Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

松井石根

ラーベの日記 12月21日 1937.12.21

21. Dezember Es ist nicht mehr daran zu zweifeln, daß die Japaner die Stadt verbrennen, wahrscheinlich nur um die Spuren ihres Plünderns und Raubens zu verwischen. Gestern abend brannte die Stadt an sechs verschiedenen Stellen. 12月20日 日…

「昨日の声明で言いたいことはすべて言ひ尽くしている。」「昨日はじめてああいう声明を出し、自分とし今後の作戦に当たる心持ちを発表したわけである。」 松井最高指揮官談 1937.10.9

同盟旬報 第1巻 第11号 (昭和12年・10月上旬号) 839(31) 支那事変 松井最高指揮官談 上海【10・9】秋雨煙る○○部隊本部に最高指揮官松井大將を訪う。大将は着任以来1ヶ月半、兵馬倥偬の間にあって、疲労の色もなく元気に語る。 昨日の声明で言いた…

「軍は素より一般民衆を敵とせずといへども、いやしくも我に抵抗加害するものは、その軍民のいづれたるを問はず、寸毫も仮借することなかるべし。」「遺憾ながらその排日・抗日運動を根絶し、今次事変のごとき不祥事発生の根因を芟除するの要がある。」 松井石根/同盟通信 1937.10.8

同盟旬報 第1巻 第11号 (No. 11) (昭和12年・10月上旬号) 836(27) 支那事変 【 帝 国 】 松井最高指揮官声明 上海【10・8】(8日午後5時○○報道部発表)松井陸軍最高指揮官は本日午後5時、左のごとき声明を発表せり。 △声明本職大命を拝して閫外…

「遠征軍総司令官の松井石根大将は本日、部下司官たちに〝皇軍の威信宣揚〟のため配下部隊の規律を引き締めるよう訓示…日本軍部隊の威信に影響する各種報道に終止符を打つ必要性について、隷下将兵に注意を呼びかけた。」 南京、2月7日、同盟·松本重治電報 1938.2.7

Japanese Army Dicipline to Be Tightened General Matsui Issues Order at Nanking Service PRESTIGE TO BE CLOSELY GUARDED IN FUTURE Nanking, Feb. 7. In the solemn atmosphere following a memorial service for Japanese officers and men killed in …

松井軍司令官より隊長全部に対する訓示「南京入城の時は誇らしき気持ちにて、その翌日の慰霊祭またその気分なりしも、本日は悲しみの気持ちのみなり。それはこの50日間に幾多の忌まはしき事件を起こし、戦没将士の樹てたる功を半減するに至りたればなり。何をもつてこの英霊に見えんやと言ふにあり。」 飯沼守日記より 1938.2.7

2月7日 曇夜晴 1:30より派遣軍慰霊祭。終つて松井軍司令官より隊長全部に対し次の要旨の訓示あり。南京入城の時は誇らしき気持ちにて、その翌日の慰霊祭またその気分なりしも、本日は悲しみの気持ちのみなり。それはこの50日間に幾多の忌まはしき事件…

「今日はただただ悲哀その物に捉はれ、責任感の太く胸中に迫るを覚えたり。けだし南京占領後の軍の諸不始末とその後地方自治、政権工作等の進捗せざるに起因するものなり。」 松井石根『戦陣日誌』より 1938.2.7

午後、慰霊祭に参列す。予は去年、南京入城翌日、最初の慰霊祭を自ら祭主として営み、今日また50日祭ともいふべきこの祭事に遭ふものなれど、さきのものは戦勝の誇と気分にて、むしろ忠霊に対し悲哀の情少なかりしも、今日はただただ悲哀その物に捉はれ、…

同盟通信 松井最高指揮官訓示「今後における軍紀振刷により皇軍武威の宣揚と、長期持久に対処すべき将兵の覚悟につき、厳に訓示を与へた。」 中支の敵産をわが軍管理 1938.2.7

同盟旬報 第2巻 第4号・2月12日発行(No.23) 【昭和13年2月上旬号】 259(5) 支那事変 松井最高指揮官訓辞 ○○【2·7】松井最高指揮官は7日、各隊長を○○に集合せしめ、今後における軍紀振刷により皇軍威武の宣揚と、長期持久に対処すべき将兵の覚悟…

松井最高指揮官「おまえたちは、せっかく皇威を輝かしたのに、一部の兵の暴行によって、一挙にして、皇威を墜してしまった。何たることを、おまえたちは、してくれたのか。皇軍として、あるまじきことではないか。おまえたちは、今日より以後は、あくまで軍規を厳正に、絶対に無辜の民を虐げてはならぬ。それが、また戦病没者への供養となるであろう」 松本重春『上海時代(下)─ジャーナリストの回想─』より 1937.12.18(1975)

日中和平工作の渦中で 松井最高指揮官の訓戒 …翌十八日朝、南京に着いた。「同盟」の従軍記者が、あらゆる苦労をしてきたのに、私らの場合は、当時の情況からみれば全くの大名旅行であって、相済まんと思った。着く前に、今日は陸海軍の合同慰霊祭があると深…