Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

文書不保存証明書 「七、同年十二月九日 支那軍に対する投降勧告文の原本 右の文書は調査の結果、現在当局に保存しあらざることを証明す。」  1947.5.1

神崎正義 五回 22-4-30Def. Doc. No.1345-A 証 明 書 一、昭和十二年八月 上海派遣軍編成の時に与へられたる命令原本 二、同年十月 第十軍編成のときに与へられたる命令原本 三、同年十一月 中支那方面軍編成のときに与へられたる命令原本 四、同年十一月 中…

「【上海本社特電】(九日発)上海軍九日午後七時発表。松井最高指揮官は本日正午、飛行機により南京防衛司令官に対し投降勧告文を投下し、十日正午までに回答を要求せり。」 国民新聞 1937.12.10

[✕法廷証✕] 5月5日却下 注:付属の文書は訂正済文書であり、破棄されるべき該当文書と差し替えられるべきである。 22年5月5日(28) 弁護反証段階(支那事変) Def. Doc. #1075 〃南京最期の日〃来る けふ正午の期限! 敵軍に投降を勧告す 回答なけ…

「上海【一二・九】(上海軍九日午後七時発表)松井最高指揮官は本日正午、飛行機により南京防衛司令官に対し投降勧告文を投下し、十日正午迄に回答を要求せり。」 同盟旬報 1937.12.9

松井司令官投降勧告 上海【一二・九】九日正午、松井最高指揮官は南京防衛司令官唐生智に投降勧告状を飛行機より投下した。 上海【一二・九】(上海軍九日午後七時発表)松井最高指揮官は本日正午、飛行機により南京防衛司令官に対し投降勧告文を投下し、十日…

「我が占領線内の村落にも諸所に敗残兵並び便衣隊潜伏活動している。」 陸軍省調査班新聞発表 1932.2.23

新聞発表第436号 2月23日 上海2月22日午後10時発、陸軍省着電 植田師団22日戦況 一、植田師団は廟巷鎮より後部家宅間の敵陣地を突破したる後、所在の便衣隊を掃蕩し水流沼沢の間を縫して、夕刻、其の第一線を以て廟巷鎭西端より普西を経て前郭…

「別に約百を下らない便衣隊が城内に潜入していて、各家屋を利用して頑強に抵抗しているので、主として吉林軍を以て之が掃蕩を実施し、午後1時迄に完了した。」 陸軍省調査班新聞発表 1932.2.20

新聞発表第427号 2月21日 奉天2月20日発、陸軍省着電 敦化に於ける交戦状況 一、我が敦化派遣部隊は2月20日午前5時、王徳林隷下の約五百の兵匪の襲撃を受けたるも、約1時間の交戦後、之を撃退した。別に約百を下らない便衣隊が城内に潜入して…

「第18師団は蕪湖付近を通過する船は国籍の如何を問はず撃滅すべし。」 第10軍命令 1937.12.12

丁集作命甲 号外 丁集団命令 12月12日午後6時 於 秣陵関 一、敵は十数隻の汽船に依り午後4時30分頃、南京を発し、上流に退却中なり。 尚、今後引続き退却するものと判断せらる。 二、第18師団は蕪湖付近を通過する船は国籍の如何を問はず撃滅すべ…

イギリス砲艦レディーバード号砲撃事件に関する文書不保存証明書 1947.4.26

22-5-2(22) 弁護側反証段階 (支那事変) 弁護側文書第1388号 証 明 書 一、レデーバード号事件を惹起したる際、柳川司令官の発したる命令の内容を証すべき文書 二、レデーバード号事件に関し発せられたる訓令の内容を証すべき文書 三、レデーバード号事…

投降勧告について 極東国際軍事裁判速記録 第310号 弁護側文書2670号、法廷証3409号、岡田尚の宣誓口供書より 1947.11.7

四、私は12月8日、軍司令官に同行蘇州の司令部陣営に赴きました。 蘇州に着任せる松井大将は、南京攻略に当たり出来得る限り無血入場、また中国首都の破壊を極力回避する主旨のもとに、12月9日、降伏勧告文を作成、飛行機を以て南京場内に投下し、更に…

「此の種悪虐非道の戦法に対抗する為には、一見良民を裝ふて居る者と雖も正規兵又は便衣隊なりと認めらるる者は、之に適応する処置を執ることは真に已むを得ない正当防衛なる所以を知らねばならぬ」 陸軍省調査班 上海事件ノ情報(並支那事変ニ関スル陸軍省発表)より 「悪虐非道 天人倶に許し難き支那軍の行動に就て」 1932.2.23

【供覧】 内閣官房總務課長【横溝】 内閣書記官【川島孝彦】【稲田】 悪虐非道 天人倶に許し難き支那軍の行動に就て 二月二十三日 陸軍当局談 我が軍が挙措正々 進止堂々 秋毫冒す無き嚴肅なる軍紀の下に行動しあることは古来 我が軍の精華として卋界に誇り…

陸軍省調査班 満洲問題に関する情報 「満鉄付属地外出動部隊引揚げの不可能なる所以に就て」より (三)便衣隊の横行 1931.11.19

(三)便衣隊の横行 張学良は、事変後錦州に占拠しある栄臻等をして、組織的に強力なる便衣隊を続発して南満地方の治安を擾乱せしめつつある。参考の為、便衣隊横行の顕著なる実例を示せば左の通りである。 1 奉天に在りし講武道学生は三々五々東北方に逃避…

「涼水泉子(豆満江、穏城対岸)北方30km十里坪には約100の兵匪現れ、南下の模様。又、拉子溝(百草溝東方約50km)には約200の便衣隊現れ義援金募集中であつて、該地方の人心兢々としてゐる。」 陸軍省調査班新聞発表 1932.4.8

新聞発表第540号 4月8日 京城4月7日初陸軍省着電 国境警備隊の一部、越江出動す 一、五日茂山(会寧西南方約50km、豆満江岸)の對岸廣浦に約180の兵匪現れ、同地公安局等を襲ひ、武器弾薬等を掠奪する等、不穏の情勢にある。 又、同地支那軍警は…

「五月二十五日「テウセウシ」(玉田西方二十四吉)に於て便衣隊と交戰し熊本部隊所属工兵一等兵吉田健次戦死、清水一三重傷す。」 陸軍省新聞班発表 1932.5.29

陸軍省公表第一四三号 五月二十九日 陸軍省新聞班 戰死傷者 一、五月十日「ホホガワ」(建昌營西方八吉)西方十二粁附近に於て大分部隊歩兵一等兵藤原政人生死不明 二、五月二十五日「テウセウシ」(玉田西方二十四吉)に於て便衣隊と交戰し熊本部隊所属工兵一等兵吉田…

「第十九路軍便衣隊の組織計画」 陸軍省調査班新聞発表 1932.3.12

供覧内閣書記官長【横溝】内閣書記官【川島孝彦】【稲田】 新聞発表 苐四八二号 三月十二日 上海三月十一日発陸軍省着電 苐十九路軍赤化 一、苐三インターは二月十三日同二十九日両度に亘り苐十九路軍を赤化すべしとの指令を発した結果その後の赤化工作は急速…

「上海付近敵小部隊並び便衣隊の行動活発」 陸軍省調査班新聞発表 1932.3.13

新聞発表苐四八七号 三月十三日 上海三月十二日発陸軍省着電 上海附近敵小部隊並便衣隊の行動活溌 軍の前面に於ては有力なる敵部隊の活動はないが小部隊が八日聲明の地線内に進入し來り我が斥候歩哨等を奇襲したり又は占據地域内各所に便衣隊出沒し後方擾乱…

「広東方面より水雷を取寄せ我が船舶を爆沈するといふが如き陰謀並び要人暗殺市内擾乱を目的とする便衣隊の活動は益々盛んである」 陸軍省調査班新聞発表 1932.3.14

新聞発表苐四八九号 三月十四日 上海三月十四日発陸軍省着電 彼我戰線の狀况(十三日) 一、十三日に於ける全線は平穩である二、当面の支那軍の配置は前報と大差はないが大倉には上官雲相の苐四十七師が新に到着した模様であつて該部隊は我が最前線に対し積極…

「上海方面三月四日以後の便衣隊に関する事件は既に十七件に達し之に基く我被害は負傷八名に達した。」 陸軍省調査班新聞発表 1932.3.30

供覧 内閣書記官長【印】 内閣書記官【印】【印】 新聞発表第五〇〇号 黒竜江省兵匪の南下 一、反吉林軍と連絡を有し黒竜江省方面より南下した兵匪は他の匪賊と合して其数約五千となり十五日夕扶餘(哈市西南方一五〇粁)を占領したものゝ様である。農安の吉…

「良民と便衣兵との区分困難なり。」 自 無錫 至 南京 歩兵第38連隊行動概見表より 1937.12.14

12月14日連隊一般の行動:南京城内掃帰[→蕩?]戦闘種別:敗残兵掃蕩戦闘の結果、教訓其の他:●良民と便衣兵との区分困難なり。●潜残の兵は藁積の内部、二階、三階、天井等に潜伏す。●小銃等外部に現はる兵器は放棄するも、拳銃を有するものあり。●食に窮…

信夫淳平『上海戦と国際法』より 第二項、便衣隊 1932

第二項、便衣隊 【うるさい蒼蝿】 上海戦の勃発に際し、我が陸戦隊の歩哨兵、通行兵、その他私人たる在留邦民に累次不測の危害を与へ又は与へんとしたうるさい蒼蝿は支那の便衣隊である。便衣とは平服といふに同じく、即ち一般市民と識別し難き服装にて本邦…

「警察的行為にして法理的には差し支えなきも、支那側において毒ガスを購入せしやの情報もあり、満鉄において催涙ガス使用の結果が支那側をして戦闘行為の為に毒ガス使用の口実となさしむるの虞なしとせざるをもって、北支の情勢略ぼ安定する迄さまでこれが使用を見合すことといたしたし。」 満鉄において催涙ガス使用に関する件 1933.5.19

決裁指定:【次官委任】 決行指定:【牛島】 連帯課名:参謀本部すみ 鉄砲 【受領番号 満密受第691号】 紀元課名:関東軍満鉄において催涙ガス使用に関する件 大臣:【委】 次官:【柳川】 高級副官:【牛島】 主務局長:【重厚】 主務課長:【山下】 軍…

「特種煙は戦闘の進捗を図るため随時随所に局部的に使用するを本則とするも、状況により計画的に大規模の集中使用を実施することあり。」「特種煙攻撃を実施せる地域の敵は勉めて殲滅を期し、これが脱逸を防ぐものとす。」 第11軍命令 岡村寧次司令官 1938.8.21

【軍事極秘】呂集作命第33号 呂集団命令 8月21日0920 於九江 自今、別紙要領に基づき特種煙(特種発煙筒および特種発煙弾)を使用すべし。 呂集団司令官 岡村寧次 下達法 印刷交付 呂集作命第33号別紙特種煙(特種発煙筒および特種発煙弾)使用要…

「重点使用の観念薄く、徒に少量の使用を反復し、重要時期における集結使用を困難ならしむる場合あり。」「第一線部隊はガス放射に跟随して突入する観念薄く、突入期の遅延と少量使用と相俟つて、敵の斜射·側射による被害多く、被毒地帯の敵も再び射撃するに至る」 野戦ガス第13中隊現況 1938.8.5

野戦ガス第13中隊現況 8月5日、野戦瓦斯第13中隊長代理、坂東中尉の報告によれば、現況概ね左のごとし。 一、編成 長 1 小池歩兵大尉(負傷入院中)小隊長 3 中尉1、少尉2段列長 1 准尉軍獣医部見習医官(獣医部准尉1)合計 将校以下 343名 …

「一、内地に於て募集し現地に向はしむる醜業を目的とする婦女は約四百名程度とし、大阪 (100 名) 、京都 (50 名) 、兵庫 (100 名) 、福岡 (100 名) 、山口 (50 名) を割当て、県においてその引率者 (抱主) を選定してこれを募集せしめ、現地に向はしむること。 二、右引率者 (抱主) は現地において軍慰安所を経営せしむるものなるにつき、特に身許確実なる者を選定すること」 内務省警保局『支那渡航婦女に関する件伺い』『南支方面渡航婦女の取扱に関する件通牒』1938. 11. 8

南支派遣軍参謀陸軍航空兵少佐 久門有文〈花押〉警保局長閣下 娘子軍約五百名広東に御派遣方御斡旋願ひ上げ候ふ 丙(秘)施行 十一月八日【丸山】 起案 昭和十三年十一月四日 主任【印】 警保局長 警務課長【町村】 事務官【印】 外事課長【豊島】 事務官【…

第1野戦化学実験部要報第7号 1937.12.6~16

支受第6030号 其の4 (陸軍省大臣官房 昭和12.12.27 午後) 【極秘】丁集1野化報第6号 昭和12年12月19日 於湖州 第1野戦化学実験部要報第7号 一、戦闘経過の概要 (1) 12月6日、丁集作命甲第56号に依り、第一線と協力し南京に於ける化学…

野戦瓦斯第6中隊(乙) 野戦瓦斯第8小隊

部隊名/下令年月日/管理/派遣方面/摘要 野戦瓦斯第6中隊(乙)/12.9.6/留2師/中支/15.8.19内地復員下令 野戦瓦斯第8小隊/12.10.20/留7師/北支/北支─中支 ↑支那事変動員部隊調査表 昭和12~16年 瓦斯(化学関係)隊https://www.jacar.arc…

第1野戦化学実験部

部隊名/下令年月日/管理/派遣方面/摘要 第1野戦化学実験部/12.7.27/1師/中支/12.8.4動員完結、13.2.15内地復員下令 ↑支那事変動員部隊調査表 昭和12~16年 瓦斯(化学、制毒)隊https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C12121084400

「第6師団は野戦瓦斯第6中隊及び野戦瓦斯第8小隊を区処し、南京の掃蕩に任ぜしむべし」 第10軍命令 1937.12.12

丁集作命甲第65号 丁集団命令 12月12日午後3時30分 於秣陵関 一、第6師団は野戦瓦斯第6中隊及び野戦瓦斯第8小隊を区処し、南京の掃蕩に任ぜしむべし。 丁集団司令官 柳川平助 下達法 両部隊長に印刷命令を交付し、第6師団には同命令を送達す。 …

上海·南京侵攻戦に落ちる毒ガス·細菌戦の影 1937.8.15~12.16

臨参命第73号 命 令 一 上海派遣軍(編組、別紙の如し)を上海に派遣す。 二 上海派遣軍は海軍と協力して上海付近の敵を掃滅し、上海並び其の北方地区の要線を占領し、帝国臣民を保護すべし。 [中略] 六 細項に関しては参謀総長をして指示せしむ。 昭和…

中支那方面軍 南京城攻略準備命令 1937.12.4

中方作命第27号 中支那方面軍命令 12月4日午後9時 於上海方面軍司令部 一、中支那方面軍は南京郊外既設陣地を奪取し、南京城の攻略を準備せんとす。 二、上海派遣軍及び第10軍は南京郊外既設陣地を奪取したる後、概ね上元門(下関東北方約4km)~小衛…

「本攻撃に於ては徹底的に毒瓦斯を使用すること極めて肝要にして、此の際、毒瓦斯使用を躊躇して再び上海の如き多大の犠牲を払う如きは忍び得ざるところなり。 一方、軍としては南京攻略の際、敵の毒瓦斯使用及細菌散布は当然あるものと判断し、所要の準備あるを要す。」 第10軍司令部 南京攻略に関する意見 1937.11.30

南京攻略に関する意見 昭和十二月[→年]十一月三十日 丁集団司令部 一、要領 南京攻略は、先づ敵が湖東会戦に於て蒙りし精神的打撃、及び指揮組織の混乱を未だ回復し得ず、且つ南京防禦の組織完成せざるの期に乗じ、神速果敢なる追撃に依り一撃に之を急襲奪取…

南京城攻撃之記 脇坂部隊(歩兵第36連隊) 1937.12.5-13

自昭和十二年十二月五日至昭和十二年十二月十三日 南京城攻撃之記 脇坂部隊 井出少将の指揮せらるる第九師団追撃隊主力たる歩兵第三十六連隊主力は、十一月二十日午後一時、蘇州を出発し、陰雨霏々たる中を鉄道線路に沿い追撃、前進す。途中、泥濘と弾雨を冒…