相開キ 追テ加藤書記官ノ来着ヲ待テ改革案ヲ政府ニ提出ス可クト存ジ 別紙甲号寫ノ通リ内治改良ノ必要ヲ述ベ 且ツ委貟ヲ定メテ本使ト協議相成候様致度旨 殿下ノ前ニ言上ニ及ビ 同時ニ上奏文(即別紙甲号)奉呈致置キ候 就テハ改革案調成次㐧 外務督弁 又ハ殿下ヨリ特命セラレタル改革取調委貟ニ提出シテ恊議ニ及ヒ可申ト存候 尤モ先頃ヨリ内ニ改革派ヲモ教唆致シ 我ハ外ヨリ迫ルト同時ニ内二與リテ改革ヲ促ス可キ手筈ニ致置キ候得共 前陳ノ通リ改革派ノ㔟力 甚タ微弱ナレバ 彼等 果シテ能ク内應ノ功ヲ奏スルヤ否 甚タ覺束ナク被考候 萬一 我ヨリ改革案提出ノ際 彼ハ清使ノ後援ヲ頼ミ拒絶シテ受ケザルカ 若クハ陽ニ之ニ應ジテ其實行ヲ躊躇スルガ如キ塲合アル時ハ 本官ハ條理ノ許ス限リハ手荒キ手段ヲ用ユルトモ必行ニ至ラセ申度キ考ニ有之候間 左様御承知相成度候 將又 清国政府ノ挙動ハ或ハ硬 或[ハ]軟 甚タ曖昧ニシテ判然致シ不申 去二十二日出發ノ清兵五百名程ハ同二十四日 牙山ニ到着致候得共 右ハ補充ノ為メ派送セラレタル趣キニテ 其余ノ兵隊ハ出發準備ノ報告ニ接シタル迠ニテ未タ渡韓ノ實否相分リ不申候 又 同国兵入京ノ説モ全ク相止ミ申候 左レバ清国政府ハ我ト干戈相見ルノ非策ナルヲ悟リ 平和手段ヲ以テ两兵撤退ノ功ヲ奏セント盡力致シ居ルニアラザルヤト被推測候 尤モ去二十三日 及 二十五ノ两日ニ袁世凱ヨリ別紙乙丙号ノ如キ書面ヲ送リ「目下 全羅道ニ於ケル民乱ハ既ニ平定シタリト報告スレトモ 巨魁 及 餘黨ノ行衞 詳ナラサル程ナレバ 未タ充分ニ平定シタル者ト見做シ難シ 右ハ他国ノ为メ兵ヲ駐ムル口實ヲ與フルモノニ付 清韓共ニ兵ヲ派シテ剿討ノ實功ヲ奏ス可シ」ト相迫リ候處 朝鮮政府ニテハ其返答ニ當惑シ 只泣付クガ如ク切リニ袁氏ニ向テ出兵中止ノ亊ヲ依頼致居ルヤニ及漏聞候 前陳ノ通リ日清两国兵ハ各〻二十余里ヲ隔テタル遠地二駐屯シ 而シテ其目的モ一ナラサレバ 幾日ヲ經過ストモ两兵相衝突ス可キ機會無之 然ルニ我兵ハ追〻増加シテ彼ニ二三倍シタレバ 我利ハ速戰二アルコト勿論ナルノミナラス 内治改革ノ目的ヲ達スルニ於テモ亦 速戰ヲ利益トス可キニ付 去二十六日 㐧十一号ヲ以テ電稟ニ及ヒタル次㐧ニ有之候 然處 本日 加藤書記官来着 貴大臣閣下ノ御趣意モ充分致了解候ニ付 前緒ヲ追ヒ問題ヲ独立 属邦ト 内政改革ノ二種ニ区別シ 左ノ順序ニ従テ之ヲ決行可致ト存候

(甲)独立 属邦ノ問題

苐一着 本月六日 東京駐在清国公使ヨリ貴大臣閣下ヘ送呈シタル公文写ヲ朝鮮政府ニ送リ 同政府ハ保護属邦ノ四字ヲモ認ムルヤ否ヲ慥ムルコト(但シ是ハ本日 別紙丁号ノ通リ照會ヲ遂ケタリ)

苐二着 朝鮮政府ハ若シ 我國ハ自主独立ニシテ清國ノ属邦ニアラズト返答シタル時ハ 我ハ「朝鮮政府ニ向テハ」今 清兵ハ保護属邦ト稱シテ貴境ニ入リシハ 是レ貴國ノ独立権ヲ侵害セリ 之ヲ退去セシメテ日朝条約ノ明文ヲモ全フルハ貴政府ノ義務ナレバ 早ク之ヲ逐出ス可シ 若シ貴國政府ノ力ニテ之ヲ能セサルトキハ 我兵力ヲ以テ貴國ヲ助ケ之ヲ逐拂フベシト相迫リ 「清国公使ニ向テハ」貴国ハ保護属邦ヲ名義トシテ朝鮮ニ派兵セラレタルコトハ 我政府ノ飽迠 不同意ヲ唱フル所ナリ 我政府ハ初メヨリ朝鮮ノ独立ヲ認メタレバ其獨立ヲ保護スル義務アリ 且ツ朝鮮政府モ亦 貴国ノ属邦ニアラザル旨ヲ明言セリ 左スレバ貴国ノ兵ハ不正ノ名義ヲ以テ派来シタル者ニ付 速ニ引拂ハルベシ 若シ躊躇セラルヽニ於テハ 余義ナク我兵力ヲ以テ之ヲ引拂ハシム可キ旨 通知ス可シ
又若シ朝鮮政府ハ清国ノ属邦ニ相違ナキ旨 返答シタル時ハ 我ハ一應 督辨ニ面會シテ 其利害ヲ説明シテ公文ヲ撤囬セシムベシ 彼若シ我説ニ服セサルトキハ 公然 朝鮮政府ニ向テ 彼ガ修好条規㐧一款ニ背キ 且ツ訂約以来十七年間 我ヲ欺キタル罪ヲ責メ 兵力ヲ以テ之ニ迫リ 彼ヲシテ謝罪ノ實ヲ挙ケシメ 我ニ満足ナル補償ヲ取ルベシ
又若シ朝鮮政府ハ 我国ハ古来 清国ノ属邦ト稱セラルヽモ 内治外交ハ自主ニ任スル約束ナレバ 自主ノ邦国タルニ相違ナシト返答シタル時ハ 我ハ朝鮮政府ニ向テ 内乱ヲ鎮定スルハ内治ニ属セリ 然ルニ清国ハ保護属邦ノ名義ヲ借リテ其兵ヲ前派シタル者ハ 是レ内治ニ干渉スルナリ 属邦ノ實ヲ挙ケントスル者ナリト云フ理由ヲ執リ 其他ハ㐧一項ノ手續ニ従テ韓廷 及 清使ニ迫ルベシ

(乙)内政改革問題

苐一着 國王ニ奏上スルコト(去二十六日 既ニ奏上ヲ遂ケタリ)

苐二着 改革案ヲ政府ニ提出シ 政府ハ我勧告ヲ容シテ改革ヲ實行スルヤ否 決答ヲ促ス可シ

苐三着 朝鮮政府若シ勧告ニ應セザルトキハ 條理ノ許ス限リ恐嚇手段ヲ執リ其實行ヲ促ス可シ

右甲乙两問題ヲ決行スルガ为メ 本官ハ前陳ノ手続ニ依ルベキ考案ニ有之候得共 實行ノ際ニハ充分注意相加ヘ可申 又 當地駐在ノ各使臣ヘモ豫メ我趣意ヲ表明シテ 異論ヲ招カサル様ニ取計可申ト存候 且ツ本件ニ付キ 電信不通ノ为メ 明日 特ニ八重山艦ニテ二口翻譯官補ヲ佐世保ニ派シ電稟ニ及ヒ候得共 猶ホ為念 茲ニ委細及具申候也

明治廿七年六月廿八日

        特命全権公使 大鳥圭介

      印【在朝鮮日本帝國特命全權公使】

  外務大臣 陸奥宗光殿

追テ當地ノ形㔟ハ漸ク危険ニ相迫リ候ニ付 居畱民老幼婦ヲバ仁川 又ハ本邦ヘ避難セシム考ニ有之候

別紙乙丙两号ハ送㐧八十四号ヲ以テ報告済

甲号
七月六日 此冩ヲ上奏ス
        稟義

   使臣大鳥圭介

  奏恭惟
大君主陛下

⌒ 聖德日躋。兆民沐化
 陘治彌隆。寰宇獻頌。無任欽迎之至。竊嘗
  南民蠢爾梗化。敢抗有司。跳梁一時。
 王師爰發。大張撻伐。復慮滅此朝食
  之不易。竟有借鄰援之擧。我
  政府有聞於此。以爲事体較重。乃奉
大皇帝陛下諭旨令使臣帶領兵員回任
 闕下自衞使館商民併念
  貴國休戚所繋如有所求。兼可一臂
  相助。以盡敦隣友誼。使臣銜
 命抵京也適聞完城克復。餘黨竄退。
  於是班師善後。漸將就緒。此莫非
 盛德所被。實爲内外所共慶頌也。願我
  日本國與
  貴國共處東洋一方。疆域逼近。詢不翅
  輔車唇歯。况講信修睦。使弊徃来
  今昔不渝。徴之史冊。歴然可稽。方今
  觀列国衆邦之大㔟。政治。教民。立法。理財。
  勸農。奨商。無非冨強自致。逞長専能。
  而欲雄視宇内耳。然則泥守成法。不思
  通変達権。廣開眼界。不力争勢自主。
  何能相持介立乎列邦環視之間耶是以
  又命使臣以會同
 貴朝廷大臣。講明此道。相勧
 貴政府務擧冨強實政。則休戚相關之誼。
  於是乎可始終。輔車相依之局。於是
  乎可保持矣。
陛下聖鑒。降
 旨飭令辨理交渉大臣或専委大臣。會
  同使臣俾盡其説庶幾無負我
 政府篤念鄰誼至意。則大局幸甚。使
  臣圭介不勝仰望屏息之至。爰祈
陛下洪福無疆。謹
 奏

丁号

苐五十九号

以書柬致啓上候 陳者 今般 本國外務大臣ノ訓令ヲ奉シタルニ 我暦本年六月七日 東京駐在清国欽差公使 汪氏ノ照會ニ接到候處 其中 且派兵援助乃我朝保護属邦旧例 䓁語有之 然ルニ我政府ハ初メヨリ朝鮮ヲ認メテ自主独立ノ邦ト为シ 現ニ明治九年二月二十六日訂結 両国修好条規第一款ニモ 朝鮮国ハ自主独立ノ邦ニシテ日本國ト平等ノ権ヲ保有ストノ文字 明載有之候處 該清国欽差ノ照會ハ全ク之ニ反對シ 實ニ意外ノ儀ト存候 右ハ日朝两国ノ交際ニ對シ至大ノ關係ヲ及ス義ニ付 朝鮮政府ニ於テモ自ラ保護属邦四字ヲ相認メ候儀ニ有之候哉 至急 貴國政府ニ向テ御意見ヲ相慥メ可申トノ儀ニ有之候 依テ該清国欽差照會写相添 茲ニ御照會候間 明日 即 我暦本月二十九日ヲ限リ何分ノ御囬答相成候様致度 此段及御照會候 敬具

 明治二十七年六月二十八日

           特命全権公使 大鳥圭介

'     督弁交渉通商事務 趙秉稷閣下

 

⬆2 明治27年6月20日から1894〔明治27〕年7月12日
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