昭和十二年 自十二月十二日
至十二月十三日
江蘇省南京市
十字街および興衛
和平門および下関 附近戦闘詳報
第11号 歩兵第三十八連隊
十字街及び興衛和平門及び下関戦闘詳報
一 戦闘前に於ける彼我形勢の概要
1 敵は尭化門附近の陣地を固守したるも、前日来の猛攻撃に対し、該地附近一帯の陣地を捨てて主力は南京方向に敗走し、又一部は東北方に於て我を牽制する為か陣地を増築しあるものの如し。
2 佐々木支隊は依前[然?] 右側支隊にして尭化門に進出し、爾後、敵を南京北方地区に急追せんことを企図しつ[つ]あり。
3 連隊主力は右側支隊命令に基き玄武湖北側地区に転進し、敵を殱滅せんとす。第二大隊は支隊の右側衛となり盆路口北側高地を占領しあり、又、第三大隊は支隊の後衛となり尭化門北方地区の敵を撃滅、掃蕩を実施しつ[つ]あり。
[中略]
四 各時機に於ける戦闘経過
[中略]
4 然るに敵は既に退却を開始せるものの如く、連隊は処々に残敵を殲滅しつつ、後方に激烈なる銃砲声を聞きつつ前進し、午前九時二十五分、左記追撃命令を下達し追撃に移れり。此の間、旅団予備隊たりし第十一中隊は、野砲兵大隊の掩護中、岡下に於いて有力なる敵と遭遇、戦闘実施せり。
歩兵第三十八連隊命令
十二月十三日午前九時二十五分
於十字街東方五〇〇高地
一 連隊全面の敵は退却せり、盆路口方面より退却せる敵の大部分に対し、旅団予備隊及野砲兵隊は午前八時頃より殲滅戦を行ひ、目下掃蕩中なり。
二 連隊は前記作命第三の八六号に於て示したる進出線に追撃せんとす。
三 第一線部隊は速に該線に向ひ敵を追撃し、随所に敵を殲滅するを要す。殲滅戦の為には一部隊は前記の線を超えて進出せしむべし。迫撃砲隊、聯隊砲隊中は速に第一線に追及すべし。
四 軽装甲車隊は直に敵を追撃すべし。
五 余は予備隊と共に前進し、和平門東側高地に至る。
六 紫金山方向の敵は潰走中なるを以て、連隊の左側方面随所に現出する場合を顧慮し、各部隊は随所に之を殲滅するを要す。
従て各隊は相当の縦長に在る事、肝要なり。
又、小行李其の他後方機関を敗残兵に曝露せざるを要す。
前衛司令官 助川大佐
5 正午頃、十字街及紅山附近の旅団命令に基き先づ其の地点を確保したる後、午後二時、左の命令を下達す。
前衛命令 十二月十三日午後二時
於紅山西側高地
(一)前面の敵は各方面に退却せり。
(二)前衛は別命ある迄現在の地点を確保し、一部を以て下関に向ひ敵を追撃せんとす。
(三)歩兵第三十三連隊第一大隊は現在の地点を確保すべし。
(四)歩兵第三十八連隊第一大隊(第一、第三中隊欠)は下関方向に敵を追撃すべし。
(五)第一中隊は和平門及中央門を占領すべし。
(六)第三中隊(一小隊欠)は玄武湖北側高地を確保すべし。
(七)軽装甲車隊は下関方向に敵を追撃すべし。
(八)迫撃砲大隊は現在地に集結す。
(九)連隊砲中隊は現在地に兵力を集結すべし。
(一〇)其の他の部隊は予備隊とす。
紅山西方高地に兵力を集結すべし。
(一一)各隊は何時にても出発し得る如く準備しあるを要す。
(一二)余は予備隊と共に紅山西側高地にあり。
連隊長 助川大佐
6 南京城を固守せし有力なる敵兵団は、光華門其の他に於て頑強に抵抗せしも、各部隊の猛攻に依り著しく戦意を失ひ、続々、主として下関方向に退却を開始せしも、前衛は先、独立軽装甲車第八中隊をして迅速果敢なる進撃を行ひ、午前[後?]一時四十分頃、渡江中の敵五六千[に]徹底的大損害を与へて之を江岸及江中に殲滅せしめ、次で主力を以て午後三時頃より下関に進入し、同日夕までに少くも五百名を掃蕩し竭せり。
次で左記、城内外掃蕩に関する支隊命令を受領す。
右側支隊命令
十二月十三日午後五時三十五分
於南京和平門外
(一)敵は前[全?]面的に敗北せり。支隊は和平門以西の各門及び下関を占領し、敵の逃?出を完全に閉鎖せり。
(二)支隊は本夜、現態を以て敵を監視し、又一部を以て背後交通を遮断し掃蕩せんとす。
(三)歩兵第三十八連隊(第二、第三大隊欠)は和平門(之を含む)以西の各門及下関を警備し、交通を遮断すべし。
歩兵第三十八連隊(第二中隊欠)を指揮する事、旧の如し。
(四)歩兵第三十八連隊第三中隊は後方警備に必要なる兵力を尭化門、仙鶴門鎮、馬営附近に残置し、進路両側を掃蕩しつつ、明十四日概ね正午頃迄に支隊に追及すべし。馬営附近に残置せる第五中隊を区署し、所用の人員を残置せしめたる後(必要なければ全部)[之?]を収用すべし。
(五)爾余の部隊は予備隊となり、中央門外に集結し露営すべし。
水谷少佐は露営司令官とす。
(六)衛生隊は中央門外附近に繃帯所を開設すべし。
(七)余は中央門外に在り。
支隊長 佐々木到一
7 午後七時、左記前衛命令を下達して、該地附近に兵力を集結して厳に附近を警備す。
前衛命令 十二月十三日午後七時
於下関
(一)敗残の敵は尚附近に徘徊す。
(二)前衛は概ね掃蕩を修了せば兵力を下関南端附近に集結せんとす。
(三)前兵(第一、第四中隊)下関丁時路附近に集結すべし。
(四)歩兵第三十八連隊第一大隊(速射砲中隊の配属を解く。其の他如故)は既に獲得せる点を厳に守備すべし。
(五)前衛本隊は停車場南方地区に兵力を終結し露営すべし。
(六)露営地域、現地に於て指示せしむ。
(七)速射砲中隊の各隊配属を解く。前衛本隊に復帰すべし。
(八)第一中隊は和平門及中央門、金川門を占領し、該地附近に露営すべし。
(九)第一大隊小行李より小銃弾薬約四匣を軽装甲車隊に交付すべし。
(一〇)連隊本部より小銃弾五〇〇発を交附すべし。
(一一)本夜の給与は携帯せるものを使用すべし。
(一二)露営間、附近の民家等に立入り不法行為を実施せしめざる様、幹部は注意すべし。
(一三)各国の権益内には武装したるものを立入れざる様、教育すべし。
(一四)余は露営地の中央部に在り。
前衛司令官 助川大佐
五 戦闘後に於ける彼我形勢の概要
敵の敗残兵の一部は南京城内に在るものの如く、大部は下関に圧迫したる敵は其の退路を失し我に殲滅せられたるも、極少数の敵は揚子江を甫口に渡河して敗走せるが如し。下関に圧迫せし敵は少なくも二万を下らざるが如し。
六 各人各隊の武功にして顕著なるもの[略]
↑江蘇省南京市十字街及興衛和平門及下關附近戦闘詳報
第11号 自昭和12年12月12日至昭和12年12月13日
歩兵第38連隊
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C11111200400