Obladi Oblako 資料室

帝国日本の専制と侵略戦争、植民地支配について知り、考えるための文書資料

「毒ガスは必ずしも非人道的とはいへない」「毒ガスはこれを戦場にて敵兵に向かつて使用する限り、いかなる種類のものにても、いかに苛烈性、残酷性、獰悪性のものであつても、それが敵の戦闘力を挫く上において絶対必要であるならば、これを非とする理由は考へられない。」 信夫淳平『戦時国際法講義』第2巻より 1941.11.23


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第3章 戦闘

 第3項 毒ガス

  第1目 毒ガスの当否

1036 第1次大戦のもたらせる3種の新兵器

 第1次大戦において始めて出現したる新兵器の中には、世人周知のごとく航空機、戦車、および毒ガスの3つがその主座を占めた。この3新武器、殊に前2者は爾後の2~3の戦役においても、特に戦車を枢軸とする器械化装備は第2次大戦において、極めて大規模に活用されたるがごとく、将来の戦時においては層一層の大活用を見るべきは必然的どころではなく、これなくんば戦闘は全然できずといふも誤りない。将来の戦局の大勢は事実においてこれにより決せらるべきである。

 

1037 独軍の毒ガス創用

 この三者の欧州戦場における出現はほぼ時を同じうしたもので、すなはち毒ガスの創用は、第1次大戦の開始後9ヶ月を経たる1915年4月の22日、独軍が始めてイープルの第2回攻撃の際、戦線6kmにわたり約120トンの塩素ガスを放散したのがその濫觴といはれてある。そのおり、これを予想だにせず、したがつてなんら防毒の装備なかりし英仏軍には、たちまちにして昏倒する者、瀕死にあがく者など続出し、被害の将兵たちまちにして2万を超へ、中に死者5千を算し、別に浮虜にされた者5千からあつた。生残の敵も戦線を支ゆるを得ず、仏兵は砲50門を打ち捨てて退却し、独軍をして幾層の塹壕を突破せしめ、咄嗟して1kmも前進せしめた。翌々24日にも独軍はふたたび毒ガスを敵の前線に放ち、カナダ兵に甚大の損害を与へた。かくのごとくして独軍は奇を博し、戦場における毒ガス利用の効果を如実に証せしめた。

 

1038 毒ガスの考案は往時にもあり[略]

 

1039 ドイツは毒ガスを違法にあらずと弁じた

 第1回ハーグ平和会議において決議せられ、第2回会議にて特に廃棄せられざりし結果、そのまま効

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力を継続せる「窒息せしむべきガスまたは有毒質のガスを散布するを唯一の目的とする投射物の使用を禁止すること」の宣言は、第1次大戦において米国の参戦の時までは交戦国のすべてを拘束するものであつたので(米国は同宣言の不調印国である)、英国側にては独軍の毒ガス利用をもつて該宣言を無視せる違法の行動として非難した。これに対し独軍は、右の毒ガスは特製の貯蔵器より放散せしめ、風を利用して敵陣に送るもので、あへて投射物を使用するものでないから、同宣言に豪も抵触するものにあらずと弁じ、かつ毒ガスは敵が手榴弾を幾千となくわが塹壕に投下し、堤塘を破壊してわが陣地を水攻めにするに比すれば、決して非人道的とはいへず、はた毒ガスはこれを吸入する敵を一時昏倒せしむるに止まり、致命的の加害物でないから、必ずしも惨酷性をもつて論ずるは当たらずと駁した。

 

1040 英国も報復的に毒ガスを使用

 とにかく英国は、独軍の毒ガス使用に対してはハーグ宣言違反と論じていたが、口舌の争ひにては寸効もないと見たる同国政府は、一方においては防毒装備に全力を注ぐとともに、他方においては結局、報復手段として同じく毒ガスを独軍に向かつて使用することに決し(同年5月18日の閣議)、それ以来、独軍に劣らずこれを使用するに至つた。その使用したる毒ガスはドイツのそれのごとく、最初は当初は専ら塩素瓦斯であつた。けれども後には一倍の強烈なる有効性を期するため、双方ともにフォスゲンまたは塩素とフォスゲンの化合物、その他クロルメチル·クロロフォルメート(独軍においては K-Stoff といへるもの)、トリクロルメチル·クロロフォルメート(独軍にて緑十字、英軍にて di-phosgene と称せるもの)等を用ひ、更に辛子ガス(Mustard gas)および Di-Phenyl chlorarsine独軍にては青十字、英軍にてはDAと称した)の使用となり(1917年7月22日の創用)、仏軍もすでに1916年のヴェルダンの防御に一種の毒ガス発射弾を使用せるが、その後さらにイペリット弾を発明し、1918年6月、これをもつて独軍を悩ませた。米国も辛子ガスとともに効力の一層強烈といはれし lewisite 填装の砲弾を欧州の戦場に輸送した(米軍の砲弾の2割5分まではガス填装のものと報ぜられた)。けれども程なく休戦となつたので、米軍はこれを充分利用するには至らなかつたやうである。

 

1041 当年の毒ガス戦術の目的

 毒ガスも第1次大戦の初葉、先づドイツ、次いでは英仏側においてこれを使用したる当初にありては、専ら敵の前線を突破するための歩兵の掩護用として煙幕式に利用したものである。しかるに、その後となりては、主として毒ガスそのものにて敵兵の殺害、殊に志気沮喪を促すための使用となつた。けれども、その成功は必ずしも常に期せられなかつた。理由は、ひとつはマスク装備の機関銃隊にて来襲兵を撃攘するの比較的容易となりたること、ひとつは毒ガス放射と歩兵の突撃とを同時に決行するの必ずしも常に容易ではないことに困つたやうである。大部隊の歩兵の突撃には準備を要し、しかして一旦準備成らば時機を逸せず決行せねばならぬが、毒ガスの放射はもつて乗ぜしむべき風向のいかんによることで、風向の工合悪しくば幾時間の久しき、あるいは幾日となく俟たねばならぬ。それを待つて居る間に突撃の時機逸さば、作戦計画の上に大狂ひを来すべきは必然である。故に第1次大戦において、その末期まで英軍の不断に使用したる毒ガスの放射は、主として敵兵を常にマスク装備の重荷に疲らしめ、はたたまたま装備の劣れるに乗じて損害を敵に与ふることの目的に出でたといはれてある。

 しかしながら毒ガスの放射が風向の支配を受くるのは、それが主として円筩[=筒]により放射せらるる場合のことで、毒ガス填装の砲弾、殊に長距離砲のそれによる場合には、風向の顧慮は著しく減ずる。しかして毒ガスの効力を大いに発揮するは、砲弾(または爆弾)によりて敵の後方を撹乱せしめ、兵および一般人の志気を脅かすこと

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にあらう。マスクは毒ガスに対する最大かつあるいは唯一の方法なるべきも、いつ毒ガス填装の砲弾が飛来するやも測られずとて、年が年中マスクを掛けて居るのでは遣りきれない。兵としても無論そうである。兵がマスクを掛くれば戦闘能力は半減すと称される。それが幾時間となく、あるいは連日絶え間なく掛けて居らねばならぬとありては、肉体上の重荷たるは勿論、精神上の苦痛も尋常でなかるべく、志気沮喪は蓋し免れまい。それを促さんがために随時毒ガスを敵陣に放散したのが、大戦末期における英独双方の一戦術であつたと聞く。

 

1042 第1次大戦後、化学戦の研究進む

 第1次大戦後となりては、主要各国いずれも化学戦術の研究の進歩とともに毒ガスの製造能力もとみに増大した。同大戦当時にありてはドイツの辛子ガスの製造能力は1週間に精々5トンを出でずと聞けるが、今日では英仏独ともいずれも1週1千トンを生産して余りあり、余りの各種毒ガスのそれも年とともにいよいよ進んでほとんど際限なき状である。将来、戦場において使用せらるべしと思はるる毒ガスは、今日少なくも30種の大きありと称する。その分類はあるいは化学的成分により、あるいは物質的形状において、あるいは人体に及ぼす影響、はた効力の持続性、作用の程度等、見地のいかんによりいか様にも立て得べきが(Prentiss, Chemicals in War, p.107以下参照)、いまこれを人体に及ぼす生理的作用から見れば、これも国によりては分類を異にすれど、例へば英国の空軍当局者の分類するところでは(1)発泡性、(2)肺部炊衝性、(3)感覚中枢刺激性、(4)催涙性、(5)神経系統直接中毒性、および(6)血管と呼吸器官を侵すガスとし(Ibid., p.114)、わが国では普通に(1)窒息性、(2)催涙性、(3)糜爛性、(4)噴嚔(くしあみ)性、および(5)中毒性の5種と見るやうである。

 窒息性のガスは主として塩素性のものである。塩素はドイツにおいて多年、圧縮せる液体として塩を始め種々の有機化学品の製造に使用せられ、第1次大戦の直前における1日の生産量は約40トンといはれ、独軍はイープルの攻撃においてこれをそのまま利用したものである。塩素製の毒ガスはその500分の1を空気中に含有するときは呼吸者を死に至らしむと称する。催涙性ガスは眼の粘膜を刺激し、視力は著しく害せられ、かつ催涙のほかに嘔吐をも催さしむるといふ。これも独軍は大戦の毒ガス使用の初期において主として用ひたガスである。糜爛性ガスは皮膚を発泡·糜爛せしめ、肺を冒し、殊にこの部類に属するイペリットのごとき、空中に2万5千分の1を含有するときは呼吸者を1分間に死せしむるといはれてある。噴嚔性ガスは塩化砒素を主とし、空気中に1千万分の1を含有せしむれば、もつて呼吸者の鼻喉の粘膜を刺激して噴嚔を発せしめ、1万7千分の1の濃厚のものとせば、これを死に至らしむるといふ。中毒性のガスは一酸化炭素性で、神経系統および血液を冒し、空気中に2千分の1を含有するときは1分間にて死すとある。取り分け窒息性の極めて猛烈なるガスは、かつて米国陸軍少将ミッチェルが同国下院の予算委員会にての説明中に「例へば敵機数台がニュー·ヨークの上空に8日目ごとに来襲し、毎回塩素ガス200トンを投下するとすれば、周囲100平方マイル内の全住民を全滅せしむること易々たるのみ」(P. J. N. Baker, Disarmament, pp.277-8)と述べたがごとく、最も恐るべきものとして知られてある。

 特に今日レウヰシットとともに最も恐るべき毒ガスとして人口に膾炙するのは辛子ガスである。辛子ガスの発明は疾く1860年、すなわち今よりすでに80年前に属すとあるが、第1次大戦の末期に独軍これを創用して大いに敵を悩ませし以来、最強烈の毒ガスのひとつとしてあまねく知らるるに至つた。辛子ガスは辛子のごとき臭いがするのでその名あり(あるいは蒜の臭いに類すとも聞く)。その蒸発気は衣服をば勿論、マスクでも微毛の小穴あらば、直ちにそこより透浸して皮膚を火腫れにする。その最初皮膚に触れた瞬間には格別の異状を呈せざるも、

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時の経つに連れて水泡が発し、次第に拡がつて激烈の炊衝を起こし、全身化膿して疼痛堪へ難くなり、眼も呼吸器も冒され、遂には全身を膿潰せしめずんば已まない。殊にその毒は地中に滲み込むので、空気の毒化が数日間持続すると聞く。

 勿論、毒ガスの効力も、これを妨ぐる種々の牽制作用が同時にあるべく、必ずしも計算通りには行くまい。専門家の一説によれば、毒ガスにて一都市を殲滅せんとするには、1平方マイルにつき実際少なくも80トンといふ多量を要するとある(毒ガスの種類にもよるこであらう)。しかも気温、気圧、湿度、風向、日光等の諸条件が好都合に具備した上のことで、さもなくば計算通りの成績を揚ぐるは困難なりとある。第1次大戦中において砲弾より放発せられたるガスは二十五六種、その総量大約10万トンと称するが、10万トンの毒ガスをもつてすれば欧州の全人類を死滅せしめて綽々余裕あるべき計算ならんも、その総損害の程度より推し、必ずしも見積り通りには行かなかつたものと見える。研究その度を進むるに連れ加害の猛烈性はいよいよ増大するに相違なく、楽観の禁物なるは論なきが、他の一面には防毒の方術もいやが上にも進むべく、差し引きして幾ばくの加害力を実際に示すべきかは専門家のさらに一段の精査を要すべき問題なりとし、とにかく理論の上では、現在にても各種毒ガスいづれもすでに上述のごとき加害力を有するものと称されてある。しかしてその毒ガスのいづれを敵地に使用するかは時と場所によることなれど、いづれも大小の程度に利用せらるるものと見ねばなるまい。

 因みに記す。毒ガスの防御にはマスクの装備が第一として知られ、英国にては全国内を通じ各戸にマスクを乳呑み児に至るまで供給する手配成り(緩急の際には8時間以内に各戸に洩れなく供給し得るとか)、係員は随時、戸ごとに家族の員数およびこれに応ずるマスクの大小などを調査する制なりと聞く(1937年末ごろの話)。かかるは独り英国に限らず、国防に留意する国はいづれも行ふところなるべく、また行はざるべからざるとであらんが、それを全国の総人口にあまねく行き渡らしむることは容易でなかるべく、かつ噴嚔性のガスは概していかなるマスクにも滲み入り、マスクをかけて居る人々はこれを取り外さずには居られないと聞くから、マスクのみにて果たして絶対の安全性を期待し得るか疑問であらう。

 

1043 毒ガスに関係ある大戦前の国際法

 そもそもかかる毒ガスの使用は交戦法則上、適法と認むべきものなるや否や。この問題は第1次大戦前にも、大戦中にも、はた大戦後においても、すでに幾たびか論議された所のものであるが、実は今に確定的の結論には達して居らぬのである。由来、大戦前の議定に係る毒ガスに直接触るるところの国際法規といへば4つある。これを年代順にして、第1は「既ニ戦闘外ニ置カレタル人ノ苦痛ヲ無益ニ増大シ又ハ其ノ落命ヲ必然ニスル兵器ノ使用」を禁ずる1868年のサンクト・ペテルブルク宣言であらう。けれども毒ガスは必ずしも苦痛を無益に増大するものでなく、またその落命を必然にするものとも断言はできまいから、本宣言は的確にはこれに合格しない。かつ該議定書にわが国は加盟せず、わが国以外にも不参加国は相当あるのみならず、本宣言自身すでに時代錯誤の死文同様のものであるから、実効力ある関係条約としてこれを援引するほどの価値なきものである。

 第2は「窒息セシムベキ瓦斯又ハ有毒質ノ瓦斯ヲ散布スルコトヲ唯一ノ目的投射物ノ使用ヲ各自ニ禁止」すといへる1899年の第1回ハーグ平和会議の宣言第2である。これは世界の26ヶ国(わが国を含む。ただし米国は含まれず)が加盟せる当年の有力なる一宣言である。けれどもこれには「唯一の目的とする」(“pour but unique”)とか「投射物」(“projectiles”)とかの限定的字句がある。したがつて毒ガスの散布を唯一とするにあらずして物体の破壊力をも同時に兼有する投射物、また投射物にあらずして風力気圧等を利用する毒物の散布にありては、本宣言の禁止の拘束力はこれに及ばずとの解釈を生じ、右の訓令には触れずと──いささか

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三百的ではあるが──いへばいへるのである。

 第3は「毒又ハ毒ヲ施シタル兵器ヲ使用スルコト」を禁ずる陸戦法規慣例規則第23条のイ号である。この禁止も文字の上では広く一切の毒物の使用を禁ずるものたるには相違ないが、もともと本号は米国の1863年のリーバーの陸戦訓令第70条に「毒の使用はこれを井戸に投ずると食物に入るると武器に施すとを問はず、いかなる方法によるも近代の交戦の容れざる所とす。」とあるのがブルッセル宣言案に採択せられて第13条のイ項の禁止規定となり、その規定をさらにハーグ議定の陸戦法規慣例規則は第23条のイ項として踏襲したもので、すなわち立法の精神は主として古来行はれたるごとき毒物を井戸または水源河流に投じたり、はた毒含有の箭矢や弾丸を発射したりするのを禁ずるにありて、微風を利用して毒ガスを敵陣に放散するがごときは右の禁令の当初予想した所ではなかつたのである。本号の「毒……ヲ使用スルコト」の一句は特に毒の形態を限つてあるのでないから、文字の上では毒性のガスにも適用し得られぬはないが、立法当時には毒ガスを戦場に使用するなどの考案は未だ萌さず、したがつて本号の精神がそれまでを含んだものでないことは、当年のハーグ議事録からも推断し得られる。

 第4は同じく陸戦法規慣例規則第23条のホ号、すなはち「不必要ノ苦痛ヲ与フベキ……物質ヲ使用スルコト」の禁止である。この「物質」(“matières”)の語を広く解さば、毒ガスもその中に含まるるように読めぬではない。しかしながら、これとても立法当時にありては、毒の利用はこれを飲用水に投ずるくらいしか考への及ばなかつた時代のことであるから、いふところの物質なるものも風力を利用する毒ガスまでを含むことには想到しなかつたに相違ないのみならず、毒ガスは果たして「不必要ノ苦痛」(“maux superflus”)を与ふるものと断ずべきやも議論の余地があらう。

 

1044 それらと離れて別に検討するを要す

 かくのごとく大戦前の成立に属する以上4種の国際約定は、卒読すれば毒ガスの使用にも係るがごとくに見えぬでもないが、その文字および精神を深く覈査すれば、ひとつとしてこれが禁止を的確に命ぜるものとてはないのである。しかしながら仮にその中のいづれかに多少抵触する嫌いありとしても、第一次大戦の結果と且つ新事態は新法則を生むの動かし難き原則に鑑み、一概にこれを違法として排斥してみた所で、畢竟は迂儒の空言たるに止まり、その実効は期して望み得ない。のみならず毒ガスの使用を人道上その他の見地から弁護する有力の論すらないではない。故に毒ガスの違法なるや否やは、暫く当年の右の国際協定と離れて、別に検討の余地ある現実の一問題たるを失はない。

 

1045 毒ガスを非とする論旨とその当否

 まづ毒ガスの使用を非なりと主張する論旨を摘記すれば、毒ガスはその与ふる苦痛が大なること、多数の敵兵を殺傷すること、且つ無辜の常人への加害が極めて広範なること、したがつて最獰悪、最惨酷の武器であること、といふにある。すなはち要は毒ガスをもつて非人道的の武器となすにある。毒ガスは果たして謂うがごとき非人道の具であるか。もつとも戦はすべて非人道的で、あらゆる武器はことごとく非人道のものにあらざるはないから、事は比較の問題に過ぎぬが、それにしても毒ガスは果たして他の武器に比しさらに非人道的なものであるか。非人道的の軽重厚薄は、ある武器の与ふる苦痛の大小長短を目安にいふを普通とする。ある種の毒ガスが患者の肺を冒し、視力を傷なひ、堪へ難き疼痛を全身に与へ、時には寸刻にして生命を奪うの苛酷性を有するは事実である。けれども現在の猛烈なる砲·爆弾の破片による致命的苦痛とても、あるいはこれに勝るとも劣らざるものがあろう。予後の成績、すなはち死亡と全快の割合のごとき、はた廃疾不具の多寡のごときにありても、前者は後者

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/222

に比して必ずしも一概により非人道的と断ずるは早計であらう。イープルにて独軍の利用したる毒ガスの結果に関し英将軍フレンチの報告に

「この毒の影響は、ドイツ側のいふがごとき単に被害者の戦闘力を失はしめ、または苦痛を与へずして単にこれを仆すに止まるといふがごときに止まるものではない。被害者にして戦場に斃れずして病院に運ばれ得た者は劇しき苦痛を訴へ、その大多数は長き苦痛の末に死し、幸いに助かった者も、肺に不治の故障を受けて健康の回復覚束なく、終生廃人となるの他なき容態を呈す。」

とあり、また当時特に毒ガスの人体に及ぼす影響取調のため仏軍の戦線に出張したる英国の呼吸器科の大家ホルデーン博士(Dr. John Haldane)の英国陸軍省への報告として1915年4月30日のロンドン・タイムス所報によれば、彼は親しく検診したる若干のカナダ兵の容態を記し、

「これらの兵は寝床にありて呼吸を喘ぎ、顔面藍色を呈し、血液を分光計を用い、また他の方法にて検査するに、その藍色はなんら変態的色素の存在によるのではなく、要するに刺激性のガスの吸入より来たれる急性気管支炎の作用にほかならず。彼らの言によれば、彼ら塹壕にありて独軍塹壕より放散せられ微風によりて追われ来たれる刺激性のガスのために圧倒されたとある。彼らの苦しめる気管支炎およびこれに伴う緩慢性の窒息作用は刺激性のガスに由来すること疑いを容れず。」

とあり、さらに米国の一化学者べーカー(H. B. Baker)の1915年7月の Curent Opinion 誌所載記事に

独軍の放散せる塩素と臭素の混化独ガスは、それが空気中に5%の量を含有するときは、これを吸入する者は鼻、咽喉および肺の粘膜が冒され、血の凝塊が肺のみらず血管内および動脈内にもでき、血液の循環滞りてついに死を見るに至る。」

とある(以上 Garner, Int. Law & the W. W.,Ⅰ, § 181, pp. 273-4 による)。果たしてこれらの所説のごとくんば、独ガスはすでにいわゆる戦闘外に置かれたる敵兵の苦痛を無益に増大し、落命を必然にする武器といふべく、そのサンクト・ペテルブルク宣言の文字および精神に悖るや勿論、たとい同宣言なしといえども、人道主義の上から弁護し得られざるものであらう。

 

1046 毒ガスは必ずしも非人道的とはいへない

 けれども毒ガスが被害者に与ふる苦痛は果たして砲弾によるそれよりも大で、かつその結果において非人道的であるかについては、無論、毒ガスの種類にもよることであるが、反対の学説および統計の今日まで世に示されたものも少なくない。第一次大戦中、ドイツ側にては、イープルにて独軍より放散せるガスはその呼吸者に永遠の害を与うるがごとき残忍酷薄の性質のものにあらずと弁明した。前掲の英米専門家の報告の結果では、この弁明は事実に反するようであるが、その弁難の当否はしばらく措き、別に米国の病院統計なるものによれば、第一次大戦中米国兵にして各種毒ガスに冒され病院に運ばれた者は総計7万人を超えたるも、うち死亡者は1,399人で、すなはち100分の2に過ぎず、故に毒ガスによる死亡者は砲弾・爆弾のそれに比すれば遥かに低しと説かれてある(“Modern War Implements,” The Saturday Evening Post, cit. The Japan Advertiser, March 13, 1934)。これに類似する説は、同大戦後のあるとき、英国の化学工業協会の会頭レヴィンスタイン博士(Dr. Levinstein)によりても唱へられた。その説によると、砲弾その他の爆発的武器による死者は傷者4人につき1人の割合なるも、毒ガスによる死者は患者40人につき1人の割合で、すなわち10分の1に過ぎない。のみならず前者にありては被害の生残者の5人につき2人まで盲目または終身不具者となるが、後者にありては終生の怪我といふものは1人もなく、したがつて毒ガスは他の武器に比すれば人道上より見てむしろ択ぶべきも↑https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/223
のとある。第一次大戦中、英国の兵士が受けたる損害を戦種別にしたる百分率のある統計に
[以下略]
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/106083

 

1047 ブレンチツス中佐の毒ガス弁護論[略]

 

1048 毒ガスを平和維持の手段と見る説[略]

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/227

 

1049 武器の強烈は廃戦の期待と無関係[略]

 

1050 毒ガスの回避は容易なりとの説[略]

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/228

 

1051 毒ガスの当否の条件

 毒ガスの当否に関し世に多く伝えらるる論旨は概略上叙のごとくである。講者の卑見をもつてすれば、毒ガスの当否は一に条件いかんによることで、一概に是とも非ともいえぬことと信ずる。その条件とは、使用する毒ガスの種類と場所のいかんである。いや、種類よりも場所である。毒ガスはこれを戦場にて敵兵に向かって使用する限り、いかなる種類のものにても、いかに苛烈性、残酷性、獰悪性のものであっても、それが敵の戦闘力を挫く上において絶対必要であるならば、これを非とする理由は考へられない。敵兵をいはゆる hors de combat に置くことのために絶対に必要なりと認むる武器の使用を非なりといふは、戦闘の目的と全然両立せざる空理空論である。しかしながら戦場以外にありて、例えば常人の混在する要塞地その他の地域にこれを使用するにあたりては、危害の常人に及ぶのを能う限り避くるため、毒ガスの種類いかんによりてはその使用を禁止するに理由がある。毒ガスの使用が国際法上許さるるや、はた許さるべきものなるや否やは、絶対的には何とも答うるに難く、要はこの見地において相対的に判断すべきであらう。この見地を外にしては、いかにその当否

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/229

を闘はしてみても、畢竟、架空の机上論を出でない。

  第2目 第1次大戦後の毒ガス問題

1052 まづドイツの毒ガス製造と輸入の禁制

 さりながら毒ガスのただに敵の兵のみならず一般常人に与ふる惨害の極めて猛烈なるに鑑み、第一次大戦前の曖昧なる国際的約定によらず、もつと明確なるそれを新たに指定してこれが使用を禁止むまたは制限することの計画は、すでに第1次大戦中および大戦直後より試みられた。ことに英仏両国は、さきにドイツより受けたる苦しき経験よりして、ドイツに対しては特別の明文をもつて厳に毒ガス使用の取締り方を律定するの要を感じた。その結果がヴェルサイユ平和条約の左の条項となつたのである。

 第171条 窒息性、毒性其ノ他ノ瓦斯及之ニ類似スル一切ノ液体、材料又ハ考案ハ其ノ使用ヲ禁止セラルアルニ因リ、独逸国内ニ於テ之ヲ製造シ又ハ輸入スルコトヲ厳禁ス。

 前項ノ規定ハ右物品又ハ考案ノ製造、貯蔵及使用ヲ目的トスル材料ニ付之ヲ適用ス。

 [装甲車等に関する第3項は略す]

 第172条 独逸国政府ハ戦時中独逸国ノ使用シ又ハ使用ノ目的ヲ以テ準備シタル一切ノ爆薬、有毒材料其ノ他類似ノ化学製品ノ性質及製造方法ヲ本条約実施後3月以内ニ主タル同盟及連合国政府ニ開示スべシ。

 すなはち第171条第1項の前段において主盟連合国は毒ガスの使用禁止のことを宣明し(ただし「其ノ使用ヲ禁止セラルアルニ因リ」とあるが、何によりそれが禁止せられありと見るのか明晰を欠く)、後段においてドイツの毒ガスの製造または輸入を厳禁したもので、さらに第172条において、ドイツの戦時中に使用し、または使用を準備したる一切の毒ガス的製品の製法の種明かしをなさしむることにした。(同様の規定は対墺条約第135条、対匈条約第119条、対勃条約第82条にもある)。毒ガスの製造·輸入の禁止義務を独り旧敵国側のみに課したのは甚だしく偏頗の嫌ひあり、かつその普遍的禁止を期する上において寸効なきものであるが、そは今さら論ずるは詮なしとし、とにかく旧敵国はかかる拘束の下に立つこととなつた。ただに新製造、新輸入の禁止のみならず、既存品の貯蔵保有も相成らずとし、本条約中の陸海軍および航空条項の履行監督のために第203条によりて設けられたる同盟国際監督委員会にては、ドイツの異議を排してこれを取り上げかつ破壊した。ただし毒ガスの防御方法を研究するための毒ガス製造は必要なりとのドイツ側の要求は、同盟·連合国においてこれを認め、その製造を承認した。

1053 ワシントン会議における毒ガス問題

 毒ガス問題はかくのごとくにして当年の戦敗国に対しては一応、がついた。次には先勝国を含む世界各国を律すべき将来の一般的交戦法則としていかにこれを取り扱ふべきかである。国際連盟はすなはちその研究に当たることになつた。しかるに連盟がこれに着手するに先立ち、1921~2年のワシントン会議となり、同会議においては、毒ガス問題は軍事専門家を主とする小委員会にて審議せられた。しかしてその到達したる結論は、「ガスの種類および人体に及ぼす影響は制限の基礎となるものにあらず。唯一の可能的制限は、都市村落および非戦闘員の集まる所にガスの散布を全然禁止するにある。水陸の敵軍隊に対しその使用を制限するは不可能なり。」といふにあつた。すなはち交戦の具としては毒ガスは適法なりといふ結論である。米国大統領はこれに反対した。そこで小委員会の報告には「米国代表にして仮に陸軍と海軍とを問はず、また戦闘員に対すると非戦闘員

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/230

に対するとを論ぜす、化学戦の全廃を主張すればとにかく、しからざる限りは米国民の良心を表白することにおいてその任務を尽くしたものといへない。」とある。この小委員会とは別の陸軍の軍縮に関する小委員会においても「化学戦は化学の惨酷なる、不公平なる、不妥当なる使用であり、非戦闘員に重大なる危害をめたらし、人類の善性を悪化せしむるものであるから、文明の敵として各国間に宜しく廃止すべきものである。」と報告した。これらの報告を参酌して出来た決議案の総会において採択せられたるものが「潜水艦及毒瓦斯ニ関スル五国条約」の第5条である。初め同会議の毒ガス分科委員会においては、戦時法規分科委員会の諮問に対し、毒ガスの製造および研究の制限は技術上には可能なるも実際上は不可能なること、かつ爆薬と毒ガスを区別するも困難なることなどの見地から、戦時毒ガスの使用を制限することには気乗りせざる答申をなしたが、米国全権附属諮問委員の陸軍軍備制限分科委員会には毒ガス禁止に熱心なる婦人委員もありて、自然、禁止説が有力となり、ことに陸軍の軍備制限に関する取り極めの不成立に対する埋め合はせの意味も何程か加はり、ついに本条約あるに至つたものらしい。

1054 ワシントン条約の毒ガス禁止、ただし効力不発

 この条約は前文に「有害なるガスおよび化学製品の戦争における使用を防止せむことを希望し」と記し、本文において、

 第5条 窒息性、毒性または他のガスおよび一切の類似の液体、材料または考案を戦争に使用することは文明世界の輿論により至当に非難を受け、かつ右使用の禁止は文明国の多数を当事国とする諸条約中に声明せられたるが故に、

署名国は右禁止が諸国の良心および実行を均しく拘束する国際法の一部として普く採用せらるむがため、右禁止に同意することを声明し、その相互間においてはこれが拘束を受くべきことを約定し、かつ他の一切の文明国に対し本取り極めに加入せむことを希望す。

と規定した。この規定は陸戦法規慣例規則第23条のイおよびホの両号に比較すれば文字遥かに明瞭であるのみならず(ただし毒ガス禁止のことは「文明国の多数を当事国とする諸条約中に声明せられたるが故に」とあるも、いふところの「諸条約」とは何々を指すのか、この一句は明瞭でない)、仮に該両号が毒ガスの使用禁止をもふにしても、いはゆる連隊条項により、交戦国中に一国でも不批准国があらば全然不適用となるがごときに比し、その遥かに徹底的のものたりしこと論を俟たない。

 さりながら本条約は、調印5ヶ国中の仏国が主として潜水艦関係の一二条項に対する不乗り気よりしてこれを批准せざりしがため、ついに条約としての効力を発生するに至らなかつたこと別に叙するがごとくである。

 

1063 毒ガス問題の難関、依然打開せられず

 想ふに、科学の将来における層一層の進歩は、右に挙げたる諸般の牽制的事情に打ち勝ち、細菌戦術の有効性を将来大いに発揮するに至るやも測られず、故に現在の制動機をもつて将来不易的に力あるものと見ば誤る。したがつて毒ガス(細菌を含む)の国際法上の地位の考究は、依然、重要性を失はぬのである。要するに毒ガスを交戦上の武器として使用することの当否いかんと問えば、そは毒ガスの種類いかんと、これを使用する場所いか

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/239

んによると答ふべく、一概に毒ガスを違法と断ずるは当を得たものであるまい。井泉河川への投毒、伝染病細菌の散布のごときは、一般常人へも無差別に災害を及ぼすを免れぬから、人道上よりもこれを非とするに充分の理由あらんが、敵の戦闘力を挫くための毒ガスの戦場における使用にありては、その惨酷性の故をもつてこれを排斥するならば、砲弾·爆弾とても同じ理由において排斥せねばならぬことにならう。仮に毒ガスによる災害をもつて砲弾·爆弾のそれよりも甚だしとし、その使用を国際条約にて絶対に禁ぜんとしても、そこにひとつの難関が横たはることを知らねばなるまい。

 その難関とは他なし、すでに一再論述したるごとく、毒ガスの材料は概ね平時の化学工業に須要の関係あるものであるから、平時においてする戦時の準備を取り締まるの容易ならざることがすなはちそれである。毒ガスの戦時使用は、いかに条約の文面にてこれが禁止を高調してみたところで、その原料は平時において薬品や染料の必需品であるところから、平時その製造および使用を禁ずる訳には行かず、その取締は至難であり、したがつて戦時におけるこれが使用を平時禁じたにしても、平時製造し置けるところのものを戦時対手国は条約に顧慮して絶対にこれを使用することなしとは到底保証できない。すでにそれができないとすれば、対手国の万一の使用の場合をも考へ、すなはち当該条約は対手国により破らるることあるものとして、わが方もこれに対する用意をなし置かねばなるまい。毒物とても、害敵の具として格別用立たず、単に衛生的見地において輸出入の取締を要するといふがごとき種類のものであらば、各国ともに国内の生産·製造の状況をあへて秘することなく、したがつて国際的監督も容易である。現に阿片やモルヒネの取締に関する国際条約は、大体において所期の成績を挙げて来て居る。しかしながら害敵の具として極めて有効なる種類のものとなると、いかに国際条約にてこれが戦時の使用を禁じてみても、対手国のこれを犯して万一にも使用することあるべきを考へ──そのこれを犯すなしとは誰か保証し得べきぞ──しかしてその場合に報復的に同じ使用をもつて対抗せざるべからざることを思案するときは(報復の絶対禁止の申し合はせが仮に戦時効力があるならば、独り毒ガスの使用に対してのみに限らず、すべての交戦法則違反に対しても救済容易のはずであるが、そは事実が許さざる所である)、平時よりしてかかる場合に処すべき用意をなし置くため、窃かに材料を集め研究を進むるなきを得ずで、しかもその材料たるものが平時の化学工業に属すとすれば、いかにこれを国際的に取り締まるを得るか。化学工業の発達し、毒ガス製造の能力を具有する国に対しては、国際条約のいかんにかかはらず何時その使用あるやも測れずとし、他国はこれに充分対抗し得るだけの装備に欠くところあるを許さない。これは国際条約の不信を肯認するもので、甚だ面白からざる見方ではあるが、国と国との死活の争ひの前には国際条約は何ほども力ないのが現実の事実であるから已むを得ない。難関は実にここに横たはり、1925年のヂュネーヴ議定書においても、はた爾後の国際連盟常設軍縮委員会の研究努力をもつてするもこれを打開するを得ず、毒ガス問題は今日、依然この難関の前に停頓して居るのである。

 

1064 その打開の唯一の方法

 されば今日いづれの国も、将来の戦において毒ガスの使用は蓋し不可避的のものであり、あるいは第一次世界大戦以上の大規模に使用せられるべきであり、また作戦上、最も有効的の武器のひとつであると思惟せざるはなく、したがつて戦時の準備に鋭意研究を尽くし居らざるはない。いかに戦時毒ガスの使用は相成らず平時において国際法規の上で厳に禁じてみても、同時に繰り返すまでもなく毒ガスの製造そのものを禁ずるのでなければ、いづれの国も戦時の禁令に安心し得べしとは思へない。しかして、いやしくも平時これが製造をなすを得る以上は、しかして戦争交戦国の一方にして万一にも禁止規定を無視し、突如、再猛烈の毒ガスを敵地に向かつて使用し、殊にこれを空

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/240

襲に利用するあらば、利用された方は取り返しのつかぬ馬鹿を見るわけで、いかに対手国の不義不信を責め条約違反を中外に叫んでみたところで追ひつかず、その責め叫ぶ間に挙げて廃墟滅土と化さんとも限らず、そうなつてはお話にならぬから、禁止の条約は条約とし、別に万一に備へざる訳には行かない。

 あるいは前掲の連盟案にも散見するごとくに、その準備も相成らずと仮に条約で取り極めてみたところで、毒ガスの製造の禁止はガスそのものの性質においても、はた監視の方法に考ふるも、その使用の禁止よりはなほさら困難であらう。毒ガスの考案は平時平和的の化学研究所において優になし得ることであり、一朝事ある場合には直ちにこれを化して毒ガス製造所となすは易々たることであるから、条約上の禁令は事実、空文と択ばざることになる。仮に交戦国の一方にして少しにても毒ガスを使用するあらば、他の一方は直ちに報復の名においてその平素準備し置けるところのものをもつてこれに応ずべく、それから先は双方憚らず盛んにこれを使用するに躊躇しまい。毒ガス使用禁止条約はここに至りて一片の反古紙に化し了るは賭易きことである。国際法規の尊重すべきは論を俟たぬが、その尊重は当該国際法規が能く現実の事態と一致するものたることを条件とする。科学の駸々たる進歩発達に伴ふ新発明の攻防具の利用を単に机上の理想論にて取り締まらんとする、そこに理論と実際と相合はざる無理が生ずるのである。ましていはゆる国家総動員制の下に戦闘員と非戦闘者の分界が事実、極めて曖昧となり来たれる現代の戦時にあたりては、危害を一般常人に及ぼすの理由をもつて毒ガスを排斥するの論拠は事実、頗る薄弱となれるを否定し得ない。要するに真に毒ガスの使用を取り締まらんとするには、一面には、せめては現実の事態に即する可能的かつ有効的の範囲における国際条約──例へば毒ガスは戦場に限りその使用を無制限とし、非戦闘者の混在する地の敵兵に対してはある種類の毒ガスは絶対にこれを禁ずるといふがごとき──にて能ふ限りの励行を計ると同時に、他面には毒ガスそのものを無効力ならしむるやうな、さらに上手の科学的新々発明をもつてするのほかあるまい。これが蓋し難関打開の唯一の方法であらう。ここに斯道識者の一倍の研究に努力すべき余地がなほ残されてあり、また責任が存する訳である。

 

1065 伊国のエチオピア戦と毒ガス

 ヂュネーヴ議定書の実際的価値についてはすでに述べたが、その後の二戦役においては、否定的の資料が相応に提供せられた。ひとつは伊国の対エチオピア戦である。

[以下略]

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1067 支那事変と同上[毒ガス]

 ふたつは支那事変における支那軍である。この事変の戦闘の最初のころ、支那側にては上海方面の日本軍が毒ガスを使用すると盛んに宣伝したことありしのみならず(支那方面におけるわが軍に関しても同様の放送をしたやうである)、南昌病院の英人外科医師タルボット(Dr. H. Talbot)は昭和13年3月、揚子江上流地方の戦闘にて負傷せる支那兵を治療せるにあたり、その中の19名に塩素ガスまたは辛子ガスによる被害の特徴を発見したと公表し、支那側はこれを基礎に国際連盟に向かつて日本軍は毒ガスを使用せりと訴へたこともあつた。けれどもその荒唐無稽の讒誣たりしは問はずして明らかで、聴者も格別対手にしなかった。

 しかるに支那軍自身には、却つてこれを使用したる証拠があつた。即ち上海方面軍の昭和12年10月16日発表したるところによれば、「10月14日、大平橋付近において敵陣地を奇襲せる際、その砲兵陣地跡において特異の塗料を施しある数個の敵迫撃砲

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/242

を発見せるにより、厳密なる調査試験をなしたる結果、四塩化チタニュームとホスゲンを混合充実せるガスたるの確認を得るに至れり」とあり。しかして同時発表の「軍当局者談」にはこれを敷衍して左のごとくあつた。「日本軍においては去る14日、劉家行北方大平橋付近の敵砲兵陣地内において敵の遺棄したる砲弾内に窒息性ガスを発見、支那側は確実にこれを使用しつつある確証を握るに至った。すなはち去る14日午後、わが軍が大平橋付近の敵兵陣地を奪取した際、敵が打ち残した迫撃砲弾のうち、特に弾頭部に赤色の塗料を施し、弾尾の翼の構造が幾分普通のものと違つて居るに気付いたので、これを直ちに司令部に届け出た。司令部では試みに信管の捻子を除去してみたところ、猛烈な臭気ある煙が盛んに発散したので、厳密なる理化学的実験ならびに動物試験の結果は四塩化チタニュームおよびホスゲンを混合したガス弾であることが判明した。理化学的実験の主なるものは(1)デイ試験紙反応および臭気は完全にホスゲンなること、(2)アニリンおよびアンモニア法によりて白濁を検出し得たること、(3)その他数種の実験に依りホスゲンを混合せることを昭明す。また動物試験については数多を行つたが、モルモットのごときは気体を呼吸せしめたところ5分間にして一部は斃死し、一部は肺出血、肺水腫を生じたること等により、猛毒ガス、ホスゲンを含むガス弾であることが明瞭となつた。このガス弾は発煙材たるチタニュームを多量に含む発煙弾であると見せかけ、実は猛毒ホスゲンを巧妙に混入し、致死効果を狙つたもので、ホスゲンは人も知るごとく欧州大戦中、各種の形式で毒性の猛烈なるガスとして使用されたものである。8月23日に田神部隊が顔十房付近で敵を攻撃中、くしゃみ性の砲弾が打ち込まれたので、以来最深の注意をなし、敵の不発弾、遺棄弾丸を見た場合は特に注意し、多少なりとも変わつた砲弾を見た場合は直ちに届け出をなさしめ、その都度厳密な調査をなし来たつて居る。このほか陳家宅、大塘南付近において煙を伴つた砲弾がわが戦線付近に落下したので、各部隊とも非常に注意を払つて来たが、確証を握り発表し得るまでに至らなかつた。しかしながら今回の砲弾実験の結果、支那側は以前より毒ガス弾を混入して射撃しつつあつたことが明確に裏書きされる。これらを考へ合はせるとき、最近支那側が躍起となつて日本軍がガス弾を使用しつつありとの宣伝をなすその真意は、かくのごとく己れのガス弾使用の非をわが方に転嫁し、『日本軍の使用に対抗するため止むを得ず使用せり』とその使用を合理化せんとする魂胆に他ならない。」(同年10月17日「上海合同新聞」所載)

 その後にありても、昭和13年6月、皇軍は講馬鎮付近および曲沃付近においていずれも敵の毒ガス弾数十発を発見したとあり(同月20日太原発「同盟」)、次いでは

「山西にあるわが軍の後方撹乱を企図せる敵は……悪性の毒ガスを使用しつつあり。敵はこの毒ガス使用にあたり彼自ら損害を招くので、これを防止せんがためいずれも優秀な防毒面を準備し、過般山西西部にてわが軍に押収せられた防毒面はドイツ製24式2,000、ベルギー製2,500、支那製10,000、その他20,000に上つてゐる」(同年6月28日石家荘発「同盟」

「山西各地における敵は先般来頻々と毒ガスを使用してゐたが、去る2日には蒙城鎮(臨汾南方)の東方においてわが猛撃に堪へ兼ねた第83師に属する敵部隊が、またも退却に際し大々的に毒ガスを放射し、翌3日にはさらに聞喜付近のわが部隊に対し多数の毒ガス弾を放射した。今回のものは従来に比しその毒性さらに強烈であつたが、わが防毒防備完全なるためほとんど損害を受けなかった。わが方は敵が遺棄した放射弾その他を押収したが、ソ連製の疑ひ濃厚なるもの多数あり」(同年7月4日北京発「同盟」)

「6日[昭和13年7月]、山西南部曲沃南方地区の戦闘で敵は突如、毒ガス弾を発射し、一時、同方面山岳一帯は濛々たる毒ガス煙に鎖されたが、わが部隊の神速果敢なる防御処置により兵9名が意識を失つたのみで、幸ひ大なる被害はなかつた。……毒ガスは検査の結果、ピクリン酸と判明、ソ連製の疑ひ濃厚である」(同月6日曲沃発「同盟」)

と報ぜられ、降つては昭和15年1月の南寧方面の戦闘においても、支那軍はわが陣地に対し毒ガス弾を発射した由である(同月16日南寧発「同盟」)

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/243

 そもそも1925年のヂュネーヴ議定書は、わが日本はこれに署名したるも批准はせぬから、全然その拘束を受けざるものである。したがつて仮に毒ガスを使用したればとて国際条約違反にはならない。それにもかかはらず皇軍はこれを使用しなかつた。しかるに支那は該議定書の非署名国であつたが、後にこれに加盟した。故に毒ガスの使用が国際法上否認すべきものなるや否やの問題とは離れ、日本は今日毒ガスを使用したからとて条約違反にはならぬが、支那軍がこれを使用すれば、いはゆる連帯条項を有せざる本議定書のこととて、少なくも条約違反を構成する。にもかかはらずこれを使用したとすれば、英国政府のごときは前述の伊国の場合に鑑み、真つ先に支那の行動に痛撃を加へねばならぬはずであつたのである。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060837/244