Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

「署長は自動車喞筒[ポンプ]に乗じ現場を観察せることあり。之の虐殺の原因は何れも警察官の宣伝にして、当時、一警察官の如きは盛に、支鮮人は見付け次第殺害すべしと宣伝せり」 支那人被害調査員行動に関する件 1923.11.18


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警視庁編『大正大震火災誌』より
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1748933/48
亀戸警察署長 古森警視

 

(極秘)大臣 了 次官 了 小村次長 花押 □□秘書官 花押

【極秘】  大正十二年十二月三日、警備会議において受く。花押[出淵]

亜細亜局長】一課長 花押    花押

 

 大正十二年十一月二十二日
           古森亀戸警察署長
 白上官房主事殿

   支那人被害調査員行動に関する件

       府下大島町8の146
        電気機械修繕業 木戸四郎
               当二十七年

 右は本月十八日、管内大島町における支那人被害調査のため来町せる兪顕応一行中の読売新聞·朝日新聞記者三名に対し、左記のごとく現場案内の上、当時の状況を説明したる旨、往訪の当署員に語りたり。御参考までに報告に及び候ふなり。

一、十八日、読売新聞·朝日両新聞記者三名、八丁目百四十六番地、木戸四郎方付近において、支那人虐殺事件に関し同地小児等に当時の状況聴取中、木戸は通行に際し前記三名に対し、「子供に聞いたのでは解りますまい」と云ふや、記者は「差し支へなき限り是非、現場および当時の状況について説明されたし」との申し込みに、木戸は早速、これに応じ、「九月三日正午より軍隊約七名が五名の鮮支人を現場において撲殺せるを手始めに、続々二、三丁目方面より支那人を三々五々連行し、撲殺し、午後六時までに約ニ百五十名を軍隊、自警団、警官にて惨殺せるものにして、死体は現場において田中と称する人夫が数人の人夫を使役し、石油約三十缶をもって焼却し、骨灰は地盤五寸余りを削り取り、荷馬車に積載し、いづれにか投げ捨てせるものなり。いづれも警察の指揮の下に行ひ、署長は自動車喞筒[ポンプ]に乗じ現場を観察せることあり。この虐殺の原因はいづれも警察官の宣伝にして、当時、一警察官のごときは盛んに、支鮮人は見つけ次第殺害すべしと宣伝せり。なほ水上派出所巡査にして丈五尺二寸位、色黒き人物は、自己と交際ある馬進昌に酷似せる一支那人を針金にて縛し自宅前を通行し、群衆とともに現場に連行、撲殺せるは、群衆の殺気を加へるの原因となれるは疑ひなき事実なり。また当時、支那人の所有金品約一万余円は警察署にて没収せり」と云ふ。

追って前記木戸の語る所によれば、本人は十二、三歳の頃より主義的研究をなし来たりし由にて、現代資本制度を排するの言辞を漏らし、前記新聞記者に語りたる一切は、すでに弁護士山崎今朝弥に面会の上、通報し置きたる由にて、言動過激の性あるものと認め、引き続き視察中につき申し添へ候ふ。

                     以上


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(極秘)大臣 了 次官 了 小村次長 花押 □□秘書官 花押

【極秘】大正十二年十二月三日 警備會議ニ於テ受 花押[出淵]

亜細亜局長】一課長 花押       守

 

 大正十二年十一月二十二日
           古森亀戸警察署長
 白上官房主事殿

   支那人被害調査員行動ニ関スル件

       府下大島町八ノ一四六
        電気機械修繕業 木戸四郎
               當二十七年

右ハ本月十八日 管内大島町ニ於ケル支那人被害調査ノタメ來町セル兪顕應一行中ノ讀賣新聞 朝日新聞記者 三名ニ對シ 左記ノ如ク 現場案内ノ上 當時ノ状况ヲ説明シタ
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ル㫖 徃訪ノ當署員ニ語リタリ 御㕘考迄ニ及報告候也

一、十八日 讀賣新聞 朝日両新聞記者三名 八丁目百四拾六番地 木戸四郎方附近ニ於テ 支那人虐殺事件ニ関シ同地小兒等ニ當時ノ状况聽取中 木戸ハ通行ニ際シ前記三名ニ對シ 子供ニ聞イタノデハ解リマスマイト云フヤ 記者ハ差支ナキ限リ是非 現場 及 當時ノ状况ニ就テ説明サレ度シトノ申込ミニ 木戸ハ早速 之ニ應シ(九月三日正午ヨリ軍隊約七名ガ五名ノ鮮支人ヲ現場ニ於テ撲殺セルヲ手始メニ 續々二三丁目方面ヨリ支那人ヲ參々伍々 連行シ 撲殺シ 午後六時迄ニ約ニ百五拾名ヲ軍隊、自警團 警官ニテ惨殺セルモノニシテ 屍体ハ現場ニ於テ田中ト称スル人夫ガ数人ノ人夫ヲ使役シ 石油約三十罐ヲ以テ燒却シ 骨灰ハ地盤五寸餘ヲ削リ取リ 荷馬車ニ積載シ 何レニカ投捨セルモノナリ 何レモ警察ノ指揮ノ
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[×許×]<下>ニ行ヒ 署長ハ自動<車>喞筒ニ乗ジ現場ヲ観察セルコトアリ 之ノ虐殺ノ原因ハ何レモ警察官ノ宣傳ニシテ 當時 一警察官ノ如キハ 盛ニ 支鮮人ハ見付ケ次第殺害スヘシト宣傳セリ 尚ホ水上派出所巡査ニシテ𠀋五尺二寸位、色黒キ人物ハ 自己ト交際アル馬進昌ニ酷似セル一支那人ヲ 針金ニテ縛シ自宅前ヲ通行シ 群衆ト共ニ現場ニ連行 撲殺セルハ 群衆ノ殺気ヲ加ヘルノ原因トナレルハ疑ナキ事実ナリ 又 當時 支那人ノ所有金品 約壹萬餘円ハ 警察署ニテ没収セリト云フ

追テ前記木戸ノ語ル所ニ依レバ本人ハ拾二三歳ノ頃ヨリ主義的研究ヲナシ來リシ由ニテ 現代資本制度ヲ排スルノ言辞ヲ漏ラシ 前記新聞記者ニ語リタル一切ハ既ニ辯護士 山崎今朝弥ニ面会ノ上 通報シ置キタル由ニテ 言動過激ノ性アルモノト認メ 引續キ視察中ニ付キ 申添候

                     以上

 

↑本邦変災並救護関係雑件/関東地方震災関係
2.大島町事件其他支那人殺傷事件 分割1
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B04013322800 p.10