Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

「警戒救護に関する命令 …四、不穏計画及び其の他不逞者の諸計画を厳重取締ること。」 警視庁『大正大震火災誌』より 1923.9.1

  第一編 本庁活動

   第二章 警戒

 震火災に対して本庁の採りたる諸警戒計画並に其実施の状態を述ぶるに当りて予め震災前に於ける警察力運用の一般を概説し災後の非常警戒が如何に至難を極めたりしかを略叙するは無益の業にはあらざるべし。由来我帝都は政治運動及び民衆運動の中心地たるを以て、本庁は警戒警備に関して幾多の苦き経験を有したり。就中明治三十八年 [1905 年] 九月五日乃至七日の日露講和条件反対騒擾事件、同三十九年 [1906 年] 九月五日の電車焼打事件、大正二年 [1913 年] 二月十日乃至十一日の桂内閣弾劾騒擾事件、同三年 [1914 年] 二月十日及び十二日の山本内閣弾劾騒擾事件、同七年 [1918 年] 八月十三日乃至十六日の米価問題騒擾事件、同八年 [1919 年] 以来の所謂普選促進運動等は最も困難を感じたる処なりと雖も、概ね事前に於て之が対策を試みるの余裕を有したれば幸にして時宜を誤らざりしと共に、其間に得たる幾多の経験は却て後日の鑑戒となれる事も尠なからず、殊に近年各種民衆運動の漸く盛ならむとするに及びては、益々周到なる注意と、準備との必要なるを感じ、或は警察官の増員を行ひ、或は集団又は民衆の取扱と警戒部隊の編成配置及び其運用とに就きて十分なる研究を重ぬる等著しき進歩発達を遂きごるに至れり。今震災当時の警察力を按するに市郡を通じて六十三警察署 (分署を含む)、所属警察官は警視四十八人、警部六十五人、警部補以下九千四百七十七人 (本庁員及び島嶼を除く) を算し、警戒実施の際には警務部長指揮の下に同部警務課警務係に於て本庁並に各署員を綜轄せる部隊の編成配置運用の計画に従いひ、此計画に基きて警務課長を参謀とし、監察官を大隊長、関係署長を中隊長として数箇の警戒部隊を編成し、更に官房主事の指揮せる高等警察隊、刑事部長の指揮せる特別私服隊も亦同時に組織せられ、事前の処置並に現場の警戒、犯則者の検挙等殆ど間然する所なく、更に通信機関に至りては完備せる本庁特設の電信電話あり、命令一下すれば、四千内外の警察隊をして立所に活動せしむるを得べく、本庁が帝都の安寧秩序を保持すべき重任に膺りて常に其職責を全うし、迅速に確実なる効果を挙ぐるを得たるは実にかゝる機関と組織とを有せるを以てなり。

 本庁が政治的若しくは社会的の事変に対して何時にても之に応ずべき十分なる用意ありし事斯の如し。然れども人威力に抗すべからず、九月一日の震火災に対し一時警察力の運用に非常なる障碍を生じたるもの真に已むを得ざるなり。蓋し今次の大震たる頗る強烈を極め被害の地域亦広きが上に水道及び交通、通信機関は之と同時に全滅して亦用を為さず、加之震後幾もなく管下百三十余箇所より発したる火災は消防の不備に乗じて猛威を逞しくし、折柄の烈風と旋風とに煽られて忽ち四方に延焼し、全市の大半を焦土と化したれば衣食住を失へる罹災者の数、百数十万の大きに及び而も焼残地域の住民と共に物資の欠乏に悩める際、鮮人の暴動、強震の再襲など言へる流言蜚語電光の如き速度を以て宣伝せられ市郡を挙げて極度の不安に陥らしめたり。此時に方り本庁及び各警察署は概ね火災に罹り、警察官にして家を焼き父母妻子を喪ひ、或は職務に斃れたる者亦尠からず、著しく削減されたる警察力を以て無限の世変に応ぜんとす。其至難の業たるや知るべきのみ。而も施設歩を誤り輩[⇒輦]轂の下秩序の破壊せらるゝか如き事あらば、患害の波及する所殆ど予期すべからざるものあり、非常警戒の実施は焦眉の急にして一刻の猶予をも許さず。是に於て、本庁はまた警察力の不備を顧みるに遑あらず、直に善後策を講ぜんとし所信に向て驀進せり。

    第一節 震災後に於ける応急警戒措置

第三、近衛師団長に対する出兵の要求

 此時に方り管内視察の為に曩に出動せる田辺、泊両監察官の帰庁するあり、各警察署よりの報告亦到達せるのみならず、本庁附近に於ける倒壊家屋、火災の延焼、避難者の雑踏等に依りて推察するも、事態極めて容易ならざるものあり、然るに本庁並に市内二十五箇署の焼失、警察官の遭難の如き不慮の事変をも生じたれば、斯る微弱なる警察力を以て非常時の警戒に任じ帝都の治安を完全に保持する事の困難なるや明かなり。況や窮乏困憊の極に達したる民衆を煽動して事端を惹起せむと企る者なきに非らざるに於てをや。是に於て赤池総監は兵力を借りて速に人心の安定を図り不祥事の発生を未然に防遏するの必要を感じ小林警務課長を近衛師団司令部に急派して内議せしめたる後、午前四時三十分に至り警視庁官制第四条第二項に基き盛岡師団長に対して正式に出兵を要求し更に田辺監察官を陸軍省に遣し出兵の瞬時に速かならんことを交渉せしめたり。

     (出兵要求書)
 大正十二年九月一日     赤池警視総監
 森岡近衛師団長殿
     出兵要求の件
警戒救護の為相当兵員御派遣相成度此段及要求候也

 (参照) 警視庁官制(大正二年六月
            勅令第一四九号)
第四条の二 警視総監は亦非常急変の場合に臨み兵力を要し又は警護の為兵備を要するときは東京衛戍総督又は師団長に移牒して出兵を請求することを得。

第六、警戒救護に関する応急命令

 此時に方り本庁各署間の通信機関たる電信、電話既に不通となれるが故に、馬場警務部長は応急の手段として田辺、泊両監察官を各署に派遣し臨機の指揮に当たらしむると共に監察官附吉田、高橋各警部及び警衛課福岡警部に命じ自動車に乗じて各署長に対する左記命令を口頭伝達せしめたり。

   警戒救護に関する命令
一、勤務
 (一)全署員を三部に分ち二部を勤務せしめ一部を休養せしむること。
 (二)巡査派出所は二人勤務となし一人を立番、他の一人を休憩とし一時間交代とす。
 (三)他の署員は署内に集合せしめ置くこと。
 (四)必要に応じ数組の偵察隊を出し一組を二人以上とすること。
二、火災警戒を用意周到ならしむること。
三、盗難警戒を用意周到ならしむること。
四、不穏計画及び其の他不逞者の諸計画を厳重取締ること。
五、救護を敏速に遂行し区役所及び軍隊との連絡を密接ならしむること。
六、人心の鎮静を計ること。
七、食料品警戒及び暴利取締を厳重からしむること。 

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1748933/121 ~122

大正大震火災誌 警視庁 1925