Ob-La-Di Oblako 文庫

帝国日本の侵掠戦争と植民地支配、人権蹂躙を記憶し、再現を許さないために、ひたすら文書資料を書き取る。姉妹ブログ「歴史を忘れる民族に未来はない!」https://obladioblako.hateblo.jp/ のデータ·ベースを兼ねる。

南京暴虐

「方面軍に於て10日正午迄に中山門─句容道上の敵軍歩哨線に軍使を派遣し、和平開城の勧告文を散布す。」「両軍は10日正午、敵軍使来らざる場合には直ちに攻撃開始し得り如く準備を完了されたし」 電報 12月9日 午前2時0分発 午前5時48分着 中支那方面軍参謀長発 上海派遣軍·第10軍参謀長宛

電報 12月9日 午前2時0分発 午前5時48分着 軍参謀長宛 方面軍参謀長発 中方作命第31号に関し左の件、承知相成度。 一、方面軍に於て10日正午迄に中山門~句容道上の敵軍歩哨線に軍使を派遣し、和平開城の勧告文を散布す。 二、派遣軍に於ては右…

「窃かに聞く所に拠れば、最も忌むべき婦女暴行、金品強奪の犯行、二三に止まらずと謂ふ。斯くては集団の戦績を汚辱し、皇軍の威武を涜すものにして、寔に痛嘆に堪へず。」 第10軍司令官 柳川平助 訓示 1937.11.17

訓 示 集団上陸以来、赫々たるの戦績を収め、敵の戦意を粉砕するの日、将に目睫に迫る。是、一に御稜威の然らしむる所なりと雖も、隷下将兵が克く其の使命を自覚し、尽忠報国の誠を効せる結果に他ならざるを信じ、衷心、其の労を多とす。 惟ふに皇軍は起つて…

「茲に於て十一月十五日夜、軍司令官臨席の下に幕僚会議を行ひ、全力を以て独断、南京追撃を敢行するに決す。」 南京追撃 第10軍司令部決定 1937.11.15

南京追擊 一、中支那方面軍は崑山付近の地区に於て敵軍主力の捕捉殲滅を企図せしも、其の結果は撃退戰に終り、其の一部を捕捉殲滅し得たるに過ぎず。然れども本会戦と第十軍の嘉興方面への進出とにより、敵軍主力は総退却に陥り、其の指揮組織、根本的に混乱…

「開城を勧告して平和裡に入城することを図る。この際、各師団は各々選抜せる歩1兵大隊を基幹とする部隊をまづ入城せしめ、城内を地域を分ちて掃蕩す。」 中支那方面軍司令部「南京城攻略要領」 1937.12.7

中支方面軍司令部印刷 受付 12年12月7日 参一課 【極秘】 南京城攻略要領 1. 両軍は中方作命第27号に示す線に進出して、爾後の攻略を準備す。 2. 南京守城司令官もしくは市政府当局なほ残留しある場合には、開城を勧告して平和裡に入城することを図る。 この…

支那事変 戦塵 南京戦線 歩兵第7連隊第1中隊(水谷荘上等兵の日記)より 1937.12.7~26

【1208】 支那事変戦塵 南京戦線歩兵㐧七聯隊㐧一中隊 防衛研究所図書館 【1209】 複製資料経歴表 防衛庁 防衛研究所戦史部表題:戦塵 南京戦線戦史部が複製した経緯:複製 昭和60.12.借用先:〒503 大垣市□□□○○─○氏名:水谷 荘複製要求者:原 剛(…

南京付近及び城内掃蕩戦闘詳報 歩兵第7連隊 (原文) 1937.12.7-24

【1327】 苐二期作戰苐二次(七号)自 昭和十二年十二月七日至 昭和十二年十二月廿四日南京附近 及 城内掃蕩 戰鬪詳報歩兵第七聯隊 【1328】 第一 戰鬪前ニ於ケル彼我形勢ノ槪要 1.敵ハ上海附近ノ會戰ニ敗レ 陸上 及 揚子江上ヨリ猛追│セラレ 眞面目ノ抵抗…

「(一)敵は全面的に敗北せるも、尚抵抗の意志を有するもの散在す。(二)旅団は本十四日、南京北部城内及び城外を徹底的に掃蕩せんとす。(三)歩兵第三十三連隊は…を掃蕩し、支那兵を撃滅すべし。(四)歩兵第三十八連隊(第二大隊欠)は…を掃蕩し、支那兵を撃滅すべし。(五)歩兵第三十八連隊第二大隊は…を掃蕩し、支那兵を撃滅すべし。(六)各隊は師団の指示ある迄俘虜を受付くるを許さず。」 南京城内戦闘詳報 第十二号 歩兵第三十八連隊 1937.12.14

昭和十二年十二月十四日 南京城内戦闘詳報第十二号 歩兵第三十八連隊 南京城内戦闘詳報 一 戦闘前における彼我形勢の概要 1 敵は南京西北部下関より揚子江北岸に敗走せしも、我の進出急なりしため退路を扼止せられ、ほとんど殲滅せられたるも、城内にはなほ…

「敵の敗残兵の一部は南京城内に在るものの如く、大部は下関に圧迫したる敵は其の退路を失し我に殲滅せられたるも、極少数の敵は揚子江を甫口に渡河して敗走せるが如し。下関に圧迫せし敵は少なくも二万を下らざるが如し」 江蘇省南京市、十字街及び興衛和平門及び下関付近戦闘詳報 第11号 歩兵第三十八連隊 1937.9.12-13

昭和十二年 自十二月十二日 至十二月十三日江蘇省南京市、十字街及び興衛和平門及び下関付近戦闘詳報第11号 歩兵第三十八連隊 十字街及び興衛和平門及び下関戦闘詳報 一 戦闘前に於ける彼我形勢の概要 1 敵は尭化門附近の陣地を固守したるも、前日来の猛…

「俘虜は処断す」「敵の遺棄死体…十二月十三日の分は処決せし敗残兵を含む」 南京附近戦闘詳報 歩兵第33連隊

其六、十二月十三日の行動 一、戦斗経過の概要 十二日夕、紫金山第一峰を攻略せし聯隊は、追撃前進に転移し、十三日午前七時半頃、第二、第三大隊は相応呼して天文台高地を占領し、同時十分、第二大隊の一部(第六中隊、機関銃小隊、工兵一小隊)太平門を占…

「軍紀·風紀においても忌々しき事態の発生、近時漸く繁を見、これを信ぜざらんと欲するも、なほ疑はざるベからざるものあり」「断じて事変の完美なる成果を期せんがため、ここに改めて軍紀·風紀の振作に関して切に要望す。本職の真意を諒せよ」 参謀総長、載仁親王より中支那方面軍司令官、松井石根へ 1938.1.4 

【極秘】陸軍省受領 陸支密受第二五〇号 陸軍省 大臣官房 昭和13.1.11 午後 陸軍省 軍事課 13.1.12 27 陸軍省 兵務課 13.1.13 受9号 閲 次官【梅津】 軍事【高瀬】 兵務【飯?田】 中方参第十九号 軍紀·風紀に関する件 通牒 昭和十三年一月九日 中支那方面…

日支両軍の態度に関する情報部長談話(十二月一日) STATEMENT OF THE FOREIGN OFFICE SPOKESMAN MADE ON DECEMBER 1, 1937.

戦前期外務省記録 支那事変関係一件2 支那事変関係公表集(第二号)2https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B02030683900 p.20, p.21 日支両軍の態度に関する情報部長談話(十二月一日) STATEMENT OF THE FOREIGN OFFICE SPOKESMAN MADE ON DECEMBE…

松井石根弁護側証拠提出却下 1947.5.5

MR. ROBERTS: I now present Mr. ITO, who will present further proof on this subdivision 4. ○ロバーツ辯護人 第四部の證據提出をいたしまする伊藤辯護人を紹介いたします。 THE PRESIDENT: Mr. ITO. ○裁判長 伊藤弁護人。 ○伊藤辯護人 ここに辯護側文書…

暫く時日を藉さん 民衆は反省せよ 松井軍司令官声明 1937.12.18

Doc.1862 E.262 2221-8-8.11 検察側主張段階(支那事変) 暫く時日を藉さん民衆は反省せよ松井軍司令官聲明 【南京十八日發 同盟】 松井最高指揮官は南京における陣歿將兵慰靈祭終了後 十八日午後四時 特に司令官談を發表し 南京入城の歴史的時機…

松井石根 訓示 1937.12.18

訓示 湖東会戦に引続き勇猛果敢なる追撃に依り一挙 首都南京を攻略し、茲に歴史的壮挙を完成したるに方り、重て優渥なる聖旨を辱し感激措く所を知らず。 不肖石根、之を以て克く任務を達成し上聖明に対へ奉るを得たるは、実に参加将士の力戦奮闘に俟つものに…

松井石根 訓示 1937.12.1

訓示 御稜威に依り湖東会戦に快捷を博し 優渥なる勅語を拝受す 予は全軍将兵に代り謹みて奉答し 前途の万難を克服し皇軍の威武を顕揚すべきを誓ひ奉れり然るに爰に新に南京攻略の大命を拝し 寔に感激恐懼に堪へざるものあり 全軍将兵 亦 発奮 心動き肉躍るの…

問「貴下は17日に南京入城をしたと陳述しているが、貴下は一般人なり、婦人なり、子供なりの死骸を見ましたか。なにかその様なものを。」 答「それらのものは入城までに片付けられてありました。自分は西門間近で2~3の支那兵の死骸を見ました。」 A級極東国際軍事裁判記録より 法廷証第257号 松井石根尋問調書 1946.8.8

21-8-8.(4) 検察側主張段階 (支那事変)松井石根 22 検察側文書 10104-1 法廷証第257号 高橋義次(松井石根) 問、貴下の軍隊が南京において幾多の暴虐行為をなしたと欧・米が考えているということを貴下が聴いたとすれば、最初に聞いたのはい…

東京裁判 松井石根弁護側最終弁論より 1948.4.9

大将は前述の南京攻略に関する命令·訓令·地図等を十二月八日、参謀長外参謀二人をして上海派遣軍司令部に携行伝達せしめ、別に第十軍に対しては他の参謀を派遣して、全軍に徹底する様に処置したのである。 猶ほ大将は、予ねて東京より伴ひ行きたる、中国通岡…

松井石根 昭和二十年十二月認 支那事変日誌抜萃写 1945.12

戦犯調査 11/5 □部 2002 A.22030 昭和20年12月認 支那事変日誌抜萃写 松井石根 1.大命拝受 昭和12年8月、富士山中静養中、同月14日、陸軍大臣の召電を受け上京。翌15日、宮中において上海派遣軍司令官親補の勅を拝し、翌十16日、参謀総長より…

松井石根 昭和二十年十二月 支那事変日誌抜萃 1945.12

日 曜 11.30 天 候 昭和20年12月 支那事変日誌抜萃 松井石根 1.大命拝受 昭和12年8月、富士山中静養中、同月14日、陸軍大臣の召電を受け上京。翌15日、宮中において上海派遣軍司令官親補の勅を拝し、翌16日、参謀総長より派遣軍に関する…

松井石根『出征日誌第1巻』その1(新漢字ひらがな表記・原文対照) 1937.8.15~9.6

[表紙] 出征日誌第1巻自 昭和12年8月14日至 同 9月22日 (上陸作戦後1ヶ月間) 上海派遣軍司令部 松井大将 出征日誌第壱巻自 昭和十二年八月十四日至 仝 九月二十二日 (上陸作戦後一ヶ月間)上海派遣軍司令部 松井大將 [本文] 出征日誌 前記 昭和12…

【工事中】松井石根 戦陣日誌 原文 1937-1938

昭和十二年 十一月一日 《周宅ニ/軍司令部/移轉》 昨夜来 雨ナリシモ今朝以来 漸次 霽ル 午後一時 楊家宅司令所出発 新ニ大場 鎮南方約二吉ノ周宅ニ移ル 《新司令部ハ/上海市政府/公立ノ助産敎育/ 学校 及 児童/健康部ニテ/曩ノ呉淞/水産学校ハ/ 共ニ常ニ/「…

【工事中】松井石根 出征日誌 第一巻(その1) 原文 1937

[表紙] 出征日誌第壱巻自 昭和十二年八月十四日至 仝 九月二十二日(上陸作戦後一ヶ月間)上海派遣軍司令部松井大將 [本文] 出征日誌 前記 昭和十二年五月 北支芦溝橋 日支軍ノ戰斗二端ヲ発シ 尓後 河北地方二於ケル両軍ノ抗争 遂二解ケス 政府ハ遂ニ意…

【工事中】松井石根 出征日誌 第二巻(その1) 原文

十月二十二日(㐧十軍作戦ニ関スル 意見申達) 天気 依然 快晴温暖 尚続ク 可欣昨夜ヨリ重藤支隊 及 㐧十一師団 幷 㐧十三師団正面ニ於テ 相當 統一セル敵ノ攻擊アリタルモ尽ク夛大ノ損害ヲ与ヘテ之ヲ擊攘ス 蓋シ此方面ノ攻擊ハ敵ノ真面目ナル反撃ト云フヨリ…

「江南地方作戦の目標は飽く迄南京と決定し」「方面軍には有力なる特務機関を付し、宣伝·謀略の直接作戦に必要なるものの外」「目下、日本の政策は南京政府打倒を核心とし」 松井石根 出征日誌 10月23日 1937

十月二十三日 天気続いて晴朗。今日は上陸第二ヶ月の記念日なり。回顧せば過去二ヶ月間、軍は始終、常に困難なる攻撃を力行して今日に至れり。 第二月以内、三ヶ師団の増加を得て、勢力頓に昂り、爾後、逐次に敵を圧迫しつつ、今や大場、南翔付近に亘る敵陣…

松井石根 出征日誌 10月22日

十月二十二日(第十軍作戦に関する意見具申) 天気 、依然、快晴温暖、尚続く。欣ぶ可し。 昨夜より重藤支隊及び第十一師団并び第十三師団正面に於て相当統一せる敵の攻擊ありたるも、尽く多大の損害を与へて之を撃攘す。蓋し此の方面の攻撃は敵の真面目なる…

上海派遣軍参謀長、飯沼守の日記より(新漢字ひらがな表記) 1937.8~12

8月15日 8月15日には参謀副長上村大佐と協議。松井軍司令官、親任式後申告。その際、希望事項として述べられたるところ、次のごとし。 海軍、ことに航空隊との指揮関係。 現地外務省官吏に勝手なことをなさしめざる処置。 軍司令部嘱託または兼務者を置く…

南京附近戦闘詳報 歩兵第百五十連隊 1937.12.10-13

自昭和十二年十二月十日至昭和十二年十二月十三日南京附近戦闘詳報第六号歩兵第百五十連隊 南京附近戦闘詳報 歩兵第百五十連隊長 陸軍歩兵中佐 山本重悳 第一、戦闘前に於ける彼我形勢の概要 一、師団作戦地境更改のため、上黄墅附近より方山南方を迂回して…

「【上海特電十日発】上海軍発表(十日午後七時)松井最高指揮官の条理ある勧告に拘らず、敵は頑強なる抵抗を持続せしをもって、午後一時、遂にわが軍は総攻撃を実行するに決し、砲兵の全力をもって砲撃を開始するとともに全線一斉に進撃、飛行隊の猛撃と相まって夕刻、早くも各城門を占領し、目下、城内を掃蕩中なり。」 南京遂に陥落す 大阪朝日新聞 十二月十日 第二夕刊 1937.12.10

昭和十二年十二月十一日(土曜日)大阪朝日新聞 十二月十日 第二夕刊 南京遂に陥落す 全城門、城壁に日章旗 直ちに残敵掃蕩戦展開 抗日の本拠ここに覆滅 【上海特電十日発】南京城の敵は投降勧告に応ずる色なく、十日朝来、引き続き猛烈な抵抗を続け、午後に…

昭和12年12月14日、大本営両幕僚長宮殿下に賜りたる御言葉 1937.12.14

○昭和12年12月14日、大本営両幕僚長宮殿下に賜りたる御言葉 中支那方面の陸海軍諸部隊が、上海附近の作戦に引続き、勇猛果敢なる追撃を行ひ、速に首都南京を陥れたることは、深く満足に思ふ。此旨、将兵に申伝へよ。 原文 ○昭和十二年十二月十四日 大…

【校正中】岡村寧次『陣中感想録』原文 1954.6

岡村寧次大将回想録 靖國偕行文庫 受入番号:80277 図書記号 請求記号:390,281オ、オ [表紙] 一切転載並公表を禁ず (特別資料) 戦史資料其の三 岡村寧次大将回想録 昭和二十九年六月 厚生省引揚援護局 [内表紙] 一切転載並公表を禁ず (特別資料) 戦史資…